「日本経済史」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
日本経済史」を以下のとおり復元します。
#CONTENTS
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** 【質問】 世界で最初にデリバティブを編み出したのは?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000052348
によれば大阪の堂島米会所だったという.
 ここでは欧米より約200年以上も前に世界最初の先物取引が編み出され,フューチャー、オプション、などといった凡そ現在世界で使われているデリバティブの全てが,この堂島で編み出され縦横に駆使されていたという.
 それが廃れたのは,市場の暴走を敵視する明治政府により大阪の米取引所が閉鎖されたためであり,そのせいで蓄積された高等取引の伝統のかなりの部分が失われた,と述べられている.

 詳しくは同書評を参照されたし.

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** 【質問】 元秋田藩主・佐竹家はなぜ没落したのか?

 【回答】
 秋田藩の「忠臣」片野なる相場師が「殿の財産を倍にしてさしあげます」と持ちかけたのを鵜呑みにして、佐竹の殿様が全財産を片野に預けたため.
 しかし,片野は京浜電鉄株買占めを目論むも失敗.
 藩の財産を蕩尽した片野は責任を感じて割腹自殺したという。

 詳しくは
http://www.bk1.jp/review/0000444883
を参照されたし.
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** 【質問】 大原孫三郎って誰?

 【回答】
 大原孫三郎(おおはら まごさぶろう,1880~1943)は,岡山県倉敷市の富豪の生まれの実業家であり,大原美術館創設者.
 父親の会社である倉敷紡績に入社した彼は,職工達が小学校さえ出ていないのに驚き,彼らのための教育機会を与えることに尽力.
 明治39年に社長に就任すると,口入れ屋が従業員の手配,炊事の請負,日用雑貨の販売を仕切り,法外なピンはねを行っていた,当時の慣行である飯場制度を廃止し,また,果断な施策で倉敷紡績を全国規模の会社に成長させた.
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** 【質問】 日本企業が日本陸軍のような組織上の病理に陥らないようにするには,どうすればいいのか?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000365406
によれば,人間およびその人間の集団である組織は限定合理的であり,条件さえそろえば、組織は合理的に非効率な手段を選び,やがて破綻するという.
 そこで人間と組織の限定合理性を認め、常に批判を受け入れる「開かれた組織」を構築することが、その解決策だという.

 詳しくは上記書評を参照されたし.


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** 【質問】 「戦後の日本の奇跡的な経済成長は,日本社会が1億総中流と思えるほどの所得・資産両面での平等社会があったからこそ実現した」のですか?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000442701
によれば,それは疑わしいという.
 なぜならば,実は日本の高度経済成長は明治から始まっており,戦前日本は非常に大きな格差社会だったからだという.

 まあ,「結果の平等」を追い求めた公立校の惨状を見れば,「結果的に平等社会になったこと」=「成長の原動力」などではないことが,すぐに分かると思うのだが.

 【追記】
「社会実情データ図録 所得格差の長期推移」(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4660.html)より、
>戦前については、戦後と比較して著しく所得格差は大きかったことが複数の研究で明らかにされている。しかも、明治、大正、昭和戦前期と所得格差は上昇傾向にあり、経済発展の前期に所得格差は拡大し、発展後期には縮小するというクズネッツの逆U字仮説の前期に当たっていると考えられている。
とのことで、戦前派大きな格差社会であることがわかる。
 また、戦前の経済成長について「経済学部 基本科目 経済史(後半)1999年度 冬学期 武田 晴人担当」(http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/keizaishi1.htm) の「5.国民総支出の推移 」を見ると
>1-1. 高い経済成長率 
>戦後の高度成長だけでなく、戦前についてみると、 
>       1870-1913 1913-1938 
> 日本     3.6     4.6 
> アメリカ   4.3     2.0 
> カナダ    3.8     1.5 
> デンマーク  2.2     1.9 
> ドイツ    2.8     1.6 
> イギリス   1.9     1.1 
> フランス   1.6     0.9  
とのこと。
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** 【質問】 高度経済成長はなぜ終焉したのか?

