YES(バンド)

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&font(#6495ED){登録日}:2013/2/20(水) 18:35:00
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YESは1970年代から現在まで活動を続けるプログレッシヴ・ロックバンドの代表的存在のバンドである。
主な代表作は「こわれもの(1971年)」「危機 (1972年)」「ロンリー・ハート (1983年)」

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*&size(19){●概要}
バンドのメンバーが入れ替わる事に音楽性も変化するバンドで、
初期のサイケデリックから中期のプログレ、後期のポップ路線まで同一バンドとは思えない音楽性の幅がある。


*&size(19){●メンバーについて}
とにかくメンバーチェンジが頻繁に起こるバンドで正式メンバーだけで18人を数える大所帯であり、
よく同年代の[[DEEP PURPLE>http://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7148.html]]と比較されるがパープル(14人)よりも多く、
パープルと違って厳密な「再結成」をしたことはない。(一度だけ「こわれもの」「危機」時代のメンバーが揃ったことがあるが)
技術、才能があってもその時の方向性に合わなければ脱退する場合が多く、リック・ウェイクマンに至っては5回も脱退してる。
というか事実上バンドが2つに分裂していた時期もある。
2017年には「分家YES」と言える「ARW」(後述)も誕生し、余計ややこしい事になった。

*&size(19){●本家YES}

**&size(19){◆ベース}




・クリス・スクワイア
YES結成時のメンバー。メンバーチェンジの多いYESにおいて唯一結成時から在籍しているメンバー。
他の黄金期メンバーがソロ活動も活発な中、彼は1枚しかソロを出さずYESに人生を捧げてる様な人である。
亡くなるまで「YES」の名前の権利を持っており、後述するAWBHの時も名前を巡って裁判を起こしている。
2015年5月、ツアー日程発表の際、白血病に罹患していること、その為、ツアーに参加しない事を表明。
しかし、直後の同年6月27日、白血病により67歳で亡くなってしまった。

・ビリー・シャーウッド
ボーカルだったりギターだったりベースだったり忙しい人。地味で印象は薄い。
2015年、白血病の治療の為、ツアー不参加を表明したクリスの代役ベーシストとして抜擢された。
が、クリスが同年6月27日に亡くなってしまった為、現在ベーシストとして正式に復帰した。

**&size(19){◆ボーカル}

・ジョン・アンダーソン
YES結成時のメンバーにして中心人物。彼の考え方や音楽性によって長年YESに影響していた。
彼のボーカルは何かと自己主張が強い楽器陣に決して引けを取らない素晴らしい声である。
けど、そんな彼も3回脱退しており、1度目は1979年でリックと仲良く脱退しており、
これにより人気者で音楽性の中心だったボーカルとキーボードを失ったYESは前代未聞の&font(#ff0000){他バンドを吸収合併する}という奇策により危機を乗り越えてる。
2度目は1988年でトレヴァー・ラビンと衝突し脱退してAWBH結成に走る。
3度目は2008年、急性呼吸不全を患い、当時のツアーを欠席した。
その後症状は回復したのにも関わらず、そっくりに歌える新人さんが見つかった為事実上の解雇宣告を受けてしまい、
そのまま復帰する事無くソロ活動を続けていた。
しかし、クリスの死後の2016年、リック・ウェイクマン、トレヴァー・ラビンと共に「ARW」(後述)を結成しYESとしての活動を再開する。
2017年のロックの殿堂では9年振りに本家YESと共演した。

・トレヴァー・ホーン
「ラジオ・スターの悲劇」のヒットで知られるバグルスのボーカル。前述のバンド吸収合併によりYESのボーカルになる。
しかし、アンダーソンではない事に対する観客の冷たい反応に失望して脱退→プロデューサーに転向する。
むしろ、彼のYESにおける最大の役割はプロデューサーとしての方が大きく、大ヒット作「ロンリー・ハート」をプロデュースしたのは彼である。


・ベノワ・ディヴィッド
2008年のツアーでジョンが病欠した為代わりに参加したシンガー。
かつてYESのトリビュートバンドで活動していてその時のライブを何とYouTubeで発見して後任に選ばれる。世の中便利になったもんだー
その後正式加入しアルバムを制作するもかねてから患っていた呼吸不全の療養の為脱退。

