那珂

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那珂 - (2013/09/29 (日) 20:33:18) のソース

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&autolink(id=wikibody)
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*CV
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佐倉綾音

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*&bold(){那珂の史実だよ~!}
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 艦隊のアイドルと自称する底抜けに明るい娘だが、史実では何度も廃艦や沈没の危機を経験した、意外に気苦労の絶えない艦だった。
 案外明るく振る舞おうとするのも、自分だけが暗くなってはいけないと思っているからかもしれない。
#image(Japanese_cruiser_Naka.jpg )
5500t級ではかなり端正なシルエットの那珂ちゃん。このビジュアルは間違いなくアイドル。

 1922年6月、川内型2番艦として横浜船渠((現在の横浜みなとみらい地区。龍驤もここの産まれ))にて起工。特に問題もなく華麗に誕生……しようとしたが、あと少しで進水というところで
1923年9月の関東大震災に被災。艦体は大破、直後発生した火災には巻き込まれ、木製の船台が焼失したため艦体が傾き、工事続行が
不可能となり、やむなく解体された。 

ありがとう那珂ちゃん!君のことは忘れない!  

 ……となりかけたが再起工され、1925年11月に川内型3番艦として誕生する。 
 そのため、5500t型軽巡で那珂ちゃんだけは就役当初から凌波性の良いダブルカーヴド艦首を備えた異端艦であった。
 恐らく艦娘バージョン那珂ちゃんの二本のアホ毛は、このダブルカーヴド艦首をデザインに落としたものと思われる。
 後に「[[神通]]」がダブルカーヴド艦首になるので、逆にオリジナルの「[[川内]]」が異端になってしまうわけだが。 
 就役直後は姉妹艦の「[[神通]]」と一緒の戦隊にいることが多かった。

 1927年の美保関沖での夜間無灯演習中には、駆逐艦「蕨」と衝突した「神通」を避けようとして、同じくこの二隻を避けようとした
駆逐艦「葦」と衝突し大破する。 

ありがとう那珂ちゃん!君のことは忘れない!  

 ……となりかけたが、「葦」で死者28名を出す惨事にはなったが、二隻とも沈没は避け、那珂ちゃんは舞鶴まで曳航されて修理を受けた。
 ちなみに衝突相手の駆逐艦「葦」はその後終戦まで現役だった。
 なおファミ通4コマの第8話の元ネタはこの事件。

 美保関事件以降は水雷戦隊センターを勤めることが多くなり、この頃の那珂ちゃんは後の第一航空艦隊司令の南雲忠一大佐が艦長になったり、
伏見宮博信王殿下が副長になったりと、結構凄いメンツが乗り込んでいたりした。
 第二水雷戦隊センター時代の1934年6月には、演習中に視界不良で衝突した「[[電]]」と「[[深雪]]」を、那珂ちゃんと「[[白雪]]」が
佐世保まで曳行することとなったのだが、損傷の激しい「[[深雪]]」は途中で曳行を諦めて、海中投棄するに至った。残念那珂ちゃん!
 (紹介するまでもないが、ファミ通4コマ2~3話の元ネタはコレ)
 翌1935年9月の第四艦隊事件の際は第四艦隊第四水雷戦隊のセンターを務めるも、想像を絶する荒天に翻弄され、第四水雷戦隊の所属艦
「[[初雪]]」「夕霧」の艦首切断事故に立ち会うこととなる。この時那珂ちゃんの乗員はまだ荒れる海上に危険を覚悟でカッターを降ろし、
大破した「夕霧」に糧食や医薬品、応急補強材などを届け、重傷者を救助している。那珂ちゃん超イケメン。 
 また開戦前には「[[神通]]」と同様に九三式酸素魚雷が発射可能な新型の四連装魚雷発射管が備えられ、開戦直前の時点で5500t型軽巡では
最高の性能を持つに至った。やったね那珂ちゃん!  

 1941年9月には那珂ちゃんは念願の第四水雷戦隊センターに就任した。ちなみに当時のプロデューサー(司令)は、後にスリガオ海峡海戦で
有名となる『見張りの神様』こと西村祥治提督。 
 開戦後はマレー・フィリピン方面の南方攻略戦に従事。1942年1月には悪天候の中襲撃した蘭潜水艦を深追いして、護衛対象の輸送艦を
米駆逐隊に撃沈されるポカをやらかす。残念那珂ちゃん!  
 同年2月から3月のスラバヤ沖海戦にも参加し、頑張って戦ったが、那珂ちゃん、ひいては第四水雷戦隊にほとんど戦果は無かった。
 まあスラバヤ沖海戦では水雷戦隊自体が大した戦果を上げていないので、一概に那珂ちゃん達がへっぽことは言えないのだが。
 その代わり3月末には「[[名取]]」と共同でジャワ南方の豪領クリスマス島を占領する快挙を上げた。凄いのだか凄くないのだか。

 同年4月、豪領クリスマス島泊地にて、米潜水艦SS-197「シーウルフ」の雷撃を右舷ボイラ室に受け大破、艦内の大部分が浸水する。 

 ありがとう那珂ちゃん!君のことは忘れない  ! 

