ユダヤ&国際金融資本の歴史を見直そうプロジェクト
- ユダヤ&国際金融資本関連の歴史を見直す壮大なプロジェクトです。
- 地球を動かすユダヤ国際金融資本の歴史を見直すことは、そのまま人類の歴史を見直すことです。
- あらゆる面で行き詰まった現代、何故こうなったのかを知ることで、同じ過ちを繰り返さないことができると思います。
- 日本の英知を結集し、勝者が捏造した歴史を覆し、真の歴史を確立しましょう。
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古代(文明の登場から476年の西ローマ帝国滅亡までとします)
BC3000年前後
シュメール人、どこからともなく現れ、人類最初の高度な都市文明を築く。
カナン人、パレスチナに定住。
BC1946年
シュメールの都市ウルでアブラハム誕生。
BC1847年
アブラハム99歳の時、ソドムとゴモラが「硫黄の火」で滅ぶ。
BC1806年
ヤコブ誕生。後に神の勅命により「イスラエル」と改名。
BC1676年
ヤコブ(別名イスラエル)の一族、食料飢餓でエジプトへ移住。
BC1500年前後
エジプトを支配していたヒクソス人が駆逐されると、イスラエル12支族はエジプト人の奴隷となる。
BC1290年
モーセが奴隷階級で苦しんでいたイスラエル12支族をエジプトから集団脱出させる。
モーセがシナイ山で「神との契約(旧約)」を成立させ、ここに明文化された「ヘブライ教(原ユダヤ教)」が確立される。
BC1100年前後
モーセの後継者であるヨシュアがリーダーとなって、パレスチナ侵略を開始。
獲得した土地を各支族ごとに分割統治する。
士師のもとで、イスラエル民族史は200年の暗黒時代に入る。
BC1020年
サウル王、初代イスラエル王としてイスラエル12支族の統一を図るが、失脚。
代わって羊飼いのダビデが第2代イスラエル王として君臨し、イスラエル12支族の統一に成功。「イスラエル統一王国」確立。
BC963年
ソロモンがエルサレムで第3代イスラエル王となる。
新都エルサレムに「ソロモン神殿」建築。
BC925年
ソロモンの後継者をめぐって「イスラエル統一王国」が大分裂。
イスラエル10支族は「北イスラエル王国」(首都サマリア)を樹立し、残りの2支族は「南ユダ王国」(首都エルサレム)を樹立。
BC722年
「北イスラエル王国」がアッシリア帝国によって滅ぼされる。
エフライム族を中心とするイスラエル10支族は捕囚され、そのまま消息を絶つ。
BC587年
「南ユダ王国」が新バビロニア王国によって滅ぼされる。
ユダ族を中心とするイスラエル2支族は捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は崩壊。
BC538年
新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世は、寛大な宗教政策により、イスラエル2支族の祖国帰還を許す。
ソロモン第二神殿の建設開始。
BC520年
ユダヤ州第2代総督ゼルバベル、ソロモン神殿の再建に着手。
BC515年
「ソロモン第二神殿」の再建工事完成。
以後、イスラエル2支族、祭司の指導による神政共同体を形成。
BC444年
「モーセ五書(トーラー)」正典化される。
イスラエル2支族は「新ユダヤ教」を確立させる。
BC330年
アレクサンダー大王がアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、オリエント古代史終幕。
アレクサンダー大王はイスラエル2支族を重用するが、アレクサンダー大王の死後、その後継を巡って帝国は大分裂。
