夢追人の妄想庭園内検索 / 「~第三十一章~」で検索した結果

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  • ~第三十一章~
        ~第三十一章~ 一瞬。ほんの一瞬だけ、雷光が夜空と大地を照らし出す。 それを追いかけるように、轟音が空気を震わせた。 木々の枝葉に溜まっていた滴が、一斉に流れ落ちて、泥濘の上で砕け散る。 その中を、泥水を跳ね上げ、疾走する四騎の影。 もうすぐ狼漸藩との國境。この先には、兵が常駐する詰所が必ず在る。 だが、耳を澄ませ、敵の気配を探るものの、激しく笠を叩く大粒の雨に邪魔されて探知できない。 邪気を辿ろうにも、忘れた頃に轟く雷鳴に阻害され、気の集中が巧くいかなかった。 頼れるのは、自分たちの視力と、培ってきた経験のみ。 突然、目も眩むほどの稲妻が空を切って、周囲を真昼のように明るくした。 目と鼻の先に浮かび上がる、國境の高い柵。 詰所の前では、何本もの槍の穂先が、冷たい輝きを放っていた。 やはり――全員の顔に、緊張が走る。 接近する蹄の音を聞きつけた穢れの者どもが、長槍を構えて...
  • 『退魔八紋乙女・狼漸命伝』~御魂の絆~
    ...  ~第十一章~  ~第三十一章~ ~第十二章~  ~第三十二章~ ~第十三章~  ~第三十三章~ ~第十四章~  ~第三十四章~ ~第十五章~  ~第三十五章~ ~第十六章~  ~第三十六章~ ~第十七章~  ~第三十七章~ ~第十八章~  ~第三十八章~ ~第十九章~  ~第三十九章~ ~第二十章~  ~第四十章~    
  • ~第三十章~
        ~第三十章~ 時折、分厚い雲の中を、閃光が走る。 激しい雨風が、六人の身体に、容赦なく吹きつけてきた。 誰の足取りも重い。雨は身体ばかりでなく、心まで冷やしてゆく。 悪い足場に苦闘しつつ、漸くにして桜田藩との國境に到着してみれば、 数多の難民でごった返し、通行も儘ならない状況だった。 混乱の中、少なくとも三頭の馬を確保するため、翠星石と蒼星石は人混みを掻き分けて、 詰所へと向かった。金糸雀は簡易診療所に赴き、負傷した難民の治療を手伝っている。 残る三人は、情報を集めるべく、避難民の間を縫って歩いた。 待ち合わせの時間に、真紅と水銀燈、雛苺が顔を揃える。 誰もが、浮かない表情をしていた。  「想像以上に、侵攻が早いみたいね」  「まだ、城下へは到達してないみたいよぉ。ま、時間の問題でしょうけどねぇ」  「薔薇しぃたちのコトも、心配なのー」  「あの娘たちなら大丈夫……と...
  • ~第十一章~
        ~第十一章~ 手術は、実に五時間にも及んだ。 それでも、単独で執刀していた事を考えれば、驚異的な早さである。 通常ならば、少なくとも倍以上の時間を要する大手術だった。 この娘にとって幸運だったのは、刺された場所が良くて、臓器の損傷が少なかった事だ。 それに、金糸雀の所に運び込まれた事も――  「流石に、疲れたかしら~」 桶に汲んだ手水で血を流し終えた金糸雀は、棚の上の酒瓶に腕を伸ばした。 くいっ……と、もろみ酒を呷る。  「ふぅ~。甘露甘露……かしら」 酒は百薬の長。 疲れた時は、適度に飲酒して、気分を昂揚させるのが一番だ。 ――今夜は徹夜で、術後の経過を見守らねばならない。 感染症には充分すぎるほど配慮しているが、患者は極度に免疫力が落ちている。 他の患者よりも、細心の注意が必要だった。 金糸雀は、麻酔の効果で眠り続けている娘を見て、ふ……と、微笑した。  「...
  • ~第二十一章~
        ~第二十一章~ ――水銀燈が、私を庇った。 城に帰着しても、めぐの頭は、さっきの事で占められていた。  (貴女は、私を見捨てたんじゃなかったの?) 彼女が村を出て、姿を見せなくなったのは、看病に疲れたからだと思っていた。 いつまでも治る見込みのない娘の面倒なんか、見たくなくなったからだ、と。 それなのに、何故、水銀燈は私を助けたのだろう? 私たちは、敵同士になったんじゃなかったの? 全ては自分の誤解なのだろうか。彼女は、私を助ける為に村を出たとでも? 廊下を歩きながら思い悩む彼女を、女性の声が呼び止めた。 声の質から、すぐに見当が付いた。雪華綺晶だ。  「貴女は、無事に帰って来られたのですね……めぐ」  「……すみません。のりさんを、援護しきれなかった」  「あら? 別に、責めている訳ではありませんわ。   寧ろ、よく戻ってくれたと、喜んでいるくらいですよ」  「でも、...
  • ~第三十四章~
        ~第三十四章~ 薔薇水晶の亡骸を腕に、雪華綺晶は号泣していた。 また、母との誓いを果たせなかった。余りにも無力だ、私は。 自分自身に憤りを感じて、どうしようもなく口惜しくて――  「薔薇しぃ……仇は、きっと討ちますわ」 雪華綺晶は、やり場のない黒々とした感情を、笹塚へと向けた。 八つ当たりと言われても良い。責任転嫁と蔑まれたって構わない。 今はただ、やるかたない憤懣の捌け口が欲しかった。  「――貴様だけは、容赦しませんよ。笹塚」  「は! 笑わせてくれるねえ。赦しを請うのは君の方だよ、雪華綺晶」  「なんですって? 誰が、貴様なんかにっ!」  「僕に、じゃないさ。御前様に平身低頭した方がいいと、忠告してるんだ。   君だって、御前様の寛容さは知っているだろう?」      「だ……黙れっ!」  「衷心を示し、飼い犬としての分を弁えれば、また可愛がってもらえるさ。   そ...
  • ~第三十二章~
        ~第三十二章~  「ここは任せるですっ! 真紅たちは、先に行きやがれですぅっ!」 いきなりの台詞に、束の間、誰もが言葉を失った。 睡鳥夢が強大な能力を秘めている事は、目の当たりにしてきたから解っている。 しかし、これだけの敵を前に、たった独りで何が出来るだろう? 蒼星石は穢れの者を両断しつつ、掴みかからんばかりの勢いで、姉の言葉に噛みついた。  「何を言い出すのさ、姉さんっ! 無謀もいいところだよっ!」 彼女の言い分は、翠星石を除いた全員の言葉でもあった。 振り下ろした神剣で、陣笠ごと穢れの頭蓋をかち割った真紅も―― 冥鳴を駆使して櫓を破壊していた水銀燈も―― 高所から狙撃を試みる鉄砲足軽を、精密射撃で撃ち落とした金糸雀も―― 剣舞を演じるように、穢れを斬り祓っていく薔薇水晶も―― 恐怖に打ち震えながらも、懸命に精霊を駆使する雛苺も―― 獄狗に跨り、八面六臂の活躍を見せ...
