NINTENDO64

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NINTENDO64 - (2019/06/21 (金) 01:53:12) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2010/05/24(月) 23:27:14
更新日:2024/01/28 Sun 11:29:46
所要時間:約 6 分で読めます




任天堂が1996年に発売した三代目のTVゲーム機で第5世代。前機はスーパーファミコン
名称の由来はそのまんま、内部で採用されている64bitCPUに由来。子供には分からないよね。
後のニンテンドーDSなどとは違い、カタカナ表記ではニンテンド64。
通称「ロクヨン」。ただし公式での読み方は「ロクジュウヨン」。実際はロクヨンとも読まれてたけど
開発コードネームは「ウルトラファミコン」。

任天堂が初めて本格的に3Dポリゴンのゲームを作れるように開発したゲーム機。
これまでの任天堂の家庭用ゲーム機はサードと共にアドレナリン全開の横スクロールアクションを中心に提供してきたが、
同時期に販売されたライバル機であるプレイステーション(PS)やセガサターン(SS)に対抗するためか、3Dアクションやレースゲーム等が多くなった。
第五世代ハードとしては後発であるため、数字が大きくて強そうな「64ビットCPU」、テクスチャに歪みが出ない「パースペクティブ補正」、ポリゴンの交差ができる「Zバッファ」などを搭載し、性能はライバル機達を大きく上回る高性能。基本的に32ビットモードで動いていたのは秘密だ。
当時松下が準備していた第六世代ハードM2も、この64を上回る性能であることを強調して高性能をアピールしていたほど。

当時のライバルハードは既に低価格で大容量のゲームが開発できるCD-ROMを採用していたが、
当時の任天堂社長が「まだROMでも大丈夫だお」と言い、規格はROMカセットを採用した。
実際は、当時現在よりもCD-ROMのロード時間が遥かに長かった為、それを懸念した結果の判断だった模様。
また余談ではあるが、ゲームキューブが8㎝光ディスクを採用した経緯もロード時間短縮の為である。
しかしそれが仇となり、コナミやカプコンなどの多くのメーカーは「低容量で作りにくい64よりも大容量で開発出来るPSやSSの方がいいだろjk……」と考えてしまう。

更にソニーが積極的にゲーム開発がしやすい環境を作っていた(ゲーム作成支援用ソフトやデバッグ用の本体の格安提供など)プレイステーションとは異なり、64でのゲーム開発は難しかった。何しろ任天堂ですら『タクティクスオウガ』や『MOTHER』の64版を完成させきれずお蔵入りにしたほどである。
そんなこともあって、発売から三か月間に及んで新作ソフトの供給がないという異常事態が発生した。
そこに加えて、スクウェアとエニックスがPSでのDQ・FFの発売を決定したことで任天堂や64の普及戦略に大打撃を与えた。

このような状況からスーパーファミコン末期から続いていた任天堂の殿様商売気質を見限ぎられてしまい、たくさんのサード離れが起こってしまったのだ。
任天堂自身も山内社長が「少数精鋭主義」と称して高品質なソフト供給に拘ったのも、良くも悪くもサード製のソフトを突き放す一因となった。
この時期は任天堂もセカンドパーティの強化を図った動きも見せていたが、順調にはいかなかった。

衰退期にはバイオハザード0やMOTHER3など目玉タイトルが64での開発からトンズラこいたのも痛手となった。
(内容は大幅に変更になったが、N64未発売のソフトの一端は後にGCやGBAで開発された)
全体的に64は開発中止タイトルが任天堂ハードの中でもかなり目立つハードだったと言える。

