PATA

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PATA」を以下のとおり復元します。
&font(#6495ED){登録日}:2011/02/12(土) 01:15:47
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 8 分で読めます

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#center(){&font(#ff7800){野球とビールと石塚智昭♪}}

日本のミュージシャン。
[[千葉県>URL]]千葉市出身。
1965年11月4日生まれ、血液型はB型。49歳。
本名は石塚智昭。

[[X JAPAN]]のギタリストで、またの名を『&font(#994c00){石塚(大)先生}』
大魔神五人組でのステージネームは『ゴンザレス伍長』

レスポールと&font(#ffb74c){ジャビットくん}と&font(#008000){唐草模様の風呂敷}が似合う渋くて可愛いおじさんである。


『PATA』の由来は彼の愛読書である『パタリロ』と言う漫画の主人公の性格が彼自身の性格に似ているからとのこと。
作者とも親交があるとかで原作にもしっかり登場している。


ギタリストとしては、派手で華のあるタイプの[[HIDE]]とは正反対に、堅実でオーソドックスなタイプ。
また、速弾きを得意としており1分間に700~800回アップダウンできると言われている。
1994年に行われたライブ『[[白い夜>http://www.nicovideo.jp/watch/sm866602]]』に代表されるような[[YOSHIKI]]の「走りまくるドラム」にも難なく対応。
そんな先生の本気は「Stab Me In The Back」と言う曲でお楽しみください。

[[HIDE]]曰く、『俺が好き勝手に暴れて「頭のおかしいギタリスト」でい続けれたのは、横でPATAがしっかりギターを弾いていてくれていたおかげ』とのこと。

現在再結成したX JAPANに参加すると同時にソロバンドRa:INを率いて活動中。

そんな石塚先生の代表的な愛用ギターは…

1959年製のギブソン・レスポールスタンダード
かつてはメインとして使っていた彼の相棒。
1991年頃、ロスで200万円(当時のPATAの貯金全部…君稼いだお金一体何に使ってたの?)で購入。
しかし再結成後はまるっきし登場しなくなった。
本人曰く「&font(#ff0000){これ以上ストレスを与えたくない}」との事。
通称「&font(#994c00){1号もしくは本妻}」

&font(#ff0000){現在の市場相場は恐ろしい金額である}。

ギブソン・レスポールスタンダード(2代目)
あるライブで暴れてたYOSHIKIに振り回され、PATAが珍しく泣きながら「800万円もしたんだから辞めろ」と言った時の物。
その後どうなったかは不明。


1954年製のギブソン・レスポールスタンダード(1955年製という説もあり)
サブとして使われている。通称「&font(#994c00){ハゲ}」(理由は昔金色の塗装がしてあったが、現在は禿げかかっている為)

1972年製のギブソン・レスポールカスタム
18歳ぐらいのときからの付き合いで、通称「&font(#994c00){常務}」(理由は、常に勤務しているから)

なんと素晴らしいネーミングセンスでしょう。

その反面、社会常識に関してはかなり疎いらしく今やPATAを代表する名言である
  
#center(){&color(red){「アルマーニ?それってうめェんか…」}}

と世界的知名度を持つファッションブランドであるアルマーニを食べ物か何かと勘違いする辺りからも伺える。
因みに&font(#ff0000){2006年まで都バスの乗り方を知らなかった}と豪語している…

今や代名詞の一つであるパーマの効いた髪型だが、X初期ではなんと&font(#ff0000){紅に染まったモヒカンだった}。

また当時は抜け毛が酷かったらしく、「将来はどんな大人になりたいか」というインタビューに対し、『アデランスのお世話にならない人』と答えている。
現在の毛量を見る限りまだまだ安心できそうだ。

それどころか紅モヒカン卒業後のこの20年近く、まるで容姿が変わっていない。
「元から老けてるだけだろwww」とか痛いところを突いてくる輩は&font(#800080){万死に値する}。
2011年から漸く容姿に変化が表れ、見事に白い顎鬚を蓄えたダンディなおじ様へとイメチェン(?)した。

