比叡

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比叡 - (2013/09/04 (水) 15:09:36) の編集履歴(バックアップ)


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東山奈央


史実情報


比叡は金剛型二番艦として、横須賀海軍工廠にて建造された。金剛の設計図を元にしており、日本で最初に建造された次世代弩級戦艦である。
進水式では大正天皇が臨席し、本艦の命名を行っていることからも、期待のほどが知れる。
しかし、実際のところは部品や建材のほとんどをヴィッカース社から輸入し、日本は組み立てを行うだけ。というノックダウン生産艦であった。

竣工後は姉妹で第3戦隊を編成。第一次大戦の勃発を受け、東シナ海へと出撃している。
大戦後、金剛型は第一次大戦の戦訓を取り入れる工事を行うが、そこに軍縮条約の開催がぶつかる。
比叡は1929年から改装工事を始めるが、ロンドン海軍軍縮条約の成立を受け、練習戦艦への格下げ・改装が決まる。
これは各国の戦艦保有比率を調整するもので、比叡が選ばれたのは改装が一番最期だったからだった。
比叡は第4砲塔と装甲を撤去、機関も変えられ1933年に工事を終了。練習戦艦へとなった。
格下げされた比叡の姿に涙ぐむ者もいたが、この時期比叡は昭和天皇の御召艦として活躍することとなる。
砲塔が減って艦内に余裕があった事と、スケジュールを組みやすかったことが幸いした。
御召艦比叡は切手にもなるなど、国民にも広く親しまれることとなった。二・二六事件においても、更なる情勢悪化の折には昭和天皇が当艦に避難して鎮圧指揮を執る予定だったという。
この時期艦長を務めた井上成美も、生涯で最も愉快な時期だったと振り返っている。

1936年、比叡は軍縮条約の破棄を受けて、戦艦への復旧工事を受けることになる。
工事では第4砲塔の復活や機関の変更、装甲の追加と強化など、他の姉妹が2度に分けた工事を一挙に実施した。
また、大和型のテストケースとされたため、大和型に似た非常に近代的な艦橋を備えることになった。
これにより、比叡は姉妹の中でも一際目立つ艦影となっている。この他艦内装備でも、大和型に搭載予定の新型を導入している。
真珠湾攻撃に向け準備中。大和型を連想させる近代的な艦橋構造がよく解る。

開戦後は末妹霧島と組み、機動部隊の護衛として戦った。
真珠湾以降、機動部隊と共に南方へと転戦。1942年初頭のインド洋作戦では、金剛榛名と合流。姉妹4隻が揃っての任務となった。
ただし、戦場で4隻が共に行動したのは、この時が最初で最後だった。
ミッドウェーでは金剛共に後方部隊へ編入された。この後、比叡はアリューシャン作戦に参加。7月からは霧島と共に、再編成された新機動部隊の護衛に就く。
11月、ガダルカナルでの戦いが激化すると、比叡も霧島と共にソロモン方面へ進出。金剛榛名に続き、ヘンダーソン飛行場への艦砲射撃を要請された。
比叡は霧島以下、霧島、軽巡洋艦長良、駆逐艦雪風時雨など駆逐艦13隻を率いて出撃した。

