1992年第37回有馬記念

「1992年第37回有馬記念」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

1992年第37回有馬記念 - (2021/08/22 (日) 16:05:59) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

&font(#6495ED){登録日}:2012/07/02 Mon 06:37:53 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&font(#0000ff){メジロパーマー大逃げ!}} #center(){&font(#0000ff){宝塚の再現なるか!}} 1992年12月27日に中山競馬場で行われた第37回有馬記念はメジロパーマーの勝ったレースである。 **【馬柱】 ---- |>|>|>|1992年中山5回8日9R 第37回有馬記念 中山芝右2500m 四歳以上オープン 4歳55kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)|h |枠&br()番|馬&br()番|馬名|騎手|h |CENTER:1|1|ナイスネイチャ|松永昌博| |~|2|ホワイトストーン|柴田政人| |CENTER:BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):2|3|メジロパーマー|山田泰誠| |~|4|レオダーバン|横山典弘| |CENTER:BGCOLOR(#f80000):COLOR(#fff):3|5|[[トウカイテイオー>トウカイテイオー(競走馬)]]|田原成貴| |~|6|レガシーワールド|小谷内秀夫| |CENTER:BGCOLOR(#0000cd):COLOR(#fff):4|7|レッツゴーターキン|大崎昭一| |~|8|ダイタクヘリオス|岸滋彦| |CENTER:BGCOLOR(#ff0):5|9|オースミロッチ|松本達也| |~|10|フジヤマケンザン|小島貞博| |CENTER:BGCOLOR(#008000):COLOR(#fff):6|11|イクノディクタス|村本善之| |~|12|ムービースター|南井克巳| |CENTER:BGCOLOR(#ff9900):7|13|サンエイサンキュー|加藤和宏| |~|14|ヒシマサル|武豊| |CENTER:BGCOLOR(#ff1493):COLOR(#fff):8|15|ヤマニングローバル|河内洋| |~|16|[[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]|的場均|   人気の中心、1番人気はなんと言っても前走ジャパンカップを制したトウカイテイオーだった。 2番人気は前走[[菊花賞>1992年第53回菊花賞]]でミホノブルボンの三冠を阻んだライスシャワー。 3番人気は前走ジャパンカップ5着で武豊鞍上の素質馬ヒシマサル。 4番人気は前走マイルチャンピオンシップ3着のナイスネイチャだった。 好天に恵まれた暮れの中山競馬場に夕闇が迫ってきた頃、ゲートは開いた。   8枠2頭が好スタートを切る中、まずは15番人気のメジロパーマーが先頭に飛び出した。そしてレガシーワールド、ダイタクヘリオスと続く。 人気のトウカイテイオーは後方に待機した。 2番手以降に差をつけようとしたメジロパーマーに対し1周目ホームストレッチでダイタクヘリオスが追いかけていく。 トウカイテイオーが後方にいることで、それをマークするように人気のライスシャワーやヒシマサルも後方に待機していた。 向こう正面に行くと、メジロパーマーとダイタクヘリオスの2頭が競うように後続を引き離していった。 そしてこのときは誰もが両馬とも逃げ潰れるだろうと思っていた。 実際、先の天皇賞・秋ではこの2頭が大逃げをして共倒れ。 さらには大逃げをつついてしまったトウカイテイオーも最終直線でスタミナ切れし、7着に終わる辛酸を舐めていた。 当事者のトウカイテイオーが後方待機していることもあってか、後続馬の騎手たちは先頭2頭の競り合いには付き合わずスローペースを維持していた。 しかし3コーナーを回る頃になると雲行きは怪しくなった。 1ハロン11秒台のタイムを出しながら15馬身以上引き離して逃げるメジロパーマーとダイタクヘリオス。 それに対してトウカイテイオーの手応えは怪しく、ライスシャワーもまだいつになく後方にいたからだ。   中山の短い直線を前にメジロパーマーがダイタクヘリオスを振り切って完全に先頭に立った。 後続の先行集団にいたレガシーワールドがいち早く内をついて懸命に追い上げ、ナイスネイチャとレッツゴーターキンが外から襲いかかる。 