特定非営利活動法人 港南歴史協議会内検索 / 「港南の昔ばなし」で検索した結果

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  • 港南の昔ばなし
    『ふるさと港南の昔ばなし50話』は、港南区制25周年 記念誌として,平成6年10月20日「港南の歴史研究会」が編集発行したものです。 このコーナーでは、『ふるさと港南の昔ばなし50話』に収録されたお話を音声付でお届けいたします。   朗読:市丸由紀子  篠笛:松尾慧  製作:高橋ツタ 馬を洗った尼将軍  (上永谷) 首塚の亡霊  (下永谷) 鎮魂の句碑  (笹下) 野庭の赤ナス  (野庭) 野庭の「関城」と周辺 (上大岡・野庭) 経塚山の太子堂と東福寺 (笹下) 米倉丹後守の通った道(上大岡) 笑うゴロスケの話 (日野) 狐の話  (下永谷・日野・笹下) 火の上を歩く人たち  日野  源為朝の隠れ里(上大岡・日野)  浄念寺の咳止め玄入坊  (野庭) 永谷天神と菅秀才 (上永谷) 永谷に住んだ宅間の殿様(上永谷) 歌をうたうミケネコ (笹下) 榎戸の水”...
  • 港南の歴史研究会
    ...年)10月「ふるさと港南の昔ばなし」50話 を港南区制25周年記念誌 として、発刊致しました。
  • 港南の歴史 参考文献
    ....2.1. ふるさと港南の昔ばなし:港南の歴史研究会/1994.10.20. こうなん道ばたの風土記:港南の歴史研究会/1986.2.1. おかあさんが伝えるふるさと下野庭:しものば郷土誌編纂委員会/1988.2.1. 野庭の今昔:常盤台万蔵著/1977.8. 港南台の誕生:福島清一著/1988.6.30. 港南台:港南台遺跡群調査団/1976 上大岡B地区再開発の歴史:上大岡B地区市街地再開発組合/2004.8.1. 武州久良岐郡地名考:武内廣吉、平山和彦/1995.5.13. わたしたちの横浜 よこはまの歴史(港南区版):横浜市教育委員会 絵図・古文書で探る村と名主(武蔵国久良岐郡上大岡村):横浜市歴史博物館/1998.4.25 図説「横浜の歴史」:横浜市/1989.4.1. 郷土のしおり 資料第1号:日野町第2町内会:1976.3. 郷土のしおり 資料第2号:日野町第2町内会:...
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    ...小学校 *港南の昔ばなし 「ふるさと港南の昔はなし」は平成6年に港南区制25周年記念誌として、港南の歴史研究会が編修・発行致しました。 既に、絶版になっております。タイトルをクリックしてご覧願います。 [こうなん道ばたの風土記] こうなん道ばたの風土記 「こうなんの道ばた風土記」は昭和61年に港南の歴史研究会で編修・出版を致しました。 平成11年港南区制30周年の際に改訂版として再販されましたが、既に絶版となっています。 皆様方の街歩きに際して、大変に参考となる資料ですので、上記の「こうなん道ばたの風土記」タイトルをクリックされますと港南区HPに記載されております全文をご欄になれます。 *こうなんの石造物 こうなんの石造物 石造物の数 石造物(広義)の種類 主な石造物 *港南歴史協議会 規約 参...
  • ☆区民企画講座「こうなんの歴史:永谷天満宮の昔ばなし」
    ☆区民企画講座「こうなんの歴史:永谷天満宮の昔ばなし」 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (IMG_2852s.jpg) 永谷天満宮公式HP 丑年大天神祭 夏越の大祓い URL http //www19.atwiki.jp/konanrekishi
  • 港南台・日野南
    港南台・日野南地域 {港南台住宅地(団地)開発については、下記の記録文献をご参照願います。 港南台の誕生:福島清一/1988.6.30. 港南台:港南台遺跡群調査団/1976 港南台開発の歴史は下記のペ-ジをご覧下さい。 大規模宅地開発による地形の変化の様子をご覧になれます。 歴史に学ぶ港南台の勉強会 *「松ヶ崎古墳」については、下記のペ-ジをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 現在の港南台住宅地には、縄文・弥生時代既に人々は生活をしていました。 その生活の跡が昭和40年代の大規模宅地開発の際、全て里山が削られて、無くなってしまいました。その開発の際の記録は「港南台遺跡群調査団」による「港南台」記録として、残っているのみです。 港南台地域の埋蔵文化財なついての詳しい記録は、下記のペ-ジをご覧下さい。 緊縮財政に呑まれる埋蔵文化財 ...
