古鷹

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古鷹 - (2014/01/03 (金) 16:41:15) の最新版との変更点

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#image(No052.jpg) ---- *CV ---- 大坪由佳 ---- *史実情報 ---- 進水:1925年2月25日 戦没:1942年10月12日(1942年11月10日除籍) #image(Furutaka.jpg) 1926年3月、三菱造船長崎造船所にて竣工した大型巡洋艦。 艦名となった古鷹山は海軍兵学校のある広島県江田島市の山で、霊山の名前が冠せられる場合の多い一等巡洋艦では異端。 なお本人は重巡であることを誇ってるが、開発当時は重巡という概念がなく、コンセプト的には&bold(){『ちょっとデカくて強い軽巡』} という認識の方が正しい艦である。 設計当時、巡洋艦と言うのは艦隊の目として艦隊前縁を単艦にて航行し、索敵・哨戒を行うための艦種であった。 艦隊決戦における情報戦の要であり、最も会敵の可能性が高い軽巡洋艦は、そのために高い攻撃力を有する必要があった。 小型かつ貧弱な[[天龍]]型を置き換えた5500t型巡洋艦は優れた性能を持つ艦であったが、15.2cm砲12門を備えるアメリカ海軍の オマハ級巡洋艦や、19.1cm砲7門を備えるイギリス海軍のホーキンス級巡洋艦などの強力な巡洋艦が出現すると、その性能にも 遜色が目立つようになる。 そこでこれらの巡洋艦に対抗すべく、平賀譲造船官の手により設計された巡洋艦が古鷹型であり、同じ氏の成果物である[[夕張]]の発展拡張形である。 排水量10,000トン未満にも拘らず、6門の20cm砲と下手な装甲巡洋艦並の砲撃能力を備えながら、転覆もせず、良好な航行性能を 両立していたことは、列強各国に衝撃を走らせた。 一説には、古鷹型や続く青葉・妙高型の性能の高さが、後のロンドン軍縮会議における巡洋艦制限へつながったとさえ言われている。 (ちなみに帝国海軍の特徴とも言えるゆるいS字を描いた艦首・ダブルカーヴドバウの本格的な採用も古鷹型が最初である。厳密に最初 の艦は[[那珂]]ちゃんであるが) 当初は前述のとおり20cm単装砲6門を備えた、第一次大戦世代の設計を抜け出せていない設計であったのだが、この単装砲は重量を 抑えるために人力装填を用いており、砲撃時の効率が悪く、即応弾を撃ち切ると100kg近い弾薬を弾薬庫から兵員がリレーして運ぶ 必要があり、即応弾を撃ち切った際には砲撃速度が低下する欠点があった。 そのため1936年からの大改修で準同型の「[[青葉]]」型に搭載されているものと同様の20.3cm連装砲3基に変更された。 またこの時欠陥の多かった艦体内蔵型の水上魚雷発射管も撤去され、甲板上に最新の九三式酸素魚雷が発射可能な四連装魚雷発射管 が装備。水上偵察機とその発射機などの航空兵装も施され、全体的な艦影は準同型艦の「[[青葉]]」型に近いものとなった。 太平洋戦争においては、日本海軍第八艦隊に所属。重巡・青葉を旗艦とする第六戦隊の一隻となり、 第一次ソロモン海戦において敵重巡4隻を撃沈する大戦果を記録する。 1942年10月11日夜。 第六戦隊は、敵飛行場砲撃のためガダルカナル島沖へと進出したところ、未確認の艦影と遭遇する。 旗艦・[[青葉]]は、それを近海で輸送作業に従事している水上機母艦『日進』『[[千歳]]』であると思い込み、暗闇に向けて無防備に発光信号を放った。 それが、後の世に語られるサボ島沖海戦の始まりであった。 状況確認もままならないうちに集中砲火を浴びた青葉は、あっという間に艦橋に直撃弾を受け首脳全滅、続けて第二砲塔が被弾により使用不能になる。 それを間近で見ていた古鷹は、青葉を轟沈させまいと、猛烈な反撃をしつつ射線上へと船体を割り込ませる。 古鷹の判断は功を奏し、青葉は夥しい被害を出しながらも後退。戦線の離脱に成功する。 しかし、古鷹は前線に取り残される形となった。 青葉を護るためその身を躍らせていたことに加え、敵艦隊に向けて照射した探照灯の光が、敵の視線を釘付けにしてしまったのだ。 雨あられと降り注ぐ弾丸で、まず、サーチライトが吹き飛んだ。ついで艦の各所に火の手が上がり、小柄な古鷹の船体は、瞬く間に灼熱の炎に包まれてしまった。 それでも古鷹は止まらなかった。 全身が炎上し、最後の命を燃やし尽くすかのような壮絶な火の玉と化してもなお、砲撃をやめることなく敵艦隊へと突進。 古鷹の、命をかけた攻撃は、敵軽巡『ボイシ』へと殺到。大火災と浸水を巻き起こし、同艦を轟沈寸前にまで追い込んだ。 だが、22時40分。 計90発以上の直撃弾を受けた満身創痍の船体は、ついにその鼓動を止め、航行不能となってしまう。 戦闘終了後の翌未明。古鷹は、洋上に浮かんでこそいたものの、修理はもはや不可能で、手の施しようのない状態であった。 12日0時28分、沈没。 旗艦・青葉の無事を引き換えにしての最期であった。 余談であるが、小さな船体に無茶な武装を施しているせいで、姉妹艦の[[加古]]ともども居住性はすこぶる悪かったようである。 ひどい場所では兵員室の床が最初から傾斜していたとか。 ---- *台詞一覧 ---- |状況 |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|古鷹といいます。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。|古鷹の設計思想は日本重巡の基礎となった| |秘書クリック会話①|ここはとてもいい部隊ですね|人による| |秘書クリック会話②|次の作戦海域の資料、見せてもらってもいいですか?|| |秘書クリック会話③|提督慌てないで。大丈夫です|| |戦績表示時|提督にお知らせがあるようですよ|| |編成選択時|重巡古鷹、出撃します!|| |装備時①|三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます|第一次ソロモン海戦では三川軍一中将率いる第8艦隊に所属| |装備時②|これなら夜戦もバッチリです!|| |装備時③|やったね!|| |>|>|(修復剤使用は②と共通、資材発見時は③と共通)| |ドック入り|兵装の手入れをしてきますね|| |ドック入り(重傷)|先日の戦闘で、少し無茶しちゃいましたね|| |建造時|新しい艦が建造されました|| |艦隊帰投時|作戦完了です。お疲れ様!|| |出撃時|敵輸送艦を捕捉。撃破したいですね|第一次ソロモン海戦時の目的は敵輸送船撃破であった| |戦闘開始時|左弦、砲雷撃戦用意!|| |攻撃時|主砲狙って……そう、撃てぇー!|| |夜戦開始時|私、夜戦は得意なんだから!|第一次ソロモン海戦での活躍に因む| |夜戦攻撃時|加古は大丈夫?|第一次ソロモン海戦の帰途、加古が米潜水艦S-44の魚雷攻撃を受け沈没| |MVP時|私たちの役割がたまたま目立っただけなんです。これが、重巡洋艦なんですよ。|| |被弾小破①|予測の範囲内です!|| |被弾小破②|やだ…何…?潜水艦…!?|現状を把握できていないようなニュアンスから、おそらく加古沈没時との関連| |被弾カットイン|やっちゃった…まだ、沈まないよ|サボ島沖海戦で大破炎上したものの、戦闘終了まで沈まなかったため?/また、左目≒探照灯を閉じているのは、最後の戦いとなったサボ沖海戦において真っ先(青葉第三砲塔自爆の直前)にサーチライトを破壊されたため。| |撃沈時(反転)|COLOR(white):加古、ごめんね…先にいくね…|| ---- *コメント ---- - 自己紹介:古鷹といいます。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。 -- 名無しさん (2013-05-15 20:17:14) - 史実情報追加。調べながら書いたので間違ってたら直してください -- 名無しさん (2013-07-13 02:49:10) - 「ここはとてもいい部隊ですね」「人による」 ワロタw -- 名無しさん (2013-07-29 15:51:35) - 人による ってw -- 名無しさん (2013-07-29 17:16:26) - 史実さんきゅー!戦時中のストーリーにどっぷりはまった自分がいる -- 名無しさん (2013-07-30 00:09:04) - ブラック提督の場合、良い部隊ですねの後に(汗)が付くな・・・ -- 名無しさん (2013-07-31 22:27:50) - 史実の古鷹かっこいいなぁ、豪傑って感じ -- 名無しさん (2013-08-03 08:20:27) - 古鷹の目が光ってるのは 青葉から守るとき自分を目立たせて気を引こうとライトを点灯させていたから って思えるんだけどどうかなぁ -- 名無しさん (2013-08-03 19:51:26) - 初めて手に入れた重巡が古鷹だったなぁ… -- 名無しさん (2013-08-05 11:12:56) - 三川艦隊でこの娘だけ出なくってまた・・・ -- 名無しさん (2013-08-14 01:02:27) - 紙資料を読み込んだので、以前に自分で書いたところを加筆修正。ウィキペディアの『この攻撃により魚雷が誘爆し、大火災を起こしてしまった。』のソースは何なんだろう。青葉はサボ島沖のときは魚雷・魚雷管理の人員を基地に残してるみたいなんだよね、目的が敵基地滑走路の砲撃だったから、要らない可燃物の下ろす意味で。 -- 名無しさん (2013-08-17 04:50:45) - 見た目がサイボーグ(というよりターミネーター?)っぽくて好き -- 名無しさん (2013-08-17 23:04:18) - 古鷹ちゃんまじ天使 -- 名無しさん (2013-08-21 15:45:59) - 一番かわいい -- 名無しさん (2013-08-22 00:53:21) - 1-3ボス、ランクAで確保 -- 名無しさん (2013-08-22 17:27:45) - 健気すぎる惚れた -- 名無しさん (2013-08-22 17:52:23) - 見た目がちょっと怖いけど献身的な古鷹さん -- 名無しさん (2013-08-22 22:59:51) - 初めて手に入れたのが愛宕姉さんだったせいで「なんか弱いなぁ・・・」と思っていたが今では立派に俺の嫁 -- 名無しさん (2013-08-23 09:13:38) - 史実のせいで、ラストサムライで福本さんがやった名無しの侍のことを古鷹さんって呼んでるわ -- 名無しさん (2013-08-24 11:48:41) - 「人による」とか「初めては誰だって焦るものである」とかのコメントは要らないんじゃないかな -- 名無しさん (2013-08-25 07:40:18) - 「初めては誰だって焦るものである」 これだけ後から追記されてたけどちょっとスベってる気がしてならない。下ネタはやめなさい -- 名無しさん (2013-08-25 08:48:28) - みんなと瞳の色が違うのはサーチライトを意味してるのかぁ。右腕を包み込むような超ごつい砲塔がカッコイイ! -- 名無しさん (2013-08-25 18:21:25) - 人によるww 「焦るもの~」の方は↑2の指摘で下ネタと解釈したら逆にスベり感なくなったw夜戦が意味深になるんだもの、仕方ないね。 -- 名無しさん (2013-08-26 14:25:47) - なにげにある意味、夕張の妹艦なのか。無理して兵装詰め込んでるのは一緒なのに、こっちは完成度高かったんだなぁ -- 名無しさん (2013-08-28 09:46:02) - 何この史実まじ泣ける -- 名無しさん (2013-09-04 04:14:57) - 「左弦、砲雷撃戦用意!」も別にそんな特別な台詞ではないが、サボ島沖海戦の話っぽいね -- 名無しさん (2013-09-05 20:11:19) - ↑コメで気づいたが誤字ってるな。