  • ~第四十一章~
        ~第四十一章~ 蒼星石を護りたい。 ただ、その思いのままに、ジュンは剣を突き出していた。 巴を傷つけるつもりなんて、これっぽっちも無かった。 そう。無かったのに―― しかし、想いと結果は、必ずしも一致しないのが、この世の皮肉。 ジュンが握る蒼星石の剣『月華豹神』は、あろうことか巴の甲冑を突き破り、 彼女の柔肌を切り裂いていた。 巴は、信じられないと言わんばかりに瞼を見開き、 片膝立ちの姿勢で硬直しているジュンへと困惑の視線を向けていた。 彼女の柔らかそうな唇が、ゆっくりと形を変える。 どうして? 声にならない問いかけを発した巴の眦から零れる、一粒の涙。 それは傷の痛みよりも、愛する者に裏切られた心の痛みに誘発された、慟哭の涙だった。  「巴……僕はっ」 ジュンの言葉は、それ以上、続かなかった。 何を言ったところで、所詮は言い訳。巴を刺してしまったこと…… 傷つけて...
  • ~第三十六章~
      ~第三十六章~ 室内に、どぉん! と大音響が轟いた。 誰もが動きを止め、音源の正体を確かめるべく、ちらと目を向ける。 そこには、俯せに倒れている、のりの姿。 もっと卵が潰れるような生々しい音を想像していた金糸雀の予想に反して、 それは意外なほど、おとなしい落着音だった。  「のりさんっ!」 水銀燈と鍔迫り合いを演じていためぐが、悲鳴に似た声で、彼女の名を叫んだ。 のりは二度、三度と痙攣を繰り返していたが、 めぐの呼びかけに応えるかのように正気づいて、微かに呻き声を上げた。 氷鹿蹟の角で穿たれた傷口からは、真っ黒な液体が、勢いよく湧きだしている。 瀕死の重傷である事は、誰の目にも明らかだった。 ぽっかりと開いた傷口から、蛍ほどの小さく赤い瞬きが、ふわり……ふわり……。 それは徐々に数を増して、遂に、のりの体表を仄かに照らし出すまでになった。 赤い群を離れて、金糸雀の方へ飛んで...
  • ~第三十七章~
        ~第三十七章~ 水銀燈の膝に抱かれて、めぐは満ち足りた表情を浮かべている。 穏やかに眠る旧友は、今しも瞼を開きそうだ。  「そして貴女は、いつもみたいに、はにかみながら言うのよね。   来てくれてたのね、水銀燈……って」 それが、子供の頃から繰り返してきた、二人の習慣。 水銀燈が、野良仕事で多忙なめぐの両親に変わって看病の手伝いに行くと、 めぐは大抵、まだ眠っていた。 そんなに寝てばかりじゃ、頭が呆けちゃうわよと水銀燈がからかうと、 必ずと言っていいほど「構わないわ。どうせ、もう壊れちゃってるんだし」と、 言葉を返したものだ。 その度に、ちょっとした口論が始まって――  「それでも、私たち……一日と経たずに、仲直りしてたわよねぇ」 喧嘩の後、先に根負けするのは、いつも水銀燈の方だった。 自分の軽口が喧嘩の発端という気後れも、あったのだろう。 躊躇いながらも、様子が気にな...
  • ~第三十五章~
        ~第三十五章~ 交えた刃と同様に、水銀燈の紅い瞳と、めぐの鳶色の瞳が激しく火花を散らし合う。 二人の眼差しには共通して、深い哀しみの情が見て取れた。 闘いたくない。本当は、殺し合いたくなんかない。 けれど、二人は敵同士。相見えれば剣を交える運命。それも、解っている。 にも拘わらず、二人は月と星のように、夜という闇の世界で巡り会ってしまった。  「私たちって……やっぱり、こうなっちゃうのね」  「会いたくなんて、なかったんだけどねぇ」  「同感。こんな形で、水銀燈とは会いたくなかった。   でも、仕方ないわね。これも運命と諦めて、受け入れるしかないわ」 めぐの寂しげな微笑みに、水銀燈は苛立ちを募らせ、語気を荒くした。  「憎しみ合ってもないのに、殺し合うのが運命なの?   おかしいわよぉ、そんなの。不条理よぉ!」  「不条理、不公平は世の常でしょ。   水銀燈……貴女だって...
  • ~第三十三章~
        ~第三十三章~ 武将が右腕に握る槍の穂先が、松明の炎を受けて、ぎらりと残忍な輝きを放つ。  (生贄になんて、なって堪るかですっ!) 翠星石は痛みを堪えて、左手のクナイを、武将の顔面に投じた。 クナイは兜の内へと吸い込まれていった……が、頭蓋を砕くには力が足りない。 穢れの武将は槍を地面に突き立てると右手で翠星石の頸を掴み、髪を手放した。 翠星石は息苦しさに堪えながら、右手に握った短刀で、 頸を掴む武将の腕をめったやたらに斬りつける。 しかし、その行為は武将の激昂を誘っただけ。 穢れの武将は、怒りに任せて翠星石を地面に叩きつけた。  「くぁっ!」 背中を強かに打ち付けて、喉の奥から息が漏れる。 その結果、出したくもないのに、呻き声を発してしまった。 カタカタカタ……。 穢れの者どもの嘲笑に、憎悪と憤怒の感情が燃え上がる。 仰向けに倒れたまま、翠星石は緋翠の瞳に憎しみを宿...
  • ~第三十八章~
        ~第三十八章~ 玉座の鎧武者が、鋭い眼光で、謁見の間に飛び込んできた二人を睨みつける。 巫女装束に身を包んだ金髪碧眼の娘と……巴と面差しのよく似ている、緋翠の瞳を持つ娘。 木曽義仲――前世の記憶を覚醒させられた桜田ジュンは、鼻でせせら笑った。 あんな小娘たちが、鈴鹿御前を脅かす存在だと? 手にしていた皇剣『霊蝕(たまむし)』の鞘で、カツン! と床を軽く叩く。 たちどころに、抜刀した近衛兵の一団が随所から溢れ出し、二人を取り囲んだ。  「巴……あれが、話に聞いていた小娘どもか?」  「はい。真紅と、蒼星石です」  「……ふむ。他愛なさそうに見えるが、ともあれ、お手並み拝見といこう」  「義仲さまの御命令よ。者共、かかれっ!」 号令一下、近衛兵たちが、真紅と蒼星石に襲いかかる。 見た目こそ同じ骸骨だったが、その技量も、装備も、 今までの雑兵どもとは格が違った。  「気をつけ...