  • 港南の歴史と文化
    『港南の歴史と文化』  著者 伊藤武 発行 港南歴史協議会 仕様・体裁 : A4判、総ページ数 372ページ、表紙 アートポスト紙 ○ 本 文 (1~7章 史跡・石仏 ) : 314頁(スミ印刷) 上質紙、 ○ 口絵、章扉、地図、港南景勝50選:58ページ(カラー印刷)コート紙 定価 3,500円(税込み)  予約申込み 港南歴史協議会 茅野眞一 Tel Fax 045-841-6773 1 港南景勝50選(私選)    区制40周年記念運動として「街自慢」を提唱     港南区内の景勝地をカラー写真で紹介 2 歴史民俗探訪 15話   区内に伝承されている歴史的古事及び民間に     伝えられている風習・風俗  3 史跡・石仏 区内に散在する史跡や石仏(石塔)を個々に 現物写真を掲載して紹介 1章 概要 ...
  • 野庭
    野 庭 野庭の歴史は下記の本にも詳しく記載されております。 永野郷土誌 おかあさんが伝えるふるさと下野庭:しものば郷土誌編纂委員会/1988.2.1. 野庭の今昔:常盤台万蔵/1977.8. こうなんの昔ばなし より 野庭の赤ナス  (野庭) 野庭の「関城」と周辺 (上大岡・野庭) 浄念寺の咳止め玄入坊  (野庭) 永野小学校0000-1(明治10年野庭学校のスケッチ) 塚の古址 (野庭) 和田義盛の関所跡(最戸) 十里木と政所  (野庭) 八日僧 (港南台・野庭)  でいだらぼっち  (野庭) <タグに 野庭 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • 笹下・日下
    日下・打越・笹下地域 日下・笹下地域の「楽遊クラブ」の方々が作られた「日下・笹下地域の歴史年表」です。 日下・笹下の歴史年表.pdf 久良岐郡と関村について楽遊クラブの方々が作られた説明です。 久良岐郡と関村.pdf 楽遊クラブの方々が作られた「雑色・杉本遺跡」の説明です。 雑色杉本遺跡.pdf 楽遊クラブの方々が作られた「打越周辺」の紹介です。 打越周辺 .pdf 楽遊クラブの方々が作られた「関 周辺」の紹介です。 関周辺 .pdf 楽遊クラブが作られた「笹下城」の歴史説明です。 笹下城.pdf 成就院(楽遊クラブ)の説明です。 成就院p.pdf 東樹院(楽遊クラブ)の説明です。 東樹院.pdf 東福寺(楽遊クラブ)の説明です。 東福寺.pdf ...
  • 下永谷・芹が谷
    下永谷・芹が谷地域 下永谷・芹が谷地域の歴史については永野郷土誌にも詳しく掲載されています。 永野郷土誌 下永谷・芹が谷地区について、歴史散策の会の記録です。 第17回歴史散策リポート 「第17回 港南区の歴史散歩改B5版.pdf 第72回歴史散策リポート 第72回歴散リポート.pdf 芹が谷については、下記のペ-ジをご覧願います。 芹が谷 こうなん 道ばたの風土記より 殿屋敷の遺跡 下永谷市民の森 神明社と般若寺 芹が谷の武相国境道標 北条氏直館跡と物見塚 こうなんの昔ばなし より 首塚の亡霊  (下永谷) 狐の話  (下永谷・日野・笹下) 永野小学校0000-2(永谷学校のスケッチ) 村に電気がきた日  下永谷 日限地蔵  (下永谷) 新田義貞の刀剣塚(日野・下永谷)  乳出の井戸  (下永谷) 上永谷、丸...
  • 港南の歴史を学ぶ会
    「港南の歴史を学ぶ会」は昭和55年(1980)に発足し、港南区を中心に、横浜や周辺地域の歴史を講師のお話と散歩を楽しみながら、月に1回学んでいます。 講義は「港南地区センタ-」で毎月第3日曜日に午前9時30分から正午まで、歴史散歩は午前10時現地集合、午後3時現地解散です。 会費:年間4000円(臨時の方の参加費は毎回500円) 平成23年度(2011)年度の計画は下記の通りです。
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    *港南歴史協議会の活動報告 1.歴史講座 ☆ 児童向け港南の郷土史 港南の古写真スライドショ-「港南の昔にタイムスリップ~おじいさんが語る昭和~」を開催しました ○ 日 時:平成23年8月21日(日)午前10時~11時30分 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 語り部:港南歴史協議会のさん、 詳しくは下記の8月22日(月)神奈川新聞をご覧ください 写真で知る郷土 9月8日(木)タウンニュ-ス(港南区版)にも掲載されました 過去にタイムスリップ ☆「芹が谷の歴史」講座を開催しました。 ○ 日 時:平成23年6月25日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 講 師:大平力蔵 平戸・永谷川水愛護会会長 ○ 語り部:平井忠八さん、森 喜八さん、山本邦法さん、 ☆「港南の近世を語る」歴史講座を開催しま...
