特定非営利活動法人 港南歴史協議会内検索 / 「港南台・日野南」で検索した結果

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  • 港南台・日野南
    港南台・日野南地域 {港南台住宅地(団地)開発については、下記の記録文献をご参照願います。 港南台の誕生:福島清一/1988.6.30. 港南台:港南台遺跡群調査団/1976 港南台開発の歴史は下記のペ-ジをご覧下さい。 大規模宅地開発による地形の変化の様子をご覧になれます。 歴史に学ぶ港南台の勉強会 *「松ヶ崎古墳」については、下記のペ-ジをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 現在の港南台住宅地には、縄文・弥生時代既に人々は生活をしていました。 その生活の跡が昭和40年代の大規模宅地開発の際、全て里山が削られて、無くなってしまいました。その開発の際の記録は「港南台遺跡群調査団」による「港南台」記録として、残っているのみです。 港南台地域の埋蔵文化財なついての詳しい記録は、下記のペ-ジをご覧下さい。 緊縮財政に呑まれる埋蔵文化財 ...
  • 港南歴史散策の会
    ... 港南台・日野南地区、 上永谷(含む野庭・丸山台・日限山)地区、 下永谷・芹が谷地区 の6ヶ所としました。 このレポートが港南区内の歴史散策案内書として使われ、少しでも街の活性化につながれば幸いと思っています。 目次 上大岡東・西、大久保、最戸地区: 港南、笹下地区:   日野、日野中央地区: 港南台、日野南地区: 上永谷、丸山台、野庭、上永谷町、日限山地区: 下永谷、東永谷、芹が谷、東芹が谷地区:   第96回散策の会の記録です 第96回散策の会では、旧吉田新田の跡を歩きました。その時の記録です。 第96回散策 旧吉田新田の橋・改3.pdf 6月の港南歴史散策は、雨のため開港資料館へ見学に行きました。 見学の...
  • 港南台、日野南地区
    港南台住宅地開発時に 遺構のほとんどが開発とともに消滅してしまいました。 遺跡跡の分布は下記添付ファイルの通りで、次のような遺跡群がありました。 上瀬遺跡(港南台8 丁目辺り)、 榎戸遺跡(港南台6 丁目辺り)、 小坪遺跡、中谷(なかやと)遺跡(現在のちどり・かもめ団地辺り)、 松ヶ崎遺跡、 安養院やぐら、 大神やぐら 発掘された遺物の一部が磯子区の三殿台考古館に保存展示されています。 港南台地区の遺跡地と遺物.pdf    ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 第19回 港南台の今昔・港南台5~8丁目 散策の記録です。 第19回 (港南台の今昔・港南台5~8丁目).pdf 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目 散策の記録です。 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目.pdf 港南台4・9丁目、日野南...
  • メニュー
    ...原 野 庭(のば) 港南台・日野南 上永谷 下永谷・芹が谷 丸山台・日限山 *古 写 真 港南区内で明治時代に開校をした日野、永野、日下、桜岡4小学校に保管をされておりました「古写真」を港南歴史協議会でデジタル化を致しました。 それ等の写真の中から、街の景観を表している代表的な写真を下記に掲載いたします。 日野小学校 永野小学校 日下小学校 桜岡小学校 *港南の昔ばなし 「ふるさと港南の昔はなし」は平成6年に港南区制25周年記念誌として、港南の歴史研究会が編修・発行致しました。 既に、絶版になっております。タイトルをクリックしてご覧願います。 [こうなん道ばたの風土記] こうなん道ばたの風土記 「こうなんの道ばた風土記」は昭和61年に港南の歴史研究会で編修・出版を致しました。 平成11年港南区制30周年の...
  • 港南台、日野南地区 散策の記録
    港南台住宅地開発時に 遺構のほとんどが開発とともに消滅してしまいました。 遺跡跡の分布は下記添付ファイルの通りで、次のような遺跡群がありました。 上瀬遺跡(港南台8 丁目辺り)、 榎戸遺跡(港南台6 丁目辺り)、 小坪遺跡、中谷(なかやと)遺跡(現在のちどり・かもめ団地辺り)、 松ヶ崎遺跡、 安養院やぐら、 大神やぐら 発掘された遺物の一部が磯子区の三殿台考古館に保存展示されています。 港南台地区の遺跡地と遺物.pdf    ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 第19回 港南台の今昔・港南台5~8丁目 散策の記録です。 第19回 (港南台の今昔・港南台5~8丁目).pdf 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目 散策の記録です。 第65回港南台の今昔・港南台1~3丁目.pdf 港南台4・9丁目、日野南...
  • 八日僧 (港南台・野庭) 
    八日僧 (港南台・野庭) bgsound  むかしむかし,港南台が,まだ「宮ケ谷村」とよばれていたころのお話です。  下馬根というところに,山王社の祠がありました。  山王さんは,この村では熱病の神さまとして,おそれられていました。  その熱病というのは,いまでいう天然痘のことで,むかしはそうした病気でたくさんの子どもが死んだのです。大人たちは,その神様に子どもが近づいたり,いたずらしないように,妖怪の話を作って,おどしていたのです。  その妖怪は,小さくて,とても弱い妖怪なのですが,昔から暮の十二月八日の夜明け前に,どこからともなく村に来て,一軒一軒の家をのぞきこみ, 「悪い子どもは,いないかな」  と言いながら,子どものいる家をさがして歩き,いろいろなわざわいを,もたらすとされていました。  村の人たちは,その妖怪をそれはそれはおそれていました。妖怪が来た家...
