シシャパンマで滑落したときの怪我の様子

栗城史多まとめ @ ウィキ内検索 / 「シシャパンマで滑落したときの怪我の様子」で検索した結果

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  • シシャパンマで滑落したときの怪我の様子
    シシャパンマ2回目の登山(2012年5月〜6月) 滑落までのまとめはこちら →シシャパンマ(2回目) 滑落 発表によると、登頂を断念し下山を開始した後に滑落して、背丈ほどの深さのクレバスに落ちて引っかかる。 本人の自己申告によると「15m滑落した後に、20m垂直に落下し、更にクレバスに落ちたが、自力でクレバスから這い上がった。」 その後、滑落地点でシェルパが上がってくるのを待ち、シェルパと合流してから歩いて下山する。 怪我の様子 初めに事務局から「全身打撲、出血、骨折」と発表されるが、下山後に「創傷や打撲」という表現に変わる。 ベースキャンプに着いてからそのことを知った栗城は「胸の骨が折れており、右手親指から肉がはみ出ている」と訂正する。 さらに「呼吸をするだけでも胸が痛み、立って少しだけ歩くだけもやっと」「右肩が上がらない」と痛みを訴える。 しかし...
  • シシャパンマ(2回目)
    ...まとめは別ページ →シシャパンマで滑落したときの怪我の様子 (ソースや時系列などあり) 参考 ブログでの最終アタックの詳細報告 2012-06-20 21 18 19 http //ameblo.jp/kurikiyama/entry-11282653062.html 滑落してから下山するまでの動画 http //www.youtube.com/watch?v=XqnuN6D0Hgw 負傷した右手親指の写真(6月8日公開) http //www.facebook.com/photo.php?fbid=427475360618120 set=a.149227345109591.25719.1440669822922 別サイト、「登山家・栗城史多さんの2012年シシャパンマ南西壁 下山時の滑落事故の状況・怪我・治療内容のまとめ」 http //matome.na...
  • シシャパンマ
    シシャパンマ(2011年5月〜6月) BC入りする前のキャラバンで発電担当スタッフが高度障害に罹患。しかし待機もペースを落とすこともなく前進を強行。この判断ミスで高山病の症状が肺水腫にまで悪化してしまったスタッフは、BCに到着したとたんシェルパ随伴で降りるハメになった。 経緯 前年の春にアンナプルナで敗退。秋のエベレスト後には翌年アンナプルナに再挑戦するようなことをブログで匂わせていたが、何故かシシャパンマに変更された。(参考→西国流明一統 統主 流明) 出発前には「山頂からのスキー滑降に挑戦」が大々的に喧伝されていた。 シシャパンマで変なところをまとめ シェルパが8人もいる ザックがパンパンに膨らんでいるが非常に軽そう(特に偵察出発時) BCで出発の儀式をして栗城1人で出発した後、すぐにABCで栗城隊と合流 隣のテント同士で通信していたのをBC⇔ABCの通信と偽る 偵...
  • その他の発言集
    ...。  参考:シシャパンマで滑落したときの怪我の様子 三脚を置いて、アングルを考えて、それから泣き始める 栗城史多×安藤美冬 対談 http //gendai.ismedia.jp/articles/-/33359?page=4 安藤  自分撮りのカメラの前で泣いたりすることに、躊躇はないんですか。 栗城  あんまりないです。僕、ものすごいナルシストだから(笑)。そういう、さっきの言葉で言うと「栗城劇場」的な部分も含めて、自分の冒険だと思っているんです。でも、自分撮りについては、映像のプロデューサーや演出の方に驚かれることがあるんです。栗城は頂上に着くと、三脚を置いて、アングルを考えて、それから泣き始めると。 安藤  普通は、頂上に着いた瞬間にわっと泣くはずなのに(笑)。 マラソン着姿のお爺さん なお、これは高尾山に登った際のツイートで...