パレスチナ地方はエジプトのプトレマイオス王朝とシリアのセレウコス王朝の覇権争いの影響をまともに受けるようになる。
BC167年
セレウコス朝シリアのアンティオコス4世・エピファネスは、ユダ州とサマリア州の全面的なギリシア化を宣言し、エルサレムを完全制圧。
彼はソロモン第二神殿にゼウスの偶像を置き、ユダヤ人にゼウス崇拝を強要。そして反抗するユダヤ人を徹底的に弾圧。
8万人のユダヤ人が虐殺され、4万人が捕囚となり、更に4万人の女・子供が奴隷として売り払われた。
彼の横暴さに憤慨したハスモン家のマタテヤ(マカベヤ一族)、ユダヤ独立運動を開始する。
BC143年
マカベヤ一族のシモンはユダヤの独立に成功(政治的独立)。
シモンの孫アリストブロスがハスモン朝の独立祭司王国を開く。
しかし内部抗争が絶えない。
BC64年
ローマ帝国、シリアを征服し、ユダヤの内部抗争に介入。
ユダヤのハスモン朝は短期間で終わり、ローマの属州シリアに組み入れられる。
BC37年
エドム人ヘロデがローマ帝国の庇護のもとに、“ユダヤの王”として33年間エルサレムを統治(ヘロデ王朝)。
彼はユダヤ人に皇帝礼拝を強要し、ソロモン第二神殿を大改築。
BC4年頃
イエスがマリアとヨセフの長男として、ベツレヘムの馬小屋で生まれる。
“ユダヤの王”として君臨していたヘロデ王は「ユダヤの救世主誕生」の噂を耳にすると、それを阻止するために実子殺しを強行。
それを恐れたイエスの両親は、イエスを連れてエジプトに逃れる。
ヘロデ王の死と同時に、イエスと両親はナザレ村に帰ってきて、イエスはナザレ村で少年時代を過ごす。
AC6年
ローマ帝国、パレスチナを直接支配。ユダヤは属州になる。
30年頃の4月7日
この日の午前9時、ゴルゴタの丘でユダヤ青年イエスの公開処刑が始まる(午後3時に息を引き取る)。
彼は生前の予告通り、3日目に死より疵り、弟子たちの前に復活した体をもって現われたという。
その後40日間、弟子たちを導いた後、天上の父のもとへ昇天したという。
38年
ローマ帝国支配下のアレクサンドリアで、「ディプロストーン破壊事件」が起き、全市にユダヤ人の血が流れた。
66年
ユダヤの地の統治者の暴虐をきっかけに「熱心党(ゼロテ党)」というユダヤ人レジスタンスグループがローマの守備隊を襲い、ユダヤ人とローマ軍は本格的な戦い(ユダヤ戦争)を開始。
ローマ帝国内のほとんどのユダヤ人は武装蜂起し、ユダヤ人の独立を試みた。
しかし皇帝ネロは、将軍ウェスパシアヌスの大軍を派遣し、ユダヤ人の大反乱を制圧(紀元68年)。
ティトゥス将軍がエルサレムを完全制圧(紀元70年)。
エルサレムは「嘆きの壁」を残し、徹底的に破壊された。
この戦争のユダヤ人犠牲者数は60万人とも100万人ともいわれている。
73年5月
967名のユダヤ人が7カ月も眥城し続けていた難攻不落の要塞「マサダ」を、8000ものローマ帝国軍が総攻撃。追いつめられたユダヤ人は、2人の老婆と5人の子供を残し、全員自害。
132年
ユダヤ人による最後の反乱(バル・コフバの反乱)。
これをもってユダヤ独立戦争は事実上終結し、ローマ帝国は「ユダヤ州」を「シリア・パレスチナ州」に変名。
皇帝ハドリアヌスがユダヤ教を徹底的に弾圧、大迫害の開始。
ユダヤ人の離散(ディアスポラ)が本格的に始まる。
ユダヤ人の運命はローマ帝国からパルティア王国に移る。
226年
パルティア王国を征服したササン朝ペルシア帝国は、パルティアの手になる「エクシラルク制度」をユダヤ人の自治的な亡命政府として認める。
ササン朝ペルシア帝国のユダヤ人学者は「アモライーム」と呼ばれ、「ゲマラ」の基礎をつくる。
313年
コンスタンティヌス大帝がミラノ勅令でキリスト教を公認。