  • 港南の昔ばなし
    『ふるさと港南の昔ばなし50話』は、港南区制25周年 記念誌として,平成6年10月20日「港南の歴史研究会」が編集発行したものです。 このコーナーでは、『ふるさと港南の昔ばなし50話』に収録されたお話を音声付でお届けいたします。   朗読:市丸由紀子  篠笛:松尾慧  製作:高橋ツタ 馬を洗った尼将軍  (上永谷) 首塚の亡霊  (下永谷) 鎮魂の句碑  (笹下) 野庭の赤ナス  (野庭) 野庭の「関城」と周辺 (上大岡・野庭) 経塚山の太子堂と東福寺 (笹下) 米倉丹後守の通った道(上大岡) 笑うゴロスケの話 (日野) 狐の話  (下永谷・日野・笹下) 火の上を歩く人たち  日野  源為朝の隠れ里(上大岡・日野)  浄念寺の咳止め玄入坊  (野庭) 永谷天神と菅秀才 (上永谷) 永谷に住んだ宅間の殿様(上永谷) 歌をうたうミケネコ (笹下) 榎戸の水”...
  • いわれのある橋と日野八景(日野・港南台)
    いわれのある橋と日野八景 (日野・港南台) bgsound むかしは、小坪から流れてくる日野川と、榎戸から流れてくる小川があって、その合流するあたりに「下馬橋」という橋がありました。  そしてこの道を通る人は、この橋のあたりで馬からおりなければなりませんでした。  それは,そのふきんに身分の高い人の屋敷があったためです。日野小学校の近くには,「御所ケ谷」という地名が残っていて,いまでもそこには「御所ケ谷橋」があります。  そういえば,下馬橋のすこし下流には,「殿田橋」がかかっていました。港南台一丁目のあたりには,殿田という地名もありますが,きつと殿様の田んぼだったのでしょう。  また,バス停「金井」のある日野南の高台は,殿山ともいいます。だれかえらい殿様のための見張り台だったのかもしれませんね。  春日神社の前の低地は,むかし,日野川の水がたまっていて,湖のよ...
  • 港南の歴史と文化
    『港南の歴史と文化』  著者 伊藤武 発行 港南歴史協議会 仕様・体裁 : A4判、総ページ数 372ページ、表紙 アートポスト紙 ○ 本 文 (1~7章 史跡・石仏 ) : 314頁(スミ印刷) 上質紙、 ○ 口絵、章扉、地図、港南景勝50選:58ページ(カラー印刷)コート紙 定価 3,500円(税込み)  予約申込み 港南歴史協議会 茅野眞一 Tel Fax 045-841-6773 1 港南景勝50選(私選)    区制40周年記念運動として「街自慢」を提唱     港南区内の景勝地をカラー写真で紹介 2 歴史民俗探訪 15話   区内に伝承されている歴史的古事及び民間に     伝えられている風習・風俗  3 史跡・石仏 区内に散在する史跡や石仏(石塔)を個々に 現物写真を掲載して紹介 1章 概要 ...
  • 歴史に学ぶ港南台の会
    「歴史に学ぶ港南台の会」は平成15年(2003)の夏の終わりに「産声」をあげた会です。 もう一度、歴史を学び、暮らしや文化の歩みをたどり、社会の進歩と平和、そして自分の生き方を考え、語り合いたい、そんな動機からでした。 ★学びあう ★歴史を訪ね 毎月、第3土曜日の午後、港南台地区センタ-の和室に集まります。 お茶代300円程度で、やっています。興味、関心ある方は、ご一緒に参加しませんか? ◇ 港南台地区センタ-祭りに参加し、展示を致しました。 日 時:平成23年2月26・27日(土・日) 会 場:港南台地区センタ- 榎戸古墳出土の土器の展示、の他、松ヶ崎古墳の写真展示等を行いました。 「歴史に学ぶ港南台の会」では平成21・22年度と2年間に渡って、横浜市地域文化財登録に旧港南台高校の敷地内にある「松ケ崎古墳」を推薦いたしました。しかし、...
  • 港南の歴史 参考文献
    港南の歴史に関する参考文献をご参考までに下記に列記いたします。 港南の歴史:港南の歴史発刊実行委員会/1979.10.1. 永野郷土誌:永野郷土誌編纂委員会/1972.11.25. 神奈川県皇国地誌「相模国鎌倉郡村誌」:神奈川県図書館協会:1991 港南の歴史と文化:伊藤 武著、港南歴史協議会/2008.8.1. ふるさと港南の石仏たち:港南の歴史研究会/1991.2.1. ふるさと港南の昔ばなし:港南の歴史研究会/1994.10.20. こうなん道ばたの風土記:港南の歴史研究会/1986.2.1. おかあさんが伝えるふるさと下野庭:しものば郷土誌編纂委員会/1988.2.1. 野庭の今昔:常盤台万蔵著/1977.8. 港南台の誕生:福島清一著/1988.6.30. 港南台:港南台遺跡群調査団/1976 上大岡B地区再開発の歴史:上大岡B地区市街地再開発組合/2004.8.1. 武州...