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    港南歴史協議会のページ 「語り部」の「記録」へようこそ おしらせ ☆港南歴史協議会の最近の活動は下記の新しいホームページをご覧下さい https//konanrekishihome.blog ― デジタルを活用して、アナログ情報を調べ、入手し、整理し、発信する ― このページは、横浜市港南区を中心とする周辺地域を含む地域の 歴史・文化を調べ、互いの情報を交換し 地域の人達へ広く伝え#areaedit(港南歴史協議会P改訂版) |#areaedit(港南歴史協議会P改訂版裏面763s.jpg ) 編集 これら歴史・文化財の記録・保存活動を推進し 地域文化の発展に協力する ことを目的としたこうなんの「街の生い立ち・歴史」を維持・伝承する、港南歴史協議会の活動を紹介するサイトです。 ☆第6回横浜・人・まち・デザイン賞を受賞しました。...
  • 政治の中心地「関」と港南の桜(港南)
    政治の中心地「関」と港南の桜(港南)  江戸幕府の治めていたころ,いまの港南区内は野庭や永谷・芹が谷の地域は相模国,上大岡や笹下・大久保・日野の地域は武蔵国になっていたのじゃよ。 「ヒヤー そうだったの,わたし,神奈川県はみんな相模国かと思っていたわ」  江戸幕府のあのチョンマゲの武士の政治はアメリカからやって来た「黒船」と,幕府の政治を天皇の政治にもどそうと考える人たちの勢力によって,倒されてしまったのじゃよ。この時の黒船のことを表現した歌に, 「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)  たった四はい(隻)で夜も寝られず」 なんて歌われているが,上喜撰とは上等のお茶の一種じゃが,歌の意味を考えて見て下され,なるほどと思うじゃろ。  こうして,新しく明治政府ができ,「廃藩置県」というてな,武蔵国や相模国をやめて,横浜あたりを「神奈川県」,港南区は野庭・永谷方面を除いて「久良岐郡...
  • 空から見た上永谷の歴史
    上永谷 永野地域に関する歴史は永野郷土誌に詳しく記載されております。 永野郷土誌 空から見た上永谷の歴史 永谷天満宮 「かまくら下の道」については、下記のHPに詳しく記載されておりますので、ご覧下さい。 鎌倉古道かまくら下の道 尾根道のかまくら下の道を立体画像で示す 鎌倉古道かまくら下の道 武士たちが駆けぬけた道かまくら下の道 こうなんの昔ばなし より 馬を洗った尼将軍  (上永谷) 貞昌院 港南区の生い立ち 永野小学校0100(昭和60年頃の環状2号線) 永野小学校0090(昭和51年、永野小学校の全景・航空写真) 永野小学校0080(昭和44年、永野小学校下の県道を横断する子供達) 永野小学校0070(昭和41年、水田付近の県道を横断する子供達) 永野小学校0051(昭和38年頃2階建て鉄筋校舎増築) 永野小学校0050(昭和36年頃2階建て木造校舎増...
  • 日野・吉原
    日野・吉原地域 春日神社 春日神社 春日神社 野庭との境にある日野九丁目の「真南台」と呼ばれている高台に、織部屋敷があったとの事です。 織部屋敷 日野、日野中央地域の歴史散策の記録です。 日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校周辺散策の記録 第21回 (日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校).pdf       ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目周辺散策の記録 第67回(旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目).pdf こうなん 道ばたの風土記より 春日神社 日野公園墓地 徳恩寺と長屋門式山門 日野のしいの木 光明寺の聖観音 清水橋周辺の遺跡と浄岸寺跡 こうなんの昔ばなし より 笑うゴロスケの話 (日野) 狐の話  (下永谷・日...