ビザンティン帝国(東ローマ帝国)がパレスチナを支配。
315年
コンスタンティヌス大帝がユダヤ人の自治を制限する最初の勅令を出す。
その中で大帝はユダヤ人を「あの恥ずべき一派」と表現。
339年
コンスタンティヌス大帝がキリスト教徒とユダヤ人との婚姻ならびに、ユダヤ人がキリスト教徒の奴隷を所有することを禁止。
中世(ルネサンス・宗教改革の時代までとします)
500年前後
ササン朝ペルシア帝国内でユダヤ人の内紛が起きる。
ユダヤ人学者アシが「ミシュナ」と「ゲマラ」を融合して、『タルムード』に編纂する仕事に着手し、マル・ヨセがこの編纂の仕事を5世紀末に完成させる。
553年
ユスティニアヌス帝が「反ユダヤ法」を発令。
以後、ビザンティン帝国は全史を通じて、ユダヤ人が帝国の行政的な地位に就くことも、青少年を教育することも、勅令によって禁じた。
622年
新興宗教イスラム教誕生。
638年
聖地エルサレムがイスラム帝国の支配下に置かれる(~1099年)。
740年頃
カスピ海沿岸の「ハザール汗国」のオバデア王、国民もろともユダヤ教に改宗させ、国難を乗り切る(ユダヤ人以外のユダヤ帝国の誕生)。
900年前後
ユダヤ教におけるキリスト教以来最大の異端派である「カライ派」、ユダヤ教の高位の聖職者を分裂させる。
「イスラム東方世界」の分裂によって、東洋系ユダヤ人は北アフリカを経由して「イスラム西方世界(イベリア半島など)」に追われる。
954年
コルドバのカリフの総理大臣だったユダヤ人ハスダイと、ハザール王ヨセフとの間に『ハザール書簡』がかわされる。
965年
キエフのスビャトスラフがハザール汗国へ遠征し、首都イティルを破壊。
1016年
ビザンティン―ロシア連合軍がハザール汗国と会戦。
1078年
ローマ教皇グレゴリウス7世がキリスト教国でのユダヤ人の「公職追放令」を布告。
1099年
十字軍、パレスチナを支配(~1291年)。
十字軍の暴徒、ヨーロッパ諸都市でユダヤ人を虐殺。
1146年
フランスの修道士ルドルフが十字軍を呼びかけるとともに、ユダヤ人撲滅を呼びかけた。
1189年
イングランドのリチャード獅子王の戴冠式にあたり、突如ユダヤ人の迫害が起きる。
大半のユダヤ人の家は焼かれ、多くのユダヤ人が殺された。
ユダヤ人の財産は王のものとされた。王の代理人のみが8万マルクを費やして、ユダヤ人を救った。
1200年前後
「イスラム東方世界」から逃れてきた東洋系ユダヤ人が、スペインに知的な黄金時代を開花させる。
ユダヤ史で、預言者の時代以来の最も知られている時代となる。
アルファシが『タルムード』を法令化。
ユダヤ学者マイモニデスが『第二トーラー』を著す。
詩人ユダ・ハレヴィが「ユダヤ精神」をロマンティックな詩に謳いあげる。
1215年
ローマ教皇、第4回ラテラノ会議でユダヤ人にバッチを付けることを義務づける。
1236年
モンゴル軍のロシア侵入、いわゆる「タタールのくびき」が始まる。
1243年
キプチャク汗国成立。
ハザール汗国はバトゥ・ハーンの権力下に吸収され、ハザール汗国滅亡。
改宗ユダヤ教徒ハザール人たちはロシア・東欧に大量移住し、後のいわゆるアシュケナジー系ユダヤ人の中核を形成する。
1290年
イングランドのエドワード1世が、ユダヤ人を国内から追放。
1291年
マムルーク(エジプトの王朝)がパレスチナを支配(~1516年)。
1298年
神聖ローマ帝国でユダヤ人迫害。
貴族のカルブフライシュは全ユダヤ人を壊滅させるように神の命令を受けたと主張。
黒死病、宗教的異端説、経済的疲弊がヨーロッパ社会を粉砕し始め、ユダヤ人の共同体生活を揺るがす。
「マハリル」が「タルムード学者」に代わって権力を振るい始め、ユダヤ人の知的生活を損なう。