ダイタクヘリオスが馬群に沈む中、トウカイテイオーもライスシャワーもヒシマサルも圏外でもがいていた。 そして道中に作った貯金をメジロパーマーが使い切って、レガシーワールドをハナ差凌ぎ切った所がゴールだった。 そして過密スケジュールで出走していたサンエイサンキューは、ゴールすることなく直線半ばでレースを終えたのだった。   1着 メジロパーマー 2着 レガシーワールド 3着 ナイスネイチャ 4着 レッツゴーターキン 5着 オースミロッチ 6着 ムービースター 7着 イクノディクタス 8着 ライスシャワー 9着 ヒシマサル 10着 ホワイトストーン 11着 トウカイテイオー 12着 ダイタクヘリオス 13着 レオダーバン 14着 フジヤマケンザン 15着 ヤマニングローバル 競争中止 サンエイサンキュー 払い戻し 単勝:3番 4940円(15番人気) 複勝:3番 1590円(15番人気) 6番 350円(5番人気) 1番 310円(4番人気) 枠連:2-3 3300円(12番人気)  馬連:3-6 31550円(66番人気) レースは完全に前残りだった。 そしてメジロパーマーは史上5頭目(グレード制導入後に限ればイナリワンに次ぐ2頭目)となる同一年度の宝塚・有馬の両グランプリを制したのだった。 前2走が不甲斐なかったためにメジロパーマーは人気がなかった。とくに前走の天皇賞・秋ではブービーの17着に負けていた。 しかし怪我で戦列を離れていた主戦騎手の山田騎手に戻ったことが功を奏したのか、有馬記念での激走になった。 宝塚記念を制した時も人気薄だったため、史上ただ一頭、G1レースで単勝配当2000円以上の番狂わせ勝ち2回という記録保持者となった。 これはいまだに追い付く馬はいない。 なお、宝塚では馬主も応援に来ていなかったほどであったが、今回はちゃんとメジロ牧場の皆さんに祝ってもらえた。 %%本当は早く帰るつもりだったのか待たせておいたタクシーを返して表彰式に向かったという。%% トウカイテイオーは前走激走した反動か不甲斐なかった。 実は虫下しのための下剤でかなり馬体重を落としており、やつれた状態であったという。 そして体調は戻ることなく長期休養に入り、翌年の感動に繋がっていく。 そのトウカイテイオーをマークしていたライスシャワーやヒシマサルも見せ場はなかった。 ナイスネイチャは有馬記念には相性がよく、前年の有馬記念に続き3着だった。さらに[[翌年の有馬記念>1993年第38回有馬記念]]でも3着に入る。 ダイタクヘリオスはかねての予定通りに年内いっぱいで引退。この有馬を最後にターフを去った。 途中で競走中止したサンエイサンキューはその後予後不良級の骨折と判明したが、繁殖牝馬として生かしたかった馬主の意向で延命治療を施され&bold(){6度の手術の末2年間生き延びるも}、完治する事はなく合併症も患い、1994年に心臓麻痺でこの世を去った。 このレースを当てた方、追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,2) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 午年だ! -- 名無しさん (2014-01-01 00:53:36) - 宝塚勝った馬が有馬でブービー人気は二度とないだろうな… -- 名無しさん (2021-05-22 07:43:27) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2012/07/02 Mon 06:37:53 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&font(#0000ff){さあ、16頭が固まりつつあります!16頭の固まりだ!前二頭が、依然として逃げている!}} #center(){&font(#0000ff){大逃げであります!二頭!メジロパーマー!メジロパーマーとダイタク!}} #center(){&font(#0000ff){さあ、3番手とはまだ15、6馬身ある!さあ、早く追いかけなければいけない!}} #center(){&font(#0000ff){ここは3、4コーナー!後続馬14頭が一気に差を詰めないと、とても前の二頭は捕まりそうもない!}} #center(){&font(#0000ff){メジロパーマー大逃げ!宝塚の再現なるか!?}} 1992年12月27日に中山競馬場で行われた第37回有馬記念はメジロパーマーの勝ったレースである。 **【馬柱】 ---- |>|>|>|1992年中山5回8日9R 第37回有馬記念 中山芝右2500m 四歳以上オープン 4歳55kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)|h |枠&br()番|馬&br()番|馬名|騎手|h |CENTER:1|1|[[ナイスネイチャ>ナイスネイチャ(競走馬)]]|松永昌博| |~|2|ホワイトストーン|柴田政人| |CENTER:BGCOLOR(#000):COLOR(#fff):2|3|[[メジロパーマー>メジロパーマー(競走馬)]]|山田泰誠| |~|4|レオダーバン|横山典弘| |CENTER:BGCOLOR(#f80000):COLOR(#fff):3|5|[[トウカイテイオー>トウカイテイオー(競走馬)]]|田原成貴| |~|6|レガシーワールド|小谷内秀夫| |CENTER:BGCOLOR(#0000cd):COLOR(#fff):4|7|レッツゴーターキン|大崎昭一| |~|8|[[ダイタクヘリオス>ダイタクヘリオス(競走馬)]]|岸滋彦| |CENTER:BGCOLOR(#ff0):5|9|オースミロッチ|松本達也| |~|10|フジヤマケンザン|小島貞博| |CENTER:BGCOLOR(#008000):COLOR(#fff):6|11|イクノディクタス|村本善之| |~|12|ムービースター|南井克巳| |CENTER:BGCOLOR(#ff9900):7|13|サンエイサンキュー|加藤和宏| |~|14|ヒシマサル|武豊| |CENTER:BGCOLOR(#ff1493):COLOR(#fff):8|15|ヤマニングローバル|河内洋| |~|16|[[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]|的場均|   人気の中心、1番人気はなんと言っても前走ジャパンカップを制したトウカイテイオーだった。 2番人気は前走[[菊花賞>1992年第53回菊花賞]]で[[ミホノブルボン>ミホノブルボン(競走馬)]]の三冠を阻んだライスシャワー。 3番人気は前走ジャパンカップ5着で武豊鞍上の素質馬ヒシマサル。 4番人気は前走マイルチャンピオンシップ3着のナイスネイチャだった。 この他にも春夏連戦を重ねた上秋に3年前の[[オグリキャップ>オグリキャップ(競走馬)]]と同じ重賞6連戦ローテを経験したこの年&bold(){16戦目の}「鉄の女」イクノディクタス、 マイルチャンピオンシップ連覇馬にして1週前のスプリンターズステークスからの連闘となったダイタクヘリオス、天皇賞(秋)馬レッツゴーターキン等が参戦していた。 好天に恵まれた暮れの中山競馬場に夕闇が迫ってきた頃、ゲートは開いた。   8枠2頭が好スタートを切る中、まずは15番人気のメジロパーマーが先頭に飛び出した。そしてレガシーワールド、ダイタクヘリオスと続く。 人気のトウカイテイオーは後方に待機した。 2番手以降に差をつけようとしたメジロパーマーに対し1周目ホームストレッチでダイタクヘリオスが追いかけていく。 トウカイテイオーが後方にいることで、それをマークするように人気のライスシャワーやヒシマサルも後方に待機していた。 向こう正面に行くと、メジロパーマーとダイタクヘリオスの2頭による競い合いが本格化。 先頭を行くメジロパーマーに競りかけるダイタクヘリオス。譲らないパーマー、食い下がるヘリオス。 どんどんハイペースになり後続を引き離していった。 そしてこのときは誰もが両馬とも逃げ潰れるだろうと思っていた。 実際、先の天皇賞・秋ではこの2頭が序盤からハイペースで逃げ、競り合いをした末に共倒れ。 さらには大逃げをつついてしまったトウカイテイオーも最終直線でスタミナ切れし、7着に終わる辛酸を舐めていた。 その当事者のトウカイテイオー、いつもなら良スタートを切って先行するはずが今回は後方待機しているのである。 周りからは秋天の二の舞を避けようとしているように見えたことは想像に難くない。 後続馬の騎手たちもこれに倣ったか、先頭2頭の逃げには付き合わずスローペースを維持。 特にライスシャワーの的場騎手はトウカイテイオーを徹底マークしていた。 しかし3コーナーを回る頃になると雲行きは怪しくなった。 1200mの看板以降、1ハロン11秒台のタイムを出しながら15馬身以上引き離して逃げるメジロパーマーとダイタクヘリオス。 それに対してトウカイテイオーの手応えは怪しく、ライスシャワーもまだいつになく後方にいたからだ。   中山の短い直線を前にメジロパーマーがダイタクヘリオスを振り切って完全に先頭に立った。 後続の先行集団にいたレガシーワールドがいち早く内をついて懸命に追い上げ、ナイスネイチャとレッツゴーターキンが外から襲いかかる。 ダイタクヘリオスが馬群に沈む中、トウカイテイオーもライスシャワーもヒシマサルも圏外でもがいていた。 