弦じゃなくて舷だね -- 名無しさん (2013-09-07 00:16:19) - 古鷹「また置いていかれたら、私、どうしたらいいかわからないから…。」 -- 名無しさん (2013-09-07 22:26:01) - セクハラ(クリック)に対して、ここはとてもいい部隊ですね(棒)ってことかとオモタ -- 名無しさん (2013-09-08 13:30:21) - ↑他の子でもそうだが、セクハラに対しての反応は会話3(クリック連打で固定される)なんじゃないか? しかし大破状態で秘書艦にしとくと、ボロボロのまま平然と「次の作戦海域~」って言い出したりもあって罪悪感が -- 名無しさん (2013-09-08 15:01:02) - 史実格好いいな。好きになった -- 名無しさん (2013-09-12 18:13:36) - まったくでない -- 名無しさん (2013-09-13 22:45:57) - イヤって言うほど出るぞ…… -- 名無しさん (2013-09-15 20:32:44) - おそらく火傷をしているのではないか?って思う(顔)。勘違い?それとも炎上騒ぎでもあった? -- 名無しさん (2013-09-17 10:01:24) - ↑史実から考えると被弾して船体が炎に包まれたと書いてあるから火傷であってるのかも -- 名無しさん (2013-09-18 01:01:12) - 11~100までの最後がこの子でした、旗艦防御で青葉が突っ込んでいったときふと涙が -- 名無しさん (2013-09-20 19:26:05) - 史実的にはもう改装なさそうだね。ほそぼそと愛でていられる -- 名無しさん (2013-10-03 22:03:31) - 流石に最前線の攻略には連れていけないが、クエスト消化には十分な性能はあるからマメに連れ出してる -- 名無しさん (2013-10-09 01:08:32) - 2-1-1で駆逐艦育成してたらSでやっと出た -- 名無しさん (2013-10-13 22:01:38) - 「人による」ぐらいはあっていいと思うんだけどなぁ -- 名無しさん (2013-10-14 13:58:04) - あれ無いとさびしく感じるよなw>人による -- 名無しさん (2013-10-15 13:22:44) - 史実かっこいいなぁ。 -- 名無しさん (2013-10-18 23:55:18) - そういえば火傷ってのは絵師本人が否定したみたいね。 ただの影だったみたい。 -- 名無しさん (2013-10-20 09:03:33) - では兵員室の床が最初から傾斜していたのは必要高さを割り出して斜線でつないだ波型甲板だからです。涙ぐましいコンパクト化の弊害です -- 名無しさん (2013-10-24 03:17:47) - なんだやけどじゃないのか・・よかったね -- 名無しさん (2013-10-29 01:34:42) - 全く出てこない。早く~。 --     (2013-10-30 12:51:00) - 昨日轟沈したorz あぁ、あの時進撃しなかったらなぁ -- 名無しさん (2013-11-09 04:15:29) - 古鷹だけ出てこない…加古は沢山出てくるのになあ… -- 名無しさん (2013-11-13 20:46:28) - 今日撃沈した…ごめんね -- 名無しさん (2013-11-13 23:03:19) - 加古は大丈夫?のあとに「そう…」って言ってない? -- 名無しさん (2013-11-19 17:10:55) - 夜戦のとき加古の「古鷹、見てくれてた?」に「加古は大丈夫?」と繋がって笑ったw -- 名無しさん (2013-12-10 22:24:20) - 演習で壊滅状態に追い込んだ相手の艦隊で唯一の無傷だった古鷹さんがうちの比叡改二を一撃で大破させた記念にカキコ もちろんお礼はしたけどな -- 名無しさん (2013-12-11 06:32:52) - 古鷹型はもっと燃費下げて欲しい、青葉の下位互換じゃん -- 名無しさん (2013-12-20 16:54:33) - そもそも青葉どころか古鷹青葉型が長良の下位互換になってるから、そっちの調整のほうが先 -- 名無しさん (2014-01-03 13:43:35) - 加古は何度も出るのに古鷹は全然出ないなぁ -- 名無しさん (2014-01-03 16:41:15) #comment
