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 現代 - (2007/09/04 (火) 11:14:06) の編集履歴(バックアップ)


現代(1945年から現在までとします)


1946年

5月、第二次大戦後パレスチナを調査していた英米委員会は、パレスチナを国連信託統治下に置くという和平案を提出。
この頃すでにユダヤ人の国家基盤は労働総同盟やユダヤ基金、ユダヤ機関を中心に、ほぼ完成していた。

6月、ユダヤ人の独立を嫌うイギリス政府、エルサレムのユダヤ機関事務所を急襲。機密文書を押収し、2500名のユダヤ人を逮捕。ユダヤ地下闘争組織「イルグン」のメンバー7人を処刑。

7月、「イルグン」が警告を発した後、イギリス軍司令部所在のキング・ダビデ・ホテルを報復爆破。

9月、イギリス政府はもう一度、問題解決の主導権獲得を試みるため、和平会議を呼びかける。しかし、ユダヤ人側は出席を拒否。パレスチナは騒乱状態となる。

12月、フランス軍によるインドシナ戦争始まる。(~1954年)


1947年

2月、イギリスは結局、この問題の解決能力がないことを認め、深刻化するパレスチナ問題を国連に付託する。

1947年

7月、イギリス艦隊は、4530人のユダヤ移民を満載した秘密移民船「エクソダス1947」号を捕まえ、フランスに追い返し、ドイツのイギリス隔離地区に収容する。
しかしこの模様は逐一ラジオで全世界に伝えられ、ユダヤ人への熱い同情を集め、国連パレスチナ分割決議への心情的な推進力となった。

9月、「国連パレスチナ特別委員会」がパレスチナ分割を多数意見として勧告。

11月29日、国連総会でパレスチナ分割が確認される。

1948年

1月、アラブ解放軍の第一弾、シリア及びヨルダンより、パレスチナ進撃。

4月9日、ベギン率いる「イルグン」とシャミル率いる「シュテルン」両ユダヤ武闘組織が、中立を表明していたデイル・ヤーシーン村を総攻撃。無抵抗の住民254人が虐殺され、生き残った者は血だらけの服のままエルサレムで「勝利の行進」をさせられた。(悪名高い「デイル・ヤーシーン事件」)
中立の村でさえこんな目に合うと知った他の村々は、ユダヤ移民の凶暴さにパニックに陥った。

4月13日、エルサレムのスコーパス山病院へ向かうユダヤ側の病院職員が、「デイル・ヤーシーン」と叫ぶアラブ人グループの報復テロに合い、40人惨殺される。

5月12日、進攻したアラブ軍によって、ユダヤ人移民200人の住むクファル・エチオンが全滅。
アイン・アッゼイトネ村では、37人の少年がユダヤ人の軍隊に引き立てられたまま消えた。サフサの村では4人の少女がユダヤ人に強姦され、70人が目隠しされて射殺された。ドワイマ村では女子供を含む80~100人が、ユダヤ人にこん棒で頭を割られて処刑された。

5月14日、イギリスの高等弁務官がパレスチナを去り、イギリスによるパレスチナ支配が終結。この日、ベン・グリオンの臨時政府が「イスラエル共和国誕生」を宣言。

5月15日、アラブ6カ国軍(エジプト・トランスヨルダン・シリア・イラク・レバノン・サウジアラビア)がイスラエル共和国へ侵攻開始。以降8カ月間戦闘続く(第一次中東戦争)。

5月17日、米ソ両国がイスラエル共和国を承認。


1948~51年

ヨーロッパ及びアラブ諸国からの大量のユダヤ移民がやって来る。(独立以降1951年までに68万4000人)

1949年1月~7月

イスラエル共和国は、エジプト、レバノン、トランスヨルダン、シリアと個々に休戦協定に調印(イスラエル側の勝利)。イラクは拒否。
ヨルダン、休戦協定に違反して東エルサレムのユダヤ教聖地への立ち入りをイスラエル市民に禁ずる(~1967年)。

1949年

5月14日、イスラエル共和国、国連の正式加盟国となる。

1950年

観光会社・地中海クラブが設立され、ロスチャイルドの資本で大きく成長する。

1951年

ヘンリー・モーゲンソーJr.がアメリカでイスラエル政府開発債の発行開始

1952年

ロスチャイルドがカナダ開発のための大会社ブリンコを設立。

1954年

アラブ民族の蜂起により、フランスとのアルジェリア戦争勃発。(~1962年)

第1回ビルダーバーグ会議開催。その後も毎年1回のペースで開催され、現在も継続中。

1956年

イギリス・フランス・イスラエルの侵略によって第二次中東戦争勃発(スエズ危機/スエズ戦争)。

カフム・カシム村でパレスチナ人虐殺事件起こる。

1961年

独立以来のユダヤ移民の累積数が100万人を超える。

1962年

アルゼンチンで捕まったアドルフ・アイヒマン、ホロコーストの責任を問われ死刑。(イスラエル唯一の死刑判決)