  • 日野・吉原
    日野・吉原地域 春日神社 春日神社 春日神社 野庭との境にある日野九丁目の「真南台」と呼ばれている高台に、織部屋敷があったとの事です。 織部屋敷 日野、日野中央地域の歴史散策の記録です。 日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校周辺散策の記録 第21回 (日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校).pdf       ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目周辺散策の記録 第67回(旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目).pdf こうなん 道ばたの風土記より 春日神社 日野公園墓地 徳恩寺と長屋門式山門 日野のしいの木 光明寺の聖観音 清水橋周辺の遺跡と浄岸寺跡 こうなんの昔ばなし より 笑うゴロスケの話 (日野) 狐の話  (下永谷・日...
  • 榎戸の水”問答”  (港南台)
    榎戸の水”問答”(港南台) bgsound 日野や港南台が、武蔵国とよばれていたころのお話です。 武蔵と相模の国境線は、国や村の境であると同時に、水を分ける大切な境でもありました。このころのくらしの大部分は、農業によって支えられていました。そして、その農業とは「お米を作ること」でしたから、人々にとって水は、いのちを守ることと同じくらい大切なものでした。 武蔵と相模の境にある円海山は、武蔵にとっても、相模にとっても、大切な山でした。それほど高くない山なのですが、海に近いために、雨がよくふり、しかも、その雨をためる水ガメのような役目を持っていて、多くの川の水源地になっています。 むかしは、どこの海に流れ込むかということでその水はどこの水かということをきめていました。ですから、今は港南区になっていますが、野庭や永谷の村はもともと、相模国の村だったのです。なぜ...
  • トップページ
    ...地域, 笹下地域、 港南台・日野南地域、 日野・日野中央地域、を掲載しています。 ☆「金沢道」について、下記の「ハマちゃん」のペ-ジに掲載されました 鉄道黎明期に於ける街道筋栄枯盛衰の話! ☆永谷天満宮 丑年例大祭 平成21年9月22日-永谷天満宮 永谷天満宮大祭のチラシ .pdf 菅原道真公自刻の御神体が永谷天満宮へ 天神祭の当日の模様は、下記の亀野さんのブログをご覧下さい。 [[永谷天満宮天神祭 ☆開港150周年記念講座「横浜港の七不思議」 を開催しました。 テ-マ:「横浜港の七不思議」 日 時:平成21年8月29日(土)10時~12時 会 場:港南図書館 2階会議室 講 師:田中祥夫 氏 横浜港の七不思議講演会ttp //teishoin.net/blog/003602.html]] ☆横浜市地域文化財登録候補の推薦 港南...
  • 丸山台・日限山
    丸山台・日限山地域 丸山台・日限山地域の歴史については永野郷土誌にも詳しく掲載されています。 永野郷土誌 丸山台については丸山台自治会のHPに詳しく記載されています。 丸山台のふるさと 丸山台の宅地造成から現在に至る過程については下記の亀野さんのブログをご参照願います。 まちをつくる、まちができる 日限地蔵尊については下記のHPにも、詳しく記載されています。 「横浜の高野山」と呼ばれた日限地蔵尊 日限地蔵尊 日限地蔵尊 こうなん 道ばたの風土記より 日限地蔵尊と笹山城跡 こうなんの昔ばなし より 「丸山台」をタグに含むページは1つもありません。 日限地蔵  (下永谷) <タグに 丸山台 または 日限山 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • 日野、日野中央地区
    日野、日野中央地域の歴史散策の記録です。 日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校周辺散策の記録 第21回 (日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校).pdf       ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目周辺散策の記録 第67回(旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目).pdf
  • メニュー2
    *港南歴史協議会の活動報告 1.歴史講座 ☆ 児童向け港南の郷土史 港南の古写真スライドショ-「港南の昔にタイムスリップ~おじいさんが語る昭和~」を開催しました ○ 日 時:平成23年8月21日(日)午前10時~11時30分 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 語り部:港南歴史協議会のさん、 詳しくは下記の8月22日(月)神奈川新聞をご覧ください 写真で知る郷土 9月8日(木)タウンニュ-ス(港南区版)にも掲載されました 過去にタイムスリップ ☆「芹が谷の歴史」講座を開催しました。 ○ 日 時:平成23年6月25日(土)午後2時~4時 ○ 会 場:港南図書館 会議室 ○ 講 師:大平力蔵 平戸・永谷川水愛護会会長 ○ 語り部:平井忠八さん、森 喜八さん、山本邦法さん、 ☆「港南の近世を語る」歴史講座を開催しま...
  • 港南百景デジタルア-カイブ会
    「港南百景デジタルア-カイブ会」は平成19年(2007)にITを活用して、港南区内の歴史・文化財の保存に関わる活動を目的に発足しました。 主な活動は、○現在の景観、過去の景観等の写真展の開催。         ○文化財、史料(古写真)等をデジタル化し、保存する。         ○これ等資料を活用して、歴史講座の開設。      等です。 平成22年度、区民企画講座「こうなんの歴史講座」の運営を支援しています。 平成22年度、第5回「こうなんの歴史講座」 テ-マ:貞昌院に伝わる「天神おみくじの」 日 時:12月18日(土)10時~12時 場 所:貞昌院 客殿 講 師:亀野哲也 貞昌院副住職 さん 詳しくは、下記の 貞昌院亀野さんのHPをご覧下さい。 区民企画講座2010@貞昌院 天神おみくじ ◇ 平成22年度、第4回「こうなん...