  • ~第三十九章~
        ~第三十九章~ 水銀燈の剣技は、技術、腕力とも、蒼星石に勝るとも劣らない。 直に剣を交えることで、巴は痛切に感じた。油断のならない相手だ。 ここに真紅や雪華綺晶まで割り込んできたら、流石に、独りでは手に負えない。 有利な内に、さっさとケリを着けるべきだった。 ――どんなに卑怯な手段に訴えようとも。  (わたしは、必ず勝つ! そして、今度こそ――) 愛する人と、命の灯火が消えるその日まで、添い遂げるのだ。 赤の他人によって人生の幕を無理矢理に降ろされる事は、もうイヤ。 水銀燈の握力を奪うべく、強烈な斬撃を見舞うものの、彼女は苦痛の色も見せない。 刀身の厚味が、かなりの震動を吸収するのだろうか。 それとも、本当は痺れているのに、痩せ我慢をしているのか。 どちらであれ、このままでは埒が開かない。 巴は一旦、大きく飛び退くと、左手の指を銜えて口笛を吹いた。 途端、謁見の間に弓足...
  • ~第一章~
        ~第一章~ 一口に探すと言っても、何処に向かえば良いのか、皆目見当が付かない。 旅支度を済ませたはいいが、さて、どうしようと悩んでいたところへ、 昨夜の声が語りかけてきた。 目を覚ましていたにも拘わらず……だ。 自らの内より発せられる声に導かれるまま、真紅は、とある村へ向かっていた。 この辺りは未だ、去年の大飢饉の無惨な痕を残している。 一見すると穏やかな田園風景だが、空気に、悲嘆や哀愁の情が満ち溢れていた。  「もしかして……この気配は」 朝から歩き詰めだったため、木陰で旅の疲れを癒していた真紅は、 不意に我が身を襲った悪寒に、腕を掻き抱いた。 空を見上げると、俄に暗い雲が広がり始めていた。 ついさっきまで晴れていたのに、この急変は異常すぎる。 胸の奥底から、不安な影が頭を擡げ、沸き上がってきた。 退魔師の能力が、禍々しい気配を感知している。 得体の知れないモノに...
  • ~第三章~
      ~第三章~ 長旅に必要な物を買い揃えた三人は、再び、旅の途に就いていた。 未だ見ぬ同志たちと、鬼祖軍団についての情報を得るために。 けれど、一つ先、二つ先の町で聞き込みをしても、誰一人として真相を知る者は居なかった。 もしかしたら、また夢の中で、あの声が聞こえるのではないか? そして、残りの同志たちに繋がる情報を、教えて貰えるのでは? そんな期待を胸に、真紅は毎晩、眠りに就く。 しかし、神剣を授かった時に聞こえた声が、再び語りかけてくることは無かった。  「ここも、空振りだったわね」  「元から期待なんてしてねぇです。その日その日を生きるので精一杯の町民が、   鬼祖軍団なんて怪しい連中を知ってる訳がねぇですよ」  「道理だね。手の甲の痣にしても、ボクたちみたいに隠していたら、   そもそも人目に付く筈もないし」  「とりあえず、まだ時間は有るです。隣の村まで行ってみるですか...
  • ~第二十章~
        ~第二十章~ ――めぐを助けたい。その想いは、今も変わらない。 これからも、変わることは無い。 けれど、蒼星石を護りたいという気持ちもまた強く、大きく……。 水銀燈は懊悩し、自縄自縛の状態に陥っていた。 片や、本当の姉妹のように付き合ってきた幼馴染み。 片や、御魂によって結び付いた、かけがえのない姉妹。 どちらが大切かなんて、比べようもない。 天涯孤独の水銀燈にとっては、二人とも、命の次に大切な姉妹だった。 今、その二人が、目の前で死闘を繰り広げている。 一人の刀匠が鍛えた、二振りの剣を手に、刃に生命を乗せて鬩ぎ合っている。 それは到底、見るに堪えない光景だった。 止めなければならない。こんな事は、やめさせなければ! 薔薇水晶を振り払おうとして、水銀燈は右肩の激痛に端整な顔を顰め、呻き声を上げた。 悔しくて噛み締めた奥歯が、ギシリ……と軋んだ。  「放してぇっ! 私...
  • ~第十章~
        ~第十章~ めぐが立ち去った事で、睡鳥夢の効果は失われた。 だが、戒めを解かれてホッ……としたのも束の間、一難去って、また一難。 森の中なら、槍や刀を手にした穢れの者どもが、続々と湧き出してきた。 やはり、そう簡単には見逃してもらえないらしい。 状況は、かなり不利だ。 蒼星石の剣が折られ、水銀燈の太刀は森の中に飛ばされてしまった。 仮に得物が手元に有ったとしても、蒼星石は気を失ったままだし、 水銀燈はめぐと斬り合った動揺を引きずっている。 とても、充分な戦力にはなり得なかった。 得物を手にしているのは、真紅と薔薇水晶のみ。 その真紅も、暢気に眠りこけていた。 ジュンが撃たれた時の銃声ですら目を覚まさないとは、どういう神経をしているのか。  「銀ちゃん、下がって。私が前に出る。真紅と蒼ちゃんを……お願い」   「わ、解ったわ。任せたわよ、薔薇しぃ」 薔薇水晶は、腰の両脇に...
  • ~第四十章~
        ~第四十章~ 真紅は水銀燈の亡骸を抱き締め、支えながら、はらはらと涙を零した。 左手の甲が、熱い。それは、彼女の御魂が自分の中に宿った証。 だけど、信じたくない。認めたくない。こんな事が、現実であろう筈がない。 真紅にとって、水銀燈は殺したって死にそうもない不死身の娘であり、 それ故に、最も信頼のおける親友という認識だった。 なのに――彼女は、目を開かない。  「ねえ……起きなさい、水銀燈。悪ふざけは、やめてちょうだい!   お願いだから、何か言ってよ……ねえ、水銀燈っ!」 水銀燈の背中に回した左手が、ぬるりと滑る。 まだ温かい血液が、彼女の背中を濡らしていた。 血塗れとなった水銀燈の背中を、真紅は撫でた。 傷の上だろうが、構わずに掌を這わせる。  (水銀燈は、私をからかう為に、死んだフリをしてるだけよ。   こうしていれば、その内に『痛いでしょぉ!』と、   文句を言っ...
