F4U コルセア

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F4U コルセア - (2014/05/04 (日) 18:43:14) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2014/05/04 (日) 17:28:00
更新日:2023/06/03 Sat 23:04:01
所要時間:約 5 分で読めます




F4U コルセアは、アメリカ海軍が運用した艦上戦闘機である。愛称のコルセアは海賊の意。
零戦殺し見た目のインパクトが凄いアレに比べると、ミリオタ以外からの知名度は微妙。

性能諸元(F4U-4)

全長:10.30m
全高:4.5m
全幅:12.50m
翼面積:29.17㎡
自重:4.19t
最大重量:5.63t
最高速度:732km/h(高度8,016m)/746km/h(同6,279m)
巡航速度:595km/h
上昇限度:12,650m
航続距離:1,617km
最大航続距離:2,511km
発動機:プラット&ホイットニー R-2800-18W「ダブルワスプ」 離昇出力2,100hp
固定兵装:12.7mm機銃6門 or 20mm機関砲4門
爆装:最大1.81t or 127mmロケット弾8発
総生産機数:12,571機

開発経緯

フィンの聖戦士の愛機*1F2A バッファローやF4F ワイルドキャットの後継機としてチャンス・ヴォート社で開発された。
1938年の海軍の要求に対しヴォートは2つの開発プランを提出する。1,200hp級エンジンを搭載するA案と2,000hp級エンジンを搭載するB案で、最終的に後者に対し試作発注がなされた。

当時の単発戦闘機としては怪物級の大出力エンジンをフル活用するべく当時としては最大系のプロペラを据え、それによる主脚の長大化を避けるべく逆ガル翼を採用している。
この逆ガル翼は折りたたみ式になっていて、ただでさえ大型な機体を空母に詰め込む助けになっていたが、同時に主翼強度低下の一因にもなっている。
また、高速ではあったが最適上昇速度に欠け、低空格闘戦が苦手などの欠点も見られた。
……艦上戦闘機が低空格闘戦苦手って、スクランブル迎撃に使えんってことになるわけだが、結構致命的じゃないの?

戦歴

第二次大戦

試作段階で既にMAX650km/hを超える陸上機としては非常に強力な戦闘機として完成したが、コルセアの辿った道は必ずしも順調ではなかった。
大出力エンジンや防弾設備がもたらした自重、前方視界の悪さ、そしてプロペラブレードのサイズがもたらす着陸時破損の危険性などが重なり、F4Fの後継機の座をF6Fに奪われてしまったからだ。
艦上機としての適性が低いとの評価を下された本機は海兵隊に引き渡され、陸上機として実戦データの収集が行われた。
だが捨てる神あれば拾う神あり、当の海兵隊では大いに歓迎された。当時最強のパワーがもたらす速度と火力は、対帝国軍機に最適だったからだ。
しかし、初陣だったブーゲンビル島攻撃では本機2機を含む10機を叩き落とされ、敵損害わずか1機という大敗北(通称『聖バレンタインデーの虐殺』)を喫している。
まあ、これは速成搭乗員や本機での飛行経験の低いパイロットによるところが大きかったとも言えるが。
また、他の米軍機に比べ主翼への被弾に弱かったようで、帝国軍のパイロットからも「グラマン鉄工よりは落としやすかったかな?」と言われていた。
そりゃあアレに比べれば大半の戦闘機は落としやすいだろうが……
実戦データに基づく改良で1944年夏に艦戦としての空母配備*2が許可された頃には戦闘爆撃機としての運用が主となっており、爆装しての対地襲撃や特攻機迎撃など常に最前線にあった。

ムスタング同様英国海軍にも供与されており、本機の空母運用はこっちのほうが実は早い。
着艦ギリギリまで左旋回を行うことで視界を確保しながらアプローチし、機体の欠点を運用で補うという海軍最強(元)の名に恥じぬ運用の柔軟さを見せている。
ティルピッツ攻撃などに参加しており、末期には太平洋戦線に進出して帝国軍機と交戦した機体もある。

戦後

大戦中こそヘルキャットに花形の座を奪われたが、戦後はジェット戦闘機のニッチを埋める戦闘爆撃機として息長く前線にあった。
ハイパワーで爆装能力が高く、かつレシプロ機の中では高速なコルセアはこの目的にまさに合致した存在であり、ヴォートでの生産も1950年代まで行われている。
朝鮮戦争には海兵隊所属機が参加し、本来カモられるはずのMiG-15の撃墜記録を挙げた。
また同盟国にも広く供与されており、インドシナ紛争での運用も確認されている。

特筆すべきは1969年のサッカー戦争での本機の実働記録、レシプロ戦闘機同士の最後の空中戦を演じたことだ。
7月17日、ホンジュラスとエルサルバドルの国境付近で勃発した2度の空中戦で、ホンジュラス空軍機がエルサルバドルのムスタングと本機2機を撃墜。
パイロットのフェルナンド・ソト・エンリケス大尉は『最後のコルセア・ライダー』の称号を得た。彼の愛機は現在テグシガルパの航空博物館に展示されている。
レシプロ戦闘機の終焉が米国機同士の交戦、しかも最後の敗者が『最優秀戦闘機』と称されたP-51というのもなかなか皮肉めいた結果趣深いものである。

余談

エンジン換装や夜間戦闘用電子戦ポッドの装備、翼内機銃の換装などで数多くのバリエーションを持つ。
これは機体が元から大型で大出力のエンジンを搭載することを前提に、ペイロードや構造に余裕をもって設計されていたのが理由。
またヴォート以外にブリュースターやグッドイヤーでも生産が行われたが、海軍機の命名法則がアレだったため各社の製造機で型番が異なるうえにF4Fと紛らわしいと運用側には不評だったという。

創作におけるF4U

第二次大戦機を扱ったウォーシミュレーションやフライトシムには大体参戦していると見ていい。



追記・修正は本機の初期型で空母への離着艦に成功してからお願いします。

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