#image(No052.jpg) ---- *CV 大坪由佳 ---- *Illustrator 絵師 ---- *史実情報 進水:1925年2月25日 戦没:1942年10月12日(1942年11月10日除籍) #image(Furutaka.jpg) 1926年3月、三菱造船長崎造船所にて竣工した大型巡洋艦。 艦名となった古鷹山は海軍兵学校のある広島県江田島市の山で、霊山の名前が冠せられる場合の多い一等巡洋艦では異端。 なお本人は重巡であることを誇ってるが、開発当時は重巡という概念がなく、コンセプト的には&bold(){『ちょっとデカくて強い軽巡』} という認識の方が正しい艦である。 設計当時、巡洋艦と言うのは艦隊の目として艦隊前縁を単艦にて航行し、索敵・哨戒を行うための艦種であった。 艦隊決戦における情報戦の要であり、最も会敵の可能性が高い軽巡洋艦は、そのために高い攻撃力を有する必要があった。 小型かつ貧弱な[[天龍]]型を置き換えた5500t型巡洋艦は優れた性能を持つ艦であったが、15.2cm砲12門を備えるアメリカ海軍の オマハ級巡洋艦や、19.1cm砲7門を備えるイギリス海軍のホーキンス級巡洋艦などの強力な巡洋艦が出現すると、その性能にも 遜色が目立つようになる。 そこでこれらの巡洋艦に対抗すべく、平賀譲造船官の手により設計された巡洋艦が古鷹型であり、同じ氏の成果物である[[夕張]]の発展拡張形である。 排水量10,000トン未満にも拘らず、6門の20cm砲と下手な装甲巡洋艦並の砲撃能力を備えながら、転覆もせず、良好な航行性能を 両立していたことは、列強各国に衝撃を走らせた。 一説には、古鷹型や続く青葉・妙高型の性能の高さが、後のロンドン軍縮会議における巡洋艦制限へつながったとさえ言われている。 (ちなみに帝国海軍の特徴とも言えるゆるいS字を描いた艦首・ダブルカーヴドバウの本格的な採用も古鷹型・睦月型からであった) #image(Furutaka2.jpg) 当初は前述のとおり20cm単装砲6門を備えた設計であったのだが、この単装砲は重量を抑えるために人力揚弾・人力装填を用いていた。 そのため砲撃時の効率が悪く、即応弾を撃ち切ると100kg近い弾薬を弾薬庫から兵員がリレーして運ぶ必要があり、即応弾を撃ち切った 際には砲撃速度が低下する欠点があった。 そのため1936年からの大改修で準同型の「[[青葉]]」型に搭載されているものと同様の20.3cm連装砲3基に変更された。 またこの時欠陥の多かった艦体内蔵型の水上魚雷発射管も撤去され、甲板上に最新の九三式酸素魚雷が発射可能な四連装魚雷発射管 が装備。水上偵察機とその発射機などの航空兵装も施され、全体的な艦影は準同型艦の「[[青葉]]」型に近いものとなった。 太平洋戦争においては、日本海軍第八艦隊に所属。重巡・青葉を旗艦とする第六戦隊の一隻となり、 第一次ソロモン海戦において敵重巡4隻を撃沈する大戦果を記録する。 1942年10月11日夜。 第六戦隊は、敵飛行場砲撃のためガダルカナル島沖へと進出したところ、未確認の艦影と遭遇する。 旗艦・[[青葉]]は、それを近海で輸送作業に従事している水上機母艦『日進』『[[千歳]]』であると思い込み、暗闇に向けて無防備に発光信号を放った。 それが、後の世に語られるサボ島沖海戦の始まりであった。 状況確認もままならないうちに集中砲火を浴びた青葉は、あっという間に艦橋に直撃弾を受け首脳全滅、続けて第二砲塔が被弾により使用不能になる。 それを間近で見ていた古鷹は、青葉を轟沈させまいと、猛烈な反撃をしつつ射線上へと船体を割り込ませる。 古鷹の判断は功を奏し、青葉は夥しい被害を出しながらも後退。戦線の離脱に成功する。 