そして道中に作った貯金をメジロパーマーが使い切って、レガシーワールドをハナ差凌ぎ切った所がゴールだった。 一方その後方では、過密スケジュールで出走していたサンエイサンキューがゴールすることなく直線半ばでレースを終えたのだった。   1着 メジロパーマー 2着 レガシーワールド 3着 ナイスネイチャ 4着 レッツゴーターキン 5着 オースミロッチ 6着 ムービースター 7着 イクノディクタス 8着 ライスシャワー 9着 ヒシマサル 10着 ホワイトストーン 11着 トウカイテイオー 12着 ダイタクヘリオス 13着 レオダーバン 14着 フジヤマケンザン 15着 ヤマニングローバル 競争中止 サンエイサンキュー 払い戻し 単勝:3番 4940円(15番人気) 複勝:3番 1590円(15番人気) 6番 350円(5番人気) 1番 310円(4番人気) 枠連:2-3 3300円(12番人気)  馬連:3-6 31550円(66番人気) レースは完全に前残りだった。 そしてメジロパーマーは史上5頭目(グレード制導入後に限れば[[イナリワン>イナリワン(競走馬)]]に次ぐ2頭目)となる同一年度の宝塚・有馬の両グランプリ制覇を成し遂げたのであった。 前2走が不甲斐なかったためにメジロパーマーは人気がなかった。とくに前走の天皇賞・秋ではブービーの17着に負けていた。 しかし怪我で戦列を離れていた主戦騎手の山田騎手に戻ったことが功を奏したのか、有馬記念での激走になった。 宝塚記念を制した時も人気薄だったため、史上ただ一頭、G1レースで単勝配当2000円以上の番狂わせ勝ち2回という記録保持者となった。 これはいまだに追い付く馬はいない。 なお、宝塚では馬主も応援に来ていなかったほどであったが、今回はちゃんとメジロ牧場の皆さんに祝ってもらえた。 %%本当は早く帰るつもりだったのか待たせておいたタクシーを返して表彰式に向かったという。%% トウカイテイオーは前走ジャパンカップを激走した反動か不甲斐なく、生涯最低の11着に終わった。 父[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]はJC・有馬制覇を成し遂げており、トウカイテイオーに寄せられていた期待は大きかった。 だが、馬券師の間で「JCを好走した馬は有馬で勝てない」と語られているジンクスは破れなかった。 実は虫下しのための下剤でかなり馬体重を落としており、やつれた状態であったという。 そして体調は戻ることなく休養に入り、さらに休養中に骨折を起こすなどして復帰には丸一年を要するに至った。 しかし、それはやがて[[翌年の感動>1993年第38回有馬記念]]に繋がっていくことになる。 そのトウカイテイオーをマークしていたライスシャワーやヒシマサルも見せ場はなかった。 特に的場騎手は「ライスシャワーに失礼なレースをしてしまった」と後に述懐している。 ナイスネイチャは有馬記念には相性がよく、前年の有馬記念に続き3着だった。さらに[[翌年の有馬記念>1993年第38回有馬記念]]でも3着に入る。 年内いっぱいをもっての引退を発表してたダイタクヘリオスは、予定通りにこの有馬を最後にターフを去った。 宝塚・秋天・有馬と3回、メジロパーマーと共に大逃げで波乱を巻き起こしたことから、競馬ファンからは2頭揃って「&bold(){バカコンビ}」の愛称で呼ばれるようになった。 競馬史上、ライバルとして語られる馬たちは数多くあれど、コンビとして語られる馬は稀である。 なお秋天と有馬の間にはマイルCSを連覇しており、適正距離のマイル戦線では確かな実力を持った馬であったことは付け加えておく。 途中で競走中止したサンエイサンキューはその後予後不良級の骨折と判明したが、繁殖牝馬として生かしたかった馬主の意向で延命治療を施され&bold(){6度の手術の末2年間生き延びるも}、完治する事はなく、馬体重300kg程度に落ちるほどに痩せ衰え合併症も患い、1994年に心臓麻痺でこの世を去った。 このレースを当てた方、追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,4) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 午年だ! -- 名無しさん (2014-01-01 00:53:36) - 宝塚勝った馬が有馬でブービー人気は二度とないだろうな… -- 名無しさん (2021-05-22 07:43:27) #comment #areaedit(end) }

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: