柴田宵曲『俳諧博物誌』「コスモス」

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  • 柴田宵曲『俳諧博物誌』「コスモス」
         コスモス  コスモスという花は|何時頃《いつころ》日本に渡って来たものか知らぬが、一般に普及するに至ったのはそう古いことではあるまい。われわれの漠然たる記憶によれば、日露戦争前後ではないかという気がする。『新俳句』や『春夏秋冬』には勿論ない。手許にある明治の歳時記を調べて見ると、明治三十七年刊の『俳句新歳時記』には出ておらぬが、四十二年刊の『新修歳時記』に載っている。|但《ただし》「コスモス、ヒブクリスの略語。菊科の一年草本にして、春下種し、二、三寸に生長したる時移植すれば、秋の季高五、六尺に達し多く枝を分ちて紅白赤黄|絞《しほり》等の単弁の美花を開く。葉は細く数岐をなして柔く節ごとに対生す。葉花共に甚だ優美なり」とあるのみで、例句も挙げず、何時頃から普及したかというような点に少しも触れておらぬのは遺憾である。  |三宅花圃《みやけかほ》女史が明治四十年の『日本及日本人』に連載し...
  • 柴田宵曲『俳諧博物誌』はしがき
     はじめてジュウル・ルナアルの『博物誌』を読んだ時、これは俳諧の|畠《はたけ》にありそうなものだと思った。『博物誌』からヒントを得たらしい芥川龍之介氏の「動物園」の中に、      |雀《すずめ》   これは南画だ。|蕭蕭《しようしよう》と|靡《なび》いた竹の上に、消えそうなお前が|揚《あが》っている。黒ずんだ字を読んだら、|大明方外之人《たいみんほうがいのひと》としてあった。 とあるのを読んだ後、『|淡路嶋《あわじしま》』に    |枯蘆《かれあし》の墨絵に似たる雀かな  |荊花《けいか》 という句を発見して、その偶合に興味を持ったことがある。古今の俳句の中から、こういう俳人の観察を集めて見たら、日本流の博物誌が出来上るであろうが、今のところそんな事をやっている暇がない。墨絵の雀を|手控《てびかえ》に書留めてから、|已《すで》に何年か経過してしまった。  |尤《もつと》も俳諧におけるこの...
  • 柴田宵曲『俳諧博物誌』「河童」
     ここで河童を登場させたら、河童という動物が果してあるのか、という質問が出るかも知れない。その点は|甚《はなは》だ|不慥《ふたしか》である。しかし河童という動物は、過去において存在を認められていた。現在においても|小川芋銭《おがわうせん》氏の画幅や、芥川龍之介氏の小説の中にちゃんと控えている。『俳諧博物誌』は動物学者の参考資料ではないのだから、何が飛出したところで、そう驚く必要もあるまい。  |尤《もっと》もわれわれの河童に関する知識は、『|山嶋民譚集《きんとうみんたんしゆう》』の範囲を一歩も出ぬものである。その点は「河郎之舎」の印を蔵し、好んで河童を自家の文学に取入れようとした芥川氏が「河童の考証は柳田国男氏の『山嶋民譚集』に尽している」といった通り、|何人《なんぴと》もあの研究の上に何物かを加えることは困難であろう。『|甲寅叢書《こういんそうしよ》』が次第に市に乏しく、たまに|逢著《ほ...
  • 柴田宵曲『蕉門の人々』「惟然」
     多士済々《たしせいせい》たる蕉門の俳人のうち、世間に知られたという点からいえば、広瀬惟然《ひろせいぜん》の如きもその一人であろう。惟然の作品は元禄俳壇における一の異彩であるに相違ない。けれども彼はその作品によって知られるよりも、先ずその奇行によって知られた。飄々《ひようひよう》として風に御するが如き奇行にかけては、彼は慥《たしか》に蕉門第一の人である。ただその奇行が何人にも奇として映ずる性質のものであるだけに、作品を閑却して奇行だけ伝えるか、あるいは奇行を説くのに都合のいい作品のみを引合に出すような結果になりやすい。子規居士が乞食百句の中で「ある月夜路通惟然に語るらく」と詠《よ》み、鳴雪翁《めいせつおう》が井月《せいげつ》の句集に題して「涼しさや惟然の後に惟然あり」と詠んだのは、いずれも後年の放浪生活を主としたものであるが、彼がそこに到るまでの径路を知るには、もっと前に遡って彼の作品を点...
  • 潁原退蔵「俳諧と俗語」
    潁原退蔵『江戸時代語の研究』第四章  俳諧が俳諧之連歌の略称であることは、その特性が滑稽に在ると解せられて居たことを示してゐる。しかもその滑稽は主として通俗卑近の事物に求められ、随つてそれらの事物を示す言語が、俳諧の用語として多く取上げられねばならなかつた。こゝに俳諧と俗語との密接な関係が生ずる。けれども俳諧の滑稽が常に俗語の使用に依存するのでないかぎり、その関係は密接ではあつても必然ではない。だから『犬筑波集』の中には、     あまり寒さに風を入れけり   賤の女があたりの垣を折焚きて」     罪を思へば行ひもせず   汲むは昼閼伽井の水に魚住みて」     思ふまゝにはいはれざりけり   山人の薪に花を折添へて 等の如き全く俗語を用ひてない作も収められ、かの『新増犬筑波集』に「無俳言、上々の連歌なり」などと評された句はなほ少くないのである。又守武の『独吟千句』にしても、    ...
  • 東条操「日本方言区画図解説」(『日本方言地図』)
     この区画図は,現代の国語がどのような諸方言に分けられるかを示したものである。  国語の方言は,ごく大きく分けると,東日本の方言と西日本の方言とに分けることができる。その境界は,だいたい北の新潟と富山の県界に近い親不知と,南の静岡と愛知との県界に近い浜名湖とを結びつけた線で,この線上には,日本アルプスの山々が東西を隔てるびょうぶのようにそびえている。もちろん,一つの線できっぱり東西の方言を分けることは元来無哩であって,中部地方などは,東西方言の緩衝地帯であるために,東部的なもの,西部的なものが入りまじっている。西日本の中で,九州はかなり違った言語現象をもっているので,これを別に立てると,国語は東部方言・西部方言・九州方言の三大方言に分れるといえよう。なお,琉球語は,国語の方言として,東部・西部・九州をまとめた本土の方言に対立する大方言である。  これらの大方言区域は,区画図に示すように,さ...
