L3豆戦車

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L3豆戦車 - (2015/03/21 (土) 19:42:44) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2015 3/21
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*性能諸元
全長3.17 m 
車体長3.17 m 
全幅1.42 m 
全高1.30 m 
重量3.15 t 
懸架方式リーフスプリング、ボギー式 
速度42 km/h(整地)15 km/h(不整地) 
行動距離120 km 
主砲8mm重機関銃×2 
装甲15-5 mm 
エンジン フィアットSPA CV3-005水冷直列4気筒ガソリン43 馬力/2,400 rpm 
乗員2 名 


L3豆戦車とは、イタリア陸軍が第二次世界大戦に投入した戦車%%ブリキ缶%%である。
別の名前にCV33というものがあるが、最終的にはL3に統合された。まあなんというか、これを見るだけでイタリア軍の敗因&big(){&bold(){弱い理由}}が分かりそうな気がするぜ。

*開発史
第一次世界大戦において、フィアット2000戦車を開発したイタリアは、国情に優しい戦車を開発することになった。時に大戦終了後の1920年代である。イタリア軍が国内のメーカーに要求した内容とは

#center(){&bold(){イタリアの国土で多数運用可能な戦車}}

というもので、これでイタリア陸軍の新境地を築こうとしたのである。まず言っておくが、当時はイタリアのインフラ整備は劣悪であり、今でこそ道路で行き来できるが、その頃は狭い山道が中心で大型の戦車を作っても移動できないという理由からだった。そこで、小型の車両を多数装備するという提案が成されたのである。

開発当時は、イギリスより豆戦車たるブームがもたらされており、安価で大量に装備できる・国産が作れなくともこれをたくさん買えばよろしいというブームを売りに世界中で小さい、それも今から見れば偵察にしか使えないような戦車とは名ばかりの車両が世界中で流行した。今の日本で言う軽自動車が流行るようなものである。

早速、1929年にイギリスより『カーデンロイド Mk.VI』とよばれる豆戦車を軍が購入。そのライセンスの許可を得て、&bold(){C.V.29}として21両生産。その後、国内のメーカーであるフィアット社・アンサルド社によって生産されるようになり、CV33として配備されるようになった。1935年にはCV35と呼ばれる改良型がデビューすることになる。主な変更点は溶接からリベット接合にされたことぐらい。

最終的に、このCV33/35戦車はL3と名称を統一され、各部隊に配備された。

*問題
さて、この戦車の致命的な問題は、当時流行った豆戦車の影響を受けたことに起因する「脆弱性」であろう。確かに、当時は戦車は撃ち合うものではなく、歩兵を守るためのものであった。そんな中で、豆戦車をベースにCV33/L3が作られたのはブームと言うよりは国内事情に合わせられたためである。

#center(){&bold(){なぜ、イタリア国内を大型の乗り物が行き来できるように整備しなかった!?}}

あえて言うが、我が国・日本も同じく強い戦車を持てず、連合軍に苦戦したからこそ言えるのである。日本の場合、&bold(){国内・想定していた敵地の道路事情}・&bold(){港湾のクレーンでもつり上げられる重量&輸送船の搭載力の限界}という枷を塡められていたことが1つの原因だった。が、それもただ単に言えば、インフラを頑丈に作り替えればよかっただけ。道を整備するための大型重機を開発・運用すればよかっただけ。その機会が、&bold(){想定している相手は近代化の遅れた中国軍、これといって本格的な装備を持っていないから戦車の強化は必要なし}という受け止めをしたせいで潰されてしまったからである。

イタリアもまた、国内を整備して大型の車両を通れるようにすればよかったものを、その声を&bold(){どうせ豆戦車がブームなんだし、この方が都合いいよ。道を広くしないで済むし}という安いな考えが未来を閉ざしてしまったのだ。実際、豆戦車がブームになったのは一時期だけで、その後戦車は大型化・生存性を向上させつつ進化していったのだ。豆戦車は囁かな流行でしかなかったのである。

第二次世界大戦開戦時も、イタリア軍の大部分の戦車隊に本車が装備されており、その使いやすさが表れているが、如何せん実力は褒められるものではなかった。同期にはM11/39やM15/42が配備され始めたが、これらL3を超えて生産されることはなかったのである。

*戦歴
1935年のエチオピア侵攻に投入された。が、ここでイタリア軍は大いに苦戦する。当時のエチオピアは主装備が槍やマスケット銃という日本で言うなら、戦国時代か江戸時代とさほど変わらない装備を持っていたものの、フランスと取引して&bold(){強力な装備を持っていた}。これにより、イタリア軍は予想以上に苦杯したため、本車が大活躍したのである。相手は満足な装備を持っていないから、L3でもどうにか戦い抜くことが出来たのだ。

1936年には、スペインで内乱があったため同車がナショナリスト側へ派遣された・・・・。この時、共和国側についていたソビエト連邦により、T-26やBTといった戦車が戦場に現れることになる。これらに遭遇してどうなったかと言えば、&bold(){大部分が撃破された}。主装備が8mm機関銃というL3はまともに立ち向かえるはずが無く、悉く撃破されていったのである。初期は1挺だったのが2挺に増やされたが、いずれにしても壊滅してしまった。ただ、内乱後に生き残った車両はどうにか戦勝パレードに参加している。

そして、遂に第二次世界大戦を迎えることになったのだが、当時の軍の判断でフランスに追い打ちを掛けようとしたが、あっけなく潰走してしまう。既にL3が戦える相手は連合軍側に存在していなかったのだ。しかも、その後はイギリス軍と戦うために、&bold(){想定していた戦場が山だったはずが、アフリカ戦線に送り込まれてしまった}。もっぱら、当時は本格的な戦車であるM11/39が100両しかなくその大部分はL3しかなかったので、大部分が悲惨な戦いを行うことに。相手はマチルダやチャーチル、グランドといった歩兵戦車や中戦車であり、最早次元の違う相手である。これらに遭遇したL3は片っ端から撃破され、イタリア軍の瓦解の一因を作ってしまったのだ。

ただ、一部では奮戦した車両もあり、20㎜対戦車ライフルを装備したL3ccや火炎放射を装備したチャーチル・クロコダイルもどきのL3Lfを投入して一定の戦果を挙げたが、物量と性能で物を言う連合軍に一挙に駆逐されてしまった・・・・。まるでガンダムでいうならボールみたいな立ち位置である。

なお、L3(CV33)は海外にも輸出されており、同盟国ドイツやブルガリア、そして日本と戦っていた中国などにも送られている。対日戦線に送り込まれて撃破された車両は、既に同盟国であったイタリアに配慮して、国内では「フランス製」と報じられた。日本軍の戦車にすら負けるって・・・・。

*戦後
一部、アフガンに輸出された車両は復元されており、自走も可能だという。現在は戦車はもちろん&bold(){装甲車としても使えないため}、せいぜいハンヴィーを撃破するか偵察任務ぐらいにしか使えないだろう。また、ご存じ[[ガールズ&パンツァー]]にも登場したが、&bold(){よくもまあ死人が出なかったなと・・・・}。

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