WCW

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WCW - (2014/09/12 (金) 10:17:39) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2014/09/09 (火曜日) 19:35:55
更新日:2024/01/09 Tue 13:17:44
所要時間:約 20 分で読めます




『WCW(World Championship Wrestling)』とはかつて存在したアメリカのプロレス団体及び興行会社である。



概要


元々はNWAミッド・アトランティック・レスリング(ジム・クロケット・プロモーションズ)が母体で1988年11月に経営難でターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS)に売却され誕生したTBSのプロレス部門の子会社である。
発足当初はまだNWAに加盟していた為、NWA-WCWと名乗っていたが1992年にNWA脱退後はシンプルにWCWとなった。
誕生の経緯の通り、かつてアメリカ南部の及び世界各地のプロモーターで成り立っていたNWAを系譜を引き継ぐ団体である。

タイトル


  • WCW世界ヘビー級王座…かつてはNWA王座の流れをくむ王座だったが末期のカオスっぷりのせいで毎週王者が誕生していた…
その酷さたるやあのWikipedia先生ですら正確な王者を全部網羅するのは不可能なレベル。

写真の様にスプレーで落書きされたり、素人に巻かれたり色々辛酸をなめているベルト
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  • WCW世界タッグ王座…日本人では1日天下に終わったものの崩壊直前にグレート・ムタが唯一獲得している。


  • WCW世界6人タッグ王座‥NWAから引き継いだ王座。
  • WCW世界クルーザー級王座…団体発足当初はWCWライトヘビー級王座だった。92年に封印後96年に名前を変えて復活。
AAAから引き抜いたルチャ・リブレ選手用の王座であった。日本人では前身時代に獣神サンダー・ライガーが獲得しており何と復活後の初代王者が大谷晋二郎で、他にもウルティモ・ドラゴン、TAJIRIが獲得するなど日本人にとってもなじみの深い王座だったりする。

左手の端にあるのがWCW世界クルーザー級王座
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  • WCW世界クルーザー級タッグ王座…崩壊直前に新設された王座。その為王者が2代しかいない。
ベルトは現在最終保持者だったレイ・ミステリオとビリー・キッドマンが所持している。

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  • WCW世界ライトヘビー級王座…WCW世界クルーザー級王座参照。
  • WCW世界TV王座…前座選手兼仕事がないトップ選手ご用達の王座。ベルトは崩壊時に姿をくらまし、オークションに出品されてしまった‥
  • WCW世界ハードコア王座…1999年に創設。名前の割にハードコア系の選手で獲得したのはテリー・ファンクのみで要は前座用の王座。
  • WCW世界女子ヘビー級王座…WWEの王座と異なり当時提携していたGAEAの為に作られた泡沫王座。初代王者は北斗晶
  • WCW世界女子クルーザー級王座…これも日本のGAEAの為に作られた泡沫王座。1997年に封印。
  • WCWインターナショナル王座…ベルトが一時期フレアー・ベルトであったこと以外誰も覚えていない空気の様な王座。
  • WCW US王座…WWEで言う所のインターコンチネンタル王座位の王座。日本人では意外にも佐々木健介が、WWF買収後にTAJIRIが獲得している。現WWE US王座。
  • WCW USタッグ王座…NWAから引き継いだ王座。1992年に封印。

歴史


初期


TBSの子会社という特質性もありWCWの社長は親会社の顧問弁護士などが務め、実権は本社から派遣された副社長が握る組織であった。
その為、最初の副社長はプロレス番組に少しだけ関わった事しかないジム・ハードという人間でまあ凄まじいまでに陳腐なギミックばかり提案し、中でも一番酷いのが当時団体を代表するスーパースターであったリック・フレアーに対して「古代の剣闘士」スパルタクスという意味不明なギミックチェンジを要求したほどであった。これに激怒したフレアーは「フレアーベルト」と呼ばれたWCW王座のベルトを持ってWWFへと移籍するなど早くも混乱してた。
この頃のWCWについてはリック・フレアーの自伝に詳しく書いてあるのでそちらをご参照頂きたい。
この頃の主力選手は末期NWA時代のスターであったレックス・ルガー、ビッグバン・ベイダー、スティングである。
後この頃のWCW王者には後年WWFで「Dammおじさん」として有名なロン・シモンズがなったりもしていた。