  • 東條操『分類方言辞典』「はじめに」
    東條操『分類方言辞典』 「全国方言辞典」の序言の中で、辞典の利用価値を倍加するために、部門別索引と標準語から方言を求める索引とをやがて補いたい希望を述べておいたが、今回漸くその索引を改編した標準語引分類方言辞典と「全国方言辞典」の補遺篇とを合せて公刊する運びになった事は、まことに本懐の至りである。  辞典本来の性質からいうと、方言辞典としては俚言を五十音順に排列した「全国方言辞典」式のものが最も本筋のものであるが、使用者の側からいうと、その用途に従って部門別分類のものも標準語引のものも、時には地方別のものも必要となるわけである。この中で、地方別のものには従来、各地で出版されている方言集の類ー巻末の方言集書目抄参照1をそのまま利用する事ができよう。  本辞典の第一部ともみるべき標準語引分類方言辞典は、第一次分類を意義に基づく部門別とし、次に各部門内を標準語による五十音引としたもの...
  • 東條操『分類方言辞典』「方言集書目抄」
       ▽江戸時代カラ現代(昭和二八末)ニ至ル方言集ノ主ナモノヲ抄出シタ。コレヲ総記ト地方トニ分ケル。部門別方言集ハ総記ニ収メタガ、方言関係書デモ方言集以外ノモノ例エバ方言学、アクセントナドノ書物ハ原則トシテ載セナイ。    ▽書名ノ下ニ著(編)者、発行年次、東京以外ノ発行地、時ニ略解題ヲツケタ。    ▽江戸時代ノ方言集ハ刊本ノ外、稿本、写本ノ類ヲモ収メタ。ナオ随筆、紀行ナドノ主要方言資料モ若干、参考トシテ掲ゲタ。    書名ノ下ニ( )デ囲ンダモノハ、本辞典デ使用シタ略称デアル。    ▽明治、大正時代ノ方言集ハ原則トシテ刊本ニ限ツテ掲ゲ、コレハデキルダケ多ク抄出シタ。 ▽昭和時代ノ方言集ハ刊本ニ限定シ、ぺージ数ヤ内容ヲ考エ主要刊行書ト認メラレルモノヲ選ンデ載セタ。 ▽書名ヲゴジック体ニシタモノハ代表的著作デG、○ノ下ニ掲ゲタモノハ方言集以外ノ参考資料デアル。 ▽活版本以外ノモノハ、左ノ...
  • 東條操『全国方言辞典』「方言概説」
    方言概説 一  地方語の研究は、その目的に従つてこれを方言の研究と俚言の研究との二つに分ける。方言の研究とは、一地方言語社会の言語体系の記述と説明とをその目的とする。たとえば九州方言を音韻・語法・語彙に亘つてその組織・構造を記述し、この方言の成立を立証し、進んで国語内に占むべきその位置を論定するが如きは、方言の研究である。ここに方言とは、一地域における全言語体系の総括的称呼である。  俚言の研究とは、一々の言語形式について、各地における変異と分布とを調査し、語史の再構を目的とする。たとえば、蝸牛の各地の俚言を比較し、これを系統に分類し、その発生、消長を説明するが如きは俚言の研究である。ここに俚言とは、地方におけるある言語形式の個別的称呼である。  前者が一地方を単位とし、その言語体系の解明を主眼とするのに対して、後者はむしろ個別の語形式の変化を通じて、一般の言語変遷の理...
  • 菊池大麓「學術上ノ譯語ヲ一定スル論」
     學術研究ニ最モ必要ナル事ノ一ハ、其名辭ノ確當ナル事是レナリ、更ニ之ヲ云ヘバ、同一ノ名辭ハ常ニ同一ノ意義ヲ表ハサシメ、二三ノ事ニ通用セシム可ラズ、又同一ノ事物ハ常ニ同一ノ名辭ヲ以テ之ヲ指シ、一物ニ數名有ラシム可ラズ、若シ然ラザルトキハ、學者互ニ相通ジテ學術ノ進歩ヲ助クル事極メテ難シ、現今各學科日ニ月ニ進ンデ其總括スル所愈々廣ク、其研究スル所愈々密ナリ。一人ノ能ク研究シ得可キハ、唯々一學科中ノ一小區分ニ過ザルナリ。然リ而シテ、學科相互ノ關係ハ益々密ニシテ、諸學科ハ互ニ相待テ進歩スルモノヽ如シ、例ヘバ物理學ノ如キ、之ヲ修ムル者、光學、熱學、或ハ電學(*1)ノ如ク、僅ニ其部分ヲ研究シ得ル而已、然レドモ猶ホ他ノ學科ノ助ヲ要スルハ勿論ニテ、化學數學等ヲ知ラザレバ決シテ其蘰奥ヲ極ムルコト能ハズ、故ニ現今ノ景況ニテハ、所謂分業法ハ經濟上ニ於ケル如ク、亦學術上ニ於テモ必要ナルモノナリ。是レヲ以テ各專門ノ學...
  • 松下大三郎『改撰標準日本文法』第二編 原辭論 第一章 原辭の性質及び分類 第四節 不熟辭
    □不熟辭は、單獨では一詞を成す力がなくそうして完辭助辭以外の原辭(即ち他の不熟辭)と結合した上で始めて一詞となる原辭であつて、決して完辭や助辭とは結合しない。「松《シヨウ》」「海《カイ》」「春《シユン》」「正《セィ》」「不《フ》」「未」「被」「既」などの類がそうだ。これらは不熟辭どうし結合して「松柏」「海洋」「春秋」「正否」「不孝』「未決」などと云ふ樣になれば一詞となるが自己だけでは一詞にならない。「松《シヨウ》を立つ」「海《カイ》を渡る」などとは云へない。 不熟辭の中で「松《シヨウ》」「柏《ハク》」「春」「秋」「往」「來」などの樣に實質的意義を表すものを實質不熟辭と云ひ、「不」「未」「可」「非」などの樣に形式的意義を表すものを形式不熟辭といふ。 日本語に用ゐてゐる漢字音は皆不熟辭として用ゐられる。されば漢字を一字用ゐた場合は音で讀まずに訓で讀む場合が多い。それは音で讀むと不熟辭となつて完...
  • 野村伝四『大隅肝屬郡方言集』「序」
     本文を草するに当って、最初に、|他所≪よそ≫の詞に関する記憶を語って見たい。なぜならば、そんな何でもないことが積り積って、老来郷里の方言を集めると云う仕事と進展した様に思うからである。  私の郷里は肝属郡の中部、少し東寄りにあるが、今一つ東に内之浦と云う村があって、そこには親戚が昔から居たのであるが、私がまだ幼少の頃、そこの娘さんが来て泊ったことがある。するとその娘さんが何かの場合に「ンデンデンデ」と叫んで皆が笑ったのを記憶して居る。これは標準語で「おやおや」と云う意味に相当して、これは高山町(私の村の名)では一般に「ンダモンダモ」と云って居るので、この「ンデンデ」は初耳で有った。又同じ幼年時代のことだが、母に連れられて西方一里の地にある、隣村|姶良≪あいら≫村のホゼに行った。ホゼは奉斎と書く相だが、他府県の秋祭りのこと、旧暦九月中各村日を違えて、この祭を行い、この時他村の親類同志が互に...