 【回答】
 増田悦佐によれば,それは効率性を無視し犠牲にして,生産性の高い働き者の日本人から巻き上げた税金を,田舎でスーダラしている自称「弱者」,しかしてその実態は働く意欲も能力もない連中に、まるで砂漠に水を撒くようにばら撒き続けたからだという.
 そして,この仕組を作り出したのは田中角栄で、これに「我々エリートが保護し育成してやらないと日本人の大部分は食えない」と勝手に勘違いした思い上がりの霞が関官僚が唱和して,せっかく日本に内在する成長へのエネルギーを奪い、殺した結果が今の体たらくなんだという.
 また,過疎化はある意味で先進国には必然的に起きる現象であり,これをむしろ促進する事が,田舎に豊かな自然を回復させる「地球に優しい政治なんだ」とも増田さんは言い切っている。

 詳しくは
http://www.bk1.jp/review/0000353805
を参照されたし.

【反論】
 高度経済成長が終わった原因は、第1次石油ショックである。
「 6.石油ショックとその克服 」(http://kccn.konan-u.ac.jp/konan/keizai/)より
>第1次石油ショック 
>1973年10月 「第4次中東戦争」が勃発
>↓
>反イスラエル諸国はイスラエルよりの先進国に対して石油戦略を発動する。
>↓
>景気の回復期でもあり、石油価格は4倍となる。
>輸入原材料の上昇と購買力の海外移転 
>↓
>インフレと不況(スタグフレーション)が進む。 
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** 【質問】 日本は世界の中で最も中流意識の人が多い国か?

 【回答】
 「社会実情データ図録 中流意識の国際比較」(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2290.html)によれば、違うらしい。
 作成者いわく、
「図を見れば明解であるが、自らの生活程度を中(中の上、中の下を含む)と見なしている者の割合で日本は決して上位にあるわけではな  い。ベトナム、米国、チリ、インドネシアといった国が日本より中流意識の高い国と言ったら誰が賛同するであろうか。」
とのこと。
 ちなみに調査対象国29ヶ国で多い順に挙げると
ベトナム、スペイン、米国、カナダ、チリ、イスラエル、ヨルダン、アルゼンチン、トルコ、インドネシア、セルビア・モンテネグロ、日本、ペルー、ベネズエラ、イラン、エジプト、バングラデシュ、プエルトリコ、中国、スウェーデン、インド、南アフリカ、メキシコ、モロッコ、フィリピン、タンザニア、ナイジェリア、ウガンダ、ジンバブエ
である。日本は、29か国中13位である。

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** 【質問】  1970年代の日本は世界の中で平等な社会か?

 【回答】
 「勇上和史「日本の所得格差をどうみるか」JIL労働政策レポートVOL3(2003.3)」(http://www.jil.go.jp/institute/rodo/documents/report3.pdf)の「2.所得格差の国際比較」によれば、それは独身世帯や農業世帯を含まなければの話である。含めれば、世界(といっても12ヶ国の中で)の中で格差の激しさは中くらいである。
>1970 年前後の先進各国における世帯当たり可処分所得のジニ係数を、格差の大きな順に並べた結果である(表2-1)。日本の所得格差は、スウェーデンやノルウェー、オーストリアについで小さく、平等度の高いグループに属しているといえる。この比較研究の結果、日本の所得分配は国際的に見て平等度が高いとする「平等神話」がもたらされた。ところがこの研究では、日本の統計として家計調査が用いられている。前に述べたとおり、同調査の調査対象には農家世帯や単身世帯が含まれていないためジニ係数が小さくなる傾向があり、一国全体の格差を比較するには不適切な統計である。事実、全世帯を対象とした1970 年の「国民生活実態調査」(「国民生活基礎調査」の前身)に基づくジニ係数は0.355とやや高くなり、この数値を採用すれば日本の位置12カ国の中程度にまで上昇する。

>表2-1 1970年前後の国際比較
>       調査年 ジニ係数
>フランス   1970  0.414
>イタリア    69  0.398
>旧西ドイツ   73  0.383
>アメリカ    72  0.381
>スペイン    73  0.355
>カナダ     69  0.354
>オランダ    67  0.354
>イギリス    73  0.318
>日本      69  0.316
>オーストラリア 66  0.312
>ノルウェー   70  0.307
>スウェーデン  72  0.302
>出所: M. Sawyer(1976)
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** 【質問】 「バブルの生成も崩壊も,日本経済の奥の院にいる日銀のエリート軍団が仕組んだ自作自演」だったの?


