ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko1568 突然変異種まりさ
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ankoss
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一つの命が、今、産まれようとしている。
野山の一角に穿たれたその穴には、ゆっくりれいむと、ゆっくりまりさのつがいが暮らしていた。
れいむの頭からは一本の茎が伸びている。
その先端には、ひとつの実が成っていた。
ゆっくりまりさだ。
ゆっくりまりさが、震える。
そして、へたから離れた。
ぺち。
と、音を立てて、赤子まりさは大地に降り立った。
赤ちゃんまりさは、本能の赴くままに、口を開いた。
「ゆっきゅりちていっちぇにぇ!」
可愛らしい声は、まりさとれいむを心躍らせた。精一杯の愛情を籠めて、それに答えた。
「ゆっくりしていってね!」
この挨拶は、ゆっくりがゆっくりであるための証明のようなものでもあり、本能でもあった。
本能があるという一事をもって、ゆっくりを生きものクラブの一員に列せられることはできるだろうか。
生きものはことごとく本能がある。だから本能を有するゆっくりもまた生きものだ、とする理屈をもって。
人は是と答え、人は否と首をふるだろう。
もっとも、そのような不確かさな屁理屈をこねなくても、創造神が手を滑らせてしまったようなでたらめ極まるゆっくりを、
生きものであるとみなす根拠は、いくつかある。
「やつらは、ふえるじゃないか」
自己増殖機能を挙げる人がいる。
「一応は、知能があるわ」
知性を動員する人もいる。
「意志もある……たぶん」
心を持ってくる人だっている。
少数派は、このように答えるかもしれない。
「突然変異を起こす例があるさ」
これをもって、ゆっくりを生命とするかどうかは、誰も分からない。
生命の定義など、誰も知らないのだから。
しかし、ゆっくりがときおり、突然変異を起こすことは確かだった。
新しく産まれた小さな命。ゆっくりまりさの、赤子。
両親は待望の第一子が可愛くてしかたがない。父まりさは、茎を折るとそれを与えた。
「さあ、おびちちゃん、たべていいんだぜ!」
満面の笑みで、赤ゆまりさに茎を進呈した。それは、糖分の詰まった極上のあまあまだ。
赤ゆまりさもまた、宝石のような笑顔で言った。
「何と! 我は産まれたばかりだというのに、早くも食餌にありつけるというのか!
これこそが父の強き愛! これこそが母の堅き愛! 脆弱なる赤子をもって情愛の対象となす、この世で最も高貴な感情!
その愛情が、おお、何と言うことだ! 目のまえの、触れれば折れてしまいそうな一本の茎に宿っている!
奇跡!
これが奇跡としてなんと言おうか!
眼下の物質、これは炭素と水素の化合物でしかない!
しかし! 確かに、この無機物には、科学の手には負えない愛情と呼ぶべき不可思議なるものが詰まっている!
そして! その愛情こそが、我を生かし、我を育て、我を巣立たせてくれるであろう!」
父まりさ、母れいむ、ともに仰け反った。
甲高い声は赤子ゆっくりのそれだし、表情も輝かしくて可愛らしい。
ただひとつ、話している内容だけが違っていた。
「我はこの食餌を単なる食餌とはみなさない。
我が食すべきは、あまあまに非ずッ!
愛情也!
ゆえに!
我もまた、両親の愛情に応えるべく! 満腔の愛情をもって、全身全霊でもって、このあまあまを食してくれる!」
「今ここに!
我は!
我が生涯初の!
すーぱーむーしゃむーしゃたいむの開幕を宣言するッ!!!」
父まりさも、母れいむも、は絶句した。
子供の言っていることは、ほとんど理解できなかった。
人間にとってみれば、幼児がいきなり外国語を話したようなものだろうか。
それも、例えば英語やフランス語のような世界的言語ではなく、いかなる言語さえも判別しない不明瞭な発音である。
一方の赤ゆのまりさは、両親の驚倒など意に関せずといったかんじで、茎にむしゃぶりついた。
さくりさくりと、茎を食する。
両親は、固唾を呑んで来るべき言葉を待った。
そう、こう言うはずなのだ。
「ちあわちぇ~」と。
果たして、赤ゆまりさは顔を上げて、絶叫寸前の声を上げたのだった。
「何たる美味!」
二匹は露骨に肩を落とした。
言葉だけなのだ。
赤ゆのまりさは、見た目だけならば通常のゆっくりとなんら変わるところはなかった。
玉のような肌と、黒帽子のコントラストが美しい。輝かしい目は宝石のようで、金髪は透き通っていて黄金を梳いたようだ。
食べる姿も子供らしく、食い散らかしているといった感じだ。
声もまた赤ん坊の声そのままだ。
言葉だけ。
言葉だけが違っている。
「美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也!」
連呼されても何がなんだか分からない。
「ゆ……おちびちゃん?」
すこしためらいつつ、父まりさが声をかけた。
「父上! いかなる御用でございましょう! 不詳のまりさ、全力をもって父上の言葉に応じる所存!」
「その……おいしいかな?」
「大変なる美味! 震えが来る旨さとは、まさにこのこと!」
「そ、そう……」
父まりさは、つがいのれいむに耳打ちした。
「……その、こっちのことばは、わかっているみたいだぜ」
「そ……」
母れいむは一筋の光明を見出した。
親の言葉が分かるのなら、強制できるのではないだろうか、と。
赤ゆのまりさは両親の恐怖など露知らず、さらなる活動に打って出た。
「父上! 母上! まりさは食べすぎましたぞ!」
「えっと……」
困惑しきりの両親。
両親を置いてけぼりにして轟く、甲高い声の演説。
「感じる! 感じるぞ! このまりさの体内で! あまあまが餡子に変換されてゆく!