 ……となりかけたが、航行不能、左舷魚雷発射管以外の兵装が使用不能の状態でもなんとか生き残り、「[[名取]]」に曳航されてシンガポールに退避。
ここで工作艦「朝日」の応急修理を受け、舞鶴工廠へ回航・修理されることとなった。那珂ちゃんマジ不死鳥。
 なおこの時の損傷で第四水雷戦隊センターから降板。その座は「[[由良]]」が臨時で引き継ぐこととなる。 
 しかし那珂ちゃんはここで損傷したおかげでガ島を巡る戦でいに参加せず(「[[由良]]」はここで沈没)、ある意味命拾いしたことになった。
 &bold(){不死鳥の秘密は修理のタイミングにもよるんだ}。

 舞鶴での修理の際、「せっかくだから、俺はこの那珂ちゃんを改修するぜ!」とあまり役に立たなかった夜戦用水偵の撤去、二一号対空電探、九四式水偵、
大発艇((大発動艇。日本陸海軍が使用した揚陸艇で、70人の完全武装兵もしくは11tの物資を運搬可能))、爆雷などを装備、艦後部の5番主砲の12.7cm連装高角砲への換装などの近代化改修を受け、1943年4月 戦線復帰する。 

 やったね那珂ちゃん装備が増えるよ!  

 その後戦線復帰し、第14戦隊でセンターとして「[[五十鈴]]」とデュエットを組んだり、トラック島を中心に南方各地の地方巡業……ではなく輸送任務や
船団護衛に従事した。 
 だが復帰した1943年の7月には神通、11月には川内と立て続けに二人の姉を亡くしてしまっている……。


 1944年2月、被雷した軽巡「阿賀野」の救援のためにトラック島を出航した直後、米機動部隊から発艦した艦載機隊の攻撃で艦首を破断。
 そのまま真っ二つに折れて沈没した。 

 ありがとう那珂ちゃん!君のことは忘れない!  

 後年、  「ありがとう那珂ちゃん!君のことは忘れない!」  とばかりに那珂ちゃんの健闘を偲び、艦名の由来となった那珂川の河口がある大洗町・大洗磯前神社
に忠魂碑が建てられた(大洗磯前神社は那珂の艦内神社の分祀元である)。 
 この地は後に某戦車アニメで一躍有名となり、陸・海のアイドルが集う聖地となった事は周知の通りである。 
 大洗に行った際は、できれば那珂ちゃんと、乗員の方々のお墓参りをお勧めする。&bold(){間違ってもネタにするためだけに訪れたり、笑いながら記念撮影なんかしないように。}
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*台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|艦隊のアイドル、那珂(なか)ちゃんだよー!よっろしくぅ!    |図鑑Noが48のため某秋葉原のアイドル化|
|秘書クリック会話①|おっはようございまーす!||
|秘書クリック会話②|那珂ちゃんスマイルー!||
|秘書クリック会話③|那珂ちゃんはー皆のものだからーそんなに触っちゃダメなんだよー?||
|戦績表示時|提督にお仕事のご連絡です!||
|編成選択時|お仕事ですね?||
|装備時①|那珂ちゃん、パワーアーップ!||
|装備時②|ますます魅力的になっちゃった!キャハッ||
|装備時③|ありがとーーー!||
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|舞台裏は見ないでね?||
|ドック入り(重傷)|ちょっと長めのオフいただきまーす!おやすみなさーい||
|建造時|新しい娘入ったよー楽しみだねー||
|艦隊帰投時|お仕事終了!お疲れ様ー!||
|出撃時|那珂ちゃん現場入りまーす||
|戦闘開始時|ロケ中はお肌が荒れちゃうなぁ…||
|攻撃時|どっかーん!||
|夜戦開始時|那珂ちゃんセンター!一番の見せ場です!|名前が「なか」→英語ではセンター|
|夜戦攻撃時|いつもありがとーーーーーーー!!||
|MVP時|ゲームがつまらなくっても、那珂ちゃんのことは嫌いにならないでください!|前田敦子のアレ|
|被弾小破①|きゃあ!顔はやめてー!|沈没の原因が航空攻撃による艦首破断&br()更に美保関事件でも艦首を損傷している。|
|被弾小破②|いった!痛いって言ってるじゃん!||
|被弾カットイン|こんなになっても…那珂ちゃんは絶対、路線変更しないんだから!||
|撃沈時(反転)|COLOR(white):えー?那珂沈むの?そんな…アイドルは沈まない設定じゃ…|COLOR(white):そんな設定はない|

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