  • 有坂秀世「新撰字鏡に於けるコの假名の用法」
    http //www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/on-insi/09.pdf  薪撰字鏡に於けるコの假名の用法について考へて見たいと思ふ。假名の字體は、古・吾・己・去の四つである。全部實例を原形のまま引くべき所であるけれど、さうすると印刷が非常に困難になるので、ここではただ語彙を一通り擧げるにとどめておきたいと思ふ。各語に充てた漢字は、原本と同じものもあり、さうでないものもある。原形は、天治本新撰字鏡複製本の索引を利用して調べれば、容易に判明する。まつ、「古」の用例は左の通りである。   イサコ(砂、天治本ナシ)イササコ(紗)イチヒコ(苺、天治本四ッ、享和本三ツ)父方ノイトコ(從父、享和本ナシ)オホハコノミ(車前子)オホハコ(車前、享和本ナシ)カシコロル(畏、享和本カシコム)オチカシコミスミヤク(惶遽)カバヒラコ(蝶、ニッ)カビコ(蠶...
  • 東條操『全国方言辞典』「凡例」
    凡例  一、採録した方言は、主として既刊未刊の方言集から信頼するに足ると判断した報告を引用したものであって、これに編者の直接採集によるもの若干を加えた。  一、方言集からの引用には文献名を注すべきであるが、便宜上おおむねそれを省略した。たゞし、江戸時代の文献によるもの及び明治時代の南島文献によるものは書名を注した。  一、使用上の便宜を考えて、見出しをなるぺく多く立てる方針をとった。学問的には一項目にまとめるべきものを數箇所に分散掲出したこともあるが、その場合には必要に応じて他を参照し得るように↓印をもって関係語彙を指癇することに努めた。  一、同じ語原に由来すると考えられる語、同じ語の意味変化と考えられるものは、なるべく一項目におさめ、語義の違うごとに①②③の番号をつけて区別した。その番号の語義を有して語形の少しく相違している語がある場合は、同じ番号の下に...
  • 東條操『全国方言辞典』「序」
     一国の言語の研究は共通語現象と共に全国の方言現象についてこれを行わなければならない。語彙については、共通語を内容とするいわゆる標準語辞典乃至国語辞典と共に、俚言を採録した方言辞典の編纂が必要である。国語の理会はこの両面を具えて完全となる。  欧州において十九世紀以来、頓に方言採集の機運が起り、現代に及んで、一地方の外に一国を範囲とする大辞典が刊行された。  J. Wrightの The English Dialect Dictionary(1905)が有名な大著なることはいうまでもないが、近くはK. Jaberg等のGlossaire des patois de la Suisse Romande(1924) のごとき大冊がある。  翻つてわが国を見れば、明治以後多くの方言集の刊行を見たが、諸国の方言を集録した江戸の「物類称呼」(安永四。一七七五)一部を除いては、未だ全国方言辞典の...
  • 東條操『分類方言辞典』
    東條操『分類方言辞典』「はじめに」 東條操『分類方言辞典』「凡例」   天地季候 (天象・海陸・潮流・河水・山野・季節・気候・明暗・冷熱・方角)  鳥獣虫魚    陸棲動物    水棲動物   草木菌藻   肢体健康 (死生・傷病・医薬・体力・労苦・感覚・動作・呼吸・音声・排泄)   服飾容姿 (髭髪・美醜・化粧・裁縫・糸紐・袋物・身辺・遺失・雨具・履物)   飲食嗜好 (炊事・炊具・食事・食器・陶器・味覚・食慾・飲酒・喫煙・茶菓)  住居坐臥?(建築・園池・家財・火気・炉辺・睡眠・入浴・行儀・始末・修繕)  老幼男女?(世帯・夫婦・親子・雇人・親族・老若・産育・素行・愛情・叱責)  社会交通?(都鄙・遠近・乗物・道路・航海・交際・言語・褒貶・与奪・腕力)   附一  人代名詞  自称・対称・他称ー   附二  応対詞  呼掛・返...
  • 小高敏郎「戴恩記解題」岩波日本古典文学大系95
    一、著者について  戴恩記は、功成り名遂げた七十半ばの老文人が、生涯を顧みて師の恩を語ったものだから、文壇史、乃至は文化史的な資料であるとともに、おのずから歌人・歌学者としての自叙伝的要素が豊かである。従って、まずその肖像をえがき、ついで、彼を生み、育てた家庭と時代とを考えてみよう。  文人貞徳 一般には貞門俳諧の始祖としての面だけで知られているが、実はヴォルテールにも比すべき博宏多力の百科全書家風の学者であり、またわが国文化史上稀に見る啓蒙家でもあった。中世末に生をうけ、近世初期のいわゆる啓蒙期に、八十三の長寿を終えたが、中世の文化遺産を継承し、かつこれを新時代にふさわしい平易通俗的なかたちに再編成し、新興庶民層に普及し、近世文化の淵叢となったのである。  まずすぐれた啓蒙家らしく、その活動は文化のほとんど全領野に及び、またはなはだ精力的であった。俳諧を文学として確立したその適切多角的...
  • 東條操『分類方言辞典』「凡例」
    東條操『分類方言辞典』 凡例  分類方言辞典は、事物に対応する方言を索めるためのものであるから、概念的意味によって十四の部門に分け、各 部門の中を標準語の五十音順に排列し、文法上の品詞の別は顧慮しない。例えば「服飾容姿」の「傘」には、  かさ (傘) *あまぐ(本)さしがさ・さな・こんこ(児)。   【こうもり傘】 (本)はぶりさな・らんがさ。   【傘一本】 (補)いっかい。   【傘をさす】 (補)かぶる。   【傘にいれる】 (本)傘に「のせる・(補)傘を「かっぺる。   【傘にはいる】 (本)かさ」にのる。 の如く「傘一本」「傘をさす」などをも類聚した。  方言の使用地域は、全国方言辞典及び同補遺についてこれを見ることとし、いっさい省略した。  符号(本)以下は全国方言辞典に収録した語、(補)以下は同補遺に収録した語である。  符号」及...
  • 東條操『全国方言辞典』「編簒の趣旨」
     方言辞典の本質は国語の方言語彙を記述し登録する点にある。  国語の方言語彙は、言うまでもなく国語そのものの語彙である。従って、正確な意味での「国語辞典」は、方言語彙をも含まなければならない。本来の国語辞典は、「普通語辞典」乃至は規範意識を有する「標準語辞典」とは別箇の存在であって、現代普通語のほかに古語をも収載することは勿論、古今の方言をも採録すべきものであるが、従来の国語辞典が方言を殆ど載せないのは、恐らくは事実問題として、不可能であることが原因となって、十分に方言にまで記述が及ばなかったのであろう。やむをえないことではあるが洵に遺憾なる事実である。  方言は未だ開かれざる国語の宝庫である。国語の語彙の一半をしか職録しなかった国語辞典は、方言をも採録することによって、初めて国語の語彙の全貌を記録することができる。リンクヮ(茶釜の把輪)、ヨポウ(液体をつぐ時に容器の尻に伝わること)そ...