1306年
フランスのフィリップ王、ユダヤ人を国内から追放。
1321年
フランスのギエンヌ州で、井戸に毒を投げ込んだと拷問を受けたユダヤ人が告白したため、5000人のユダヤ人が火刑となった。
1348年
ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人の虐殺が起きる。
1394年
フランスで第2回ユダヤ人追放。
1421年
オーストリアからユダヤ人追放。
1453年
オスマン・トルコ帝国は、ユダヤ商人・職人を厚遇する。
1478年
スペインでユダヤ人に対する異端審問が始まる。
1492年
キリスト教徒がレコンキスタ(スペイン再征服)を成功させると、スペインで徹底的なユダヤ人追放政策がとられる。
1495年
リトアニアからユダヤ人追放。
1497年
シシリー、サルジニア、ポルトガルからユダヤ人追放。
1517年
オスマン・トルコ帝国がパレスチナを支配(~1917年)。
1544年
宗教改革者マルチン・ルターがユダヤ人を攻撃。
1554年
「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」がヴェネチアに初めて設置される。
ジョセフ・カロが著書『整えられた食卓』で、『タルムード』を「スファラディ系律法」に法令化すると、これに対抗する形で、ヤコブ・イセルレスが著書『テーブルクロス』で、『タルムード』を「アシュケナジー系律法」に法令化した。
ユダヤ人の知的生活は衰退し始め、「サバタイ運動」「フランクの説」「ハシディズム」という3つの異端神学が、ユダヤ教の聖職者を苦しめ始める。
一部のユダヤ人はゲットーを逃れて、「宮廷のユダヤ人(ホフ・ユーゲン)」「サロンのユダヤ人」「保護されたユダヤ人」と呼ばれるグループを形成する。
近世(市民革命・産業革命の時代までとします)
1569年
ローマ教皇が教皇領からユダヤ人を追放。
1600年
エリザベス女王がイギリス東インド会社を設立。(アジア・アフリカ貿易に進出)
1648年
ポーランドでユダヤ人10万人が虐殺される(~1656年)。
1670年
イギリスに貿易会社ハドソン・ベイが設立される。(北米貿易に進出)
1688年
エドワード・ロイドのロイズ・コーヒー・ハウスが海運保険業務を始める。
1694年
イギリスにイングランド銀行が設立される。
1727年・1747年
ロシアからユダヤ人追放。
1730年
ニューヨークに公認シナゴーグが建設される。
1743年
初代のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがフランクフルト・アム・マインのゲットーに生まれる。
1764年
初代マイヤー・アムシェルがドイツ・ロスチャイルド商会を創設。
1773年
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがフランクフルトに12人の実力者を招いて全世界に対する絶対的な支配権を手中に収めるための秘密会議を開く。
1776年
インゴシュタット大学法学部長のアダム・ヴァイスハウプト教授が秘密結社イルミナティを創設。
1791年
「自由・平等・博愛」を掲げるフランス議会が、ユダヤ人に平等の権利を認め、ナポレオンがゲットーを解体し始める。
解放されたユダヤ人たちは一世代のうちに、政治家、将軍、前衛的な知識人・芸術家となる。
近代(第二次世界大戦の終わった1945年までとします)
1798年
ナポレオン、パレスチナ侵攻に失敗。
1839年
オスマン・トルコ帝国、ユダヤ人に市民権を与える。
1850年
