24時間テレビ

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24時間テレビ - (2021/08/13 (金) 15:08:49) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2010/08/26(木) 23:25:09
更新日:2024/04/13 Sat 21:39:21
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毎年の夏休みの終盤(8月最終土曜及び日曜)に日本テレビ系列で放送されるスペシャル番組。
「愛は地球を救う」という副題から分かるように国内外の社会的弱者(特に第1回から一貫して寝たきりのお年寄りや障がい者への福祉援助)の救済、環境保護、海外の貧困している国や地域・災害被災地への援助をコンセプトとしたチャリティー番組であり、放送の時期が近づいてくると全国規模で募金活動を中心としたイベントが催され、その様子は放送中もリアルタイムで公開される。そのため、第1回から「テレビの前のあなたが主役になる番組」というスタンスを貫き通している。

名前のとおり放送時間は24時間にも及んでいる…という事になっているが、文字通り24時間放送したのは第1回だけであり、その後は伸び縮みを繰り返して2002年以後は現在まで基本的に土曜18:30 - 日曜20:54までの26時間30分になっている。1989年と1990年に至っては土曜12:00 - 日曜19:00という31時間の長丁場になった事もあった。

笑いあり涙ありの人々の心の温かさと善意、そして一人一人の心のこもった募金の様子…長いようで短い一日が始まる。

第1回が放送されたのは日本テレビ(とNHK総合)が開局しテレビ放送が誕生してから25周年となった1978年。当時日テレで放送していた深夜番組「11PM」の世界の福祉特集から生まれ、「テレビを通じて何が出来るか」という理念のもとに立ち上がった。当初はスポンサーが難色を示したこともあって局内からも反対の声が多く、1回限りの予定だったとか。
しかし集まった募金額が予想以上に多かったこともあり、当時の日本テレビの社長も実際に番組に出演して「ご支持いただくなら何度でもやります!」と宣言し、以降毎年放送されることに。
ちなみに今ではおなじみの「チャリティーマラソン」や「サライ」はこの頃にはまだ存在していなかった。第1回の総合司会は萩本欽一(休養していた1985年を除いて1989年まで毎年出演)やピンク・レディーや竹下景子のほか、「11PM」から大橋巨泉も加わった。また、大阪のスタジオからは横山やすし・西川きよしも参加した。さらに1989年までは手塚治虫と手塚プロも番組に賛同して毎年オリジナルの長編アニメを制作していた。そのアニメも放送当日のギリギリまで制作に追われるのが常だったという。

この回のエンディング、大橋巨泉は「(募金額の)99%が1円玉、5円玉、10円玉だと思うんですね。金額は少なくとも量は。ということは、決して豊かでない人たちが僕たちの企画に賛成してくれて、募金してくれたと思うんです。僕が言いたいのは、福田(赳夫)総理大臣を始め、政府の方、全政治家の方に、本来はあなた方がやることだと思うんです。ですから、福祉国家を目指して良い政治をして頂きたいと思います」と時の政権に訴えかけ、募金のために集まった観衆にも「お金を寄付したから終わりでは無く、一番大事なのは意識。強い者が弱い者を蹴飛ばすのではなく、弱い人たちと一緒に行く。そういう意識が大事だと思うんです。」と話して番組を締めている。


その後も24時間テレビは毎年放送されてきたが、1989年を最後に第1回から出続けていた萩本欽一が番組を去る一方で、当時の人気アイドルやタレントがパーソナリティを務めるようになったり、内容のマンネリ化もあって次第に募金額や視聴率が低迷。
第14回(1991年)放送では視聴率が6.6%にまで落ち込み、番組そのものが存続の危機に陥った。

そのため、翌年の第15回(1992年)からは方向を転換。
今までチャリティー番組としてのお説教臭さが強すぎるという意見が多かったこともあり、啓蒙色を薄めてエンターテインメント性の強化を図ることになる。スタッフも当時の日テレの人気クイズ番組を手掛けた「クイズプロジェクト」の面々に交代した。

そのリニューアルを象徴付けるかのようにパーソナリティに2人とも当時29歳だったダウンタウンと、なんと当時15歳だった観月ありさを起用したり、懐かしの歌謡曲から当時のヒットソングまで「愛の歌99曲」をパーソナリティ陣や電話で呼び出した有名人が、カラオケの感覚で音合わせなしのぶっつけ本番で歌い続けるというそれまでからは考えられないバラエティな番組となった。

間寛平を初代ランナーとしてチャリティーマラソンがスタートし、上記した愛の歌の100曲目及び新しいテーマソングとして「サライ」が誕生したのもこの回から。
その代わり、前年をもって大野雄二が音楽担当から降板したため、大野が番組のために手掛けた楽曲は事実上全て封印されてしまった*1