  • シシャパンマと南西壁は違う
    2011年シシャパンマを敗退から3ヶ月後、新聞記者の取材を受けて気を良くしてか放った意味不明のツイート。 栗城 史多 @kurikiyama 8月18日 - 4 20 今日はある山岳ジャーナリストとシシャパンマ南西壁の取材だった。登頂はしなかったが、壁を登りきったことを賞賛してくれた。でも、Wikipediaではシシャパンマ途中で敗退と書いてある。シシャパンマと南西壁は全く違うのに…やっぱり山は分かりにくいのかな。 https //twitter.com/kurikiyama/status/104196027027951616(ツイッ拓) 自称でも頂上まで400m残しているのに「登り切った」とは・・・。
  • 問題点まとめ
    無酸素単独について 他の登山隊がたくさんいる時期に固定ロープやハシゴを使って登っている。 シェルパにルート工作させている。 アタックの際に酸素ボンベを持ったシェルパが栗城にひっついて登ってる。 無線であまりにも多くのサポートを受けている(雪崩が起きるかどうかや下山の判断をサポート隊まかせ) 七大陸最高峰の無酸素単独登頂について (過去の宣伝文句) 七大陸最高峰のうち酸素ボンベが必要なのはエベレストだけ。 そのエベレストには登れていない。 マナスル登頂問題 マナスルに単独無酸素で登頂したと主張しているが、実際には登頂していない。 シェルパを使った替え玉登山 2015年のエベレストで、シェルパにGPSを持たせた替え玉登山をしていたことが後に発覚。 虚偽申告、中傷問題 動画編集によりあたかも完全に単独であるかのように見せかけている他、 ...
  • 自力下山まとめ
    これまで自力下山できなかった山一覧 23才 2005年秋 キリマンジャロ 高度障害で倒れポーターにより救助 26才 2009年春 ダウラギリ 下山中に滑落 「偶然」現れたシェルパにより救助 27才 2009年秋 チョモランマ シェルパにより救助 27才 2010年春 アンナプルナ シェルパにより救助(なんと2回) 28才 2010年秋 エベレスト シェルパにより救助 酸素ボンベ吸ってる 28才 2011年春 シシャパンマ 消耗しきって下山時にシェルパ随伴 自分は空身で 29才 2012年春 シシャパンマ 深夜行動で滑落 シェルパにより救助 30才 2012年秋 エベレスト 凍傷と高所消耗で動けなくなりシェルパにより救助 ← New!
  • 8000m峰の問題点
    8000m峰の問題点(エベレスト以外) アンナプルナ(2016) 最高難度のバリエーションルート、南壁レフトピラールート ブロードピーク/K2 シシャパンマ(2012) 無茶苦茶な日程で夜間アタックを強行。滑落してシェルパに救助される。 シシャパンマ(2011) アタック失敗後に空身でシェルパと共に下山してくる。 アンナプルナ 2回アタックして2回とも登頂断念してシェルパに救助される。酸素ボンベに手をつける。 ダウラギリ 下山中に滑落し、都合良く現れたシェルパに助けられる。 マナスル 真の頂上に達していない。 他隊が作ったルートをお金を払って使わせてもらっている。 少なくともC3までシェルパのサポートを受けている。 C3とC4で他隊のテントを使っている。 動画で他隊のテント多すぎ。 チョ・オユー 過去のサイトの日記に「シェルパが...
  • 栄光の記録一覧
    ヒマラヤ連続敗退記録 自力下山できなかった山の一覧 酸素ボンベを使用した山 インターネット生中継 これまで使ったお金 フルマラソン ヒマラヤ連続敗退記録 2009年から7連敗 2009年 秋 エベレスト敗退 2010年 春 アンナプルナ敗退 2010年 秋 エベレスト敗退 2011年 春 シシャパンマ敗退 2011年 秋 エベレスト敗退 2012年 春 シシャパンマ敗退 2012年 秋 エベレスト敗退 自力下山できなかった山の一覧 2005年 秋 キリマンジャロ 高度障害で倒れポーターにより救助 2009年 春 ダウラギリ 下山中に滑落 「偶然」現れたシェルパにより救助 2009年 秋 エベレスト シェルパにより救助 2010年 春 アンナプルナ シェルパにより救助(なんと2回) 2010年 秋 エベレスト シェルパにより救助 酸素ボンベ吸ってる 2011年 春 シシャパ...