イギリスのユダヤ人モンテフィオーレ卿、エルサレム城外のユダヤ人定住地に援助を与える。
1856年
イギリスにユダヤ大学が創立される。
1881年
ロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に発生。ユダヤ人十数万人が犠牲になる。
1882年
平等と自由を求める「ホバベイ・ジオン」や「ビールー」という団体に組織されたユダヤ移民の第一波がパレスチナに到着。
1891年
モスクワとペテルスブルグからユダヤ人追放。
ユダヤ人モレヒバが「シオンを愛する人々」を創立。
1892年
「シオンを愛する人々」の理論的指導者ピンスケル、「自力解放」に共鳴して、パレスチナに最初のユダヤ人コロニーを成立させる。
1894年
フランスで“ユダヤ禍”を宣伝した「ドレフュス事件」発生。
1896年
「ドレフュス事件」にショックを受けたテオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版。政治的シオニズム運動の始まり。
1897年8月
テオドール・ヘルツル、スイスのバーゼルにて「第1回シオニスト会議」を開催。この会議で「シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土を建設することを目的とする」という「バーゼル綱領」が採択される。
1901年
「ユダヤ国民基金」が誕生。パレスチナの土地を買い求め、ユダヤ人移民に貸し与えた。その土地をパレスチナ人に貸与することは禁止された。
1903年
イギリス政府はユダヤ人の民族的郷土を創設するため、ウガンダの領土を充てることを第6回シオニスト会議で提案。会議は賛成295票、反対175票でこの「ウガンダ案」を受諾した。
1904年
第7回シオニスト会議、「ウガンダ案」で紛糾し、この案を白紙撤回する。
1905年
ユダヤ移民の第二波、主にロシアより到着。
1909年
ユダヤ人最初の町「テルアビブ」が創設される。
1910年
最初のキブツ(共産村)である「デガニア」がガリラヤ地方にできる。
1914年
第一次世界大戦の勃発。
1915年
大英帝国がトルコ支配下のアラブ人に「アラブ国家樹立」を約束する(フセイン・マクマホン往復書簡)。
1916年5月
大英帝国が戦後の中東をフランスとロシアで山分けするための秘密条約(サイクス・ピコ条約)に調印。
1916年6月
イギリス情報部員ローレンスの指導下に「アラブの反乱」が起きる。
1917年11月
大英帝国がユダヤ人大富豪家のライオネル・ロスチャイルド卿に「ユダヤ国家樹立」を約束する書簡(バルフォア宣言)が取り交わされる。
1917年12月
イギリス軍、エルサレムに入城し、オスマン・トルコ帝国による約400年のパレスチナ支配を終結させる。
1918年11月
第一次世界大戦終了。
1919年1月
「ワイツマン・ファイサル協定」がパリ平和会議で結ばれる。アラブ代表ファイサル、バルフォア宣言を了解。
第三波ユダヤ移民、戦時中断のあと到着し、9万人に達する。アラブ人の反英・反ユダヤ闘争開始。
1920年
サンレモ平和会議において、イギリスとフランスの間に委任統治領に関する協定が成立し、パレスチナはイギリスに委ねられる。また、トルコとの平和条約「セーヴル条約」に「バルフォア宣言」を挿入することが決まる。
ユダヤ地下軍事組織「ハガナ」設立。
1921年
イギリスはアブドゥラーを「トランスヨルダン」の首長とする(第一次パレスチナ分割)。アラブの暴動が繰り返される(ヤッフォ、エルサレム、テルアビブ、ハイファへと拡がる)。
1922年7月
