Bf109

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Bf109 - (2014/09/03 (水) 00:00:15) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2009/06/10 (水) 19:29:49
更新日:2022/11/09 Wed 23:01:57
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 Bf109とは、スペイン動乱から第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。1934年バイエルン航空機製造(Die Bayerische Flugzeugwerke/BFW)で開発が開始され、翌1935年生産を開始した。設計主任は、かつてBf108を設計したロベルト・ルッサー技師(ここ重要)。
 後にバイエルン航空機製造はメッサーシュミット社となった為、Bf109E以降の機体はMe Bf109Eと表記される場合もある。知名度が高く陸のタイガー戦車・海のUボートと並んで空のBf109と位置付けられている。

 1937年のスペイン内乱に際して,ドイツは1935年に初飛行したBf109の初期生産型機3個飛行隊を派遣して機体の実戦経験を積ませ、また空中戦闘のノウハウを得、それによって第二次世界大戦が始まった頃には、Bf109は戦訓を取り込んだE型に切り替わりつつあり、大戦初期から中期にかけて、向かうところ敵なしの戦闘機であった。アフリカ戦線から東部戦線までドイツ軍の全戦域で活躍したが、いくつか欠点を抱えながら運用されていた。日本の零戦が丸っこいデザインであるのに対し角張ったデザインとやや小さいスタイルが目を引く。


◇機体特性
 いろいろ問題点はあったがそれを補う利点があり採用された。設計したロベルト・ルッサー技師は以前に作った機体がBf108タイフンという単発スポーツ機だったのだからよく見ればBf109と共通の部分が多いのがわかる。単発スポーツ機ということであえて言えばがそんな遠くまで飛ぶ必要はなかったし地続きの国だったから足が短くても問題視されなかった。それは戦闘機にしても同じで、当時の主流であったドゥーエの空中艦隊論や高速爆撃機思想の影響で航続距離は重視されなかった。よく戦闘機は機動性が要求されるが、熟練パイロットならいざ知らず再軍備から約10年の当時のドイツでは一部のパイロット以外王立空軍相手に格闘戦など自殺行為である。そのため、一撃離脱戦術を効率よく出来る戦闘機が求められたという当時のドイツ特有の理由もありBf109が採用された。 しかし、案の定航続性能は非常に残念な結果であった。燃料タンクが小さい為王立空軍の機銃のシャワーを浴びても帰還することが出来た。また、ドイツ空軍は陸軍を支援する戦術空軍として成り立っており遠くまで行く戦略空軍としての機能は皆無だった。

◆主な問題点

航続距離が短く滞空時間がそんなにない
……諸悪の根元。
主脚の左右間隔が狭いため地上走行中の安定性欠如
エンジンが燃料噴射(インジェクション)式
武装が威力不足

こんなにある。

改めて説明することでもないが、戦闘機は小さな機体に極限なまでの性能を要求しなければならず、滞空時間に関しては最も重要視しなければならないはずだ。よって設計するに当たってはより一層努力しなければならない。

何が言いたいかって。

民間機を取り扱うロベルト・ルッサーが設計したことにより、この結果、ドイツ軍の矢先に立たねばならないBf109が、第一次世界大戦レベルの性能の機体に落ちぶれたのである。本来、戦闘機なら性能低下を起こしてはならないのにどうしてこうなった。よくよくスペックを見るとBf108は最大で1000km飛べるのにBf109はそれを下回っている。

【航続距離】
航続距離が短いのは同時期のイギリスやフランス、ソビエトの機体にも見受けられるがそれは仮想敵国が地続きだからこそである。が、ドイツの場合この航続距離が短いのは恐ろしい欠陥を意味していた。事実、バトル・オブ・ブリテンにおける敗因の1つにこのBf109の航続距離の無さがあげられている。占領したフランスから飛び立ってドーバー海峡を横断し、イギリス上空に到達したところ滞空時間がわずか15分、日本的に言えばアニメの放送時間の1/2しか飛んでいられなかった事になる。その航続距離は全型式を見ても一番長いものでたったの660km。これは同じ引き込み式の降着装置を持つ単座戦闘機・一式戦闘機「隼」が増槽なしで1,630kmだったことを考えるとこれは大いに短すぎる。これにより、爆撃機の護衛がほとんど出来ず損害が増加する要因になった。結局、Bf109には増槽が追加されるわけだが元々増槽をつけて飛ぶような設計をされておらず直ぐに燃料漏れを起こして延伸型の配備は大いに遅れた。スピットファイアが最終的に型式を重ねていく内に航続距離を伸ばして1,840kmも伸ばしたことを考えるとBf109は様々な意味で使い物にならなかったのである。ただし、偵察型は違ったようで大幅な改良を加え1,000km以上飛べるようになった。