 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000045747
に言わせれば,そんなのは駄ボラ扱い.
 そもそも,
「日本人なんかに奇跡の経済成長なんかできるわけない。きっとどこかに凄い秀才軍団がいて陰で設計図かいている奴がいるに違いない」
という思い込みで語る外国人は
「通産省が日本経済の参謀本部」(チャルマーズ・ジョンソン)
「大蔵省こそ日本の総司令部」(フィングルトン)
などのように以前からおり,「日銀が奥の院」というのはその最新版に過ぎないのだという.

 詳しくは上記書評を参照されたし.

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** 【質問】 バブル経済を招いたのは誰の責任だったの?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000060757
によれば,一部のエリートや金融関係者のチョンボではなく,以下の人々が歓迎し,煽ったのだという.
・日本経済はどんどん発展して高度化していくのに,無学歴で全くこれについていけないが,土地は持っている元百姓の馬鹿地主,
・分もわきまえず官におねだりばかりする国民の面倒を,いい加減見切れなくなった行政
・優良企業がどんどん儲かってお金持ちになって,銀行からの借り入れを返済し始めると銀行は貸出先が無くなってパニックになるところを、不動産担保融資が急増して全て解決すると恵比須顔だった銀行生保損保の金融機関
・ただ広がっているだけの無価値の原野に値段がつき,何も能がなくても土地さえ売れば世界有数のリッチマンになれた,貪欲な田舎者

 そしてその皺寄せを全て引き受けたのが,都会の一流企業に勤めるサラリーマンだったのだという.

 詳しくは同書評を参照されたし.

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** 【質問】 バブル経済はどうして生まれたの?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000066003
によれば,おおよそ以下の通り.

石油ショックを必死の思いで切り抜けた日本の自動車・電気産業が米国を上回る世界最高の競争力を身につけ、大幅な経常黒字を稼ぎ出すようになる

→日米貿易摩擦が熾烈化しプラザ合意で円の価値が倍になる

→円高不況を乗り切るため日本政府は円売りドル買い介入を実施し、過剰流動性が発生する

→引き締めに転じようとした矢先に米国でブラックマンデーが起き、日本は世界の株式市場崩壊を回避する為、金利引上げマネースプライ引き締めを見送る

→膨大な通貨が土地、株に殺到する

→金利自由化、金融国際化を前にして銀行は不動産融資に急傾斜する

→銀行の全面的資金支援を受けて不動産投機が益々隆盛となる

 同ページに曰く,
> エクイティファイナンスにより銀行金利よりもはるかに安いコストで資金を調達できるようになった大企業は,銀行借り入れを返済するが、日本の金融システムは戦争遂行の目的で作られた銀行中心のシステムのままだったので,銀行には引き続き膨大な資金が集まりつづけ、運用先にこまった銀行が目をつけたのが不動産投機だった。

 そして現在も尚,銀行中心のシステムは改まっていないように感じられるのだが.

 また,さらにその深層にあるものとして,
http://www.bk1.jp/review/0000444668
では以下のように述べられている.
> 当時、日米自動車摩擦の最前線で米国との折衝にあたっていた通産省審議官天谷直弘氏の言葉を私は忘れない。
>「日本の一部に、ついに日本はアメリカに勝ったなどということを言う人がいるが冗談じゃない。
> 日本はたまたま自動車や半導体の一部でアメリカに対し優位にたっただけ。
> 国力全体で見ればアメリカの足元にも及ばない。このことを是非分かってもらいたい」
> 思い上がった日本人が勝手に借金して勝手に自滅したのが,バブルの真相であると私は見ている。
> 外資を加害者として責任を転嫁し続けている限り、日本には真の反省もないし教訓を学習する機会も訪れないであろう。
 残念ながら,いまだにその機会が訪れる気配はないようだ.
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** 【質問】 本来「石橋を叩いても渡らない堅実経営安全第一」のはずだった銀行が、バブル経済を招いた投機の荒波に,なぜ自ら突っ込んでいったのですか?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000066003
によれば,「向こう傷は問わない」と、本来銀行が絶対やってはいけないハイリスクハイリターンの融資に真っ先に突っ込んでいった,住友銀行の磯田一郎のやり方にあったという.
 その磯田の姿勢を、当時のマスコミは非難するどころか,むしろ誉めそやし,彼は「バンカーオブザイヤー」に選ばれ時代の寵児となったという.
 そしてそのマスコミの磯田評価を,当時の銀行経営者の大半が鵜呑みにしたのが,銀行転落の要因になったという.