国際連盟(1920年1月に成立)がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。イギリスは全パレスチナの77%を占めるヨルダン川東岸のパレスチナを、イギリスの傀儡アブドゥラ王(現フセイン国王の祖父)に与え、トラスヨルダンと名付けた。
また、イギリスはパレスチナへの移民を1年間に7万人と制限したが、これにユダヤ人は激しく反発。この移民制限が、結果的にやがて台頭してきたナチス・ドイツにユダヤ人の大量虐殺を許す原因になった。
1929年
ユダヤ人のパレスチナ入植を進めるため、現地での警備から世界的な農業輸出、ニューヨークでの資金調達までを行なう「ユダヤ機関(JAFI)」という強力な組織が作られ、これが臨時政府として最大の役割を担うことになる。
エルサレムの「嘆きの壁」にユダヤ人移民がZion主義の旗を飾ったことに端を発して、アラブ人とユダヤ人の大規模な衝突が起こる。衝突は他の地域にも飛び火し、10日間のうちにユダヤ人133人、アラブ人116人の死者が出る。そのユダヤ人の死者の最大のものは、ヘブロンに長く住んできたユダヤ教徒67人に対する殺戮だった。
(アラブとユダヤの本格的な抗争の始まり)
1933年1月
ドイツでナチスが政権を握る。
1936年4月
「アラブ高等委員会」が設立され、アラブ人の独立を求める反英ゼネストを指導。このゼネストは6カ月続いた(世界最長のゼネスト)。
アメリカに「世界ユダヤ人会議」が設立される。
1936年8月
軍事活動を伴うアラブの激しい反シオニズム運動「アラブの大蜂起」が発生(~1939年8月)。アラブはユダヤ共同体をテロ攻撃し、ユダヤ人517人惨殺さる。
イギリス政府、農村部での統治能力を失う。
1937年
イギリスは「アラブ高等委員会」を非合法化したが、パレスチナの騒乱状態は拡大。
この頃、パレスチナ支配に手を焼くイギリスを尻目に、アメリカの「スタンダード社」や「テキサコ社」は、バーレーン、クウェート、サウジアラビアに油田を発見。中東に足場を築きつつあった。
1938年
秘密移民組織「アリヤB」機関が組織される。この機関の任務は、イギリスの移民制限(1年間に7万人まで)の監視の目をくぐり、諸外国のユダヤ人たちをパレスチナへ密かに入国させることにあった。この機関はイスラエル建国後、解散。
1938年11月9日
ドイツ全土でユダヤ人迫害開始(「水晶の夜」)
1939年5月
イギリス、ユダヤ人側とアラブ人側の代表者を招き、和平会談を開催。しかしアラブ人側はパレスチナ全土にわたるパレスチナ・アラブ独立国を主張し、ユダヤ人側との全面対立に終わった。
イギリス、パレスチナ独立国家樹立を約束する白書を提出し、アラブ側に歩み寄りの意を示す。しかしアラブ側はこれを拒絶。また、この白書はバルフォア宣言を白紙撤回する内容を持っていたため、ユダヤ人側はこれをイギリスの裏切りと見た。シオニズム運動の中で反英活動が活発化し、テロも頻発するようになる。
1939年9月
第二次世界大戦勃発。ヨーロッパで本格的なユダヤ人虐殺(ホロコースト)が開始される。パレスチナのユダヤ人は連合国側についてナチス・ドイツと戦う(~1945年)。 アラブ人の蜂起は沈静化し、下火になった。パレスチナ人は方向を見失い、アラブ最高委員会の指導者アミーン・アル・フセイニーはベルリンに亡命し、「敵の敵は味方」という論理で、イギリスの敵であるナチスを支援。しかし、ナチスの敗北とともに、フセイニーの指導力も名声も地に落ちることとなる。
1942年5月
アメリカのシオニスト大会、「ビルトモア綱領」を採択し、これが世界シオニズム運動の公式綱領として採択された。これは全パレスチナをユダヤ国家として独立させることを宣言し、移民と土地取得の自由を求めていた。