Xのメンバーは皆、差異こそあれX加入の原因は「YOSHIKIの魅力に惹かれたから」と語っているが、石塚先生だけは本人いわく

「確か正月だったんだよな。久しぶりにYOSHIKIから電話があって、

#center(){&color(red){『レコーディングがあるんだけどギターがいないからやってくんない?』}}

って事だった。
それで、あんまり深く考えずに『い~よ』って返事したんだ。兎に角、俺何でもいいからギターが弾きたかったんだよ。
(中略)その時はレコーディングに参加しただけで、その後、XにはHIDEが入ったんだ。
もう一人早弾きの少年(ISAO)がいたけど、そいつが事故ったとかで、またうちに電話がかかってきた。

#center(){&color(red){『ライブが入ってるから、やってくれない?』}}

って。俺はその時も手伝いのつもりだったんだけど一本目のライブが終わってから


#center(){&color(red){『このまま、いない?』}}


って言われて、&font(#ff0000){ズルズルと居続けて、気付いたらこの有様ですよ(笑)}」と感じでそのまま正式メンバーになった…。

気付いたらXではすみれ組以外では最古参のメンバーになってた‥さすがは先生!
因みにメンバーの中でToshlの事を唯一「&font(#ff0000){出山}」と名字で呼んでいる。
また、彼の一連の洗脳騒動を「こんなお騒がせのデパートみたいなヤツだけど宜しくお願いします」と述べるなどToshlとは違った意味でかなり良い人である。


無類の酒好きで、お酒を飲まずに仕事をしたことがないほど。
もちろん温厚な先生は暴れたりするわけなく、むしろ飲んでは暴れ、騒ぎを起こしまくる他のメンバー(主に[[彼>YOSHIKI]]と[[彼>HIDE]])を尻目に、
石塚先生はこっそり自分のお酒だけを持って避難し、落ち着くと戻ってくるほど。

例によって1994年4月14日(市川哲史の酒飲み日記参照)酔っぱらった[[HIDE]]がライターの市川哲史と20分にも渡る殴り合いの喧嘩を起こした時でも、
電柱の影からそっと2人の乱闘を見守り(笑)2人が仲直りして「飲み直そう」と言った瞬間「遅かったな、待ってたぞ~(微笑)」と言って現れた。
市川氏曰く、「止めろよ、喧嘩を。」とのこと。
市川氏、ごもっともです。

こんなことばかりやってるから知らぬ間に&font(#ff0000){究極の傍観者}とかなんとか言われちゃう石塚先生。
 

石塚先生と言えば滅多に怒らない事で有名な温厚なお方だが、
ロスである夜[[HIDE]]とPATAと[[HEATH]]&スタッフ数名でオークッドに出かけた帰り車で[[HIDE]]が「森に突っ込み、崖を登る危険な運転」をした時は、

#center(){&color(red){「松本(HIDEの本名)、オマエいい加減にしろ!!てめぇ、本当に止まれ(激怒)」}}

と一度だけマジギレして怒鳴り散らし、[[HIDE]]も流石に大人しくなっていたと同じく同乗していたイケメンことHEATHが男前な顔でしみじみと語っている。

そして、石塚大先生を語る上でさらに外せないのが、熱狂的な巨人ファンであるということ。

○石塚先生の巨人にまつわるほのぼのした逸話

・Xの初の東京ドーム公演では、リハーサル時にグラブを持ち込み[[Toshl>TOSHI]]と「このうえない幸福にみちあふれた顔」([[TAIJI]]談)でキャッチボールをする。

・「ここが桑田の座ったとこかなwww」と1塁側ベンチに座りご満悦となる。

・おまけにアンコールでは巨人・篠原のユニフォームを着て登場した…

・1991年にレコーディングの為、アメリカに渡った際も、&font(#ff0000){国際電話で巨人の勝敗を聞いていた。}
因みに負けた日の翌日のレコーディングには来なかったという。先生… 