 詳しくは同書評を参照されたし.

 クロスチェック未了につき,上記情報の真贋は,現時点では編者には何とも言えない.

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** 【質問】 日本の金融機関の収益率が低下した原因は?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/0000147002
によれば,米国の銀行が七転八倒の苦しみを経て自己革新を繰り広げ新商品を続々生み出して収益力を高めていく中、日本の金融機関は実質的に何もせず何も新しいものを生み出さなかったが、その理由の原因は日本の金融システムの頂点に君臨した日本興業銀行が,己の既得権を死守するため大蔵省を巻き込んであらゆる金融制度改革にことごとく反対したためだという.
 同行は美味しすぎるワリコー、リッコーの国債との分業を最後まで維持しようとし、社債発行の自由化、証券化、金融新商品の開発にことごとく反対する「抵抗勢力」に堕してしまったという.
 そのため日本の金融機関は似たり寄ったりのサービスしか提供できないままひたすら体力をすり減らすだけの壮大な消耗戦を繰り広げるしかなかったという。

 詳しくは同書評を参照されたし.

 とはいえ,自己革新したはずの米国金融機関も,2009年現在,ご覧の通りの有様であるわけだが.

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** 【質問】 東大法学部のトップ層を集めた,日本のベストアンドブライテスト組織だったはずの大蔵省が,なぜバブル崩壊を前には手も足も出なかったのですか?

 【回答】
http://www.bk1.jp/review/460431
を読むに根本原因は,日本人が大好きなリーダーが,「神輿に乗るタイプ」「良きに計らえタイプ」のダラ幹だからである模様.
 なぜなら,これだと組織が全体として上手く機能しているときは拡大均衡を通じて全員が旨味を享受でき、うまくいくが,権力を分散させることで、トップがリーダーシップを発揮出来ない『弱い指導者』をよしとする日本的意思決定機構は、危機に瀕したとき、無限の無責任体制に陥り、誤りを修正できずいたずらに傷口をひろげてしまうからだという.
 先の戦争のときの軍部・政府がそうだったし、バブル崩壊のときの大蔵省も,ひたする地価の反転上昇を祈るのみで、不良債権処理が出来なかったのだという.

 詳しくは同ページを参照されたし.
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** 【質問】 バブル崩壊後金融機関に資本投入利下げをしても,流動性が向上しないメカニズムを教えてください.

 【回答】
 金融機関サイドから見ると,金融ビッグバン以降特に銀行の評価基準になっている自己資本比率を維持・向上するため.
 つまり企業への貸し出しはリスクウェイトが100%として計算されるため,より安全な国債などの購入にシフトしているから.
 自己資本比率は資産分の自己資本として計算されるから,リスクウェイトが100%だとそのまま分母になってしまう.
 逆に国債などだとリスクウェイトが0%なので分母に算入されない.
 分母が小さいほど自己資本比率は高くなるから、結果的に企業への貸し出しが抑制される。
 いわゆる貸し渋り・貸し剥がしってやつね。
 あとは外資系投資銀行などを通じて資金が新興国のほうに流れてたっていうのもあるかもね。

 企業サイドから見ると,バブル期に相当痛んでしまったバランスシートを回復するために投資を控えているから。
 簡単に言えば、運転資金以外の新規投資は手控えたいってこと。

 こんなわけでいくらジャブジャブお金をつぎ込んでも,それが国内投資に向かわないから市中にお金が出回らない。

 【参考ページ】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221984536/l50
http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/enshu/Resumes/lec18.pdf
http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je97/wp-je97-00106.html
http://www.boj.or.jp/type/press/koen/ko0306c.htm

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** 【質問】 ゼロ金利や量的緩和って代償はあるの?

