宮内洋

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宮内洋 - (2021/07/14 (水) 18:25:13) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/02/01 Tue 23:23:31
更新日:2024/04/23 Tue 00:44:33
所要時間:約 7 分で読めます





愛と、勇気と、正義と、希望。そういったものを与えるのがヒーローであります。


宮内洋とは、俳優である。

概要

1945年6月17日生まれ、千葉県出身*1
幼い頃から丹波哲郎と親交を持ち、高校卒業後弟子入りを目指すが丹波の勧めで大学に進学。
卒業後東映ニューフェイスとしてデビューし、71年にドラマ『キイハンター』で準レギュラーを獲得。
2年後の73年、『仮面ライダーV3』の主人公・風見志郎に抜擢される。


この作品が彼の人生を大きく変えた。


休日だったにも関わらずオーディションに呼び出された彼はふてぶてしい態度で到着するが(オーディションだと聞かされずに呼び出されたらしい、ドアを蹴破って入って来たという証言もあるが本人は否定)、
逆に好感を得られて見事に役を手にする。
だが当時はまだ特撮の仕事がマイナーだったため、師匠の丹波はスーツアクターの仕事が来たと思ったらしい。
当然彼も『仮面ライダー』という作品を全く知らず、当時高級品だったビデオテープとビデオデッキを購入し役の研究に真摯に取り組んだ。
その甲斐あってかV3は大ヒットし、その後も特撮作品を中心に多くのドラマや映画・Vシネマに出演している。
中でも特撮作品については
  • ヒーロー番組は教育番組である
  • ヒーローが武器に頼ってはいけない*2
  • 風見志郎は食事をしない
  • ヒーローがだらしない格好をしない
  • 変身前に傷だらけになって苦戦する事で変身後のカタルシスを生み出し、視聴者に「痛み」を解らせる

等独特の美学を持っており*3、これらは近年の作品批判とも取れる上、実際に平成ライダーに否定的な発言をした例もある*4為に批判も多い。
だがV3が変身する時の掛け声をエコーが綺麗になるように「ブイスリャー!」と叫んだり、
役柄によって目線の高さを変えたりするなど細かな気配りをする辺りは、流石プロという意見が多数である。
また自分の演じたキャラクターのフィギュアが製作される時も、自分の服装と少しでも違うと正式なフィギュアとして認めないというこだわりも持っている。
余談だが、「バイスリー!」と叫んだ時は流石におやっさん役の小林昭二さんに叱られたらしい。
小林氏は後輩を大変可愛がっており、彼が亡くなった時の宮内氏は涙ながらに「おやっさんは死んでない!」と叫んだそうだ(但し、本人は否定)。
近年、『ミラーマン』関係のインタビュー企画で佐々木剛と共にゲスト参加し、主演の石田信之を激励した。
宮内は、当時は東映所属*5のために円谷プロ作品に一度も出演することができなかったので、常にライバルとして意識はしているが、裏を返せば無念さもあると語っている。
オリジナルビデオの『ウルトラマンVS仮面ライダー』では『ウルトラセブン』主演の森次晃嗣とインタビューに応じており*6
「ウルトラマンも不滅ですが仮面ライダーも不滅です」と、互いを認め合う趣旨の発言を行っている。


代表作

東映特撮作品にレギュラー出演する場合は風見志郎役を除き、オープニングでの紹介順が最後になる。

仮面ライダーシリーズ

宮内氏がV3として客演した作品


メタルヒーローシリーズ


スーパー戦隊シリーズ


その他



余談

2008年に閉塞性動脈硬化で8時間の大手術を受けるが無事に回復。
一時はアカレンジャー・海城剛役の誠直也氏と同じ事務所に在籍していたこともあり、近年はイベントで行動を共にする事が増えている。
また、キカイダー・ジロー役の伴大介氏とも共演の機会が多い。



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