  • 丸山台・日限山
    丸山台・日限山地域 丸山台・日限山地域の歴史については永野郷土誌にも詳しく掲載されています。 永野郷土誌 丸山台については丸山台自治会のHPに詳しく記載されています。 丸山台のふるさと 丸山台の宅地造成から現在に至る過程については下記の亀野さんのブログをご参照願います。 まちをつくる、まちができる 日限地蔵尊については下記のHPにも、詳しく記載されています。 「横浜の高野山」と呼ばれた日限地蔵尊 日限地蔵尊 日限地蔵尊 こうなん 道ばたの風土記より 日限地蔵尊と笹山城跡 こうなんの昔ばなし より 「丸山台」をタグに含むページは1つもありません。 日限地蔵  (下永谷) <タグに 丸山台 または 日限山 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • 上大岡
    上大岡・大久保 上大岡の歴史については下記の文献に詳しく記載されています。 絵図・古文書で探る村と名主(武蔵国久良岐郡上大岡村):横浜市歴史博物館/1998.4.25. 上大岡の市街地開発の歴史については下記の記録に詳しく記載されています。 上大岡B地区再開発の歴史:上大岡B地区市街地再開発組合/2004.8.1. 上大岡については、下記のHPにも詳しく掲載されています。 120年前の横浜・上大岡「ハマちゃんのがらくた箱」 東海道線は当初、大岡川沿いを通る予定だった!「ハマちゃんのがらくた箱」 上大岡の西側・大久保地域の「街歩き・歴史散策」の際は下記のペ-ジは参考になると思います。このペ-ジは「港南歴史散策の会」の過去の記録(PDF)です。 「こうなん昔ばなし」も併せてご覧になる事をお勧めいたします。 第1&29回港南区の歴史散歩.pdf 第6&30...
  • 港南区の歴史
    港南区の歴史については、港南区の下記のHPに詳しく記載されております。 港南区役所 港南区の歴史年表 港南区って、どんなところ? 港南区には、横浜開港以前の鎌倉に通じる中世の歴史の痕跡が沢山あります。 その間の経緯について「ふるさと港南の石仏たち」の中の「港南区の生い立ち」に書かれていますので、下記のpdfファイルをご覧願います。 ふるさと港南の石仏たち 港南区の生い立ち.pdf
  • 上大岡・大久保
    上大岡・大久保地域 上大岡駅周辺を楽遊クラブの皆さんが、下記のペ-ジに紹介しています。 上大岡周辺.pdf 上大岡地域記載の文献紹介 上大岡の歴史については下記の文献に詳しく記載されています。 絵図・古文書で探る村と名主(武蔵国久良岐郡上大岡村):横浜市歴史博物館/1998.4.25. 上大岡の市街地開発の歴史については下記の記録に詳しく記載されています。 上大岡B地区再開発の歴史:上大岡B地区市街地再開発組合/2004.8.1. 大久保・林大学の頭からの書 .pdf 上大岡地域について記載のHP紹介 上大岡については、下記のHPにも詳しく掲載されています。 黒船が見えた丘 120年前の横浜・上大岡「ハマちゃんのがらくた箱」 東海道線は当初、大岡川沿いを通る予定だった!「ハマちゃんのがらくた箱」 上大岡って? 身近な所に...
  • 上大岡東・西、大久保、最戸地区
    上大岡・大久保地域の「街歩き・歴史散策」の際は下記のペ-ジは参考になると思います。このペ-ジは「港南歴史散策の会」の過去の記録(PDF)です。 「こうなん昔ばなし」も併せてご覧になる事をお勧めいたします。 第1&29回散策-大久保、最戸-商住地区- 第1&29回港南区の歴史散歩.pdf 第6&30回散策-上大岡・日野川左岸の道- 第6&30回散策(上大岡・日野川左岸の道).pdf 第31回散策-上大岡東・久良岐の丘- 第31回散策-上大岡東・久良岐の丘-.pdf 第34回散策-上大岡・西福寺~久良岐公園- 第34回散策(上大岡・西福寺~久良岐公園).pdf 第35回散策-上大岡鹿島神社~笹下武者ヶ谷- 第35回散策-上大岡鹿島神社~笹下武者ヶ谷-.pdf
  • たたらの火とヤマトタケル   日野   
    たたらの火とヤマトタケル (日野) 皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。  横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。  そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。  その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。  むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。  この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。  ちょうどいまの港...
  • 上永谷
    上永谷地域 永野地域に関する歴史は永野郷土誌に詳しく記載されております。 永野郷土誌 歴史書に見る永野 空から見た上永谷の歴史 永谷天満宮 永谷天満宮 菅原道真公自刻の御神体が永谷天満宮へ 笹山城 武相国境越えの変遷 永野村鎌倉郡から横浜市へ 鎌倉郡から横浜市へ 上永谷に残る屋号 永谷に伝わる高札の 永谷川の氾濫 永野十景いまむかし 「かまくら下の道」については、下記のHPに詳しく記載されておりますので、ご覧下さい。 鎌倉古道かまくら下の道 尾根道のかまくら下の道を立体画像で示す 鎌倉古道かまくら下の道 武士たちが駆けぬけた道かまくら下の道 勝海舟と永谷地域との関わりについて、記載されています。 勝海舟の「眠雲」扁額について 平野玉城先生の永谷(永野)小学校への関わりについて、記載されています。 永野の教育を支えた平野玉...
