「A」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

- (2015/02/26 (木) 10:03:11) の編集履歴(バックアップ)


“幻創神主”ZUN・ゲームを作る(創る)程度の能力、博麗神主(自称)
無類の酒好きで、酒と自分に酔った文章、コメントなどを大量に残したがる中年。既婚。長野県出身。
TAITOの平社員として在籍していたが今は退職。ゲーム業界で自分の腕は通用しないと悟ったのか、アマチュアひしめく同人ゲー業界にしがみつく言うなれば元プロ。
その痩せ細った外見から「骨」という蔑称で呼ばれる場合がある。下記はZUNの会社の詳細(登記情報)。身内と黄昏フロンティア等のサークル人員で固められている。

商号 株式会社香霖堂
広告をする方法 官報に掲載してする
会社成立の年月日 平成19年9月6日

目的 1 家庭用及び業務用ゲームソフトウェアの企画、開発、制作、販売
   2 CD、DVD、ビデオソフト、ゲームソフト、書籍の売買
   3 コンピュータシステム機器、ソフトウェアの買取、販売並びにインターネットを利用した通信販売
   4 キャラクター商品(個性的な名称や特徴を有している人物、動物等の画像をつけたもの)の企画、製造、販売、買取及び輸出入
   5 居酒屋、飲食店の経営
   6 出版物の企画、編集並びに原稿執筆に関する業務
   7 前各号に附帯関連する一切の業務

発行可能株式総数 1000株
発行済株式の総数並びに種類及び数 発行済み株式の数 178株
資本金の額 890万円
株式の譲渡制限に関する規定 当会社の株式を譲渡するには、代表取締役の承認を受けなければならない。

役員に関する事項 取締役 太田順也
         取締役 中嶋智彦
         取締役 太田○○ 平成22年11月26日就任
         取締役 太田○○ 平成22年11月26日就任
         取締役 小山田文雄 平成22年11月26日就任
         (ZUNの住所の後に) 代表取締役 太田順也
○○にはZUNの家族らしき人物の名前

登記記録に関する事項 平成23年9月1日神奈川県海老名~から本店移転

※資本金の890万はハクレイ、178株は因幡の語呂合わせとのこと



発言録
  • 紅のおまけより

~しかし、弾幕STGに限って言うと、私にとってはどうしても納得のいかない方向に進んでいる様に思えます。
その大きな要因は、難易度のインフレ、弾が多いだけのもの、派手で綺麗だけど見辛いエフェクト、弾避けを考慮に入れない斬新なシステム、あたりだと思っています。
ゲームとして面白い場合も多く、それはそれでいいのですが、場合によっては「弾避けは面白くない、弾があるのはSTGとしての当たり前」って感覚が何処かにある様に見えるのです。
そう見えるのは弾避けの面白さを追求しないなら、何故、敵弾を排除してからSTGを考え直さないのだろう?と思うからです。
そんなこんなで、紅魔郷で原点に帰り、難易度を抑えて奇抜なシステムも避けて、本来の弾避けの面白さを追求してみました。
弾幕黎明期の頃の弾幕のような本来の存在意義を、21世紀になってもずっと昇華させていたらこうなるだろう、という気で創っています。
21世紀の20世紀延長型、と謳ってるのはそういうことです。
勘違いしないで頂きたいのは、90年代後半のゲームにノスタルジーを感じて「やっぱ、STGはあの頃が一番だったなぁ」とか言ってあの頃のゲームを創ったわけではありません(^^;
そんなこと言うくらいなら、私なら基盤買います。わざわざ創りません。
やっぱ、STGに限らず新しい物の方が面白いと感じていたい。

  • 妖のおまけより

妖々夢、頭の悪いゲームです。プレイして貰える方が増えたんだから、
もっとサービス精神旺盛な作りにしても良かったのに、相変わらずの内容・・・。
敵の攻撃だって、眩暈を引き起こすような弾幕、攻略するにはパターン化が必須の高難易度モード、並の努力ではコンプリートさせる気など無いスペルカード。言うまでもなくわざとですが(笑)。同人ゲームくらい、最近のゲームみたいなユーザー在ってのゲームではなく、昔のゲームみたいに、開発者の我侭で創ったものであって欲しいものです。遊ぶ側としても。
好きなものを思うが侭に表現できる。それこそが、同人(もしくはフリー)の利点だと思ってます。商業の縮小コピー版のつもりじゃ、私なら商業ゲームを遊びます。