余談だが『スーパードンキーコング』を開発したレア社の作品がとても多い(レア社はN64のハード設計にも関わっていた)。

最終的にスーパーファミコンまで続いたトップシェアハードの座から任天堂は落ち、国内市場ではセガサターンにすら敗北してしまい第三位に終わった。
そもそもな話、64が世に出た時点でライバルのPSとSSは既に国内での立場を確保しつつあった状態で、トップシェアを狙うには厳しい物があった。
このように国内では普及戦略の失敗から負けハードとして扱われることが殆どだが、北米市場ではSFCからの流れを失うことなく前世代の規模の市場を保った。
国内で敗北した64が北米で成功したのは、64の開発体制と馴染む北米のゲーム開発手法や北米でのセガサターンの大敗北などが理由と言われている。

上述したように普及に苦しんだ64だが、未だに人気は高いようで64を支持する人は後を絶たない。
また売上的には後にも先にもワンランク落ちるのだが、『スーパーマリオ64』から始まる3Dマリオや、『スマッシュブラザーズシリーズ』などの礎を築くなど、ソフト的には見逃せない活躍をしている。


■主な周辺機器

ステレオAVケーブルはSFCのを流用できたが、ACアダプタは新しいタイプの規格になった。

コントローラは握る部分が三つ又に分かれた、とても珍しい形をしていて、戦闘機のようにも見える。
向かって左側に十字キー、右側にABボタン・Cボタンユニットがあり、さらに真ん中に3Dスティックがついていた。
この3Dスティックは操作性はいいのだが劣化が激しく、多くのN64コントローラは以下の末路になっていく。

①新品(処女)
 ↓
②最初は自分専用でお気に入り(彼女)
 ↓
③友達が遊びに来てコントローラを弄くり回す(寝取られ)
 ↓
④別のコントローラを買って、使っていたやつは友達or弟用(乗り換え)
 ↓
⑤ボロボロに使われた挙句、最終的に中古ゲーム屋に売られる(ビッチ)

ただでさえ劣化しやすいのに、「スティックを回せ!!」みたいなミニゲームが氾濫していたのも問題だろう。お前のことだよゼンマイヘイホー。
ちなみに中古ゲーム屋では⑤の状態が多く、スティックの状態が良いと少し高い。

持ち方は3パターンあり、左手を3Dスティックに添える「ライトポジション」、右手を3Dスティックに添える「レフトポジション」、
3Dスティックを使わず、十字キーとABCボタンで操作する「ファミコンポジション」の三つ。
ただ、ライトポジションかファミコンポジションが主流で、レフトポジションのゲームはかなり少ない。

コントローラは純正のものの他、ホリ製の「ホリパッドミニ64」がある。
ボタン配置は異なり十字キーとスティックが逆になる等、形状はGCコントローラに似ている。また、スティックが太くて丈夫な上、持ちやすくする為に小型化しているためこちらを重用された。スティックが丈夫なせいで未だに値がついてしまうのが難点だけどね!


銃型コントローラのような製品は発売されず、周辺機器も基本的には標準コントローラの後ろのアダプタに挿し込む。
中でも64GBパックは主にポケモンスタジアムで使用され、自身の育てたポケモンが3Dになり大画面で対戦できるなど、
当時GBで対戦していた少年たちの胸を熱くさせた。
しかし、異常に接触不良が起きやすくGBロムのデータが消えるケースが多発、涙目になったトレーナーも多い。
操作用と別のコントローラーにつないで静置が安全。

基本的に従来のカセット式なのでソフトにセーブできるが、コントローラパックにセーブすることもできる。
コントローラーパック専用にすればカセットにRAMを持たない分安くできるという目論見だが、ほとんどのソフトがカセットにもセーブ可能にする道を選んだ。

振動パックをセットすることで当時のハードではいち早く振動機能に対応する。
しかし結構重さがある上に、他ハードではそんなに重さが変わらない振動コントローラーが出てしまったりする。


末期にはメモリー拡張パック(ハイレゾパック)なるものが発売され、64本体の表面の蓋を開けると「開けちゃ駄目」と書かれており、それを外して装着する。
『ドンキーコング64』など一部の作品はこの周辺機器が無いと遊べない。
「剥がすなって!ヤバいぜ!」「大丈夫だって。」というCMを覚えている者は多いだろう。

