WWE殿堂

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WWE殿堂 - (2014/05/25 (日) 00:24:03) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/09/12(水) 09:58:26
更新日:2024/03/07 Thu 12:31:49
所要時間:約 4 分で読めます




WWE殿堂(WWE Hole Of Fame)とはアメリカのプロレス団体WWEが主催する、プロレスにおいて多大な業績を残した人物を表彰する制度である。なお、表彰の対象はレスラーに限られてはいない。




◆設立の背景
1993年に、アンドレ・ザ・ジャイアントが急逝。これを受けてWWF(World Wrestling Federation/後のWWE)が彼の生前の功績を讃える目的で創設。この当時は選定した結果を公表して、独立した式典を開催して(規模はあまり大きくない)表彰式を行っていた。その後、1996年を最後に式典は行われなくなった。



しかし2004年になり、8年ぶりに復活。さらに表彰式も同団体最大の興業イベントであるレッスルマニアの前日に行われる前夜祭的なイベントとなり、表彰も盛大に行われることとなった。レッスルマニア本編の最中にも殿堂入りを果たした人物を紹介する時間が必ず設けられる。
式典は、殿堂者の紹介をプレゼンター(殿堂者と縁の深い人物が担当)のスピーチと懐かしの映像で行い、その後本人(故人の場合はその家族)が登場してスピーチをする。スピーチはアメリカンジョークが飛び交い、会場は終始和やかな雰囲気である。式典の模様はレッスルマニアのDVDに収録されている(ただし、2004年は収録されず)。


◆主な殿堂者(選出された年)
プロレスラーに限らずマネージャーやプロモーター、アナウンサーなど多岐な分野に及び、なぜか野球選手やボクサーもいる(後述)。


  • アンドレ・ザ・ジャイアント(1993年)
前述の通り。

  • フレッド・ブラッシー(1994年)
親日家で知られる銀髪鬼。
彼には永久雇用契約があったため、現場引退後も死去する最期の日までファイトマネーが支給されていた。

  • ファビュラス・ムーラ(1995年)
女性で殿堂入り第1号。彼女の持つ王座奪取最高齢記録76歳3ヶ月は誰にも破られないだろう。

  • ビンス・マクマホン・シニア(1996年)
WWEの創業者にして、現会長ビンスの父上。アメリカ武者修行中の馬場をトップレスラーに起用するなど、日本との関わりも深い。

  • ピート・ローズ(2004年)
元メジャーリーガーにして4265安打という大記録をもつガチガチの野球選手。
同じニックネームつながりでケインの試合に乱入してツームストーンを喰らうなど体を張った客演をした。
ピートの殿堂入りに関しては、諸般の事情で野球殿堂入りが困難なため、ビンスが計らったとされている。


  • ハルク・ホーガン(2005年)
説明不要のアメリカを代表するプロレスラー。式典のプレゼンターは、あのシルベスター・スタローンが務めた。

  • バーン・ガニア(2006年)
AWAの帝王と言われた人物。
彼の殿堂入りをきっかけとして、WWEの歴史に一切登場しない人物も殿堂入りするようになった。

前年11月に急逝したラティーノ・ヒート。この時、式典会場の観客の涙腺は完膚なまでに崩壊した。

  • ダスティ・ローズ(2007年)
配管工の息子がチャンピオンになってアメリカンドリームを達成。なお式典では息子のゴールダスト、コーディと公式初の親子3ショットを披露。

唯一、現役中に殿堂入りした人物(選出時に他団体所属は除く)。
スピーチの際、感極まって号泣した。翌年、自分で笑いのネタにした。
2012年にフォー・ホースメンの一員として史上初2度目の殿堂入りを果たした。

今日のWWE隆盛の最大の功労者。プレゼンターはビンスが務めた。


  • アントニオ猪木(2010年)
日本人初の選出。プレゼンターはホーガンかフレアー…と思いきやお二方とも大人の事情で参加できず、スタン・ハンセンが務めた。
「ダァーッ」もやった。日本じゃなかったから会場の雰囲気は微妙だったけど。

長年WWEを支えてきたハートブレイクキッド。スピーチの後にステージ上にクリックが集結した。

  • マイク・タイソン(2012年)
耳噛みつき事件などで知られるボクシングの問題児。
一時期、D-Xに参加していた縁で選出された。タイソンやピート・ローズなどは「有名人部門」と呼ばれる。

  • ブルーノ・サンマルチノ(2013年)
WWWF時代の頃のチャンピオンとして君臨し「MSGの帝王」「人間発電所」と呼ばれた。
馬場さんの友人。
WWE王座7年6か月保持は今後永久に破られることない。
1984年以降のWWEの全米制覇路線を拒絶し、今のビンスと犬猿の仲になった為ここ30年間WWEと絶縁していたが、ビンスの婿である
トリプルHの懸命な説得に応じ、ついに殿堂入りを果たした。

  • ミック・フォーリー(2013年)
90年代のアテチュード路線を支えたミスター・ハードコア。
98年のテイカ-とヘル・イン・ア・セルはもはや伝説的な試合。

  • ボブ・バックランド(2013年)
80年代のWWEのトップにいた人。
日本で猪木がWWE王者に就いた(現在は認められてない)時戦ったのはこの人。

  • トリッシュ・ストラタス(2013年)
ディーバ路線の立役者。
今までお色気路線か純プロレス路線しかいなかったディーバに初めて両立路線を確立した。
WWE女子王座6度獲得&女子初のTLC(リタ戦)など様々な事に挑戦し記録にも記憶にも残る人。

  • ブッカーT(2013年)
WCW世界王座5回獲得しWCW末期のスターだった。
WCW倒産後WWEに移籍し他のレスラーが次々と解雇されていく中RVDと共にしぶとく生き残った。
「5 Times Champion」がキャラ設定であった為、実力があったにも関わらず中々世界王者になれなかったがキング・ブッカーにギミック変更した後
念願の世界王座を獲得。その後一度解雇されTNAに移籍して暫く活躍するが、WWEに解説者として復帰後現在はGMを務める。

  • ドナルド・トランプ(2013年)
セレブリティ枠。ビンスとのレッスルマニア23との髪切りマッチは有名。

◆今後、殿堂入りが見込まれる人物、ユニット(現役は除く)

アルティメット・ウォリアー
キラー・カーン
スタイナー・ブラザーズ
オーウェン・ハート
レックス・ルガー
スティング
ポール・ベアラー
ジョン・ブラッドショー・レイフィールド
ニューエイジ・アウトローズ
ジョーイ・スタイルズ
チャイナ
リリアン・ガルシア
アンダーテイカ-
DX
nWo




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