  • 永のおまけより
~私なんか、ゲームがいまいち面白くなくなった理由は、単純にゲームがメジャーになったから、TVCMとかでガンガン流れるようになったから、と言うのが実のところの本音です。でも、この時売れるからって量産された所謂駄作のゲームが引き金となり、「デモはゲーム外、演出や見た目ばっか凝るのはゲームの敵」と言った間違った認識が広まり始めてしまった。
これは非常に残念で誤った認識です。そんな考え方ではゲームはどんどんと収縮していく、魅力を失っていく。現に今そういう方向に進んでいるように見える。ゲームはもっと自由で、もっと魅力的なものだったはず。
私が記憶しているSTGはどれも何処か魅力的であり、その魅力を引き出す為の努力に一番力を注いでいたと思う。私は魅力的だった頃のSTGを思い出し、その古の方法論で東方を作ってみたんですよ。
(中略)
私が前述の様な「デモはゲーム外、演出や見た目はただのおまけ、ゲーム性こそがゲームだ」と間違った認識をもっていれば、弾幕はただの点稼ぎアイテム、もしくはただ爽快感を味わう為のストレス解消剤、良く出来てもパズルにしか成長出来なかったでしょう。これが今のSTGと言えば、確かにそういうゲームが増えたし、それはそれでよく出来ているし、評価する人もゲームの中にゲームとゲーム外を置いて評価している事が多いし、そういう物なのかもしれない。それが、今の常識なのかもしれない。
純粋で練り込まれたゲーム性が基底にあって、その上に人を引き付ける為の見た目や演出や設定を入れるのが今の方法論ならば、ゲームの中に存在するものは全てゲームであり、ゲーム性や見た目、システム、設定等全てを「一番見せたい物を魅せる為の材料」にする、というのは古い方法論なのかも知れない。
でも、東方が私の考える古の方法論で少人数にでも受けて頂いた事は、私にとっては凄く意味があった事だと思います。
同人だから自由にコンセプトを置ける「21世紀の20世紀延長型STG」、ゲームはまだまだ商品化してないな、と。

  • 日記より
現在製作中の永夜抄だが、最初のシステムデザイン時、前作の妖々夢の欠点を洗いざらい抽出した。
勿論、欠点を潰すためであったのだが、その欠点の中には「登場キャラの小ささ」「会話によるゲームの中断」「ステージ道中の不毛さ」「蛇足的なショットを撃つ行為」といった物もあげた。
ここまでは良かったのだが、ここで疑問が沸き起こった。
これらを改善する事が本当に面白いゲームを創ることに繋がるのだろうか。
もう一度良く考えてデザインを構築してみたりしたのだが、どうも何かがおかしい。
結果は既存のSTGになるだけで何にも創作的ではない。例えゲームは良く出来ていても創作が楽しくない。
そもそも、何のデザインに対しての『欠点』なんだろう、もしかして既存のSTGに対してなんだろうか。
もしかして、受けが良い内容が最終目的なんだろうか??。

ようやく気が付いたことが一つ。
欠点とは、明確な結果が出るもの、最終形が確定しているものに対してしか有り得ない。
だが、面白さとは明確な結果なのだろうか?と。

つまりこう言うことである。
『作品中の創作部分に限り欠点は存在し得ない。それは欠点ではなく、特徴である。』
その事に気付いたときから、私のゲームに対する見方が変わった気がする。



  • 商業ゲームレビュー(叩き)

ZUNの発言より(ケツイをプレイしたZUNの感想)
ケツイプレイしました(4面ボスで死亡)。操作感、とっつきやすさ、弾避け感は大変良かったです。でも、どうしても我慢できないところがあって気になったんですが..ゲームの世界の構築が出来ていなくて、これといって印象に残った場面(敵)が無かったところです。非常に残念です。特にボスなどのデザインが弱い。どうも、プロペラメインのデザインっぽかったですが、飛びぬけて尖がっても無く、カリスマ性があるわけでも無い、1面とか、球場のふたが開いてヘリ風のボスが出てきてたけど、どうせなら球場ごとプロぺラで飛ばすとか、実は球場が超巨大プロペラのジョイント部分だった位やって欲しいものです(笑)3面の船もプロペラで飛ばすとか(^^;)ここがケイブの一番魅力的な所だったんですけど、ぐわんげの様な世界観の統一や、エスプの様な超能力という違和感少ない弾幕観、プロギアの様な統一されたトーンと朝->夜という繋がった時間のうつり変わり...パイロットはなんなのか、どういう時代や世界なのか、弾幕が何を意味しているのか、何故敵弾は曲がるのか、どの辺がケツイで絆地獄なのか。これが、文章でなく雰囲気で感じられる様で無いと、ゲームは影に埋もれてしまいそうです。*1(ガンフロとか斑鳩とか、この表現が成功している一例ですね)

ZUNの発言より(エスプガルーダをプレイしたZUNの感想)
さてさて、気になっていた点も無くは無いのですが、これが非常に勿体無く。折角、システムと設定が同じレベルにあっても、まだ別レベルの物が?。私は、ゲームを遊ぶ時そのタイトルを遊んでいると感じれなかったら?、私はプレイする意味が無いと思っています。色々なデザインを見た感じ、ガルーダはレイドよりファンタジックな世界になっている様です。でもそのつもりで遊ぶと、世界を無視した一部のドット絵や背景何故か楽しげで現実的なダンスミュージック、そして一番気になる無世界カラー、これらに幻想から現実に戻されます。親である世界観を離れて一人立ちしている気がする。ドット絵や曲もシステムや設定と同じ土俵であって、それらの要素の親は世界観唯一つであって欲しい。そうでないとゲームは唯の集合体になってしまう。単体のレベルが良くても無駄使いしてるなぁと。その為どうしても、エスプガルーダを遊んでいるというよりは、シューティングゲームを遊んでいる、という気分になってしまうんですよね。このままでは、ただの良作の一つになってしまう気がします。これだけは非常に勿体無い気が。

ZUNの発言より(式神の城ⅡをテストプレイしたZUNの感想)
今日、式神をテストプレイさせてもらいました。うーん。ロケテバージョンって、2面までだったんですね。まんま体験版(^^;あれで、ゲーセンでお金を取るのはちょっと厳しい気がするけどなぁ。全キャラプレイしてみて、問題点ばっか多く見つかってしまったので、何とかしてもらわないと...(ゲーセンじゃないので文句言いまくりながらプレイ)問題点?数字の右1ドットが切れてるところかな?(ぉぃぉぃ(現時点での致命的な問題点は4つ程)でも画面は綺麗になってますよ。ちゃんと調整すればそんなに悪くはならないはずです。期待しましょうあとよく見るとブータ(なのか?)が...

