F4U コルセア

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&font(#6495ED){登録日}:2014/05/04 (日) 17:28:00 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 5 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- F4U コルセアは、アメリカ海軍が運用した艦上戦闘機である。愛称のコルセアは海賊の意。 [[零戦殺し>グラマンF6F ヘルキャット]]や[[見た目のインパクトが凄いアレ>P-38 ライトニング]]に比べると、ミリオタ以外からの知名度は微妙。 ただし、本国・アメリカではその整ったシルエットや息の長い活躍から大人気の機体である。 *性能諸元(F4U-4) 全長:10.30m 全高:4.5m 全幅:12.50m 翼面積:29.17㎡ 自重:4.19t 最大重量:5.63t 最高速度:732km/h(高度8,016m)/746km/h(同6,279m) 巡航速度:595km/h 上昇限度:12,650m 航続距離:1,617km 最大航続距離:2,511km 発動機:プラット&ホイットニー R-2800-18W「ダブルワスプ」 離昇出力2,100hp 固定兵装:12.7mm機銃6門 or 20mm機関砲4門 爆装:最大1.81t or 127mmロケット弾8発 総生産機数:12,571機 *開発経緯 [[フィンの聖戦士>エイノ・イルマリ・ユーティライネン]]の愛機((モンキーモデルのため性能は通常型に劣る))F2A バッファローやF4F ワイルドキャットの後継機としてチャンス・ヴォート社で開発された。 1938年の海軍の要求に対しヴォートは2つの開発プランを提出する。1,200hp級エンジンを搭載するA案と2,000hp級エンジンを搭載するB案で、最終的に後者に対し試作発注がなされた。 当時の単発戦闘機としては怪物級の大出力エンジンをフル活用するべく当時としては最大系のプロペラを据え、それによる主脚の長大化を避けるべく逆ガル翼を採用している。 この逆ガル翼は折りたたみ式になっていて、ただでさえ大型な機体を空母に詰め込む助けになっていたが、同時に主翼強度低下の一因にもなっている。 また、高速ではあったが最適上昇速度に欠け(たったの240kmにも満たなかったといわれている)、低空格闘戦が苦手などの欠点も見られた。 ……艦上戦闘機が低空格闘戦苦手って、スクランブル迎撃に使えんってことになるわけだが、結構致命的じゃないの? *戦歴 **第二次大戦 試作段階で既にMAX650km/hを超える%%陸上機としては%%非常に強力な戦闘機として完成したが、コルセアの辿った道は必ずしも順調ではなかった。 大出力エンジンや防弾設備がもたらした自重、前方視界の悪さ、そしてプロペラブレードのサイズがもたらす着陸時破損の危険性などが重なり、F4Fの後継機の座をF6Fに奪われてしまったからだ。 艦上機としての適性が低いとの評価を下された本機は海兵隊に引き渡され、陸上機として実戦データの収集が行われた。 だが捨てる神あれば拾う神あり、当の海兵隊では大いに歓迎された。当時最強のパワーがもたらす速度と火力は、対帝国軍機に最適だったからだ。 しかし、初陣だったブーゲンビル島攻撃では本機2機を含む10機を叩き落とされ、敵損害わずか1機という大敗北(通称&big(){&bold(){『聖バレンタインデーの虐殺』}})を喫している。 まあ、これは速成搭乗員や本機での飛行経験の低いパイロットによるところが大きかったとも言えるが。 また、他の米軍機に比べ主翼への被弾に弱かったようで、帝国軍のパイロットからも「グラマン鉄工よりは落としやすかったかな?」と言われていた。 そりゃあアレに比べれば大半の戦闘機は落としやすいだろうが…… 速度でF6Fを上回ってもF6Fより脆く、運動性も低い本機は却って撃墜されやすかったと言う、帝国軍パイロットのみならず米海軍・海兵隊からも「日本軍機と空戦するならF6Fの方がいい」なんて話もあったとか。一撃離脱も万能とは言いにくいって話。キルレシオでもF6Fに水を空けられている。 実戦データに基づく改良で1944年夏に艦戦としての空母配備((空母へのカタパルト標準配備が完了したのも大きい))が許可された頃には戦闘爆撃機としての運用が主となっており、爆装しての対地襲撃や特攻機迎撃など常に最前線にあった。 [[ムスタング>ノースアメリカンP-51ムスタング]]同様英国海軍にも供与されており、本機の空母運用はこっちのほうが実は早い。 