  • ~第二十九章~
        ~第二十九章~ 木々の間から燦々と降り注いでいた陽光が、何の前触れもなく翳った。 あれほど晴れ渡っていた空は、分厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうだ。  「予め、雨具を用意しておいて良かったわね」 雲間に走る稲妻の輝きに、思わず目を奪われながら、真紅が独りごちた。 穢れの者が現れる時、必ずと言っていいほど天候が崩れる。 雨に濡れ、凍えた身体では、満足に戦えない。 それを指摘したのは、当初から行動を共にしてきた翠星石だった。 尤もらしい意見だが、その実、自分の長い髪が雨でビショ濡れになるのが嫌だ! というだけの理由だったことは、誰も気づいていない。 けれど、的を射た意見でもあった。 故に、ただちに数名が近隣の村に赴き、人数分の雨具を調達してきたのである。 しとしと……と、降り出す冷たい雨。 この雨は、穢れの者が自らの薄幸に流す、哀哭の涙か―― はたまた、新たな生贄の到着...
  • ~第八章~
        ~第八章~ 対峙する、二人の乙女。 瞳の色や、目元の泣きぼくろなど、細々とした特徴はある。 だが全体的な雰囲気を見れば、彼女たちこそ真の双子なのではないかと思えるくらいに、 二人は生き写しだった。決定的な差違は、性格くらいのものだろう。 真紅と水銀燈、そして薔薇水晶は、黙って事の成り行きを見守っていた。 ジュンは、自らを縛める巴の腕を掴むと、静かに振り解いた。 そして、厳かに思いの丈を口にする。  「離してくれ、巴。僕は、蒼星石の側に行きたくて、ここまで来たんだ」  「ああ……ジュン――」 その一言で、蒼星石の小さな胸は、言い尽くせないほどの幸せで満たされた。 あらかじめ手紙で知っていたとは言え、ジュンの口から直に聞くと重みが違う。 心の奥底まで、ずしん……とくる、確かな手応え。 自分がジュンを想い続けていたように、彼も想ってくれていた事が嬉しかった。 それこそ、身体が震...
  • ~第七章~
        ~第七章~ 渓流の冷たい水の中を、翠星石は漂っていた。 呼吸が出来なくても苦しくなかったし、もう痛みも感じない。 なんとも安らかな気持ちだった。  (死ぬって、こんなに楽なことだったですね……) 今まで、がむしゃらに生きてきたのが、馬鹿らしく思えた。 こうと解っていたなら、辛い目に遭ったり、苦しい思いをすることもなく、死を選んでいたのに。 蒼星石と、一緒に―― 多分、蒼星石は必死になって引き留めるだろう。 そして、姉の気持ちが揺るがないと確信したとき、笑いながら共に逝ってくれる筈だ。  ――しょうがないな、姉さんは。 最愛の妹の顔を思い浮かべた時、翠星石の胸が、ちくりと痛んだ。 死の間際に、なんて下らない事を考えているのだろう。 蒼星石はジュンと幸せに暮らしていけば良い。そう言ったのは、他ならぬ自分自身ではないか。  (私は、最後まで蒼星石を守り通したです。だから…...
  • ~第九章~
        ~第九章~  「はぁ~。生き返るのだわぁ」 少し熱めの湯に身体を遊ばせながら、真紅は手拭いで、額の汗を拭いた。 打ち身に効くとは聞いていたが、なるほど……癒される。 身体中に滞っていた疲労が、解きほぐされていくのが分かった。 独りだけ―― 貸し切りの温泉。真紅は大胆にも、両腕を背後の岩に乗せてくつろいだ。 思わず、独り言が口を衝いて出る。  「極楽、極楽♪」  「なぁに? 年寄りくさいわねぇ」  「はっ!」 やおら話しかけられて、真紅は小さな悲鳴を上げ、両腕で胸を覆い隠した。 まさか、誰かに聞かれていたとは、思っていなかったのだ。 見れば、惜しげもなく肌を晒した水銀燈が、戸板を開けて入ってきたところだった。  「慌てて隠さなくてもいいじゃなぁい。小さいのは、分かってるんだからぁ」  「余計なお世話なのだわ! 貴女こそ、手拭いで前ぐらい隠しなさい」  「いいじゃないのよ...
  • ~第二章~
        ~第二章~ 戦闘で泥だらけとなってしまった巫女装束を洗濯するため、 真紅と双子の姉妹は、夕闇が差し迫る頃になって最も近くの町に入っていた。 宿の浴場でのこと――  「はぁ~♪ やっと、サッパリできたのだわぁ~」 肌や髪にこびり付いた泥を洗い流して、すっかり上機嫌の真紅は、 鼻歌を唄いながら湯船に身を浸していた。 そこへ、場の空気を読まない闖入者が一人。  「し~んくっ♪」  「うひぇぁ! す、す、翠星石。なな、何の用なの?」  「何って、背中を流してやるです。ついでに髪も洗ってやるですよ」  「け、結構なのだわ。そのくらい、一人で出来るもの」  「そうですか? 遠慮しなくてもいいですのに」 ――してないわよ! そう言いかけて、真紅は口を噤んだ。翠星石とて、好意で言ってくれたのだ。 これから一緒に旅を続けなければならないのに、些末なことで仲違いしたくなかった。  「そ...
  • ~第四章~
        ~第四章~ うらぶれた廃屋の中、真紅は未だ目覚めない隻眼の娘に付き添い、看護を続ける。 発汗量も減り、だいぶ穏やかな寝顔になったものの、意識を戻さないことには予断を許さない。 夜も更けてきて、些か眠い。 真紅は瞼が下がってくる度に、ぱしぱしと頬を叩いて眠気を堪えていた。  「絶対に、死なせる訳にはいかないのだわ。だって、この娘は――」 かけがえのない、同志なのだから。 手当の最中、偶然に触れ合った左手に電流が走った時は、流石に驚いた。 水銀燈だけでなく、【忠】の御魂を持つ五人目の同志にまで巡り会えるとは、 なんという偶然だろうか。 真紅たちは、この娘を休ませるため峠道を下って、件の村へと脚を踏み入れたのだった。 ところが、やっとの思いで辿り着いた村は、既に死に絶えていた。 田畑は雑草に覆われ、最早、その辺の草原と何ら変わらなくなっている。 家屋は倒壊こそしていない...
