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&font(#6495ED){所要時間}:約 8 分で読めます
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&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
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&font(#0000ff){&bold(){FC}}&font(#ff0000){&bold(){バルセロナ}}はスペインを代表するフットボールクラブである。
主な獲得タイトル
リーガ・エスパニョーラ 22回
国王杯 25回
チャンピオンズ・リーグ(以下CL) 4回
UEFA カップ 3回
スーペル・コパ 10回
UEFA スーパーカップ 4回
クラブワールドカップ 2回
【スタイル】
美しく勝つという独自のコンセプトで内容を重要視した戦い方(ポゼッション・フットボール)をスタイルとしている。
このスタイルは1980年代後半に監督として帰ってきた&font(#ff7800){&bold(){ヨハン・クライフ}}によって土台が築かれた。
当時、が率いたチームは&font(#ff0000){&bold(){ドリームチーム}}と称され、今のバルセロナの歴史でも語り継がれる偉大なチームとして有名。
ちなみに、この時にチームの中心的ポジション、ピボーテでチームのタクトを振るっていたのが
後にバルセロナに第二のドリームチームを作り上げることになる&bold(){ジョゼップ・グアルディオラ}である。
クライフの練習や発する言葉は斬新で革新的であり、それ故選手と折り合わないことも多々あった。
練習でラグビーボールを使ったり、記者会見で試合の戦術を問われ、&bold(){『バルサがボールを持ち続ける。』}と言ったり。
この記者会見のコメントは当時、記者たちに爆笑されたそうだ。
しかし、その試合でバルサは圧倒的にボールとゲームを支配し見事内容と結果を両立することに成功している。
この頃からバルサのもう一つのコンセプトである育成が重要度を高めてくる。
グアルディオラやアモール、セルジといった下部組織(カンテラ)の選手が若いうちに昇格させられレギュラーに抜擢させられた。
この時代にチームレコードとなるリーガ4連覇と初のCL(当時はカップ)優勝を成し遂げている。
そんなドリームチームも93-94シーズンのCL決勝ミラン戦での大敗をきっかけに衰退し終焉を迎える。
クライフは事実上の解任、進む道(一緒に辞めるか、対立している会長の居るバルサに残るか)を違えたことで
助監督である盟友カルレス・レシャック(遠藤保仁やメッシを発掘した人)とも関係をこじらせ、現在に至る。
詳しくはバルサやクライフ関連の書籍などを参照してほしいが、数あるクライフのエピソードの中でも屈指の後味の悪さかもしれない。
その後新たにクライフと同じオランダ人であるファン・ハールが招聘された。
この時代にリーガの連覇を達成するもののオランダ人を優遇し、
地元のカタルーニャ出身(ドリームチームの心臓だったグアルディオラも控えに回った)の選手を冷遇したため、サポーターの怒りの声が反映されチームを追われる。
ちなみに、このファン・ハール政権下にやって来たオランダ人は本当にギャグの集団である。
個人的に良かったのはコクーぐらい。
彼はもう一度バルサを率いることになるが、不振であっさり解任された。
しかし、後のチームの柱となる[[シャビ>シャビエル・エルナンデス・クレウス]]やプジョルなどを昇格させるなどやることはやっている。
そして、次の黄金期はライカールト時代
かの有名なロナウジーニョがチームの王様だった時代である。
バルサ時代のロナウジーニョはまさしく世界一のプレーを披露。
暗黒時代と呼ばれた不遇の時代に終止符を打った。
チームのスタイルである美しいフットボールをたった一人で体現していた。
この時、チームはリーガ連覇とドリームチーム以来となるCL優勝を果たす。
しかし、このロニー・バルサの時代も長くは続かない。
彼の在籍した5年間のうち後半は最悪であった。
素行の悪さが目立ち、練習も遅刻が増え、チームも[[イニエスタ>アンドレス・イニエスタ]]や[[メッシ>リオネル・メッシ]]といった新しい世代の逸材が頭角を現し、
ロニーはベンチを暖める機会が増え、彼のトレードマークであった笑顔も失われていった。