しかし、古鷹は前線に取り残される形となった。 青葉を護るためその身を躍らせていたことに加え、敵艦隊に向けて照射した探照灯の光が、敵の視線を釘付けにしてしまったのだ。 雨あられと降り注ぐ弾丸で、まず、サーチライトが吹き飛んだ。ついで艦の各所に火の手が上がり、小柄な古鷹の船体は、瞬く間に灼熱の炎に包まれてしまった。 それでも古鷹は止まらなかった。 全身が炎上し、最後の命を燃やし尽くすかのような壮絶な火の玉と化してもなお、砲撃をやめることなく敵艦隊へと突進。 古鷹の、命をかけた攻撃は、敵軽巡『ボイシ』へと殺到。大火災と浸水を巻き起こし、同艦を轟沈寸前にまで追い込んだ。 だが、22時40分。 計90発以上の直撃弾を受けた満身創痍の船体は、ついにその鼓動を止め、航行不能となってしまう。 戦闘終了後の翌未明。古鷹は、洋上に浮かんでこそいたものの、修理はもはや不可能で、手の施しようのない状態であった。 12日0時28分、沈没。 旗艦・青葉の無事を引き換えにしての最期であった。 余談であるが、小さな船体に無茶な武装を施しているせいで、姉妹艦の[[加古]]ともども居住性は後続の重巡に比べれば良くなかった。 だがそれでも従来の5500t型軽巡よりずっと居住性が良かったとも言われている。 ---- *台詞一覧 &table_color(table1,#ddd){} |~状況 |~台詞 |~関連する史実や元ネタ、解説など| |自己紹介|古鷹といいます。重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらえると嬉しいです。|古鷹の設計思想は日本重巡の基礎となった| |秘書クリック会話①|ここはとてもいい部隊ですね|人による| |秘書クリック会話②|次の作戦海域の資料を、見せてもらってもいいですか?|| |秘書クリック会話③|提督慌てないで。大丈夫です|| |戦績表示時|提督にお知らせがあるようですよ|| |編成選択時|重巡古鷹、出撃します!|| |装備時①|三川艦隊の仲間にも、自慢できちゃいます|第一次ソロモン海戦では三川軍一中将率いる第8艦隊に所属| |装備時②|これなら夜戦もバッチリです!|| |装備時③|やったね!|| |>|>|(修復剤使用は②と共通、資材発見時は③と共通)| |ドック入り|兵装の手入れをしてきますね|| |ドック入り(重傷)|先日の戦闘で、少し無茶しちゃいましたね|| |建造時|新しい艦が建造されました|| |艦隊帰投時|作戦完了です。お疲れ様!|| |出撃時|敵輸送艦を捕捉。撃破したいですね|第一次ソロモン海戦時の目的は敵輸送船撃破であった| |戦闘開始時|左弦、砲雷撃戦用意!|| |攻撃時|主砲狙って……そう、撃てぇー!|| |夜戦開始時|私、夜戦は得意なんだから!|第一次ソロモン海戦での活躍に因む| |夜戦攻撃時|加古は大丈夫?|第一次ソロモン海戦の帰途、加古が米潜水艦S-44の魚雷攻撃を受け沈没| |MVP時|私たちの役割がたまたま目立っただけなんです。これが、重巡洋艦なんですよ。|| |被弾小破①|予測の範囲内です!|| |被弾小破②|やだ…何…?潜水艦…!?|現状を把握できていないようなニュアンスから、おそらく加古沈没時との関連| |被弾カットイン|やっちゃった…まだ、沈まないよ|サボ島沖海戦で大破炎上したものの、戦闘終了まで沈まなかったため?/また、左目≒探照灯を閉じているのは、最後の戦いとなったサボ沖海戦において真っ先(青葉第三砲塔自爆の直前)にサーチライトを破壊されたため。| |撃沈時(反転)|COLOR(white):加古、ごめんね…先にいくね…|| ---- *同型艦 &bold(){古鷹}([[古鷹改二]]) ― [[加古]]([[加古改二]]) ---- *コメント ---- 最新の30コメントを表示しています。 #comment_num2(num=30,disableurl,log=古鷹/コメント)

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