  • 廣瀬あかり
    廣瀬あかり(ひろせ・あかり) 栗城隊 中継エンジニア 2009年のエベレストで初参加。それ以後2012年までの全てのヒマラヤ遠征に参加。 映像制作会社の(株)EATに所属 バラエティ番組「イッテQ」の企画で、栗城が登頂できなかったマナスルに撮影スタッフ(音声担当)として登り、イモトアヤコと共に登頂に成功した。 他にもイッテQの撮影スタッフとして、キリマンジャロ、マッキンリー、ヴィンソンマシフに登っている。 エピソード エベレストの生中継で酸素ボンベ使用について栗城に尋ねたところ、なぜか半ギレされる。→エベレスト(2回目) シシャパンマでは通信担当を務め、無線で栗城に撤退の判断を求められた。
  • 村上祐資
    極地での建築研究を専門とし、2010年秋のエベレストが初参加。2011年春のシシャパンマ遠征では発電担当として招聘された。 東大大学院時代には南極越冬隊に参加。寒冷地・悪天候下の経験は豊富のようだったが、高所耐性は低かったようで、2011年のシシャパンマではBC入り前のニュエラム(3750m)で高度障害を発症した。ところが栗城隊は何の対応策もとらずに漫然とスケジュール通りの前進を続行したため当然のように症状が悪化。BC到着時には肺水腫になってしまい2日後には引き返すと言う事態に・・・。 BCから下山後は遠征隊には戻らず、すぐに日本に帰国。 発電する電源は何のためのものか不明だったが、実際には電動式ガモウバッグ(※)兼酸素カプセルの電源だったようだ。 (※)可搬式高圧治療袋。ポンプによって内部を加圧し擬似低高度を作り出すことによって高山病の症状を緩和させる治療道具。初期症状(軽症)や症状...
  • 佐藤圭
    おもにウィンタースポーツの撮影をメインとするカメラマン。通称:KEYPHOTO 2011年のアラスカおよびシシャパンマ、2012年のシシャパンマ遠征に参加 2016年のエベレスト遠征にも参加したが、ベースキャンプ到着後に体調不良になり途中帰国した。
  • 登頂する気のない行動
    「登頂する実力がない」だけでなく、「そもそも登頂する意志がない」とネット上で散々批判され、 栗城を黙殺していた登山界からも「登る気がない」と指摘されるようになった経緯を解説する。 高所登山の3つの壁 エベレスト無酸素登頂の難しさ客観的な実力 登頂する気がないと見做されるようになる経緯トレーニングをしない 前兆(2010~2011)バリエーションルート カラス下山 アリバイアタックの始まり(2012)エベレスト西稜 指切断と難ルート(2015~2018) 登頂の意志がないまま登山を続けた理由 その他の可能性 萩原浩司(『ROCK&SNOW』編集長、『山と渓谷』元編集長) 「残念ながら、彼の体力・技術・経験は十分とは言えず、山への甘さを感じて危険だ。(登頂せずに)引き返すことが前提のトライにも見える」 朝日新聞 2015年12月19日朝刊・土曜版「BE」『逆風万帆』より...
  • 東日本大震災の対応
    2011年3月に発生した東日本大震災に対し、栗城は募金を呼び掛けたほか、被災者支援として様々な活動を行った。 義援金の呼びかけ チャリティイベントでトークショー 被災地支援のためにシシャパンマ挑戦へ 震災遺児をエベレストBCに招待(されず) 義援金の呼びかけ 3月、栗城は義援金による支援を呼びかけた。 【3/13】栗城事務局からのお知らせ(栗城公式ブログ)(→Internet Waybackのキャッシュ)(募金先サイトを提示) 【3/15】インターネット募金「緊急災害募金」 - Yahoo!ボランティア(→Internet Waybackのキャッシュ)(壁紙を購入) 【3/18】東北地方太平洋沖地震オーロラ義援金のお願い(栗城史多オフィシャルWEBサイト)(→Internet Waybackのキャッシュ)(壁紙DLして募金先一覧を選ぶ) チャリティイベントでトークショー...