エリック・ビショフの登場とMonday Night War勃発

WCWが所謂「NWA」の影響を色濃く残していた団体から変わるきっかけになったのは1994年、前年WWFから古巣に戻ってきたリック・フレアーがかつてWWFへの就職が失敗し1991年にWCWへ入社、リングアナウンサーを務めていたエリック・ビショフを副社長に推薦・就任した事であった。
当時「Monday Night Raw」を全国放送し、アメリカプロレスを席巻していたWWFに対する敵愾心に燃えていたビショフはWCWを前代未聞の方法で改革を始めた。
それは

引き抜き

であった。

億万長者テッド・ターナー率いるTBSの子会社で巨額の財源を使えるという利点を生かし、WWFから主力級のハルク・ホーガン、ランディ・サベージ、ジーン・オーカーランド等を引き抜いた。サベージの契約金は契約金600万ドル(約7億5千万円)とも言われ、同時に本来であれば選手に与えられるはずのないクリエイティブ・コントロール(自分の試合の勝敗やマイクアピールついて決定できる権利)も与えられると言う破格の契約だった。

そして翌1995年9月4日、「Monday Night Raw」と全く同じ日・時間帯に番組タイトルまでパクった「Monday Nitro」をスタートさせた。
そして第1回放送には前日までWWFに在籍していた元WCWのレックス・ルガーを引き抜き登場させるというサプライズまで行い、WWF側にケンカを吹っかけた。
これだけに留まらずビショフはWWFに在籍している元WCW所属のレスラーが負ける試合ばかり繰り返し放送したり、ロウが録画中継の時には番組内でWWF側の試合結果をネタバレするというタブーを平然と破りナイトロの生中継をアピールするなどした。

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更には当時WWF女子王者であったアランドラ・ブレイズを引き抜き、ナイトロの番組内で持参してきたWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てると言う前代未聞の行為を敢行した。
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これらの行為もあって視聴率は徐々にではあるがWCW側が勝つ日も増えた。
が、しかしこれらの行為は後年間接的にではあるがWCWを崩壊させる原因の一つとなった。

nWo誕生と全盛期


1996年に入りビショフの引き抜き工作は更に続き、当時WWFのトップスターであったディーゼルとレイザ―・ラモンにまで手が伸びた。
そして彼ら2人はWWFとの契約が残っているにも関わらずWCWへと移籍し1996年5月27日にスコット・ホール、翌週にはケビン・ナッシュが
「ジ・アウトサイダーズ」(WWFからの侵略者)と言うアングルで番組に登場した。
この件に関してはWWF側と裁判沙汰にまで発展した。
そして7月7日、PPVでのアウトサイダーズとWCW本体の試合中にハルク・ホーガンが乱入しヒールターンを果たし、nWoを結成した。

結成間もない頃のnWo

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試合中の乱入、本体側のレスラーへTシャツを渡すという形の公開勧誘、ベルトにスプレーで落書きするといった従来のヒールユニット斬新なコンセプトがウケ、この放送から83週間にわたってWCWはWWFに視聴率で勝ち続けると言う驚異の爆発的人気を生み出した。
そしてWCW生え抜きのスティングがこの頃映画クロウをモチーフとした白黒ペイントを施し怪奇派テイストのギミックチェンジを果たし、ホーガン率いるnWoとの抗争は97年12月28日のスターケードに至るまで続き、WCW/nWoの全盛期を代表するストーリーになった。
また、この頃になるとビショフの引き抜きはWWFに留まらず、メキシコのAAAからECW経由でラ・パルカ、レイ・ミステリオJr、シコシス、フベントゥ・ゲレーラ、コナン、エディ・ゲレロを、ECWからレイヴェンとサンドマン、日本からはウルティモ・ドラゴンや当時業務提携していた新日本プロレスから短期参戦という形で蝶野正洋とグレート・ムタが参加するなど正に登場選手全員がそれぞれのジャンルの一流選手であるオール・スター状態であった。

