登録日: 2011/09/06(火) 13:13:38
更新日:2023/09/10 Sun 16:18:32
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Ⅲ号戦車とは、ナチスドイツ軍で使用された
戦車である。
正式名称はPanzer kampf wagen Ⅲ。正式番号はsdkfz151。
戦争初期から中期まで活躍した。戦争後半では劣勢に立たされる事も多かったが、ドイツ軍の代名詞とも言える「電撃戦」の立役者であり、後の戦車史を変えたとも言える戦車である。
■開発経緯
ドイツ陸軍はナチスが政権を取る前から新型戦車の開発を進めていた。
1934年に、ハインツ・グデーリアン将軍から「電撃戦」の為の二種類の戦車開発が要請された。
Ⅲ号戦車と
Ⅳ号戦車である。
Ⅳ号戦車は項目を見てもらうとして、Ⅲ号戦車に求められたのは
ハインツ将軍「電撃戦は機動力が大事なんだよ。オゥ(戦車の足)速くしろよ。」
要求された速度は40km/h。
当時としてはかなり高速であった。
これ以外にも様々な要望があり、開発担当のダイムラー・ベンツ社(DB社)は相当苦労をすることになる。
■開戦に向けて
ほぼ試作型と言うに等しい型。生産数も10両だけ。
要求された
- 5人乗りで砲塔に3人入れる。
- 橋の重量制限の為24トンを超えないこと。
- 3.7cm砲を装備し、将来的に5.0cm砲も搭載できる設計にする。
以上の事項を達成する。しかし、
- 重量制限で装甲が15mmと貧弱。
- にも関わらず最高速度が32km/hで要求速度に達しない。
とまだまだ問題も多かった。
因みに、最初5.0cm砲を装備する案があったが、歩兵用の対戦車砲と統一するため、3.7cm砲に決まった。ただ、ちょっとの改造で5.0cm砲を搭載可能な様にされた。
兎に角、最高速度を上げる為に足まわりを改良し、改良し、改良したタイプ。が、解決せず。15両、15両、30両と作られた。
因みにD型が出来たのが1938年の初め。第二次世界大戦が起きたのが1939年。遅い!
総統閣下「おっせぇ開発だなぁ、早くしろよ。」
ハインツ将軍「オゥ早くしろよ。」
兵器局「ハヤクシロ!!」
DB「軍部はせっかち」
そんな感じで難航していたDBであったが、ここで一 転 攻 勢に出る。
サスペンションに「トーションバー方式」を採用したのだ。
これは比較的最近まで戦車に使われていたり、現在も重量のある車両の主流でもある方式で、当時はまさに「革新的」だった。
このサスペンションのおかげで機動力が上がり、更に重量にまで余裕が出来たので装甲を今までの15mmから30mmに強化し、これが正式に生産型として採用された。
E型が96両、それを微調整したF型が435両生産された。
ただ、E型が出来たのが1939年初め。9月の開戦に数が揃わないのは当たり前である。具体的には98両くらい。
フランス戦でも微妙に数が足りず、2800両のうち350両がⅢ号戦車だった。
このフランス戦でⅢ号戦車は二つの教訓を得る。
- 砲がやっぱり貧弱だった。
- 装甲もやっぱり貧弱だった。
華麗な電撃戦の印象のあるフランス戦だが、投入されたⅢ号戦車の40%が破壊されていた。
だがしかし!前述したようにⅢ号戦車は50mm砲を搭載することができる!