  • 野庭
    野 庭 野庭の歴史は下記の本にも詳しく記載されております。 永野郷土誌 おかあさんが伝えるふるさと下野庭:しものば郷土誌編纂委員会/1988.2.1. 野庭の今昔:常盤台万蔵/1977.8. こうなんの昔ばなし より 野庭の赤ナス  (野庭) 野庭の「関城」と周辺 (上大岡・野庭) 浄念寺の咳止め玄入坊  (野庭) 永野小学校0000-1(明治10年野庭学校のスケッチ) 塚の古址 (野庭) 和田義盛の関所跡(最戸) 十里木と政所  (野庭) 八日僧 (港南台・野庭)  でいだらぼっち  (野庭) <タグに 野庭 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • 港南区発足後
    港南区発足後の港南区エリア 昭和44年に、当時の「南区」より分区をして、現在の「港南区」が誕生いたしました。 丁度その頃の港南区は、昔の里山を削る大規模宅地造成開発の真っ最中で、その後「港南台住宅地」「野庭団地住宅地」が誕生し、JR根岸線や横浜市営地下鉄も開通し、人口も急速に増加して、街の景観や人々の街の生活はすっかり様相を変えしました。 港南区発足後の記録として下記の「広報こうなん」をご覧下さい。 広報こうなん区版 貞昌院 港南区の歴史 永野小学校0100(昭和60年頃の環状2号線) 永野小学校0090(昭和51年、永野小学校の全景・航空写真) 桜岡小学校0142(上大岡商店街の歴史3) 桜岡小学校0141(上大岡商店街の歴史2) 桜岡小学校0140(上大岡商店街の歴史1) 桜岡小学校0122(上大岡駅前通りの歴史3) 桜岡小学校0121(上大岡駅前通りの歴...
  • 日野、日野中央地区 散策の記録
    第21回 (日野中央公園・春日神社・徳恩寺~南稜高校).pdf       ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 第67回(旧宮ヶ谷村・宮下村-現港南台1・2、日野中央2・3丁目).pdf
  • 天狗が守ってくれる大山道(港南台)
    天狗が守ってくれる大山道 (港南台) bgsound  むかし,人々は雨降山といわれる,相模の大山へお参りに行きました。  武蔵国の人たちも,小坪道や日野川の道を通り,東海道の戸塚の宿の不動坂から大山道に入って,雨降山へ雨乞いに行きました。  そして,帰り道は一言でも話をすると,途中で雨が降ってしまって,雨乞いのお参りの効果がなくなると言われていました。  ある時,武蔵国の一行は 「作物がよく育つよう雨を降らせて下さい」  と,雨降山へお願いした帰り道のことです。日も暮れて,あたりは真暗になっていました。  そのうち,峠のばあさんがいつもともしている常夜燈の明かりが見えてきました。 「ああ,よかった。道に迷わず,ここまで帰ってこれた」  と,お互いに口には出せないので,みんなうなづき合いました。  気がゆるんでお腹も空いていた一人は 〈この辺にまんじゆう屋...
  • 野 庭(のば)
    野 庭(のば)地域 野庭の歴史について、浄念寺の橋下賢明住職さんが、纏められた概論です。 野庭の歴史① YD001901.pdf 野庭の歴史② YD001902.pdf 武蔵・相模の国境に近い野庭には関城がありました。 (現在の野庭中央公園の辺りです。) 野庭関城 野庭を紹介した文献です 野庭の歴史は下記の本にも詳しく記載されております。 永野郷土誌 おかあさんが伝えるふるさと下野庭:しものば郷土誌編纂委員会/1988.2.1. 野庭の今昔:常盤台万蔵/1977.8. 野庭地域の歴史散策の会の記録です。 第28回(上野庭めぐり).pdf 野庭を伝えるHPです 下野庭を伝えるもの こうなん 道ばたの風土記より 野庭の関城跡 長屋門のある下野庭の里 迎陽トンネル 咳止め玄入坊 荒畑寒村里親の家 こうなんの...
  • 源為朝の隠れ里(上大岡・日野) 
    源為朝の隠れ里 (上大岡・日野) bgsound  上大岡のにぎやかな街を見おろすことのできる東の丘に、雑木林があって、その一帯を「八郎ケ谷」とよびます。  為朝は、源為義の八番目の子で、鎮西八郎とよばれていましたが、保元の乱で父ととも崇徳上皇に味方して戦い、やぶれたために落人となり、ここに隠れ住んだといわれています。  この丘の切り立った崖の上に「為朝の祠」があり、今でも四月二十五日に近隣の人々が供養しています。  また、この丘のふもとには、為朝の妻の墓といわれている笠石がまつられています。  そして、明治二年にはこの丘の崖がくずれて、その横穴から古い鏡の入った壷が見つかった時には、ここが為朝の隠れ穴ではなかったかと、大さわぎになったといわれています。  為朝は日ごろ、金のお地蔵様を信仰していたといわれていて、八郎ケ谷にある富士見坂近くの子育地蔵は、為朝とつながり...