生きるための栄養分へと転じられてゆく! これが生命というものなのか!
口が痛い! なぜならば食物を体内に運搬するために口を動かしたからだ!
目が痛い! なぜならば食物を摂しているときには目を開いていたからだ!
腹が痛い! なぜならば我が体内のふるい餡子が押しだされているからだ!
この痛み! この痛みこそが生きている証である! 痛みこそが生命の象徴だ!
違うというならば証明してみせよ! 石や空気が痛みを感じるのかどうかと!」
「おお! おお! おお!
あにゃるが痛くなってきたぞ!」
「なんということだ!
我は、我は……うんうんしようとしているというのかッ!」
「恥ずかしい!
この感情! そうだ、これが恥という感情だ!
ああ……嬉しいぞ! 我は脱糞を恥じるだけのゆっくりらしき心を持ちあわせていることを、確信している!」
「来たれ! うんうん!
さあ、来るぞ!
生命の専売特許たる動的な平衡を維持するときが!」
「我は!
今ここに!
我が生涯初の!
すーぱーうんうんたいむの発動を希求するものなりィッ!!!」
うんうん姿勢をとる、赤ゆのまりさ。
またも両親はその姿を見守る。
さあ、言うんだ。
言ってくれ。
盛大にうんうんして、盛大に叫んでくれ。
「すっきりー」と。
果たして。
むりむりむりっ。
と、うんうんが排出された。
その瞬間。
赤ゆのまりさは、刮目し、瞠目し、咆哮した。
「何なんだ! この解放感はッ!!!」
露骨に肩を落とす成体ゆっくり二匹。
何なんだとは、こっちが聞きたい。
あなたは、一体何なのか?
たまらず、母親れいむが荒げる声で言った。
「ゆっくりしていってね!」
子は答えた。
「ゆっくりしていってね!」
れいむもまりさも安堵した。どうやら最低ラインは護っているらしい。ここだけは突破されないように願うばかりだ。
発音明瞭であることは、すこし不安ではあるのだが。
「む……おお……眠い! 眠いぞ! 我が心神が睡眠を欲している!
睡魔め!
早速来たか、せわしないことだッ!
睡魔め!
何を急ぐ? 汝は、これから数えきれないほどに我を打ち負かすというのに!
睡魔め!
汝は何匹いるのだ? いったい、どれだけの生きものをその歯牙にかけてきたことか!
睡魔め!
なんたる強大さか! 嗚呼、瞼が重い!
睡魔め!
赤子たる我に対しても、それほどに強大なる力を振るうというのか! よかろう! 我は汝に屈しよう!
赤子に対してもまるで気を緩めぬその慎重! なるほど! 睡眠欲に抗えぬのも納得できる!
さあ睡魔め! 我が体を貪るがいいさ!
しかしゆめ忘れるでないぞ。
一日の半分以上は、貴様の敗北が約束されているのだからな! せいぜい、勝利しては敗北し、敗北しては勝利する、
いつ終わらぬとも知れぬ戦いに明け暮れるがいい、生命の偉大さをその身に刻み、終わらぬ戦いに絶望するがいい!
さあ眠る。
眠るとする……。
我は!
今ここに!
我が生涯初の!