 【回答】 代償はインフレーション.
 というか、代償でもあるが目的でもある.

 量的緩和は銀行が日銀に積む当座預金残高というお金の量で金融の緩和・引き締め度合いを決める政策.
 日本なら日銀は,これを金利の水準の高低で緩和・引き締め度合いを決める政策に変える考え。

 景気が激しく落ち込むとインフレ率も激しく落ち込む.
 これを落ち込ませきらないようにするのが目的なので,こういう時にやっても代償と言う様なものがそもそも無い。 

 まあそれ以前に、ゼロ金利や量的緩和だけをやたら特別視するのはどうかと。 
 普段だって景気の落ち込みを防いだり過熱を警戒したりするために,金利の上げ下げによってお金の量をコントロールしてるわけで 
ある意味ではその延長線上の話でしかない。
 単に手法が珍しいというだけで。

 日米以外で難しいのはまさにインフレの問題で,英国とか欧州とか今インフレ率それなり高かったりするんだよね。 
「金融緩和は景気刺激、そして代償はインフレ」
 これは無限に景気を刺激し続けれるわけじゃないって話でもある。 
 あんまりにもインフレ率高くなっても困るから。 
 だからこれ以上思い切った緩和に踏み切れない、という状況。 

 で、さらにややこしいのはインフレと景気と失業と金融政策のそれぞれのタイムラグの問題。
 金融政策が効き出すのは半年から一年かかるって言われてる。
 もしこれから欧州や英国でも景気悪化がより深刻になるなら,今のうちにもっと金融緩和しとかないと酷い目にあうわけだ。 
 けど、上のレスで言ったようにゼロ金利や量的緩和がどうこう以前に、金利下げという形での金融緩和は既に各国やってるわけで、それで実は十分なのかもしれない。
 その場合は各国民は不必要な高インフレを被るわけ。

 暗闇の中手探りで進む状況だから、もう結果を見るしかないんだね。

 公的債務残高の増加も,代償として挙げることができる.
 現在のアメリカがゼロ金利・量的緩和をしているが、過去最大の財政赤字になっているし,公的債務残高も増え続けている。
 これで景気が順調に回復しなかったら、アメリカ国民は債務の返済のために国民負担率を上げることになる。

 日本でも,政府や特別会計が短期金利で借りているお金は150兆円を超えているので、解除すればこの分だけで利払い負担が5000億円弱増える。
 それに,短期金利が上がれば、それを起点に形成される長期金利の水準は底上げされる。
 上昇が続けば、国の利払いが急増する。 

 【参考ページ】
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/eco/1221984536/l50
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ota/20060225nb92p000_25.html
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/ota/20090213nbc2d000_13.html
http://www.news.janjan.jp/world/0803/0803132698/3.php
http://okuchika.net/?eid=2039
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** 【質問】 郵政改革は日本経済にとってはどうだったのか? プラスだったのか? マイナスだったのか?

 【回答】
 当時,猪瀬直樹はプラスであると強く主張していた.

> 財革は経済を縮小させるが行革はそうではない。むしろ経済を活性化させるのだ。行革は、儲けが出る話なのである。小泉さんは、国債発行を年額30兆円以下に抑える、と発言したが、それ自体はよいけれど、気をつけないと歳出を抑制するだけだと誤解されてしまう。〔略〕
> だがそうではない。〔略〕 行革をやるとお金が余るので、国債発行が30兆円以下でも大丈夫、という意味なのだ。メディアは、しっかりとそう見通しを伝えるべきだろう。
>
>〔略〕

> 5年前に(猪瀬が)『文藝春秋』で問題提起した際、特殊法人の生態について総合的に調査し分析した参考文献は殆ど見当たらない状態であった。
> それなのに,当時から小泉さんは郵政三事業民営化をぶちあげていて、その威勢のよさだけが印象に残ったとみえ,当時の流行語大賞になっている。
>
> しかし、流行語になった郵政三事業民営化のその中身については殆ど論じられなかった。〔略〕

