QUEEN(バンド)

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QUEEN(バンド) - (2016/05/14 (土) 17:53:37) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/07/03(日) 05:38:18
更新日:2024/04/24 Wed 13:42:07
所要時間:約 7 分で読めます




QUEENはイギリスのハードロックバンド。

1973年にデビュー。1991年11月のフレディ・マーキュリー死去に伴い活動停止。よく「解散した」と表記されるが、正式な解散発表は一度もない。
彼らがロック界、音楽界へ与えた影響は大きく、まさにロック界の女王と呼ぶにふさわしい。


【概要】

多重録音されたギター、分厚く聞き応えのあるコーラス、クラシック風味の曲作り、ファンタジックな歌詞が特徴。
この様式は二枚目のアルバム『クイーンⅡ』(74年)において完成している。
その翌年クイーンのオペラ風路線の最高傑作、音楽史に残る名曲『ボヘミアン・ラプソディ』を発表。
更に翌年、今までのクラシック風味の曲からシンプルなロックに移行した『世界に捧ぐ』を発表。
さらに1980年バンド初のシンセサイザー使用アルバム『ザ・ゲーム』発表。
中でも『地獄へ道連れ』はクイーンにおけるロックというイメージを覆した。
86年の『カインド・オブ・マジック』を発表したあたりからライブバンドとしても頂点にたち、
世界的な一大音楽イベント『ライブ・エイド』において、名だたるアーティストたちを圧倒するライブを魅せた。
しかし86年夏ごろにボーカルのフレディは自分に残された時間が少ないことを知る。
新作の録音を急ぎ、状況を知ったメンバーも一致団結、1991年にフレディ在籍のクイーン最後のアルバム『イニュエンドウ』を発表した。
そしてその年の11月フレディ・マーキュリー死去。
バンドは翌年フレディ追悼コンサートを行い、95年には「メイド・イン・ヘブン」を発表。
ベースのジョンはほとんど顔を出すことがなくなったが、その後もギターのブライアンとドラムのロジャーの二人は60歳を越えた今も精力的に活動している。


【メンバー】

●フレディ・マーキュリー
ボーカル。前期は前歯が特徴的、後期は髭が漢らしい。
元々はバイセクシュアルであるが、70年代前半にゲイと自覚し彼女とも別れている。
とてつもない程の親日家。後述するが、日本語の歌詞が入った曲も作っている。
家には日本茶常備。
パワフルな歌声に個性的なパフォーマンスが素晴らしい。
もちろん女装もね。
ボヘミアン・ラプソディの構成は彼が提案した。
他にも様々な名曲を生み出した稀代の天才は1991年11月24日AIDSによる合併症、カリニ肺炎によって自宅で息を引き取った…。
享年45歳。
70年代は繊細で裏声を多用した歌い方だったが、80年代からはボイストレーニングを始め野太くパワフルな歌声へと変わっている。

●ブライアン・メイ
ギター。メンバー1の長身(187cm)。
作曲面においては『ウィ・ウィル・ロック・ユー』『ハマー・トゥー・フォール』など、クイーンのロックな面を代表しているが、
まれに『セイブ・ミー』『ショー・マスト・ゴー・オン』などの極上バラードを作曲したりする。
そしてブライアンを語る上で欠かせないのが彼のギター、レッドスペシャルだ。
友人の家の暖炉からもらった木(当時で100年前のものらしい)をベースにエンジニアをしていた父と共同で作ったものである。
このレッドスペシャルによるギター・オーケストレーションで数多くの楽曲を彩った。
初期のアルバムのクレジットに「ノー・シンセサイザー」と描かれる理由の一つでもある。
このギターでブライアンは数々の名ギターソロを生む。
ギターを弾くとき硬貨を使用するのはあまりにも有名。
本人曰く「手首の動きを伝えやすいから」とか。
その為、一聴してそれと解る特徴のあるトーンである。
積極的に若手ロックバンドと共演しており、FOO FIGHTERS、MY CHEMICAL ROMANCEはその一角である。
ボーカリストとしての一面も持っており、後述のロジャー同様ライブでは低音コーラスをとっていた。

●ジョン・ディーコン
ベース。子供の時はギターを弾いていた。
カントリーやフォークが大嫌い。
クイーンにはオーディションを介して加入したが元々ブライアン、ロジャーとは顔見知りであった。
80年代は短パン、半袖でライブをしている事が多い。
バンドでは経済面には欠かせない重要な存在であった。
六児のパパ。
作曲面においては寡作ではあるが、『地獄へ道連れ』、『ブレイク・フリー(自由への旅立ち)』等を出したヒットメイカーである。
現在は音楽業界から引退している。