リオ・チントとジンクが合併してリオ・チント・ジンクが誕生し、ロスチャイルドが世界的なウラン・カルテルを支配、本格的に原子力産業へ進出。

1963年


(6月4日) 米国大統領ジョン・F・ケネディにより、財務省に銀行券を発行する行政命令が発令される。この際発行された紙幣は「USノート」と通称される政府紙幣。FRB(連邦準備銀行)の存在意義を揺るがす。

(11月22日)J・F・ケネディ米大統領、テキサス州ダラスにて暗殺される。犯行の80分後に元海兵隊員のリー・ハーヴェイ・オズワルドがその容疑者として逮捕されるが、2日後の拘置所への移送中、今度はオズワルドがナイトクラブの経営者ジャック・ルビーに射殺される。

財務省によって発行された総額42億ドルの紙幣は、ケネディ暗殺後速やかに回収される。

1964年

PLO(パレスチナ解放機構)創設。

1967年

第三次中東戦争勃発(6日戦争)。
イスラエル側の圧倒的勝利。占領地への「入植」活動を開始。
国連安保理、イスラエルに対し即時撤退を勧告。

スエズ運河会社がスエズ金融に改組され、のちに世界最大の金融会社となる。

1968年

パレスチナゲリラ、イスラエル機をハイジャック。OPEC結成。

1969年

ロスチャイルド銀行総支配人ポンピドーがフランス大統領に就任。

1970年

ヨルダン内戦勃発。PLO、本拠をレバノンに移す。

1971年

死の商人ダッソーとブレゲが合併してダッソー・ブレゲが誕生。

1973年

第四次中東戦争勃発(ヨム・キプール戦争)。アラブ諸国は石油ショックののち、中東和平交渉にもちこみ、アラブの威信を回復した。

1974年

国連、総会でパレスチナ人の民族的自決権承認。
アラブ首脳会議と国連総会、PLOがパレスチナ人の代表であることを承認。
アラファトPLO議長、国連総会で演説。

1975年

イスラエル、ECの准加盟国となる。
スエズ運河、8年ぶりに再開。

1977年

イスラエル、右派のリクード政権が成立し、30年間にわたる労働党支配が終わる。

1978年

イスラエル、レバノンに侵攻。
エジプトのサダト大統領、聖地エルサレムを訪問。
アメリカのキャンプ・デービッドでエジプトとイスラエルの間で和平の基本的合意成立。
アラブ諸国、エジプトと断交。

1979年

エジプト、単独でイスラエルとの平和条約に調印。

1980年

イスラエル、エジプトと国交樹立。

1981年

エジプトのサダト大統領暗殺される。

イスラエル、ゴラン高原の併合を宣言。

イスラエル軍、イラクの原子炉を空爆。

1982年

イスラエル、シナイ半島から撤退。

イスラエル、レバノン南部を占領。
パレスチナ難民虐殺事件発生。
PLO、ベイルートから撤退し本部をチュニスに移す。

1984年

イスラエル、リクードと労働党の連立内閣成立。

1987年

イスラエル占領地の西岸地区とガザ地区でインティファーダ(反イスラエル闘争)が始まる。

1988年

ヨルダン、ヨルダン川西岸とガザ地区の統治権を放棄。

1989年

ソ連からイスラエルへの大量移民始まる。

ロスチャイルド銀行が88年ぶりにフランクフルトでの事業再開を発表。

11月9日、ベルリンの壁が崩壊。

1991年

ベルリンの壁崩壊後の激動の東ヨーロッパを救済するためのヨーロッパ復興開発銀行の総裁にロスチャイルド代理人のジャック・アタリが選ばれ、銀行が正式に発足。

湾岸戦争勃発。
アメリカの制止により、イスラエル軍参戦せず。

1992年

イスラエル、中国・インド両国と国交樹立。労働党政権成立。

1993年

イスラエルとPLO、和平条約調印。ガザとエリコのパレスチナ自治区が容認。

1994年

ガザおよびエリコ地区でパレスチナ人による自治が始まる。
イスラエル、ローマ教皇庁と国交を樹立。
イスラエルとヨルダン、平和条約に調印。
イスラエルのイツハク・ラビンとシモン・ペレス、PLOのアラファトがノーベル平和賞を受賞。
ユダヤ人過激派によるヘブロン虐殺事件発生。

1995年

パレスチナ自治拡大協定調印。
和平推進のラビン首相、極右ユダヤ青年に暗殺される。和平プロセス停滞。

1996年

イスラエルに対するイスラム原理主義者のテロ激化。
イスラエル、「怒りの葡萄」作戦発動(「ヒズボラ」のイスラエル北部へのテロに反撃)。
イスラエル、総選挙によりリクード政権が成立。ネタニヤフ、イスラエル首相に就任。

1997年

イスラエル軍、ヘブロンに再展開。
イスラエル、東エルサレムに新たな入植を開始。

1998年

欧州中央銀行(ECB)が設立。本店はフランクフルト・アム・マインにある。 初代総裁はオランダ出身で欧州通貨機構総裁を務めたウィム・ダウゼンベルヒ。2003年より前フランス中央銀行総裁のジャン=クロード・トリシェが第2代目欧州中央銀行総裁に就任。


※『赤い盾』とヘブライの館にある年表をたたき台として使用させていただいております。