> 問題は郵便そのものでなく郵便貯金であり、簡易保険のほうなのだ。
> 郵貯は255兆円(うち自主運用分58兆円)、簡保は112兆円、それに加えて年金が144兆円(うち年金資金運用基金の自主運用分27兆円)、これらが運用の貸し出し先を求めて特殊法人へ投げ込まれる。巨大な国営銀行が民業を圧迫しているのだ。
> 郵政三事業は「入り口」に位置し、「出口」に特殊法人や社団・財団等の公益法人がいる。『日本国の研究』で示したのは、「出口」の日本道路公団を初めとする特殊法人等には、民間企業ならば当然のコスト意識がまったくない、という事実であった。
> さらに,彼らは言わば国営企業であるにも関わらず,傘下に社団、財団法人と株式会社などのファミリー企業群を抱え,癌細胞のように自己増殖する恐るべき性質を持つことだった。善男善女が爪に火を灯すべくして預けた郵便貯金が、また苦労して納税したお金が、なんと国家と国民を蝕む形で使われていたのである。

> 小泉首相の構造改革は色々あるが,一言で言えば,日本は国営企業だらけでついに倒産した旧ソビエトの二の舞を踏んではならない、それに尽きる。
> この「革命」に失敗したら日本はもはや先進国でい続けることが困難になだろう。自分達が、よもやブラジルやメキシコになるなどと誰が予想しているか。忍び寄る危機は未然に回避しなければならない。

 もちろんこの論理には異論もあるだろうから,異論も発見し次第,クロスチェックしてみる予定.

 なお,「ソースは2ちゃん」になるが,郵政板によれば現在でも郵便事業会社にコスト意識が生まれたかと言えばそれは疑わしく,「誤配撲滅キャンペーン」「交通事故撲滅キャンペーン」のような内輪の数字競争に汲々としているという.
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** 【質問】 郵政省時代,郵便貯金を巡る金融システムは,どのように回っていたのか?

 【回答】
 高橋洋一によれば,郵貯で集めた資金は全部大蔵省理財局が預かって,国債の購入資金に充てられていたわけだが、そのお金は全部特殊法人に流されていたという.
 その際、大蔵省は0.2%のお金を上乗せして郵便貯金に支払っていたから回っていたのだという.

 これが特殊法人改革で廃止されると、国債並みの金利で貯金を預かって、運用も国債じゃあ、40万人いる郵便局員は養えなくなる.
 40万人の従業員を養うには運用して利ざやを稼がなければいけないが、利益を取るにはリスクを取らねばならなくなる。
 しかし国営企業体のままではリスクは取れない。
 リスクをとるとなると、失敗しても国が面倒をみてくれるということで壮大なモラルハザードを招きかねない。
 故に郵便貯金は特殊法人改革がなされた時点で、民営化「せざるを得ない」状況になったのだと,高橋は述べる.

 詳しくは
http://www.bk1.jp/review/0000462719
を参照されたし.
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** 【質問】 竹中平蔵は,「郵政公社を民営化すれば,郵貯が市場に開放され,資金は“官から民に流れる”」と論じていたが…?

 【回答】
 東谷暁によれば,そもそも民間・企業セクターよりも公セクターによる資金需要が強い中で、民間銀行までが大量の資金を国債購入に充てており、さらに当分の間は借換債及び新規債の大量発行が続くことが不可避であると考えられる現状においては,その論理は成り立たないという.
 仮に困難なプライマリーバランスの回復が成し遂げられたとしても、さらに大量の累積債務を解消することは極めて困難であろうという.
 詳しくは
http://www.bk1.jp/review/0000478318
を参照されたし.

 別項にて述べられているように,民営化の目的は他のところにあったと見るべきだろう.
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** 【質問】 かつて日本のガバナンスはどのようなものであったか?