  • ~第六章~
        ~第六章~ 巴の案内で訪れた湯治場は、とても小さな、隠し湯と呼ぶべきものだった。 ジュンと巴の他に、湯治客は居ない。 見張りを引き受けてくれた巴に感謝しながら、ジュンが鉱泉に身を沈めていると、 岩影から物静かな声が投げかけられた。  「桜田さま。お湯加減は、いかがですか?」  「少し熱めだけど、このくらいが丁度いいかな。それとさ、僕の事はジュンでいいよ」  「でも、お武家様に、そんな無礼は――」  「今の僕は、武士でもなんでもない。明日の糧にも困る、ただの浪人さ」  「あの……じゃあ、ジュン?」  「なんだい、柏葉さん」  「それだったら、わたしの事も、巴……って、呼んで欲しいな」 命の恩人の頼みだ。聞き入れない訳にはいかない。 ジュンは「わかった」と返事をして、今後の事を思案し始めた。 なんと言っても重要な問題は、路銀である。 幾らかの持ち合わせは有れど、実入りが無ければ...
  • ~第五章~
        ~第五章~ かつて激戦の末に陥落した安房津城は、誰にも省みられることなく風雨に曝され、 荒れるに任せていた。門や壁の殆どが崩落し、僅かに残る屋根瓦の間から、 雑草が好き放題に生い茂っている。 焼け跡の残る柱も徐々に傾ぎ始めており、いつ潰れてもおかしくはなかった。 無論、そんな物騒な場所に寝起きする者など居ない。 人が寄りつかないことで、廃墟には一層おどろおどろしい雰囲気が漂いだして、 それが更に、人々の脚を遠のける原因になっていた。 そんな廃墟の中を、滑るが如く移動する影がひとつ。 鬼祖軍団・四天王の一人、笹塚だった。 彼は謁見の間に踏み込むと、ささくれ立った畳の上に、どっかと胡座を掻いて頭を垂れた。  「御前様、おはようございます」  「……笹塚か。このような朝早くから、何用か?」  「ははっ。実は、よい報せを三つばかり、お耳に入れたくて足を運んだ次第で」  「ほぅ。よき...
  • ~第十八章~
        ~第十八章~ 初夏の風に揺れる木立のざわめきに、小鳥の囀りが混ざり合う。 長閑な雰囲気の中で、雛苺は竹箒を手に、境内の掃除をしていた。 この季節は、まだ掃除も楽だ。 秋ともなると落ち葉が酷くて、掃き集める側から、落ち葉が積もる有様だった。 もっとも、焚き火で作る焼き芋は、とても愉しみだったけれど。  「雛苺、ちょっと来なさい」  「うよ? はいなのー、お父さま」 竹箒を放り出すと、雛苺は小首を傾げながら、ペタペタと草履を鳴らして社殿に向かった。 どうしたのだろう? なんとなく、声の質が硬かったけれど……。 怒られるようなコト、したっけ?  「お父さま~、何のご用なのー?」  「おお、来たか。雛苺」 育ての父、結菱一葉は一通の書状を手に、硬い表情をしていた。 そう言えば、ついさっき……お城から早馬が来てたっけ。 雛苺の視線は、書状に釘付けとなった。  「お手紙なのね...
  • ~第十四章~
        ~第十四章~ およそ三日間が材料の加工に費やされ、四日目からが、本当の製造過程だった。 剣の中心である心金、峰の部分に相当する棟金、刃となる硬い刃金。 そして、剣の両面に当たる側金。 今は、棟金・心金・刃金を重ね合わせ『芯金』と呼ばれる合金を鍛えている工程だ。 工房から聞こえる小槌の音を聞きながら、真紅と水銀燈は、敷地の周りを見回っていた。 今のところ、穢れの者の気配は無い。 このまま何事もなく、完成してくれれば良いのだが……と、思わずには居られなかった。  「こうも敵の動きがないと、却って不気味よねぇ」  「嵐の前の静けさ――かしらね」  「まだ気付かれてないって思うのは、楽観すぎるぅ?」  「場を和ますための冗談としては、上出来な方なのだわ」 湯治場の戦いで、笹塚を仕留め損ねたのは痛かった。 悪知恵が働き、姑息な手を平然と使ってくる男だけに、油断がならない。 ひょっ...
  • ~第十三章~
        ~第十三章~ 宿の一室で、蒼星石は今日も、床に臥せている。 湯治場での戦闘を終えて、早二日。 翠星石に続き、ジュンまで失った悲しみで、蒼星石はすっかり鬱ぎ込んでいた。 そんな彼女を引きずるようにして、近くの大きな町に移動してきたのだが、 町中の賑わいも、蒼星石の悲しみを紛らすことは出来なかった。  「蒼星石、入るわよ。食事を持ってきたわ」 部屋の障子がスッ……と開き、膳を持って、真紅が部屋を訪れる。 けれど、蒼星石は半身を起こそうともしない。 ただ、仰向けに寝転がったまま、気のない眼差しで、茫然と天井を眺めているだけだった。  「起きなさい、蒼星石。少しは食べないと、身体に悪いわ」  「……食べたくない」 そう言って、蒼星石は顔を背けてしまう。眼の下には、うっすらと隈が浮かんでいる。 眠れないのは、空腹も影響しているのではないだろうか。 真紅は溜息を吐いて、枕元に膳を置...
  • ~第十六章~
        ~第十六章~ 翌日の朝は、町中が騒然としていた。 昨夜、あれだけ大立ち回りをすれば、住民たちを叩き起こしていたのも当然だろう。 もっとも、誰もが恐怖のあまり家に閉じこもっていたから、真紅たちの姿は見られていない。 六人の娘たちは咎められる事もなく、柴崎老人を埋葬した後、 柴崎家の母屋で暫しの休息を取らせてもらったのである。  「まさか、貴女が【智】の御魂を宿す犬士だったとはね」 翠星石を始め、昨晩の戦闘で負傷した乙女たちの治療をしていた金糸雀に、 真紅は穏やかな眼差しを向けた。 これからの闘いは、より厳しさを増していく。 その時に、腕のいい医者が常に居てくれれば、どれだけ心強いことか。 勿論、金糸雀を頼もしく思っていたのは、真紅だけに留まらない。 他の四人もまた、翠星石の命を救ってくれた名医として、何かと頼りにしていた。 金糸雀の鮮やかな手捌きは、一切の迷いを感じさせない...
