1992年第53回菊花賞

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1992年第53回菊花賞 - (2013/03/23 (土) 15:05:02) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2012/01/11(水) 20:23:16
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#center(){&font(#ff0000){どこからでも}}
#center(){&font(#ff0000){何でもこいと言う感じか}}
#center(){&font(#ff0000){ミホノブルボン}}


1992年11月8日に京都競馬場で行われた第53回菊花賞はライスシャワーが勝ったレースである。


出走馬

1 ヤマニンミラクル
2 メイキングテシオ
3 サンキンタツマー
4 メイショウセントロ
5 ワカサファイヤー
6 グラールストーン
7 [[ミホノブルボン]]
8 [[ライスシャワー>ライスシャワー(競走馬)]]
9 ランディーバーン
10 マチカネタンホイザ
11 ヘヴンリーヴォイス
12 キョウエイボーガン
13 ヤングライジン
14 バンブーゲネシス
15 セキテイリュウオー
16 スーパーソブリン
17 セントライトシチー
18 ダイイチジョイフル
 

この年の牡馬クラシック戦線は平成最強の逃げ馬、ミホノブルボンの独壇場で、無敗の二冠を達成していた。
ミホノブルボンは基本的にスプリンターと言われていて、レースを重ねる度に伸びる距離へ挑戦していた。
クラシック最長距離の菊花賞では他の17頭がどこまで迫れるかに注目が集まっていた。

圧倒的1番人気はもちろんミホノブルボン。
無敗の二冠馬で前走の京都新聞杯も日本レコードで勝っていた。
2番人気は[[ダービー>1992年第59回東京優駿(日本ダービー)]]に続いてミホノブルボンと同枠を引いたライスシャワー。
ダービー2着馬で前走京都新聞杯もミホノブルボンの2着だった。
3番人気はダービー4着馬で前走カシオペアステークスで古馬相手に2着のマチカネタンホイザ。
4番人気は前走セントライト記念3着のスーパーソブリンだった。
 

三冠馬の誕生を祝うかのような快晴の下レースは始まった。
ライスシャワーやマチカネタンホイザらが僅かに出遅れる中、1番人気のミホノブルボンは好スタートを決めた。
しかし、同じ逃げ馬で前走京都新聞杯では控えて大敗したキョウエイボーガンが、ダッシュを利かせて先頭に立った。
ミホノブルボンは前に馬を見てレースをするのは、朝日杯以来であり、その年は初めてであった。
久々に他馬を前に見たことで持ち前の負けん気に火が付き1周目の坂の下りで掛かってしまう。
しかし、鞍上の小島貞博騎手が懸命になだめてスタンド前でどうにか折り合う。

人気のライスシャワーやマチカネタンホイザは5、6番手の先行集団で前をうかがっていた。
ライスシャワーの鞍上の的場騎手は予想通りの展開に余裕があったと言う。

キョウエイボーガンが軽快に逃げ、それを追うミホノブルボン。
馬群は縦長に展開された。

向こう正面でキョウエイボーガンがペースを落とし、馬群は縮まっていった。
 
3コーナーを過ぎてキョウエイボーガンが一杯になるとようやくミホノブルボンが先頭に立った。
そこに今度はメイショウセントロが執拗に絡んできた。
それをようやく振り切って第4コーナーをミホノブルボンが先頭で回った。
いつものようにそこから後続を突き放していくかと思われたが、この日は違った。
外から2番人気の最強ステイヤーのライスシャワーが満を持して内のマチカネタンホイザと一緒に伸びてきたのだ。
勝負の行方はこの3頭に絞られ、後続は遥か後方に置いていかれた。
懸命に逃げるミホノブルボンだったがついにゴールまで残り100mと言う所でライスシャワーに捕まってしまう。
その瞬間、大歓声がため息に変わった。
そこから差を広げていくライスシャワー。
ミホノブルボンは内のマチカネタンホイザを抑えて2着を死守するのが精一杯だった。
 
結果

1着 ライスシャワー
2着 ミホノブルボン
3着 マチカネタンホイザ
4着 メイキングテシオ
5着 ダイイチジョイフル
6着 セキテイリュウオー
7着 ワカサファイヤー
8着 ヤマニンミラクル
9着 ヤングライジン
10着 グラールストーン
11着 スーパーソブリン
12着 メイショウセントロ
13着 セントライトシチー
14着 ランディーバーン
15着 バンブーゲネシス
16着 キョウエイボーガン
17着 サンキンタツマー
18着 ヘヴンリーヴォイス


勝ちタイムは3分05秒0のレコードタイムで無敗の三冠の夢は破れた。
ミホノブルボンは朝日杯も制しているため、勝っていれば無敗の四冠馬の誕生だった。現在でも無敗の四冠馬は誕生していない。
しかもミホノブルボン自身、レコードタイムで走破しているのでその惜しさと言ったら相当のものである。
それから後10年以上経った後、先行して抜け出し菊花賞で[[ディープインパクト>ディープインパクト(競走馬)]]の2着に粘ったアドマイヤジャパンが上がり3ハロン35秒5、
差し馬の三冠馬[[オルフェーヴル]]が同じ菊花賞で上がり3ハロン34秒6ということを考えればハイペースで2番手追走、
4コーナー先頭で上がり3ハロン35秒0というタイムは文句無い素晴らしい数字であり、
それを交わし切ったライスシャワーはとんでもない馬だったと言える。

勝ったライスシャワーは[[翌年の天皇賞・春>1993年第107回天皇賞・春]]ではメジロマックイーンを破り、
そしてさらにそこから翌々年の天皇賞・春も制する最強レベルのステイヤーである。
三冠馬である[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]やディープインパクトと対戦しても長距離レースでは好走以上すると思われる馬である。
もしミホノブルボンが他の世代であればと考えるファンも多い事だろう。
 
クラシックの最後の一冠を見事に勝利したライスシャワーであったが、このレースでの評価は勝った馬ではなく、ミホノブルボンを負かした馬として悪役扱いされた。
それは翌年天皇賞・春でメジロマックイーンを破ることでピークに達し、もう一度天皇賞・春を制するまで悪役イメージはつきまとっていた。
しかし関西馬全盛期に奮闘する関東馬として、特に関東のファンには人気のあった馬でもあった。
レース内容も正々堂々、真っ向勝負で勝ったもので、出し抜けなど姑息な手段を使わず正攻法で誇り高く堂々としたものであることから、実力のある魅力的な悪役であったと言えよう。
 
最後の直線でため息をついた方、追記修正お願いします。


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