邪気眼を持たぬものには分からぬ話 まとめ @ ウィキ

彼女はなぜ訪ねてきたか

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jyakiganmatome

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状況は最悪だった。





対して騒がしくもない昼下がりである。
港に近いこの事務所は、朝晩の汽笛の音以外は閑静なもので、昼夜逆転人間の僕にはちょうど良かった。
静かな昼を睡眠の時間に充て、涼しい夜に活動するのが基本スタイルとなっている。

だからこそ、僕は目の前の来客に対し、不機嫌な顔を向けてしまっていた。
アシュリーには玄関のパネルを「close」にしておくよう言ってあったような気がするけど。
まあ、依頼人が来たからにはしかたが無い。
どんな事態にもきっちりと仕事をこなせてこそ、プロを名乗れるというものだ。


「ようこそ、当事務所へ。本日はどういったご用件かな?」


アシュリーに淹れてもらった珈琲で、無理やり眠気を誤魔化しながら、僕はあくまで毅然とした態度で振る舞う。
誰に対しても余裕を持ち、常に上の立場に立たなければいけないというのが僕のモットーだ。
依頼人の言いなりになる探偵などに、まともな推理は出来やしない。

心はホットに、頭はクールに。
ホット――動くときは信念に基づき、決してそれを曲げた捜査を行ってはならない。
クール――情報に私情を交えず脳内にインプットし、余計な考えを全て脳内から取り払って最適化する。
自分のスタイルを冷静に、いつでも発揮できるのが良い探偵の条件。
パパから教えてもらった事の中では、最も役に立っているかもしれない。

依頼人の女性は、年齢にしてだいたい20歳前後と言ったところだろうか。
見た目は落ちついた雰囲気だが、今の立ち居振る舞いは対照的におどおどとし、何かに脅えているようですらある。
ハンカチを口元に当てたまま、目は宙を泳ぎ、顔色はその白い肌を差し引いても血の気が引いて見える。
大事件の予感に胸を膨らませる僕では有るが、あまり期待が実った試しと言う物はない。
浮気調査だろうが逃げた犬の捜索だろうが、依頼人にとって大事件ならばこういう態度をとるのだ。


「……何か話してもらわないと事態が進展しないんだ。まずは心を落ち着けて」


あくまで高圧的にならない程度に、しかし命令的に。
女性は胸をなでつけながら、大きく深呼吸をする。


「……実は、婚約者が命を狙われているんです」


キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!と叫びたくなる気持ちは抑えておく。
まだ取り越し苦労という可能性も捨てきれないからだ。
だが、探偵たるもの、やはり血生臭い事件にかかわった方がテンションが上がってしまう。
部屋の奥の方に居るアシュリーが無言で首を振っているのを見て、ほんのすこし苦笑が漏れた。


「…詳しくお願い。推理の基本は「ハウダニット」「フーダニット」「ホワイダニット」って言うからね。
 そのうち解明する要素が一つでも減っていればこんなに楽な事は無いんだよ。
 わかるかな?つまり「どのように」「だれが」「なぜ」。何か心当たりが有れば話してほしい」


明確に「命を狙われている」というのなら、「なぜ」の要素くらいは心当たりがあるのだろう。
そこが解れば「だれが」に検討をつける事が出来、そこが絞られれば自然と「どのように」犯行に及ぶのか考えられる。
だからこそ今回の件は、シチュエーション的に大事件じみているにも関わらず、捜査は難しくないだろうと考えた。



だが、帰ってきた返答は、おおよそ僕の予想を超える物となってしまう。







「彼は、私に命を狙われているんです」






僕の人生の中で、最も長い夏の幕開けだった。
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