最後のシーズンにライカールトは監督を辞任
新しい監督を選出する際にフロントはチームの御意見番という立場になったクライフの進言を仰いだ。
既にフロントは監督人事を二人の人間に絞っていた。
一人はカタルーニャ出身でかつてドリームチームの中心選手としてプレーした37歳の新米監督
もう一人はかつてバルセロナで通訳兼アシスタントコーチとして在籍し、
監督になってからはポルトガルの名門ポルトをチャンピオンズ・リーグ優勝に導き、
イングランドのチェルシーを50年振りとなるリーグ優勝に導いたポルトガル出身の名将
結果、クライフの進言によりかつてカタルーニャのアイドルだった新米監督がバルセロナの監督に就任し、
もう一人のポルトガル人の名将はイタリアの名門インテルを率いることになる。
そして、これが長く続いた&font(#ffdc00){黄金期}
新たなドリームチームの始まりである。
グアルディオラは就任会見でこう語る『ロナウジーニョ、エトー、デコこの3人が来シーズンもバルセロナにいるとは思わないで下さい。』
実際にエトー以外の二人はチームを去っている。
チームが元々持っていたコンセプトである、美しいフットボールをグアルディオラは再びバルサにもたらした。
&big(){&bold(){【08-09シーズン】}}
このシーズンは序盤は躓くもののチームは圧倒的な内容と結果でリーガとヨーロッパを席巻
シーズン終盤のクラシコではサンティアゴ・ベルナベウの地で2-6という歴史に残るスコアでマドリーの追い上げを阻み優勝を決めた。
このシーズン、リーガだけで100ゴール以上奪いメッシ、エトー、アンリの3トップは3人だけで72ゴールという驚異的な成績を残している。
ヨーロッパの舞台でもチェルシーとの歴史に残る一戦などを制し、
当時クリスティアーノ・ロナウドやカルロス・テベスを擁したマンチェスターUを内容で圧倒し2-0で完勝
チーム3度目となるビックイヤーを獲得しリーガ、国王杯を含めてスペイン勢初となる3冠を達成している。
&big(){&bold(){【09-10シーズン】}}
エトーをインテルに放出し、そのインテルからイブラヒモビッチとマクスウェルを獲得
チームを更に進化させようと着手する。
期待されたイブラヒモビッチは序盤戦はチームレコードとなる新加入選手の連続得点記録を塗り替え、
クラシコでも途中出場ながら価千金の決勝ゴールを決めるなどメッシと共に新たなチームの柱だった。
しかし、ウインターブレイクが終了しシーズンが再開するとゴールから遠ざかっていく。
シーズン終盤は控えに下ろされ、リーグ優勝のピッチには立ったもののグアルディオラとの確執が噂され、一年目にして移籍の噂が絶えなかった。
そして、皮肉にもCL優勝を目指してインテルを飛び出したものの、そのシーズンにCLを制覇したのはインテルであった。
アイスランドの火山噴火というアクシデントもあり、その辺は不運でもあるのだが…
そんなシーズンでもバルサはリーガのタイトルを死守し、
クラブワールドカップなどの優勝を含めてフットボールクラブ史上初となる年間6冠という歴史的快挙を成し遂げる。
バルサは相思相愛だったスペイン代表FWビジャを獲得
多くのサポーターはメッシ イブラ ビジャの3トップを期待し、フロントもイブラの放出を否定し続けたが
夏の移籍マーケット最終日にイタリアの名門でかつて在籍したインテルの最大のライバルであるミランに移籍した。
&big(){&bold(){【10-11シーズン】}}
このシーズン、ライバルである[[レアル・マドリー>レアル・マドリードCF]]に世界一の名将がやって来た。
&bold(){ジョゼ・モウリーニョ}
前述のバルサで通訳兼アシスタントコーチを務めたポルトガル人指揮官である。
グアルディオラ - モウリーニョ
この戦いは言わずもがなだが世界中で注目されることになる。
内容と結果という両極端のスタイルを信条とする二人が顔合わせたカンプ・ノウでのクラシコは衝撃的な結果を迎えた。
当時の順位はマドリーが勝ち点1バルサを上回り首位の座に座っていた。
それまでの雰囲気から多くのメディアがマドリーの有利性を語っていた試合前
そして、試合結果は
#center(){&font(#ff0000){&big(){&bold(){5-0}}}}
自信に満ちていた白い巨人をカタルーニャの戦士たちは全ての面でマドリーを上回っていた。
試合前の雰囲気と試合内容のギャップに全世界が驚愕した。
モウリーニョでも止められないのかと…