この大会の決定は、ユダヤ人が自分たちの後ろ楯として、イギリスからアメリカに乗り換え始めたことを意味した。
1945年3月
イギリス政府の後押しで「アラブ連盟」成立。
1945年8月
第二次世界大戦終了。ナチスによるユダヤ人大虐殺のことが明るみに出るにつれ、世界中の国々はユダヤ人が国を持つ権利を認めるようになる。
現代(1945年から現在までとします)
1946年5月
第二次大戦後パレスチナを調査していた英米委員会は、パレスチナを国連信託統治下に置くという和平案を提出。
この頃すでにユダヤ人の国家基盤は労働総同盟やユダヤ基金、ユダヤ機関を中心に、ほぼ完成していた。
1946年6月
ユダヤ人の独立を嫌うイギリス政府、エルサレムのユダヤ機関事務所を急襲。機密文書を押収し、2500名のユダヤ人を逮捕。ユダヤ地下闘争組織「イルグン」のメンバー7人を処刑。
1946年7月
「イルグン」、警告を発した後、イギリス軍司令部所在のキング・ダビデ・ホテルを報復爆破。
1946年9月
イギリス政府はもう一度、問題解決の主導権獲得を試みるため、和平会議を呼びかける。しかし、ユダヤ人側は出席を拒否。パレスチナは騒乱状態となる。
1947年2月
イギリスは結局、この問題の解決能力がないことを認め、深刻化するパレスチナ問題を国連に付託する。
1947年7月
イギリス艦隊は、4530人のユダヤ移民を満載した秘密移民船「エクソダス1947」号を捕まえ、フランスに追い返し、ドイツのイギリス隔離地区に収容する。
しかしこの模様は逐一ラジオで全世界に伝えられ、ユダヤ人への熱い同情を集め、国連パレスチナ分割決議への心情的な推進力となった。
1947年9月
「国連パレスチナ特別委員会」がパレスチナ分割を多数意見として勧告。
1947年11月29日
国連総会でパレスチナ分割が確認される。
1948年1月
アラブ解放軍の第一弾、シリア及びヨルダンより、パレスチナ進撃。
1948年4月9日
ベギン率いる「イルグン」とシャミル率いる「シュテルン」両ユダヤ武闘組織が、中立を表明していたデイル・ヤーシーン村を総攻撃。無抵抗の住民254人が虐殺され、生き残った者は血だらけの服のままエルサレムで「勝利の行進」をさせられた。(悪名高い「デイル・ヤーシーン事件」)
中立の村でさえこんな目に合うと知った他の村々は、ユダヤ移民の凶暴さにパニックに陥った。
1948年4月13日
エルサレムのスコーパス山病院へ向かうユダヤ側の病院職員が、「デイル・ヤーシーン」と叫ぶアラブ人グループの報復テロに合い、40人惨殺される。
1948年5月12日
進攻したアラブ軍によって、ユダヤ人移民200人の住むクファル・エチオンが全滅。
アイン・アッゼイトネ村では、37人の少年がユダヤ人の軍隊に引き立てられたまま消えた。サフサの村では4人の少女がユダヤ人に強姦され、70人が目隠しされて射殺された。ドワイマ村では女子供を含む80~100人が、ユダヤ人にこん棒で頭を割られて処刑された。
1948年5月14日
イギリスの高等弁務官がパレスチナを去り、イギリスによるパレスチナ支配が終結。この日、ベン・グリオンの臨時政府が「イスラエル共和国誕生」を宣言。
1948年5月15日
アラブ6カ国軍(エジプト・トランスヨルダン・シリア・イラク・レバノン・サウジアラビア)がイスラエル共和国へ侵攻開始。以降8カ月間戦闘続く(第一次中東戦争)。
1948年5月17日
米ソ両国がイスラエル共和国を承認。
1948~51年
ヨーロッパ及びアラブ諸国からの大量のユダヤ移民がやって来る。(独立以降1951年までに68万4000人)
1949年1月~7月
イスラエル共和国は、エジプト、レバノン、トランスヨルダン、シリアと個々に休戦協定に調印(イスラエル側の勝利)。イラクは拒否。