  • 笹下・日下
    日下・打越・笹下地域 日下・笹下地域の「楽遊クラブ」の方々が作られた「日下・笹下地域の歴史年表」です。 日下・笹下の歴史年表.pdf 久良岐郡と関村について楽遊クラブの方々が作られた説明です。 久良岐郡と関村.pdf 楽遊クラブの方々が作られた「雑色・杉本遺跡」の説明です。 雑色杉本遺跡.pdf 楽遊クラブの方々が作られた「打越周辺」の紹介です。 打越周辺 .pdf 楽遊クラブの方々が作られた「関 周辺」の紹介です。 関周辺 .pdf 楽遊クラブが作られた「笹下城」の歴史説明です。 笹下城.pdf 成就院(楽遊クラブ)の説明です。 成就院p.pdf 東樹院(楽遊クラブ)の説明です。 東樹院.pdf 東福寺(楽遊クラブ)の説明です。 東福寺.pdf ...
  • 中世
    中世の港南区 鎌倉に近い港南区には中世の歴史の痕跡が沢山残されています。 港南区の中世の歴史について、遠藤吉隆さんのまとめを下記に掲載いたします。 港南区の歴史中世.pdf 馬を洗った尼将軍  (上永谷) 首塚の亡霊  (下永谷) 野庭の「関城」と周辺 (上大岡・野庭) 貞昌院 経塚山の太子堂と東福寺 (笹下) 港南区の生い立ち 浄念寺の咳止め玄入坊  (野庭) 永野郷土誌 永谷天神と菅秀才 (上永谷) 永谷に住んだ宅間の殿様(上永谷) 武蔵・相模の国の古道 東樹院の文福茶釜  (笹下) 春日神社のおこり  (日野) 日野にあった「風魔の里」(日野)  新田義貞の刀剣塚(日野・下永谷)  幕府隠密の村、松本   (港南) 塚の古址 (野庭) 和田義盛の関所跡(最戸) 十里木と政所  (野庭) 区内武相国境の詳細位置 北条実時とうなぎの井戸  (笹下) 勘九郎...
  • 狐の話  (下永谷・日野・笹下)
    狐の話(下永谷・日野・笹下) bgsound 山深かったこのあたりには、狐にまつわる話がたくさんありますが、なぜか、狐の化けた恐ろしい姿を見た、という者はいないのです。 むかし、下永谷は寂しい村で、時には狐火が見えることもあったそうです。 ある晩、一人のお百姓さんが神明社からの帰り、真っ暗な村の道を歩いていました。ふと見ると、杉の木のてっぺんの、さらにもっと上の方で、ぼうっと青い火が燃えているのです。 しばらくして、火の玉が音もなくスーッと流れたのです。するとこんどは、近くのやぶの中で、カサッカサッと何物かがつけてくる音がします。お百姓さんが夢中で家に走り込んだ時、田んぼの方でドポーンと大きな音がしました。翌日、山に登ると、狐の巣らしい横穴がいくつも見つかったそうです。 日野にも、こんな話があります。 ある時、村のたき木取りの男が、日暮れの帰り道を急いでい...
  • こうなんの歴史講座
    こうなん歴史講座の今後の予定 ○1月17日(土)10時30分~12時30分         ・テ-マ:上大岡・大久保の歴史         ・講 師:山野井正郎さん         ・会 場:港南台タウンカフェ ○2月21日(土)10時30分~12時30分         ・テ-マ:笹下・金沢道の歴史         ・講 師:馬場久雄さん         ・会 場:港南台タウンカフェ ○3月17日(土)10時30分~12時30分         ・テ-マ:下永谷・芹ケ谷の歴史         ・講 師:森 喜八さん         ・会 場:港南台タウンカフェ
  • 上大岡東・西、大久保、最戸地区
    上大岡・大久保地域の「街歩き・歴史散策」の際は下記のペ-ジは参考になると思います。このペ-ジは「港南歴史散策の会」の過去の記録(PDF)です。 「こうなん昔ばなし」も併せてご覧になる事をお勧めいたします。 第1&29回散策-大久保、最戸-商住地区- 第1&29回港南区の歴史散歩.pdf 第6&30回散策-上大岡・日野川左岸の道- 第6&30回散策(上大岡・日野川左岸の道).pdf 第31回散策-上大岡東・久良岐の丘- 第31回散策-上大岡東・久良岐の丘-.pdf 第34回散策-上大岡・西福寺~久良岐公園- 第34回散策(上大岡・西福寺~久良岐公園).pdf 第35回散策-上大岡鹿島神社~笹下武者ヶ谷- 第35回散策-上大岡鹿島神社~笹下武者ヶ谷-.pdf
  • 石灯篭
    ・石灯篭 所在地:港南台四ツ切墓地 大山詣での帰途、夜道を迷わないよう灯明として大山講が建てたもの。 石灯籠の竿の部分には、雨を司る大山阿夫利神社の祭神「石尊大権現 大天狗 小天狗」と刻まれ、村人に尊崇されました。 港南台開発時に当地へ移設されましたが、石灯籠の表面には建設重機に  よる多数の引掻き傷が残されており、開発の凄まじさを物語っています。 元治元(1864)年造立
  • 政治の中心地「関」と港南の桜(港南)
    政治の中心地「関」と港南の桜(港南)  江戸幕府の治めていたころ,いまの港南区内は野庭や永谷・芹が谷の地域は相模国,上大岡や笹下・大久保・日野の地域は武蔵国になっていたのじゃよ。 「ヒヤー そうだったの,わたし,神奈川県はみんな相模国かと思っていたわ」  江戸幕府のあのチョンマゲの武士の政治はアメリカからやって来た「黒船」と,幕府の政治を天皇の政治にもどそうと考える人たちの勢力によって,倒されてしまったのじゃよ。この時の黒船のことを表現した歌に, 「太平の眠りをさます上喜撰(蒸気船)  たった四はい(隻)で夜も寝られず」 なんて歌われているが,上喜撰とは上等のお茶の一種じゃが,歌の意味を考えて見て下され,なるほどと思うじゃろ。  こうして,新しく明治政府ができ,「廃藩置県」というてな,武蔵国や相模国をやめて,横浜あたりを「神奈川県」,港南区は野庭・永谷方面を除いて「久良岐郡...