  • 湯沢幸吉郎『増訂江戸言葉の研究』「序説」
     江戸言葉は、江戸の土地に江戸の町と共に発達した言葉である。  江戸の名ぱすでに鎌倉時代のものに見えるが、広く世に知られるようになったのは、長禄元年(一四五七)太田持資入道道灌がこゝに城を築いてからである。その後大永四年(一五二四)にこれが小田原の北条氏の有に帰し、さらに徳川家康が関八州を領して、天正十八年(一五九〇)八月一日にご丶に移った。当時の江戸は全くの一寒村で、城の付近に.体白余戸の民家があるに過ぎず、西北は武蔵野に接した草原であり、東南は内海に臨んで、一円に潮入の低地にあし・かやが繁茂していたと伝えられる。  家康は入城後、まず城の修理と町割とに志し、や丶面目を改めたが、やがて慶長五年(一六〇〇)関ガ原戦後、兵、馬の権をにぎり、八年ついに征夷大将軍となって天下の大政を行なうに至り、江戸もいよ/\国家の中心たる大都市となるべき運命をになうようになったことが確実となった。そこで家康は...
  • 小高敏郎『日本古典文学大系100江戸笑話集』解説
    一 近世の笑話について  笑話の発生 笑話は、歌謡と同じく、その発生は正規の記載文学より古いものであった。やがて記紀や風土記の素朴な洒落を楽しむ地名説話となって以来、日本文学の一要素として、いろいろ形を変えながら長く生き続けて、江戸小咄として週刊誌や雑誌などで現代人をさえ楽しませている。だが、記紀以下の書物に記載されたものはごく稀な一部で、多くはその場その場で聞き手を笑わせ楽しませるだけで消え失せてしまったのであろう。  また笑話は、多くの人々、殊に文字などに熟さない庶民層を楽しませながら、日本の文学の歴史においては正式な文学とは考えられていなかった。もともと滑稽を主とする文学は、物語など優美を主とする文学より劣等視される。これは世界共通のことで、西洋文学においても、喜劇は悲劇よりも長い間文学的地位が低く、近代に入ってようやく悲劇と同等の価値を認められるようになった。そういうわけだから、...
  • 水沼辰夫『文選・植字の技術』「一、文選と活字」
     一、文選と活字    (一) 文選とは  活版印刷作業のうちで、第一に着手するのは文選である.文選はちょっと見ると単純な作業であるけれども、印刷物のまちがい(いわゆる誤植)の大部分は、じつに文選のまちがいに基づくものであることを思えば、活版印刷の基本作業として、最も重要なものであると言わなくてはならないり  漢字はその数がひじょうに多い。従来わが国でつくられた漢字活字は、字母帳に載っているのが八千五百を越え、ふつうの印刷物に用いられていた漢字だけでも五千字以上ある。この文字の数の多いことが、わが国の文化の発達を遅らせた原因のひとつであることから、長い間にいくたびか企てられた漢字制限がようやく軌道にのって、当用漢字千八百五十字(ほかに人名用九十二字、補正二十六字)の設定に成功し、さらに進んで略字が普及され、今ではそれが正字として使用されることになったのは、印刷作業にたずさわるものにと...
  • 水沼辰夫『文選・植字の技術』「二、文選の作業」
    「一、文選と活字」 から続く。 二、文選の作業 (一)印刷所の文選 原稿の取り扱い  文選の作業は、まず印刷物の原稿を受けとることからはじまる。この原稿は文選係りが活字をひろい終わると、植字係りへ回って組み版され、植字係りからさらに校正係りへ送られ、校正が済んで、それが出版元または著者へ戻るまで、最も大切に扱われなくてはならぬ。言うまでもなく、原稿はその著者が苦心して書き上げたものであるから、作業中に汚損したり、あやまって紛失したりすることのないよう、特に注意しなくてはならない。  さて、原稿が文選場へ渡されると、文選の進行係り、それを職長とか、係長とか、あるいは課長とか、その印刷所の職制によって呼びかたがちがうが、その係りのものが原稿をひととおりしらべて、原稿全部に通し番号がついていなかったならばそれをつけて、終わりに「止め」のしるしをつける。そうしないと、多く...
  • 春日政治「国語資料としての訓点の位置」
     ここに訓點といふのは訓點物即ち點本のことであつて、漢文を和讀する爲に、假名訓と乎己止點とを以て、之を表したものをいふ。點本の現存の資料は平安朝初頭以降の佛經・儒籍・國典等に亘つてゐて、近くは近世の新點まで及んでゐるわけである。題名は大き過ぎるが、自分はこれらの總べてに亘つて見たといふのではない。眞にその片端、殊に古い方の或物を見たに過ぎないが、數年來それを見てゐる間に、訓點物によつて國語の如何なる方面が考へられるであらうかについて、その都度氣附いて來た諸點を擧げて見るに止まる。もとより不完全なるものであるから、切に識者の補正を仰ぐ次第である。尚この話では、國語研究の資料としての訓點を見るのであるから、假名や乎己止點の事は省略して言はない。假名や乎己止點を手段に借りて讀下して國語とした上のものが、國語研究の資料として如何なる位置を取るかを眺めて見たいのである。  二  凡そ國語研究に供...
  • 松下大三郎『改撰標準日本文法』第三編 詞の本性論 第二章 詞の小別 第一節 名詞の小別 代名詞の小別
     代名詞の小分 代名詞の中最も著しいものは人稱代名詞、位置代名詞の二種であるが、この外に尚種々の代名詞が有る。  一、人稱代名詞 人稱代名詞は説話者(思想者)が自己を基準として自他を區別する代名詞である。其の中「我」「余」「某」「小生」、口語の「私」「僕」「手前」「乃公」などは説話者が自己を指す。これを第一人稱と云ふ。「汝」「君」「足下」「貴下」、口語の「貴方」「御前」「き樣」などは説話の對者を指す。之を第二人稱と云ふ。「彼」及び口語の「奴」などは自己、對者より以外のものを指す。之を第三人稱と云ふ。「吾々」は他人をも自己に同化した第一人稱である。「諸君」は第三者を第二人稱に同化した第二人稱である場合と全く第二人稱である場合とある。 「私たち」といふ詞は純粹の第一人稱の複數であつて對者を含めていふ詞ではない。對者を含めていふ詞は「我々」である。近頃雜誌などで「私たち」と云つて對者をも含めて...
