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CV
東山奈央
史実情報
霧島は金剛型4番艦として、三菱造船長崎造船所で建造された。
神戸川崎造船所の
榛名と同じく初めて民間造船所に任された主力艦であり、両社は建造の進捗状況をめぐって激しい競争を繰り広げ、
榛名の機関責任者が後れを取ったことから自決するに及んで、結局海軍の配慮により同時に竣工することとなった。
建造後の動きと改装は、他の姉妹と同様である。
開戦後は
比叡と共に空母機動部隊の護衛として、各地を転戦。
1942年の秋には、ガダルカナルを巡る攻防戦へと投入された。
11月12日、
比叡とともにガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃に向かう途上、第三次ソロモン海戦第一夜戦に参加。
米艦隊の全砲火が探照灯を照射した
比叡に集中したため、後続の
霧島は攻撃を受けなかった。
霧島の主砲は敵旗艦重巡サンフランシスコを捉え、飛行場攻撃用の三式弾をそのまま発射。
比叡副砲、
長良、
夕立ら駆逐艦の砲撃も一斉にサンフランシスコへ襲いかかった。
同艦は近距離で続けざまに叩き込まれた砲撃により艦橋はじめ上部構造物が滅茶苦茶に破壊され大炎上、キャラハン少将以下司令部幕僚と艦の幹部が1名を残し全滅した。
先に
比叡の砲撃によって軽巡アトランタのスコット少将以下の副司令部も全滅しており、指揮官を2人とも喪った米艦隊は完全に統制不能に陥ってしまった。
以後の敵味方入り乱れての凄まじい大乱戦は、
比叡や
夕立などの項目に書かれているとおりである。
乱戦の中、霧島の主砲はさらに駆逐艦ラフェイの上部構造物を爆砕し、そこへ
雪風の魚雷を受けた同艦は真っ二つに折れて轟沈した。
なおサンフランシスコは喰らったのが三式弾であったため、上部は廃墟と化したものの船体は無事で、どうにか脱出に成功し帰還している。
海戦後、霧島は操舵不能に陥った
比叡を曳航救援するよう命じられた。
しかし救援に駆けつける途上、不意に敵潜水艦から魚雷3本を受け、うち1本が命中。
幸い不発で被害はなかったものの、危険と見た司令部は曳航を断念、「霧島は反転北上、近藤部隊に合同せよ」と命じた。
これが
比叡と霧島の今生の別れとなってしまった。
11月15日、
比叡の沈没により失敗した飛行場砲撃を行うべく、霧島は艦隊を率いて海域に突入した。
日本側が
比叡喪失後も戦艦戦力を増強しなかったのに対し、米軍は最新鋭の戦艦サウスダコタとワシントンを同海域に派遣。
米戦艦率いる艦隊は水雷戦隊と遭遇し、護衛を失いながらも進撃。遂に霧島率いる主力部隊と接触した。
霧島は右舷10kmの至近距離にいる敵戦艦に対し、探照灯を照射。前回と同じく準備済みの三式弾を徹甲弾に変える間も惜しみ、そのままただちに砲撃を開始。
戦艦サウスダコタは
綾波へ砲撃の際引き起こした電源障害から立ち直ったばかりのところへ、今度は霧島から照らしだされ、一方的に砲撃を浴びることとなった。
この時の命中弾数については42発あるいは27発という説があり、うち霧島の主砲弾は、米艦船局が開戦後にまとめたレポートでは一式徹甲弾が1発に副砲弾が6発。
「さすがにそれはおかしい」と研究者ロバート・ランドグレンが再度集計した結果によれば三式弾2発、通常弾2発、徹甲弾2発、副砲弾8発の計14発となっている。
一方的な状況の割りには戦果は振るっていないが、これは三式弾が瞬発信管だったためではないかとの指摘がある。
すなわち、通常の砲撃では外れた砲弾は水柱を上げるが、瞬発信管の三式弾の場合は水面に落ちた途端に炸裂し豪快な爆炎を噴き上げる。
夜間のことでもありこれを命中と観測してしまったため、適切な弾着修正が行われなかったのではないか、ということである。
敵艦に次々と命中の爆炎が見えたとする霧島生存者の証言や、上空で弾着観測しおおむね命中を報じた霧島の飛行長の証言とも整合性が取れる。
爆炎の誤認で決定打を欠いたとすれば、霧島にとっては悔やんでも悔やみきれない痛恨のミスであり、
二度とこのような誤認をしないようにとメガネをかけているのかもしれない。
しかしサウスダコタはこの砲戦の結果、艦体や機関などへの重要箇所への命中弾こそ無かったものの、
SCレーダーアンテナを根本から吹き飛ばされ、第3砲塔も旋回不能なるなど、完全に夜戦能力を喪失。有効な反撃も行えないまま敗走することとなった。
この間、サウスダコタの後方にいたワシントンは、レーダーで霧島を捉えていたものの、敵味方との区別がつかず発砲を控えていた。
しかし霧島が探照灯を点灯したことで、目標の目途が付き砲撃を開始。レーダー照準された40.6cm砲弾が、霧島を襲った。
霧島は9発の命中弾を受け、大破炎上。前部砲塔は粉砕され、後部3、4番砲塔も水圧低下により旋回不能。舵機も破壊され面舵10度で固まってしまった。
瞬く間に霧島は戦闘不能、操舵不能に陥った。この時、霧島の艦橋が倒壊したという目撃証言もある(真偽不明)。
艦長はなんとか復旧を試みるも、被害は甚大であり、どうにか火災を食い止めることしか出来なかった。
機関の復旧が見込めないことから、艦長は自沈と総員退艦を決定。午前1時30分、霧島はサボ島西方で左舷艦尾から海中へと没していった。
