DEEP PURPLE

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DEEP PURPLE」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2010/09/07(火) 15:34:52
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#center(){&font(#ff0000){今もあの女の声が聞こえてくるんだ・・・}}
#center(){&font(#ff0000){皆燃えてしまえ!!}}


1968年にイギリスからデビューした元祖ハードロック/ヘヴィメタルバンドの1つ。
以下パープル

1967年にキーボードのジョン・ロードとギターのリッチー・ブラックモアの2人で前身となるバンドを結成、
そこにドラムのイアン・ペイスを誘ってDEEP PURPLEを結成。
翌1968年にデビューしたが、当初は今と音楽性が異なり、キーボード主体の“アートロック”と呼ばれるものだった。
当時の邦題も『&font(#800080){紫の世界}』『&font(#800080){ディープ・パープルの華麗なる世界}』『&font(#800080){素晴らしきアート・ロックの世界}』というもの。
しかし、カヴァー曲が1つだけ売れた一発屋扱いだった上に&font(#ff0000){所属レコード会社が倒産}、
業を煮やしたリッチー・ブラックモアが仮主導権を握りボーカルとベースを当事者に知らせずに交代、ハードロック路線へ方向転換、
それが成功した為に以降はハードロックバンドとして活動している。
76年に一度解散、84年に再結成した。
2013年現在リッチーとジョンは脱退したものの活動を続けている。


■黄金期メンバー
初代キーボード:ジョン・ロード
最年長メンバーで初代リーダー。本人曰く「自分はキーボーディストではなくオルガニスト」らしい。
初期のアート・ロック路線を主導したが売れなかったので、リーダーの座をリッチーに渡した。
ハモンド・オルガンでの華麗かつ狂気のキーボードプレイを見せ、バンドサウンドに多大な貢献をするも、高齢を理由に2002年に脱退。
その後はソロ活動に専念したが、2008年のDEEP PURPLEの来日公演にゲストとして登場したりした。
2011年にガンに罹っていることを告白し、闘病を続けてきたが、2012年7月16日に死去した。
合掌。


初代ギター:[[リッチー・ブラックモア]]
黄金期のリーダーにしてギタークラッシャー。
ライブでは必ずギターを破壊し、74年のカリフォルニア公演では&font(#ff0000){ギター3本に加えてTV局所有のアンプを2台とTVカメラ1台を破壊、そしてステージに放火し}、
ライブ直後に隣の州へ逃亡した。
豚貴族に多大な影響を与えたリリカルかつ殺気立ったギタープレイは、元祖ネオクラシカルとされる。
ボーカルのイアン・ギラン(後述)とは犬猿の仲で、不仲が原因で彼が脱退し第2期は崩壊した。
バンド脱退後は&font(#ff0000){R}&font(#ffb74c){A}&font(#ffdc00){I}&font(#b8d200){N}&font(#008cff){B}&font(#0000ff){O}&font(#800080){W}を結成して活動を開始、
84年のパープル再結成時に復帰、再びギランとの不仲になり一度はクビに成功し追い出すも、
後任のジョーがこれっぽちも売れずレコード会社&他の3人の圧力によりギランが復帰し今度はリッチーが脱退した。
その後、BLACKMORE'S NIGHTを結成して中世コスプレ趣味に目覚める。


ドラム:イアン・ペイス
メガネっ子
今では&font(#ff0000){デビュー当時からの唯一の生き残り}だが、リーダーになったことは一度も無い。
ジャズドラムの影響で手数が多いドラミングが特徴。
特にシングルストロークの速さは群を抜いており、「Burn」では顕著。
喩えるなら、LED ZEPPELINのジョン・ボーナムのプレイは重戦車、彼のプレイはマシンガンである。
そんな彼も一時期は腕を落としており、ジョー・リン・ターナー期のDEEP PURPLEでは一部の曲をリズムマシンを使って録音したというほどであったという。