#center(){&bold(){&font(#ff0000){『マニータ』}}}
日本語に訳すと掌という言葉だが、その形通り選手とサポーターは掌を掲げ5ゴールという歴史的大勝を祝った。
試合後、グアルディオラはこう語っている。
#center(){
&bold(){この勝利をレシャックとクライフに捧げたい。彼らが私たちの進むべき道を示してくれたからだ。}
&bold(){この勝利は、チームが15年間かけて成長させたフットボールのスタイルがもたらしたものだ。}
}
そこからバルサは爆竹の15連勝
リーガのタイトルの行方は決まったとまで言われた。
そして、シーズン最後の山場
クアトロ・クラシコ
CLの2試合、国王杯決勝とリーガ
合計4試合が短期の間に連続として行われることとなった。
結果
第32節 1-1
国王杯 0-1
CL 0-2
CL 1-1
リーガのクラシコはお互いのエースがPKを沈めドローに。
国王杯は延長までもつれこんだものの延長後半にロナウドにヘディングを叩き込まれ国王杯優勝を逃す。
CLはお互いの因縁を深める結果となった。
1legにバルセロナのダニエウ・アウベスに対するタックルでペペが一発退場
しかし、このタックルは当たってないというのが大方の見方で、
あれだけ痛がっていたアウベスがピッチに戻ってからも運動量豊富に走り回っていたことから、審判の誤審や懐疑的な目で見られ、
チームの関係を悪化させる出来事となる。
この結果、CL決勝に進んだバルサは2年前と同じマンチェスターUを下し4回目となる優勝を果たした。
&big(){&bold(){【11-12シーズン】}}
このシーズンは念願だったセスク・ファブレガスを獲得し3-4-3移行を目指すなど進化を続けている。
しかし、アシスタントのティト・ビラノバに悪性腫瘍が見つかり離脱、アフェライとビジャもシーズン終盤まで離脱する大怪我を負う。
クラシコでもマドリーとは1勝1敗の互角
バルサはシーズン6冠という新たな記録を目指したが、達成ならず。
そしてこれが、グアルディオラ最後のシーズンとなった。
&big(){&bold(){【12-13シーズン】}}
グアルディオラ退陣後、アシスタントマネージャーだったビラノバが監督に就任。
前半戦は無敗で折り返すものの、12月に大きな悲劇に見舞われる。
#center(){&bold(){ビラノバの耳下腺の悪性腫瘍、再発。}}
そのため、後半戦のほとんどをアシスタントのジョルディ・ロウラが監督代理を務めることになる。
シャビの談によると、ビラノバの離脱により戦術練習が減り、最終的には最大の売りだった&font(#ff0000){プレッシングの練習もなくなった}とのこと。
…これが後にバルサの首を絞めることになるのは言うまでもない。
さらに守護神バルデスが2014年までとなっている契約を延長しないと明言、国王杯、リーグ戦のクラシコで連敗とますます不穏な空気が立ち込め始める。
CLではミラン戦の0-2から4-0という大逆転劇を見せたが、準々決勝パリ・サンジェルマン戦の1legでメッシが負傷。
2legで1点ビハインドのところを途中出場のメッシが救うが、この試合に出たことがメッシの怪我を悪化させる要因になってしまう。
以降彼は細かい怪我を繰り返すようになり、実際にこの後、翌シーズンのスーペルコパのアトレティコ戦までフル出場した試合はない。
そして迎えた準決勝バイエルン戦…
#center(){
&font(#0000ff){&big(){&bold(){1leg 4-0 2leg 0-3}}}}
信じがたいレベルの&bold(){歴史的大敗}。そこにはもう、強かったころのバルサの面影はまるでなかった…
バイエルンは4年前のCLで大勝した相手だっただけに、当時の雪辱を何倍にも返され、
なおかつ当時のバルサを彷彿とさせる圧倒的な強さで三冠を達成されるという皮肉な結末に。
結局リーグ戦はマドリーの自滅もあって獲得できたものの、黄金期の終わりをハッキリと印象付ける結果になった。
&big(){&bold(){【13-14シーズン】}}
黄金時代をもたらしたグアルディオラが因縁のバイエルンへ行き、ブラジルの神童ネイマールがやってきて盛り上がるプレシーズンの最中。
再起を誓っていたビラノバが病気療養のため&bold(){電撃退任}。
あまりにも突然の事態に、「セルタからかつての主将ルイス・エンリケ監督を強奪するのではないか」との噂も流れたが、
ほどなくして元パラグアイ代表監督ヘラルド(タタ)・マルティーノが就任。