  • 谷崎潤一郎『文章讀本』「一 文章とは何か」(1)言語と文章
    人間が心に思ふことを他人に傳へ、知らしめるのには、いろ/\な方法があります。たとへば悲しみを訴へるのには、悲しい顏つきをしても傳へられる。物が食ひたい時は手眞似で食ふ樣子をして見せても分る、、その外、泣くとか、呻《うな》るとか、叫ぶとか、睨むとか、嘆息するとか、毆《なぐ》るとか云ふ手段もありまして、急な、激しい感倩を一と息に傳へるのには、さう云ふ原始的な方法の方が、適する場合もありますが、しかしやゝ細かい思想を明瞭に傳へようとすれば、言語に依るより外はありません。言語がないとどんなに不自由かと云ふことは、日本語の通じない外國へ族行してみると分ります。 なほ又、言語は他人を相手にする時ばかりでなく、ひとりで物を考へる時にも必要であります。われ/\は頭の中で「これをかうして」とか「あれをあゝして」とか云ふ風に獨りごとを云ひ、自分で自分に云ひ聽かせながら考へる。さうしないと、自分の思つて...
  • 方言集書目抄
    東條操『分類方言辞典』    ▽江戸時代カラ現代(昭和二入末)ニ至ル方言集ノ主ナモノヲ抄出シタ。コレヲ総記ト     地方トニ分ケル。部門別方言集ハ総記ニ収メタガ、方言関係書デモ方言集以外ノモノ例エバ方言学、アクセントナドノ書物ハ原則トシテ載セナイ。    ▽書名ノ下ニ著(編)者、発行年次、東京以外ノ発行地、時ニ略解題ヲツケタ。    ▽江戸時代ノ方言集ハ刊本ノ外、稿本、写本ノ類ヲモ収メタ。ナオ随筆、紀行ナドノ主要方言資料モ若干、参考トシテ掲ゲタ。書名ノ下ニ( )デ囲ンダモノハ、本辞典デ使用シタ略称デアル。    ▽明治、大正時代ノ方言集ハ原則トシテ刊本ニ限ツテ掲ゲ、コレハデキルダケ多ク抄出シタ。 ▽昭和時代ノ方言集ハ刊本ニ限定シ、ぺージ数ヤ内容ヲ考エ主要刊行書ト認メラレルモノヲ選ンデ載セタ。 ▽書名ヲゴジック体ニシタモノハ代表的著作デ、○ノ下ニ掲ゲタモノハ方言集以外...
  • 東條操『分類方言辞典』観念的表現
    ──間投詞・接辞・助動詞・助詞── 間投詞 *おう(〇三四ぺ)・よぶこえ(〇五六ぺ)・応対詞(二八六ぺ)・かけごえ(二九四ぺ)・しっぱい(三〇四ぺ)・となえごと(四六六ぺ) 【感歎・驚歎】  *いやな (三三〇ペ) (本)うんざい・うんばうんば・おーの・おきたな・おやっかない・およおよ・こんまー・さす・さまれ・とっちょー・やったいなや・(補)あきさみよ・あたら・あちゃまー・あっきゃらそ・あんまよ・あんら・いんにゃまー・うりょ・えれ・おりょー・がーった・こりゃまたなんだら・これわしたり・たかれや・ちえー・てっちゃ・やんや。 【悲しい時の詞】 *かわいそう(二二〇ぺ)(補)つらー。 【痛い時の詞】 (補)あっかー。 【あきれた時の詞】 (本)けー・(補)よーいわんわ。 【これは・どうも】 (補)こりゃーつい。 【どうもまあ】 (補)あーしけまあー。 【あら笑止や】(本)...
  • 山田孝雄『漢文の訓読によりて伝へられたる語法』「四十六 結論」
     以上、章を重ねて、余は漢文の訓讀がわが國語の語遣と交渉せしことの大要を述べたり。しかも、仔細に見れば、なほいふべきこと少からざるを覺ゆ。或は、漢文の訓讀の爲に慣用せられて、今日成語の如くになれるものあり。たとへば、   就中(ナカンヅク)   加之(シカノミナラズ)   遮莫 任地(サモアラバアレ) の如きこれなり。又漢文の訓讀の爲に古語の今日に傳はれるものも少からず。 たとへば   恰、宛 (アタカモ)  將  (ハタ)  幾何 (イクバク)  宜哉 (ムベナルカナの「ムベ」)  必シモ (の「シモ」) の如きこれなり。又一種特別の語遣といふべきものあり。たとへば   不啻 タダニ……ノミナラズ      ……モタダナラズ の如きこれなり。  なほ、以上の外にも漢文の訓讀が國語國文の上に及ぼしたる影響は少からずして、それらの委曲...
  • 谷崎潤一郎『文章讀本』「一 文章とは何か」(3)現代文と古典文
    前段に於いて私は、ロ語體の文章が最も今日の時勢に適してゐると申しましたが、それなら文章體の文章は全然參考にならないかと云ふのに、決してさうではありません。口語體も文章體も、等しくわれ/\の話す日本語から發達したものでありますから、根本に於いては同じであり、精神に於いても同じであります。と云ふ意味は、ロ語體を上手に書くコツは、文章體を上手に書くコツと、變りはない。文章體の精神を無視したロ語體は、決して名文とは云はれない。ですから、われ/\は是非共文章體の文章を研究する必要があるのであります。 古典文學の文章は、すべて所謂文章體で書いてありますが、大體に於いて和文調と漢文調とに分けることが出來る。和文調と云ふのは、實は往古の口語體のことでありまして、土佐日記や源氏物語のやうな文體、あれはその當時に於いては口でしやべつた通りに書いたものであつた、即ちあの頃の言文一致體であつた、然るにその...
  • 谷崎潤一郎『文章讀本』「二 文章の上達法」(2)感覺を研《みが》くこと
    文章に上達するのには、どう云ふのが名文であり、どう云ふのが惡文であるかを知らなければなりません。しかしながら、文章のよしあしは「曰く云ひ難し」でありまして、唯今も述べましたやうに理窟を超越したものでありますから、讀者自身が感覺を以て感じ分けるよリ外に、他から教へやうはないのであります。假りに私が、名文とは如何なるものぞの質問に張ひて答へるとしましたら、  長く記憶に留まるやうな深い印象を與へるもの  何度も繰リ返して讀めば讀むほど滋味の出るもの と、先づさう申すでありませうが、此の答案は實は答案になつてをりません。「深い印象を與へるもの」「滋味の出るもの」と申しましても、その印象や滋味を感得する感覺を持つてゐない人には、さつぱり名文の正體が明かにならないからであります。 簡素な國文の形式に復れと印しましても、無闇に、言葉を省いたらよい譯ではありません。文法に...
  • 小高敏郎『日本古典文学大系100江戸笑話集』頭注1
    一 「昨日は今日の昔」の諺をふまえ、「今昔物語集」のごとき説話集の意を表わす。↓補一。 二 説話風な話のはじめの言葉。実際は戦国時代のことであろう。↓補二。 三 室町幕府の将軍であろう。 四 家来。 五 勝手気ままにふるまうこと。傍若無人の略。 六 皇居。  七 戦の陣地として使用する。応仁乱後、京都の町はしばしば戦場になっていた。 八 槍の柄の端をつつんだ金具。 九 宮中の女官の敬称。 一〇 出て応待する。 一一 天子の御住居である宮殿で、下々の者が気やすく来る所ではない。 一二 どこかへ行ってしまいなさい。 一三 もっともな理由。 一四 家の主人。天皇をさえ知らず、亭主と言い、じきじきに出て挨拶せよといった。 一五 はっきりと。 一六 謝絶する。申開きする。 一七 この話、天正元年(蓋七三)から同十年までの間のことか。↓補三。 一八 気に入って。 一九 召上る。 二〇 京都の人たち。「...
