登録日: 2009/06/05(金) 02:04:45
更新日:2022/08/18 Thu 08:53:09
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フォッケウルフ Fw190は、第2次大戦時のドイツ第三帝国の戦闘機である。
●出来るまで
時は1938年…
軍「フォッケ君、暇かね?」
フォッケ社「は、はあ…」
軍「実はメッサーの
Bf109の生産が一杯一杯で、予備の戦闘機が欲しいなー、って思っててさー(チラッ)」
「暇な飛行機会社ないかなーと(チラッ)」
フ社「あの…うちで良けれb」
軍「そうか!やってくれるか!まあ補助機だしそこそこの性能でいーよ!」
「頑丈だったら」
※実は当時Bf109のトラブルが多発していた。
これを受け、Bf109の補助機としてフォッケ社は飛行技師タンクと僅か11人の愉快な仲間たちで開発を開始。
主任のタンク技師曰く
「メッサーの様な
スペランカー体質では駄目だ!戦闘機とは軍馬であってサラブレッドじゃない!」
との考えに基づき設計され、結果
- 素晴らしい加速性
- 操縦しやすい
- 頑丈(※機体構造的に)
- 整備性も高い
- 大量生産も簡単
とまで言える機体が完成した。
ただ欠点が1つ。
高速度で旋回をしようとすると、たとえ最高速でも「失速」するのだ
(※)
しかしこの特性を使って、所謂「ひねり込み」に近い機動が可能。
旋回前にスロットルoff→旋回→失速→スロットル全開、で
「あ、ありのままを話すぜ!信じられないと思うだろうが今俺はフォッケの後ろに付いたと思った瞬間後ろに付かれて撃墜されたんだ!!!」
と、
某大空のサムライばりの
変態機動を展開した猛者もいたと言う。
なお、黒江保彦少佐の「私の見たFw190」の中では
「旋回性能:Fw190<<<日本機」
「加速性能:Fw190>>>日本機」
とある。
(要約。詳しくはググるべし)
●実戦とその後
当初はBf109の「補助」戦闘機という位置づけだった筈が、いつの間にか主力戦闘機の一翼を担う事に。
1942年2月の戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」による海峡突破作戦では、英軍のソードフィッシュ雷撃機を寄せ付けず作戦の成功に貢献。
同年8月の英軍によるディエップ上陸作戦では投入された敵新型
スピットファイアⅤやタイフーンを圧倒、制空権を一時的に奪回している。
また、実戦投入当初は
英軍パイロット「ドイツ機なんて格闘戦でイチコロさ☆HAHAHA」
↓
フォッケの ひねりこみ!
↓
「Noooooooo…!!!」
チュドーン
と、未知のフォッケに対しそれまでの対Bf109戦法だった格闘戦に持ち込んできた英軍機を、多数返り討ちにしたという。
戦争が進むにつれ、基本形のA型から派生し、性能向上型のD型(後述)や戦闘爆撃機にしたG/F型等、多数のバリエーションが生まれた。
ちなみにこのG/F型。
戦闘爆撃機とはいえ片っ端から敵戦闘機を落としてくので、護衛に就かされたBf109のパイロット達はアホらしくなったそうな。
Bf109マジ涙目
魔王の化身は
Ju87だけでは無いのだ。
ちなみにこのFw190、液冷エンジン
だーいすきな独空軍にしては珍しく、空冷式エンジンである。
フォッケ社「だって液冷エンジンはメッサー優先、ってアル中が」
しかし本土防空戦の時点で既に空冷エンジン故の高高度性能の低さが露呈。
ターボチャージャーを標準装備した米軍の
B-17、
B-24などの重爆や護衛の
ムスタング、
P-47に大苦戦する。
その為大戦末期にはユンカース社製液冷エンジンを載せた機種も生産された(Fw190D-9)。
この機種はその外観と形式番号から「長鼻のドーラ」と呼ばれた。
松本零士作品に出てくるフォッケは大体このタイプ。
(「ベルリンの黒騎士」とか)
が、時既に遅く、敗戦。
最終的に、終戦までの総生産数は各型合計で2万機を超える優等機となった。
追記・修正、頼む!Sieg Heil!!!