・ジョン・デイヴィソン
今のボーカル。この人もYESのトリビュートバンドで活動していた人。


**&size(19){◆ギター}

・ピーター・バンクス
YES結成時のメンバー。「いたっけ?」という言葉は禁句。
他の結成時メンバーは脱退後1度はYESに復帰しているが彼だけは1度も復帰したことはない。けどスティーヴ・ハウの印象が強すぎて目立たない。
ギター・サウンドはロック寄り。
2011年3月7日、ロンドンの自宅で心疾患で亡くなっているのを発見された。

・スティーヴ・ハウ
黄金期メンバー。色んな音楽が弾ける人。バンド活動停止中に同じメンバーのダウンズと共に「ASIA」を結成し、大ブレイクさせてる。
意外と2回しか脱退しておらず(その内1回は上記のAISA活動中にYESが活動再開していつの間にか脱退してた為自分の意思で辞めたのは1回)、
現在もYESで活動中。

・トレヴァー・ラビン
キーボードも担当する南アフリカ出身。
元々はクリス・スクワイアの「Cinema」を結成する為に参加していたが、それがそのままYESになり自然加入。
大ヒット作「ロンリー・ハート」を書いたのはこの人。
だがこのポップ風な作風故に彼とアンダーソンが揉めて脱退→AWBH結成→統一というややこしい事態が起きた。「トーク」制作後脱退する。
2004年に行われたトレヴァー・ホーンの活動25周年記念コンサートで一夜限りながらも復帰したり、2017年のロックの殿堂では13年振りに本家YESと共演した。
クリスの死後の2016年、ジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマンと共に「ARW」(後述)を結成しYESとしての活動を再開する。

・ビリー・シャーウッド
上記参照。


**&size(19){◆キーボード}

・トニー・ケイ
YES結成時のメンバー。後任のリック・ウェイクマンと比較するととにかく&font(#994c00){地味}。
プレイもオルガン一筋で新しい技術も導入しないので1度目の脱退は&font(#ff0000){実は解雇されちゃった}‥。
クリス・スクワイアの新しいバンド「シネマ」に参加するつもりがそのままYESになりなし崩し的に復帰する。
けどやっぱり新しい技術に興味がなく実は途中で一度脱退→復帰している為、アルバムでは&font(#ff0000){殆どサポートミュージシャンがキーボードを弾いたりしてる}。
統一した後ツアーで一緒にステージにいるウェイクマンとケイでは断然ウェイクマンの方が目立ってた。「トーク」制作後脱退する。
現在では一線を退き活動は殆どしていない。
2017年のロックの殿堂入りの際にも式典には参加しなかった。

・リック・ウェイクマン
「マルチ・キーボード」という概念を生み出し、DEEP PURPLEのジョン・ロードと共にキーボードという物の概念を覆した人。
カレーを食べたり、ビールを飲みながら演奏も出来ちゃうぞ!
ジョン・アンダーソンと共にYESを代表する人物であり、彼のキーボードプレイはニコニコ動画では「&font(#008cff){インテルめり込んでる}」と最大級の賛辞が送られている。
その一方でこの人のもう一つの有名なのは&font(#ff0000){脱退}。何と5回も脱退しておりメンバーの中で最多である。何でそんなに脱退するの?
ソロ活動ではソロアルバムを&font(#ff0000){88枚}も出してるだけでなく、
セッション活動も盛んで73年に[[BLACK SABBATH]]、95年にはオジー・オズボーンのアルバムに参加するなどHR/HM界とも縁が深い。
クリスの死後の2016年、ジョン・アンダーソン、トレヴァー・ラビンと共に「ARW」(後述)を結成しYESとしての活動を再開する。
2017年のロックの殿堂では13年振りに本家YESと共演した。
子供達6人はみなキーボード奏者になり、長男のオリヴァー・ウェイクマンはYESで、
次男のアダム・ウェイクマンは[[BLACK SABBATH]]・オジー・オズボーンでそれぞれ父の後を継ぎ正式メンバーとなっている。

・パトリック・モラーツ
ウェイクマンが最初に脱退した時に加入。ウェイクマンとはまた違った演奏を見せたがアルバム1枚で解雇された。

・ジェフリー・ダウンズ
ボーカルも担当。バグルスの片割れでバンド吸収合併されてYESに加入。YESが活動停止中にスティーヴ・ハウと共に「ASIA」を結成して大ブレイク。
その後「ASIA」の活動に専念していたが2004年にまさかの復帰を果たす。現在もYESで活動中。