着艦ギリギリまで左旋回を行うことで視界を確保しながらアプローチし、機体の欠点を運用で補うという海軍最強(元)の名に恥じぬ運用の柔軟さを見せている。 ティルピッツ攻撃などに参加しており、末期には太平洋戦線に進出して帝国軍機と交戦した機体もある。 戦争が末期に進むにつれて、基本性能の差から徐々にヘルキャットを押しのけるようになり、遂には主力艦載機の座を奪い取っている。 元々本命であったため基礎設計の完成度では勝っており、防御力にポテンシャルを割り振り過ぎたヘルキャットよりも運用の幅が広かったからだ。 そこまで頑丈ではないということはその分だけ軽量であり、ヘルキャットで問題となった主脚の破損が本機で発生したとの事例は確認されていない。 **戦後 大戦中こそ一度はヘルキャットに花形の座を奪われたが、上記の通り末期には花形の座をゲット。 更に戦後はジェット戦闘機のニッチを埋める戦闘爆撃機として息長く前線にあった。 ハイパワーで爆装能力が高く、かつレシプロ機の中では高速なコルセアはこの目的にまさに合致した存在であり、ヴォートでの生産も1950年代まで行われている。 朝鮮戦争には海兵隊所属機が参加し、本来カモられるはずのMiG-15の撃墜記録を挙げた。 また同盟国にも広く供与されており、インドシナ紛争での運用も確認されている。 特筆すべきは1969年のサッカー戦争での本機の実働記録、&big(){&bold(){レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦}}を演じたことだ。 7月17日、ホンジュラスとエルサルバドルの国境付近で勃発した2度の空中戦で、ホンジュラス空軍機がエルサルバドルのムスタングと本機2機を撃墜。 パイロットのフェルナンド・ソト・エンリケス大尉は『&BOLD(){最後のコルセア・ライダー}』の称号を得た。彼の愛機は現在テグシガルパの航空博物館に展示されている。 レシプロ戦闘機の終焉が米国機同士の交戦、しかも最後の敗者が『最優秀戦闘機』と称されたP-51というのもなかなか%%皮肉めいた結果%%趣深いものである。 **余談 エンジン換装や夜間戦闘用電子戦ポッドの装備、翼内機銃の換装などで数多くのバリエーションを持つ。 これは機体が元から大型で大出力のエンジンを搭載することを前提に、ペイロードや構造に余裕をもって設計されていたのが理由。 おかげでエンジンもより強力な物に換装しやすく、派生型によっては3000馬力のスーパーエンジンを搭載した事例もあったという。 この点がF6Fより息が長かった要因といっても過言ではない。 またヴォート以外にブリュースターやグッドイヤーでも生産が行われたが、海軍機の命名法則がアレだったため&bold(){各社の製造機で型番が異なるうえにF4Fと紛らわしい}と運用側には不評だったという。 実はコックピットの床に、機体下面と直結した覗き窓が存在する。 恐らく着陸やら爆撃やらする時のタイミング確認用なのだろうが、これはある意味&bold(){分かり易いを通り越したレベルの致命的な弱点}である(豆鉄砲の7.7㎜機銃でも当たれば一撃必殺になる可能性が非常に高い)。 製造段階でその辺は気づかれていたらしく、この覗き窓はかなりの高確率で塗装時に塗り潰されていた模様。 ディティールにこだわるタミヤ製のプラモデルでも&bold(){律儀に再現されていながら、実機同様に塗り潰すよう組み立て説明書で指定されている}。 *創作におけるF4U 第二次大戦機を扱ったウォーシミュレーションやフライトシムには大体参戦していると見ていい。 追記・修正は本機の初期型で空母への離着艦に成功してからお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - よくパンクするんだよねとすぐ左に傾くってのを思い出した &br()あれはアンビリの生まれ変わりの話だったか -- 名無しさん (2014-05-04 19:47:25) - なんかディズニーの飛行機映画に出てなかった?CMで見た気がする -- 名無しさん (2014-05-04 22:26:20) - コルセアのパイロットの実録「海兵隊コルセア空戦記」はぜひオススメ。当時の米軍と日本軍の姿が非常に公平な視点から見られていて、戦後にアメリカと日本が友好国になれたわけもほんのりわかってくる -- 名無しさん (2015-09-17 23:19:01) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2014/05/04 (日) 17:28:00 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 5 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- F4U コルセアは、アメリカ海軍が運用した艦上戦闘機である。愛称のコルセアは海賊の意。 [[零戦殺し>グラマンF6F ヘルキャット]]や[[見た目のインパクトが凄いアレ>P-38 ライトニング]]に比べると、ミリオタ以外からの知名度は微妙。 ただし、本国・アメリカではその整ったシルエットや息の長い活躍から大人気の機体である。 *性能諸元(F4U-4) 全長:10.30m 全高:4.5m 全幅:12.50m 翼面積:29.17㎡ 自重:4.19t 最大重量:5.63t 最高速度:732km/h(高度8,016m)/746km/h(同6,279m) 巡航速度:595km/h 上昇限度:12,650m 航続距離:1,617km 最大航続距離:2,511km 発動機:プラット&ホイットニー R-2800-18W「ダブルワスプ」 離昇出力2,100hp 固定兵装:12.7mm機銃6門 or 20mm機関砲4門 爆装:最大1.81t or 127mmロケット弾8発 総生産機数:12,571機 *開発経緯 [[フィンの聖戦士>エイノ・イルマリ・ユーティライネン]]の愛機((モンキーモデルのため性能は通常型に劣る))F2A バッファローやF4F ワイルドキャットの後継機としてチャンス・ヴォート社で開発された。 1938年の海軍の要求に対しヴォートは2つの開発プランを提出する。1,200hp級エンジンを搭載するA案と2,000hp級エンジンを搭載するB案で、最終的に後者に対し試作発注がなされた。 当時の単発戦闘機としては怪物級の大出力エンジンをフル活用するべく当時としては最大系のプロペラを据え、それによる主脚の長大化を避けるべく逆ガル翼を採用している。 この逆ガル翼は折りたたみ式になっていて、ただでさえ大型な機体を空母に詰め込む助けになっていたが、同時に主翼強度低下の一因にもなっている。 また、高速ではあったが最適上昇速度に欠け(たったの240kmにも満たなかったといわれている)、低空格闘戦が苦手などの欠点も見られた。 ……艦上戦闘機が低空格闘戦苦手って、スクランブル迎撃に使えんってことになるわけだが、結構致命的じゃないの? *戦歴 **第二次大戦 試作段階で既にMAX650km/hを超える%%陸上機としては%%非常に強力な戦闘機として完成したが、コルセアの辿った道は必ずしも順調ではなかった。 大出力エンジンや防弾設備がもたらした自重、前方視界の悪さ、そしてプロペラブレードのサイズがもたらす着陸時破損の危険性などが重なり、F4Fの後継機の座をF6Fに奪われてしまったからだ。 艦上機としての適性が低いとの評価を下された本機は海兵隊に引き渡され、陸上機として実戦データの収集が行われた。 だが捨てる神あれば拾う神あり、当の海兵隊では大いに歓迎された。当時最強のパワーがもたらす速度と火力は、対帝国軍機に最適だったからだ。 しかし、初陣だったブーゲンビル島攻撃では本機2機を含む10機を叩き落とされ、敵損害わずか1機という大敗北(通称&big(){&bold(){『聖バレンタインデーの虐殺』}})を喫している。 まあ、これは速成搭乗員や本機での飛行経験の低いパイロットによるところが大きかったとも言えるが。 また、他の米軍機に比べ主翼への被弾に弱かったようで、帝国軍のパイロットからも「グラマン鉄工よりは落としやすかったかな?」と言われていた。 そりゃあアレに比べれば大半の戦闘機は落としやすいだろうが…… 速度でF6Fを上回ってもF6Fより脆く、運動性も低い本機は却って撃墜されやすかったと言う、帝国軍パイロットのみならず米海軍・海兵隊からも「日本軍機と空戦するならF6Fの方がいい」なんて話もあったとか。一撃離脱も万能とは言いにくいって話。キルレシオでもF6Fに水を空けられている。 実戦データに基づく改良で1944年夏に艦戦としての空母配備((空母へのカタパルト標準配備が完了したのも大きい))が許可された頃には戦闘爆撃機としての運用が主となっており、爆装しての対地襲撃や特攻機迎撃など常に最前線にあった。 [[ムスタング>ノースアメリカンP-51ムスタング]]同様英国海軍にも供与されており、本機の空母運用はこっちのほうが実は早い。 着艦ギリギリまで左旋回を行うことで視界を確保しながらアプローチし、機体の欠点を運用で補うという海軍最強(元)の名に恥じぬ運用の柔軟さを見せている。 ティルピッツ攻撃などに参加しており、末期には太平洋戦線に進出して帝国軍機と交戦した機体もある。 戦争が末期に進むにつれて、基本性能の差から徐々にヘルキャットを押しのけるようになり、遂には主力艦載機の座を奪い取っている。 元々本命であったため基礎設計の完成度では勝っており、防御力にポテンシャルを割り振り過ぎたヘルキャットよりも運用の幅が広かったからだ。 そこまで頑丈ではないということはその分だけ軽量であり、ヘルキャットで問題となった主脚の破損が本機で発生したとの事例は確認されていない。 **戦後 大戦中こそ一度はヘルキャットに花形の座を奪われたが、上記の通り末期には花形の座をゲット。 更に戦後はジェット戦闘機のニッチを埋める戦闘爆撃機として息長く前線にあった。 ハイパワーで爆装能力が高く、かつレシプロ機の中では高速なコルセアはこの目的にまさに合致した存在であり、ヴォートでの生産も1950年代まで行われている。 朝鮮戦争には海兵隊所属機が参加し、本来カモられるはずのMiG-15の撃墜記録を挙げた。 また同盟国にも広く供与されており、インドシナ紛争での運用も確認されている。 特筆すべきは1969年のサッカー戦争での本機の実働記録、&big(){&bold(){レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦}}を演じたことだ。 7月17日、ホンジュラスとエルサルバドルの国境付近で勃発した2度の空中戦で、ホンジュラス空軍機がエルサルバドルのムスタングと本機2機を撃墜。 パイロットのフェルナンド・ソト・エンリケス大尉は『&BOLD(){最後のコルセア・ライダー}』の称号を得た。彼の愛機は現在テグシガルパの航空博物館に展示されている。 レシプロ戦闘機の終焉が米国機同士の交戦、しかも最後の敗者が『最優秀戦闘機』と称されたP-51というのもなかなか%%皮肉めいた結果%%趣深いものである。 **余談 エンジン換装や夜間戦闘用電子戦ポッドの装備、翼内機銃の換装などで数多くのバリエーションを持つ。 これは機体が元から大型で大出力のエンジンを搭載することを前提に、ペイロードや構造に余裕をもって設計されていたのが理由。 おかげでエンジンもより強力な物に換装しやすく、派生型によっては3000馬力のスーパーエンジンを搭載した事例もあったという。 この点がF6Fより息が長かった要因といっても過言ではない。 またヴォート以外にブリュースターやグッドイヤーでも生産が行われたが、海軍機の命名法則がアレだったため&bold(){各社の製造機で型番が異なるうえにF4Fと紛らわしい}と運用側には不評だったという。 実はコックピットの床に、機体下面と直結した覗き窓が存在する。 恐らく着陸やら爆撃やらする時のタイミング確認用なのだろうが、これはある意味&bold(){分かり易いを通り越したレベルの致命的な弱点}である(豆鉄砲の7.7㎜機銃でも当たれば一撃必殺になる可能性が非常に高い)。 製造段階でその辺は気づかれていたらしく、この覗き窓はかなりの高確率で塗装時に塗り潰されていた模様。 ディティールにこだわるタミヤ製のプラモデルでも&bold(){律儀に再現されていながら、実機同様に塗り潰すよう組み立て説明書で指定されている}。 *創作におけるF4U 第二次大戦機を扱ったウォーシミュレーションやフライトシムには大体参戦していると見ていい。 追記・修正は本機の初期型で空母への離着艦に成功してからお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - よくパンクするんだよねとすぐ左に傾くってのを思い出した &br()あれはアンビリの生まれ変わりの話だったか -- 名無しさん (2014-05-04 19:47:25) - なんかディズニーの飛行機映画に出てなかった?CMで見た気がする -- 名無しさん (2014-05-04 22:26:20) - コルセアのパイロットの実録「海兵隊コルセア空戦記」はぜひオススメ。当時の米軍と日本軍の姿が非常に公平な視点から見られていて、戦後にアメリカと日本が友好国になれたわけもほんのりわかってくる -- 名無しさん (2015-09-17 23:19:01) - こいつ艦爆を凌駕するほどの爆弾を搭載できるらしいな… -- 名無しさん (2016-02-25 12:01:12) #comment #areaedit(end) }

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