2代目ボーカル:イアン・ギラン
黄金期メンバーで現リーダー、狸親父。
彼の半分は超絶シャウトで出来ていたが、今では見る影も無い。
リッチーとの確執で脱退、GILLANや[[BLACK SABBATH]]で活躍後に84年の再結成で復帰する。
アルバムも2枚出したが、酒と加齢のせいか再結成2枚目の頃にはかつての超絶シャウトは消えていた。
90年にまたも脱退(解雇)されるも、ジョーが売れなかった為に93年に復帰している。
復帰後2度も煮え湯を飲まされたリッチーをついに追い出す事に成功し、バンドのリーダーとなる。


2代目ベース:ロジャー・グローバー
ギランと共に加入した燻し銀。
元々老け顔だったので今でも殆ど変わらない。
ベースよりもプロデューサー(に加えてリッチーとギランの間の緩衝剤として)の才能が高い。
ギラン脱退の巻き添えを食らう形で脱退したが、リッチー率いる[[RAINBOW>RAINBOW(バンド)]]でも活躍、84年の再結成で復帰して現在に至る。
「FIREBALL」のツアー中にイアン・ギランが倒れたため、彼が&bold(){ベースボーカル}として1公演のみボーカルをとったという意外な話がある。
ただ、のちのRAINBOWのモンスターズ・オブ・ロック公演でのコーラスはアレだったので、おそらく彼のボーカル力はそれほど高くないと思われている。


3代目ボーカル:ディヴィッド・カヴァーディル
あの名曲及び名盤『&font(#800080){紫}の&font(#ff0000){炎}』から加入したボーカリスト。
シンガーのルックスにうるさいリッチーに美容整形を強いられ、元々は小太りでニキビ面の垢抜けない大人しい渋い声が特徴の男だった。
パープル解散後は[[WHITESNAKE]]を結成、初期はブルースロック路線で、パープルのメンバーを迎えていた事もあったが、
喉と鼻の手術後にハイトーンがよく抜けるようになり、ヘアメタル路線へと変貌したが、それでまた喉を痛め、今ではかつての美声は見る影もなくなった。
しかし男性的かつエロティックなライブパフォーマンスは健在である。


3代目ベース兼ボーカル:グレン・ヒューズ
カヴァーディルと共に加入したベース兼ボーカル。
何気に全メンバー中、一番歌が上手かったりする。そして今なお昔よりもむしろ高いハイトーン・ボイスを出せる凄い人。
ファンクやソウルといったブラックミュージックに大きな影響を受けており、
パープルでの彼のボーカルのフェイクの入れ方、ベースラインにそれがよく現れている。
ただ、パープルではドラッグ中毒に陥っており、ライブでは度々奇声を上げたりする(例を挙げるなら「Burn」のソロ前のシャウト)。
脱退後はソロ活動や[[ゲイリー・ムーア]]や[[BLACK SABBATH]]、EUROPEのジョン・ノーラムと活動していたが、
特に80年代はオジーにも勝るとも劣らぬドラッグ中毒のせいで、サバスではアルバムのツアーを数公演後に脱退、
ジョン・ノーラムとの活動では麻薬中毒がバレてスウェーデンから国外追放されるなど、本人も「暗黒時代」と評するほどの状態だったという。
90年代にドラッグとアルコールと決別してソロ活動を再開し、
独自のファンク路線のソロと様々なプロジェクトやパープル、サバス系のクラシカル・ロック路線を行き来している。


■過去メンバーや現メンバー
初代ボーカル:ロッド・エヴァンス
最初の3作に参加、ニック・シンパーと共に解雇される。
パープル解散中の1980年にパープルを騙ってライブをしたことにより元メンバー達から訴えられ在籍時の印税取得権を失い、
罰金まで命じられ音楽業界から追放される。
&font(#ff0000){現在消息不明}。
知り合いによるともう音楽の事には関わらないとか。


初代ベース:ニック・シンパー
メンバー交代の際巻き添えを食って解雇され不当な解雇としてパープルを起訴、印税取得権を棄てる代わりに勝訴した。
リッチーにオカルト趣味を吹き込んだのは彼だという。
現在細々とソロ活動中。