  • 140L入るザック
    2012年1月10日、twitterでシシャパンマ遠征に向けたカスタムモデルのザックを紹介。140Lの容量と豪語した。 シシャパンマ南西壁用に新しくミレーさんと開発しているザックです。最大で140Lぐらい入ります。しかもバランスが良く、かなり軽量化です。 http //lockerz.com/s/173470892 https //twitter.com/kurikiyama/status/156980584189657089 ところが、ミレーの公式サイトに掲載されている同モデルのスペックは・・・。 登山家・栗城史多との共同開発によるアルパインモデルは、逆U字型に配したアルミチューブのフレームによって弾むような軽快な背負い心地を実現した。(中略) サイズ=容量=65L W31_H72_D25cm 重量=約1,730g ミレー アタック65...
  • ダウラギリ
    ダウラギリ 標高(ブログより) BC:4700m C1:5800m C2:6700m C3:7238m 闇夜の中、C3からC2にフィックスロープを頼りに下山するが途中で滑落する。 自己申告では100m滑落してタルチョに引っかかって止まる。 そこでシェルパが都合よく現れ、救助(?)される。 滑落を止めたとされるタルチョの画像 外見は非常に貧弱そうだが… http //www44.atwiki.jp/kuriki_fan?cmd=upload act=open pageid=71 file=o0500037510184602429.jpg http //ameblo.jp/kurikiyama/entry-10265697942.html (魚拓とそのキャプチャ画像) http //ameblo.jp/kurikiyama/image-10265697942-101846...
  • スポンサー
    スポンサー 支援継続中 江崎グリコ:http //www.glico.co.jp/nobukazu_kuriki/index.html2011年エベレストからのスポンサー 非売品のチョコ味羊羹開発など最大級の支援。専務(社長の息子)のtwitterでも度々言及。 ニュートリー(ブイ・クレス) :http //www.vcresc.com/special/2010年アンナプルナからのスポンサー。2012年春のシシャパンマでも支援を確認→魚拓  「遥かなる頂 Beyond The Limit」 2011年8月14日放送に社長が出演するなど非常に協力的 twitterでは時折ブイ・クレスを引用しているヨイショツイートを行っているが、2013年秋には特設応援サイトが消滅した。(2014年のブロードピーク遠征ではテント内のスポンサーロゴボードに張り出してあったため支援継続中と思われる) MILLE...
  • 来歴
    栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は日本の企業家、登山家。北海道瀬棚郡今金町出身。 北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。株式会社たお代表取締役社長。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業株式会社の子会社)に2011年9月頃から死去時まで所属していた(業務提携と発表されている。よしもと公式サイト(*1))。講演活動を中心にして年に1、2回ほど登山を行いその様子をコンテンツクリエイターとして撮影・販売していた。 2009年頃に拓殖大学大学院地方政治行政研究科に在学していた(中退した模様)(*2)。 2001年4月、地元の高校卒業後に上京し、吉本興業が運営する芸人・タレント養成所の「NSC東京校」に入学する。このことは北海道放送で栗城を取材していたテレビディレクターが栗城の死後に明らかにしている(*3)。(以前...
  • 梅崎陽
    梅崎陽(うめざき・よう) テレビ東京ディレクター、プロデューサー 栗城の「ドキュメンタリー」を何度か制作。 自らベースキャンプまで出向いて撮影の指揮を執っている。 これまでアンナプルナ、エベレスト(2回目)、エベレスト(3回目)、エベレスト(4回目)の撮影のためベースキャンプまで遠征。それ以外にもシシャパンマの番組をテレ東で放送した。 http //www.tv-tokyo.co.jp/kuriki_everest/report/100926.html 現在頓挫している「夢教育映画」でも共同監督として名前が挙がっている。言及ツイート エベレスト(4回目)でベースキャンプまで遠征していたことから、このときもテレ東で番組を放送する予定だったようだが、栗城が遭難したことでお蔵入りとなった。 元事務局代表の関智氏との対談動画 http //www.ustream.tv/recorded/10778...