すーぱーすーやすーやたいむの到来を記憶するものであるッ!」
こうして、絶望に近い困惑を両親に与えた、赤ゆのまりさの第一日目が終了した。
翌日から、赤ゆのまりさの試練が始まった。
言語矯正訓練である。
ゆっくりらしい言葉遣いができるようにと、両親はゆっくりことばを叩きこむことに決めたのだった。
この方針を伝えると、赤ゆのまりさは承諾しつつも納得はしていなかった。
「我は、ゆっくりの言葉を話しているのに……」
しかし両親は納得しなかった。
とはいえ、ゆっくり言葉の教科書などあるはずがない。
訓練は一から十まで、実地訓練となった。
食餌のとき、父まりさが伝えた。
「おちびちゃん、よくきくんだぜ! しょくじをしたあとは、こういうんだぜ。しあわせー、って!」
「し……しあわせー」
ぎこちない。が、意味は伝わった、
「そう、そう。そのちょうしなんだぜ。さっそく、れんしゅうなんだぜ!」
赤ゆのまりさの前に、草が置かれた。やってみろ、ということだ。
食べた。
果たして、まりさは声を上げた。
「合格!」
「ゆんっ」
父まりさは、ためらわずに赤ゆのまりさをひっぱたいた。
「いったんだぜ、しあわせーだ、ほかはだめなんだぜ!」
教育はスパルタ式で行くつもりだった。
また別のときに、母れいむは教えた。
「おちびちゃん、よくきいてね! うんうんやしーしーをするまえは、まりさのすーぱーうんうんたいむはじまるよ、だよ!」
「まりさのすーぱーうんうんたいむはじまるよ」
ゆっくりらしからぬ機械的な発音だった。
「そうだよ! それからね、うんうんやしーしをしたあとは、すっきりー、だよ!」
「すっきりー」
赤ゆまりさは真顔のままだ。
「そうだよ! すっきりーだよ、まちがえちゃだめだよ! じゃあ、れんしゅうしてみてね!」
赤ゆまりさは寝転がった。
その足もとには葉っぱが置かれた。ここにやれということだ。
まりさは、一語一語確かめるように、発音した。
「ゆ……ま……りさの! ゅぅ……すっぱ! ……ゅ……えっと……うんうん……た? ……いむ……ゅ……はじま……るよ?」
発音するたびに親れいむは頷き返す。
安堵して、まりさはうんうんを垂れ流した。
その解放感がまりさに油断をもたらしたらしい。
「またつまらぬものを脱糞してしまった……!」
「むぎぃやぁぁぁぁァァァァァッッ!!!」
母れいむの、愛の体罰が降りかかった。
「ちがぅぅぅぅぅゥゥゥゥッッ!!!」
まりさは、顔面を自分の排泄物に突っ込まされた。
父まりさの帽子のつばに、まりさが乗っている。足もとには草を敷き詰めて、マットがこしらえられていた。
「おちびちゃん、いったとおりにやるんだぜ! もうちいど、いってみるんだぜ!」
「お……おそ、らをと、ん、でい、るよ?」
自信なさげに、まりさは言った。
「そうなんだぜ、やればできるんだぜ!」
「おちびちゃん、さあ、とんでみてね!」
母れいむも見守る中で、まりさは帽子から飛び降りた。
その浮遊感。
無重力状態。
非日常が、まりさの頭から、親から授かった言葉を拭いさってしまっていた。
「鳥よォッ!! 羨ましいぞォッ!!」
ぽとり。
着地は見事だった。
が、まりさの顔は死んだようになっていた。
恐る恐る振り返ると、鬼の形相と化している母れいむと、自殺しそうなほど落胆している父まりさの姿があった。
日に日にあざが増えた。
が、それだけ正しい言葉を使える確率も高まってきた。
しかしときおり間違った。
たとえば排泄のときだった。
「まりさの! おそらをとんでいるよ! すーぱーしーしたいむ!」
言うまでもなく余分なものが入っている。
躊躇うことなく殴られた。
謝っても無駄だった。
また別の日のことだった。
まりさはすり足の練習をしていた。正確に言えば、隠密行動時の言葉遣いを練習していた。
「そろーり! そろーり! うんうん! そろーり! そろーり! かわいくってごめんね! そろーり! そろーり! とかいは!」
食を抜かれた。
泣き叫んでも無駄だった。
さらに別の時。
石とにらめっこしていた。
傍らには、監視役の親れいむ。
「……いしさん! まりさ、おこってるんだよ!」
当然、石は応答せず。
「……いしさん! もうゆるせないよ! まりさはぷくーするよ!」
怒ったときの言葉の練習だった。
まりさは頬に空気を溜めた。
そして言葉を発する。
「いぢゃぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!!!」
突然、泣き喚きだし、転がりだすまりさ。誰も何もしていない。間違ったのだ。
「ぷくー」
という、威嚇のポーズをすべきところを、
「いぢゃぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!!!」
という、痛みを訴える反応と取り違えてしまったのである。
親れいむは額に青筋を立てていた。
「ゅ……」
ぴたりと、まりさの動きが止まる。
間違えたのを悟った。恐る恐る、母れいむへと向きなおった。
母れいむの全身から殺意がほとばしっていた。
まりさは叫んだ。
謝らなければ。
謝らなければ!
しかし、どうやって?
両親から教わった謝罪の言葉……ゆっくり言語の謝罪とは、果たしてなんだっただろうか?