 【回答】
 「経済分析 政策研究の視点シリーズ 12 日本のコーポレート・ガバナンス-構造分析の観点から-」(http://www.esri.go.jp/jp/archive/sei/sei020/sei012a.pdf)の「V 結論
1 日本のコーポレート・ガバナンスの再構築 (1) バブル期における日本のコーポレート・ガバナンスの機能低下」によれば、
>日本のコーポレート・ガバナンスはインサイダー型、すなわち少数者間での監視に基づくコーポレート・ガバナンスであった。中でもメインバンクが重要な役割を果たしていた。しかし、自己資本比率が上昇したこと、証券市場が発達した結果、企業の資金調達手段が多様化したこと、バブル期の金余り現象などによって企業に対するメインバンクの影響力は低下し、そのコーポレート・ガバナンスも後退したと考えられる。このように、従来はそれが適切に機能していたものが、バブル期を境に機能不全を起こし、企業経営に悪影響を与えたのである。
 また、バブル期を境に機能不全した原因は、「IV 日本のコーポレート・ガバナンスの構造 (2) インサイダー型のコーポレート・ガバナンス」より、
>第1の原因は、金融規制緩和によって企業の資金調達方法が多様化し直接金融の比重が高まったことに加え、バブル期の金余り現象により金融機関と一般企業の力関係が変化し、金融機関によるモニタリング機能が低下したことである。さらに、バブル期における金融機関の担保中心主義が金融機関のモニタリング能力を低下させている可能性も大きい。

>第2は、バブルの崩壊によって、インサイダー型コーポレート・ガバナンスが機能する前提である、相互に機会主義的な行動をとらないという暗黙の合意が守りきれないほど企業が深刻な打撃を受けたことが考えられる。特に、企業自体は長期的に存続するものであっても取締役の任期は数年であることから、自分の任期中は事態を糊塗しようとするインセンティブが働き、粉飾決算まがいの事が行われたことなどは、エージェンシー理論でいう企業と経営者の利害が埀離する現象が典型的に現れたものといえよう。

>第3は、国際化の進展により、とりわけ国際競争に直面する部門においては調和化を図る必要があり、従来の論理が通用しにくくなったことがある

>これに加えて、バブルが日本人のモラルに与えた負の影響は相当に深刻であり、経営面においても緊張感が弛緩したことによってインサイダー型のコーポレート・ガバナンスが成立する基盤が侵食されてしまったという点も見逃せない。
>すなわち、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスは長期的関係に基づくものであるから、一見したところ、短期的にはその評価基準は厳しさに欠けるものになる(長期的には厳しいものとなる可能性が高い)。したがって、モラルが低下し、機会主義的行動をとるものが増加したときには、コーポレート・ガバナンスの機能は低下する。相互監視の機能が薄れ、馴合いや庇合いといった現象が生じる。
>当事者の一方が通常では挽回不可能な状態(例えば、大幅な債務超過)となり、乾坤一擲あるいは悪あがき的行動をとった場合、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスは適切な対応ができなくなる。
とある。また、インサイダー型のコーポレート・ガバナンスの特徴については、オープン型と対比して、「表3-オープン型とインサイダー型のコーポレート・ガバナンス」より
>      オープン型                    
>特徴
>・コーポレート・ガバナンスの担い手は多数 
>・株主は広く分散し、流動性が高い
>・監視主体は多様
>・参入と退出の自由な市場が前提
>・情報開示や価格システムが重要
>長所
>・経営者に強いインセンティブが働く
>・企業売買が事業再編成の促進に効果的
>短所 
>・監視、介入コストが高い
>・監視に対するフリーライドの危険
>・レント追求型行動が多い
>・調整コストの外部化

>インサイダー型 
>・企業と継続的な取引関係のある企業など特定の限られた主体がコーポレート・ガバナンスを担う
>・事前的、経過的、事後的な監視をメインバンクや親企業などの同じ主体が担う
>・情報開示は不十分
>長所
>・経営と雇用の安定
>・監視、介入コストの節約
>・調整コストの内部化
>短所
>・システムの不透明性
>・経営が不確実な場合に有効性が低下
>・経営が硬直化し、事業の再編成を妨害
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** 【質問】 日本の工業化はいつ始まったか?

