Ⅲ号戦車

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Ⅲ号戦車 - (2014/12/20 (土) 13:19:47) のソース

&font(#6495ED){登録日}: 2011/09/06(火) 13:13:38
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III号戦車とは、ナチスドイツ軍で使用された[[戦車]]である。

正式名称はPanzerkampfwagen III。正式番号はSd Kfz 141。秘匿名称はZW(Zugführerwagen=小隊長車)。
質も量も常に満足の行く水準に到達できなかったが、戦争初期から中期まで活躍した。ドイツ軍の代名詞とも言える「電撃戦」の立役者である。


■開発経緯
ドイツ陸軍はナチスが政権を取る前から新型戦車の開発を進めていた。
1934年に、ハインツ・グデーリアン将軍から「電撃戦」の為の二種類の戦車開発が要請された。

&font(#ff0000){III号戦車}と[[IV号戦車>Ⅳ号戦車]]である。
IV号戦車は項目を見てもらうとして、III号戦車に求められたのは

&font(#ff0000){ハインツ将軍}「電撃戦は機動力が大事なんだよ。オゥ(戦車の足)速くしろよ。」

要求された速度は40km/hと、当時としては高速であった。
これ以外にも様々な要望があり、開発担当のダイムラー・ベンツ社(&font(#008cff){DB}社)は相当苦労をすることになる。
 
■開戦に向けて
・A型
ほぼ試作型と言うに等しい型。生産数も10両だけ。

要求された
・&font(#ff0000){5人乗りで砲塔に3人入れる。}
・&font(#ff0000){15トンを超えないこと(※当初軽戦車として構想されたためで、後に撤回された)。}
・&font(#ff0000){3.7cm砲を装備し、将来的に5cm砲も搭載できる設計にする。}

以上の事項を達成する。しかし、

・&font(#0000ff){重量制限で装甲が15mmと貧弱。}
・&font(#0000ff){にも関わらず最高速度が32km/hで要求速度に達しない。}
とまだまだ問題も多かった。

ちなみに将来への脅威に備えて5cm砲を採用する案があったが、兵器本部長と砲兵監は3.7cm砲で充分だと主張し、
また牽引式対戦車砲(後にドアノッカーと晒された3.7cm PaK 36の事)と弾薬を統一するため、3.7cm砲に決まった。
その代わりにターケットリング径に余裕を持たせて、5cm砲を載せられる設計とした。[[極東の某国でも似たような事が行われてる>97式中戦車]]。

・B型C型D型
兎に角、最高速度を上げる為に足まわりを改良し、改良し、改良したタイプ。が、解決せず。15両、15両、30両と作られた。
因みにD型が出来たのが1938年の初め。第二次世界大戦が起きたのが1939年。遅い!

&font(#ff0000){総統閣下}「おっせぇ開発だなぁ、早くしろよ」

&font(#ff0000){ハインツ将軍}「オゥ早くしろよ」

&font(#ff0000){兵器局}「ハヤクシロ!!」

&font(#008cff){DB}「軍部はせっかち」
 
・E型 F型
そんな感じで難航していた&font(#008cff){DB}であったが、ここで&font(#ff0000){一 転 攻 勢}に出る。
サスペンションに「トーションバー方式」を採用したのだ。
これは比較的最近まで戦車に使われていたり、現在も重量のある車両の主流でもある方式で、当時はまさに「革新的」だった。

このサスペンションのおかげで機動力が上がり、更に重量にまで余裕が出来たので装甲を今までの15mmから30mmに強化し、
これが正式に生産型として採用された。

E型が96両、それを微調整したF型が435両生産された。
ただ、E型が出来たのが1939年初め。9月の開戦に数が揃わないのは当たり前である。具体的には98両くらい。

その後も数が足りず、1940年の西部戦線では2,200両のうち350両がIII号戦車だった。
これまでの戦闘でIII号戦車は二つの教訓を得る。

・砲がやっぱり貧弱だった。
・装甲もやっぱり貧弱だった。

華麗な電撃戦の印象のあるフランス戦だが、投入されたIII号戦車の40%が破壊されていた。

だがしかし!前述したようにIII号戦車は5cm砲を搭載することができる!
じゃあ次は5cm砲を乗っけよう、という話になったのだ。
 
・G型
&font(#0000ff){戦車兵}「5cm砲ください!オナシャス!」

&font(#b8d200){工場}「あ、待ってくださいよ~。数が揃ってないんすよ~。」

仕方ないね。
と言うわけでG型は後ろの装甲を強化しただけで、従来の3.7cm砲を装備したまま生産された…
生産数は600両。

・E型後期F型後期G型後期
&font(#0000ff){戦車兵}「すいませぇ~ん、前線ですけどぉ~5cm砲はまだ時間掛かりそうっすかねぇ~」

&font(#b8d200){工場}「お待たせ!E型F型G型関係無く載せるけど、良いかな?」

&font(#0000ff){戦車兵}「あぁ~いいっすね~」

1940年7月頃になると、42口径5cm砲も数が揃ったので、現在あるIII号戦車に順次搭載された。
&font(#808080){区別が付きづらく我々にとっては紛らわしいのだが。}
 
