WWE殿堂

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WWE殿堂 - (2019/06/20 (木) 10:25:48) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2012/09/12(水) 09:58:26
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WWE殿堂(WWE Hall Of Fame)とはアメリカのプロレス団体[[WWE]]が主催する、プロレスにおいて多大な業績を残した人物を表彰する制度である。
なお、表彰の対象はレスラーに限られてはいない。




◆設立の背景
1993年に、アンドレ・ザ・ジャイアントが急逝。これを受けてWWF(World Wrestling Federation/後の[[WWE]])が彼の生前の功績を讃える目的で創設。
この当時は選定した結果を公表して、独立した式典を開催して(規模はあまり大きくない)表彰式を行っていた。その後、1996年を最後に式典は行われなくなった。



しかし2004年になり、8年ぶりに復活。
この時はそれほど大規模な物では無く、レッスルマニア本編ともあまり関係なかったが、
年を経るにつれ表彰式も同団体最大の興業イベントであるレッスルマニアの前日に行われる前夜祭的なイベントとなり、表彰も盛大に行われることとなった。
レッスルマニア本編の最中にも殿堂入りを果たした人物を紹介する時間が必ず設けられる。
式典は、殿堂者の紹介をプレゼンター(殿堂者と縁の深い人物が担当)のスピーチと懐かしの映像で行い、その後本人(故人の場合はその家族)が登場してスピーチをする。
スピーチはアメリカンジョークが飛び交い、会場は終始和やかな雰囲気である。式典の模様はレッスルマニアのDVDに収録されている(ただし、2004年は収録されず)。


◆主な殿堂者(選出された年)
プロレスラー個人に限らず、タッグチームなどのユニット、マネージャーやプロモーター、リングアナウンサーなど多岐な分野に及び、なぜか野球選手やボクサーもいる(後述)。


・[[アンドレ・ザ・ジャイアント]](1993年)
前述の通り。この年はアンドレ1人のみ。

・フレッド・ブラッシー(1994年)
親日家で知られる銀髪鬼。
自伝の出版の宣伝を兼ねて2003年にRAWにゲスト出演したが直後に倒れ死去。
因みにかつてビンス・シニアがタイタン・スポーツ社(WWEの親会社)を息子に売却する際に「フレッド・ブラッシーの永久雇用義務」があった為、現場引退後も「チャリティー担当役員兼在宅モニター」として活動し、ビンスもまた死去する最期の日までファイトマネーを支給し続けていた。


・ファビュラス・ムーラ(1995年)
女性で殿堂入り第1号。彼女の持つ「王座奪取最高齢記録76歳3ヶ月」と「28年間女子王座保持」は誰にも破られないだろう。
アティチュード時代のファンはメイ・ヤングとのコンビで乱入してくるおばあちゃんとして記憶している人も多いかと思う。

・ビンス・マクマホン・シニア(1996年)
[[WWE]]の創業者にして、現会長[[ビンス>ビンス・マクマホン]]の父上。
アメリカ武者修行中のジャイアント馬場をトップレスラーに起用したりアントニオ猪木率いる新日本プロレスと業務提携をするなど、日本のプロレス界との関わりも深い。

・ピート・ローズ(2004年)
元メジャーリーガーにして4265安打という大記録を持つ超一流野球選手。
同じニックネームつながりでケインの試合に乱入してツームストーンを喰らうなど体を張った客演をした。
ピートの殿堂入りに関しては、諸般の事情で野球殿堂入りが困難な為、ビンスが計らったとされている。

・[[ハルク・ホーガン]](2005年)
説明不要のアメリカを代表するプロレスラー。
式典のプレゼンターは、あのシルベスター・スタローンが務めた。

・バーン・ガニア(2006年)
AWAの帝王と言われた人物。
彼の殿堂入りをきっかけとして、WWEの歴史に一切登場しない人物も殿堂入りするようになった(ハンセンとか)。

・ダスティ・ローズ(2007年)
配管工の息子がチャンピオンになってアメリカンドリームを達成。
なお式典では息子のゴールダスト(素顔)、コーディと公式初の親子3ショットを披露。