  • ~第十九章~
        ~第十九章~ 四方を囲む炎が勢いを増す中、薔薇水晶の小太刀と、のりの短刀が火花を散らす。 矢継ぎ早に繰り出される斬撃を、のりは一振りの短刀だけで易々と捌いていた。 薔薇水晶の剣撃だって、決して軽くはない。 それを片腕だけで受けきるのだから、のりの膂力は常人のそれを遙かに凌駕していた。 ともかく、早くここから脱出しなければ、本当に蒸し焼きになってしまう。 水銀燈は得物の長さを利用して、隣室に続く襖を叩き斬った。 幸いなことに、炎は隣室にまで達していない。  「金糸雀! 翠ちゃん! 真紅を、隣の部屋へ連れていきなさいっ」 みっちゃんの死を聞かされて愕然とする金糸雀を叱責しながら、翠星石が、真紅を抱える。 退避する三人を援護するため、水銀燈は薔薇水晶と共に、のりに斬りかかった。 だが、元より必中は狙っていない。 水銀燈は、切り込んだ勢いのまま、のりの背後に回って神剣を回収した。...
  • ~第十二章~
        ~第十二章~ ぎゃおぅっ! 身の毛もよだつ絶叫が、部屋の空気を震わせる。 氷鹿蹟の角による直撃を受けた猫又は、戸板をブチ破って、外まで飛ばされた。 金糸雀は素早く廃莢して弾を込め、氷鹿蹟と共に猫又を追う。 鉛の弾が通用しなくても、音で威嚇するくらいは出来るだろう。 戸口で、一旦停止。左右、上下の確認をする。 待ち伏せの無いことを確かめ、外に出た時にはもう、猫又の姿は無かった。 周囲に血痕を探したが、それも無い。どうやら、泡を食って逃げたようだ。 斃せるかどうかも判らなかったから、正直、戦わずに済んでホッとしていた。 そうしている内に、丘の上からベジータが血相を変えて走ってきた。  「おい! 何があった!?」  「あら、ベジータ。今は、お勤め中じゃなかったかしら?」  「そうだがよ、いきなり銃声が連発したから、心配になって来てみたのさ」  「ありがとう、ベジータ。でも、平...
  • ~第十七章~
        ~第十七章~ 隣接する狼漸藩との連絡が途絶えて、桜田藩から何度か早馬が送られたらしい。 しかし、誰一人として戻ってこず、急遽、國境に派遣する調査隊を編成中だという。 隊の規模にもよるが、出立は恐らく、夕刻になるだろう。 町中は忽ち、昨夜の喧噪との関連を疑う噂で持ちきりとなった。 往来を行き交う人々の顔には、不安の色が、ありありと浮かんでいる。 明日は我が身と思えば、至極当然の反応と言えよう。 六人の犬士たちは直ちに町に繰り出し、分散して詳細な情報を集めた。 当初は、妙な尾鰭が付いた噂話だけしか聞けなかったものの、時間が経ち、 狼漸藩からの避難民が増えるに連れ、非常に気になる単語が人口に膾炙し始めた。 そして――  「みんな、集まったわね」 日も暮れゆく頃、予め決めておいた集合時間に、六人が顔を揃えた。 誰の表情も、暗い。 柴崎家の居間は、さながら通夜の席みたいに静まり...
  • ~第十五章~
        ~第十五章~ 山道を彷徨い歩くこと半日、漸くにして辿り着いてみれば、真夜中だった。 夜更けの町は、ひっそりと寝静まっている。 そんな中、他人の迷惑を省みない怒声が、閑散とした路地に反響していた。  「まったく……金糸雀なんかを信じた私が、バカだったですぅ」  「そう言わないで欲しいかしら。まさか、崖崩れが起きてたなんて思わなかったから」  「不可抗力なのは、しゃ~ねえです。問題は、その後ですっ!」  「でも、あなただって同意したかしら」 崖崩れで回り道を余儀なくされた二人は、よせばいいのに、山を登って最短距離を行こうとした。 実際、その時は、なんでもない道のりに思えたのだ。 しかし、理論と実践は違う。 散々に山中を歩き回った末に、元の場所に出たときは、徒労感で全身の力が抜けた。 それから暫くの間、取っ組み合いの喧嘩をして更に体力を失い、疲労のため仲直り。 素直に迂回路を通...
  • ~第四十五章~
          ~第四十五章~      「黙れっ! いい気になるなよ、小娘がっ!」 鈴鹿御前の斬撃が、真紅の身体を真っ二つに引き裂こうと迫る。 いくら潜在能力を覚醒させたと言っても、喩えるなら、産まれたばかりの赤ん坊。 今ならば、両断することなど、文字どおり『赤子の手を捻る』ようなものだった。 事実、鈴鹿御前はまだ、自らの勝利を揺るぎないものと信じていた。 ――その時、空を斬って、一陣の黒い旋風が駆け抜けた。 その気配に気づいたものの、鈴鹿御前は反応できなかった。 なぜなら、彼女が反応するより早く、ソレは到達していたのだから。 真紅を両断すべく振り降ろされる筈だった鈴鹿御前の剣は、 しかし、目的を果たすことなく、彼女の手首ごと吹き飛ばされた。 一瞬、何が起きたのか理解できなかった鈴鹿御前も、右手首から迸る漆黒の血と、 二の腕を駆け上がってくる激痛に、獣のような絶叫を上げた。  「あんまり調子...
  • ~第二十四章~
        ~第二十四章~ ――お姉ちゃん、ですって? 水銀燈は眉を顰めて、背後を振り返った。 そこには口元を手で覆って、隻眼を見開いた薔薇水晶の姿。 彼女の唇から言葉は続かず、愕然とした面持ちで、敵将を凝視するのみだった。  「この女……雪華綺晶は、ホントに薔薇しぃの姉さんなのぉ?」  「……うん。多分……そう」  「多分、かぁ。見分けが難しいわねぇ」 顔立ちは、翠星石と蒼星石の双子姉妹に及ばずとも、よく似ている。 しかし、巴と蒼星石の様に、他人の空似と言う可能性も考えられた。  (なにか、身体的な特徴でも残っていたら良かったんだけどぉ) ふと、思いついて、水銀燈は雪華綺晶の左手を取り、手の甲を調べた。 薔薇水晶の姉だからと言って、八犬士の一人だとは限らない。 しかし、同志であるなら、薔薇水晶の姉でなくとも命を助ける理由にはなる。 だが、期待に反して、雪華綺晶の左手に青黒い痣は...
  • ~第二十五章~
        ~第二十五章~ 眼帯を外しさえすれば、全てが判る。 この娘が、幼い頃に生き別れになった姉なのか、どうか。 薔薇水晶は幾度も唾を呑み込みながら、震える指を雪華綺晶の眼帯に伸ばした。 けれど、巧く掴めない。 ここまで来て、何をやっているんだろう。ああ、もどかしい。 つい、乱雑に剥ぎ取ろうとして、思わず雪華綺晶の額を引っ掻いてしまった。 途端、カッ! と、雪華綺晶の左眼が見開かれる。 彼女は鋭い眼差しで、薔薇水晶をジロリと睨みつけた。  「ひゃぁっ!」 あまりの気迫に圧されて、薔薇水晶は尻餅を付いて、後ずさった。 何の騒ぎだという風に、みんなの視線が彼女に注がれる。 そして、彼女の隣で目を覚ましている雪華綺晶を目の当たりにして、全員に戦慄が走った。  「これは、なんの真似ですの? 捕虜にしたつもりなのでしょうか?」 手足を縛られた雪華綺晶は、直立姿勢のまま、 見えない糸に吊...