東方花映塚についてのインタビューにて
~システムをティンクルスタースプライツ(以下TSS)にした理由を聞かれて~
 いろいろありますよね、今年TSSが出たとか。 ※ティンクルスタースプライツ - La Petite Princesse -(PS2) 2005/07/28
 ただ根本は,僕がティンクルを好きだってところにありますね。同人というカテゴリのいいところは、商業作品と違って、好きなモノを作れるってことなので。
 商業じゃ花映塚の存在は許されない。ある意味同人の甘いところであり、あえて甘えているところかもしれません。
~連爆の駆け引きというTSSの最重要システムを重視して作らなかった理由を聞かれて~
 ティンクルのそこが面白いかどうかというと、個人的には微妙で、ティンクルは好きですけど、「そこが本当に面白かったか?」って思いますね。
 むしろ、ティンクル式で弾幕ゲームってのも面白そうというのは、開発当初から当然考えていました。
 それに、ティンクルが好きでティンクルをマネているのに、ティンクルにする必要がないのも同人のいいところです。*2
 もし花映塚がティンクルの続編だったら許されないですが。

ZUNの発言より(ボーダーダウンをプレイしたZUNの感想)
昨日はボーダーダウンをやりまくって来ました。やりまくったのに最高でも4面ボスまでしか行けなかった(T_Tこれの最大の理由は難易度じゃなくて、死ぬたびに敵配置が変わるから学習出来ない(^^;次同じボーダーに来ても、どこで危険な目にあったかなかなか覚えられないんですよねしかも調子良いとランクが上がってとてつもなく難しくなるし。面数も異様に多いし、クリアしたいのにクリアできるか不安・・・(^^;プレイ中しきりに、ゲームの創り方ってこうだったっけ?と疑問に感じてました。というのも、恐らくこのゲーム、「一つの場面を色んなケースからプレイするようなSTGを創りたい」みたいなコンセプトだと思われるんですが、予想ではこのコンセプトからシステムが創られ、システムから世界観が創られたと感じてならない。このとき私は、ゲームは、創りたい世界観を用意して、その世界観が新しいシステムを生み出すのではないだろうか、と思わずにはいられませんでした。よく思い出すと、昔のゲーム(特に名作と呼ばれるもの)は殆どそうだった気がします。こういう世界観のゲームを創りたい、と言う発想が、新しく且つ世界観にマッチしたシステムを生み出していたと思う。先にシステムから用意した時点で、統一の取れたゲームが出来るかは運任せになり、運が悪いとゲームは主軸を失い、濁った小システム集に成り下がる恐れがある。それに、新しい発想のシステムが生まれるのは、システムが世界観を構築できた後になるという、鶏と卵のような状態に。STGのゲーム性はシステムに拠るものだが、システムは世界観に拠るのだと思う。決して分離するものでも、並列に見るものでもなく、システムの親は世界観であるのだろうと。とか、ずっと思わされました。プレイ中(^^;このゲームは、システムに主軸があるのに、世界観の主軸を掴む事が出来なかったので、異様に地味に見えてしまっていたので・・・せっかく、3種のボーダーに赤、黄、緑の三色をあしらってるんだから、それを強調した演出があったらいいなぁ、と思ってプレイしたんですが、今のところ殆ど無く残念。今のところ演出が自分の予想できる範囲内でしかなく、目が覚めるような演出を希望してますので(取りあえずは後半に期待)唯一、1面開始時の、一瞬画面が赤黄緑のフィルターがかかった演出が一番それっぽくて、そういうのが出てくるといいなぁと思いつつちなみに、強烈に倍率によって点差が出るこのシステムは、なぜかバクレイドを思い出してしまった(死

ZUNの発言より(グラディウスVをプレイしたZUNの感想)
面白いですね?(適当(ぉ)グラディウスじゃなければきっとやっていないけど^^;残念なのは、敵や背景に妙に文明や知的生物の存在が露骨に表現されている事だぁね。私がグラ含むコナミシューに何を一番望んでいるかというと、組み込まれたパズル的な遊び方とか、意表を付いた攻撃とかそんなんじゃなくて、常人では表現しようがない奇才的なセンスなんだよなぁ。一面の変な赤い目玉が叫び声を上げて死んでいった時はこれは期待できると思ったのに、二面三面とどんどん常人が考えたら出てくるレベルのゲームになっていく。私は頭の体操ゲーム(by 渋谷会館)じゃなくて、もっと心の栄養も取れるものが欲しいんですよ。(もっとも、トレジャーのゲーム自体私は殆ど遊んでなくてよく知らないので、そういう所を期待しちゃいけないのかも知れませんが^^; でも斑鳩は良いセンスしていたような……)この常人センスで従来のモアイとかクリスタルとか高速ステージとかを惰性で出さなくて本当によかったと思う。って、これ以降のステージにあるのかも知れませんが^^;

