F-105

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F-105 - (2018/05/31 (木) 16:23:08) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2015/01/08 (木) 01:14:10
更新日:2024/02/19 Mon 22:19:41
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F-105は、アメリカにかつて存在した航空機メーカー「リパブリック・アビエーション(P-47の開発元)」が開発した爆g……戦闘機である。
空軍が保有していた機体の中でもつとに異彩を放つ“センチュリーシリーズ”の一角。
また、アメリカ空軍の思惑などからアホのような搭載能力を与えられており、「FとB間違えてんじゃね?」とさえ評されたことも。
だからサッドは戦闘機だっつってんだろいい加減にしろ!


性能諸元

全長:19.63m
全高:5.99m
翼幅:10.65m
翼面積:35.76m2
空虚重量:12.47t
運用時重量:16.17t
有効搭載量:6.70t
最大離陸重量:23.83t
動力:プラット・アンド・ホイットニー J75-P-19W アフターバーナー付ターボジェット(単発)
最大速度:マッハ2.1
戦闘行動半径:1,259km
最大航続距離:3,553km
実用上昇限度:14,783m
上昇率:195m/s
推力重量比:0.74
固定武装:M61 20mmバルカン砲1門(装弾数1028発)
爆装:爆弾倉に核爆弾1発、パイロン5基に最大6.70tの通常爆弾又は核爆弾3発
ミサイル:AIM-9 サイドワインダー 空対空ミサイル
     AGM-12 ブルパップ 空対地ミサイル
     AGM-45 シュライク 対レーダーミサイル
     AGM-78 スタンダードARM 対レーダーミサイルなど


開発経緯

開発の発端は、1951年にリパブリックが立ち上げた社内計画「アドヴァンスド・プロジェクト63(AP63)」だった。
これは、設計主任にP-47の設計を担当したアレキサンダー・カートベリを据え、同機から継承されてきたコンセプトである
「頑丈なボディに強力なエンジンを組み込み、高い火力と機動性と生存性を調和させる」をさらに高めると同時に、
同社のF-84の更新と侵攻時先制核攻撃任務への対応をも目論んだものだ。

このため、本機には侵攻時の機動性を担保するため、当時はまだ大がかりだった核爆弾を機内に収容するべく、
戦闘機としては初めて“爆撃任務用爆弾倉”を備えるに至った。
ゆえに本機は戦闘機としては巨大なボディサイズとなっており、当時の機体としては相当にゴツかった。
※センチュリーシリーズとして先行するF-101にも爆弾倉があるが、空対空ミサイル用のもので、爆撃用ではない。

52年3月に国防総省が受け取った設計案は、半年をかけた慎重な検討の結果、199機の調達と55年からの配備開始を内示される。
おそらくは、朝鮮戦争長期化を視野に入れた機体更新が目的だったのだろう。
これを受け、先に生産ラインを組み、先行量産機をテストしながらフィードバックする「クック・クレイギー方式」での生産が開始された。

しかし年明けて53年3月、朝鮮戦争休戦協定が締結。これでいきなり出鼻を挫かれ、発注機数が先行量産機37機と偵察機型9機に削減されてしまう。
こういう不慮の事態での生産ラインの縮小などに耐えられないのがクック・クレイギーの弱点だった。
さらに面倒事は重なるもので、モックアップ審査で搭載予定のアリソン製ターボジェットエンジン(開発中)が
「ちょーっと信頼性に疑問があるんじゃないかメーン?」とされ、暫定措置としてエンジンを変更することに。

さらにさらに、エリアルールの発見やNACA(NASAの前身)の開発したより高効率なインテークで一気に完成型へと進んだのだが、
またしてもクック・クレイギーが足を引っ張り、先行量産型と既に生産された機体へのフィードバックは不可能。
先行量産勇み足すぎワロタwwwwワロタ……

しかし、さすがはリパブリックが誇るカートベリの手になる機体だけのことはあり、先行量産(A型)初号機は55年10月22日の初飛行で
エリアルール未対応にもかかわらず音速を突破、降着装置の不具合で胴体着陸したがテストパイロットは無事など、
カートベリクォリティが健在であることを知らしめる。
より高出力なエンジンの搭載と新技術の導入を図ったB型試作初号機は、試験においてマッハ2への到達と先行機譲りの強靭さを遺憾なく発揮し、
晴れて57年1月より正式な発注が行われ、11月には情勢変化に伴うシステム面の強化が要求された。

なお、開発遅延やら発注やらなんやらのゴタゴタで、本来爆撃任務に使うつもりはなかったはずの
F-100とF-101が戦闘爆撃機として採用されちゃったりしている。
需要が増えてよかったな、ノースアメリカンとマクドネル・エアクラフト。