●ロジャー・テイラー
ドラム。バンド一女にモテる男で生粋のロックンローラー。
ハスキーハイトーンボイスを活かしたコーラスでクイーンを支えた。
『レディオ・ガガ』等の作曲者。
この曲の珍妙な名前の元ネタは彼の息子、フェリックスが言った「レディオ、カカ、カカ」という言葉である。
あのYOSHIKIとコラボしてシングルCDをリリースしたことも。
女性と見まごうほどの美貌・美脚もあってか、
「I Want To Break Free」のPVでの女装は、メンバーの中で一番ハマっており、
あまり可愛すぎたロジャーを見てメンバーが爆笑したという。
現在は加齢のせいか多少太ったが、そのイケメンぶりはほとんど衰えていない。

○ポール・ロジャース
ブルースロックバンド、フリーとバッド・カンパニーの元ボーカリスト。
ブルースをルーツにしていることもあり、フレディより良い意味で”古い”フェイクを混じえた歌唱が特徴。
その場で歌った鼻歌が名曲になる、と言われるほどの歌唱力と言われている。
若い頃はディープ・パープルのボーカル候補だったが、本人がバッド・カンパニーの活動に専念するため断った。
(後にロック・エイド・アルメニアにて共演した。この時ブライアンもメンバーの一人として参加していた)
2005年にはメンバー(ブライアンとロジャー)とクイーン+ポール・ロジャース名義でアルバムを発表、ツアーも行った。


【代表曲】

〇I was born to love you
元々はクイーンの曲では無くフレディのソロの曲であった。
キムタクのドラマ『プライド』やカップヌードルのCMにも使われ、日本での再ブレイクのきっかけになった。

〇We will rock you
「ズンズンチャ、ズンズンチャ」といえばわかるだろう名曲。
別の楽曲『ストーン・コールド・クレイジー』と並びラップの原形とも言えるボーカルとブライアンのギターが光る。

〇Another one bites a dust(地獄へ道連れ)
終始ミドルテンポで突き進む。ダークな雰囲気漂う名曲。
心臓マッサージの曲としても有名。
え?歌詞?気にすんな。
あのパロディ歌手アル・ヤンコビックに『another one rides a bus(遅刻へ道連れ)』という名前でカバーされた。

〇Bohemian rhapsody
バラード、オペラ、ハードロックのトリプルコンボな大名曲。
この曲のコーラスはブライアン、ロジャー、フレディの三人で行われ、180回以上の録音では1日12時間以上歌い続けたという。

〇Innuendo
別名『裏ボヘミアンラプソディ』。
バンドの終焉を予告している曲。

〇The show must go on
クイーン最後のシングル。
フレディの全魂を注いだ絶唱に前が見えなくなること必須。
因みにボーカルは一発録りである。
以下、ブライアンのコメント。
「ある朝、この曲をフレディのところに持っていった。彼がどう受け取るか少し心配だった。でもこう言ってくれたんだ。
『ダーリン、僕はそれを歌うよ。そして僕の全てを注ぎ込む。』ってね。」

○Sheer Heart Attack
クイーンの中でもバリバリのハードロックな曲である。
「世界に捧ぐ」収録。

○Let Me Live
ゴスペル風のコーラスが特徴。
ボーカルはフレディ、ロジャー、ブライアンが交互に取っている。
因みにフレディの歌声は83年に録音されたもの。

○Teo Torriatte(Let us cling together)
5作目のアルバム「華麗なるレース」に収録。サビに日本語が入っている。

○La Japonaise
アルバム「バルセロナ」収録。QUEENの曲ではなく、フレディがオペラ歌手モンセラート・カバリエとコラボレーションした曲。「手を取り合って」以上に日本語が多く含まれており、彼が日本好きなのがよくわかる。
なお、「バルセロナ」の1曲目「Barcelona」は1992年のバルセロナオリンピックのテーマとなり、彼ら2人が開会式で歌う予定であったが、フレディが亡くなったためホセ・カレーラスが代役を務めた。

手軽に聴きたい場合は日本独自の企画盤「Jewels」がおすすめである。もうちょっと聴きたい方は「Greatest Hits」シリーズもいいし、そこからオリジナルアルバムを聴くのもよし。
特に初期の「Queen」「QueenⅡ」の曲はあまりベスト盤に入っていないことが多いので、オリジナル盤がおすすめ。





たいしたことじゃない。
本当に僕はたいしたことじゃ無いのさ。

どっちみち、追記修正されるのさ…。

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