「うんうんッッッ! まりさのッッ! おそらをとんでいるよッ! かわさんはゆっくりできないよッッッ!」
まりさは謝罪しているつもりだった。
が、謝罪の言葉が思い出せない。
ゆっくり言葉での謝罪の単語が分からなかったのだ。
だから、とにかく思いつくかぎり言葉をならべた。
「すーぱーっっ!!!」
母れいむのこめかみが脈動した。
これではない。
「すっきりっっ!!」
これも違う。
「しぬのっ!」
違った。
「かわいくってとかいは!」
母れいむの怒りはおさまらない。
「おそらをうんうん!」
これもまた謝罪の言葉ではないらしい。
「ぱーふぇくと、しーしー、すーぱー!」
無我夢中で言葉を探す。
「するよ、ばかなの、すーやすーや!」
とにかく思いつくかぎりの語彙を並べる。
「おりぼんさんを……えっと……ぺにぺに!」
次第に母れいむの殺気が形をなしてゆく。
「むーしゃむーしゃに……ぁあ……おぼうしさんを……ぁ……いたがってるよ!」
まりさの目がうるみだす。
「あまあまは……ひぐっ……やめてあげてねは……ぐすっ……ぺーろぺーろ!」
声にも湿り気が出てきた。
「えれえれが、おちびちゃんして……うんうんといっしょに……ひぐっ……えれえれ」
また違った。
「ゆぐっ……ばーじん……ぅぁ……あんこさん……えぐっ。」
まだ出てこない。
「たいむ……ぐずっ……しーしーうんうんしーしーを……ひぐっ……まむまむして……あぐ」
何を言っているのかまりさ自信にも判別がつかなかった。
「どーなつして……れみりゃして……ばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんッ……ばーじんッッッ!!!」
まりさの餡子は混乱の極みにあった。
遂に、まりさは狂った。
「……ぁ……ひぐっ……ま……ま……まりさ! まりさ! ……まりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさ」
出てこない。
謝罪の言葉がまるで出てこない。
「どうして……」
母れいむは震えていた。
「どうして、ごめんなさいのひとことがいえないの!」
この日、母れいむの体罰は熾烈を極めた。
しかし、その結果として、まりさは全ての困難に最終的な終止符を打つ手段を思いついた。
簡単なことだった。
まりさは言葉を失くした。
一切、しゃべらなくなった。
その結果を見て、両親はよしとした。
言語不明瞭に悩まされることが無くなったことが嬉しくてたまらなかった。
まりさは結局、正確なゆっくり言葉を覚えられなかった。
理由は単純だった。
例えば、「おそらをとんでいるよ」。
この言葉は、まりさにとって何ら意味をなさなかった。
ゆっくりたちが狼の遠吠えや豚の鳴声を耳にするとの同じように、まりさには感じてしまうのだった。
いや、それだけではない。
発音自体はそれほど変わらないから、狼と豚の鳴声が違うほどには差異がなく、ほとんど違いが分からなかった。
「うんうんしたあとはすっきり! ごはんたべたあとはしあわせ!」
という指摘は、
排泄のときにはダックスフンドが求婚する時の唸り声を発し、食餌をするときはドーベルマンが構ってほしいと主人にすり寄る時の声を発せよと命じるに等しい。
至難だった。
無論、例えば「すーぱーむーしゃむーしゃたいむ」などは使っていた。
だがこれとしても、その前置きとして長ったらしい演説を置いてこそ、まりさにとっては意味をなしていた。
それ単独で使えというのは、たとえば「あ」の音を五分割して、その五分の二番目だけを使用せよ、というほど無謀な行為だった。
少なくとも、まりさにとっては。
耐えられるものではなかった。
無言の食餌。
無言の狩猟。
無言の排泄。
無言の睡眠。
まりさは静寂の世界に取りこまれていった。
破局は、ある日突然に、しかし半ば必然的にやってきた。
それは、言葉という言葉を積極的に忘却しようとしたまりさにとっては、いつか来るはずの破滅だった。
ある日の朝。
両親は、まりさに言ったのだ。
いかなる動機で言ったのか、どのような文脈で言ったのか、そんなことはまるで関係ない。
ただ、事実として、その一言がまりさの生涯を断ち切った。
両親は、朗らかな笑みで、ゆっくりの本能の根底に沁みこんでいるはずの、その言葉を口にした。
「ゆっくりしていってね!」
まりさは口を開けた。
しかし言葉が出てこない。
ただただ、空気の漏れるような音だけが編まれている。
口もとにはゆっくりらしい笑みが浮かんでいる。しかし目元は哀しみに食われている。
まりさには、確信があった。
返すべき言葉がある。
ゆっくりしていってね。この掛け声に、何か必ず、返すべき言葉が、ある。
まりさは死に物狂いで言葉を調べた。泥の海を掻き分けて沈みゆくその言葉を口でしっかりと咥えこみ、しかし掴んだと思ったら零れてゆく。
それを忘れたらゆっくりはゆっくりでなくなる。だから言わなくてはならない。
いつまでもまりさは探しつづけた。
朽ち果てて腐りきった言葉の群れが泥となって集積している言語の海に分け入って、底なし沼に埋まってゆく大切な言葉を回収するべく死闘した。
そして、敗北した。
完膚なきまでに叩きのめされた。
まりさは、ゆっくりと、口を閉ざした。
命とは何か。古くて新しい問いに正確な答えはいまだに見つかっていない。
しかし、ゆっくりとは何かと問われれば、人は一様にある一言を想起する。
逆に言えば。
その一言を忘却したゆっくりなど、もはや、ゆっくりではなかった。
歩く饅頭であり、遺伝子を持たぬ生命であり、神経無くして人語を解する、自然現象を馬鹿にした、化け物でしかない。
そして、化け物などはこの世にいない。