・今や幻のセガサターンで発売された「VISUAL SHOCK 001」では自分の控室におらず、
[[例によって1塁側ベンチに大量の巨人グッズと共に鎮座していたり>http://www.nicovideo.jp/watch/sm23485231]]、
[[何故かHIDEの控室にひっそりと降臨しており、HIDEがバーボンにブチ切れて大暴れしている際も>http://www.nicovideo.jp/watch/sm10013382]]

&font(#ff0000){「究極の傍観者」の二つ名に相応しく微動だにせずに佇んでいる‥}

が、

一旦巨人が負けると、普段の温厚さもどこへやら、あの暴れん坊揃いのXのメンバーが誰一人として彼に近づかなるほど機嫌が悪くなる。
「巨人が負けたから、今日のPATAはそっとしておこう」([[TAIJI]]談)はもはや暗黙のルールだそうな。

○石塚先生の巨人敗北にまつわるエピソード

・前述の東京ドーム公演では、前々日に巨人の試合が行われており、
巨人が勝利するとファンが盛り上がってドームに残り機材入りが遅くなると懸念されていたが幸か不幸か&font(#ff0000){巨人は敗北}。
無事機材入りとゲネプロが終了しスタッフが思わず「(何事もなく無事に終わって)良かったですね」と口走った所、
PATAは「&font(#ff0000){巨人が負けて何が良かっただ(激怒)}」とものすごい剣幕で当たり散らし、
その日カレーが辛くて帰ったYOSHIKI同様スタッフを恐怖のどん底に陥れた。

・[[hide>HIDE]]のソロツアーに参加した際、TVコーナー(文字通りTVを流すコーナー)で巨人が負けている試合が映った途端、&font(#ff0000){そのまま帰った}。
その後[[hide>HIDE]]の呼びかけやスタッフの説得に応じて(&font(#ffdc00){ビール}を持ちながら)帰ってきたが、
カメラに蹴りを見舞うなど普段の温厚な石塚先生からは想像も出来ない荒れっぷりが[[映像に残っている。>http://www.nicovideo.jp/watch/sm11499313]]

 
・98年にテレビ出演の際に「ジャイアンツファンは保守的で、ロッカーでは無いのでしょうか?」との質問をされ、
『&font(#ffb74c){違います。(即答)ジャイアンツファンこそ真のロッカーだ}』と答えた。

・X JAPANが再結成した際のトークライブにおいて東京ドーム3DAYSの初日がセリーグ開幕戦と重なり、
巨人がBクラスの為、神宮球場で開幕戦を行う一方で本拠地(東京ドーム)でXがLIVE開催するのを&font(#ff0000){真剣且つ深刻に}嘆いていた。

YOSHIKI「誰だよ、PATAに巨人の話振ったやつ(怒)」

因みにドーム3Daysが終った後にちゃんと巨人戦を見に行ったという。
本人曰く「&font(#ff0000){ドームは演奏する所ではなく見に来る所}」らしい。

先生…
もはや石塚先生の三大欲求は酒、巨人、ギターで埋め尽くされているのではないだろうか?
本人も『本業は巨人ファンと酔っぱらい』とか言う始末。


この項目内で何度も[[HIDE]]の名前が挙がっていることから分かるように、[[HIDE]]とはかなり仲が良く、[[hide>HIDE]]のソロにもよくゲストとして関わっていた。
X JAPANとしての活動よりhideのソロの方が妙にノリノリで楽しそうです。
その証拠にXでは滅多にやらないコーラス(や巨人が優勝するとダンス(!)やMC)までやっちゃいます。
[[HIDE]]が亡くなった後のインタビューでも「あいつ([[hide>HIDE]])の曲で弾けない曲ないっすよ」
「([[hide>HIDE]]の未発表音源に参加してる理由は)あいつの曲を誰かに弾かれるのは癪に障る」「俺のギターの相方は[[HIDE]]だけ」と明言してる。
先生…
その他にはお笑い芸人、ライセンスの井本と妙に仲が良く、二人で食事や飲みに行くだけでなく、お祭りに行ったりまでする仲。
 



追記、修正? それってうめェんか…?

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- 横文字が苦手な俺は一瞬ペーターと  -- 名無しさん  (2015-02-25 19:33:44)
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