  • ~第二十七章~
        ~第二十七章~  ――ダメ! 死んじゃダメ! 懸命に呼びかける私の声は、唇から出た途端に掻き消されて、妹には届かない。 お母様が、身を挺して庇ってくれた、私たちの生命。 なのに、こんなところで、微かな命の灯火は消えてしまうの? ううん……そんな事は、させない。絶対に、消させはしない。  ――これからは、薔薇水晶の命を……未来を、あなたが護ってあげて。 今際の時、お母様は私に、そう言い残した。 そう。薔薇水晶を護るのは、私がお母様と交わした、最後の約束。 だから、私は、文字通り決死の覚悟で生き延びようとした。 夜中、畑から農作物を盗んだりもした。 五歳ながら、人殺し紛いの事にまで手を染めて、命を繋いできた。 仕方がないじゃない。生きる為だもの。他に、どんな方法が有ったと言うの? たった五歳と、四歳の子供に、どんな手段が残されていたというの? 薔薇水晶のため……。 ただ、...
  • ~第二十八章~
        ~第二十八章~ 朝餉を終えて、旅支度を調える八犬士と、結菱老人。 けれど、向かう先は違った。 真紅たちは、鈴鹿御前の居城へ。そして、老人は自らの住処へと戻る。 穢れの者どもの本拠地に殴り込むに当たって、自分は足手まといになる。 自分が居ることで、愛娘の雛苺や、その姉妹たちに余計な気苦労をかけてしまう。 彼女たちの不利になる事は、是が非でも避けねばならなかった。  (領主の命を受けて神社を発つ際、儂は、何としても雛苺を護ると誓った) その誓いを果たすのは、今を置いて他にない。 絶対に負けられない戦いに赴く娘たちへの協力を惜しんでは、名が廃る。 今こそ個々の力を最大限に発揮できる環境を、用意してやらねばならないのだ。 荷物を背負い、結菱老人は少しも蹌踉めくことなく立ち上がった。  「では、儂はそろそろ……。真紅どの。雛苺のこと、よろしく頼みますぞ」  「勿論よ。雛苺は、私...
  • ~第二十六章~
        ~第二十六章~  「よりにもよって、なんてモノに寄生されているの、彼女は」 緊張のためか、真紅の口調は硬い。そして、結菱老人も、重々しく唸っている。 この二人、明らかにナニかを知っている様子だった。  「ちょっと、真紅ぅ。アレは、一体なんなのよぉ?」  「ボクも訊きたいな。普通の植物じゃないって事は、一目瞭然だけどさ」 水銀燈と蒼星石に問われて、真紅と結菱は、  「あれは……穢れた土地に自生する植物なのだわ」  「種を飛ばす事はなく、千切れた一部分からでも根付いて、繁殖するのだ」  「しかも、宿主の意識を乗っ取って、新たな繁殖先を探し回るのよ」 かわるがわるに答えた。まるで、独りで全てを語ると呪われる……と、言わんばかりに。 宿り木という常緑小低木は、実際に存在する。 ひとえに生存競争を生き抜く為だが、この花も、その点では目的を同じくしている。 ただ、前者は宿主を生...
  • ~第二十二章~
        ~第二十二章~ どのくらい、蹲って泣き続けていたか判らない。 泣き疲れて、水銀燈は喉の乾きを覚えていた。これでは嗚咽すら掠れて、絞り出せない。  (この近くに、井戸はないのかしら?) そんな考えが胸をよぎった矢先、側で、さくさくと草を踏む音が聞こえた。 小走りな足音。蹲っている姿を目にして、通行人が様子を見に来たのだろう。  「うゅ? お姉ちゃん、どこか痛いの?」 舌足らずではないが、あどけなさの残る口調で話しかけられ、水銀燈は顔を上げた。 腰を屈め、両の膝に手を当てて水銀燈の様子を窺っていたのは、 口振りから想像していたより、ずっと成長した娘だった。 歳は、自分と同じくらい。神職に就いているのか、巫女装束に身を包んでいた。 短く切り揃えた萌葱色の髪の先には、くるくるとクセが付いている。 頭のてっぺんで髪を束ねている桃色の布が、可愛らしかった。 頬を濡らし、目を泣き腫...
  • ~第二十三章~
        ~第二十三章~ 突然の土砂降りに見舞われた五人の犬士たちは、偶然に見つけた古刹に籠もり、 周囲を警戒しつつ、冷たい雨を凌いでいた。 と言っても、実際に哨戒に就いているのは蒼星石と、薔薇水晶の両名のみだ。 のり、めぐの両名と死闘を演じた後、夜を徹して水銀燈の行方を探したものの、 結局、彼女を見つけられなかった。 得物も持たずに、たった独りで失踪してしまった水銀燈の事は気がかりだが、 蠱毒に冒され、昏睡状態となった真紅のことも一刻を争う。 やむを得ず、重い足を引きずりながら村を後にして、やっと此処まで来た途端、 天候の急変に出会したのだ。 山の天気は変わり易いから、単なる自然現象という可能性もある。 だが、彼女たちにとって、天候の急変には別の意味も含まれていた。  ――穢れの者の襲来。 真紅は未だに目を覚まさず、翠星石の傷の状態も、完治と言うには程遠い。 おまけに、金糸雀は...
  • ~第四十四章~
        ~第四十四章~ 私は、みんなを殺してしまった! みんなを救うためだなんて、ただの口実。薄汚い、欺瞞に過ぎない。 本当に望んでいなかったのならば、たとえ、それが彼女たちの意志であり、 嘆願であったとしても、断固として拒絶した筈だ。 そうしなかったのは、私の中に、弱い心があったから―― 現状では鈴鹿御前に叶わないと怯え、 御魂を分けた姉妹たちが惨殺される光景を直視する勇気も持たず、 自らの意思で決断する権利を放棄した結果が、これだ。 私は、自らの内に宿る鬼の声に誑かされて、姉妹たちを殺したのだ。 真紅は、自分が犯した罪の深さに恐慌状態となり、殆どの言葉を失っていた。 思考は最早、停止寸前。 もう一人の自分――鈴鹿御前の言葉を、取捨選択もせずに聞き入れていた。 それは、とても危険で、恐ろしいこと。 尊厳も、理念も、種種諸々の生きる理由すらも他人の言葉に委ねきって、 現実...