【燃料噴射式エンジン】
また、エンジンが燃料噴射式であるのも大いに問題になった。この燃料噴射式の特徴として、Gや降下角度に問わずエンジン内で燃料を噴射し燃焼速度を早めることにより急加速を実現。速度低下を起こさないという利点があった。が、冷静に考えてほしい。Bf109は航続距離が短い。つまり機体内部に積める燃料が少ないのである。こんな技を実際に使うと、すぐに燃料切れを起こして墜落してしまう。が、ドイツ人は問題視しなかっただろう。どうせ陸上機だから。イギリスではスピットファイアがエンジンの強化を行っていたのに対しBf109は満足な改良がされず性能は向上せど他国の戦闘機に匹敵するほどではなかった。

【主脚の間の狭さ】
これも致命的な問題である。実際、足と足の内側が狭い飛行機としてはアメリカのグラマンF4F、ソ連のI-15,I-153チャイカが挙げられるがこれらの機体は足と足の内側が狭くよく着陸やタキシングをする際に事故を起こした。Bf109も同じ事でやはり事故を起こしていたのである。加えて、脚注の強度が不足しており着陸するだけで折れたとか・・・・。対するスピットファイアは十分なスペースを取っており事故を起こすことはなかった。

【武装】
元々はモーターカノンと呼ばれるプロペラ軸を通して発射される機関砲を搭載する予定だった。が、なんと震動の問題から搭載できなかった。これにより、初期は機首上部にある同調装置付の機関銃で迎え撃つしかなかった。また、主翼内にも武装が搭載できないという問題点があった。この部分は日本の隼と共通している。ただ、日本と違って隼が最後まで翼の中に武装を搭載できなかったのに対しBf109は無理矢理武装を翼の中におさめた。が、サイズが合わず苦労したという。搭載は出来たのだが発射速度や安定性が欠如し更なる性能低下を招いた。

ここまで問題を抱えた機体だったが、意外にも大量生産され戦闘機ではダントツであった。アメリカより多いのである。ジェット機が実用化するまでの時間稼ぎにみえる。

陸上機として生産されていたBf109は迎撃性能だけが取り柄で戦闘機としての任務はMe262で実現する(ただしヒトラーの意見で爆撃機として序盤は使われたが)。が、イギリスがスピットファイアを艦上機にしてシーファイアにしたのに対しドイツもBf109Tなる艦上機型を製作している。しかし、上に挙げた欠陥を見ていると傑作機になれるはずはなかった。仮にエンジンや武装がなんとかなったとしても海を飛び続ける艦上機でありながら航続距離が短いのは致命傷なのだから。結局、その空母(グラーフ・ツェッペリン)自体が未成で終わった。その後も艦上機型としてはJu87C位しかないため現在でもドイツの艦上戦闘機といえばこのBf109Tを挙げるしかない。 

 終戦までに製造されたBf109はここまで失墜した機体でありながら3万機を超え(正確な数字は大戦末期の爆撃による混乱のため不明)、これを凌ぐ生産機数はソビエトのIl-2だけである。Bf109はドイツ以外の枢軸系各国でも使用され、フィンランドのエース、ユーティライネンも撃墜数のうち半数以上がBf109G搭乗によるものであった。

Bf109はJu87と共に少数が日本陸軍で運用されたことでも知られる。評価?そんなのお察しである。

【実戦】
そんなこんなで問題を抱えたBf109はスペイン内乱で実戦デビューを果たした。が、意外にも戦果を挙げている。というのも戦った相手はI-16やI-153といった機体であり後に東部戦線で挑むことになるラヴォチキンやヤコヴレフの戦闘機よりは二枚目だったからだ。更に、ポーランド電撃戦ではスツーカやHe111と共にポーランド軍の殲滅に励んだのである。やがてポーランドからフランスへと戦線を移しドボアチンやモラール・ソルニエといった戦闘機とも戦った。ここまで書くと順風満帆かもしれない。

【無敵神話の崩壊】
が、次いで始められた英国本土航空戦であるバトル・オブ・ブリテンでBf109の存在意義は低下した。航続距離が短いが故に爆撃機や攻撃機を護衛できなかったからである。これにより爆撃機や攻撃機は次々と撃墜された。ドイツ区軍で滞空時間が長かったのはBf110やJu87,He111といった機体であり、いずれも大型機ばっかし。これらの機体だけで、軽快なイギリス空軍の戦闘機を迎え撃つのは容易ではなかった。むしろBf109が燃料不足で帰投した後に狙われた機体が後を絶たなかったのである。余談だが、ドイツの上層部に対して兵士の1人が「自分らの機体をスピットファイアにしてください」と申告したという。この台詞、映画「空軍大戦略」でも使われている。増槽を付ければ飛べる時間は長くなるが、当然空戦機能は低下する。これに加え爆撃目標が飛行場から都市に切り替えられた(この間にイギリス空軍は息を吹き返す)事も重なって作戦は失敗した。というか、たった数十キロしかないドーバー海峡なんて制空権とる必要ないだろう・・・・。