  • 参加団体
    港南歴史協議会 参加団体 港南の歴史研究会 港南歴史散策の会 港南の歴史を学ぶ会 港南郷土史散策の会 さつき台探勝会 歴史に学ぶ港南台の会 港南区歴史を歩く会 港南区民協議会永野土曜塾 港南百景デジタルア-カイブ会 貞昌院 地図編集工房 日下小学校資料館 楽遊クラブ
  • 下永谷・芹が谷
    下永谷・芹が谷地域 下永谷・芹が谷地域の歴史については永野郷土誌にも詳しく掲載されています。 永野郷土誌 下永谷・芹が谷地区について、歴史散策の会の記録です。 第17回歴史散策リポート 「第17回 港南区の歴史散歩改B5版.pdf 第72回歴史散策リポート 第72回歴散リポート.pdf 芹が谷については、下記のペ-ジをご覧願います。 芹が谷 こうなん 道ばたの風土記より 殿屋敷の遺跡 下永谷市民の森 神明社と般若寺 芹が谷の武相国境道標 北条氏直館跡と物見塚 こうなんの昔ばなし より 首塚の亡霊  (下永谷) 狐の話  (下永谷・日野・笹下) 永野小学校0000-2(永谷学校のスケッチ) 村に電気がきた日  下永谷 日限地蔵  (下永谷) 新田義貞の刀剣塚(日野・下永谷)  乳出の井戸  (下永谷) 上永谷、丸...
  • 古代
    古代の港南区エリア 港南区の古代の歴史について、遠藤吉隆さんのまとめを下記に掲載いたします。 港南区の歴史古代.pdf 貞昌院 永野郷土誌 武蔵・相模の国の古道 区内武相国境の詳細位置 雑色杉本遺跡.pdf 縄文・弥生時代の港南台地域の遺跡発掘の記録は、下記のペ-ジをご覧下さい。 緊縮財政に呑まれる埋蔵文化財 *「松ヶ崎古墳」については、下記のペ-ジをご覧下さい。 松ヶ崎横穴古墳群の現状 <タグに 古代 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • 馬頭観音
    ・馬頭観音 所在地:港南台四ツ切墓地 当時、馬は農耕の貴重な動力源として家族同様大事に飼育されました。 馬頭観音は、通常怒髪と憤怒の表情で造像されますが、この像は馬の死  を悲しむかのように慈悲深く優しい顔立ちになっています。 区内では文字塔 が多く、刻像塔は貴重です。嘉永6(1853)年造立
  • 日野にあった「風魔の里」(日野) 
    日野にあった「風魔の里」 (日野) bgsound  時は戦国の世,天下は大いに乱れ,日本の各地は多くの武将によって支配されていました。  とくに,関東地方のあたりは,小田原の北条,甲斐の武田,越後の上杉という有名な武将が現れて戦をくりかえしていました。  その中でも,甲斐の武田には透波,小田原の北条氏には乱破という陰の集団,忍者の軍団がいて,それぞれ敵見方の情報を集めて,激しい戦をしていました。  そのころ,港南区を含む武蔵と相模の国の一帯は,小田原北条氏の支配下にありましたが,その小田原に従った武士たちの配置を記した「小田原衆所領役帳」という記録があります。  そして,その記録の中に,この話の秘密がかくされているのです。  小田原に,戦国大名としてノロシをあげたのは,北条早雲という人で,この人は最初,駿河の今川氏に仕えていましたが,やがて伊豆の韮山の城主として独立...
  • 上大岡・大久保
    上大岡・大久保地域 上大岡駅周辺を楽遊クラブの皆さんが、下記のペ-ジに紹介しています。 上大岡周辺.pdf 上大岡地域記載の文献紹介 上大岡の歴史については下記の文献に詳しく記載されています。 絵図・古文書で探る村と名主(武蔵国久良岐郡上大岡村):横浜市歴史博物館/1998.4.25. 上大岡の市街地開発の歴史については下記の記録に詳しく記載されています。 上大岡B地区再開発の歴史:上大岡B地区市街地再開発組合/2004.8.1. 大久保・林大学の頭からの書 .pdf 上大岡地域について記載のHP紹介 上大岡については、下記のHPにも詳しく掲載されています。 黒船が見えた丘 120年前の横浜・上大岡「ハマちゃんのがらくた箱」 東海道線は当初、大岡川沿いを通る予定だった!「ハマちゃんのがらくた箱」 上大岡って? 身近な所に...