 【回答】
 「平成12年度年次経済報告」の「第2章 持続的発展のための条件 序 明治以来の日本の経済
」(http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00-0020j.html)によれば、

>日本の工業化は、1880年代半ばから20世紀初頭にかけて始まったと言われる。その始期において、綿紡績業では1882年の大阪紡績会社の創業を皮切りに、大型輸入機械を導入した近代的な綿紡績工場が次々と開業し、飛躍的に生産量が増加し、1890年に国内生産量が輸入量をはじめて上回った。一方、生糸生産においても、器械の導入が進み、1894年に器械製糸が座繰製糸を上回った。重工業の発展は軽工業より遅れを取ったが、1901年に官営八幡製鉄所が設立され、日本製鋼所、釜石製鉄所など民間の製鉄所の設立が相次ぎ、重工業の基礎となる鉄鋼の国内生産が本格的に行われるようになった。この時期造船技術は世界水準に追いつき、1905年に池貝鉄工所がアメリカ式旋盤の完全製作に成功するなど、技術面で大きな進展がみられた。また、1910年代から20年余りの間に、工場の動力源として電力の普及が急速に進んだ(それまで大工場においては蒸気力が使われていたが、零細工場においてはもっぱら人力によって機械が操作されていた。)
とのこと。
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** 【質問】 日本的経営はいつから始まったのですか?

 【回答】
 「平成18年度年次経済財政報告」の「第2章 企業行動の変化と企業からみた構造改革の評価 第2節 日本企業の特徴とその変化 3 日本的経営の変化と企業のパフォーマンス」(http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je06/pdf/06-00203.pdf)によれば
>日本的経営と呼ばれるものを構成する以上のような要素がどのようにして形成されてきたのかについても様々な議論がある。
>終身雇用や年功性といった企業内部組織の特徴については、19世紀末から20世紀初めにかけての産業発展の過程において、繊維産業等を中心に労働力不足とそれを補うための高い採用コストに企業が悩まされた結果として、企業側が従業員の定着を図るために採用されたとする説がある。
>当時、欧米諸国に遅れて産業化が始まった日本では、企業が新技術への迅速なキャッチアップを図る必要があったため、企業が技能を持った労働者の育成を自ら社内で図らざるを得なくなったことが、終身制や年功制定着の背景にあるとの説もある。
>終身雇用・年功賃金・企業別組合といった日本型企業の特徴は、第二次大戦中に行なわれた統制経済の諸制度にあるとする説もあり、インフレによる実質賃金低下を背景にした労働争議の拡大を抑制するため、労使協調体制が築かれたことに、その起源を求める見方もある(第二次大戦中に行なわれた統制経済の諸制度に日本的経営の起源を求める見方としては、岡崎哲二・奥野正寛(1993)、野口悠紀雄(1995)等がある。)。

>従業員出身の経営者や銀行を中心にした日本の企業統治に関する特徴については、第二次大戦後に行われた過度の経済力の集中を排除するための措置が影響したとの説がある。
>集中排除によって旧経営陣が一掃されるとともに、旧財閥等の持株会社が所有していた株式が没
収され、企業の従業員が優先的に株式を買う機会が与えられるなどの措置もあって、個人所有の割合が高まった(全体の株式総数に占める個人の所有株式数の割合は、1945年の53%程度から1949年には69%程度まで高まった(大蔵省「昭和財政史第19巻統計編」)。)。
>これによって、旧財閥企業のような企業の経営と所有が一体化した関係から、両者が分離し、経営者は内部からの昇進による者が増えた。その後の株価の暴落等もあって資本市場から資金調達が困難になったため、企業は銀行からの資金調達を増やす。一方、企業買収防止の観点から銀行に対して安定株主として株式を保有することを企業側が望んだということが指摘されている。加えて、国際的な資本取引の自由化によって企業が買収防止をより重視するようになったことによって昭和40年代に入ってさらに持合いが進んだとの見方もある。
>ただし、いわゆる「系列」については、戦後、旧財閥系の銀行を中心に、主として銀行融資を通じて産業界の巨大企業と資本の統一を進め、それを補完する形で株式持合いの関係を強めた企業グループを形成することとなったとされているが、その実態については、既に述べたように疑問を呈する見方もある。

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