ちなみにタタは、メッシの地元ロサリオのクラブニューウェルス・オールドボーイズでは選手としても監督としても伝説の存在である。
追記修正お願いします。
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主な獲得タイトル
リーガ・エスパニョーラ 22回
国王杯 25回
チャンピオンズ・リーグ(以下CL) 4回
UEFA カップ 3回
スーペル・コパ 10回
UEFA スーパーカップ 4回
クラブワールドカップ 2回
【スタイル】
美しく勝つという独自のコンセプトで内容を重要視した戦い方(ポゼッション・フットボール)をスタイルとしている。
このスタイルは1980年代後半に監督として帰ってきた&font(#ff7800){&bold(){ヨハン・クライフ}}によって土台が築かれた。
当時、が率いたチームは&font(#ff0000){&bold(){ドリームチーム}}と称され、今のバルセロナの歴史でも語り継がれる偉大なチームとして有名。
ちなみに、この時にチームの中心的ポジション、ピボーテでチームのタクトを振るっていたのが
後にバルセロナに第二のドリームチームを作り上げることになる&bold(){ジョゼップ・グアルディオラ}である。
クライフの練習や発する言葉は斬新で革新的であり、それ故選手と折り合わないことも多々あった。
練習でラグビーボールを使ったり、記者会見で試合の戦術を問われ、&bold(){『バルサがボールを持ち続ける。』}と言ったり。
この記者会見のコメントは当時、記者たちに爆笑されたそうだ。
しかし、その試合でバルサは圧倒的にボールとゲームを支配し見事内容と結果を両立することに成功している。
この頃からバルサのもう一つのコンセプトである育成が重要度を高めてくる。
グアルディオラやアモール、セルジといった下部組織(カンテラ)の選手が若いうちに昇格させられレギュラーに抜擢させられた。
この時代にチームレコードとなるリーガ4連覇と初のCL(当時はカップ)優勝を成し遂げている。
そんなドリームチームも93-94シーズンのCL決勝ミラン戦での大敗をきっかけに衰退し終焉を迎える。
クライフは事実上の解任、進む道(一緒に辞めるか、対立している会長の居るバルサに残るか)を違えたことで
助監督である盟友カルレス・レシャック(遠藤保仁やメッシを発掘した人)とも関係をこじらせ、現在に至る。
詳しくはバルサやクライフ関連の書籍などを参照してほしいが、数あるクライフのエピソードの中でも屈指の後味の悪さかもしれない。
その後新たにクライフと同じオランダ人であるファン・ハールが招聘された。
この時代にリーガの連覇を達成するもののオランダ人を優遇し、
地元のカタルーニャ出身(ドリームチームの心臓だったグアルディオラも控えに回った)の選手を冷遇したため、サポーターの怒りの声が反映されチームを追われる。
ちなみに、このファン・ハール政権下にやって来たオランダ人は本当にギャグの集団である。
個人的に良かったのはコクーぐらい。
彼はもう一度バルサを率いることになるが、不振であっさり解任された。
しかし、後のチームの柱となる[[シャビ>シャビエル・エルナンデス・クレウス]]やプジョルなどを昇格させるなどやることはやっている。
そして、次の黄金期はライカールト時代
かの有名なロナウジーニョがチームの王様だった時代である。
バルサ時代のロナウジーニョはまさしく世界一のプレーを披露。
暗黒時代と呼ばれた不遇の時代に終止符を打った。
チームのスタイルである美しいフットボールをたった一人で体現していた。
この時、チームはリーガ連覇とドリームチーム以来となるCL優勝を果たす。
しかし、このロニー・バルサの時代も長くは続かない。
彼の在籍した5年間のうち後半は最悪であった。
素行の悪さが目立ち、練習も遅刻が増え、チームも[[イニエスタ>アンドレス・イニエスタ]]や[[メッシ>リオネル・メッシ]]といった新しい世代の逸材が頭角を現し、
ロニーはベンチを暖める機会が増え、彼のトレードマークであった笑顔も失われていった。
最後のシーズンにライカールトは監督を辞任
新しい監督を選出する際にフロントはチームの御意見番という立場になったクライフの進言を仰いだ。
既にフロントは監督人事を二人の人間に絞っていた。
一人はカタルーニャ出身でかつてドリームチームの中心選手としてプレーした37歳の新米監督
もう一人はかつてバルセロナで通訳兼アシスタントコーチとして在籍し、