  • 港南区民協議会
    「港南区民協議会」では、地域の人達と一緒に、郷土の歴史文化の伝達を目的として、小学校区の中で活動をしています。 昨年までの第17期では○永野小学校の児童(含保護者)に体験学習の機会の提供。                 (地場産業である「よこはまスカ-フ」捺染作業の体験)                ○児童を始め地域で利用できる郷土の歴史資料の整備。                 (永野小学校保管古写真のデジタル化)                ○地域歴史文化関係・各グル-プとの連携活動。   を行いました。 今年度18期では、○前期に引き続き、永野小学校「土曜塾」を行います。             ○今迄に蓄積した古写真を活用して、スライドショを各地域で行います。 港南区民協議会 第2回目の日野小学校古写真のスライドショ-を行いました。 ...
  • 上大岡
    上大岡・大久保 上大岡の歴史については下記の文献に詳しく記載されています。 絵図・古文書で探る村と名主(武蔵国久良岐郡上大岡村):横浜市歴史博物館/1998.4.25. 上大岡の市街地開発の歴史については下記の記録に詳しく記載されています。 上大岡B地区再開発の歴史:上大岡B地区市街地再開発組合/2004.8.1. 上大岡については、下記のHPにも詳しく掲載されています。 120年前の横浜・上大岡「ハマちゃんのがらくた箱」 東海道線は当初、大岡川沿いを通る予定だった!「ハマちゃんのがらくた箱」 上大岡の西側・大久保地域の「街歩き・歴史散策」の際は下記のペ-ジは参考になると思います。このペ-ジは「港南歴史散策の会」の過去の記録(PDF)です。 「こうなん昔ばなし」も併せてご覧になる事をお勧めいたします。 第1&29回港南区の歴史散歩.pdf 第6&30...
  • 上永谷
    上永谷地域 永野地域に関する歴史は永野郷土誌に詳しく記載されております。 永野郷土誌 歴史書に見る永野 空から見た上永谷の歴史 永谷天満宮 永谷天満宮 菅原道真公自刻の御神体が永谷天満宮へ 笹山城 武相国境越えの変遷 永野村鎌倉郡から横浜市へ 鎌倉郡から横浜市へ 上永谷に残る屋号 永谷に伝わる高札の 永谷川の氾濫 永野十景いまむかし 「かまくら下の道」については、下記のHPに詳しく記載されておりますので、ご覧下さい。 鎌倉古道かまくら下の道 尾根道のかまくら下の道を立体画像で示す 鎌倉古道かまくら下の道 武士たちが駆けぬけた道かまくら下の道 勝海舟と永谷地域との関わりについて、記載されています。 勝海舟の「眠雲」扁額について 平野玉城先生の永谷(永野)小学校への関わりについて、記載されています。 永野の教育を支えた平野玉...
  • 上大岡東・西、大久保、最戸地区 散策の記録
    第1回&29回 大久保・最戸-商住地域 散策の記録です。 第1&29回散策-大久保、最戸-商住地区-.pdf   ↑これをクリックするとPDFリポートを見る事が出来ます。 第6回&30回 上大岡・日野川左岸の道 散策の記録です。 第6&30回散策(上大岡・日野川左岸の道).pdf 第31回 上大岡東・久良岐の丘 散策の記録です。 第31回散策-上大岡東・久良岐の丘-.pdf 第34回散策 上大岡・西福寺~久良岐公園 散策の記録です。 第34回散策(上大岡・西福寺~久良岐公園).pdf 第35回散策 上大岡鹿島神社~笹下武者ヶ谷 散策の記録です。 第35回散策-上大岡鹿島神社~笹下武者ヶ谷-.pdf
  • 室の木と富士塚   港南   
    室の木と富士塚 (港南) みなさんは、葦という植物を知っていますか。水辺に生える多年草で、茎はすだれなどの材料になり、別名をよしともいいます。  そのむかし、日野川はよく氾濫し、河原はよしでおおわれていました。これが、鎌倉街道にある「吉原」という地名の由来です。  区役所から、南高校の方に坂をのぼって行くと、相武山小学校につきあたります。その辺りは武蔵国と相模国の境で、「室の木」が植えられていました。  「室の木」は、ねずともいわれ、高い木で冬でも緑の葉をつけているため、目印になったようです。今は、その木はありませんが、地名として、坂やバス停、また、公園や幼椎園の名前に使われています。  吉原村の北のはずれの一番高いところ、すなわち、室の木の近くには、富士塚がありました。富士塚には、富士浅間宮と彫られた、石の供養塔が置かれていました。上部には、仏さまが、下部には、二匹の猿が、向...
  • たたらの火とヤマトタケル   日野   
    たたらの火とヤマトタケル (日野) 皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。  横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。  そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。  その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。  むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。  この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。  ちょうどいまの港...
