Ⅳ号戦車

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Ⅳ号戦車 - (2015/02/14 (土) 14:20:50) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/10/29 (月) 04:48:34
更新日:2023/01/09 Mon 12:01:18
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Ⅳ号戦車とは、ナチスドイツ軍で使用された戦車である。

制式名称はPanzer kampf wagen IV。
制式番号はA型~F型はSd.Kfz.161、G型はSd.Kfz.161/1、H型~J型はSd.Kfz.161/2である。
対空戦車や指揮戦車を除く派生型にはSd.Kfz.162~167のナンバーが与えられた。
開発時の秘匿名称は大隊指揮車両(BW=Bataillonsführerwagen)だった。
ティーガーパンターのような愛称も無く、知名度も低いが第二次世界大戦を通して戦場にあり続けた、
兵士から最も身近だったと言える名戦車。

■開発経緯
ナチスがドイツの政権を取る前から、軍部は密かに新型戦車の開発をしていた。
しかし、これらは重すぎたり信頼性が無かったりと問題があった。
そこへ、グデーリアン(構想段階や開発要求時の階級は佐官で、最終的には上級大将まで昇進)から戦車の開発要望が来る。


グデーリアン「俺の考えた戦略に~、電撃戦てのがあってー…」

開発局「え、なにそれは…」

グデーリアン「新しい戦車が必要なんだよね、それ総統閣下にも言われてるから。」


と言うわけで、ドイツ陸軍の主力となるべき戦車が、2つ開発されることになった。
III号戦車IV号戦車である。

IV号戦車は、III号戦車を火力支援する為の「随伴戦車」として開発された。
III号を主人公とするなら、それを常にサポートする名脇役とか、親友とか、幼なじみと言ったところだろう。

III号戦車「こんな挑発に乗っちゃいけない…うおおおおお!」

IV号「ちょっと!一人で突出しないで、って言ったでしょ!!…し、仕方ないわね!」

私もIV号に夜まで随伴……おや、お寺の卍みたいな旗を持った人が家の外に…
ちなみに帝国陸軍でも同種の構想はあり、長砲身中口径砲搭載の中戦車と低砲身大口径砲搭載の砲戦車を戦車連隊に配備して運用する筈だった。
チハの後継である47mm砲搭載中戦車チヘ(後の一式中戦車で、更に三式中戦車チヌへ発展)と75mm砲搭載砲戦車ホイ(後の二式砲戦車)、
57mm砲搭載中戦車チト(後に75mm砲搭載の四式中戦車へ発展)と75mm/105mm砲搭載砲戦車ホチ(開発中止)といった具合にである。
諸事情で実現しなかったが。

■特徴
そういうわけで、IV号戦車はIII号戦車に比べ火力が強化されている。
24口径と短砲身ながらも、榴弾の炸薬量が後継の長砲身砲よりも多かった7.5cm KwK 37を搭載していた。
よく誤解されがちだが対戦車戦闘も最初から考慮されており、当時の戦車戦としては標準的な中距離以内であれば十分な貫通力を有している
(射距離500m命中角60度の条件で、III号の46口径3.7cm砲は29mm、42口径5cm砲は46mm、IV号の24口径7.5cm砲は約40mm)。
とはいえWWII勃発前から装甲貫徹力不足が懸念された事も事実であり、IV号戦車用として33乃至34.5口径砲が試作されている。
もっとも後に生じたある出来事が原因で量産に移されなかった。

最高速度は約40km/h(A型は35km/h、H型とJ型は38km/h)。
リーフ・スプリングボギー式と言うサスペンションを使っており、III号戦車のトーションバー式に機動力こそ劣るが整備性は良好だった。
実は軍兵器局がトーションバー方式の採用を迫っていたが、クルップ社の拒絶と緊急生産の必要性により断念した経緯がある。

また、地味であるが砲塔とターレットリング(砲塔を車体にはめ込む穴)が大きめで車長、 射手、装填手の三人が入れた。
当時は一人か二人用の小型砲塔が多かった事を考えると珍しい。
これで車長が状況判断をし易くなり、車内での連携、更に他の車両との連携が取りやすくなった。
「電撃戦」という連携が重要視される戦略化では、無視できない点である。

また、ターレットリングの大きさは後に大きな影響を与える。ここテストに出るよぉ~

■実戦での活躍
1936年にA型が制式採用、その後エンジンを換装して装甲も若干強化したB型/C型、1939年にはD型の量産が開始されたが、
戦時体制の立ち遅れと戦車部隊の拡張が祟って戦前に構想していた編制に必要な編成需要を満たす事は出来なかった
(訓練用のI号戦車や応急開発のII号戦車、併合したチェコの35(t)及び38(t)軽戦車で補完してなお定数分を賄えず編制の方を縮小した)。

英仏を大陸から追い出すと、戦いの舞台は北アフリカ、東部戦線へと移る。
Ⅳ号戦車はE型F型となり、Ⅲ号戦車と共に戦うが、東部戦線でドイツ軍に激震が走った。
パンターなどの項目を見てくれている察しのよいウィキ篭もり諸君なら分かるだろう。