・ゴードン・ソリー(2008年)
前年に殿堂入りしたJRことジム・ロスが深く尊敬している実況者。活動の場はおもにNWA系でWWE正史には一切登場していない。
JRは、「ゴードンこそが最高のレスリング・アナウンサーであり、我々は彼に次ぐナンバー2を争っているにすぎない」と評した。

・メイ・ヤング(2008年)
上記のファビュラス・ムーラとともに長きにわたり活躍を続けた女子プロレス界のパイオニア。
アティチュード時代は1999年に初登場以来ムーラと共に度々登場し、観客を喜ばせた。
([[因みに1956年にNWA世界女子王座を巡って戦ったムーラとはスマックダウンで骨董品級の試合までしている>https://www.youtube.com/watch?v=hAggviAmfTk]]。)
2014年に死去。

・リッキー・スティムボート(2009年)
レッスルマニア3でランディ・サベージと空前絶後の好勝負を演じて[[クリス・ジェリコ]]など多くの後進に影響を与えた。
ニックネームの「ドラゴン」つながりで、入場曲はウルティモ・ドラゴンのを流用されて登場。

・[[アントニオ猪木]](2010年)
日本人初の選出。プレゼンターはホーガンかフレアー…と思いきやお二方とも大人の事情で参加できず、スタン・ハンセンが務めた。
「ダァーッ」もやった。日本じゃなかったから会場の雰囲気は微妙だったけど。

・サニー(2011年)
ディーバの元祖の1人とされる人物。ボーイフレンドのクリス・キャンディードを追いかけて業界入り。
以降、マネージャーやレポーターとして席巻。存命人物としては最年少で殿堂入り。インダクターは当時所属していたディーバ全員だった。

・[[マイク・タイソン]](2012年)
耳噛みつき事件などで知られるボクシングの問題児。
一時期、D-Xに参加していた縁で選出された。タイソンやピート・ローズなどは「有名人部門」と呼ばれる。

・フォー・ホースメン(2012年)
1986年にNWAで結成された伝説のユニット。
オリジナルメンバーはリック・フレアー、アーン・アンダーソン、オレイ・アンダーソン、タリー・ブランチャード、マネージャーのJ・J・ディロンの5人。
当時の4人はNWAの主要王座を独占状態で保持するなど正真正銘のトップ・スター達によって構成されたスーパーユニットであった。
しかし、結成の翌年にはオレイが脱退し、レックス・ルガーが加入するも1988年にはアーンとタリーが、89年にはJ・J・ディロンがWWEに引き抜かれ脱退。
その後、アーンとオレイが復帰しスティングやバリー・ウィンダム、シッド・ヴィジャスが加入して細々と続いていたが91年にはリーダーであるフレアーがWWEに移籍し解散となった。
93年にフレアーがWCWに復帰するとアーンとオレイと共に再結成するも、アーンがラリったシッド・ヴィジャスにハサミでメッタ刺しにされて重傷を負った事により自然消滅した。
95年以降はフレアーとアーンを中心に再々結成するも2人以外は(WCWの適当さもあって)常にメンバーが定まらずに入れ替わり立ち代わり色々な人間が加入する有様でいつも間にか自然消滅した。
殿堂入りにはオレイ・アンダーソンを除くオリジナルメンバー4人とバリー・ウインダムが選ばれた。
何故こうなったというと
オレイ・アンダーソンは自身が株式を所有していたGCWをビンス・マクマホンに買収された際に激しく拒絶反応を示して以降WWEとは絶縁状態であり今回の殿堂入りに際しても存在を抹消されてしまった…
また本来であればオレイと入れ替わりに加入したレックス・ルガーが代わりに選ばれてもおかしくなかったが、彼は2011年からステロイド投薬の後遺症の為にWWEの医療保護プログラムで加療状態で殿堂入りできる健康状態ではなかった為外されてしまいバリー・ウィンダムが選ばれたという。
スピーチでは史上初となる2度目の殿堂入りを果たしたフレアーが個人での殿堂入りの際の長すぎたスピーチを自虐ネタにして観客の笑いを取った。