一方でこの頃、ビショフは1995年にある中堅選手を解雇していた。まさかその選手によってWCWを壊滅に追いやられる直接的要因になるとはその時思いもしなかったのであった。

月曜TV戦争のロウとナイトロの視聴率

WWFの逆転とフィンガーポーク・オブ・ドゥーム


一方のWWFは主力選手の引き抜かれた事もあって完全に後塵を押しており、廃業寸前に行くまで追いつめられていた。
その為、WWFは高額ギャラ選手の解雇を余儀なくされ、ブレット・ハートが選ばれた。
しかし、当時彼はWWF世界王者であり、上記のアランドラ・ブレイズの一件から移籍前の王座返上を求められ話がこじれた結果、
かのモントリオール事件が起きてしまいブレット・ハート以下多数の選手がWCWへと移籍した。
しかし、これによりビンス・マクマホンは権力を奮い好き勝手に団体を支配するという「極悪オーナー」のキャラクターを演じるようになり、
そのビンスの好敵手として一躍恰好を浴びたのがまめぐホイホイのスキンヘッドに髭を蓄え、誰に対しても中指を立て容赦なくぶちのめすテキサスの荒くれ喧嘩親父“ストーン・コールド”スティーブ・オースチンであり、労働者であるはずの選手が雇い主であるはずの団体の悪のオーナーをボコボコにするというストーリーがnWoを上回るほどの大人気ストーリーとなり1996年以来初めてとなる視聴率で勝利した。

伝説の失禁シーン。
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そう、スティーブ・オースチンはかつてエリック・ビショフが1995年に解雇した中堅選手その人であったのだ。
そしてオースチンに次ぐWWFの救世主ザ・ロックの人気沸騰やHHH率いるDXによる1998年4月27日のナイトロ襲撃事件等従来のプロレスから高度な筋書きと惜しみなく金をつぎ込むセグメント、そしてそれを見事に演じきれるタレント性と確かなレスリング技術を持つレスラーによるアティテュード路線によってWWFは1998年に入り視聴率戦争において優位に立った。

DXによるWCW侵攻(当時会場にいた蝶野曰く選手全員が「大パニック」になったとか‥)
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比べてWCWはnWo成功の影に隠れていた諸問題が噴出し始めていた。
特に極端なnWo優遇により「やられ役」を嫌う選手が次々にnWoに入り一時20人以上の大所帯となってしまった。
97年12月にスティングとの抗争が終わった後、nWoはホーガンとナッシュの不和から分裂ストーリーに入ったが、相変わらず試合は双方乱入を繰り返し不透明決着を繰り返すなどマンネリが続き、nWo人気は次第に陰りを見せるようになっていった。
しかし、この頃は無敵の超人ギミックで連勝し続けるビル・ゴールドバーグの人気もあり、ゴールドバーグがホーガンを倒してWCW世界王者になった1998年7月6日の放送ではロウに勝ったりする事もあった。

1999年までは双方5%以上の視聴率を稼いでおり一進一退の状態であった。が…1月4日、WCWにとって最初の致命的出来事が起きた。
フィンガーポーク・オブ・ドゥーム事件である。

こんな事茶番やってる裏でWWFは

ミックがWWF王座を獲得!みんなこっち見るよな‥
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事件の細かい経緯についてはWikiの方を参照してもらいたいが、この事件により折角無敵の超人ギミックに育て上げたゴールドバーグ及びWCW唯一の大ヒット商品であったnWoの商品価値の暴落、WCW世界王座の権威失墜、更にはかつてWWFを苦しめたはずの番組内でRAWの試合結果のネタバレが逆に仇となってRAWの試合結果見たさに視聴者を失った事は取り返しのつかない出来事であった。
これ以降WCWはTV視聴率で大きくWWF側に溝を開けられてしまった。