  • 外来語集
    昭和28年 日本放送協会 アーク灯 アーケード アース アーチ アーチ・モーション アーティスト アーティフィシャル アート アート・シルク・クロース アートタイプ アート紙 アーベント アーム・チェア アーム・イン・アーム アーム・ホール アーム・ホール・カット アーム・ホール・シール アームレット アーメン アール アーンド・ラン アイヴォリー・ブラック アイコノクラスト アイコノクラズム アイコノスコープ アイ・シェード アイ・シャドー アイスキャンデー アイスクリーム アイス・スケート アイス・ハウス アイス・ボックス アイス・ホッケー アイス・リンク アイゼン アイソトープ アイディア アイディアライズ アイディアル アイディル アイドル アイドル・システム アイ・ドント・ノー・グループ アイ・バンク アイリッシュ・ドニゴール アイレット・ワーク アイレット・ホール アイロニー...
  • 谷崎潤一郎『文章讀本』「二 文章の上達法」(1)文法に囚はれないこと
    文章の上達法に就いては、既に述べたところで自《おのづか》ら明かになつてゐる點が多いと思ひますから、此處にくだくだしくは申しますまい。で、出來るだけ簡單に説いて、御注意を促すに止めて置きます。 第一に申し上げたいのは、 文法的に正確なのが、必ずしも名文ではない、だから、文法に囚はれるな。 と云ふことであります。 全體、日本語には、西洋語にあるやうなむづかしい文法と云ふものはありません。テニヲハの使ひ方とか、數の數へ方とか、動詞助動詞の活用とか、假名遣ひとか、いろ/\日本語に特有な規則はありますけれども、專門の國學者でゝもない限り、文法的に誤りのない文章を書いてゐる人は、一人もないでありませう。又、間違へても實際には差支へなく通用してゐる。私がしばしば奇異に感ずるのは、電車に乘ると、車掌がやつて來て「誰か切符の切つてない方はありませんか」と云つて廻ります。此の車...
  • 谷崎潤一郎『文章讀本』「一 文章とは何か」(4)西洋の文章と日本の文章
    われ/\は、古典の研究と併せて歐米の言語文章を研究し、その長所を取り入れられるだけは取り入れた方かよいことは、申すまでもありません。しかしながら茲に考ふべきことは、言語學的に全く系統を異にする二つの國の文章の間には、永久に踰《こ》ゆべからざる垣がある、されば、折角の長所もその垣を踰えて持つて來ると、長所が最早長所としての役目をせず、却つて此方の固有の國語の機能をまで破壞してしまふことがある、と云ふ一事であります、而も私の見るところでは、明治以來、われ/\はもう西洋文の長所を取り入れるだけ取り入れたのでありまして、これ以上取り入れることは即ち垣を踰えることになり、我が國文の健全な發達のためには害を及ぼす、いや、既に及ぼしつゝあるのであります。ですから今日の場合は、彼の長所を取り入れることよりも、取リ入れ過ぎたゝめに生じた混亂を整理する方が、急務ではないかと思ふのであります。 昔、鎌倉...
  • 有坂秀世「不可能を意味する「知らず」について」
    餅伴浙天皇犬命恐二侭陽仕奉浙拙久劣而無所知・進年不知・近年不知・天地之心年芳久重・百官之偕伝写恍    皿奈諸将肘金坐(将叙元年二月甲午語) に 往畏我皇天皇・斯天目嗣高御座乃粟乎受湯旦仕奉止負陽閉・頂爾受湯掻恐皿・進毛不知・返毛不知爾・恐美   坐八宜天皇聯令乎聚聞食勅(天早啓賓元免七月甲午語) 首 朕叉金久・前聖武天皇乃炭火子宝賜心・天目剛高御座乃坐爾昇賜物乎こ伊何爾可恐久私父母兄弟爾及寓得牟・   甚恐自二心母不知ここ母不知止伊奈儒奏(天平賓字三年六月庚成語) その桂天早賓字二価ハ月庚子朔詔・育鞠元年十月已丑朔詔・天座元価四月突卯詔ふハ長+年三月契巳詔・姦詐三年四月甲午詔・天安二年十一月七日絹・元慶元価正旦二日詔・同八年二月二十三日絹等にも、上の天予診賓元年の絹のに似たお言葉が拶せら仁る。これ.らの中関々施し欠如につき、官長は之かミスこらシラーフゾ{七どこーざ蹟んで「いたく恐...
  • 谷崎潤一郎『文章讀本』「一 文章とは何か」(2)實用的な文章と藝術的な文章
    私は、文章に實用的と藝術的との區別はないと思ひます。文章の要は何かと云へば、自分の心の中にあること、自分の云ひたいと思ふことを、出來るだけその通りに、且明瞭に傳へることにあるのでありまして、手紙を書くにも小説を書くにも、別段それ以外の書きやうはありません、昔は「華を去り實に就く」のが文章の本旨だとされたことがありますが、それはどう云ふことかと云へば、餘計な飾り氣を除いて實際に必要な言葉だけで書く、と云ふことであります。さうしてみれば、最も實用的なものが、最もすぐれた文章であります。 明治時代には、實用に遠い美文體と云ふ一種の文體がありまして、競つてむつかしい漢語を連ね、語調のよい、綺麗な文字を使つて、景を叙したり情を述べたりすることが流行りました。茲にこんな文章がありますが、これを一つ讀んで御覽なさい。  南朝の年號延元三年八月九日より、吉野の主上御不豫の御事ありけるが、次...
  • 小高敏郎『都鄙問答解説」『日本古典文学大系97近世思想家文集』
    解説 一 石田梅岩の生涯と思想  都鄙問答は、心学の始祖梅岩の主著であり、心学の根本的な経典である。心学は、はじめ一介の町人石田梅岩の志した個人的な社会教化運動で、専ら京都乃至はその周辺のごく僅かな一部町人たちに実践倫理を平易に説いたものだったが、やがて彼の死後その高弟たちの手によって、生前梅岩が思ってもみなかったほど、次第に思想的結社として発展し、江戸の中期以降幕末にかけては全国的に普及流行するに至った。幕府や大名のごとき為政者から何らの援助も受けず、或いは富豪と称すべきバトロンさえ持たず、また正規の教育さえうけなかった農村出身の一町人の起した志が、江戸時代における最も有力な社会教化事業となったのである。  出生から再度の商家奉公 梅岩は貞享二年(一六八五)丹波桑田郡|東懸《とうげ》村の農家に生れた。この村は現在、亀岡市東別院町の一部になっているが、国鉄亀岡駅から西南約十粁、未だ山...