  • たたらの火とヤマトタケル (日野)
    たたらの火とヤマトタケル (日野) bgsound  皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。  そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。  むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。  この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。 ...
  • 港南区の生い立ち
    港南区の生い立ちをまとめました。(2008.10.京急メモリアル広報誌)に掲載されました。 港南の生い立ち .pdf
  • 港南郷土史散策の会
    「港南郷土史散策の会」は平成18年7月からの野庭地区センタ-で開催された「タイムスリップ港南の旅」が機会で、馬場久雄先生のご協力で、もっと深く郷土史を知りたい、との思いの受講者有志で発足しました。 毎月1回(原則として第1木曜日)午前中に開催しています。
  • 参加団体
    港南歴史協議会 参加団体 港南の歴史研究会 港南歴史散策の会 港南の歴史を学ぶ会 港南郷土史散策の会 さつき台探勝会 歴史に学ぶ港南台の会 港南区歴史を歩く会 港南区民協議会永野土曜塾 港南百景デジタルア-カイブ会 貞昌院 地図編集工房 日下小学校資料館 楽遊クラブ
  • 幕府隠密の村、松本   港南
    幕府隠密の村、松本 (港南)  港南中学校のうら手の高台に、正覚寺という古いお寺があります。六十六の石段をのぼって行ってみますと、そこはもう四方八方が見渡せる眺めのよい所です。  むかしは、このお寺の近くに大きな松の木があったそうで、いまの港南一丁目から六丁目を中心に、この辺一帯を松本村とよんだということです。  この「松本」という名前には、大さな松の木があったというだけでなく、ある秘密がかくされていたというのです。  時は今から四百年ほど前のこと、正覚寺という寺の近くにある、巨大な松の老樹の上から、ひとりの隠密が身をひそめながら 「ボアー、ボアー」  とホラ貝を吹きました。  すると、どこからともなく、幾人かのさむらいが、この松の木めがけて集まってくるのでした。  このさむらい達は、徳川ゆかりの者たちです。実は、このあたりは、徳川と戦った旧小田原北条氏の重要な拠点で、...
  • こうなんの石造物の数
    ・こうなんの石造物の数 ・「港南の歴史」:460基、内 石仏:285基 ・「ふるさと港南の石仏たち」:278基、内 石仏:205基(60%が武蔵国)
  • 幕府隠密の村、松本   (港南)
    幕府隠密の村、松本   (港南) bgsound  港南中学校のうら手の高台に、正覚寺という古いお寺があります。六十六の石段をのぼって行ってみますと、そこはもう四方八方が見渡せる眺めのよい所です。  むかしは、このお寺の近くに大きな松の木があったそうで、いまの港南一丁目から六丁目を中心に、この辺一帯を松本村とよんだということです。  この「松本」という名前には、大さな松の木があったというだけでなく、ある秘密がかくされていたというのです。  時は今から四百年ほど前のこと、正覚寺という寺の近くにある、巨大な松の老樹の上から、ひとりの隠密が身をひそめながら 「ボアー、ボアー」  とホラ貝を吹きました。  すると、どこからともなく、幾人かのさむらいが、この松の木めがけて集まってくるのでした。  このさむらい達は、徳川ゆかりの者たちです。実は、このあたりは、徳川...
  • 石像物の数
    ・こうなんの石造物の数 ・「港南の歴史」:460基、内 石仏:285基 ・「ふるさと港南の石仏たち」:278基、内 石仏:205基(60%が武蔵国)
  • 近世
    近世の港南区エリア 江戸時代、この地域は「江戸」に近く、江戸の広域経済や文化圏に属していました。この地域では米作農業、養蚕等で幕府の年貢・賦課・幕藩体制の下で人々は暮らしを立てていました。 相模の国永野地域は東海道に近く、戸塚宿の助郷にも加わっており、当時の経済・文化は東海道沿道より、「かねさわ道」等を通って伝わってきました。 港南区の近世の歴史について、遠藤吉隆さんのまとめを下記に掲載いたします。 港南区の歴史近世.pdf 江戸時代の村々 YD0024b0.pdf 江戸時代の各村t.pdf 江戸時代の村の規模 .pdf 江戸時代の石高① .pdf 江戸時代の石高② .pdf 江戸時代の小字 .pdf 永谷に伝わる高札の高札 勝海舟の「眠雲」の扁額について 貞昌院 米倉丹後守の通った道(上大岡) 港南...
  • 二十三夜塔
    二十三夜塔 所在地:戸塚区平戸の光安寺 勢至菩薩の化身と言われる23夜の月を礼拝する月待ち信仰の女性講が  建てたもの。もともと下永谷の旧地蔵院にありました。 「港南のヴィーナス」とも言えるほどの秀麗な石仏であり、横浜市内最  古の二十三夜塔として極めて貴重な石仏です。 寛文10(1670)年造立
  • 米倉丹後守の通った道(上大岡)
    米倉丹後守の通った道 (上大岡) bgsound  「下にー,下にー」という声とともに,おごそかに通って行く,ものものしい大名行列。野良仕事をしていたお百姓さんも,先を急ぐ旅人も,何はともあれ「ははあー」と地面にひれ伏す・・・。江戸時代,大名は参勤交代のために,領地と江戸を往復しなければならなかったので,東海道などの大きな街道筋では,こんを光景がよく見られました。  港南区は,そういう街道筋ではなかったのですが,それでも,上大岡の,いまのグリーン通り商店街には大名行列が通ったという話が残っています。一体だれが,どこへ向かったのでしょうか。  実は,グリーン通りは,そのむかし,「かねさわみち」といって,いまの金沢区から通じる道でした。また上大岡の先,保土ケ谷に向かっては,「ほどがや道」と呼ばれる道につながっていました。  保土ケ谷といえば東海道,そうです。この「かねさわ道」...
  • 旅にだされた厄除け地蔵 (日野)
    旅にだされた厄除け地蔵 (日野) bgsound そのむかし、この港南の山あいに住む人々が、魚を口にできるのは、鎌倉から魚売りがやって来る時だけでした。 魚売りは、新鮮な魚といっしょに、町での出来事や、他の村であった事など楽しい話を、たくさんもってきました。ですから村人はいつも、この魚売りが来るのを、心待ちにしていました。 ある日のことです。小坪道にさしかかった魚売りは、追いはぎにあい殺されてしまいました。家族を残して、離れた土地で命を絶たれるのは、とてもくやしかったことでしょう。 村人たちは、この魚売りの死をたいへん悲しみ、自分たちも生活が苦しいのに、わずかずつのお金を集めて、お地蔵さまを建て、魚売りの霊を慰めようとしました。 折りしも、そのころは日照りが続き、お米が実らない年が続きました。村人たちは、このお地蔵さまを、「厄除地蔵」と呼び、し...
  • 港南百景デジタルア-カイブ会
    「港南百景デジタルア-カイブ会」は平成19年(2007)にITを活用して、港南区内の歴史・文化財の保存に関わる活動を目的に発足しました。 主な活動は、○現在の景観、過去の景観等の写真展の開催。         ○文化財、史料(古写真)等をデジタル化し、保存する。         ○これ等資料を活用して、歴史講座の開設。      等です。 平成22年度、区民企画講座「こうなんの歴史講座」の運営を支援しています。 平成22年度、第5回「こうなんの歴史講座」 テ-マ:貞昌院に伝わる「天神おみくじの」 日 時:12月18日(土)10時~12時 場 所:貞昌院 客殿 講 師:亀野哲也 貞昌院副住職 さん 詳しくは、下記の 貞昌院亀野さんのHPをご覧下さい。 区民企画講座2010@貞昌院 天神おみくじ ◇ 平成22年度、第4回「こうなん...
  • 旅に出された厄除け地蔵   日野   
    旅に出された厄除地蔵 (日野) そのむかし、この港南の山あいに住む人々が、魚を口にできるのは、鎌倉から魚売りがやって来る時だけでした。  魚売りは、新鮮な魚といっしょに、町での出来事や、他の村であった事など楽しい話を、たくさんもってきました。ですから村人はいつも、この魚売りが来るのを、心待ちにしていました。  ある日のことです。小坪道にさしかかった魚売りは、追いはぎにあい殺されてしまいました。家族を残して、離れた土地で命を絶たれるのは、とてもくやしかったことでしょう。  村人たちは、この魚売りの死をたいへん悲しみ、自分たちも生活が苦しいのに、わずかずつのお金を集めて、お地蔵さまを建て、魚売りの霊を慰めようとしました。  折りしも、そのころは日照りが続き、お米が実らない年が続きました。村人たちは、このお地蔵さまを、「厄除地蔵」と呼び、しだいに心のささえとするようになりました。...
  • いわれのある橋と日野八景(日野・港南台)
    いわれのある橋と日野八景 (日野・港南台) bgsound むかしは、小坪から流れてくる日野川と、榎戸から流れてくる小川があって、その合流するあたりに「下馬橋」という橋がありました。  そしてこの道を通る人は、この橋のあたりで馬からおりなければなりませんでした。  それは,そのふきんに身分の高い人の屋敷があったためです。日野小学校の近くには,「御所ケ谷」という地名が残っていて,いまでもそこには「御所ケ谷橋」があります。  そういえば,下馬橋のすこし下流には,「殿田橋」がかかっていました。港南台一丁目のあたりには,殿田という地名もありますが,きつと殿様の田んぼだったのでしょう。  また,バス停「金井」のある日野南の高台は,殿山ともいいます。だれかえらい殿様のための見張り台だったのかもしれませんね。  春日神社の前の低地は,むかし,日野川の水がたまっていて,湖のよ...
  • 港南中学校
    横浜市立港南中学校に保存されている古写真を中心として展示しています。 「港南中学校」をタグに含むページは1つもありません。 <タグに 港南中学校 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • 港南区発足後
    港南区発足後の港南区エリア 昭和44年に、当時の「南区」より分区をして、現在の「港南区」が誕生いたしました。 丁度その頃の港南区は、昔の里山を削る大規模宅地造成開発の真っ最中で、その後「港南台住宅地」「野庭団地住宅地」が誕生し、JR根岸線や横浜市営地下鉄も開通し、人口も急速に増加して、街の景観や人々の街の生活はすっかり様相を変えしました。 港南区発足後の記録として下記の「広報こうなん」をご覧下さい。 広報こうなん区版 貞昌院 港南区の歴史 永野小学校0100(昭和60年頃の環状2号線) 永野小学校0090(昭和51年、永野小学校の全景・航空写真) 桜岡小学校0142(上大岡商店街の歴史3) 桜岡小学校0141(上大岡商店街の歴史2) 桜岡小学校0140(上大岡商店街の歴史1) 桜岡小学校0122(上大岡駅前通りの歴史3) 桜岡小学校0121(上大岡駅前通りの歴...
  • 港南歴史散策の会
    「港南歴史散策の会」は平成13年10月から始めた港南区内と周辺の歴史散策の会です。 港南歴史散策の会-紹介.pdf 歴史散策は毎回その月の第1第土曜日AM8 45~12 00として、第1回は平成13年10月6日 上大岡西側の大久保地域の散策から始まりました。 この散策も平成21年6月で90回となりました。下記は、その時のレポートです。 今回公開にあたり、今までおこなった散策の各コースを、出発拠点別にまとめました。 出発拠点は 上大岡・大久保地区、 港南・笹下地区、 日野・日野中央地区、 港南台・日野南地区、 上永谷(含む野庭・丸山台・日限山)地区、 下永谷・芹が谷地区 の6ヶ所としました。...
  • 港南台、日野南地区
    港南台住宅地開発時に 遺構のほとんどが開発とともに消滅してしまいました。 遺跡跡の分布は下記添付ファイルの通りで、次のような遺跡群がありました。 上瀬遺跡(港南台8 丁目辺り)、 榎戸遺跡(港南台6 丁目辺り)、 小坪遺跡、中谷(なかやと)遺跡(現在のちどり・かもめ団地辺り)、 松ヶ崎遺跡、 安養院やぐら、 大神やぐら 発掘された遺物の一部が磯子区の三殿台考古館に保存展示されています。 港南台地区の遺跡地と遺物.pdf    ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 第19回 港南台の今昔・港南台5~8丁目 散策の記録です。 第19回 (港南台の今昔・港南台5~8丁目).pdf 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目 散策の記録です。 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目.pdf 港南台4・9丁目、日野南...
  • 歴史に学ぶ港南台の会
    「歴史に学ぶ港南台の会」は平成15年(2003)の夏の終わりに「産声」をあげた会です。 もう一度、歴史を学び、暮らしや文化の歩みをたどり、社会の進歩と平和、そして自分の生き方を考え、語り合いたい、そんな動機からでした。 ★学びあう ★歴史を訪ね 毎月、第3土曜日の午後、港南台地区センタ-の和室に集まります。 お茶代300円程度で、やっています。興味、関心ある方は、ご一緒に参加しませんか? ◇ 港南台地区センタ-祭りに参加し、展示を致しました。 日 時:平成23年2月26・27日(土・日) 会 場:港南台地区センタ- 榎戸古墳出土の土器の展示、の他、松ヶ崎古墳の写真展示等を行いました。 「歴史に学ぶ港南台の会」では平成21・22年度と2年間に渡って、横浜市地域文化財登録に旧港南台高校の敷地内にある「松ケ崎古墳」を推薦いたしました。しかし、...