ZUNの発言より(極魔界村をプレイしたZUNの感想)
取りあえずクリアしないと他のことに手を付けられない性格で、クリアまで(オリジナルモードでですが)一気に遊んだ訳です。まぁ恐ろしく疲れました。なんて言うか、誰もが口を揃えて言いそうな感想ですが、難しすぎですよ。しかもかなり理不尽な難しさで。余りにも難しい所為かパターン云々の前に大味なごり押しになりがちだった気が。ま、全体の雰囲気は、久々に素敵な魔界が堪能できて幸せ。ネタバレになるかも知れないから具体的には言えないけど、通常ならクリア後にやりこみプレイで行うような事を行わないとラスボスに会えないのは割と苦痛。エンディングを見たときにはおまけ要素は完全に終わっていて、もうやる事がないってのはアーケードゲームらしいノリなのかも知れないけど。え、アーケードモードはやったのかって? あー、懐かしい響きだねぇ。さて、アーケードモードはさておき、夏コミモードに入りたいと思います。色々準備しないと行けないからね。特に体力面の。ああ、こんな体力を使うゲームを遊んでる場合じゃないんだってばさ。



  • ブーメラン発言など

東方オンリーイベント開催時のZUNの発言(日記より)
で、東方オンリーイベント(4月18日開催)のイベント名が決定しました。「博麗神社 例大祭」(はくれいじんじゃ れいたいさい)です。博麗神社のお祭りです。縁日みたいな物だと思って。(笑)お祭りらしくどんな方でも楽しく参加して頂きたいなぁ、という意味を込めました。イベント名は以下の事に気を付けて名付けてみました。
  • いかにも東方らしく、参加者も納得できる(であろう)名前であること
  • 判りやすいこと*3
  • あくまでも東方全般という事で、作品や内容(キャラやジャンル等)を限定しすぎないこと
  • 明るく楽しそうで、殺伐としていない名前であること
  • 古くから知っている方でも、知ったばかりの人でも、誰でも参加できること
  • 非日常的であること
  • 一般の方も楽しめるような名前であること
  • 即売だけでなく、色んなイベントが可能な名前であること
  • 誰にも喧嘩を売っていない名前であること*4
  • あくまでも東方好きの方の為と言う事で、私を含め特定の人や団体向けの名前でない事*5

東方永夜抄体験版配布直前のコメント(日記より)
配布価格は3コイン。300円ですよ(最近50円ゲーセン見ないなぁ)1ステージワンコイン。アーケーダーは絶対に千円札を出してはいけません。100円玉で3プレイ分投入する感覚で無いと認めませんよ。ほんと。*6*7

ZUNの同人ゲーム購入者に対する考え(掲示板より)
同人が企業と同じスタイルを取るなら、受け手=お客様=神様となり、作品内容は受け手に一番受け入れられるものじゃないといけなく(商売が成り立たなく)なる。面白い物を欲しているなら面白いものだし、名作もどきを欲しているなら名作もどき、と。作り手が受け手に対して特典や限定などの集客効果の権限を振りまく事は、受け手のお客様化を進めて、結果、自らの創作に対して首を絞める事になりかけない。私はそれが怖いんですよ。
同人の受け手は客ではない、ゲーム(他)が好きで手を出しているだけで、値段分のリターンを期待して手を出す訳ではない。手に取ってしまった方は決して後悔したり、文句を言ってはいけない。値段以上だったらラッキー、後悔する可能性があるなら、最初から手に取ってはいけない。
冷たく見えるかもしれないけどこう考えていかないと、客化した受け手からの売り上げ(商売)だけがサークル側のメリットとなり、メリットとしての自由な創作が妨げられている気がしてならないんですよね。そうして、受け手作り手のパワーバランスが崩れていく。まぁ、私はもう手遅れかも知れませんが(笑)