  • ~第四十二章~
        ~第四十二章~ 鈴鹿御前は、白皙の裸体を真紅たちに見せ付けながら、石棺の縁を跨いだ。 そして、一歩一歩……彼女たちの方へと歩み寄ってくる。 鈴鹿御前の素足が、びちゃり、びちゃりと血溜まりを踏みしだく音が、 虚ろな空間に、不気味な反響を生み出していた。  「お前たちには、感謝せねばならぬな。めぐや巴を殺してくれたのだから」 圧倒的な威圧感に竦み上がる三人を一瞥して、鈴鹿御前は嘲笑を浴びせた。  「お陰で、わたしの御魂は再び、ひとつに集まることが出来た。   損壊していた肉体も――ほれ、このとおり、完全に蘇生したわ」  「くっ! どういうつもり?! 私に姿を似せるなんて」  「きっと、私たちの戦意喪失を狙いやがったですよ。あざとい奴ですぅ」  「おやおや……お前は忘れてしまったの、房姫?」  「私は、房姫じゃないわ。私の名は、真紅よ!」  「ふん……名前など」 ――どうでも...
  • ~第四十六章~
          ~第四十六章~ 地底に広がる巨大な鍾乳洞を利用した謁見の間に、続々と穢れの者どもが沸き出してくる。 連中にとっては、複雑に入り組む枝道も、勝手を知りつくした我が家の廊下に等しいのだろう。 ありとあらゆる経路を使って、主君を護るべく殺到する様子は正しく、兵隊アリそのものだった。  「よもや、残滓――壊れた玩具の分際で、神魔覚醒まで行うとは思わなかったわ。   腐っても房姫の生まれ変わり、ということか」 鈴鹿御前は翼を閃かせて天井近くまで垂直上昇すると、陸続と押し寄せる兵士たちに 向かって、声を張り上げた。  「聞け! 我が忠実なる下僕たちよ!   我らを殲滅せんとする最大の宿敵は、今、我らが母の胎内にある。   これは、我らの滅びを意味しているのか?   否! 絶体絶命の危機ではない。寧ろ、最高の好機である!   今こそ、我らの前に立ちはだかる愚鈍な者どもを血祭りに上げ、   そ...
  • ~第四十七章~
          ~第四十七章~     真紅の繰り出した突きと、鈴鹿御前の突き出した皇剣『霊蝕』が交差して、 切っ先は互いの身体へと吸い込まれていった。 鈴鹿御前の剣は、法理衣に遮られて、真紅には届かない。 対して、鈴鹿御前には、もう身を護る障壁がなかった。 ――これで終わった。 敵も味方も、誰もが、そう思っていた。 その予測が覆ることなど、有り得ないとすら考えていた。 しかし、その直後、鈴鹿御前は予想もしていなかった行為に出る。 突如として、右手の皇剣『霊蝕』を手放したのだ。 これには、真紅も意表をつかれて絶句した。 すんでの所で身を捩り、神剣を躱した鈴鹿御前は、伸びきった真紅の右腕を掴んで、 しっかりと右脇に挟み込んだ。 法理衣の防御効果で、鈴鹿御前の手や腕から、白煙が立ち上り始める。 だが、真紅の右腕を放したりはしなかった。  「かかったな、真紅っ!」 嬉々として叫び、左手の龍剣『緋后』...
  • ~第四十三章~
        ~第四十三章~ 黒い波動を全身から漲らせる鈴鹿御前に、真紅の足が、無意識の内に下がる。 心の中で、水銀燈の御魂が、彼女の弱気を責め詰っているのが分かる。 だが、水銀燈なりの叱咤激励と承知していても、真紅の心は、いつもの様に奮い立たない。 薔薇水晶の御魂は、厳しい口調の水銀燈を宥めつつ、真紅を粘り強く諭そうとする。 そして、雛苺は、真紅の戦意を鼓舞しようと懸命に声援を送ってくれていた。 だが、誰に何と言われようと、怖れを知ってしまった身体は震えおののき、後ずさる。 どれほど真紅が気勢を上げ、勇気を振り絞ろうとしても、 高めた側から、気力は鈴鹿御前に吸い取られている様な錯覚を感じていた。  「怖れているね、真紅?   お前の心臓が、今にも弾けてしまいそうなほど脈打っているのが分かるわ」 真紅の気後れを見透かして、鈴鹿御前は威圧的に甲冑を鳴らし、近づいてくる。 鈴鹿御前が一歩を...
  • ~序章~
        ~序章~     暗い闇の中で、彼女は目を覚ました。 一体、どれほど眠っていたのか……。 そもそも、此処は、どこなのか……。 起き抜けの呆然とした頭では、思考が纏まらない。     ひどく寒い。 身を起こそうと力を込めると、身体中の関節が軋んで、思わず呻き声が漏れた。      ――わたしの身体は、まだ……壊れたまま。     何気なく呟いた自らの言葉に、彼女の意識が呼び覚まされた。      ――まだ? 壊れたまま? わたしの身体が?     徐々に、思考が覚醒してゆく。 そして、完全に思い出した。     そうだ……わたしは、あやつと戦い、封印されたのだ。 あと少しで、息の根を止めてやる事が出来たのに。 あやつが命を賭して成就させた術によって――わたしは闇に閉じ込められた。     以来、こうして闇の中で眠ることを強要され続けてきた。 瞼を開いても、永続する漆黒。 いつしか眠...
  • ~終章~
        ~終章~     鈴鹿御前を討ち倒し、祓って凱旋した八犬士たちを、万民が諸手を上げて歓待した。 しかも、桜田藩の次期当主を奪還、救出してきたのだから、尚更のこと。 ジュンの父親は無論のこと、家老たちも、犬士たちの功績を認めた。   最早、蒼星石を平民の娘と蔑む者は、ひとりも居ない。 ジュンと彼女は、凱旋から数日の後に祝言を挙げ、死線をかいくぐってきた仲間たちや、 領民すべてに祝福されながら、晴れて夫婦となったのである。 ジュンは心から蒼星石を愛していたし、 蒼星石もまた、この世に彼を繋ぎ止めてくれた巴も含めて、ジュンを愛していた。 二人は寄り添い、城の天守閣から復旧していく街並みを見下ろしていた。 ちょっとだけ貫禄が増したジュンと、男装の麗人から一躍、美しい姫君となった蒼星石。 若い二人の姿を見て、人々の心には、新しい時代の到来を予感するのだった。  「ふふふっ」  「どうし...
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