・オリヴァー・ウェイクマン
リックの長男。ドクター・ストップがかかった父の代わりにYESに参加した。


**&size(19){◆ドラムス}

・ビル・ブラッフォード
YES結成時のメンバー。と言われているが実は2代目ではないかという指摘がなされており現在は2代目説が有力。この話の詳細は頭の固い辞典を参照してください。
僅か3年しか在籍しなかったものの、丁度YES黄金期に在籍していた為短い在籍年数にも関わらず不動の人気を誇る。
脱退後同じプログレ四天王に数えられる[[キング・クリムゾン]]に移籍してそちらでも有名になる。
AWBHに参加した為そのままなし崩し的にYESにも復帰したが、すぐに脱退している。現在は音楽業界を引退済み。
2017年のロックの殿堂には演奏には参加しなかったものの式典には参加した。

・アラン・ホワイト
YES加入前にはジョン・レノンの「イマジン」でドラムを叩いてた何気に凄い人。
加入後一度も脱退する事なく今日までYESで活動している。
2016年には腰を痛めた為、YESを一時的に離脱したが一部の曲ながらも同年に復帰し2017年にはフル復帰を果たしている。

*&size(19){●分家YES}

**&size(19){◆YES featuring Anderson, Rabin, Wakeman(ARW)}
ジョン・アンダーソン、リック・ウェイクマン、トレヴァー・ラビンによって2016年に結成された「分家YES」。
元々は2011年頃から活動をする予定だったそうだが、&font(l){クリスが存命だった為}各人の予定が合わなかった為、5年くらいかかったとか…
当初のバンド名が「ARW(アンダーソン(A)、トレヴァー・ラビン(R)、リック・ウェイクマン(W))」だったり、
ツアー名を「イエス・ミュージックの夜+α」だったりと完全に「AWBHのセルフパロディ―」と化していた。
(そもそもバンドの主導権を巡りケンカしてAWBH誕生の発端となったアンダーソンとラビンが今度は組んでいるなどツッコミどころも満載だったりする)
2017年のロックの殿堂入りの際にはメンバー3人が殿堂入りした事もあり、本家YESとまさかの共演も果たす。
その直後に現在のバンド名に改名しAWBHの時にはついぞ果たせなかった念願の「YES」を名乗る事が出来た。

*&size(19){●その他関連するバンド}

**&size(19){◆AWBH}
トレヴァー・ラビンと喧嘩してYESを脱退したアンダーソンが「黄金期のYESの栄光を再び!」を目指して、
アンダーソン(A)、リック・ウェイクマン(W)、ビル・ブラッフォード(B)、スティーブ・ハウ(H)、
の「危機」「こわれもの」時代のメンバー4人で結成したバンド。
実質YESだが、クリス・スクワイアを誘ったが断られ「YES」の名前が使えず参加メンバーの頭文字を取ってこうなった。
ベースはキング・クリムゾンのトニー・レヴィンで「キング・クリムゾンのリズム隊のYES」というプログレファン垂涎のバンドだった。
だがライヴアルバムで「イエス・ミュージックの夜」なんて出したもんだからクリス・スクワイアに訴えられた事もあった。
しかし2ndアルバムを作る際に楽曲が不足し、トレヴァー・ラビンに曲を提供を依頼→
スクワイアがコーラスに参加→結局スクワイア側のYESが4曲提供し合流してイエスは再統一され自然消滅し、
ギター2人、ドラム2人、キーボード2人という前代未聞の8人YESが誕生した。 
どうしてこうなった…

**&size(19){◆Circa (YOSO)}
2006年に現ドラムのアランホワイトと元メンバーのビリー・シャーウッド、トニー・ケイ、「結晶」に参加した事のあるジミー・ホーンで結成。
が、すぐに崩壊しアランが脱退。
そしてそのまま現在再結成してるにも拘らず何故か参加してない元[[TOTO]]のボビー・キンボールを加えてYOSOを結成。(バンド名は Yes + TOTO の捩り)
ちょろっとトレヴァー・ラビンが参加してたりする。
現在は活動停止中。

追記・修正宜しくお願いします。

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- 「才能が枯れても自己顕示欲だけは変わらず旺盛なジジイが集まって過去の栄光にすがってメシ食ってる」終わってる数々のロック・レジェンドの中でもずば抜けて見苦しいバンド。  -- 名無しさん  (2014-06-11 00:08:38)
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