ZUNの著作権に対する物の見方(日記より)
権利とは、自然が用意したバランスの中で、無制限で与えられるものではない。権利を得る為には、必ず義務が生じる事を頭に入れないといけない。
この義務を無視してしまうと、当然その権利は守られる事は無く、さらに無償で権利を得ていた時の報いを受ける。この報いとは大小様々で、犯罪者になるかもしれないし、友人からシカトされるかもしれないし、第三者から叩かれるかもしれない。この報いは、自然からのしっぺ返し*8なので、どのような形態を取るかは判らないし、それ相応の報いとも限らないのだ。ただ一つ言える事は、権利だけを主張した報いは当然の事であって、警察も友人も第三者も悪くないということだ。著作権を主張するメーカー側は、大きな権利を主張するからには、当然大きな義務を背負っていなければならない。これを無視すると、いずれ消費者から大きな報いを受けるだろう。著作権法に縛られないようにしたい、という権利は、他人が努力して(義務を負って)得た権利を無にしようとする訳だから、それ以上の義務が必要となる。普通に考えれば有り得ない権利なのだ。自分のホームページで自由にゲームの紹介をしたい、という権利は、それ相応の義務&footnote(同月の掲示板におけるZUNの主張によれば「趣味としてレヴューすることだけを目的とし、売り上げに
貢献する(宣伝する)事を最大の目的としない」「創作の阻害を目的にしてはいけない。(創作者のモチベーションを下げる目的の発言など)」の2点)を負っていなかったからその報いを受けるのである。ここに損得を超えたバランス調整の手が入っている事も考えられる。法律で守られた権利も、国民に課せられた義務を守っているから与えられている*9という事を忘れてはいけない。私の座右の銘が昔から「人を呪わば穴二つ」なのは、バランスの意味がある。残念な事に、この言葉は悪い事をすると報いを受けるから悪い事するな、程度にしか見られていないのだが……。好きな事をしたい、好きな事を言いたい、という権利を主張するのにも義務が生じる。勿論、私は創作と言う好きな事をする為に、多くの犠牲を払っている。この犠牲は当然の事で、私にはそれを受け入れる義務がある。この義務を果たせないのなら権利は主張出来ない。法とか一切関係ない所で、バランスを整える為の調整、即ち報いを受けるからである。また、第三者、匿名の権利が無視される事が多いのは、義務がない為である。そのような権利は無視されても仕様が無いと認識しなければならない。好き放題言っていた子供の頃の権利は、義務を親や周りの大人が負う事で成り立っていたのだ。権利の範囲が小さいのも文句は言えない。大人はずるい、と見えるのも当然だが、大人になったら色々とやらなければいけないことが増える。これはずるさの義務である。

コミケに即した注意文(日記より)
コミケは大きなお祭りですが、あくまでも多ジャンルの集まりです。例大祭とは異なり、周りの人は東方の事を知らない人ばかりなので、(私の周り以外の場所では)はっちゃけた行動を取らない様にお願いします。*10(小さなイベントを企画して人を集めたり、通路で座り込んでノートパソコンでプレイしたりしないように^^;(全てコミケでの禁止事項))次に、ブース前では写真撮影は一切お断りしています。もし携帯等で写真を取ろうとしている方が居ましたら、周りから注意してあげてください。あと、当日は東方の頒布物を取り扱っているサークルさんは、東方の一員であるという誇りを持って、一般参加の方や、周りのサークル、スタッフと接するようにお願いします(なんだそれは)決して他人を貶めない、喧嘩を売られても仏の心、自分が損してもじっと我慢、何事も周りの人に譲る事で喜ぶ心、相手が悪くても言い返してしまえば同じです。東方のサークルさんや、東方に触れる方は僧侶になった気分でコミケに望みましょう(あー?)

日記より
STGに拘る場合は、まずSTGの外からSTGを見る。もっと小さな所でも同じ、例えば弾幕を避ける事に拘るのならば、まずはSTG全般を見る。STGを見る時はゲーム全般を。ゲーム全般を見る時はプレイするユーザーを……。そうやって、ユーザーを取り巻く環境、ゲーム以外の娯楽、社会、世界……、と視野を広げていく。その世界まで広がった視点から光り輝く弾幕が見えた時、その時初めて弾幕に拘る事が出来るのだ。間違ってもいきなりSTGに拘ってはいけない。その拘りが世界に間違った深い傷を付けてしまうのだ。

日記より
意外と忘れやすい事実だが、実は自分以外の人間も成長する(当たり前)10年振りに会った友人が、記憶の中の姿とあまりにも異なり認知できない事もある。それとは関係無いが、もっと重要で忘れがちな事は、人間の創作物も成長すると言う事である。この事は創作に関わる者は注意しておきたい。創作物を成長しない物として見る目は、時として創造主の成長をも妨げるのだ。期待も偏見も全て同じであり、創造主に「こういう創作物を期待している」と考えた時点で、創作物に蓋が出来る。その目には創作物の成長を認知できない。大体の人間はその蓋を持っている。このジャンルにはこの硬派な蓋、あのシリーズにはこの萌えな蓋、そのメーカーにはギミックの蓋、と一つ一つ丁寧に蓋を被せていく。当たり前の様に創作物の成長を見えなくなる様に蓋をするのをよく見る。そういう自分も当然の様に蓋をする。気がつくと自分が通った後ろには、錆付いて動かなくなった蓋ばかり……。
(一部略)
人間は、人間の創作物も成長をするという事を忘れ、理解する為に蓋を被せてしまう。訳の判らない芸術も、印象主義とかそういった蓋を被せば理解した気分になれる、が、そこで芸術は足止めを喰らう。音楽もロックとか蓋を被せば、理解できた様な詳細な評価が言える様になる、が、他の特徴は身を隠すだろう。ゲームだって創作物だ。だからSTGという蓋を被せば理解した気分になれる、だが、本当は一部分しか理解していない事に気がつかない。だから、「このゲームは、STGとして面白い」とか、「STGに詳しくないから面白いかどうか判らない」、なんていう摩訶不思議な評価も、違和感が無いようにみえてしまう。本来、面白いというのはそんな感覚ではない筈だ。あくまでも蓋の下だけで、今回は上手く漬かった、今回はあまり美味しくなかった、蓋の下は発酵したお漬物、蓋からはみ出た物は腐った物、と繰り返しているだけで、蓋が動かない限り創作物の成長は止まってしまっている事に気がつかないのだ。時としてプロは、ターゲットが持つ蓋の下で、ユーザーの納得が行く美味しい漬物を作る必要がある。プロのゲームはユーザーが喜ぶものが最良のゲームだから、あえて創造を犠牲にして熟成だけを追い求めてるのだ。同人がそのプロのスタイルを真似してしまっては勿体無いと私は考える。蓋を飛び越えたゲームは、売れなくても、ユーザーが望んでいなくても構わないという条件でしか生み出せないのだから。創造主が一番捜し求めている事は、創作物の成長を止めないで自在に操る方法である。蓋を被せないと成長は見えないが、被せると成長を妨げる。理解出来ないと当然創る事も出来ないし……。だが、成長を止めないで創作をする方法は二つある。創作物の成長より速く自分を成長させて、常に蓋を創作物より高く上げ続けるか、全ての蓋を空けてしまい、それでも理解できる様になるか。前者は、STG→ゲーム→未知の創作物、と自分を成長させる事であり、後者は、自分が成長とは無縁の世界に生き、主体を失う事、つまりは妖怪になる事である。私はまだどちらの方法を実践していくのかは決めかねているが……、今回の永夜抄でそれが見えるかもしれないと期待していたりいなかったりして。

