青葉

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青葉 - (2013/07/20 (土) 13:29:38) の1つ前との変更点

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#image(No054.jpg) #contents() ---- *CV ---- 洲崎綾 ---- *史実情報 ----  青葉型1番艦で、昭和2年9月に三菱長崎造船所で竣工。青葉型が改古鷹型であることから、古鷹型3番艦とする資料もある。  ワシントン海軍軍縮条約の締結を受け、古鷹型を拡大強化した形で設計・建造、当時としては珍しい、連装砲塔を持つ重巡として誕生した。  攻撃面では優れた性能を有したが、一方で防御面には不安な点が多かった。とはいえ、この当時は砲戦が最重要されており、重巡の雷撃戦は想定外だったともいえる。  昭和12年からは大改装を実施。艦橋設備などを新型に改め、外見も一気に近代化した。  太平洋戦争では[[古鷹]]、[[加古]]、同型艦の[[衣笠]]と共に第6戦隊を編成。主に南洋海域での活動に従事した。  1942年8月7日、青葉は第一次ソロモン海海戦に参加。この戦いで青葉は魚雷発射管に被弾し、あわや大爆発の危機を迎えるも、なんとか生き延びた。が、退避中に[[加古]]が潜水艦に撃沈されてしまう。  2か月後の10月11日、青葉を旗艦とした艦隊は、飛行場砲撃と揚陸隊支援の為、ガダルカナル方面へ出撃する。  この際、同方面に進出していた米巡洋艦隊と遭遇。戦隊司令・五藤存知(ありとも)少将は米艦隊を揚陸隊の護衛艦隊と誤認。「ワレアオバ」と発光信号を送信する。  直後に見張り員が異変に気づき、艦長が総員戦闘配置を令するも時遅く、青葉は米艦隊の集中砲火を受ける。双方の陣形は完全な丁字状態であり、日本艦隊は行く手を完全に抑えられていた。  米軍の初弾は、不発だったもののを艦橋を直撃。正面から貫通した砲弾が艦橋内を破壊し、五藤司令は左足切断の重傷。その他司令部員も死傷した。米艦隊は射撃管制レーダーを用いた砲撃を行っており、青葉には続けざまに多数の敵弾が叩き込まれることとなった。  青葉は滅茶苦茶に破壊され、射撃方位盤や通信設備も使用不能に陥り、砲撃を行うことも出来ない状態となる。艦長は即座に脱出行動を開始、面舵一杯で右回頭を始める。この回頭中に敵弾が三番砲塔に命中。装填中の砲弾に命中し、第三砲塔が大爆発を起こす。  上部構造が大破した青葉だが、船体と機関は無事なため、煙幕を展開し全力で退避することが出来た。  青葉の後方に位置した[[古鷹]]は、青葉の退避を援護すべく敵艦に向けて前進。青葉と敵艦隊の間に割って入り、盾となった。[[古鷹]]は奮戦するも、命中弾を多数受け行動不能となってしまう。[[古鷹]]は修理の見込みなく、深夜総員退去の後に沈没した。  この他、駆逐艦[[吹雪]]が敵弾の集中砲火を受け轟沈している。  大被害を負った青葉は、すぐに呉へと帰投、修理を受ける。この間に、同型艦[[衣笠]]が撃沈されており、第6戦隊は青葉のみになってしまう。  修理は1943年2月に終了。青葉は再び南洋へと出撃する。  しかし、ニューアイルランド島のメウエパッセージ港で敵の空襲に遭い艦後部に被弾。爆弾は魚雷に誘爆し、青葉の後ろ半分は火の海となる。  艦長は意を決して浅瀬に乗り上げ、どうにか擱座して沈没を免れる。  青葉救出の為サルベージ船が派遣され、1か月に及ぶ作業の末に復旧。軽巡[[川内]]に曳航されて、トラックへ帰投した。  青葉はさらに二か月の応急修理の後、呉へ帰投。4か月に及ぶ本格的修理と、電探の装備を行う。修理の終わった青葉は、南洋海域での輸送作戦に従事することになった。  何度やられても蘇る青葉は、ソロモンの狼の異名で呼ばれるようになった、とも言われている。  1944年10月。レイテでの決戦に合わせ、青葉はフィリピンのマニラから陸軍兵を輸送する作戦に就く。しかし、この道中敵潜水艦の雷撃を受け損傷。僚艦[[鬼怒]]に曳航されマニラに向かう。発揮できる速力は、わずかに5ノットだった。  結局青葉は作戦に参加できず、応急修理を続けていた。戦況は日に日に悪化しており、青葉も空襲を避けるため、レイテより帰投した重巡[[熊野]]と共に、台湾への退避を決める。しかし、損傷しながらも24ノットを発揮する[[熊野]]と、5ノットしか出せない青葉ではどうしようもないので、輸送船や護衛の船をつけて船団で行動することになった。  11月7日、船団はマニラを出発するが、敵潜水艦に襲われる。青葉は5ノットの速力で、懸命に回避運動を行い魚雷を回避。計7本全てをなんとか避け切ったものの、先を行く[[熊野]]は被雷し航行不能になった。  青葉は[[熊野]]のと別れ、単独で台湾へと向かった。なお、[[熊野]]は修理のため現地に留まり、同月下旬空襲で撃沈されている。  台湾へたどり着いた青葉は、応急修理と補給を受け、12月ようやく呉に帰投した。   日本に戻った青葉だったが、母国の情勢は厳しく修理を受けることも出来ず、呉工廠近くに繋留放置されることになる。  そして、他の残存艦艇の例に漏れることなく、対空砲台として利用されることになった。  1945年7月24日の呉空襲では、至近弾、命中弾ともに1発ずつ、続く28日では4発の命中弾を受け、艦尾を切断。浸水により大破着底した。  青葉はそのままの状態で終戦を迎え、翌年解体された。  現在、海上自衛隊第一術科学校に艦首菊花紋章が、大和ミュージアムに青葉の主砲砲身の尾部が展示されている。  なお、1941年に当時主計中尉であった元・内閣総理大臣中曽根康弘が、1942年には作家海野十三が従軍作家として乗り込んでいる。  中曽根氏の自宅には、青葉の模型が飾られているのが確認されている。 --- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|ども、恐縮です、青葉ですぅ! 一言お願いします!| | |秘書クリック会話①|なになに?なんの話ですか?|| |秘書クリック会話②|司令官、青葉、見ちゃいました!|| |秘書クリック会話③|気になるんですか?いい情報ありますよ?|| |戦績表示時|連絡みたい、なんだろーなんだろー!|| |編成選択時|青葉取材・・・あ、いえ出撃しまーす!|| |装備時①|これでとっても取材、あ、いえ、戦闘がしやすくなりました。|| |装備時②|恐縮です。|| |装備時③|よーし、もっと働けます。|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|青葉、じっとしてられないな。|| |ドック入り(重傷)|ちょぉっと深入りし過ぎたようです|| |建造時|情報によると、新しい船が進水したみたいですよ?|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投しますね、インタビューする?|| |出撃時|第一遊撃部隊、出撃ですね|| |戦闘開始時|よく見えますねぇ|| |攻撃時|敵はまだこちらに気付いてないよ|もちろんそんなことはない| |夜戦開始時|よーし、青葉も追撃しちゃうぞ!|| |夜戦攻撃時|索敵も砲撃も雷撃も青葉にお任せ!|| |MVP時|お役に立てて嬉しいです、また青葉をよろしくね。|| |被弾小破①|しまった!|| |被弾小破②|くぅっ!|| |被弾カットイン|火力が・・・火力がちょっと足りないのかしら・・・|古鷹型・青葉型は20cm主砲6門と後発の重巡(8~10門装備)に比べると火力が低い| |撃沈時(反転)|COLOR(white): 沈むなら・・・呉軍港で沈みたかったな・・・|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/青葉) ---- *外部リンク -[[Wikipedia:青葉(重巡)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E8%91%89_(%E9%87%8D%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)]] //-[[ニコニコ大百科>>青葉]] //-&link_atpedia(扶桑){@PEDIA:青葉} ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告
#image(No054.jpg) #contents() &autolink(id=wikibody) ---- *CV ---- 洲崎綾 ---- *史実情報 ----  青葉型1番艦で、昭和2年9月に三菱長崎造船所で竣工。青葉型が改古鷹型であることから、古鷹型3番艦とする資料もある。  ワシントン海軍軍縮条約の締結を受け、古鷹型を拡大強化した形で設計・建造、当時としては珍しい、連装砲塔を持つ重巡として誕生した。  攻撃面では優れた性能を有したが、一方で防御面には不安な点が多かった。とはいえ、この当時は砲戦が最重要されており、重巡の雷撃戦は想定外だったともいえる。  昭和12年からは大改装を実施。艦橋設備などを新型に改め、外見も一気に近代化した。  太平洋戦争では[[古鷹]]、[[加古]]、同型艦の[[衣笠]]と共に第6戦隊を編成。主に南洋海域での活動に従事した。  1942年8月7日、青葉は第一次ソロモン海海戦に参加。この戦いで青葉は魚雷発射管に被弾し、あわや大爆発の危機を迎えるも、なんとか生き延びた。が、退避中に[[加古]]が潜水艦に撃沈されてしまう。  2か月後の10月11日、青葉を旗艦とした艦隊は、飛行場砲撃と揚陸隊支援の為、ガダルカナル方面へ出撃する。  この際、同方面に進出していた米巡洋艦隊と遭遇。戦隊司令・五藤存知(ありとも)少将は米艦隊を揚陸隊の護衛艦隊と誤認。「ワレアオバ」と発光信号を送信する。  直後に見張り員が異変に気づき、艦長が総員戦闘配置を令するも時遅く、青葉は米艦隊の集中砲火を受ける。双方の陣形は完全な丁字状態であり、日本艦隊は行く手を完全に抑えられていた。  米軍の初弾は、不発だったもののを艦橋を直撃。正面から貫通した砲弾が艦橋内を破壊し、五藤司令は左足切断の重傷。その他司令部員も死傷した。米艦隊は射撃管制レーダーを用いた砲撃を行っており、青葉には続けざまに多数の敵弾が叩き込まれることとなった。  青葉は滅茶苦茶に破壊され、射撃方位盤や通信設備も使用不能に陥り、砲撃を行うことも出来ない状態となる。艦長は即座に脱出行動を開始、面舵一杯で右回頭を始める。この回頭中に敵弾が三番砲塔に命中。装填中の砲弾に命中し、第三砲塔が大爆発を起こす。  上部構造が大破した青葉だが、船体と機関は無事なため、煙幕を展開し全力で退避することが出来た。  青葉の後方に位置した[[古鷹]]は、青葉の退避を援護すべく敵艦に向けて前進。青葉と敵艦隊の間に割って入り、盾となった。[[古鷹]]は奮戦するも、命中弾を多数受け行動不能となってしまう。[[古鷹]]は修理の見込みなく、深夜総員退去の後に沈没した。  この他、駆逐艦[[吹雪]]が敵弾の集中砲火を受け轟沈している。  大被害を負った青葉は、すぐに呉へと帰投、修理を受ける。この間に、同型艦[[衣笠]]が撃沈されており、第6戦隊は青葉のみになってしまう。  修理は1943年2月に終了。青葉は再び南洋へと出撃する。  しかし、ニューアイルランド島のメウエパッセージ港で敵の空襲に遭い艦後部に被弾。爆弾は魚雷に誘爆し、青葉の後ろ半分は火の海となる。  艦長は意を決して浅瀬に乗り上げ、どうにか擱座して沈没を免れる。  青葉救出の為サルベージ船が派遣され、1か月に及ぶ作業の末に復旧。軽巡[[川内]]に曳航されて、トラックへ帰投した。  青葉はさらに二か月の応急修理の後、呉へ帰投。4か月に及ぶ本格的修理と、電探の装備を行う。修理の終わった青葉は、南洋海域での輸送作戦に従事することになった。  何度やられても蘇る青葉は、ソロモンの狼の異名で呼ばれるようになった、とも言われている。  1944年10月。レイテでの決戦に合わせ、青葉はフィリピンのマニラから陸軍兵を輸送する作戦に就く。しかし、この道中敵潜水艦の雷撃を受け損傷。僚艦[[鬼怒]]に曳航されマニラに向かう。発揮できる速力は、わずかに5ノットだった。  結局青葉は作戦に参加できず、応急修理を続けていた。戦況は日に日に悪化しており、青葉も空襲を避けるため、レイテより帰投した重巡[[熊野]]と共に、台湾への退避を決める。しかし、損傷しながらも24ノットを発揮する[[熊野]]と、5ノットしか出せない青葉ではどうしようもないので、輸送船や護衛の船をつけて船団で行動することになった。  11月7日、船団はマニラを出発するが、敵潜水艦に襲われる。青葉は5ノットの速力で、懸命に回避運動を行い魚雷を回避。計7本全てをなんとか避け切ったものの、先を行く[[熊野]]は被雷し航行不能になった。  青葉は[[熊野]]のと別れ、単独で台湾へと向かった。なお、[[熊野]]は修理のため現地に留まり、同月下旬空襲で撃沈されている。  台湾へたどり着いた青葉は、応急修理と補給を受け、12月ようやく呉に帰投した。   日本に戻った青葉だったが、母国の情勢は厳しく修理を受けることも出来ず、呉工廠近くに繋留放置されることになる。  そして、他の残存艦艇の例に漏れることなく、対空砲台として利用されることになった。  1945年7月24日の呉空襲では、至近弾、命中弾ともに1発ずつ、続く28日では4発の命中弾を受け、艦尾を切断。浸水により大破着底した。  青葉はそのままの状態で終戦を迎え、翌年解体された。  現在、海上自衛隊第一術科学校に艦首菊花紋章が、大和ミュージアムに青葉の主砲砲身の尾部が展示されている。  なお、1941年に当時主計中尉であった元・内閣総理大臣中曽根康弘が、1942年には作家海野十三が従軍作家として乗り込んでいる。  中曽根氏の自宅には、青葉の模型が飾られているのが確認されている。 --- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|ども、恐縮です、青葉ですぅ! 一言お願いします!| | |秘書クリック会話①|なになに?なんの話ですか?|| |秘書クリック会話②|司令官、青葉、見ちゃいました!|| |秘書クリック会話③|気になるんですか?いい情報ありますよ?|| |戦績表示時|連絡みたい、なんだろーなんだろー!|| |編成選択時|青葉取材・・・あ、いえ出撃しまーす!|| |装備時①|これでとっても取材、あ、いえ、戦闘がしやすくなりました。|| |装備時②|恐縮です。|| |装備時③|よーし、もっと働けます。|| |>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)| |ドック入り|青葉、じっとしてられないな。|| |ドック入り(重傷)|ちょぉっと深入りし過ぎたようです|| |建造時|情報によると、新しい船が進水したみたいですよ?|| |艦隊帰投時|艦隊が帰投しますね、インタビューする?|| |出撃時|第一遊撃部隊、出撃ですね|| |戦闘開始時|よく見えますねぇ|| |攻撃時|敵はまだこちらに気付いてないよ|もちろんそんなことはない| |夜戦開始時|よーし、青葉も追撃しちゃうぞ!|| |夜戦攻撃時|索敵も砲撃も雷撃も青葉にお任せ!|| |MVP時|お役に立てて嬉しいです、また青葉をよろしくね。|| |被弾小破①|しまった!|| |被弾小破②|くぅっ!|| |被弾カットイン|火力が・・・火力がちょっと足りないのかしら・・・|古鷹型・青葉型は20cm主砲6門と後発の重巡(8~10門装備)に比べると火力が低い| |撃沈時(反転)|COLOR(white): 沈むなら・・・呉軍港で沈みたかったな・・・|| ---- *コメント 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=コメント/青葉) ---- *外部リンク -[[Wikipedia:青葉(重巡)>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E8%91%89_(%E9%87%8D%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)]] //-[[ニコニコ大百科>>青葉]] //-&link_atpedia(扶桑){@PEDIA:青葉} ---- *タグクラウド #tag_cloud(sort=num) ---- *関連ページ #related(sort=timestamp) ---- ▼wikiレンタル代価広告

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