ソビエトの救世主、T-34中戦車である。
この戦車はIII号戦車、IV号戦車の両方に火力、装甲、機動力全てで勝っていた。
独ソ戦以降損害が激化したドイツ陸軍にとっては死活問題で、パンターなどの新型戦車や強力な対戦車兵器の開発を余儀なくされた。
T-34対策は、IV号戦車と後に戦車部隊へも配備される事となるIII号突撃砲にも施された。
前述の33乃至34.5口径7.5cm砲は威力不足と判定されて新型砲が開発される事になり、徹甲榴弾も硬度を増したPzgr.39に変更された。
F型に43口径砲を搭載したF2型(後日G型に編入)や生産途上で48口径砲に切り替えられたG型が生産され、
T-34にも対抗可能となった(ただし1944年に実戦投入された85mm砲搭載型のT-34-85に火力を再逆転され、再び劣勢に追い込まれた)。

しかし、これIV号戦車の大きな転換点になった。
開戦当初から共に戦ってきたIII号戦車が、ここでリタイアしたのである。
III号戦車はターレットリングが小さいため、全周旋回砲塔に43ないし48口径7.5cm砲は装備できなかった
(改設計でターレットリングを拡幅して換装する手段もあったが、ドイツは同砲搭載の突撃砲量産に転換する解決策を採った)。
既存の5cm砲等では高速徹甲弾を用いてもT-34に対抗することはできない…


III号戦車「別にT-34もKV-1も倒してしまって構わんのだろう?」

IV号「無茶しやがって…」


III号戦車の脱落により、IV号戦車は数的にも主力戦車として装甲師団の主力を担うことになったのである。


その後、III号の後継である主力戦車としてパンターが開発されるが、全ての工場をパンター生産に移行させるほど、ドイツには余裕が無かった。
IV号戦車はH型J型へと改良されつつ、終戦の5月8日までナチスドイツと共に終末へ向かったのである。

ちなみに脱出口は乗員の数より多かった

■バリエーション

A型
プロトタイプの先行量産型。
正面装甲でも20mmと小銃弾を弾く程度しか装甲が無かったが、この頃から短砲身の24口径7.5cm砲を装備していた。
35両が作られ、ソ連侵攻時までこき使われた。

B型/C型
正面装甲を30mmまで強化したり、エンジンをマイバッハHL120に替えたりと色々改良したタイプ。
同じC型でも細部が違ったりするので区別しにくい。
因みにこのエンジンがかなりの傑作で、A型より重くなったのに最高速度が上がったりした。
地味な改良などはあったが、IV号戦車はずっとこのエンジンで戦う事になる。
170両程生産され、ノルマンディー上陸までこき使わry

D型
側面装甲が15mmから20mmに。
それでも装甲不足で後々増加装甲を取り付けられた。
本格的に量産され始めた型で、生産数は230両程。
大戦末期には長砲身75mm砲を装備したりと最後までこき使ry

E型
装甲厚が最大30mmから50mmに。
これも増加装甲を取り付けられたりした。
アフリカ戦線、東部戦線初期での主力。
生産数は220両程。

F型
車体その物を見直し、根本的に大規模改修がされた。
正面装甲は50mm、側面装甲は30mmとなっている。
重量増加による接地圧悪化に備えて、履帯も大きめなっている。
最後の短砲身型である。
生産数は393両。

F2型
ヒトラーの要求でG型で導入される予定だった43口径75mm砲を前倒しして装備したF型。
F型393両の内、175両がこれで、F1型から改造された25両も加わったが、1942年中にG型へ編入された。
僅か9両のF2型が、アフリカ戦線で大暴れし、「人IV(読ん)で、マークフォー・スペシャル!」
でも最終的には70両程しかアフリカでは暴れられなかった。
アフリカ戦線からドイツは撤退し、逆に東部戦線は激化していく。

G型
当初から43口径7.5cm砲を武装した型。
これも生産途中でよく改良された。
1943年から48口径7.5cm砲に強化されたり、
「シュルツェン」と呼ばれる対戦車ライフル用の強化装甲(後に成型炸薬弾にも有効であることが判明した)が取り付けられたり、
車体前面に30mmの増加装甲が取り付けられたり。
III号戦車が脱落した影響で増産され、生産数は約2,000両。

H型
車体前面装甲を一枚板の80mmにして、新型の変速機も乗っけた。
転輪を全金属にしたりとこれも細かい改修が多かった。
2,300両程が生産されたが、途中で対空戦車や突撃砲に改造されたりした。
ドイツの切迫感が伝わってくる。
余談だが、シュルツェンを装備したG型やH型は、ティーガーによく誤認されて敵兵をビビらせたとか。
ティーガーがどれほど怖れられたか分かる話である。

J型
生産性の向上の為、無駄を省き簡略化したもの。
発電用の補助エンジンや、マフラーの消音機能が無くなった。
砲塔の回転も手動と不便になったが、装填手と協力した場合は以前よりも旋回速度が向上し、車体が傾いた状態の旋回も容易になったという。
また、シュルツェンが資源節約(重量軽減説も唱えられてるが、真相は不明)からノーマ・シールドと言う金網状の物に変更された。
生産数は約3,000両で最多。


IV号戦車がIII号戦車と違い、終戦まで戦えたのは「拡張性」があったからだろう。
未来を見据えて長く使える事、それも優秀な兵器の重要な要素だろう。

この項目も改良の余地があります。
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