ゲームの功罪についてのZUNの考え(日記より)
人間には人生を楽しめる人と楽しめない人がいる。私の感覚では、今さえ楽しければよいという考えは人生を楽しめない人の考えだと思っている。何故なら、本当に楽しむためにはそれに伴う苦痛すらも楽しめるはずだからだ。ゲームはどうだろう。時間をかけることで楽になるか、楽を得るために苦痛を味あう必要があるか、現状この二つに絞られている気がする。どちらをとったとしても、本当の楽しみは見えてこない。悲しいかな、楽しむためのゲームは、今さえ楽しければよいという考えを助長する物になってしまっている。これは見直していかねばならぬ。世の中、今はつまらない物だって、まわりまわってどこで楽しめるのか判らないから面白いのに、面白さを保証しては駄目だ。

日記より
最近、音楽活動が楽しい。しかし、自分の音楽の根底に何が横たわってるのかを考えないで作った曲はつまらない。音楽は人を楽しませる「実」のあるものなのだ。しかし不思議なことに美しさは「虚」の部分にのみ存在する。役に立つから学ぶと言うのは、私は面白くないと思う。美しいから考えると言う方が面白いじゃないか。だから数学が面白い。数学の美しさが曲にも表れてくると作曲も楽しい。そう思えてならない。

同人はプロへのアンチテーゼだというZUNの主張~日記より抜粋(もはや開き直り)
つい最近、飲みの席で上司とちょいと私の考えを主張した事があった。そこでは同人作家には、全てとは言わないけどプロに対するアンチテーゼを持っている人が居る、と言ってみたが本当にそうなのか?面白いゲームを作り、どうすれば人に面白いと感じて貰えるかを考えるのがプロである。面白いと感じるから売り上げだって伸びる。自分の名声だって上がる。だとすると同人だって同じ考えの人が多いじゃないかと思う。最近の同人は技術面も考え方も、プロに準ずるか既にプロの作家も多い。同人どころかフリーソフトだとしても、面白いと感じて貰いたい(それによって自分の名声も上げたい)と思うから公開するので同じである。プロに対するアンチテーゼとは何か、私が考えるに、自分の(同じ嗜好の仲間の)為だけにゲームを創り、自分の(同じ嗜好の仲間の)為だけに公開し、自由に創る事(それこそ他所の著作物を拝借してでも)、ではないか。同人ではそれが出来る。そう見えないかも知れないけど、私にはその精神がある。そろそろ、東方はプロではないぞ、という面を見せていこうかと思ったり思わなかったり。そんな自己中丸出しの作品なんか創ってもみんなが喜ぶ訳でもないし、それでお金取ったら反感受けるだけじゃん、何でわざわざそんな事をする必要があるの? その返答には、「体制に反対するのって格好良くない?」でしか無いのですが……:-)

ゲーム開発者に対して(日記より)
ゲームの開発者にも、ゲーム以外の世界を味わう余裕が無ければ、新しい連結を生み出す事はないでしょう。次第に目は深い所しか見えなくなったり、他を批判するようになって、ゲームは連結を失い、単品か詰め合わせセットになってしまう。だから、開発職に充電期間は絶対必要なんです。

同人ゲーム界について(日記より)
入稿ついでにコミケのカタログを購入してきました。一目で分かる同人ソフトの枠の質が変わってきているのが気になります。総数から見てゲームの割合も少ないし、そのゲームを創っているサークルも割と昔から頑張っている人が多く見られますね。故にソフトのレベルが上がってきて良い事でもあるんですが……。その代わり自分のサークルブランドに縛られるし、新規参入者にも厳しいといった感じで、流動性が少なくなっているのかも知れないのかなと。これに、今のゲーム業界その物を見てしまいます。ゲームはゲーム内容で選ぶ時代から、ジャンルで選ぶ時代、メーカーで選ぶ時代を経て、今ではハードで選ぶ時代でもあります。メーカー側から見れば、アイデアで創る時代から、ブランドイメージを創る時代を経て、やはりハードで作る時代(ユーザーありきのぶら下がりというか)になっている気がします。そして結局、自ブランドのしがらみで足取りが重くなって、流動性を欠く結果に繋がるんでしょうね。うむ。大して儲ける必要がない筈のアマチュアレベルまでその悪循環になってはゲームの未来は暗いな。