監督になってからはポルトガルの名門ポルトをチャンピオンズ・リーグ優勝に導き、
イングランドのチェルシーを50年振りとなるリーグ優勝に導いたポルトガル出身の名将
結果、クライフの進言によりかつてカタルーニャのアイドルだった新米監督がバルセロナの監督に就任し、
もう一人のポルトガル人の名将はイタリアの名門インテルを率いることになる。
そして、これが長く続いた&font(#ffdc00){黄金期}
新たなドリームチームの始まりである。
グアルディオラは就任会見でこう語る『ロナウジーニョ、エトー、デコこの3人が来シーズンもバルセロナにいるとは思わないで下さい。』
実際にエトー以外の二人はチームを去っている。
チームが元々持っていたコンセプトである、美しいフットボールをグアルディオラは再びバルサにもたらした。
&big(){&bold(){【08-09シーズン】}}
このシーズンは序盤は躓くもののチームは圧倒的な内容と結果でリーガとヨーロッパを席巻
シーズン終盤のクラシコではサンティアゴ・ベルナベウの地で2-6という歴史に残るスコアでマドリーの追い上げを阻み優勝を決めた。
このシーズン、リーガだけで100ゴール以上奪いメッシ、エトー、アンリの3トップは3人だけで72ゴールという驚異的な成績を残している。
ヨーロッパの舞台でもチェルシーとの歴史に残る一戦などを制し、
当時クリスティアーノ・ロナウドやカルロス・テベスを擁したマンチェスターUを内容で圧倒し2-0で完勝
チーム3度目となるビックイヤーを獲得しリーガ、国王杯を含めてスペイン勢初となる3冠を達成している。
&big(){&bold(){【09-10シーズン】}}
エトーをインテルに放出し、そのインテルからイブラヒモビッチとマクスウェルを獲得
チームを更に進化させようと着手する。
期待されたイブラヒモビッチは序盤戦はチームレコードとなる新加入選手の連続得点記録を塗り替え、
クラシコでも途中出場ながら価千金の決勝ゴールを決めるなどメッシと共に新たなチームの柱だった。
しかし、ウインターブレイクが終了しシーズンが再開するとゴールから遠ざかっていく。
シーズン終盤は控えに下ろされ、リーグ優勝のピッチには立ったもののグアルディオラとの確執が噂され、一年目にして移籍の噂が絶えなかった。
そして、皮肉にもCL優勝を目指してインテルを飛び出したものの、そのシーズンにCLを制覇したのはインテルであった。
アイスランドの火山噴火というアクシデントもあり、その辺は不運でもあるのだが…
そんなシーズンでもバルサはリーガのタイトルを死守し、
クラブワールドカップなどの優勝を含めてフットボールクラブ史上初となる年間6冠という歴史的快挙を成し遂げる。
バルサは相思相愛だったスペイン代表FWビジャを獲得
多くのサポーターはメッシ イブラ ビジャの3トップを期待し、フロントもイブラの放出を否定し続けたが
夏の移籍マーケット最終日にイタリアの名門でかつて在籍したインテルの最大のライバルであるミランに移籍した。
&big(){&bold(){【10-11シーズン】}}
このシーズン、ライバルである[[レアル・マドリー>レアル・マドリードCF]]に世界一の名将がやって来た。
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前述のバルサで通訳兼アシスタントコーチを務めたポルトガル人指揮官である。
グアルディオラ - モウリーニョ
この戦いは言わずもがなだが世界中で注目されることになる。
内容と結果という両極端のスタイルを信条とする二人が顔合わせたカンプ・ノウでのクラシコは衝撃的な結果を迎えた。
当時の順位はマドリーが勝ち点1バルサを上回り首位の座に座っていた。
それまでの雰囲気から多くのメディアがマドリーの有利性を語っていた試合前
そして、試合結果は
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自信に満ちていた白い巨人をカタルーニャの戦士たちは全ての面でマドリーを上回っていた。
試合前の雰囲気と試合内容のギャップに全世界が驚愕した。
モウリーニョでも止められないのかと…
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日本語に訳すと掌という言葉だが、その形通り選手とサポーターは掌を掲げ5ゴールという歴史的大勝を祝った。
試合後、グアルディオラはこう語っている。
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そこからバルサは爆竹の15連勝