・ブルーノ・サンマルチノ(2013年)
WWWF時代の頃のチャンピオンとして君臨し「MSG(マジソン・スクエア・ガーデン)の帝王」「人間発電所」と呼ばれた。馬場さんの友人。
WWE王座7年6か月保持という破られそうにない驚異的な記録を持つ。
1984年以降のWWEの全米制覇路線を拒絶し、今のビンスと犬猿の仲になった為ここ25年間WWEと絶縁していた。
しかし、ビンスの婿である[[トリプルH>トリプルH(プロレスラー)]]の懸命な説得や現在のWWEドラッグ更生プログラム等の活動に対して態度を軟化させ、ついに殿堂入りを果たした。
因みにトリプルHが最初に殿堂入りをオファーした際にかけた

「あなたの力で(WWE殿堂の会場である)MSGを再びソールド・アウトにしてくれませんか?」

と彼へのリスペクトに満ちた言葉が心をくすぐったらしく、
「ビンスは信用できないけど彼(トリプルH)なら信用できる」と絶賛していた。
その後はラリー・ズビヒコの殿堂入りのインダクターを務めたり、彼の銅像の除幕式に参加したり、ピッツバーグにWWEが来たときにゲスト出演するなどWWEとの関係はかつての確執が嘘のように良好な物になっていた。
2018年4月に死去した。

・トリッシュ・ストラタス(2013年)
歴代最多となるWWE女子王座を7回獲得した女子レスラー。
お色気路線からTLCまでこなすなどの活躍ぶりから「ディーヴァの完成形」と呼ばれた。
因みに式典に参加当時は身篭っており、多くのファンから祝福された。

・アルティメット・ウォリアー(2014年)
ハルク・ホーガン、ランディ・サベージと並ぶ80年代WWFのスーパースター。
ステロイド問題からギャラなどで退団、復帰を繰り返した。
96年以降WWEとは絶縁状態だったが、遂に和解した。
受賞2日後のRAWでのスピーチは伝説となった…
これからの活躍が期待されていた矢先に受賞から3日後に心臓発作で急死してしまった…

・アランドラ・ブレイズ(2015年)
日本人には「メデューサ」の名前のほうがしっくりくる女子選手。
WWFとWCWによる月曜TV戦争時代にWWF世界女子王座を保持しながらWCWに移籍し、なおかつそのベルトをゴミ箱に捨てるという(台本とはいえ)暴挙に出た。
殿堂入りはまず不可能といわれていたが、20年目の和解により殿堂入り。
因みにスピーチの際にはゴミ箱からかつてのWWF世界女子王座のベルトを取り出すという20年前の事件を自ら自虐ネタにした。
ブル中野のアメリカでの最大のライバル。ちなみに、現在の職業はトラック運転手。

・スティング(2016年)
NWA~WCWで活躍した80年代のスーパースター。
NWAではリック・フレアー、日本ではザ・グレート・ムタと戦いで人気を博した。
WCW時代には「クロウペイント」と言われる白黒ペイントにギミックチェンジし怪奇系ベビーフェイスになった。
絶対にWWEに上がることはないと言われていたが、2014年に遂にWWEデビューした。
しかし、2015年セス・ロリンズ戦で頸髄を負傷しこの試合を最後に引退した。

・ザ・ゴッドファザー(2016年)
ブードゥー教の呪術師「パパ・シャンゴ」として活動した後、総合格闘家「カマ」を経てホー姉ちゃんを連れて歩くポン引き野郎になった男。
一時期「グッドファザー」にもなったが、バル・ビーナスとの風紀違反コンビが人気を博した。