そしてこの頃もう1つWCWに致命傷を与える出来事が起こり始めていた。そう、若手の人材流出である。
1999年2月にはビック・ショーが、7月にはクリス・ジェリコがWCWからWWFへと移籍、今までnWoの影で冷や飯ぐらい状態であった両名は瞬く間にブレイクしWWFのトップスターの仲間入りを果たした。この後も2000年にエディ・ゲレロクリス・ベノワと後に世界ヘビー級王者やWWE王者になる次世代のエース候補が活躍の場を求めて自主的にWWFに移籍するなどかつて大金でトップスターを引き抜いたのと逆の現象が起こった。
その為WCWは人材の空洞化が一気に進み、試合のつまらないベテランと試合の出来ないルーキーのみの状態へと陥ってしまった。

1999年9月には遂にエリック・ビショフが解雇され、体制を立て直すべくWWFからシナリオライターのビンス・ルッソーとエド・フェララを引き抜いた。
WWFでメインライターとして活躍した2人を引き抜く事でWWFの弱体化とWCW復活の一石二鳥を試みたのであった
しかし、皮肉にもこれがWCWを致命的破滅へと導く決定打となってしまった。

末期の迷走、そして崩壊へ


WWFでは数々の名シーンを書き上げたビンス・ルッソーであったが、あくまでそれは演じる側のWWFの選手のタレント性の高さやビンス・マクマホンが絶対的なクリエイティブ・コントロールを持っていたからこそできた事であった。
しかし、WCWでは前述の様にWWFから引き抜いたトップスターが契約でクリエイティブ・コントロールを保持しており、ルッソーの書くシナリオに従う訳もなくまたルッソーもWWF時代と変わらないようなアングルしか書かなかった。
その結果、メインで試合をする選手は脚本に従わず自分勝手に自分が勝つ試合しか合意せず、前座の選手がそれを務めると言うつまらない試合が続き、よしんば演じたとしても今までnWoに依存して自分のタレント性を磨かずぬるま湯につかっていた選手にWWFの様なアングルを演じられるわけもなく、視聴者には単なるWWFの下手な焼き直しに映り視聴者は更に離れた。
その為、WCWは単発的なネタや話題に走りがちになり、金に物を言わせてMegadeth、チャド・ブロック、KISSのコンサートを番組内で放映したりもしたが一過性のものにしかならなかった。(因みにジーン・シモンズ曰く1曲で200万とボロい話だったと自伝で回顧している)

2000年にはビンス・ルッソーが解雇され、かつてブッカーを務めた事があるケビン・サリバンが後任になったがそれによりエディとベノワがWWFに移籍した。
結局4月にはエリック・ビショフとビンス・ルッソーが復帰すると言う結局元に戻っただけになった…と思ったら甘かった‥

ここからが正にカオスの始まりであったのであった…
ざっと挙げるだけでも

  • 当時のECW王者を引き抜き番組に登場させるも訴訟を起こされ、あろうことか和解策としてECWのリングでWWF所属のレスラーに負け王座転落しWWFの優位性を逆に知らしめる。

  • 当時WCWが制作していた映画の主演俳優がWCW世界王者になる‥

  • 選手の12歳の息子や母親に試合をさせる…
何とWCW世界タッグ王者にまでなってしまった母上…本人より強そうなのは禁句

  • 重度のアルコール依存症に陥り、無断欠場にDVまで働いてたにも関わらず解雇できずにいたスコット・ホールを解雇したら、ケビン・ナッシュがシナリオを勝手に書き換えてリング上でホール解雇反対演説を行う。

  • ゴールドバーグをヒール転向させる。

  • トリプル・ケージ・マッチという狂気の沙汰としか思えないような試合を平気でナイトロで行う。

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  • 現場の最高責任者は毎週違う人が就任…挙句ディスコ・インフェルノやアーネスト“キャット”ミラーの様な前座レスラーが実権を握り、グレート・ムタやスティングに平然と勝つと言う有り得ない試合を連発する‥