なお、本機(D型)を最終的に1,400機発注し、「今に見ていろ、戦略空軍に奪われた核攻撃もオレらが取り戻す!ヒャッハー!」
と意気軒昂だった空軍だったが、ケネディ政権下のキングオブドケチ、ミスター財政再建ことマクナマラ国務長官の
「どいつもこいつもホイホイ新型機作りやがって……コスト削減が優先だ、お前ら統合機使ってろ!」
という財務の皆さん的には福音だが軍人的にはメギドラダインな横槍を食らい、最大調達数が610機にまで減少。
余った予算はF-4空軍仕様の購入に回されることとなった。

ともかく、何やかんやありはしたものの、本機は無事に制式採用&配備にこぎつけたわけであった。


特徴

縦に太い胴体に高出力のエンジンと核攻撃用爆弾倉を収めており、全長は当時の機体と比べてもそう変わらないが、
これが重装攻撃タイプだ、と無言のうちに語る威圧的な外観をしている。
が、高速侵攻能力も同時に要求されたため、前から見ると意外にスリム。
太いのは縦方向だけ……ってこれ、P-47の項目でも言ったような?

主翼と一体化したインテークは外側を突き出させた構造になっているが、こうすることでより効率的な吸気が可能なんだとか。
その主翼は後退角の強いやや小ぶりなもので、高速侵攻性能を重視しているがゆえの設計といえる。
主翼レイアウトは中翼単葉。

兵装懸架用のパイロンは主翼下に2基ずつと、爆弾倉ドア部に1基の計5基。
爆弾倉にパイロンつけて大丈夫か、という話ではあるが、そもそも通常任務時には爆弾倉はデッドスペース化しかねない部位。
というか実戦投入時に燃料タンク用スペースになっていたのだから、予めそこにもパイロンを設けていたのは慧眼だろう。
20mmバルカンは機首レーダーユニットの左舷後方に内装されており、対地射撃も考慮してか装弾数が多め。

核攻撃一辺倒にならないよう、各種攻撃兵装の搭載能力はかなりのもの。
というか、クソ重い核爆弾を最大3発懸架+爆弾倉に1発格納という時点で何かがおかしい。
当時の核爆弾はデカくて重いので、その分の積載能力を通常爆装に置換すれば、そりゃ凄い事にはなる。

搭載量と最大速度を両立させるために、ボディはカートベリブランドの例に漏れず頑丈。
だが油圧系の抗靭性があまり強くなかったようで、被弾→油圧系損傷→墜落というケースが多かった。
そのため、対策された後発機では予備の油圧系が追加されている。

大出力エンジンとエリアルール適用など新技術導入で最大速度こそマッハ2超だが、莫大な搭載量や頑丈な構造が祟って
重量が嵩み、運動能力は低い。爆装時?空戦なんて考えられるわけないじゃねーの。
が、「FとB間違えてんじゃね?」とまで言われた爆撃能力は確かなもので、米空軍から軽爆撃機というカテゴリーを撤廃せしめたほど。


戦歴

ベトナム戦争当初の4年間、本機は北爆のうち実に75%をも担当していた。高速かつ大容量の搭載能力を持つ本機だからこその大抜擢である。
……のだが、核爆弾収容用の爆弾倉は通常爆弾内装には不適で、爆弾倉はもっぱら燃料タンクの収納に用いられていたり。
何なんだろうね、この……うん、この、何?

まあともかく、ベトコンは消毒だー!と任務に勤しんでいたわけだが、旧式のはずのMiG-17に撃墜されるというまさかの醜態を晒し、
「戦闘機としてはいらないね」という熱い風評被害を受け、マッハ1級であるF-100に護衛されるという恥辱を受けた。
実際には、アフターバーナーガン吹かしでマッハ2級とバーナーなしで音速ならば、燃費やら考えると前者のほうが高コストなのは密に、密に。

とはいえこれにはカラクリがあって、ベトコン側は本機の爆撃を失敗させたい。なので爆装した本機に襲いかかる。
その際はとっとと爆弾をパージして迎撃の構えを見せれば、すぐさま敵はトンズラこくのである。
爆弾捨てたら任務失敗なのだから、こんなハッタリでも妨害できたわけだ。
そして任務にこだわって爆装したままの鈍亀には、前から後ろから集団レイプで撃墜というのが真相である。

まあ、低高度侵入からの核攻撃や、機動性を活かした一撃離脱の制空任務ならいざ知らず、中高度での水平爆撃ってそりゃおめー、
第二次大戦時の爆撃機じゃあるめーし、という話でもあったりはする。そりゃ旧式機にいいように嬲られるってもんだ。
どう考えても戦闘爆撃機に特化しすぎた米軍の戦略的判断ミスです、本当にありがとうございました。

一応彼らの名誉のために言い添えておくと、果敢に迎撃行動に出た機体は撃墜記録27.5機を残しており、戦闘機失格という汚名は返上した。
なお、0.5機分はF-4との共同撃墜。
その撃墜記録の大半は機関砲によるもの(うち2機がAIM-9での撃墜)で、本機の戦訓と機銃未搭載機の空戦での苦戦が、
「ミサイル最高!機銃なんていらなかった!」とミサイル万能論にドハマりダブルピース状態だった米空軍&海軍上層部の脳味噌を強烈にシバキ倒し、格闘戦への見直しを進めるきっかけになった。皮肉というか、何というか……