名前の通りメモリーを拡張するもので、『ゼルダの伝説ムジュラの仮面』では多彩な行動をするNPCキャラの管理に、『ドンキーコング64』ではメモリリークバグの緩和に、隠し対応ソフト『ポケモンスタジアム金銀』ではGBカートリッジデータを一度に読み込むことが可能になるなど多彩な使われ方をした。
ハイレゾ…? うん、名前が変わるのもうなずけるね。

N64末期に作られた為専用のゲームや生産数が少なく、店によっては中古相場がN64本体よりも高い値段で販売している(N64の中古相場は500~3000円ぐらい)。
Wikiによると付けた状態で未対応のゲームをプレイすると映像が良くなるらしいが、実際あまり変わらない。


■64DD

ロムカセットに見られるデータ容量の制限を克服した上で、
CD-ROMでは実現できない大容量の書き換え領域を活用することにより、ユーザーに新しい遊びを提供する周辺機器
というコンセプトを目指して開発発売された、64にとって幻とも言える激レア周辺機器。
64本体の下に取り付ける形となっており、取り付け方はスーパーファミコンサテラビューと似ている。

当時ネットワークがまだまだ発展途上でり、インターネット回線に対応したゲーム機は存在していない。
その為、一度発売してしまったゲームの幅を広げることは非常に困難であり、
発売時点で仕込んでおいた隠し要素を時間差で公表するなどの方法を各メーカーは取っていた。
そんな中、任天堂のゲームソフト開発者の中に外から新しいゲームのキャラクターデータやコースデータ等のプログラムを追加や変更してゲームを動的に変化させたいという希望があり、開発が始まった。

NINTENDO64発表当初から公開されており、ユーザーの間では長らく発売が待たれていた。
64DDソフト開発の遅れや、64本体の普及が任天堂の想定よりも進まなかったこともあって発売の延期が幾度となく繰り返され、1999年ようやく発売となる。
が、既にそのころにはドリームキャストPlayStation2に世間の注目は移っており、ほとんど見向きもされないという惨状だった。
結局64DDは僅か10本の専用ソフトを出すだけに終わり、開発中だった専用ソフトは発売中止かプラットフォームを移して再開発されることになる。

64DDは会員限定の通販のみで販売された関係上、当時実際に購入した人は非常に少なく、現在となっては滅多な事ではお目にかかれない代物と化しており、
見たことはおろかその存在も知らない人が多い。
本体および専用ソフトはヤフオクなどでは非常に高額で取引されている。


■主なゲームソフト(任天堂製)



■主なゲームソフト(レア社製)



■主なゲーム(サード)

  • 悪魔城ドラキュラ黙示録
  • ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット
  • がんばれゴエモンシリーズ
  • スーパーロボット大戦64
  • スーパーロボットスピリッツ
  • 不思議のダンジョン 風来のシレン2 鬼襲来!シレン城!
  • 電車でGO!64
  • 実況パワフルプロ野球シリーズ
  • 牧場物語2
  • 爆ボンバーマンシリーズ
  • バイオハザード2
  • ロックマンDASH 鋼の冒険心
  • オウガバトル64
  • ゆけゆけトラブルメーカーズ
  • 新世紀エヴァンゲリオン
  • 時空戦士テュロック
  • バイオレンスキラー
  • モータルコンバットシリーズ(日本未発売)
  • 飛龍の拳
  • リッジレーサー64(日本未発売)
  • スーパーマン64(日本未発売)
  • ロボットポンコッツ64 ?七つの海のカラメル?
  • スターウォーズ エピソード1 レーサー(拡張パック対応)
(※唯一、ハイレゾパックという名称で同梱されたゲーム)


修理のサポートは既に終了しているが、権利の問題か、各社からの互換機は発売されてない模様。


任天堂『カセット端子をふーふーしちゃだめだよ。(要約)』

なん…だと…


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