Ol' Dirty Bastard

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Ol' Dirty Bastard - (2018/09/09 (日) 20:14:20) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2011/11/13(日) 16:41:02
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Ol' Dirty Bastard/オール・ダーティ・バスタードとは、アメリカブルックリン出身のラッパーである。
ヒップホップグループ、Wu-Tang Cran/ウータンクランのメンバーでもあり、Method Man/メソッドマンとともに人気を集めた。

彼の家は音楽一家であり、ダーティだけ歌が下手だったが、そのキャラクターで家族を楽しませていたと言われている。
その後、ウータンのメンバーでもあり、親戚(従兄弟)でもあるRZA、GZAとともにグループを結成するが、デビューには至らなかった。
ウータンとしては93年にアルバムをリリースする。
その歌とも雄叫びとも言える独特なフロウは初期ウータンの雰囲気を体現していたと思われる。
あと、なんとなく自画自賛するようなリリックが多め。

95年にソロアルバム『Return To 36 chambers The Dirty Version』(ほとんどの曲はRZAが手掛けている)、
99年に『Nigga Please』をリリースする。RZA以外にThe Neptunes、Irv Gottiらのプロデュースが加わった。
しかし2000年からはドラッグ問題で活動休止し、刑務所と精神病院を行ったり来たりするようになる。
2003年に活動再開、ロカフェラと契約し、レコーディングを進めていたが、2004年11月13日、新作リリース直前に死去する。ドラッグの後遺症で心臓発作を起こしたという。
その後に出た『Osirus』は多くのヒップホップアーティストと協賛するものだった。

良くも悪くもクレイジーな印象が強く
○来日公演でのステージ上で本当に寝ていた
○ロスの精神病院に入院されてた時に脱走してニューヨークまで逃げてきた
○13か月で9回も逮捕された
○クラックをキめてる真っ最中疑惑の映像が残っている
などの変なエピソードも多い。

が、実際はクールで子ども好きだったと言われている。
交通事故に見まわれそうな子供を助け、名前を聞かれると黙ってウータン・クランのロゴマークの書かれた紙を残していったなんて話もある。(さすがにネタ臭がするが)

ちなみに[[空耳アワー]]において2012年度グランプリを受賞した空耳の元ネタでもあるゴーイング・ダウン/Goin' Downは彼の曲。
(ahhhhhhhhhh) Ah, Punch Call!→あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっあっパンツがー!!となるらしい。 
ミュージカル曲『Somewhere Over The Rainbow』が混ざってたりもする。

追記・修正はShimmy Shimmy Yaを聴きながらお願いします。

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