ゲーム業界とZUNの好むゲームについて(日記より)
なんかね、今の業界は自分が遊びたいゲームが出しにくい状態なんだろうなぁと考えてしまう。今出ているゲームが何か重い。プレイ時間とか短いゲームも多くなってきたけど、何かとヘビーだ。自分が遊んでも良いんだろうか、遊んで感想を出しても良いんだろうか、本当に楽しめているんだろうか、という気持ちがわき上がってしまう。それは何だろう。こんな事考えているのは自分くらいなのか、他にもいるのか判りませんが、今のゲームは感想を出すのにセンスが必要すぎる!単純なゲームでも、単純だから良いわけではない。シューティングでもきらりと光るセンスが必要マニア向けでも難易度一つでは駄目とか良いとか言えない、オタク向けでも、一言で簡単に萌えーと言えない業界は窮屈だ。遊ぶときの今の僕にはそう言う気持ちが大きく占める。最近は、ゲーム業界自体がとある会社にシェアを奪われて久しいですが、それと同時にゲームがアイデア重視になっている事が微妙に息苦しいです。僕が本当にしたいゲームは、問答無用に心地よいゲーム、というのもの脳神経を刺激し、記憶に残らないとそのゲームの存在する意味が気迫になってしまうからです。よくよく考えてみると何も新しいという要素はないが、今のアイデアセンス至上主義の業界に浸りきった人には、ある意味目が覚めるゲーム。短期で終わってしまう刹那的な快感から、DNAに記憶する刺激の融合。

Febri Vol.9のZUNのインタビュー記事より
二作目として発表する作品にアイディア重視のものを出してしまうと、
この人はアイディア重視で作品を作る人なんだっていう認識が広がってしまうと思うんですよ。
でも、そういう認識で固まってしまったら僕としてはつらい。
奇抜なアイディアが悪いというわけではないんだけど、アイディアの人間というのは僕としては
技術のなさをごまかしている様なイメージがあるからです。
アイディアがない人間なんていない。むしろアイディアがあって当然だし、
どんな作品にもアイディアはある。
そういう意味で、アイディアが作品の売りの部分になったらいけないんです。

まあ完璧主義者ではない、いい加減な人間の言うことですけどね。

音楽は特に多いんですけど、これを入れたら駄目とか、これ入れた方がいいとか
理論的に言う人って、音楽のことをよく分かってないんだろうなって思ってしまう

わかっていない人が理解するために言うことだと思うんですよ。
そうすることで本人的にはいいと思ったものをなぜいいのかって理解するんだと思うんだけど、
そんなに明確に良いものとか悪いものなんてないわけです。
それは当たり前の話で、例えばこれがあったら良いゲーム、というものがあるんだったら知りたいですよ。

ゲームに限らず他もそうじゃないですか。
ゲームはまだ、ユーザーが遊んでわかりやすいところがあるのかもしれないけど、
音楽は数が多いし多様すぎて分からない。みんなでこれが良いって言っているものが、
果たして本当に良いものか疑問に思うところもあるし。権威のある人間が言ったら、
そこで初めてなぜそれが良いのかを研究するくらいなんじゃないですかね。
もちろん、論理的に音楽の話をしてもいいんです。なぜなら曲を研究してそういう曲を作るためにするから。
そういう人たちばっかりになったら物は作れなくなってしまう。明確な基準を作って、
これに合っていたら良いもの、これに合っていなかったら悪いものってなってしまったら、
それは文化の終焉です。評価するための基準を人間は作りましたっていう感じになってきて。
そういう文化はいっぱい見ていますよね。例えば絵画の世界なんて、素人に何故良いのか悪いのか
全く分からないじゃないですか。あれは良いっていわれているものを見ても、
普通のイラストレーターが描いているものとでは、良し悪しの区別がつかない。
絵画は身近な例ですけど、分からなくなった文化や文明はみんなそうだと思う。
いわゆる伝統芸能とか。あの手のものを理解するためには、入っていけば分かるって感じはしないですよね。
行って凄い!って感動していたら馬鹿にされるんじゃないかとすら思ってしまいます。
そうなったら伝統文化として細々と残していくだけであって。
それが出来る職人がこれだけ居るんですよっていうのをありがたがったりしているけど、
別になくてもそれほど問題はない
でもああいう伝統芸能がテレビとかではよくもてはやされるじゃないですか。そうすると、
物を褒めるっていうことの難易度が上がってしまうんですよね。

分かるために努力するっていうのも何か違うと思うんですよね。そういう文化は奥深いものだと
思うけど、奥深いだけではなにも進まない

  • アンチ商業を公言したZUNの発言より(東京大学で行われたコンテンツ文化史学会主催のシンポジウムでの発言)
「商業じゃないから受け入れられたのは、非常にあると思う。僕が今でも商業化するのに非常に抵抗あるのはそこ*11で、なかなか容易にテレビアニメ化とかしないのも、それをすることによって『ちょっと東方とは違うんじゃないの』っていう感覚になる人がいるだろうということ」

  • ありのままの答えを受け入れる気のない質問への返答は不毛なのでしたくありません。(東方プレイヤーからの苦情凸に対してのZUNのツイート)

ニコニコ自作ゲームフェスの記事より
―――「三部作」の後にもシリーズ作品を制作したのは、二次創作の盛り上がりに感化された部分もあった?