・H型
最初から42口径5cm砲を装備した型。
車体を抜本的に見直し、III号戦車の新基準を作る…筈だったが結局砲塔が新しくなり、30mmの増加装甲を付ける程度に留まった型。
これで装甲は単純計算で30+30=60mmとなった。
生産数は308両。

・J型
リベンジH型。今度こそ車体を改良し、E、F型から続くベースを更新した。
装甲を50mm一枚板に変更したが、これは二枚板で60mmのH型より優れている。

このJ型には
・H型以前の42口径5cm砲
・新型の60口径、つまり5cm長砲身砲
のどちらかを装備した二種類がある。

何故そうなったかと言うと42口径5cm砲の火力が、かつて威力不足と評された試作対戦車砲(5cm PaK 37)と似通っていたためである。
対仏戦の戦訓から求められていたのは5cm PaK 38(1940年に部隊配備が開始された対戦車砲)と同じ性能の60口径砲だったのだ。

&font(#ff0000){総統閣下}「III号に長砲身砲を載せて差し上げろ(名言)」

&font(#ff0000){兵器局}「おう、考えてやるよ(やるとは言ってない)」

製造上の都合もあり42口径5cm砲の生産を継続していたのが、1941年のある日にバレてしまい……

&font(#ff0000){総統閣下}「あのさぁ……イワナ、書かなかった?」

&font(#ff0000){兵器局}「しーましェーン!!」

こうして総統閣下の怒りを買った結果、ようやくにして60口径5cm砲が導入される事となった。
非常にバランスの優れた名型で、生産数も最も多く2,616両。


そんな感じでIII号戦車は改良されていき、今までの欠点は解消された。
事実北アフリカなんかでは、[[ロンメル]]軍団主力として大活躍をしている。

だったのだが…これらの数が揃う頃には、また新しい敵と対峙していた…

&font(#ff0000){ヨシフおじさんと愉快な赤軍}、そして[[T-34>T-34(戦車)]]である。
 
・L型M型
T-34との戦いで
&font(#ff0000){総統閣下}「III号戦車じゃT-34に機動力、火力、装甲の全ての点で負けてるって、それ一番言われてるぞ」
と気付いた。
配備されたばかり、最新鋭の長身砲J型でさえ歯が立たなかったのである。

それでも何とか戦おうと、装甲を強化したL型1700両や&font(#ff0000){何故か}川を渡る能力を向上したM型250両が生産された。
しかし、1942年の末には、軍部の意見はほぼ一致していた。



時代遅れ、と。
 
■その後
1943年8月。III号戦車の生産中止命令が下された。事実、III号戦車の改良は限界点まで達していた。
新しい期待の星[[パンター>パンター(戦車)]]が後継となり、女房役だったIV号戦車が立派な一物を従えて立ち向かう事になった。


しかし前線で残った戦車は、劣勢になっていく戦場で戦い続けたのである…

・N型
亜種とでも言うべき型。
IV号戦車と[[III号突撃砲>突撃砲]]が43口径ないし48口径7.5cm砲を採用し、従来の24口径7.5cm砲が余っていた頃、
どこぞの頭の良い奴が「頑張ればIII号に載せれるんじゃね?」と言うことで作った。
その口径の大きさにより榴弾威力が高く、歩兵散らしとして活躍。
更に丁度配備され始めた&font(#ff0000){対戦車榴弾}、(成形炸薬弾、HEAT弾)を使用することにより、J型よりも高い対戦車戦闘能力を発揮できた。
対戦車榴弾は弾の直径がそのまま威力になるので、弾速の遅い短砲身砲でも威力は変わらないのである。

ちょっとしたリサイクル精神から生まれたのだが、兵士からの評判は良かったとか。



他に亜種としては、[[汚物は消毒]]火炎放射型とか、牽引車など雑用係的な物が存在する。


 
III号戦車は実戦ではなかなか苦戦することも多く、改良しても改良しても新たな敵に劣勢を強いられた。
しかし、その技術はけして無駄ではなく、革新的で優秀なものであったことに違いはない。

ポーランドの騎兵隊を駆逐し、英仏の連合軍を大陸から追い出し、モスクワの一歩手前まで攻め込んだのは、
紛れもなく彼女の功績なのだから。


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- 帝国軍はホモ  -- 名無しさん  (2013-07-25 01:28:30)
- フランス戦では数が全然揃ってない→揃ってきたソ連戦だとT34出てきて陳腐化というクッソ哀れな主力戦車  -- 名無しさん  (2014-03-26 10:27:38)
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