  • 東條操『分類方言辞典』草木菌藻
    あおうめ (青梅) (補)からうめ。 あおき (青木) (補)おしょけのき。 あおみどろ (水綿) (本)かいろのわたぼーし・かえるのふとん・(補)かな。 あかざ (藜) (本)べにばな。 あけび (通草) (本)あっくり・うべずら・うんべ・かーつ・たんぽぽ・ねこのげーげー。 【みつば通草】 (本)やまのあねこ。 【通草の芽】(本)きのめ・きのもえ。 【通草の花】(本)じじばば。 【通草の実】(補)ねこのくそ・ねこのげーげー。 あき (麻)*いと(一二六ぺ)・ぬの(一四一ぺ) (本)いと・お・さびそ。 【苧麻】(本)いとそ・やまそ。 【麻の丈の短いもの】 (本)したそ。 【麻の実】 (本)おのみ。 【麻の皮】 (本)かーつー・(補)そ。 【麻の皮をとった物・おがら】 (本)あさぎ・おんがら。 【青黒みを帯びている悪い麻】 (本)どぐさ。 【精製しない下等な麻】 (本)かっちょ・さ...
  • 折口信夫「三味線唄の發想を辿る」
    『日本芸能史六講』 昭和十三年二月「短歌研究」第七卷第二號 「雪」を題とした聯想のゆくまゝの文を綴つて見ようとしたものゝ一部である。別に考證態度を採らうとするのではない。ほんの輕いざつくな書き棄てと見て頂きたい。私などは江戸文學を生活體驗から見ようとするやうな形は唾棄してかゝつてゐるので、さうしないことには訣らないと言ふやうな人なら、文學そのものゝ目的が、初めから訣つて居ないのだと思ふ。文學はある生活を實生活と同じ程度に、知識へ持ち來す爲のものなのだから。 だがこんな物を出す氣になつて讀み返して見ると、明治時代の歌謠をあまりに文學扱ひにし過ぎた時代──唄自身の小さな歴史と無關係によがつて居た頃の歌謠論に似てゐるのが恥しい。此は私らの癖で新しい感覺的な文章を綴るに馴れないところから多く來てゐるのである。佐々醒雪先生は、學校でも教へて頂いたし、その著作も相當讀んでゐる。 ...
  • 東條操『全国方言辞典』あ
    あ [代]①私。自分。「アが家」「アが言ったではないか」和歌山。②おまえ。あなた。三重県志摩郡。 あーぐす (赤胡椒の意) とうがらし。 南島与論島。 あーけ↓あげ 蜻蛉。とんぼ。鹿児島県種子島。あーげ 仙台。 あーしいじゅ(アーセ魚の意)焼賣魚。南島黒島。 あーせ↓あわせ ①醤物。南島(混效験集)。②朝食。長野県西筑摩郡。 あーとーと↓あとーだえ ①神前でとなえる詞。南島(八重垣)。あーとと 壱岐。②巫女。みこ。南島喜界島。 あーぱ↓あっぱ 祖母。南島小浜島。 あーほ↓あほ 子馬。岩手県江刺郡。 あーほあーほ [感] 馬を呼ぶ声。岩手県九戸郡。あーぼあぼあぼ 秋田県鹿角郡。 あーまふぃんま (赤真昼間の意)まひる。白昼。南島喜界島。 あーゆい[動] (古語あふ)闘う(人間の闘争には言わず)。南島喜界島。 あーら ↓あわら ①湿地。静岡県駿東郡・長野県諏訪郡。②不毛地...
  • 時枝誠記「国語学への関心」
    時枝誠記『国語学への道』「2国語学への関心」  私の国語への関心の跡を辿る時、勢ひ、それは私の少年時代にまで溯らなければならない。そして、私と国語との奇しき結縁を思ふと、そこには私の亡き父(誠之、昭和九年五月十七日歿、享年六十四歳)の面影が浮んで来る。今の場合、私事を述べることは甚だ心苦しいことではあるが、父は私の生まれる直前から、私が中学を終へて岡山の高等学校に入る頃まで、殆ど二十年の永きに亙つて、横浜正金銀行の行員として、インド、アメリカ合衆国等の海外の支店に在勤してゐた。その間、時たまの帰朝や内地在勤の時を除いて、殆ど私とは家庭生活を共にしたことが無かつた。だから、上野公園でパノラマを見、十二階に昇つて東京を俯瞰し、その頃珍しい西洋料理を食べさせて貰つたことや、祖父の埋葬の日に、終日墓地に立たされた御褒美に、日頃の念願であるヴァイオリンを銀座の十字屋で買つて貰つて、さて四絃の...
  • 山田美妙「日本辭書編纂法私見」
     (一)其國の語法(文法)に據って其語を用い、少なくも其鑑識を有つだけの人に意味の理解の出來るべき語を其國の語といふ。それ故に日本語とは日本國の語法に據ってそれを用い、少なくも其鑑識を有つだけの人に意味が理解ざれ得るものに限る。此日本大辭書には此種類の日本語に限って採る。     よしやチンプといふ語が英國語にしろ、之を日本の語法に據つて用いて、前言ふだけの人に理解の出夾るからには充分これを日本語と看做せる。もしも日本の語法によらず、却って他の國の語法に據ったが最期、日本の語法の鑑識を有つ人に其意味の理解は出來ぬ、斯うなれば最早その語は日本語と言へぬ。同じく、漢、梵、其他の外國語とても其とほり。日本固有の語ばかりが必ずしも日本語の名を占める譯でない。 (二)日本語で日本語を解釋したのを日本辭書といふ。此日本大辭書では日本語に日本語を當てて解く。     日本語を用いずに解けば對照の體裁とな...
  • 草野清民「国語ノ特有セル語法─総主」
    一昨年ノ五六月頃ノ本誌ニ載セタル予ガ「所見」ノ中ニ、假文主トイフ自設ノ名稱ニテ一言シ置キタルハ、即チ茲ニ説カントスル總主ノ事ナリ。ソノ後、予ハ病ヲ養ウテ須磨ニ隱退シ、文學界ノ消息ハ日ヲ逐ウテ疎遠トナリ、從ウテ文典ノ著作ニ就テモ現况ノ如何ヲ詳知セザレドモ、其中ニモ自カラ好著ナリト世ニ評到セラルル二三ノ文典ハ之ヲ一讀スルヲ得タリ。シカモ予ガ帝國ノ語法ニ特有ナリト信ズル「總主」ニ關シテハ、何レノ書モ未ダ之ニ説キ及ボシタル者ナク、常ニ予ヲシテ怪訝ニ堪ヘザラシム。因テ今再ビ總主ヲ説キ、併セテ予ガ所説ニ對スル學界ノ意見ヲ問フコトヽナシヌ。       一、總主トハ如何ナル者ゾ  動詞、形容詞ニ對シテ其主語アルト同ジク、主語ト説語(動詞或ハ形容詞)トヨリ成レル一ノ説話(即チ文)ニ對シテモ更ニソノ主語アルコト國語ニハ屡々アリ。例ヘバ「象は體大なり」ノ「象」、「熊は力強し」ノ「熊」、「鳥獸蟲...