この回のエンディングでは徳光和夫が「(今までの)チャリティーは堅苦しいとか、重いとか、真面目すぎるとか、わざとらしいという声も結構あったが、今回はよそ行きではなく普段着のままで、ニコニコ顔でチャリティーに参加してもらえたのではないか」と述べている。

その言葉通り、このテコ入れが功を奏して低迷していた寄付金は前年よりも7千万円以上増加、視聴率も17.2%まで回復した。
以降はこの路線で続けていくことになり、おなじみの「24時間テレビ」のスタイルが確立したといえる。

そして2021年現在まで40回目以上も続いており、募金額も40年以上の歴史で400億円を超えるまでになった。

アニオタ的には上記した手塚先生のアニメスペシャルが毎回行われていたのが記憶にある人もいるだろうか。
このアニメスペシャルは第1回から放送されており、2時間のテレビアニメというのは世界初であった。
初回放送時には24時間テレビ内で最高の28%という高視聴率を記録し、大成功をおさめたことから以降レギュラーコーナーとなる。
また、これを皮切りに2時間枠のテレビアニメが各局で放送されるなど、テレビアニメのあり方に大きな変化をもたらしたと言えるかもしれない。

しかし、手塚先生が1989年の放送を前に亡くなったことを受けて手塚プロはその年をもって24時間テレビから去り、アニメコーナーは1990年(第13回)の「それいけ!アンパンマン みなみの海をすくえ!」を最後に惜しまれつつも廃止となった。

会場は第1回は郵便貯金ホール(現在のメルパルク東京)でオープニングを行い、他のコーナーは麹町の日本テレビのスタジオ、エンディングは代々木公園と場所を転々としながら放送した*2第2回が日本青年館だったが、第3回以降は基本的に日本武道館が使われている。
ただし諸事情で武道館が使えない場合もあり、第14回が東京都庁舎、第32回が東京ビッグサイト、第42・43回は両国国技館から放送された。


子供の頃、全部は観られないのを承知で、テレビにかじりついていたという人もいるのではないだろうか?

自分達の少ないお小遣いが、全人類を助けられる…

強い使命感や、夢と期待に燃えて、募金した人も多いのではないだろうか?






しかし、情報の発達した現在では、批判的な意見も日に日に強まりつつある。


同様のチャリティー番組は海外にもあるが、それらの例を見ると、特にアメリカのチャリティー番組はノーギャラを貫いている場合が多い。
一方、24時間テレビは出演者にギャラが発生していることが明言されており、アメリカを見習ってノーギャラにするべきだという声は根強い。

これらに当初から反発的な姿勢を示していたのがビートたけし明石家さんまであり、特にビートたけしは自身が受け持つ「オールナイトニッポン」の放送内で、
「ヨダレ垂らした芸能人どもがめちゃくちゃ高いギャラ稼ぐくせに、これ以上貧乏人から金巻きあげんな。チャリティーっていうくらいならお前ら全員ノーギャラで出ろよ!」
と発言し、偽善番組と非難している。

反面、「謝礼があることによって結果的に敷居が下がり、芸能人側も参加しやすくなっている」「募金が集まるなら問題ないのでは」「労働に対して対価が出るのは当然であり、無報酬にこだわる事こそ危険」という肯定的な意見もある。

また、番組に出て謝礼を受け取ったものの、受け取った謝礼を全部寄付に回し実質ノーギャラで参加した芸能人もいる。
第一回放送の司会者であり、後年チャリティーマラソンの走者にも選ばれた萩本欽一は、出演を打診された際に日本テレビが提示したギャラの額を交渉によって徹底的に吊り上げ、もうこれ以上は出せないというレベルの金額を受け取った後、それを全て寄付に回したという話は美談として語り継がれている。

かつてフジテレビで放送されていた「ラスタとんねるず」内の人形劇コントにおいて24時間テレビを模したパロディが作られたことがあり、その内容は「電光掲示板に表示された募金額が状況に応じて減額される=24時間テレビでは募金から出演者のギャラを捻出している」というブラックジョーク的なものであったが、それに対して日本テレビは大激怒し、「募金は全て寄付をし、謝礼金は番組制作費から支払っている」と公式声明を発表して抗議。フジテレビは後に非を認めて謝罪した。
幸か不幸か、この騒ぎがきっかけで、24時間テレビの募金額の正しい使い道が人々に認知されることになった。
24時間テレビは社会福祉法に基づき厚生労働大臣の許可を得て募金活動・慈善活動・資金配分などを行っているため、
国からの厳しい監視を受けており、募金からギャラや経費が支払われたりすることは絶対にない。一切差し引かれることなく全額がきちんと募金される