  • 港南歴史協議会の歩み
    港南歴史協議会は、2007年に港南区内の郷土史に関わる8団体で発足した「こうなん歴史連絡会」が発展的に「港南歴史協議会」と改称し、組織いたしました。 現在は区内の古写真のデジタル化をはじめ、郷土史に関わる文化の保存と伝承に向けて、活動をしています。 港南歴史協議会の歩み改.pdf
  • 港南台、日野南地区 散策の記録
    港南台住宅地開発時に 遺構のほとんどが開発とともに消滅してしまいました。 遺跡跡の分布は下記添付ファイルの通りで、次のような遺跡群がありました。 上瀬遺跡(港南台8 丁目辺り)、 榎戸遺跡(港南台6 丁目辺り)、 小坪遺跡、中谷(なかやと)遺跡(現在のちどり・かもめ団地辺り)、 松ヶ崎遺跡、 安養院やぐら、 大神やぐら 発掘された遺物の一部が磯子区の三殿台考古館に保存展示されています。 港南台地区の遺跡地と遺物.pdf    ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 第19回 港南台の今昔・港南台5~8丁目 散策の記録です。 第19回 (港南台の今昔・港南台5~8丁目).pdf 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目 散策の記録です。 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目.pdf 港南台4・9丁目、日野南...
  • 港南区民協議会
    「港南区民協議会」では、地域の人達と一緒に、郷土の歴史文化の伝達を目的として、小学校区の中で活動をしています。 昨年までの第17期では○永野小学校の児童(含保護者)に体験学習の機会の提供。                 (地場産業である「よこはまスカ-フ」捺染作業の体験)                ○児童を始め地域で利用できる郷土の歴史資料の整備。                 (永野小学校保管古写真のデジタル化)                ○地域歴史文化関係・各グル-プとの連携活動。   を行いました。 今年度18期では、○前期に引き続き、永野小学校「土曜塾」を行います。             ○今迄に蓄積した古写真を活用して、スライドショを各地域で行います。 港南区民協議会 第2回目の日野小学校古写真のスライドショ-を行いました。 ...
  • 第1回港南歴史散策
    港南歴史散策の会では、平成13年10月6日(土)に第1回目として、上大岡西側の大久保地域の散策を行いました。 平成16年5月1日(土)に同じコ-スを第29回歴史散策会として歩きました。その時の記録です。
  • 八日僧 (港南台・野庭) 
    八日僧 (港南台・野庭) bgsound  むかしむかし,港南台が,まだ「宮ケ谷村」とよばれていたころのお話です。  下馬根というところに,山王社の祠がありました。  山王さんは,この村では熱病の神さまとして,おそれられていました。  その熱病というのは,いまでいう天然痘のことで,むかしはそうした病気でたくさんの子どもが死んだのです。大人たちは,その神様に子どもが近づいたり,いたずらしないように,妖怪の話を作って,おどしていたのです。  その妖怪は,小さくて,とても弱い妖怪なのですが,昔から暮の十二月八日の夜明け前に,どこからともなく村に来て,一軒一軒の家をのぞきこみ, 「悪い子どもは,いないかな」  と言いながら,子どものいる家をさがして歩き,いろいろなわざわいを,もたらすとされていました。  村の人たちは,その妖怪をそれはそれはおそれていました。妖怪が来た家...
  • 榎戸の水”問答”  (港南台)
    榎戸の水”問答”(港南台) bgsound 日野や港南台が、武蔵国とよばれていたころのお話です。 武蔵と相模の国境線は、国や村の境であると同時に、水を分ける大切な境でもありました。このころのくらしの大部分は、農業によって支えられていました。そして、その農業とは「お米を作ること」でしたから、人々にとって水は、いのちを守ることと同じくらい大切なものでした。 武蔵と相模の境にある円海山は、武蔵にとっても、相模にとっても、大切な山でした。それほど高くない山なのですが、海に近いために、雨がよくふり、しかも、その雨をためる水ガメのような役目を持っていて、多くの川の水源地になっています。 むかしは、どこの海に流れ込むかということでその水はどこの水かということをきめていました。ですから、今は港南区になっていますが、野庭や永谷の村はもともと、相模国の村だったのです。なぜ...
  • 室の木と富士塚   港南   
    室の木と富士塚 (港南) みなさんは、葦という植物を知っていますか。水辺に生える多年草で、茎はすだれなどの材料になり、別名をよしともいいます。  そのむかし、日野川はよく氾濫し、河原はよしでおおわれていました。これが、鎌倉街道にある「吉原」という地名の由来です。  区役所から、南高校の方に坂をのぼって行くと、相武山小学校につきあたります。その辺りは武蔵国と相模国の境で、「室の木」が植えられていました。  「室の木」は、ねずともいわれ、高い木で冬でも緑の葉をつけているため、目印になったようです。今は、その木はありませんが、地名として、坂やバス停、また、公園や幼椎園の名前に使われています。  吉原村の北のはずれの一番高いところ、すなわち、室の木の近くには、富士塚がありました。富士塚には、富士浅間宮と彫られた、石の供養塔が置かれていました。上部には、仏さまが、下部には、二匹の猿が、向...
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