  • 門谷優
    門谷優(かどたに・まさる) 栗城隊 カメラマン (2008年マナスルから2015年までの全てのヒマラヤ遠征に参加) フリーカメラマン アンナプルナでは栗城を叱責して下山させる→ラジコンの由来 シシャパンマ(2回目)では仮C1から強引なアタックをかけようとした栗城にタクティクスの変更を求めたが無視される。 バラエティ番組「イッテQ」の企画で、栗城が登頂できなかったマナスルに撮影スタッフとして登り、イモトアヤコと共に登頂に成功した。 他にもイッテQの撮影で、カメラマンとしてアコンカグア、マッキンリー、アイガー、ヴィンソンマシフに登っている。 http //spysee.jp/%E9%96%80%E8%B0%B7%E5%84%AA/1043168/ 2016年以降の遠征には帯同しなかった。
  • 60kg_140Lザック
    60Kgザック 『NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法』刊行記念サイン会場で 栗城が7500m以上で感じている重量(地上3倍の重さ≒約60kg)を体感出来るとして 約60kgの重りをつめたザックが展示された。 http //code-is.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/11/19/101119_143801.jpg http //19blog.jugem.jp/?day=20101119 140Lザック 2012年1月10日、twitterでシシャパンマ遠征に向けたカスタムモデルのザックを紹介。140Lの容量と豪語した。 シシャパンマ南西壁用に新しくミレーさんと開発しているザックです。最大で140Lぐらい入ります。しかもバランスが良く、かなり軽量化です。 http //lockerz....
  • エベレスト登山の費用
    2011年エベレスト遠征費用7000万の内訳Yahoo!広告費 2000万円 ボチボチトレック 1300万円 テレビ東京が2ちゃんねるに削除依頼 これまでに費やされた費用 参考 2011年エベレスト遠征費用7000万の内訳 栗城が出演したテレビ東京の番組『カンブリア宮殿』(2011年9月8日放送)の中で、2011年の遠征費用の収支表を映すシーンがあった。 http //www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20110908.html 中継用機材・スタッフ2300万 Yahoo!広告費 2000万 ボチボチトレック 1300万 フライト料金6人分 120万 映像編集ディレクター 78万 門谷さんの報酬 80万 シェルパボーナス 33万 猪熊先生気象情報 30万 食料30万 ワッペン・シール 15万 ショウさん、中国語翻訳 ...
  • 栗城流ストック術
    スレでも度々指摘されるのが登山家とはとても思えないストック(トレッキングポール)の稚拙な使い方である。  トレッキングポールは通常、グリップを握り肘を90度に曲げた状態で先端が地面に付く様に調整、上りや下りではグリップ位置を変えたり、長さ自体を調節して使うのだが、栗城はストックを必要以上に伸ばした状態で使用。限界まで伸ばしたストラップに手首をぶら下げるようにして、グリップではなく柄の部分に指を添えるだけのような持ち方をしている。 体のバランスをとったり、荷重を分散させ足への負担を軽減するのが登山におけるストックの主な役割であるが、この持ち方では殆ど用を成さない。なお、使用しているのはロンググリップが採用される事もある登山用のストックではなくグリップの短いスキー用である。 シシャパンマ南西壁へキャラバン開始(動画0:53~) アタックステージ開始(動画2:20~) 昨日とうって...
  • 体調不良アピール
     遠征中も頻繁に体の各部の痛みを訴えるが(主に腰、膝)、国内にいる時でも体調不良のアピールをすることが多い。 登攀中の事故や怪我の後遺症などならまだしも、そもそも過酷な高所登山に向いていないのでは?と疑問を持たざるを得ないようなものも含まれている。 鬱病アピール 「鬱ですね」シシャパンマ南西壁の出発直前に医者から言われた言葉だった。南西壁に出発する一ヶ月前から夜は眠れなく、体調が良くない状態が続いた。ほぼ不眠症のように何度も夜中に起きたり、気がつくと起きたまま朝を迎えていることが毎日のようにあった。医者に見てもらうとこの言葉が返ってきた。「鬱ですね」この言葉を言われたのは、昨年のエベレスト前にも別の医者から同じことを言われ2度目だった。「鬱」と言われようと何だろうと別に気にはしない。元気が無い人はみんな鬱と言われているだけじゃないかと思っていた。でも、確かに2010年の秋頃から、...
  • キリマンジャロ単独問題
    キリマンジャロ単独問題 栗城の弁明 栗城が書いた記事では… 2chの反応 キリマンジャロ単独問題 2005年、栗城はキリマンジャロに挑んだ。キリマンジャロを登る際にはガイドを同伴しなければならず、単独登山は禁止されている。各登山口にはゲートがあり、そこでガイドを同伴しているかどうかのチェックがされるため、ガイドをつけなければ入山することも不可能。 参考 https //onlyoneafrica.com/kilimanjaro-guide/ https //yama-guide.com/2018/09/06/how-to-climb-killimanjaro/#toc7 ところが、栗城は生前キリマンジャロを単独登頂したと主張していた。今もなお、自身の公式ウェブサイトにあるプロフィールでは、 2005年10月 キリマンジャロ5895m単独登頂 となってい...