2代目ギター:トミー・ボーリン
ビリー・コブハムのアルバムで素晴らしいプレイを披露していたのをメンバーが聴いて加入させた。
リッチーの後任というプレッシャーに押しつぶされそうになってドラッグをやり過ぎて重度のドラッグ中毒になり、
ライブでのプレイも大いに精彩を欠いたものとなる。
来日公演では質の悪いヘロインを注射したため当日に腕が動かなくなり、ほとんどの曲をスライドギターで弾いていため再現しきれず、評判を落としてしまった。
パープル解散後はソロ活動に勤しんだが、1976年12月4日、アメリカのフロリダ州マイアミで[[ジェフ・ベック]]のツアーの前座として参加していた際、
米フロリダ州マイアミのホテルでヘロインの過剰摂取により急死した。満25歳。


4代目ギター:スティーブ・モーズ
2度目の脱退をしたリッチーに代わって加入した現ギタリスト。
再建屋。
見た目と年齢が一致しない。
アーム使いが巧みでパープルの窮地を救った。
最近はギターソロや曲の冒頭で即興のソロを弾く事が多い。
 

2代目キーボード:ドン・エイリー
[[BLACK SABBATH]]や[[RAINBOW>RAINBOW(バンド)]]で活躍、ジョン脱退後にパープルへ加入した。
モーズと違ってソロは基本的にアルバムに忠実。


4代目ボーカル:ジョー・リン・ターナー
例によって[[RAINBOW>RAINBOW(バンド)]]で活躍したボーカリスト。
聖子ちゃんカットとハスキーボイスが特徴。
[[RAINBOW>RAINBOW(バンド)]]脱退後は雇われシンガーとして85年に[[イングヴェイ>イングヴェイ・マルムスティーン(ギタリスト)]]のバンドに加入し、
パワフルかつソウルフルな唯一の相棒(笑)として活躍。
その後、ギラン2度目の脱退後にリッチーの薦めでパープルに加入した。
久々に安定した職に就いたせいか「‘DEEP PURPLEのジョー・リン・ターナー'(と呼ばれる事)こそが僕の夢だったんだ」と大見えを切るも、
そのあまりに尊大な考え方と態度がリッチー以外の他のメンバー([[RAINBOW>RAINBOW(バンド)]]の同期ロジャーや普段は中立的なジョンにまで)に嫌われてしまい、
アルバムの売り上げも芳しくなくアルバム1枚で脱退し、リッチーも後を追った。
現在ソロで活動しているが、「元パープル」の肩書きを最大限活用し、
ソロライブのセットリストにおいて1~6期までのパープルの曲((HushとかDemon's Eye、Stormbringerの様な本人が在籍中に歌った事もなければこれっぽちも関与すらしてない曲が9割を占める))が半分を占めるライブもある。
アンコールの曲がいつも『Highway Star』『Smoke On The Water』『Burn』なのも突っ込んではいけない。
このあまりにパープルの名を汚すような活動にバンド側は怒り心頭なのか、
公式facebookでは元メンバーの中で&font(#ff0000){唯一存在が抹消されている}というTOTOのジャン=ミシェル・バイロン並の扱いを受けている。
バカな子…
 

3代目ギター:ジョー・サトリアーニ
来日公演直前に2度目の脱退をしたリッチーの後任として日本公演から加入。
寡黙でテクニカルなプレイでパープルの窮地を最初に救った人。
その後翌年の欧州公演まで帯同し他のメンバーから正式メンバー入りを打診されたもののソロ活動優先する為にパープル史上初の‘円満的脱退'を果たす。


■その他
日本人好みのバンドとされ、リッチー自身も[[LED ZEPPELIN]]等を上回る日本での人気にはとても驚いたという。

CMで代表曲の『Smoke On The Water』、『Black Night』、『Highway Star』、『紫の炎(Burn)』のパロディを聴いた人は多いハズ。
『Smoke On The Water』のリフは余りにも有名で、エレキギターを手にしたら一度はコピーすると言われている。
今はそうでもないが。

メンバーチェンジが激しく、ギターが3回、キーボードが1回、ベースが2回、ボーカルに至っては5回変わっている。
結成時から変わらないのはドラムのみ。

スタジオ版が劣ってしまう程の凄まじいパフォーマンスである1972年の来日公演を収録した『Live In Japan』は名盤。

王様というミュージシャンによる日本語直訳ソングも、ある意味必聴。






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