TAIJI

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&font(#6495ED){登録日}:2011/04/22(金) 19:17:23 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&font(#800080){今更ながら俺は思う}} #center(){&font(#800080){『人は一人では生きていけない』}} 日本のミュージシャン [[千葉県]]市川市出身 1966年7月12日生まれ、血液型はA型 本名は沢田泰司 死没 2011年7月17日(享年45歳) バツイチ。 妹は[[魔法戦隊マジレンジャー]]のEDを唄ったSister MAYO。 主にベーシストとして活動。 所属していたバンドはX(現[[X JAPAN]])、[[LOUDNESS>LOUDNESS(バンド)]]、D.T.R等。   1986年、Xの[[YOSHIKI]]のラブコールにより条件付きでXへ加入。 ベーシスト、アレンジャー、コンポーザーとしてバンドを支えた。 1992年、東京ドーム3DAYS公演で脱退(事実上は解雇)。公式の脱退理由は音楽性・ファッションの不一致だったが、実際は収入格差、YOSHIKIとの対立(ある「約束…LOUDNESSへのセッション参加=X以外の活動参加と推測されている」をTAIJIが破った)が理由とのこと。 同年、LOUDNESSの山下昌良の推薦で自分の憧れのバンドLOUDNESSに加入。 加入時はファンからブーイングの嵐だったが、ベースプレイでファンもTAIJIを認めるようになった。作曲、アレンジはしなかったもののグルーヴ感のある演奏でバンドを支えた。 1993年、事務所とのトラブルにより脱退。 以後、D.T.R、Cloud Nine等で活動。 2010年8月14、15日、日産スタジアムで行われたX JAPANのライブでスペシャルゲストとして約18年ぶりに共演。 しかし、2011年7月、サイパン行きの飛行機内で暴れ、身柄を拘束。 その後自殺を図り意識不明の重体に。 7月17日、死亡が確認された…。R.I.P.   【人物】 バンドではベースがしっかりしていなければ音がバラバラになってしまうという考えを持ち、常日頃練習を欠かさない努力家。 趣味の一つに料理を挙げており、腕前は懐石料理を作れるほどで、音楽をやめて料理人になろうか考えたこともあった。   【ベーシストとして】 使用ベースはキラーのものが多く、とくに愛用しているのは七色に光るフェニックスが特徴のクリミナルというベース。 速弾き、スラップ、ライトハンド、ボスハンドを駆使したテクニカルなプレイをする。 エフェクターはほとんど使用せず、ピッキングの強弱、弦に当てる位置や角度、ピックアップの微調整等でサウンドに変化をつけている。 ドラマーからもベースの腕は折り紙付きで、LOUDNESS在籍時、めったに人をほめないで有名な当時バンドのドラマーだった、故・樋口宗孝は「TAIJIとはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と言った話は有名である。 また、セッションドラマーのそうる透とステージに立った際、「(技術、パフォーマンス、性格全て含めて)TAIJIは僕の探しているドラゴンボールのようなベーシスト」と評した。 そして、演奏中はよく回転する。回るったら回る。 XのSilent JealousyのPVなんかは幾度となく回転するTAIJIが見られる。   【音楽性】 X在籍時はPHANTOM OF GUILT、DESPERATE ANGEL等のハードで泥臭くやたらテクニカルな曲を作る。 また、元々ギタリストだったこともあり、ギター(とくにアコギ)演奏技術も相当高い。 XのTAIJI作曲のアコースティックナンバー「VOICELESS SCREAMING」は、ある雑誌で「日本人版『天国への階段([[LED ZEPPELIN]])』」と評された名曲である。当曲でTAIJIはアコギをプレイするが、それを見た[[HIDE]]は&font(#ff0000){「俺じゃ弾けない」}、[[PATA]]は&font(#ff0000){TAIJIより上手く弾けない}と言ってる。 その際に「フォークソングを聴く事だ」と言ってのけるTAIJIの格好の良さはまさに漢。   【エピソード】 2歳の頃に機械で右手中指の第一関節より上を切断してしまう。 X初期の衣裳は彼が製作していた。色々な店を周り、自分でガラスやビーズをジャケットに付け、メンバーの身体にぴったりと合うように作り上げた。彼の器用さが窺い知れるエピソードである。 一時期、音楽界から姿を消しホームレスのような生活をしていた。この頃は&font(#800080){「自分はいつ死ぬんだろうか」}と精神的にも病んでいて何度も自殺未遂を起こした。 HIDEの告別式に現れた際、かつての面影が全く無く歯の抜けた老人の様な風貌にさすがにいたたまれなくなったYOSHIKIから200万円を差し出され、「これで歯を治療してくれ」と言われた。 2005年にバイク事故で足の腱断裂をし、松葉杖無しでは歩けないほどの大怪我をする。しかし今ではリハビリの甲斐あって杖無しで歩くまで回復した。 当初はかなりショックだったTAIJIだが、&font(#800080){「足がダメでも両手があればギターやベースは弾ける。車椅子に乗りながらでも音楽はやり続ける。」}と音楽への情熱は失ってはいなかった。 彼の死には色々な不審点が浮かび上がっており、現地にいた女性マネージャーの不可解な行為やTAIJIの恋人の指摘等から他殺説が浮上している。 #center(){&font(#800080){『やってやれないことはない。やらずにできるわけない。』}} 追記修正よろしくお願いします。 ---- &link_up(△)&aname(メニュー,option=nolink){メニュー} &link_edit(text=項目変更)&link_copy(text=項目コピー)&link_diff(text=項目変更点)&link_backup()&link_upload(text=アップロードページ) ---- #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600) } #center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)} #comment