  • 無謀なスケジュール
    スポンサーであるニトリの社長である似鳥昭雄氏にも突っ込まれているのが、登頂を真面目に考えているとは思えない無謀なスケジュールである。 近年8000m峰を登頂する場合は 雪崩やセラック崩壊の危険の大きい下部キャンプ間(エベレストならアイスフォール帯)の往復を減らす為、事前に危険が少ない6000m峰に登頂。山頂付近でハイキャンプを張り一次馴化。 その後C1,C2,C3と荷揚げを繰り返しながら二次馴化。C3での宿泊で馴化を補強し最終段階とする。 いったんBCに戻り体力を回復した後すぐにサミットプッシュ というプロセスを取る事が多い。5000mより上での滞在は計4週間、6500m~7400mの宿泊は計8~9日とし、これを高度馴化短期切り上げ方式と呼ぶ。 この通りのスケジュールをこなすと登頂予定日の2ヶ月程度前にはネパール入りすることが必要になるのが普通であるが、栗城隊のスケジュー...
  • ドーピング問題
    「肉体改造」のため血液をいじっていると栗城自らtwitterで告白。 血液ドーピングであると追及され、言い逃れのために「メスナーもやっている」というデマを流す。 画像ソース http //www44.atwiki.jp/kuriki_fan?cmd=upload act=open pageid=78 file=0000621.jpg http //www44.atwiki.jp/kuriki_fan?cmd=upload act=open pageid=78 file=0000621_2.jpg http //www44.atwiki.jp/kuriki_fan?cmd=upload act=open pageid=78 file=0000621_3.jpg クリックで拡大します 2011年8月、twitterにて本人の発言 @kurikiyama ...
  • マラソンの成績
    栗城は2014年のいびがわマラソン(岐阜県揖斐川町)と2016年のホノルルマラソンに出走している。いずれもフルマラソン(42.195km)であり、いびがわマラソンは途中でリタイヤ、ホノルルマラソンは6時間台で完走している。 ホノルルマラソン いびがわマラソン ホノルルマラソン(2016年) 2016年ホノルルマラソンのエキスポ・ステージプログラムの催し物として行われたトークショーに登場。当初はこれだけと思われていたが、数日後の成績発表において12月11日に行われた本大会にランナーとして出場していたことが明らかになった。 なお、栗城公式サイトでは、チームクリキメンバー同士の交流行事の一つとしてマラソン大会の出場が掲げられていたが、他のチームメンバーの出走があったかどうかは不明である。 ホノルルマラソンは、日本国内のマラソン大会のように区間ごとおよびゴールでの制限時間(いわゆ...
  • アンナプルナ(2回目)
    2016年春 アンナプルナまとめ 前代未聞、5月半ばに講演会の予定を入れ、順応登山の標高にも達しないまま撤退 計画発表 順応登山 1回目のアタック失敗 2回目のアタック失敗 後日談 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程 計画発表 3月7日にブログで突如アンナプルナ南壁の挑戦を発表した。 4月9日から、アンナプルナ南壁(8091m)に向かいます。 (中略) このリズムを確かなものするために、来月からアンナプルナ南壁(左中央のリッジから登るルート)に向かいます。 (中略) このリズムをアンナプルナ南壁で完璧に仕上げて、秋のエベレストに向かいます。 アンナプルナ南壁は、とても美しい山です。 ベースキャンプから山頂までは標高差4000m近くありますが、前回挑戦した北側のアンナプルナに比べると、雪崩が少なく短期間に長時間行動で登るには適しています...