ZUN あったんだと思います。ゲーム内容の面でも、次第に二次創作は意識するようになっていきましたからね。意識といっても「二次創作でこういうことがあったから、これをネタに使うか」みたいなことではなく、「これをやると、二次創作でこういう反応があるだろうな」みたいなことを思いつつ作るようにもなりました。

―――楽しみ方自体を変えた、というのは合点がいきます。

ZUN ゲーム実況動画とか「人が遊んでいるのを観る楽しさ」も生み出しましたよね。攻略動画とか解説動画もこの人のプレイが見たいというように、プレイする人も選ばれる対象にもなって。あと、ゲーム制作においても、動画で観てもらうことも考えながらちゃんと作られているゲームが増えたりもしました。



  • ソーシャルゲームに対する揺れ動く発言


博麗神主@korindo
えっ? 何で東方と艦これが対立している話になっているの? じゃあ、戦艦のキャラだして勝手にコラボしていこうかなーw
2013年9月24日 2:02 PM

博麗神主@korindo
角川からの仕事に影響するのでやめ(笑)
2013年9月24日 2:04 PM

博麗神主@korindo
|-`).。oO(でもマジで艦これと東方の相性は良いと思っているので、積極的に組み合わせて二次創作していこうぜー
2013年9月24日 2:07 PM


新作のあとがきにて(抜粋)

 良いゲーム体験の一つに、目標に対して工夫して、努力して、そして根気よ
くプレイする事で乗り越えられる。そんな体験があげられるかと思います。
このゲームはそこに重点を置きました。
 しかし最近は努力の部分がランダムに偏るゲームが多くなってませんか?
 やれスーパーレアだのレジェンドだの……。ランダムで可愛い絵と、それに
付随するパラメタを無限のアップデートで集め続けるゲームには……、僕はもう、
ちょっと限界を感じるようになりました。もう真剣にゲームをしなくなった大人
の暇つぶし、と考えてますが、この世の中がそんなゲームばかりになってはお酒
も不味くなってしまいそうです。



  • NHKワールド「imagine-nation」東方プロジェクト特集内発言についてスレ住人のツッコミ

390 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2015/01/11(日) 23:01:20.66 ID:X/dRJWic0
和訳読んでるんだが、どう偏向美化してもZUNが言ってること酷すぎるなコレw
外国人ですら突っ込みどころ満載じゃないのかwww
あと、これ嘘大げさ紛らわしいZUN言動氷山の一角な

ZUN:最近のゲームなどではしばしば巫女キャラを見ますが、20年ほど前は今のように巫女キャラを見ることは全くありませんでした。巫女を推したゲームを作れば面白いだろう」と思いゲームを作った訳です。

奇々怪界は1986から少なくとも2001までは出てた訳だし、天外魔境等のRPG、ギャルゲエロゲの
巫女キャラ推しなんて昔からお約束だった訳だが
ついでに言えば巫女なんつったって巫女装束着てないだけでいくらでもいたのに上の放言を世界に発信したわけだ

  • 過去にも同じような発言をしており、同じような指摘が過去ログに残っている

720 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2014/08/22(金) 00:27:00.36 ID:+0FvuiVU0.net
幻想伝承アフターレポート
http://gensou.credits99.com/after.html

質問者 東方の世界観はいつぐらいから考え始めたのですか?

ZUN いつぐらいねぇ・・・(中略)
   あの当時は巫女さんってジャンルがなかったんですよ。
   巫女さんのゲームとか本とか殆どなくて、巫女さんのゲームを作りたいなって(笑)。
   巫女さんから付随するものを作っていったから
   そんなにでてこなくても巫女さんが出てなくても東方は巫女シュー(笑)。
   気付いたら凄い巫女さんのゲームとか増えていてびっくりしたけどね(後略)

東方Project旧作の一作目『東方靈異伝』(1996年)が出る前に
タイトーから巫女が主人公のアクション『奇々怪界』(1986年)
コンパイルからは巫女装束の女の子(まどうし)が自機のパイロットになるSTG『ガンナック』(1990年)
がリリースされてるんだが

なんか「今までなかった“巫女”というジャンルを私が誕生させました」
みたいに聞こえるんだよこの言い方

それで東方Projectの旧作を見てみたら
一作目の、お祓い棒・札による攻撃手段とか
二作目以降に出てくる敵キャラ、
巫女が妖怪退治っていう作風がどうも奇々怪界の二番煎じな感じ。

あと制作者、他社のSTGに「これで金を取るのは厳しい」とこき下ろしながら
そのSTGの作風盗むのやめろ
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。