化け物が存在しない以上、化け物となるしかなかったまりさの運命は、その口が永遠に閉ざされた瞬間、決定した。
(おわり)
投稿作品
anko1565 れいむの義務
anko1567 お口を開けると
野山の一角に穿たれたその穴には、ゆっくりれいむと、ゆっくりまりさのつがいが暮らしていた。
れいむの頭からは一本の茎が伸びている。
その先端には、ひとつの実が成っていた。
ゆっくりまりさだ。
ゆっくりまりさが、震える。
そして、へたから離れた。
ぺち。
と、音を立てて、赤子まりさは大地に降り立った。
赤ちゃんまりさは、本能の赴くままに、口を開いた。
「ゆっきゅりちていっちぇにぇ!」
可愛らしい声は、まりさとれいむを心躍らせた。精一杯の愛情を籠めて、それに答えた。
「ゆっくりしていってね!」
この挨拶は、ゆっくりがゆっくりであるための証明のようなものでもあり、本能でもあった。
本能があるという一事をもって、ゆっくりを生きものクラブの一員に列せられることはできるだろうか。
生きものはことごとく本能がある。だから本能を有するゆっくりもまた生きものだ、とする理屈をもって。
人は是と答え、人は否と首をふるだろう。
もっとも、そのような不確かさな屁理屈をこねなくても、創造神が手を滑らせてしまったようなでたらめ極まるゆっくりを、
生きものであるとみなす根拠は、いくつかある。
「やつらは、ふえるじゃないか」
自己増殖機能を挙げる人がいる。
「一応は、知能があるわ」
知性を動員する人もいる。
「意志もある……たぶん」
心を持ってくる人だっている。
少数派は、このように答えるかもしれない。
「突然変異を起こす例があるさ」
これをもって、ゆっくりを生命とするかどうかは、誰も分からない。
生命の定義など、誰も知らないのだから。
しかし、ゆっくりがときおり、突然変異を起こすことは確かだった。
新しく産まれた小さな命。ゆっくりまりさの、赤子。
両親は待望の第一子が可愛くてしかたがない。父まりさは、茎を折るとそれを与えた。
「さあ、おびちちゃん、たべていいんだぜ!」
満面の笑みで、赤ゆまりさに茎を進呈した。それは、糖分の詰まった極上のあまあまだ。
赤ゆまりさもまた、宝石のような笑顔で言った。
「何と! 我は産まれたばかりだというのに、早くも食餌にありつけるというのか!
これこそが父の強き愛! これこそが母の堅き愛! 脆弱なる赤子をもって情愛の対象となす、この世で最も高貴な感情!
その愛情が、おお、何と言うことだ! 目のまえの、触れれば折れてしまいそうな一本の茎に宿っている!
奇跡!
これが奇跡としてなんと言おうか!
眼下の物質、これは炭素と水素の化合物でしかない!
しかし! 確かに、この無機物には、科学の手には負えない愛情と呼ぶべき不可思議なるものが詰まっている!
そして! その愛情こそが、我を生かし、我を育て、我を巣立たせてくれるであろう!」
父まりさ、母れいむ、ともに仰け反った。
甲高い声は赤子ゆっくりのそれだし、表情も輝かしくて可愛らしい。
ただひとつ、話している内容だけが違っていた。
「我はこの食餌を単なる食餌とはみなさない。
我が食すべきは、あまあまに非ずッ!
愛情也!
ゆえに!
我もまた、両親の愛情に応えるべく! 満腔の愛情をもって、全身全霊でもって、このあまあまを食してくれる!」
「今ここに!
我は!
我が生涯初の!
すーぱーむーしゃむーしゃたいむの開幕を宣言するッ!!!」
父まりさも、母れいむも、は絶句した。
子供の言っていることは、ほとんど理解できなかった。
人間にとってみれば、幼児がいきなり外国語を話したようなものだろうか。
それも、例えば英語やフランス語のような世界的言語ではなく、いかなる言語さえも判別しない不明瞭な発音である。
一方の赤ゆのまりさは、両親の驚倒など意に関せずといったかんじで、茎にむしゃぶりついた。
さくりさくりと、茎を食する。
両親は、固唾を呑んで来るべき言葉を待った。
そう、こう言うはずなのだ。
「ちあわちぇ~」と。
果たして、赤ゆまりさは顔を上げて、絶叫寸前の声を上げたのだった。
「何たる美味!」
二匹は露骨に肩を落とした。
言葉だけなのだ。
赤ゆのまりさは、見た目だけならば通常のゆっくりとなんら変わるところはなかった。
玉のような肌と、黒帽子のコントラストが美しい。輝かしい目は宝石のようで、金髪は透き通っていて黄金を梳いたようだ。
食べる姿も子供らしく、食い散らかしているといった感じだ。
声もまた赤ん坊の声そのままだ。
言葉だけ。
言葉だけが違っている。
「美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也! 美味也!」
連呼されても何がなんだか分からない。
「ゆ……おちびちゃん?」
すこしためらいつつ、父まりさが声をかけた。
「父上! いかなる御用でございましょう! 不詳のまりさ、全力をもって父上の言葉に応じる所存!」
「その……おいしいかな?」
「大変なる美味! 震えが来る旨さとは、まさにこのこと!」
「そ、そう……」
父まりさは、つがいのれいむに耳打ちした。
「……その、こっちのことばは、わかっているみたいだぜ」
「そ……」
母れいむは一筋の光明を見出した。
親の言葉が分かるのなら、強制できるのではないだろうか、と。
赤ゆのまりさは両親の恐怖など露知らず、さらなる活動に打って出た。
「父上! 母上! まりさは食べすぎましたぞ!」
「えっと……」
困惑しきりの両親。
両親を置いてけぼりにして轟く、甲高い声の演説。
「感じる! 感じるぞ! このまりさの体内で! あまあまが餡子に変換されてゆく!
