Bf109

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Bf109 - (2013/06/07 (金) 11:23:11) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2009/06/10(水) 19:29:49
更新日:2022/11/09 Wed 23:01:57
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 Bf109とは、スペイン動乱から第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。1934年バイエルン航空機製造(Die Bayerische Flugzeugwerke/BFW)で開発が開始され、翌1935年生産を開始した。設計主任は、かつてBf108を設計したロベルト・ルッサー技師。
 後にバイエルン航空機製造はメッサーシュミット社となった為、Bf109E以降の機体はMe Bf109Eと表記される場合もある。

 1937年のスペイン内乱に際して,ドイツは1935年に初飛行したBf109の初期生産型機3個飛行隊を派遣して機体の実戦経験を積ませ、また空中戦闘のノウハウを得、それによって第二次世界大戦が始まった頃には、Bf109は戦訓を取り込んだE型に切り替わりつつあり、大戦初期から中期にかけて、向かうところ敵なしの戦闘機であった。アフリカ戦線から東部戦線までドイツ軍の全戦域で活躍したが、いくつかの重大な欠点もあった。

◇機体特性
 当機の欠点として航続距離が短いことや主脚の左右間隔が狭いことによる地上走行中の安定性欠如などが挙げられが、当機の最も大きな欠点と言われているのが航続可能距離の少なさである。これは開発時期の1930年代に台頭していたドゥーエの空中艦隊論や当時流行した高速爆撃機の思想から、欧州の戦闘機全般が迎撃性能を重視した結果とされる。
 この点が問題になったのは、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれたイギリス上空での戦いで、爆撃機を護衛する侵攻戦闘機として開発された双発戦闘機が単座戦闘機に対抗しえず、肝心のBf109も英国上空での滞空可能時間が10分程度しかなかった。これによりHe111は大損害を被り、作戦は失敗した。
本機の翼構造は翼内タンクなどを設置する余地がなく、増槽を装備させるには機内の配管を改めなければならなかったため、増槽は簡単に増設できず、その燃料配管を改めたBf109E-7が1940年9月に部隊配備されたものの、パッキンの不整合による燃料漏れなどが祟って、長距離型の運用は遅れた。

 同時期にイギリスでは、ハリケーンやスピットファイアなどがエンジンのバージョンアップを果たし、速度性能、上昇性能を大きく向上させた改良機が引き渡され始めていた。これらに対抗するBf109Fの生産と機種転換に備えるためにもE-7が主力機になることはなかった。
 しかし、航続距離の少なさは、迎撃が主流となったドイツ上空での防空戦闘では致命的な欠陥とはならなかった。パイロットの声でもこの点を指摘するものは意外と少なく、ベテランにとってはむしろ、多量の積載燃料によりバランスを崩した米国製戦闘機に対してより優位を占めることができたと言われている。
 Bf109を操縦するベテランパイロットは「全備重量ならどんな敵戦闘機にも負けない」と賞賛したとされるが、
その理由はこの点にあった
 終戦までに製造されたBf109は3万機を超え(正確な数字は大戦末期の爆撃による混乱のため不明)、これを凌ぐ生産機数はソビエトのIl-2だけである。Bf109はドイツ以外の枢軸系各国でも使用され、フィンランドのエース、ユーティライネンも撃墜数のうち半数以上がBf109G搭乗によるものであった。

◇戦後の発展型
  • イスパノHA-1112-K1L/M1L
 スペインはWW2中は戦時中立を宣言したため、ドイツからBf109F14機とBf109G-2ライセンス生産権を得たが、エンジンまでは手が回らず、イスパノ社は仕方なくフランス製HS12Z17を搭載したHA-1112-K1Lを69機生産したが、部隊配備は戦後になってしまった。
 1956年にはエンジンをRRマリーン500-45にしたM1Lに発展したが、最早機種周りは全くの別物であった。58年までに170機が生産され、1967年までスペイン空軍で使用された。
 K1Lは「撃墜王アフリカの星」のマルセイユのBf109F-4役、M1Lは「空軍大戦略」のBf109Eと仮想ハリケーン役でそれぞれ映画に出ている。
  • アビアS-99/199
 ドイツ撤退後のチェコスロバキアのアビア社で、22機製造されたBf109G-12/14は国防用戦闘機アビアS99として主に停戦監視の役割で新生チェコスロバキア空軍で使われた。
1947年にはエンジンをHe111-H用のjumo211FにしたS-199になり1950年代半ばまで使用された。機首周りはまるでTa152の様だが、イスパノよりもドイツ機らしい。
 単座戦闘機型551機と複座型のCS-199が58機生産されたが、そのうちの25機がイスラエルに輸出され。初のイスラエル空軍戦闘機になった。自分たちユダヤ人を迫害した国の機体を使用するとは、皮肉なものである。

 各型には該当するアルファベットの頭文字に対応した、非公式な愛称として、ドイツ人によく見られる人名などが付けられている。

Bf109Aアウグスト:初期生産型。

Bf109Bベルタ:ユモ210Eエンジンを搭載した改良型。スペイン動乱初期の主力機となった。

Bf109Cツェーザー:主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけて少数が使用された。機首上面と翼内に各2門のMG17機関銃を装備した。20mmMGFF機関砲を搭載することが予定されたC-3は生産されなかった。なお、「ツェーザー」は人名のほか、ローマ帝国皇帝カエサルを特に指す固有名詞的な使い方もされる。

Bf109Dドーラ:ユモ210を搭載した機体で、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけてある程度の機数が使用されたが、すぐにBf109Eが登場したため戦場に長くは留まらなかった。某漫画のドーラと聞くとこれを思い出す人はなかなかの空軍好きである。

Bf109Eエーミル:ダイムラー・ベンツ製エンジンDB601Aを搭載した機体で、初期の主力機となった。後期型では出力向上させたDB601Nも使用された。

Bf109Fフリードリヒ/フリッツ
 DB601N及び改良されたDB601Eエンジンが搭載された機体。空気抵抗を減少させる設計に刷新された。大きな性能向上を果たし、大戦中期の主力機となった。

Bf109Gグスタフ
 DB605エンジンを搭載した機体。多数の派生型が開発され、後期の主力機となった。

Bf109Kクーアフュルスト
 量産された最後の機体。生産工場が爆撃にあったことや、終戦を迎えてしまったことから不遇の機体。なお、「クーアフュルスト」とは「選帝侯」のこと。戦争末期に完成し2機のみ配備されたK-14型では2段2速過給器付きDB605Lを搭載し、高度14000mで740km/hとされている。

Bf109Tトレーガーフルークツォイク
 E-3型にカタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長と翼端を折りたたみ式に改造した艦上戦闘機型。航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」に搭載する予定だった。フィゼラー社担当でまず先行量産型T-0型を10機製作、E-4/N型ベースのT-1型60機の量産が進められた。しかし肝心の空母が未完成に終わったため、完成した機体から艦載用装備を撤去、ノルウェーや北西ドイツの陸上基地で部隊運用された。

Bf109Zツヴィリング
 2機のBf109Fを合体させて双発機とした機体。実用化されなかった。 どう考えても変態兵器。しかしF-82 ツインムスタングの例もあるので一概には言えない。

Bf109Wヴァッサーフルークツオイク
 水上機型。二式水戦?違います

Me109TL
 ガスタービンジェットエンジンを搭載した、109ベースのジェット戦闘機



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