  • エベレスト(3回目)
    ルート 動画編集 シェルパを12人も雇っている シェルパによる荷上げ疑惑 ルートを外れる 最高到達標高をサバ読み スケジュール当初の予定 実際の行程表 ホーリー発言を歪曲 テレビ特番荒された?行動食の中身 参考データ ルート 2回目のエベレストに続き、ルートはネパール側のノーマルルート。 ネパール側のルートは氷河がずたずたに裂けたアイスフォールと呼ばれる場所があり とても単独では登れず、本当に単独で登るつもりなら初めから選択肢に入れないルート。 栗城は相変わらず他人にかけてもらったハシゴを堂々と使っている。 アイスフォールには通常フィックスロープも多いが、これは動画には出てきていない。 (なお、氷河は動いているのでハシゴはシーズン毎にかけ直さなくてはいけない。  同じシーズン中でも氷塊が崩壊するなどして、ハシゴをかけ直すことはよくある。) 動画編集 動画は相...
  • エベレスト(8回目)
    2018年春 エベレストまとめ 性懲りもなくトレッキング経験すらない素人スタッフを帯同。完全な仕上がりを豪語も順応ステージで早くも体調不良に。ずさんな行動の果てについに遭難死 昨年につづき春の入山。なんと今回は先にローツェに登り順応、その後エベレストに連続登頂という出鱈目なプランをぶち上げた。 今年からネパール政府がエベレストの単独登山を禁止したが、相変わらず「単独無酸素」を吹聴している。 ネパールが単独登山を禁止 素人スタッフ 他隊の動向 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程BC入り~順応まで アタックステージ 遭難死 関係者の証言 今季のエベレスト 参考リンク集(他隊の活動記録) ネパール当局がエベレスト単独登山を禁止 ネパール政府は安全対策のため、この年から単独登山と障害者の登山禁止を決定した。 ネパール当局は、事故を減らすための措置として...
  • 基本情報サイト
    【栗城史多公式HP】 http //kurikiyama.jp/ (公式) http //kuriki.yahoo.co.jp/ (yahoo)2011年1月15日で更新終了 【ブログ・フェイスブック・ツイッター】 http //lineblog.me/kuriki/ 現行公式ブログ 2015年4月より http //ameblo.jp/kurikiyama/ (2015年4月まで。 コメントは検閲の上削除。2011年11月に2007/12~2011/1までの記事が削除される。) http //gree.jp/kuriki_nobukazu(公式ブログだが2012年のシシャパンマ途中を最後に更新を停止している) http //www.facebook.com/kurikiyama http //blog.sina.com.cn/kuriki(中国語版ブログ)...
  • エベレスト(4回目)
    エベレスト(2012年9月~10月) 判断ミスが重なり、凍傷で指切断の羽目に… ルート BC入りが遅れる 一次馴化をせずC3に特攻?他人のハシゴ使用を公言 8人のシェルパがルート工作 単独設定 BCからの中継 アタックステージ開始いきなり撤退 C2の時点で凍傷 高所に長時間滞在して体力を消耗舌がただれる 8000mに達せない状況での強引なアタック足も凍傷になる 登頂断念 凍傷で動けなくなり、シェルパにより救助、ヘリに収容される スケジュール当初の予定 実際の行程表BC入りまで 高所順応 アタックステージ 下山後 (※)略語 BC→ベースキャンプ C1→キャンプ1 BC 標高5300m C1 6000m C2 6400m C3 7200m C4 7500m (※)この記事内のツイッター・ブログの投稿時間は日本時間、それ以外は断りがなければ現地ネパール時間(日本時間に対して-3 1...
  • 先人の言葉
    チョモランマ単独行 ラインホルト・メスナー K2非情の頂 アリスン・ハーグリーブス ラインホルト・メスナー トモ・チェセンに対する見解 ドゥーガル・ハストン 谷川太郎(東京農業大学山岳部) 「単独行」 加藤文太郎 川村晴一(山学同志会) 木本哲 山本篤(明治大学炉辺会) 平井一正(京都大学学士山岳会) 堀田弥一(立教大学山岳部) 松本龍雄(第二次RCC) 遠藤由加 チョモランマ単独行  ラインホルト・メスナー ぼくはトランシーバーを持っていない。 《下》との連絡はまったくなしで登りたいのだ。 エヴェレストへの単独行は、《上》と《下》のあいだにいかなる橋もかかっていない場合、 つまりいつでも待機している地上部隊による安全対策が講じられていない場合のみ、 真の単独行といえるのである。 記者 「チョモランマ単独行のテレビ映画は放映されますか」 メスナー ...