生きるための栄養分へと転じられてゆく! これが生命というものなのか!
口が痛い! なぜならば食物を体内に運搬するために口を動かしたからだ!
目が痛い! なぜならば食物を摂しているときには目を開いていたからだ!
腹が痛い! なぜならば我が体内のふるい餡子が押しだされているからだ!
この痛み! この痛みこそが生きている証である! 痛みこそが生命の象徴だ!
違うというならば証明してみせよ! 石や空気が痛みを感じるのかどうかと!」
「おお! おお! おお!
あにゃるが痛くなってきたぞ!」
「なんということだ!
我は、我は……うんうんしようとしているというのかッ!」
「恥ずかしい!
この感情! そうだ、これが恥という感情だ!
ああ……嬉しいぞ! 我は脱糞を恥じるだけのゆっくりらしき心を持ちあわせていることを、確信している!」
「来たれ! うんうん!
さあ、来るぞ!
生命の専売特許たる動的な平衡を維持するときが!」
「我は!
今ここに!
我が生涯初の!
すーぱーうんうんたいむの発動を希求するものなりィッ!!!」
うんうん姿勢をとる、赤ゆのまりさ。
またも両親はその姿を見守る。
さあ、言うんだ。
言ってくれ。
盛大にうんうんして、盛大に叫んでくれ。
「すっきりー」と。
果たして。
むりむりむりっ。
と、うんうんが排出された。
その瞬間。
赤ゆのまりさは、刮目し、瞠目し、咆哮した。
「何なんだ! この解放感はッ!!!」
露骨に肩を落とす成体ゆっくり二匹。
何なんだとは、こっちが聞きたい。
あなたは、一体何なのか?
たまらず、母親れいむが荒げる声で言った。
「ゆっくりしていってね!」
子は答えた。
「ゆっくりしていってね!」
れいむもまりさも安堵した。どうやら最低ラインは護っているらしい。ここだけは突破されないように願うばかりだ。
発音明瞭であることは、すこし不安ではあるのだが。
「む……おお……眠い! 眠いぞ! 我が心神が睡眠を欲している!
睡魔め!
早速来たか、せわしないことだッ!
睡魔め!
何を急ぐ? 汝は、これから数えきれないほどに我を打ち負かすというのに!
睡魔め!
汝は何匹いるのだ? いったい、どれだけの生きものをその歯牙にかけてきたことか!
睡魔め!
なんたる強大さか! 嗚呼、瞼が重い!
睡魔め!
赤子たる我に対しても、それほどに強大なる力を振るうというのか! よかろう! 我は汝に屈しよう!
赤子に対してもまるで気を緩めぬその慎重! なるほど! 睡眠欲に抗えぬのも納得できる!
さあ睡魔め! 我が体を貪るがいいさ!
しかしゆめ忘れるでないぞ。
一日の半分以上は、貴様の敗北が約束されているのだからな! せいぜい、勝利しては敗北し、敗北しては勝利する、
いつ終わらぬとも知れぬ戦いに明け暮れるがいい、生命の偉大さをその身に刻み、終わらぬ戦いに絶望するがいい!
さあ眠る。
眠るとする……。
我は!
今ここに!
我が生涯初の!