ヨルダン、休戦協定に違反して東エルサレムのユダヤ教聖地への立ち入りをイスラエル市民に禁ずる(~1967年)。
1949年5月14日
イスラエル共和国、国連の正式加盟国となる。
1956年
カフム・カシム村でパレスチナ人虐殺事件起こる。
第二次中東戦争勃発(スエズ危機/スエズ戦争)。
1961年
独立以来のユダヤ移民の累積数が100万人を超える。
1962年
アルゼンチンで捕まったアドルフ・アイヒマン、ホロコーストの責任を問われ死刑。(イスラエル唯一の死刑判決)
1964年
PLO(パレスチナ解放機構)創設。
1967年
第三次中東戦争勃発(6日戦争)。イスラエル側の圧倒的勝利。占領地への「入植」活動を開始。国連安保理、イスラエルに対し即時撤退を勧告。
1968年
パレスチナゲリラ、イスラエル機をハイジャック。OPEC結成。
1970年
ヨルダン内戦勃発。PLO、本拠をレバノンに移す。
1973年
第四次中東戦争勃発(ヨム・キプール戦争)。アラブ諸国は石油ショックののち、中東和平交渉にもちこみ、アラブの威信を回復した。
1974年
国連、総会でパレスチナ人の民族的自決権承認。
アラブ首脳会議と国連総会、PLOがパレスチナ人の代表であることを承認。アラファトPLO議長、国連総会で演説。
1975年
イスラエル、ECの准加盟国となる。
スエズ運河、8年ぶりに再開。
1977年
イスラエル、右派のリクード政権が成立し、30年間にわたる労働党支配が終わる。
1978年
イスラエル、レバノンに侵攻。
エジプトのサダト大統領、聖地エルサレムを訪問。
アメリカのキャンプ・デービッドでエジプトとイスラエルの間で和平の基本的合意成立。
アラブ諸国、エジプトと断交。
1979年
エジプト、単独でイスラエルとの平和条約に調印。
1980年
イスラエル、エジプトと国交樹立。
1981年
エジプトのサダト大統領暗殺される。
イスラエル、ゴラン高原の併合を宣言。イスラエル軍、イラクの原子炉を空爆。
1982年
イスラエル、シナイ半島から撤退。
イスラエル、レバノン南部を占領。パレスチナ難民虐殺事件発生。PLO、ベイルートから撤退し本部をチュニスに移す。
1984年
イスラエル、リクードと労働党の連立内閣成立。
1987年
イスラエル占領地の西岸地区とガザ地区でインティファーダ(反イスラエル闘争)が始まる。
1988年
ヨルダン、ヨルダン川西岸とガザ地区の統治権を放棄。
1989年
ソ連からイスラエルへの大量移民始まる。
1991年
湾岸戦争勃発。アメリカの制止により、イスラエル軍参戦せず。
1992年
イスラエル、中国・インド両国と国交樹立。労働党政権成立。
1993年
イスラエルとPLO、和平条約調印。ガザとエリコのパレスチナ自治区が容認。
1994年
ガザおよびエリコ地区でパレスチナ人による自治が始まる。
イスラエル、ローマ教皇庁と国交を樹立。イスラエルとヨルダン、平和条約に調印。
イスラエルのイツハク・ラビンとシモン・ペレス、PLOのアラファト、ノーベル平和賞を受賞。
ユダヤ人過激派によるヘブロン虐殺事件発生。
1995年
パレスチナ自治拡大協定調印。
和平推進のラビン首相、極右ユダヤ青年に暗殺される。和平プロセス停滞。
1996年
イスラエルに対するイスラム原理主義者のテロ激化。
イスラエル、「怒りの葡萄」作戦発動(「ヒズボラ」のイスラエル北部へのテロに反撃)。
イスラエル、総選挙によりリクード政権が成立。ネタニヤフ、イスラエル首相に就任。
1997年
イスラエル軍、ヘブロンに再展開。
イスラエル、東エルサレムに新たな入植を開始。
※
ヘブライの館にある年表をたたき台として使用させていただいております。