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- (2014/11/11 (火) 12:32:33) のソース

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*CV
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早坂梢

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*Illustrator
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???

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*史実情報
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吹雪型(特型)の18番艦(特II型の8番艦)である。この名を持つ日本海軍の艦船としては雷型駆逐艦「曙」に続いて2隻目。
彼女もまた非常にひねくれた性格の持ち主なのだが、それには悲しすぎる理由があった。
#ref(Akebono.jpg)

藤永田造船所で建造。一等駆逐艦に類別された。竣工後、第7駆逐隊に編入された。
1932年、第一次上海事変において長江水域の作戦に参加。
日中戦争に際しては1937年以降、上海、杭州湾上陸作戦、仏印の作戦に参加…とここまで目立った戦果はなし。
しかし、第七駆逐隊最年長艦で、艦長も隊内最年少の場合が多かったために隊内での立場が低く、貧乏クジを引くことが多かった。
1942年3月1日のスラバヤ沖海戦では、前日の戦闘で燃料が尽きそうな中、単艦でオランダ籍の病院船と思しき艦影の臨検に駆りだされる。
ところがその艦影は重巡エグゼター含む連合軍艦隊であり、猛攻を受けた「[[曙]]」は燃料不足で全力逃亡も出来ず、また艦隊司令からの「敵をこちらにひきつけろ」という無茶な命令もあって、あわや轟沈となりかけた。
この時もし「[[足柄]]」、「[[妙高]]」、「[[雷]]」の別働隊が一足遅れていれば、おそらく「[[曙]]」は轟沈していただろう。
太平洋戦争では史上初の空母艦の海戦、珊瑚海海戦に同型艦「[[潮]]」と駆逐艦ながら参加。
この海戦では「[[潮]]」が「[[瑞鶴]]」、「[[曙]]」が「[[翔鶴]]」の直衛を担当。
しかし、通称「被害担当艦」とまでいわれる「[[翔鶴]]」の完全直衛など不可能に近く、健闘するもやはり「[[翔鶴]]」は米機動部隊の攻撃で大破炎上。
アメリカ軍が「沈没」と戦果を2回も誤信するまでにボロボロになってしまった。
一方、「[[潮]]」が護衛した「[[瑞鶴]]」は''被弾ゼロ''。この海戦では他にも多数の損害を受け、その責任は無関係の事柄まで「[[曙]]」に集中した。
その後は各種南方進攻作戦に参加。ただしミッドウェー海戦には前述の理由で参加できず、その後の所属も他の同型艦とは違い「''後方の後方配備''」。
それでも北方や南方での海上護衛、輸送作戦に従事し、来る本格的な海戦、レイテ沖海戦では再び「[[潮]]」と共に南西方面艦隊に所属、突入を図る。
しかし「[[曙]]」は栗田中将の命により戦線離脱、先のスリガオ海峡海戦において大破して沈没寸前の航巡「[[最上]]」を迎えに行くことになった。
ここで西村艦隊が、駆逐艦「[[時雨]]」を残して&color(Red){全滅}との報告を受け、栗田艦隊に打電している。
「[[曙]]」は「[[最上]]」を沈ませないと護衛するが、直後に敵機の空襲に遭って力尽きてしまう。
航行不能となり、曳航も不可と判明した「[[最上]]」は「[[曙]]」に雷撃処分を命令、断腸の想いでこれを遂行した。
(ちなみに「[[潮]]」は、このスリガオ海峡海戦で米軍が全力を出したことにより米軍に力が残っておらず、要領良く被害を免れるという結果となった)

その後は第二次多号作戦に参加、輸送艦「能登丸」が沈没するが、成功を収めた。
この作戦にはまたも「[[潮]]」が僚艦として行動を共にしており、今回は彼女の幸運に助けられたのかもしれない(この後行われた第三次多号作戦では「[[島風]]」を始め全滅に近い被害を被った)
11月5日にはマニラ湾一帯が空襲を受ける。この大規模空襲により、米軍は機能しなくなった日本の主力艦にとどめを刺した。
この強襲の中を辛くも「[[曙]]」は生き残るが、直撃弾2発を受け炎上、航行不能に陥ってしまう。
その彼女に助け船を出したのは、あの「[[潮]]」であった。
空襲の後、「[[曙]]」は「[[潮]]」に曳航され、壊滅したドックへ向かい修理を待つことになった。
しかし努力も虚しく1944年11月13日、マニラ湾キャヴィテ桟橋で米航空母艦艦載機の爆撃を受け戦没。主砲、魚雷、機関部全てがやられ、為す術無く沈んでいった。
1945年1月10日除籍。
戦後浮揚した後、解体処分となる。

ちなみに艦名は帝国海軍初の駆逐艦となった1899年の雷型駆逐艦から一世紀近く続く名門で、現在は四代目となるDD-108あけぼのが就役中。
二代目である彼女同様、インド洋やソマリア沖などの外海で活躍を続けている。