すーぱーすーやすーやたいむの到来を記憶するものであるッ!」
こうして、絶望に近い困惑を両親に与えた、赤ゆのまりさの第一日目が終了した。
翌日から、赤ゆのまりさの試練が始まった。
言語矯正訓練である。
ゆっくりらしい言葉遣いができるようにと、両親はゆっくりことばを叩きこむことに決めたのだった。
この方針を伝えると、赤ゆのまりさは承諾しつつも納得はしていなかった。
「我は、ゆっくりの言葉を話しているのに……」
しかし両親は納得しなかった。
とはいえ、ゆっくり言葉の教科書などあるはずがない。
訓練は一から十まで、実地訓練となった。
食餌のとき、父まりさが伝えた。
「おちびちゃん、よくきくんだぜ! しょくじをしたあとは、こういうんだぜ。しあわせー、って!」
「し……しあわせー」
ぎこちない。が、意味は伝わった、
「そう、そう。そのちょうしなんだぜ。さっそく、れんしゅうなんだぜ!」
赤ゆのまりさの前に、草が置かれた。やってみろ、ということだ。
食べた。
果たして、まりさは声を上げた。
「合格!」
「ゆんっ」
父まりさは、ためらわずに赤ゆのまりさをひっぱたいた。
「いったんだぜ、しあわせーだ、ほかはだめなんだぜ!」
教育はスパルタ式で行くつもりだった。
また別のときに、母れいむは教えた。
「おちびちゃん、よくきいてね! うんうんやしーしーをするまえは、まりさのすーぱーうんうんたいむはじまるよ、だよ!」
「まりさのすーぱーうんうんたいむはじまるよ」
ゆっくりらしからぬ機械的な発音だった。
「そうだよ! それからね、うんうんやしーしをしたあとは、すっきりー、だよ!」
「すっきりー」
赤ゆまりさは真顔のままだ。
「そうだよ! すっきりーだよ、まちがえちゃだめだよ! じゃあ、れんしゅうしてみてね!」
赤ゆまりさは寝転がった。
その足もとには葉っぱが置かれた。ここにやれということだ。
まりさは、一語一語確かめるように、発音した。
「ゆ……ま……りさの! ゅぅ……すっぱ! ……ゅ……えっと……うんうん……た? ……いむ……ゅ……はじま……るよ?」
発音するたびに親れいむは頷き返す。
安堵して、まりさはうんうんを垂れ流した。
その解放感がまりさに油断をもたらしたらしい。
「またつまらぬものを脱糞してしまった……!」
「むぎぃやぁぁぁぁァァァァァッッ!!!」
母れいむの、愛の体罰が降りかかった。
「ちがぅぅぅぅぅゥゥゥゥッッ!!!」
まりさは、顔面を自分の排泄物に突っ込まされた。
父まりさの帽子のつばに、まりさが乗っている。足もとには草を敷き詰めて、マットがこしらえられていた。
「おちびちゃん、いったとおりにやるんだぜ! もうちいど、いってみるんだぜ!」
「お……おそ、らをと、ん、でい、るよ?」
自信なさげに、まりさは言った。
「そうなんだぜ、やればできるんだぜ!」
「おちびちゃん、さあ、とんでみてね!」
母れいむも見守る中で、まりさは帽子から飛び降りた。
その浮遊感。
無重力状態。
非日常が、まりさの頭から、親から授かった言葉を拭いさってしまっていた。
「鳥よォッ!! 羨ましいぞォッ!!」
ぽとり。
着地は見事だった。
が、まりさの顔は死んだようになっていた。
恐る恐る振り返ると、鬼の形相と化している母れいむと、自殺しそうなほど落胆している父まりさの姿があった。
日に日にあざが増えた。
が、それだけ正しい言葉を使える確率も高まってきた。
しかしときおり間違った。
たとえば排泄のときだった。
「まりさの! おそらをとんでいるよ! すーぱーしーしたいむ!」
言うまでもなく余分なものが入っている。
躊躇うことなく殴られた。
謝っても無駄だった。
また別の日のことだった。
まりさはすり足の練習をしていた。正確に言えば、隠密行動時の言葉遣いを練習していた。
「そろーり! そろーり! うんうん! そろーり! そろーり! かわいくってごめんね! そろーり! そろーり! とかいは!」
食を抜かれた。
泣き叫んでも無駄だった。
さらに別の時。
石とにらめっこしていた。
傍らには、監視役の親れいむ。
「……いしさん! まりさ、おこってるんだよ!」
当然、石は応答せず。
「……いしさん! もうゆるせないよ! まりさはぷくーするよ!」
怒ったときの言葉の練習だった。
まりさは頬に空気を溜めた。
そして言葉を発する。
「いぢゃぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!!!」
突然、泣き喚きだし、転がりだすまりさ。誰も何もしていない。間違ったのだ。
「ぷくー」
という、威嚇のポーズをすべきところを、
「いぢゃぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!!!」
という、痛みを訴える反応と取り違えてしまったのである。
親れいむは額に青筋を立てていた。
「ゅ……」
ぴたりと、まりさの動きが止まる。
間違えたのを悟った。恐る恐る、母れいむへと向きなおった。
母れいむの全身から殺意がほとばしっていた。
まりさは叫んだ。
謝らなければ。
謝らなければ!
しかし、どうやって?
両親から教わった謝罪の言葉……ゆっくり言語の謝罪とは、果たしてなんだっただろうか?