・スタン・ハンセン(2016年)
日本でも「不沈艦」としてお馴染みの来日外国人レスラーの大御所。
WWEとの関係としては初来日前のルーキー時代に時のWWWF王者であるブルーノ・サンマルチノとの試合でボディスラムを失敗してしまい重度の頸椎捻挫を負わせて2か月の長期欠場にさせてしまった事がある。
しかし、ブルーノの機転で「ラリアットで骨折させた」というギミック(?)が付いた事で日本でのイメージと異なりアメリカでは大ヒールとして一躍有名になった。(WWEでも同じテキサス州出身であるJBLがファイトスタイルを含めて影響を与えている)
その後も新日本や全日本プロレスに出場する合間を縫ってWWE、WCW、ECW、AWAといったメジャー団体にも出場を果たしている。
因みにAWA世界王者になった時に、巡業スケジュールを巡り団体と決裂し王座をはく奪された時に仕返しに&bold(){&font(#ff0000){保持していたベルトを自分のトラックで轢いて破壊する}}という鬼畜の諸行をして返却したという豪快な逸話がある。
インダクターはベイダーが務めた。

・セオドア・ロング(2017年)
「ホラ・ホラ・ホラ」「ヤー・フィール・ミー」「ユー・キャン・ビリーダッ・プレイヤ!」などと叫ぶ陽気で理知的なスマックダウンのGMというイメージを持つ方が多いと思うが、もともとは悪徳レフェリー、ヒール側のマネージャーというポジションが多かった。

・リック・ルード(2017年)
馳浩が好んでやっていた「腰クネクネ」ポーズの元祖。
南部エリアで「お色気系ヒール」として独自の人気を獲得。
1987年にWWFに移籍しホーガンやアルティメット・ウォリアーと激闘を繰り広げた。
その後WCWに移籍すると中堅ヒールとして活動し、そのまま全日本や新日本にも登場し第2回GIクライマックスでは決勝戦で蝶野正洋に敗れるも無名に近い存在ながら準優勝に勝ち進んだ(因みにこの年はスティーブ・オースチンも参加している)。
しかし、94年に頚椎損傷して現役を引退。
WWFに復帰してマネージャーとしてDX結成から参加する。
しかし、1998年にWCWに引き抜かれる。
が、直後に心臓発作を起こして死去した。
因みに2019年には所属していたDXが殿堂入りしているが、結成時からのメンバーにも関わらずすぐに脱退した為か選ばれなかった。

・ダッドリー・ボーイズ(2018年)
ECWから登場し、日米様々な団体で通算28度のタッグ王座を獲得した&font(l){岡山弁使い}テーブル戦の達人タッグチーム。権利の都合上、WWE以外では「チーム3D」と名乗る。
本来はデビッド・ダッドリーを父親とする9人の異母兄弟だが、WWEでダッドリーズといえば、五男ババ=レイ、八男ディーボン(、末弟スパイク)を指す。

・ゴールドバーグ(2018年)
WCW唯一の生え抜き選手にしてスター。
必殺技のスピアーとジャック・ハンマー、5分以内で相手を倒すという無敵の超人キャラとしてデビューから173連勝をして一躍トップスターの座に躍り出た。
2003年にWWEに登場。WCW時代同様の怪物キャラで活躍するも

・TV収録のみ参加でハウスショーには不参加
・アメリカ以外の国ではスポット参戦できる

などかなりの好待遇にも関わらず、WWEではキャラを持て余し僅か1年で退団。
最後の試合となったレッスルマニア20のブロック・レスナー戦では双方の退団がファンの知る所となっており大ブーイングの中の試合となった。
その後2016年に12年ぶりにWWEに復帰し、因縁の相手であるレスナーとの再戦に勝利、WWEユニバーサル王座を獲得するなど12年前とは異なりその怪物キャラぶりを遺憾なく発揮する。
レッスルマニア33で3度目となるレスナーとの対戦に敗れ引退を表明した。