宮城県白石市にある傑山寺に、彼女の慰霊碑が建てられている。碑文は「茜さすマニラ湾頭 あゝ殉國二百十四の勇士」
様々な不幸とを重ね、数奇な運命に翻弄された彼女の苦労が忍ばれる一文である。
なお、何気に潜水艦は苦手のようであるが、これは同型艦「[[漣]]」と船団護衛に向かう途中、米潜水艦「アルバコア」に襲われたことからかと考えられる(「[[漣]]」はこの襲撃で没している)。
「[[曙]]」は59発の爆雷攻撃を行い、「アルバコア」を撤退させた後、「[[漣]]」の救助活動を行った。
しかしその為に合流が遅れ、守るはずだった3隻の輸送船団は「アルバコア」と共に行動していた「ガードフィッシュ」と「スキャンプ」によって2隻が沈められてしまっている。

|>|>|艦歴|
|発注|>|昭和2年度艦艇補充計画|
|起工|1929年10月25日||
|進水|1930年11月7日||
|就役|1931年7月31日|特型駆逐艦18番艦 綾波型「曙」と命名|
||1932年1月30日|第一次上海事変において長江水域の作戦に参加|
||1937年8月末|上海上陸作戦から日中戦争に参加|
||1937年11月5日|杭州湾上陸作戦に参加|
||1940年9月23日|北部仏印進駐に同行|
||1941年7月28日|南部仏印進駐に同行|
||1941年12月8日|南方侵攻作戦を全面支援|
||1942年5月8日|珊瑚海海戦に参加、同海戦で空母「翔鶴」の直衛に失敗し戦犯とされた|
||1943年|北方、南方での海上護衛、輸送作戦に従事|
||1944年10月23日|レイテ沖海戦に参加、「最上」を雷撃処分する|
|沈没|1944年11月13日|マニラ湾にて停泊中に米航空母艦艦載機の爆撃を受け戦没|
|除籍|1945年1月10日|戦後、浮揚し解体処分|

…ちなみに、図鑑紹介文の「お相撲さん」とは多分この人↓
#ref(Akebono taro.jpg)
こちらの方は「曙 太郎」といい、第64代横綱。日本人以外で初の横綱となった。
そして現在は現役プロレスラー
#ref(professional wrestler Akebono.jpg)
詳細はWikipediaにて。

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*参考動画
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[[第七駆逐隊姉妹~幸運艦と悲運艦の物語~>http://www.nicovideo.jp/watch/sm22086174]]
#nicovideo2(sm22086174,420,280)

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*台詞一覧
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|状況    |台詞|関連する史実や元ネタ、解説など|
|自己紹介|特型駆逐艦「曙」よ。って、こっち見んな!このクソ提督!|COLOR(white):( ゚д゚ )|
|秘書クリック会話①|なんで触るの?うざいなぁ||
|秘書クリック会話②|なに?何か用?||
|秘書クリック会話③|気に入らないなら外せば?|珊瑚海海戦で直衛の空母「翔鶴」を守りきれず、一方的に戦犯とされた|
|戦績表示時|ほら、電文よ。読めば?||
|編成選択時|曙、出撃します||
|装備時①|こんだけ?たいしたこと無いわね||
|装備時②|か・・・改装とか言って私の裸が見たいだけなんでしょ!?このクソ提督!|COLOR(white):そうだよ(真顔)|
|装備時③|ほんと冗談じゃないわ|言いがかりにも等しい理不尽な理由で前線から外されている|
|>|>|(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)|
|ドック入り|し、仕方ないわね…||
|ドック入り(重傷)|あたしが修理なんて・・・ったくありえないわ||
|建造時|新しい艦よ!||
|艦隊帰投時|艦隊が戻ってきたって、ふん!||
|出撃時|出撃よ、蹴散らしてやるわ||
|戦闘開始時|敵?ふふん、そう来なくっちゃね|史実で表舞台から遠ざけられたためか、戦闘中の台詞は普段と違い表舞台に立てた嬉しさが感じられる|
|攻撃時|いっけぇ!||
|夜戦開始時|次から次へとうっざいわね||
|夜戦攻撃時|弱すぎよ||
|MVP時|大勝利よ!私に十分感謝しなさい、このクソ提督♪|史実では貧乏くじを引き続けたこともあって目立った戦果はなかった。&br()そのため自身の活躍が評価されるのが純粋に嬉しいようで、『クソ提督』の言い方にもトゲがない。|
|被弾小破①|んあぁっ!||
|被弾小破②|なんなのよ!||
|被弾カットイン|た・・・たかが主砲と魚雷と機関部がやられただけなんだから・・・って、えぇぇぇ!|爆撃によりこれらが全て壊滅、沈没した|
|撃沈時(反転)|COLOR(white):海の底にはなにがあるのかな…|COLOR(white):余談だが「曙」の沈没したマニラ湾は夕陽の綺麗な湾として有名である|

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