F-4の参戦に伴い、消耗したF-105もどうにか一息つけたわけだが、これで仕事納めではない。
機動性と搭載能力を買われ、複座訓練機のうち6割がワイルド・ウィーゼル仕様に改修され、支援任務についたのだ。
結果として北爆の主力、そして過酷なワイルド・ウィーゼル任務に酷使された本機は、D/F型の総生産機数751機中
約半数を戦時喪失し、さらに51機を運用上トラブルで喪失した。

ベトナムからの帰還後は喪失してなかった機体も激戦が祟って摩耗あるいは損傷しており、とてもではないが次の戦争には備えられなかった。
そのため空軍州兵等の後方任務機として半ば払い下げられ、83年5月25日のジョージア州兵によるフライトを最後にその奉公を終えた。
有り体に言えば、ベトナム戦争で唯一「使い切られた」戦闘機であるといえるだろう。

ちなみに、本機の頑強性を示すエピソードにこんなのがある。
ベトナム戦争に従軍していたとある機体がある日、対空ミサイルの直撃を受けてしまった。
しかし、そこはミサイル実用化からそんなに経ってない御時世。ミサイルの信頼性、特にゲリラすれすれな連中の扱ってるもんなんぞ、
文字通り投げ捨てられるレベルであり、本機に突っ込んできたものも案の定というか御多分に漏れずというか、例によって不発。
さてこのパイロット、どうしたかというと……なんと機体にブッ刺さった不発弾をぶら下げたまま帰還しやがったのである。
空域、整備班、帰投時の管制官など、ありとあらゆる目撃者が顎を外したであろうことは想像に難くない。
不発とはいえ、よくそんなもんぶら下げたまま戻る気になったな……

愛称関連のあれこれ

ペットネームの“サンダーチーフ”は同社のシリーズの伝統“サンダー○○”に則ったものだが、それ以外にも多数の愛称を頂戴している。
当時としては屈指の大出力であり、同時にうるささにも定評のあったエンジンにちなんで“サッド(重く鈍い衝撃音、転じて爆装時の鈍重さへの自虐)”
アホみたいに爆装して、地面を掘り返す勢いで爆撃する絵面から“ハイパーホッグ(超スゴい猪)”“スカッシュボマー(叩き潰すが如き爆撃機)”
センチュリーシリーズ5番機であることにちなんで“ザ・ニッケル(5セント硬貨、転じて一握りだけど今この時には重要なもの)”
空戦に爆撃に核攻撃までこなせる運用性の高さから“ワン・マン・エアフォース(読んで字の如く、一人空軍)”
毎度頑丈な機体を作るメーカーに敬意を表した“リパブリック鉄工(おそらく例のアレが由来?)”あたりが有名どころ。


バリエーション

○YF-105A
最初期試作型。エリアルールやNACAのインテーク適用前なので、形状が制式機とはだいぶ違う。
2機製造された。

○YF-105B
次世代技術適合改修を施した第二次試作型。現在知られるサンダーチーフの原型。
4機が製造された。

○F-105B
YF-105Bをラインに乗せた初期生産型。総生産数は75機。

○RF-105B
偵察機型。17機発注されたが発注縮小で9機に減らされ、さらに減らされた分もコストに見合わないとしてキャンセル。
しょうがないので3機が改修されて各種実験機(JF-105B)として運用された。残り?知ら管

○F-105C
B型ベースの複座訓練機……だったのだが、なぜか計画中止。

○F-105D
レーダーの更新で全天候運用能力を獲得した主力生産型。
シリーズ最多の610機が生産されたが、ベトナム戦争に投入された結果、喪失数もシリーズ最多。

○F-105E
D型ベースの複座訓練機。要はC型計画の再提出。
やっぱり計画中止。

○F-105F
三度目の正直で採用された複座訓練機最終仕様。これまで未採用なのはワンピースキャノピーのせいという噂。生産数は143機。
元から複座であるという点を活かし、総生産数の6割がワイルド・ウィーゼル仕様に改修された。
ワイルド・ウィーゼル任務には高速かつ大火力な機体が不可欠なので、本機には適任だったといえる。

○EF-105F
ワイルド・ウィーゼル仕様に改修されたF-105F。通称“ワイルド・ウィーゼル2”。
86機が改修された。

○F-105G
ワイルド・ウィーゼル仕様最終改修型。パイロンに懸架していたECMポッドを胴体半埋め込み式にするなどのスリム化がメイン。
61機がEF-105Fからアップグレードされたが、F-4に後任を託し現在は全機退役。
そのF-4もF-16にその任を譲っている。




追記・修正は本機でベトナム戦争に従軍、SEAD任務を完遂してからお願いします。

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