時雨

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時雨 - (2013/10/18 (金) 23:52:23) の編集履歴(バックアップ)


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たにべゆみ*1


史実情報


白露型駆逐艦の2番艦「時雨」。一見か弱く薄幸そうに見える(あと若干厨二病な)彼女だが、実は恐ろしい強運の持ち主。
その様は、「呉の雪風、佐世保の時雨」と人々に謳われたほどである。
つまり幸運艦なのだが、それは同時に仲間のを意味することでもあった。
浦賀船渠で1933年12月9日に起工し、1936年9月7日に竣工した。
太平洋戦争開戦時には第1艦隊第1水雷戦隊第27駆逐隊に属し、柱島泊地に所在していた。
同型艦「白露」と共に1942年5月の珊瑚海海戦に参加、6月のミッドウェー海戦では中途まで出撃した。
8月にはマーシャル諸島で活動し、9月2日、アパママを占領。以後、ガダルカナル島輸送作戦に従事。
しかし11月12日に第三次ソロモン海戦に参加して損傷を受け、トラックで応急修理を受けた。11月21日、トラックから空母「冲鷹」を横須賀まで護衛。
翌1943年1月2日、横須賀を出港し、6月まで横須賀とトラック間の護衛に7回従事した。
その後、ブカ輸送作戦、レカタ輸送作戦、コロンバンガラ輸送作戦などに従事し、8月には輸送作戦に13回も参加した( しかもその間一発も被弾せず )。
この時点では他の駆逐艦より頭一つ抜けているだけであった「時雨」。
だが、続く主要海戦ではその底力がついに本領を発揮する。
続く輸送作戦中に発生したベラ湾夜戦、第一次ベララベラ海戦、第二次ベララベラ海戦の三海戦。
ベラ湾海戦では米駆逐隊の襲撃を受けた4隻の駆逐艦の中で唯一逃走に成功。
第二次ベララベラ海戦では米第4駆逐部隊旗艦セルフリッジを「五月雨」と共に撃破するなど、数々の武勲を打ち立て、この頃から強運が頭角を現し始める。
その活躍は天皇にも報告され、第二次ベララベラ海戦での戦功をもって、当時の時雨艦長であった山上亀三雄少佐は天皇からは恩賜の短刀を賜った。


そして「時雨」が幸運艦と謳われるようになったのが、11月2日のブーゲンビル島沖海戦。
この戦いでは、なんと「時雨」の所属していた連合襲撃部隊が全滅する。旗艦「川内」は沈没、同型艦「白露」「五月雨」が戦闘中衝突事故を起こし大破戦線離脱する羽目になるも、自身は被弾ゼロであった。

11月7日に佐世保に入港。1944年1月3日、横須賀を出港し、トラックからラバウルへの物資輸送に従事。
だが2月17日、米機動部隊のトラック島空襲で損傷した。パラオで応急修理を受け、佐世保に帰投して4月12日まで修理工事を受け、5月11日、佐伯港から第三航空戦隊を護衛してタウイタウイに入港。
渾作戦に加わり、6月7日、ビアク島増援のため、陸軍部隊を載せた駆逐艦6隻とソロンを出発、途中、同型艦「春雨」が爆撃で沈没。
8日にビアク島北西で米艦隊と交戦し2隻が小破したため、増援作戦は中止された。
6月19日マリアナ沖海戦に参加し佐世保に帰投し修理を受け、7月16日にリンガ泊地に入港。8月7日、パラオ輸送の第16戦隊を護衛した。

そして、図鑑紹介文にも書かれたレイテ沖海戦。
この戦いで「時雨」は「第一遊撃部隊第三部隊」、通称「西村艦隊」に所属。予定では「志摩艦隊」と協力してスリガオ海峡に突入するはずだった。
しかし西村艦隊は夜戦を企図。独断で突入を行った。
…その結果が、艦隊全滅。いわゆるスリガオ海峡海戦である。
一連の流れは米軍に全て知られており、周到に待ち伏せをしての攻撃であった。
参加した艦艇は次の通り。

戦艦「山城」「扶桑
重巡洋艦「最上
駆逐艦「山雲」「満潮」「朝雲」「時雨

一番最初に襲撃してきた魚雷艇隊約30隻はすべて追い払うことに成功した。
しかしその直後、西村艦隊は米駆逐隊の発射した大量の魚雷に襲われた。
まず「扶桑」に4本が命中して一撃で炎上航行不能と化し、通信も不能となって沈黙したまま落伍。
約20分後、弾薬庫に引火し大爆発、船体を真っ二つにされるという悲惨な最期を遂げたのが目撃された。
続いて「山雲」が轟沈、「満潮」「朝雲」が艦首を吹き飛ばされ大破航行不能となった。
この中にあって「時雨」も魚雷をかわしきれなかったものの、深度調整の問題かすべてが艦底を通過し助かるという幸運に恵まれた。
そしてまた旗艦「山城」にも立て続けに魚雷2発が命中し速力低下、艦橋から後部が炎に包まれ、後部弾薬庫にも火の手が迫り3番主砲以下が使用不能となった。
ここに「山城」からは「ワレ魚雷攻撃ヲ受ク、各艦ハワレヲ顧ミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ」という最期の命令が下された。