じゃあ次は50mm砲を乗っけよう、という話になったのだ。
戦車兵「5.0cm砲ください!オナシャス!」
総統閣下「おう、考えてやるよ(やるとは言ってない)」
5.0cm砲を載せると言ったな、あれは嘘だ。
工場「あ、待ってくださいよ~。数が揃ってないんすよ~。」
仕方ないね。
と言うわけでG型は後ろの装甲を強化しただけで、従来の3.7cm砲を装備したまま生産された…
生産数は600両。
戦車兵「すいませぇ~ん、前線ですけどぉ~5.0cm砲はまだ時間掛かりそうっすかねぇ~」
総統閣下「お待たせ!E型F型G型関係無く載せるけど、良いかな?」
戦車兵「あぁ~いいっすね~」
1940年7月頃になると、42口径5.0cm砲も数が揃ったので、現在あるⅢ号戦車に順次搭載された。
区別が付きづらく我々にとっては紛らわしいのだが。
最初から5.0cm砲を装備した型。車体を抜本的に見直し、Ⅲ号戦車の新基準を作る…筈だったが結局砲塔が新しくなり、30mmの増加装甲を付けるぐらいの改造に終わった型。これで装甲は単純計算で30+30=60mmとなった。
生産数は308両。
リベンジH型。今度こそ車体を改良し、E、F型から続くベースを更新した。
装甲を50mm一枚板に変更したが、これは二枚板で60mmのH型より優れている。
このJ型には
- H型以前の42口径5.0cm短身砲
- 新型の60口径、つまり5.0cm長身砲
のどちらかを装備した二種類がある。
非常にバランスの優れた名型で、生産数も最も多く2616両。
そんな感じでⅢ号戦車は改良されていき、今までの欠点は解消された。
事実北アフリカなんかでは、
ロンメル軍団主力として大活躍をしている。
だったのだが…これらの数が揃う頃には、また新しい敵と対峙していた…
ヨシフおじさんと愉快な赤軍、そして
T-34である。
T-34との戦いで
総統閣下「Ⅲ号戦車じゃT-34に機動力、火力、装甲の全ての点で負けてるって、それ一番言われてるぞ」
と気付いた。
配備されたばかり、最新鋭の長身砲J型でさえ歯が立たなかったのである。
それでも何とか戦おうと、装甲を強化したL型1700両や何故か川を渡る能力を向上したM型250両が生産された。
しかし、1942年の末には、軍部の意見はほぼ一致していた。
時代遅れ、と。
■その後
1943年8月。Ⅲ号戦車の生産中止命令が下された。
事実、Ⅲ号戦車の改良は限界点まで達していた。主力戦車の座は、開戦から共に戦ってきた
Ⅳ号戦車や新しい期待の星
パンターへと引き継がれた。
しかし前線で残った戦車は、劣勢になっていく戦場で戦い続けたのである…
亜種とでも言うべき型。
Ⅳ号戦車が新型の砲を採用し、従来の24口径7.5cm短身砲が余っていた頃、どこぞの頭の良い奴が「頑張ればⅢ号に載せれるんじゃね?」と言うことで作った。
その口径の大きさにより榴弾威力が高く、歩兵散らしとして活躍。更に丁度配備され始めた
対戦車榴弾、(成形炸薬弾、HEAT弾)を使用することにより、非常に高い対戦車性能を誇った。
対戦車榴弾は弾の直径がそのまま威力になるので、弾速の遅い短身砲でも威力は変わらないのである。
ちょっとしたリサイクル精神から生まれたのだが、兵士からの評判は良かったとか。
他に亜種としては、
汚物は消毒火炎放射型とか、牽引車など雑用係的な物が存在する。
三号戦車は実戦ではなかなか苦戦することも多く、改良しても改良しても新たな敵に劣勢を強いられた。
しかし、その技術はけして無駄ではなく、革新的で優秀なものであったことに違いはない。
ポーランドの騎兵隊を駆逐し、英仏の連合軍を大陸から追い出し、北アフリカの砂嵐の中で米軍を恐れさせ、モスクワの一歩手前まで攻め込んだのは
紛れもなく彼女の功績なのだから。
追記・修正は限界点までお願いします。
- 帝国軍はホモ -- 名無しさん (2013-07-25 01:28:30)
- フランス戦では数が全然揃ってない→揃ってきたソ連戦だとT34出てきて陳腐化というクッソ哀れな主力戦車 -- 名無しさん (2014-03-26 10:27:38)