F-1(航空機)

「F-1(航空機)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

F-1(航空機) - (2014/08/30 (土) 18:06:27) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2014 8/30(土)
更新日:2021/08/15 Sun 04:01:22
所要時間:約 5 分で読めます




F-1

三菱重工が製造し航空自衛隊に幅広く配備された高性能な戦闘機(攻撃機)である。実際のカテゴリーでは戦闘爆撃機に相当する。ある意味戦後初の国産の戦闘機として当時は話題を呼んだ。どうせなら日本流に一式と呼んだ方がまだ適応かも知れないが、既に航空自衛隊では発足後からアルファベットが用いられておりもっぱらF-1もこのような名前で配備されることになる。愛称はない。

【開発まで】
1960年代、世界各地が次々と超音速で飛行し尚且つ敵陣をなぎ払う戦闘機の開発が盛んだった時代である。丁度時期は東西冷戦のまっただ中でありアメリカとソビエト(当時)の中心にあった日本は有事の際には北海道が主戦場になるとして様々な形で軍備増強を行った。事実、ソビエトはMiG-21やMiG-23といった戦闘機を展開しており後々空母に相当するキエフ級航空巡洋艦も配備されようとしていた。日本では洋上において日本の海上自衛隊が有利に戦えるように敵の海上戦力を可能な限り殲滅することを模索。が、F-86DやF-80の次に配備されたF-104は迎撃戦闘機として配備されていたため爆弾搭載量が極めて少なく対艦ミサイルなど搭載する余地もなかった。結局、国産の戦闘機が必要と判断されたのである。一から戦闘機を作ることは困難なので、既に配備されているT-2(開発段階で戦闘機として使えるよう設計済み)をベースにした戦闘機の開発が進められたのである。開発機はFS-T2改と呼ばれた。

【政治的問題】
案の定、日本には自衛隊のことを快く思わず冷たくあしらうどうしようもない政治家が多く実際に自衛隊の敵は彼らではなかろうか。ましてや、当時はアメリカの武器を安価で入手する提案・・・・とどのつまり日本に飛行機を作らせないという最悪の思考が渦巻いていた。で、アメリカのノースロップ社に頼んでF-5戦闘機を配備しようと考えていたのである。実際、後押ししていたのは社会党であり日本のF-4やF-104から空中給油装置や爆撃用コンピューターを省かれて性能低下を招いたのもこいつらの仕業。しかも、F-5は兵器搭載量がほぼ皆無な小型の軽戦であり空戦性能ならともかく航続力すらも劣る。自民党等は大規模な抗議を展開し「FS-T2改は航続力と兵器搭載量が優れておりF-5では航続力と搭載量で確実に使えなくなる。F-5はギリシャやトルコ、南朝鮮などに配備または予定がされているが我が国には好ましくない。理想的な戦闘機はFS-T2改である。と述べたことにより奴らを屈することに成功し」た。

しかし、実際には社会党等は爆撃能力があり他国への脅威になると非難した。運用する側はそんな気などないのに。

しかし、ここでも関係者等は「我が国を守るために爆撃能力を備えている。が、足が短いため他国へ脅威を与えることはない」と発言し再び奴らを磨り潰した。

【試験から配備まで】
FS-T2改はT-2を元に後席を潰してレーダー警戒装置を内蔵。加えて試験的に塗装を変更し模擬弾も搭載した上でテストが相次いで行われた。いずれにしても爆弾の投下からミサイルの発射、やがて代表する装備となる空対艦誘導弾などのテストも行われ全ては順調に進んだ。こうして原型機は75年の6月3日に初飛行し防衛庁(当時)より正式名称としてF-1という名前が与えられ各部隊へ配備されることになった。

【T-2との違い】
T-2を元にしただけあって殆ど同一のように思われるが、実際には細部にわたって変更がされている。外観はまず、後席を潰して兵器管理用のコンピューターが内蔵された。これにより空対艦誘導弾から空対空ミサイルを運用できるようになった。更に、爆弾搭載用のラックが新規装備され胴体にも付けられるようになった。全高だがレーダー警戒装置を尾翼に取り付けたことにより若干だが大きくなっている。塗装も迷彩になっているがこれは他国の迷彩とは異なり日本の風土にあった色合いをなしている。後に加わる川崎C-1もこの迷彩になっている。また、レーダーを新規にした上で洋上探索にも使えるようになった。操縦席では計器や高度計、新規で追加したレーダー警戒装置の作動用ボタンが追加されている。

追記・修正お願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/