霧島は日本戦艦で唯一、米戦艦と対等な砲撃戦を行った戦艦であった。
霧島から致命傷になる命中弾を受けず、重巡での攻撃では致命傷を与えられなかった事もありサウスダコタの損傷は比較的軽微だった。
修復を経た後に戦線に復帰することになるが、米艦隊では「ワシントンはサウスダコタを見捨てて逃げた」と風評が広がり、
歓楽街では両艦の乗組員があちこちで殴り合い、留置場が満杯になるほどだった。
さらに米本国でもそのように報道されたために、サウスダコタとワシントンの乗員や遺族の間には戦後に至るまで消えない深い怨恨が刻まれた。
また、自己紹介にもあるように、彼女の名は長女と共に、海上自衛隊のこんごう型護衛艦2番艦に受け継がれている。
本当なら、はるな型護衛艦に続くヘリ護衛艦はこんごう・きりしまと名付けられ金剛姉妹が復活するはずだったのだが、時の防衛庁長官(当時)の金丸信が自らの選挙区にある「白根山」を推したため、新型ヘリ護衛艦しらね型となり、名称復活はならなかった。
その代り、両者は新鋭のイージス艦に名称が継承され、霧島は次女に昇格(?)三女にみょうこう(
妙高)、四女にちょうかい(
鳥海)を加えた4姉妹となっている。
なお、1993年の海底調査で、水深900メートルの海底に眠っている霧島が見つかっている。
余談だが、零戦の名パイロットとして著名な坂井三郎は戦前に霧島の副砲の砲手を務めていた事がある。
彼はその後、
榛名の2番砲塔の砲手(当時の花形的な職業であった)へと転身。
しかし、艦載機への憧れから航空隊へ志願、見事試験に合格した後、海軍のエースパイロットへの道を歩んでいく事になる。
台詞一覧
状況 |
台詞 |
関連する史実や元ネタ、解説など |
自己紹介 |
マイク音量大丈夫…?チェック、1,2……。よし。はじめまして、私、霧島です。 |
|
秘書クリック会話① |
ご命令を、司令。 |
|
秘書クリック会話② |
さ、早くご命令を、司令。 |
|
秘書クリック会話③ |
そのー、何度もつつかれるのは何でしょう?新たなコマンドなんでしょうか? |
|
秘書クリック会話③(ケッコンカッコカリ)(反転) |
司令の判断、流石です! |
|
戦績表示時 |
本部より電文です。 |
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編成選択時 |
出撃よ!さて、どう出てくるかしら? |
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装備時① |
この強化により、霧島の戦闘力向上しました。感謝しますね。 |
|
装備時② |
私の想像以上の改装です。さすが司令!データ以上の方ですね! |
|
装備時③ |
よくできましたっ! |
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(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通) |
ドック入り |
備えあれば憂いなし、です! |
|
ドック入り(重傷) |
ベストタイミングのドック入りです。流石ね! |
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建造時 |
新しい艦船のお知らせです! |
|
艦隊帰投時 |
作戦完了!艦隊帰投します。戦果をご確認されますか? |
|
出撃時 |
霧島艦隊、出撃します! |
|
戦闘開始時 |
さぁ、砲撃戦開始するわよ! |
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攻撃時 |
主砲、敵を追尾して!撃て! |
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夜戦開始時 |
速度と火力…ふふっ、夜戦開始よ! |
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夜戦攻撃時 |
距離、速度、よし!全門斉射ぁ! |
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MVP時 |
艦隊の頭脳と言われるように頑張りますね! |
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被弾小破① |
きゃああぁっ!? |
|
被弾小破② |
痛った…そんな、馬鹿な! |
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被弾カットイン |
どうして?私の戦況分析が… |
サウスダコタ・ワシントン戦での敗因は弾薬換装を後回しにした戦況分析の面もあるかもしれない |
撃沈時(反転) |
海の底は、意外と暖かい……っ… |
霧島は南の海、ソロモン海に沈んでいる |
ケッコンカッコカリ(反転) |
私の計算によると、戦いが終わったら、多分…司令と私は、もしかすると、もしかすると!? …いえ、なんでもないの! |
いつもよりなんかお茶目 |
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