&font(#6495ED){登録日}:2011/04/22(金) 19:17:23 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&font(#800080){今更ながら俺は思う}} #center(){&font(#800080){『人は一人では生きていけない』}} 日本のミュージシャン [[千葉県]]市川市出身 1966年7月12日生まれ、血液型はA型 本名は沢田泰司 死没 2011年7月17日(享年45歳) バツイチ。 妹は[[魔法戦隊マジレンジャー]]のEDを唄ったSister MAYO。 主にベーシストとして活動。 所属していたバンドはX(現[[X JAPAN]])、[[LOUDNESS>LOUDNESS(バンド)]]、D.T.R等。   1986年、Xの[[YOSHIKI]]のラブコールにより条件付きでXへ加入。 ベーシスト、アレンジャー、コンポーザーとしてバンドを支えた。 1992年、東京ドーム3DAYS公演で脱退(事実上は解雇)。公式の脱退理由は音楽性・ファッションの不一致だったが、実際は収入格差、YOSHIKIとの対立(ある「約束…LOUDNESSへのセッション参加=X以外の活動参加と推測されている」をTAIJIが破った)が理由とのこと。 同年、LOUDNESSの山下昌良の推薦で自分の憧れのバンドLOUDNESSに加入。 加入時はファンからブーイングの嵐だったが、ベースプレイでファンもTAIJIを認めるようになった。作曲、アレンジはしなかったもののグルーヴ感のある演奏でバンドを支えた。 1993年、事務所とのトラブルにより脱退。 以後、D.T.R、Cloud Nine等で活動。 2010年8月14、15日、日産スタジアムで行われたX JAPANのライブでスペシャルゲストとして約18年ぶりに共演。 しかし、2011年7月、サイパン行きの飛行機内で暴れ、身柄を拘束。 その後自殺を図り意識不明の重体に。 7月17日、死亡が確認された…。R.I.P.   【人物】 バンドではベースがしっかりしていなければ音がバラバラになってしまうという考えを持ち、常日頃練習を欠かさない努力家。 趣味の一つに料理を挙げており、腕前は懐石料理を作れるほどで、音楽をやめて料理人になろうか考えたこともあった。   【ベーシストとして】 使用ベースはキラーのものが多く、とくに愛用しているのは七色に光るフェニックスが特徴のクリミナルというベース。 速弾き、スラップ、ライトハンド、ボスハンドを駆使したテクニカルなプレイをする。 エフェクターはほとんど使用せず、ピッキングの強弱、弦に当てる位置や角度、ピックアップの微調整等でサウンドに変化をつけている。 ドラマーからもベースの腕は折り紙付きで、LOUDNESS在籍時、めったに人をほめないで有名な当時バンドのドラマーだった、故・樋口宗孝は「TAIJIとはフリーでもいいからすぐに音を出したい」と言った話は有名である。 また、セッションドラマーのそうる透とステージに立った際、「(技術、パフォーマンス、性格全て含めて)TAIJIは僕の探しているドラゴンボールのようなベーシスト」と評した。 そして、演奏中はよく回転する。回るったら回る。 XのSilent JealousyのPVなんかは幾度となく回転するTAIJIが見られる。   【音楽性】 X在籍時はPHANTOM OF GUILT、DESPERATE ANGEL等のハードで泥臭くやたらテクニカルな曲を作る。 また、元々ギタリストだったこともあり、ギター(とくにアコギ)演奏技術も相当高い。 XのTAIJI作曲のアコースティックナンバー「VOICELESS SCREAMING」は、ある雑誌で「日本人版『天国への階段([[LED ZEPPELIN]])』」と評された名曲である。当曲でTAIJIはアコギをプレイするが、それを見た[[HIDE]]は&font(#ff0000){「俺じゃ弾けない」}、[[PATA]]は&font(#ff0000){TAIJIより上手く弾けない}と言ってる。 その際に「フォークソングを聴く事だ」と言ってのけるTAIJIの格好の良さはまさに漢。   【エピソード】 2歳の頃に機械で右手中指の第一関節より上を切断してしまう。 X初期の衣裳は彼が製作していた。色々な店を周り、自分でガラスやビーズをジャケットに付け、メンバーの身体にぴったりと合うように作り上げた。彼の器用さが窺い知れるエピソードである。 一時期、音楽界から姿を消しホームレスのような生活をしていた。この頃は&font(#800080){「自分はいつ死ぬんだろうか」}と精神的にも病んでいて何度も自殺未遂を起こした。 HIDEの告別式に現れた際、かつての面影が全く無く歯の抜けた老人の様な風貌にさすがにいたたまれなくなったYOSHIKIから200万円を差し出され、「これで歯を治療してくれ」と言われた。 2005年にバイク事故で足の腱断裂をし、松葉杖無しでは歩けないほどの大怪我をする。しかし今ではリハビリの甲斐あって杖無しで歩くまで回復した。 当初はかなりショックだったTAIJIだが、&font(#800080){「足がダメでも両手があればギターやベースは弾ける。車椅子に乗りながらでも音楽はやり続ける。」}と音楽への情熱は失ってはいなかった。 彼の死には色々な不審点が浮かび上がっており、現地にいた女性マネージャーの不可解な行為やTAIJIの恋人の指摘等から他殺説が浮上している。 #center(){&font(#800080){『やってやれないことはない。やらずにできるわけない。』}} 追記修正よろしくお願いします。 ---- &link_up(△)&aname(メニュー,option=nolink){メニュー} &link_edit(text=項目変更)&link_copy(text=項目コピー)&link_diff(text=項目変更点)&link_backup()&link_upload(text=アップロードページ) ---- #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,1) } #center(){&link_toppage(-アニヲタWiki-)} #comment

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