火だるまとなった「山城」とともに「最上」「時雨」はなおも突撃を続行。
しかし、その直後から米主力艦隊から一斉に射撃が開始され、たちまち「最上」が大破炎上。機関損傷、艦橋も全滅して戦線を離脱。
先に航行不能となっていた「満潮」も沈んだ。
殿に位置し砲撃の嵐を受けにくかった「時雨」は、残された「山城」を救うべく応戦。
艦長の記録によれば「時雨」の周囲にも無数の砲弾が降り注ぎ、至近弾着弾のたびごとに艦全体が1メートルほども跳ね上げられては叩きつけられ、
艦橋内のジャイロコンパスやメーター類の針が振動で全部飛び散って破壊されてしまったという凄まじさだった。
時雨」は数秒おきに頻繁に転舵を繰り返すことによって敵レーダーの観測を欺きつつ、「山城」に寄り添って突撃を続けた。
しかし、「山城」は数えきれないほどの被弾により上部構造物がズタズタに破壊し尽くされ、原型を留めない惨憺たる有り様となった。
そしてとどめの魚雷2本が命中。まもなく弾薬庫が大爆発を起こし艦橋が崩れ落ち、総員退艦命令が出されるもわずか2分後、転覆して沈んでしまった。
最期の瞬間まで1、2番主砲は発砲を続けていたと伝えられている。

砲弾の雨あられの中で「山城」の最期を見届けた「時雨」は反転を決意し、撤退。無事に成功し、結果的に「時雨」を残して西村艦隊は全滅した。

11月、ボルネオ島からマニラへの船団護衛の最中に時雨はマニラ湾港で海防艦「千振」及び海防艦「19号」と共に潜水艦を撃沈。
この潜水艦はアメリカ海軍のガトー級潜水艦「SS-215グロウラー」であり、過去に「」「敷波」をはじめとした10隻の日本艦船を撃沈し、
「Destroyer Buster(駆逐艦退治人)」の通称を持ったエース潜水艦だった。

12月には時雨は輸送船代わりとなった空母「雲龍」を中心としたマニラへの緊急重要物資輸送船団(積荷は特攻兵器)に加わる。
だが東シナ海にて「雲龍」が米潜水艦「SS-395レッドフィッシュ」の雷撃を受けて沈没。時雨はまたも僚艦を失った。

1945年1月24日、タイランド湾、マレー半島東岸でヒ87A船団の「さらわく丸」を護衛中、米潜水艦「SS-322ブラックフィン」の雷撃を受け沈没。
戦死者37名を出し、3月10日に除籍。
2度も「自分以外の艦隊が全滅」という修羅場をくぐった「時雨」も、かの「雪風」には後一歩及ばず遂に終戦を迎えられなかった。
時雨」の何処か厭世的とも、超越的とも言える態度は、武勲を立てると共に多くの僚艦を失った、時雨の輝かしくも悲しい戦歴に寄るものかもしれない。


台詞一覧


状況 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
自己紹介 僕は白露型駆逐艦、「時雨」。これからよろしくね。
秘書クリック会話① いい雨だね。 白露型駆逐艦の艦名は「雨」に由来する
秘書クリック会話② 提督、呼んだ?
秘書クリック会話③ 僕に興味があるの? …いいよ。なんでも聞いてよ。
戦績表示時 提督、手紙が届いているよ。
編成選択時 時雨、行くよ。
装備時① ありがとう。少し、強くなれたみたいだ。
装備時② 酸素魚雷とか…うん、積みたいかな。 「時雨」は他の白露型駆逐艦とは違い対空装備を大幅に強化、魚雷装備は削減されている
装備時③ 雨は、いつか止むさ。
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)
補給時 ありがとう。
ドック入り ありがとう。これで行けるね。
ドック入り(重傷) みんなに迷惑かけてるかな…。この分は、きっと取り返すから。
建造時 新しい艦が建造されたね。
艦隊帰投時 艦隊が無事帰投したね。よかった。
出撃時 駆逐艦時雨、出撃するね。
戦闘開始時 見つけたよ。
攻撃時 ここは譲れない。
夜戦開始時 君たちには失望したよ。 2度も「艦隊全滅」を経験、特にスリガオ海峡海戦では「虐殺」といってもいいくらいに僚艦が次々と沈んでいった
夜戦攻撃時 残念だったね。
MVP時 この勝利、僕の力なんて些細なものさ。この雨と…そう、提督のおかげだよ。
被弾小破① やめてよ。痛いじゃないか。
被弾小破② 当たった…っ? 参加した輸送作戦任務では全て無傷であった
被弾カットイン この僕をここまで追いつめるとはね。…まあ、いいさ。 「呉の雪風、佐世保の時雨」と謳われた超幸運艦である
撃沈時(反転) 僕もここまでか…提督、みんな…さよなら

時間 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
放置時 僕はまだ、ここにいても大丈夫なのかな…? 幸運艦の呼び名の裏で数多くの僚艦の死を目の当たりにしてきた


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