11月12日、ガダルカナル島に接近した艦隊は、米艦隊と遭遇。
比叡は陸上砲撃用に三式弾を装填していたが、探照灯を点灯し即座に砲撃。日米艦隊の距離は僅かに5~6Kmという「至近近距離」だった。
比叡の第一射は米旗艦巡洋艦アトランタを直撃。同艦は味方の誤射もあり、司令官以下の艦隊首脳部が死傷。米艦隊は混乱した。
一方、探照灯を使った比叡は恰好の的となり、多数の命中弾を艦橋に浴びて艦橋要員が多数死傷。電気系統も損傷し、戦闘力が低下した。
さらに、艦尾付近を敵砲弾に貫通され、舵が効かなくなってしまう。
海戦は日本側優勢で帰結。操舵不能となった比叡は、海域から離脱すべく応急修理を続けた。
乗員は溺死しかけながらも懸命に舵を復旧しようとしたが、浸水が甚だしく状況は好転しない。止む無く、破孔に毛布を詰めて穴を塞ぐことに。
午前4時20分、司令部は比叡から駆逐艦雪風に移乗。霧島に比叡を曳航させようとしたが、霧島が米潜水艦の攻撃を受けたため中止になった。
日の出を迎えると、米機の空襲が始まった。機関が無事だったため、比叡は全速29ノットで回避行動をとるが、その度に復旧作業は中断させられ、折角詰めた毛布も流出してしまい、作業は遅々として進まなかった。
昼頃には魚雷が命中して艦が傾斜するも航行に支障はなく、作業が続けられていた。
しかし、午後1時頃、艦長の下に「機関室全滅」の報が届いたことで、艦長も断腸の思いで復旧を断念。総員退官を決意する。
比叡は自沈の為、キングストン弁を開放。艦長は共に沈むつもりで部下の説得も頑なに拒否し続けたが、部下に無理やり連れだされた。
生き残った乗組員は雪風以下の駆逐艦に移乗。この段階で機関室全滅が誤報であったと解ったが、後の祭りだった。
午後4時、雪風より魚雷が発射され、比叡に命中。比叡は沈まなかったが、雪風は現場を後にした。午後11時、雪風が戻ってみると、比叡の姿はなかった。
こうして、比叡は日本戦艦初の喪失艦となってしまった。国内では艦名は伏せられたが、戦艦が1隻沈んだことが報じられている。

この後、艦長は時の海軍大臣・嶋田繁太郎によって、問答無用に予備役編入の処罰を受けた。山本長官はこの裁定に激怒したが、覆らなかった。
艦長は閑職を転々とし、戦後も死の直前に1度だけ取材に応じた以外は、比叡のことを語ることはなかったという。
元海軍軍人で、戦後作家となった吉田俊雄は、著書で比叡の最期を「大変後味の悪いものだった」と述べている。

比叡の生涯や沈没の顛末に関しては、吉田俊雄の「戦艦「比叡」―高速戦艦悲劇の生涯」、相良俊輔「怒りの海」なども参考に。

余談ながら、比叡という艦名は次女に縁があるようで、初代のコルベット艦比叡、二代目の戦艦比叡、三代目のヘリ搭載護衛艦ひえいと、全て『二番艦』であった。


台詞一覧

状況 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
自己紹介 金剛お姉さまの妹分、比叡です。経験を積んで、姉さまに少しでも近づきたいです。 練習戦艦時代を経て近代化改修を受けたため?
秘書クリック会話① いつでも準備!出来てます!
秘書クリック会話② あ、はぁい、お呼びになりましたでしょうか
秘書クリック会話③ ぅぅん、ハッ、何ですか?寝てません、寝てませんってば 条約時代、練習戦艦に格下げされたため?
戦績表示時 指令にお知らせみたいです
編成選択時 気合!入れて!行きます!
装備時① はい!力が湧いてくるようです!
装備時② 少しはお姉さまに近づけたかな?
装備時③ さっすがですね~!
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)
ドック入り こんなの、かすり傷程度なんだけどな
ドック入り(重傷) お姉さまの夢を見て、おやすみします!
建造時 新しい妹…もしくはお姉さまが、いらっしゃるみたいですよ
艦隊帰投時 作戦が完了!艦隊が帰投しました
出撃時 司令には、恋も、戦いも!負けません!
戦闘開始時 打ちます!当たって
攻撃時 主砲!斉射!当たってぇ!or主砲!斉射!撃ちます!or主砲!斉射!始め!
夜戦開始時 お姉様を邪魔する人は許さない!
夜戦攻撃時 私、頑張るから、見捨てないでぇぇ! 戦闘による被弾で舵を故障し、機関が健在ながら同じ地点をぐるぐる旋回することとなって、味方艦隊が退避した後に取り残され敵機の空爆を何度も受け浸水も増え、最終的に沈没した
MVP時 私の活躍見ていてくれました?そう!なら、頑張ったかいがありました!
被弾小破① きゃあ!
被弾小破② ひえ~~~ ダジャレ
被弾カットイン お姉さま譲りの装備をこんなに…ゆ、許さないんだからぁぁぁ! 金剛と戦隊を組ませるため早期の建造を目指したため、国内建造だが装備品の多くを金剛の建造元である英国・ヴィッカース社から輸入している
撃沈時(反転) 金剛お姉さまは…無事か、な…。だったら…いい…かな… 比叡は1942年11月12日、第三次ソロモン海戦で沈没。
金剛は約二年後の1944年11月21日に潜水艦の雷撃により沈没している。


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