  • 百一新論
    百一新論 百一新論序 教之與政其理混淆、學者之惑數千年、于茲心理之與物理其學交錯、世人之疑亦數千年、于茲矣我友西氏憂之、由哲學明政教之所別、又晰道理之所岐、將以辨世人之惑、著斯書名曰百一新論、取於百教一致教義也、余讀而喜曰、政教之別於是乎明矣、余通觀古今、政教並行則國進於文明、否則俗陷於埜蠻、故能知此理則政無所愆、教無所乖、不通此理則政教矛盾、倒行逆施莫所不至矣、則斯書之裨益於國家豈尠〻哉、西氏於和漢西洋之書莫不講究、而恂〻如一野人、有間則答不問則默、故世鮮知其所蘊矣、其著書也胸蓄古今鎔陶而出之、如斯書特其緒餘耳、然亦足以窺其一斑、且能明哲學者、我邦未嘗聞有其人也、故余請而刻之以公于世識數言於卷首云  明治七年二月一日                山本覺馬撰 (友人 南摩綱紀書) 百一新論卷之上  或曰ク、先生ニハ平素ヨリ百教一致ト云フ説ヲ御主張ナサルト承リマシタガ實ニ左樣デゴザルカ ...
  • 東條操『分類方言辞典』応対詞
    ──呼掛・返事・挨拶・訪問・謝辞── 呼掛 【人を呼ぶ詞】 (本)ほいほい・ほーい。 【人によびかける詞】 (本)かーかー・こいす・こいなー「コイナー何か落ちましたよ」・こーこー・こら・こらこら・これこれ・こんね・さりーさりー・じえ・じょー(子供)・じょん(子供)・ぜーぜー・むさ(目下)・むし・もさ(妻)・やーやー・よー・よいよい・(補)いえー(目下)・あよ・こりー・こりさい・なーさ・なーなーよ・やいやい。 【あの】 (補)もの。 【ねえ】 *陳述関係(三六七ぺ) (補)なさい「ナサイニシ(ねえお前)」・なせー・のー「ノー面白かろうがのう」・やー「ヤー買ってくろややあ」。 【あのねえ】 (補)あのない(あのなよ)・あの「なーし・あのなよ・あののし。 【さあ】 (本)いで・むだ・(補)さら・せい・でいー。 【そら】 (本)けー・(補)かー。 【どれ】 (本)いで・むだ...
  • 時枝誠記「言語教育と文学教育  附 鑑賞の問題」
    時枝誠記『改稿/国語教育の方法』有精堂 1963 第六章 教育内容の分析と教育の方法  一 言語形態の分類─「話す」「聞く」「書く」「読む」─  二 言語生活の実態  三 標準語教育と方言生活  四 経験主義の教育と基礎学力の問題  五 話し方と聞き方  六 読み方   読み手(読者)の立場  ○言語教育と文学教育   ○附、鑑賞の問題  七 作文(綴り方)  八 文法  国語教育の現場では、教材を、文学教材と非文学教材とに分け、高学年に進むに従って、文学教材を与へることに重点を置き、それが、また、児童生徒の人間形成に寄与するものであるとする考へ方は、極めて一般的である。文学的教材に対する児童生徒の立場を、鑑賞的立場として、非文学的教材に対する立場とは別であるとすることも、今日常識化された考へ方である。昭和三十五年度の高等学校指導要領の改訂に際して、...
  • 時枝誠記「国語学と国語教育との関係」
    時枝誠記『改稿/国語教育の方法』有精堂 1963 第二章 国語学と国語教育との関係  国語教育の方法を規定するものは、一は教育といふ教師の活動の原理であり、他の一は、教育内容である国語の本質・性格である。教育活動については、第三章に、国語については第四章に詳説する予定であるが、ここでは国語に対する認識の基礎となる国語学と、国語教育との関係を、一般的に論ずることとする。国語学の体系の相違は、必然的に、それと国語教育との関係の仕方を変へて来る。言語過程説といふ理論が、本書の叙述をどのやうに支へてゐるか、またそれが従来の国語学の理論と国語教育との交渉の仕方とどのやうに相違するかの点を明かにしたいと思ふ。  橋本進吉博士は、昭和十二年九月、「岩波講座国語教育」に、『国語学と国語教育』を執筆され、国語学と国語教育との交渉、並びに国語学の国語教育に寄与する点を明かにした(橋本進吉博士著...
  • 「大矢透博士自伝」
    大矢透 『國語と國文學』第五卷第七號 1928  自分は嘉永三年庚戍十二月三日の生れ、舊新發田領越後國中蒲原郡糧岸村中高井、名主大矢辰次郎の七子で、九人の同胞の七番だといふところから幼名を又七郎と命けられた。父は不幸にして自分の六歳の時歿し、こんな人であったと朧氣に記憶にある位のものに過ぎない。父亡き後は兄共は未だ幼少であつたから、專ら母の教を受けた。母は臼井村の翳師西潟の女で。その父即外租父は相當の學問もあり、醫術の傍ら一郷の庄屋組頭の子弟を集めて學問を教へてゐたので、自分の母の如きも幼時から教育を受け、一通りの漢籍をも讀んだらしい。西潟の伜西潟敏之助といふのが、後に世に知られた大審院判事の西潟訥《オソシ》の幼名で、即ち自分の外叔父である。自分の長兄は幼名益之助、後に益彦と改め、次兄は昌山と云つた。實は叔父の西潟訥が早く家を出て四方に遊んだため、祖父は自分の次兄を養うて醫師の相續者...
  • 有坂秀世「国語にあらはれる一種の母音交替について」
    http //www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/on-insi/01.pdf http //kokugosi.g.hatena.ne.jp/kuzan/20041015 序論  ここに述べようとする研究の對象としては、従来全然別物として扱はれて来た二つの問題がある。 1 アメ(雨)に對してアマガサ(雨傘)があり、キ(木)に対してコカゲ(樹蔭)があるやうに、或名詞的語根は、他の語根の前について、それと共にーつの熟語を作る場合、その末尾の母音を變化する。 2. カル(枯)に対してカラス(枯)があり、オク(起)に対してオコス(起)があり、ツク(盡)に対してツクス(盡)があるやうに、動詞に或接尾辭がついて更に新しい動詞(又は形容詞)を作る場合、もとの動詞の末尾の音は、或はア列音或はオ列音或はウ列音としてあらはれる。  この中第一...
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