「うんうんッッッ! まりさのッッ! おそらをとんでいるよッ! かわさんはゆっくりできないよッッッ!」
まりさは謝罪しているつもりだった。
が、謝罪の言葉が思い出せない。
ゆっくり言葉での謝罪の単語が分からなかったのだ。
だから、とにかく思いつくかぎり言葉をならべた。
「すーぱーっっ!!!」
母れいむのこめかみが脈動した。
これではない。
「すっきりっっ!!」
これも違う。
「しぬのっ!」
違った。
「かわいくってとかいは!」
母れいむの怒りはおさまらない。
「おそらをうんうん!」
これもまた謝罪の言葉ではないらしい。
「ぱーふぇくと、しーしー、すーぱー!」
無我夢中で言葉を探す。
「するよ、ばかなの、すーやすーや!」
とにかく思いつくかぎりの語彙を並べる。
「おりぼんさんを……えっと……ぺにぺに!」
次第に母れいむの殺気が形をなしてゆく。
「むーしゃむーしゃに……ぁあ……おぼうしさんを……ぁ……いたがってるよ!」
まりさの目がうるみだす。
「あまあまは……ひぐっ……やめてあげてねは……ぐすっ……ぺーろぺーろ!」
声にも湿り気が出てきた。
「えれえれが、おちびちゃんして……うんうんといっしょに……ひぐっ……えれえれ」
また違った。
「ゆぐっ……ばーじん……ぅぁ……あんこさん……えぐっ。」
まだ出てこない。
「たいむ……ぐずっ……しーしーうんうんしーしーを……ひぐっ……まむまむして……あぐ」
何を言っているのかまりさ自信にも判別がつかなかった。
「どーなつして……れみりゃして……ばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんばーじんッ……ばーじんッッッ!!!」
まりさの餡子は混乱の極みにあった。
遂に、まりさは狂った。
「……ぁ……ひぐっ……ま……ま……まりさ! まりさ! ……まりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさまりさ」
出てこない。
謝罪の言葉がまるで出てこない。
「どうして……」
母れいむは震えていた。
「どうして、ごめんなさいのひとことがいえないの!」
この日、母れいむの体罰は熾烈を極めた。
しかし、その結果として、まりさは全ての困難に最終的な終止符を打つ手段を思いついた。
簡単なことだった。
まりさは言葉を失くした。
一切、しゃべらなくなった。
その結果を見て、両親はよしとした。
言語不明瞭に悩まされることが無くなったことが嬉しくてたまらなかった。
まりさは結局、正確なゆっくり言葉を覚えられなかった。
理由は単純だった。
例えば、「おそらをとんでいるよ」。
この言葉は、まりさにとって何ら意味をなさなかった。
ゆっくりたちが狼の遠吠えや豚の鳴声を耳にするとの同じように、まりさには感じてしまうのだった。
いや、それだけではない。
発音自体はそれほど変わらないから、狼と豚の鳴声が違うほどには差異がなく、ほとんど違いが分からなかった。
「うんうんしたあとはすっきり! ごはんたべたあとはしあわせ!」
という指摘は、
排泄のときにはダックスフンドが求婚する時の唸り声を発し、食餌をするときはドーベルマンが構ってほしいと主人にすり寄る時の声を発せよと命じるに等しい。
至難だった。
無論、例えば「すーぱーむーしゃむーしゃたいむ」などは使っていた。
だがこれとしても、その前置きとして長ったらしい演説を置いてこそ、まりさにとっては意味をなしていた。
それ単独で使えというのは、たとえば「あ」の音を五分割して、その五分の二番目だけを使用せよ、というほど無謀な行為だった。
少なくとも、まりさにとっては。
耐えられるものではなかった。
無言の食餌。
無言の狩猟。
無言の排泄。
無言の睡眠。
まりさは静寂の世界に取りこまれていった。
破局は、ある日突然に、しかし半ば必然的にやってきた。
それは、言葉という言葉を積極的に忘却しようとしたまりさにとっては、いつか来るはずの破滅だった。
ある日の朝。
両親は、まりさに言ったのだ。
いかなる動機で言ったのか、どのような文脈で言ったのか、そんなことはまるで関係ない。
ただ、事実として、その一言がまりさの生涯を断ち切った。
両親は、朗らかな笑みで、ゆっくりの本能の根底に沁みこんでいるはずの、その言葉を口にした。
「ゆっくりしていってね!」
まりさは口を開けた。
しかし言葉が出てこない。
ただただ、空気の漏れるような音だけが編まれている。
口もとにはゆっくりらしい笑みが浮かんでいる。しかし目元は哀しみに食われている。
まりさには、確信があった。
返すべき言葉がある。
ゆっくりしていってね。この掛け声に、何か必ず、返すべき言葉が、ある。
まりさは死に物狂いで言葉を調べた。泥の海を掻き分けて沈みゆくその言葉を口でしっかりと咥えこみ、しかし掴んだと思ったら零れてゆく。
それを忘れたらゆっくりはゆっくりでなくなる。だから言わなくてはならない。
いつまでもまりさは探しつづけた。
朽ち果てて腐りきった言葉の群れが泥となって集積している言語の海に分け入って、底なし沼に埋まってゆく大切な言葉を回収するべく死闘した。
そして、敗北した。
完膚なきまでに叩きのめされた。
まりさは、ゆっくりと、口を閉ざした。
命とは何か。古くて新しい問いに正確な答えはいまだに見つかっていない。
しかし、ゆっくりとは何かと問われれば、人は一様にある一言を想起する。
逆に言えば。
その一言を忘却したゆっくりなど、もはや、ゆっくりではなかった。
歩く饅頭であり、遺伝子を持たぬ生命であり、神経無くして人語を解する、自然現象を馬鹿にした、化け物でしかない。
そして、化け物などはこの世にいない。
化け物が存在しない以上、化け物となるしかなかったまりさの運命は、その口が永遠に閉ざされた瞬間、決定した。
(おわり)
投稿作品
anko1565 れいむの義務
anko1567 お口を開けると