【その後】
結局、零戦より早くボロを出したBf109は方針変更により独ソ戦に使われることになる。この場においてBf109は劈頭であるバルバロッサ作戦で多数の戦闘機を撃破し優位な立場に導いた。これはソ連が地続きだっただけでなく奇襲が成功したためである。しかし、Bf109は液冷エンジンである。冬まで戦闘が続くとは想定していなかったため戦車や重火器共々冬場は凍り付いて稼働率が低下した。

【エルベ特別攻撃隊】
足が短いBf109にもこんな使われ方があった。それがこのエルベ特別攻撃隊である。大戦末期、それも制空権も握られた頃にBf109を連合軍の爆撃機に体当たりさせ撃墜するという戦法が実施された。元ネタは言うまでもなく日本の特攻隊だ。ただ、こちらは日本の生きて帰れないということはなく衝突する瞬間にパラシュートで脱出するという生き残るすべを残している。他にもFw190も使われているが短期間の内に作戦は終了した。理由は戦火と損失が釣り合わないとのこと。

◇戦後の発展型
  • イスパノHA-1112-K1L/M1L
 スペインはWW2中は戦時中立を宣言したため、ドイツからBf109F14機とBf109G-2ライセンス生産権を得たが、エンジンまでは手が回らず、イスパノ社は仕方なくフランス製HS12Z17を搭載したHA-1112-K1Lを69機生産したが、部隊配備は戦後になってしまった。
 1956年にはエンジンをRRマリーン500-45にしたM1Lに発展したが、最早機種周りは全くの別物であった。58年までに170機が生産され、1967年までスペイン空軍で使用された。
 K1Lは「撃墜王アフリカの星」のマルセイユのBf109F-4役、M1Lは「空軍大戦略」のBf109Eと仮想ハリケーン役でそれぞれ映画に出ている。
  • アビアS-99/199
 ドイツ撤退後のチェコスロバキアのアビア社で、22機製造されたBf109G-12/14は国防用戦闘機アビアS99として主に停戦監視の役割で新生チェコスロバキア空軍で使われた。
1947年にはエンジンをHe111-H用のjumo211FにしたS-199になり1950年代半ばまで使用された。機首周りはまるでTa152の様だが、イスパノよりもドイツ機らしい。
 単座戦闘機型551機と複座型のCS-199が58機生産されたが、そのうちの25機がイスラエルに輸出され。初のイスラエル空軍戦闘機になった。自分たちユダヤ人を迫害した国の機体を使用するとは、皮肉なものである。



 各型には該当するアルファベットの頭文字に対応した、非公式な愛称として、ドイツ人によく見られる人名などが付けられている。

Bf109Aアウグスト:初期生産型。

Bf109Bベルタ:ユモ210Eエンジンを搭載した改良型。スペイン動乱初期の主力機となった。

Bf109Cツェーザー:主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけて少数が使用された。機首上面と翼内に各2門のMG17機関銃を装備した。20mmMGFF機関砲を搭載することが予定されたC-3は生産されなかった。なお、「ツェーザー」は人名のほか、ローマ帝国皇帝カエサルを特に指す固有名詞的な使い方もされる。

Bf109Dドーラ:ユモ210を搭載した機体で、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけてある程度の機数が使用されたが、すぐにBf109Eが登場したため戦場に長くは留まらなかった。某漫画のドーラと聞くとこれを思い出す人はなかなかの空軍好きである。

Bf109Eエーミル:ダイムラー・ベンツ製エンジンDB601Aを搭載した機体で、初期の主力機となった。後期型では出力向上させたDB601Nも使用された。

Bf109Fフリードリヒ/フリッツ
 DB601N及び改良されたDB601Eエンジンが搭載された機体。空気抵抗を減少させる設計に刷新された。大きな性能向上を果たし、大戦中期の主力機となった。

Bf109Gグスタフ
 DB605エンジンを搭載した機体。多数の派生型が開発され、後期の主力機となった。

Bf109Kクーアフュルスト
 量産された最後の機体。生産工場が爆撃にあったことや、終戦を迎えてしまったことから不遇の機体。なお、「クーアフュルスト」とは「選帝侯」のこと。戦争末期に完成し2機のみ配備されたK-14型では2段2速過給器付きDB605Lを搭載し、高度14000mで740km/hとされている。

Bf109Tトレーガーフルークツォイク
 E-3型にカタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長と翼端を折りたたみ式に改造した艦上戦闘機型。航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」に搭載する予定だった。フィゼラー社担当でまず先行量産型T-0型を10機製作、E-4/N型ベースのT-1型60機の量産が進められた。しかし肝心の空母が未完成に終わったため、完成した機体から艦載用装備を撤去、ノルウェーや北西ドイツの陸上基地で部隊運用された。

Bf109Zツヴィリング
 2機のBf109Fを合体させて双発機とした機体。実用化されなかった。 どう考えても変態兵器。しかしF-82 ツインムスタングの例もあるので一概には言えない。

Bf109Wヴァッサーフルークツオイク
 水上機型。二式水戦?違います

Me109TL
 ガスタービンジェットエンジンを搭載した、109ベースのジェット戦闘機


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