  • たたらの火とヤマトタケル (日野)
    たたらの火とヤマトタケル (日野) bgsound  皆さんは、武相国境の話を聞いたことがありますか。武蔵の国と相模の国の境が、この港南区のまんなかを通っていたのですって。横浜全区の中でも、国境が区の中にあったのは、港南区だけとのこと、びっくりしますね。  そして、この国境の道は、「たたら師」(鉄を作る人)の通った道でもあるといわれています。この道すじには、金の字のつく地名、鍛冶屋という屋号をもつ家、先祖が金物師だという家がとても多いのです。その理由を、むかしむかしにタイムスリップして考えてみましょう。  むかし、西の方の大和という国にいた王族が、東の国を征服しようとくわだてて、その中の一人ヤマトタケルが、大ぜいの兵士をひきつれて、東へ東へとむかってきました。  この軍が通る道すじを治めるために、兵士以外にも、武器をつくる人や、食べ物を用意する人をつれてきました。 ...
  • 塚の古址 (野庭)
    塚の古址(野庭) bgsound 戦国時代,野庭は,小田原の北条氏によって支配されていました。 小田原北条氏は,大船の玉縄にも城を築き越後の上杉や,甲斐の武田とも戦いましたが決して,城が落ちることはありませんでした。 しかし,天正十八年(1590),豊臣秀吉のあの石垣山の一夜城でも有名な小田原城攻めで,百日余りの抵抗も空しく落城し,北条氏政はついに降伏し,切腹して果てました。 その小田原城落城の時に,「小田原評定」といって対応について意見がいろいろ出ました。 この時,豊臣秀吉の軍に降伏することを潔しとせず,一人混乱から抜け出して,再起を図ろうとする武士がおりました。名前を吉本氏と言います。 その吉本氏は,「落ち武者狩り」の目を逃れて東に向かい,ようやく命からがら,鎌倉道の通る相模の国の一番はずれの,野庭の里に身を隠すことができました。 山また山に囲まれた,一寒...
  • 戦後
    戦後の港南区エリア 昭和30年頃までの港南区(当時は「南区」)地域は、戦後復興に向けた横浜中心都市の周辺地域に過ぎませんでしたが、昭和30年頃の上大岡駅前を通る鎌倉街道の開通、拡幅舗装化によって、先ず上大岡周辺が京急開発不動産によって、東西とも緑豊かな里山が削られて、住宅地が誕生いたしました。 貞昌院 港南区の歴史 永野小学校0080(昭和44年、永野小学校下の県道を横断する子供達) 永野小学校0070(昭和41年、水田付近の県道を横断する子供達) 永野小学校0051(昭和38年頃2階建て鉄筋校舎増築) 永野小学校0050(昭和36年頃2階建て木造校舎増築) 永野小学校0044(昭和36年頃の県道の景観) 永野小学校0043(昭和30年頃マラソンを駆ける子供達) 永野小学校0042(昭和30年頃の永野小学校全景・航空写真) 永野小学校0041(昭和30年頃の運動会、未就学児...
  • 室の木と富士塚 (港南)
    室の木と富士塚 (港南)」 bgsound  みなさんは、葦という植物を知っていますか。水辺に生える多年草で、茎はすだれなどの材料になり、別名をよしともいいます。そのむかし、日野川はよく氾濫し、河原はよしでおおわれていました。これが、鎌倉街道にある「吉原」という地名の由来です。  区役所から、南高校の方に坂をのぼって行くと、相武山小学校につきあたります。その辺りは武蔵国と相模国の境で、「室の木」が植えられていました。  「室の木」は、ねずともいわれ、高い木で冬でも緑の葉をつけているため、目印になったようです。今は、その木はありませんが、地名として、坂やバス停、また、公園や幼椎園の名前に使われています。  吉原村の北のはずれの一番高いところ、すなわち、室の木の近くには、富士塚がありました。富士塚には、富士浅間宮と彫られた、石の供養塔が置かれていました。上部には...
  • 港南区の歴史
    港南区の歴史については、港南区の下記のHPに詳しく記載されております。 港南区役所 港南区の歴史年表 港南区って、どんなところ? 港南区には、横浜開港以前の鎌倉に通じる中世の歴史の痕跡が沢山あります。 その間の経緯について「ふるさと港南の石仏たち」の中の「港南区の生い立ち」に書かれていますので、下記のpdfファイルをご覧願います。 ふるさと港南の石仏たち 港南区の生い立ち.pdf
  • 港南中学校
    横浜市立港南中学校に保存されている古写真を中心として展示しています。 「港南中学校」をタグに含むページは1つもありません。 <タグに 港南中学校 >を入力したページを新規に作成すると、ここに自動的にリストアップされます。
  • さわげ婆  (日野)
    さわげ婆(日野) bgsound 鎌倉街道沿いにある春日神社や徳恩寺のある日野中央あたりは、昔、宮下村といわれていました。神社の前の道は「峰の道」と呼ばれ、笹下の方からの道と交差するところに観音堂がひっそりと立っていたのでした。 そこから峰の阿弥陀寺へと続く道を「灸点道」といいます。この観音堂の堂守りが江戸時代に強盗に殺されたという悲しい出来事がありました。観音堂に悪さをすると“たたり”があるといわれていましたので、大人も子どもも、あまり近寄りませんでした。 このあたりは、住む人も少なく、湿地や小さな沼があり、人の背たけほどの葦などがうっそうと繁っていたのでした。そのうえ、「さわげ婆」という亡霊が時おり現れては、村人をあの世へ連れていってしまうというのでした。さわげ婆を見た者は必ず死ぬといわれ、宮下村のじいさまが三日三晩うなされて亡くなったのは、さわげ婆を見た...
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