  • ルチャ・レスラーにとってキャリヤを左右し本来であればPPVのメイン・イベント級の試合に等しいマスカラ・コントラマッチ(敗者はマスクを脱ぐ試合)を平気でPPVの前座やナイトロで行いレイ・ミステリオやシコシスを素顔にする。

素顔になったミステリオ

同じく素顔になったシコシス

  • WCW世界王座は毎週新チャンピオンが誕生するのは当たり前になる。2000年6月の移動だけ見ても

PPVの翌週フレアーが新WCWチャンピオン
       ↓
ルッソーがいきなり王座剥奪
       ↓         
ナイトロの王座決定戦でナッシュを破ったジャフ・ジャレットが王座に返り咲く
       ↓
2日後のサンダーで ナッシュがJJを破り新WCWチャンピオンに…
       ↓
5日後のナイトロでナッシュはフレアーに王座返還!
       ↓
その日の放送でJJがフレアーを破り王座に返り咲き。

なんていう状態が通常化する。(因みにWiki先生ではフレアーの後2度目のJJ戴冠までの間は抹消されている)

  • とうとうビンス・ルッソーが選手デビュー&WCW世界王者になる‥
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ともはやカオスとしか言いようがない状態が日常茶飯ごとになっており、2000年だけでもWCWの損失額は8000万ドルにも上った…
その頃TBS本体も経営不振でAOLに買収されグループ内の赤字会社の整理が始まり、WCWは売却or消滅すると言う話が現実味となった。

そして2001年3月23日、ビンス・マクマホンがWCWの買収を発表し、ここに月曜TV戦争とWCWは正式に終焉を迎えた。
WCWが持つ全てのパテント、WCWが持つNWA時代からの映像ソースと、25名のレスラーの契約を含む買収にも関わらず買収額はたったの3億円であった…
かつては数十億円もの利益を上げていたWCWの価値は既にそれくらいのものでしかなくなっていたのであった。

衰退の原因


当事者や非当事者関わらず様々な原因が挙げられているがここでは代表的且つ当事者が共通して証言している物だけを列挙する。

  • 人材育成
エリック・ビショフがテッド・ターナーの豊富な資金源を用いて大量にトップ・スターを引き抜きWCWを成功に導いたのは周知の事実であり、
ホーガン、フレアー、エディ、ジェリコの自伝や発言からもカネ払いの良さに「ATMビショフ」と呼ばれていた程であった。
しかし、それは同時に自前で人材を育成するという事を放棄していたと言う事を同じであった。
全盛期のWCWを見てもトップスターの内WWF出身者を除くとスティングとレックス・ルガー、リック・フレアー、ゴールドバーグ位しかおらず、
しかも前3人は正確にはNWA末期にデビュー・ブレイクした選手で純粋なWCWの選手はゴールドバーグのみの有様であった。
そのゴールドバーグの174連勝ギミックにしても明らかに貧弱なレスリング能力を隠す為に5分以内で試合を負わらせる必要があった苦肉の策と
当時トップ選手のつまらない不透明決着に不満を抱いていたファンにとって新鮮に映ったという2つの要因が重なってブレイクしたと言う状態だった。
皮肉な事に、アティテュード路線時代のWWFのトップスターの内、純粋にWWFでデビュー・成功したのはロックカート・アングル位なものでミック・フォーリーアンダーテイカーHHHストーン・コールド・スティーブ・オースチンに至るまで全員WCW在籍経験者なのであり、彼らはWCW時代はあまりぱっとせずWWFに移籍してキャラクターとタレント性を磨く事でトップ・スターまで登り詰めたのであり、決してWCWに人材がいなかったのではなく、いても育成しようとせず、ビンスのトップ・スターをカネの力で引き抜いて使っていたに過ぎなかったのである。