他に『募金を得た団体が(募金者が想像しているような)全額を適切な活動(※適切な人件費も込み)や資金拠出に使っているか?』には疑問を抱かれていることが多い。
24時間テレビだけの問題ではないし一つの団体だけ取り上げて見ても時と場合によるのだが、法的には問題無くとも問題視される行動を取っている団体も存在する。
流石に募金を更に寄付した先まで監査しろというのは無茶なので、テレビ局側ばかり責められるような話ではないのだが…気になるのなら自分で募金先を選んだ方が良いだろう。選択肢は一つではない。


ちなみに税金が厳しいアメリカではチャリティーの寄付には税金対策という面もあるので、
一概に「海外のチャリティー番組はノーギャラで素晴らしい」とは言い切れない。


この他、健常者の視点に立った御涙頂戴の方向に偏りすぎな演出で「感動ポルノ」だの言われることも多く、近年では募金ネタ以外にこちらの批判の方が結構あったりする。
しかし、この番組をキッカケに憧れのスポーツ選手に会える障害者など本当に夢を叶えている人がいたり、この番組の力で募金を得られる団体もいるのである。先述のようにエンターテイメントであり、この点については完全に中立とは言い難いが、チャリティーとしての役割を完全放棄しているわけではない。

これらの点は十分考慮する必要がある。

主な企画

チャリティーマラソン

毎回「チャリティーランナー」となった芸能人がスタート地点からゴールであり会場である武道館*3までの道のり(回によって異なるがおおよそ100km前後)をマラソンする。

初代ランナーは間寛平さんで、1992年は新潟県の苗場プリンスホテルから200km先の武道館まで走るというものだったが、出発地や経路を全て公開してしまった結果、車や自転車で後ろから追っかけられたり、歩道や休憩ポイントに人が溢れたりとパニックが発生、さらに大雨などで体力を消耗した結果50kmを残して棄権した。それでも翌年、再び200kmに挑戦し見事武道館へゴールを果たした。この年からはそういった経緯により、スタート地点及び経路は原則非公開。それでもランナーによっては道路の渋滞・混雑が発生したということもあり、基本ルートの変更は毎年行われている。

1995年には自身も阪神淡路大震災で被災した寛平さんが3回目の挑戦。今度は復興祈願として神戸→武道館の600kmを1週間で走破するというものもあった。ただ、酷暑には耐えられず放送前日の金曜日までは炎天下の日中を避けて夜通しで一睡もせず走り切った。なお、寛平さんのマラソン挑戦はこれで最後になっているが、翌1996年以降も様々な企画等で「24時間テレビサポーター」として参加し続けている。

その時々の人気芸能人や、実際にマラソンで想いを届けたい人がいるなど選出理由は様々。

ゴール間近では「負けないで(ZARD)*4」、ゴール寸前では「サライ」が流れるのが恒例であり*5、ゴールを見届けて夏の終わりを感じる人も多い。

全行程が放送されていない事から、放送してない間はロケバスに乗ってワープしているのでは無いかという疑惑が絶えなかった。
特にテロップミスで「1時間で20km進行」していた2002年にこの疑惑が表面化し、それ以降は実際に走っているかの確認のため、ネット有志による追跡班が昼夜通して自転車による追跡を行うのが恒常化している。
あくまで番組への検証という非公式の形ではあるが、最近では番組スタッフからもエールを送られたりと「追跡検証も込み」で楽しむ人も多い。

因みにだがその手のプロは6時間強で100kmを走破する。24時間走だと290kmが世界記録。
これらと比較すると24時間で100kmというのがスローペースに感じるが、普段の仕事量からトレーニングを十分に取れないチャリティランナーを比較すること自体がナンセンスである。

スペシャルドラマ

実際に難病や障害などと闘った人の奮闘や手記などを基に作られるスペシャルドラマ。メインパーソナリティの1人が主演を務める。
なお、まれに偉人の物語をに制作することもある。

チャレンジ企画

義足や義手、ダウン症などハンディを負った人達が番組のサポートを経て登山やスポーツ、歌などに挑戦する企画。

普通では達成することが難しい「夢」を叶える企画ではあるが、前述のとおり「感動ポルノ」としてやり玉にあがることも多い。

世界記録チャレンジ

特番で放送された「徳光&所の世界記録工場」の派生企画。生放送で様々なギネス記録の更新や、十種競技に挑戦し記録更新に挑むなどの挑戦を行う。

深夜企画

深夜使用不可のメイン会場・武道館から日テレのスタジオに移り、バラエティ色強めのコーナーを行う。
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』が参加した際には「ヘルメットの上からチェーンソーを当てる」という企画にさすがに苦情が殺到したという歴史も。



―追記・修正は地球を救う

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