リーガのタイトルの行方は決まったとまで言われた。
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クアトロ・クラシコ
CLの2試合、国王杯決勝とリーガ
合計4試合が短期の間に連続として行われることとなった。
結果
第32節 1-1
国王杯 0-1
CL 0-2
CL 1-1
リーガのクラシコはお互いのエースがPKを沈めドローに。
国王杯は延長までもつれこんだものの延長後半にロナウドにヘディングを叩き込まれ国王杯優勝を逃す。
CLはお互いの因縁を深める結果となった。
1legにバルセロナのダニエウ・アウベスに対するタックルでペペが一発退場
しかし、このタックルは当たってないというのが大方の見方で、
あれだけ痛がっていたアウベスがピッチに戻ってからも運動量豊富に走り回っていたことから、審判の誤審や懐疑的な目で見られ、
チームの関係を悪化させる出来事となる。
この結果、CL決勝に進んだバルサは2年前と同じマンチェスターUを下し4回目となる優勝を果たした。
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このシーズンは念願だったセスク・ファブレガスを獲得し3-4-3移行を目指すなど進化を続けている。
しかし、アシスタントのティト・ビラノバに悪性腫瘍が見つかり離脱、アフェライとビジャもシーズン終盤まで離脱する大怪我を負う。
クラシコでもマドリーとは1勝1敗の互角
バルサはシーズン6冠という新たな記録を目指したが、達成ならず。
そしてこれが、グアルディオラ最後のシーズンとなった。
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グアルディオラ退陣後、アシスタントマネージャーだったビラノバが監督に就任。
前半戦は無敗で折り返すものの、12月に大きな悲劇に見舞われる。
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そのため、後半戦のほとんどをアシスタントのジョルディ・ロウラが監督代理を務めることになる。
シャビの談によると、ビラノバの離脱により戦術練習が減り、最終的には最大の売りだった&font(#ff0000){プレッシングの練習もなくなった}とのこと。
…これが後にバルサの首を絞めることになるのは言うまでもない。
さらに守護神バルデスが2014年までとなっている契約を延長しないと明言、国王杯、リーグ戦のクラシコで連敗とますます不穏な空気が立ち込め始める。
CLではミラン戦の0-2から4-0という大逆転劇を見せたが、準々決勝パリ・サンジェルマン戦の1legでメッシが負傷。
2legで1点ビハインドのところを途中出場のメッシが救うが、この試合に出たことがメッシの怪我を悪化させる要因になってしまう。
以降彼は細かい怪我を繰り返すようになり、実際にこの後、翌シーズンのスーペルコパのアトレティコ戦までフル出場した試合はない。
そして迎えた準決勝バイエルン戦…
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信じがたいレベルの&bold(){歴史的大敗}。そこにはもう、強かったころのバルサの面影はまるでなかった…
バイエルンは4年前のCLで大勝した相手だっただけに、当時の雪辱を何倍にも返され、
なおかつ当時のバルサを彷彿とさせる圧倒的な強さで三冠を達成されるという皮肉な結末に。
結局リーグ戦はマドリーの自滅もあって獲得できたものの、黄金期の終わりをハッキリと印象付ける結果になった。
&big(){&bold(){【13-14シーズン】}}
黄金時代をもたらしたグアルディオラが因縁のバイエルンへ行き、ブラジルの神童ネイマールがやってきて盛り上がるプレシーズンの最中。
再起を誓っていたビラノバが病気療養のため&bold(){電撃退任}。
あまりにも突然の事態に、「セルタからかつての主将ルイス・エンリケ監督を強奪するのではないか」との噂も流れたが、
ほどなくして元パラグアイ代表監督ヘラルド(タタ)・マルティーノが就任。
ちなみにタタは、メッシの地元ロサリオのクラブニューウェルス・オールドボーイズでは選手としても監督としても伝説の存在である。
追記修正お願いします。
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