実はカオス時代の2000年にミリオネアーズ・クラブVsニューブラッドという世代交代アングルがあり、珍しく若手がベテランに勝つなどWCWも人材育成に本腰を入れた時期もあった…しかし、本来であれば主役になっているはずだったジェリコ・エディ・ベノワ・ビッグショーが次々と退団してしまった為、目ぼしい人材と言えばブッカーTやレイ・ミステリオぐらいしかおらず、本来ならミリオネアーズ・クラブ側にいるべきゴールドバーグやリック・スタイナー、ブレット・ハートが主役の状態で当然受けるはずがなかった。

WWF・WCWに両方在籍した事のあるブレット・ハートがインタビューで「ビンスのトップ・タレントを幾ら引き抜いてもそれをどう使っていいか分からない連中だった。レスリング・ビジネスを全く知らない人間がボスになってた」 とWCWの体質の根本的欠陥について正鵠を得た発言をしている。

  • 統制の欠如と安易なnWo依存
nWoは一時期社会現象と呼ばれるほどに爆発的人気を博し、当時提携していた新日本プロレスにも「nWo Japan」が誕生し町でnWoTシャツを着る人を見かけた人は
少なくなかった。しかしこのnWo人気があまりに大きくなり過ぎた為、エリック・ビショフとハルク・ホーガンを中心とした派閥が試合結果や脚本まで取り仕切る様になり、前述の様に「負け役」になりたくないレスラーが次々と加入した結果、只でさえ歯止めのきいていない現場の統制は次第に崩壊していった。
それに加えて一部のベテランレスラーにクリエイティブ・コントロールを与えたのが災いして99年以降のケビン・ナッシュを中心とした一部レスラーの横暴を許しそれが末期のあのどうしようもないカオスへと繋がったのであった。

それに対してWWFはクリックの様な似たような派閥はあったものの、ビンス・マクマホンを絶対とした現場統制を取っており、どんなベテラン選手でも逆らえば解雇する一方で多くの若手にチャンスを与えた事がどんなに人材を引き抜かれても新たなスターを生み出した要因であるとされている。

  • ベテランの功罪
一時期はWWFを窮地に追い込み、WCWに全盛期を齎したWWFからの引き抜きベテランレスラーであったが、結局は彼らがWCWを壊滅へと追いやったA級戦犯である。
少し例を挙げるだけでも

  • 縁故採用で甥っ子やブルータス・ビーフケーキを雇わせたり、nWoでの成功に思い上がって大統領選に出馬宣言したり(後に撤回)、WWF離脱の原因になった俳優活動にのめり込んだ挙句「家族と過ごしたい」と崩壊直前にバックれたハルク・ホーガン。

  • 重度の薬物&アルコール中毒で交通事故&DV&無断欠場を繰り返し98年には56歳のおばさんにわいせつ行為をしたとして逮捕されたスコット・ホール。
(それでもナッシュの影響で2000年まで解雇できなかった)

  • そんなホールを庇い、脚本無視で解雇反対演説をしたり、自分が勝ちたい為に権力乱用してゴールドバーグの連勝ギミックを173で止め、フィンガーポーク・オブ・ドゥーム事件まで起こし末期のカオスの元凶となったケビン・ナッシュ。

  • 高額な契約金で移籍したものの、全盛期とは比べ物にならないくらい活躍せず辞めたロディ・バイパー、アルティメット・ウォーリア―、ブレット・ハート、シッド・ビシャスといった元WWF王者達。

といった具合である。

そもそも言えばナイトロの初回放送(1995年)と最終回(2001年)のメインの試合がスティングVsリック・フレアーと全く同じな時点でいかにWCWのトップの顔ぶれが変わっていないか理解いただけると思う。

以上の結果からWCWは負けるべくして負けたのである。
しかし、このWCWとWWFの生き馬の目を抜くような戦いが90年代のアメリカ・プロレス全体のレベルを底上げし今の繁栄に繋がっている事は紛れもないWCWの功績と言えると思う。

追記・修正はnWoが支配した。追記・修正したければnWoに加入しろ!

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