・ハート・ファウンデーション(2019年)
1985年に結成された、WWEを代表するタッグチームの1つ。
オリジナルメンバーはブレット・ハートとジム・ナイドハート、マネージャーのジミー・ハートで全員ハート姓だがスチュー・ハート率いるハート家出身はブレットのみで、ジム・ナイドハートはスチュー・ハートの娘と結婚してハート家入りしている。ジミー・ハートは全くの無関係。
2度WWE世界タッグ王座を獲得した後、91年に解散しそれぞれシングル転向をした。
1997年にジミー・ハートを除くオリジナルメンバーにブレットの実弟オーエン・ハート、ブレットの義弟デイビーボーイ・スミスとハート・ダンジョン出身のブライアン・ピルマンを加えて再結成をした。
同時に殿堂入りしたショーン・マイケルズ率いるD-Generation Xと激しい抗争を展開したが、
1998年にブレットが[[モントリオール事件]]によってWWEと絶縁状態になり、ジム・ナイドハートとデイビー・ボーイはブレットと共にWCWに移籍し、オーエンはWWE残留を決めチームは再び解散した。(ブライアン・ピルマンは98年10月に死去)
今回はオリジナルメンバーのブレットとジム・ナイドハートが受賞の対象になった。
(ジミー・ハートは個人として2005年に殿堂入りしている)
式典ではブレット(個人に続き2回目)と2018年に死去したナイドハートに代わり実娘のナタリアが出席した。
そしてスピーチの最中に突如乱入した男がブレットにタックルをかます事件が起こり、
一時会場は騒然と化した。

・ D-Generation X (2019年)
1997年に結成され、WWEを長らく支えてきた反体制的なユニット。「セクシーかつ卑猥で、最低にして最高にイカしたヤツら」な彼らはおちゃらけたパフォーマンスと世界最高峰のテクニックで第1期(1997~98)、2期(98~99)、3期(2006~07)、4期(2009~10)と席捲した。
今回受賞の対象になるのはオリジナルメンバーのHBK(個人に続き2回目)、HHH、チャイナと2期のメンバーであるX-PAC、[[ビリー・ガン>ビリー&チャック(WWE)]]、ロード・ドッグの6名。リック・ルード、トリー(テリー・パワー)、ホーンズワグルなどは対象外となった。


~以下、個別項目参照~
・[[ブレット・ハート]](2006年)
・[[エディ・ゲレロ]](2006年)
・[[リック・フレアー]](2008年)
・[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン]](2009年)
・[[ショーン・マイケルズ]](2011年)
・[[エッジ>エッジ(プロレスラー)]](2012年)
・[[ミック・フォーリー]](2013年)
・[[リタ>リタ(プロレスラー)]](2014年)
・[[スコット・ホール]](2014年)
・[[ケビン・ナッシュ]](2015年)
・[[藤波辰爾]](2015年)
・[[スタン・ハンセン]](2016年)
・[[カート・アングル]](2017年)
・[[ダイヤモンド・ダラス・ペイジ]](2017年)



◆今後、殿堂入りが見込まれる人物、ユニット(現役は除く)

ビンス・マクマホン
キラー・カーン
スタイナー・ブラザーズ
オーエン・ハート
ザ・ロック(ドゥエイン・ジョンソン)
トリプルH
ウィリアム・リーガル
ジョン・ブラッドショー・レイフィールド
ジョーイ・スタイルズ
RVD
ケイン
リリアン・ガルシア
クリスチャン
アンダーテイカ-
nWo
ハーディー・ボーイズ


~番外~
◎ウォリアー賞
2014年に殿堂入りし、直後に急逝したアルティメット・ウォリアーの名を冠した賞。
困難な状況においても(主に難病)勇猛果敢に挑み続ける勇者に贈られる。2015年より各年1名選出。
基本的にインダクターはダナ・ウォリアー(アルティメットウォリアーの未亡人)が務める。

・コナー・”ザ・クラッシャー”ミハレック(2015年)
8歳で脳腫瘍により亡くなったダニエル・ブライアン好きの少年。

◎レガシー部門
2016年よりスタート。
各国でプロレス業界を盛り上げてきた、特にWWEとは関係のない人物でも選出対象になる。

・ルー・テーズ(2016年)
・力道山(2017年)

など




追記・修正お願いします。

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