  • よくある質問
    よくある質問(はじめての方向け) ――栗城さんってすごい登山家なんでしょう、どうしてこんなに叩かれているの? 栗城さんは、登山家としてはぜんぜんすごくありません。 すごくないのに、さもすごい人みたいに装っているから叩かれているんだと思うな。 ――でも栗城さんは世界でもすごいことに挑んでいるんじゃないの? 「世界7大陸最高峰に単独無酸素に挑む」って言ってるけど、エベレスト以外は無酸素が当たり前だよ。 そしてエベレストにはまだ登れていない。4年とも惜敗ではなく惨敗だ。頂上まで約1000mを残してる、 まったく歯が立たなかった。 過去に日本人でも無酸素で登った人が何人かいるし、 最近の一流登山家は、エベレストはもう知り尽くされてるから面白くないと重要視していないよ。 それに本当の意味でエベレストに単独無酸素で登頂したとしても、もう30年以上前にそれをやった人がいるん...
  • 日本の山のまとめ
    世界の山々に挑んできた栗城だったが、日本に戻っているときはスポンサーへの挨拶や講演会に駆け回っていたという。そのため、日本国内の山へはあまり登っておらず、実践的なトレーニングも満足に行っていなかった。それゆえ、訓練なしにぶっつけ本番の海外遠征を何度も繰り返していた。 国内登山歴 (2012年まで) 栗城が登った日本国内の山で、わかっているのは以下の通り。 20才 2002年冬 中山峠から小樽市の銭函まで 2名で1週間程度の雪山(標高1,000M前後)の年越し縦走。 ??才 ????年春 富士山 栗城談「昔、冬の富士山で下山口を間違えて山菜採りのおじさんに救出された」 冬?? 26才 2008年夏 富士山8合目で敗退 「詳細は後日報告します」・・・報告無し 28才 2011年冬 アイスクライミング初心者講習参加 「アイスクライミング合宿」と報告していたが、実...
  • 登山のトレーニング
    普段、講演やスポンサー巡りに忙しい栗城が 少ない時間でどんなトレーニングをしているのかというと… 2011年、3度目のエベレスト挑戦前に栗城のトレーナーをしていた山川和風氏のブログ http //ameblo.jp/kazukaze/entry-10996549831.html 栗城様とは、ここ2カ月弱、 身体の使い方のアドバイスも含め、登山に必要な体幹・インナーマッスルの強化や柔軟性向上、 低酸素状態で起こりうる身体への負担を想定した持久力アップのトレーニングを中心に ピラティスと加圧メンテ、ストレッチを週に2~3回取り組んできました。 食事改善の意識の高さもあり、目的の一つでもあった減量にも成功しています。 トレーニングを見させていただいていると、ご本人が認めている通り、決して恵まれた身体能力の持ち主ではありませんが、 精神力でそれらを凌駕しているのだと感...
  • ピッケル問題
    ピッケル問題 2009年のエベレストで栗城がピッケルを持たずにストックで登ったこと。 (ザックにピッケルを刺していない) グレートクーロワールへのトラバースまではメスナーも バランス保持のためストックをメインに使って登っているが グレートクーロワールはピッケルが無いと登攀不可能。 そのため初めから頂上まで登る気が無かったのではないか、という疑惑。 ピッケルなしでエベレストにアタック♪ 28 名前:底名無し沼さん[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 00 16 21 874 名前:底名無し沼さん[] 投稿日:2010/10/07(木) 22 04 30 昨年のエベレスト見たけど、この人滑落訓練もやってないのかね。 あのトラバースでストックとは。ピッケル使用しないでどうトラバースするつもりだったのだろう。 最後は恐怖で止めたとしか思...
  • エベレスト(6回目)
    2016年秋、6回目となるエベレスト登頂に挑む。現地到着後、グレート・クーロワールを経由する危険なルートで登頂すると発表しベテラン登山家から苦言を呈される。様々なトラブルからスケジュールはどんどん遅延していき、ルート変更を経て無謀なアタックに挑むも当然失敗、結局敗退した。 計画発表、CF開始 記録出発延期 ルート発表 順応に手間取る さらにルートを変える 当然ながら敗退 二度目のアタックをせず撤退宣言 下山後 後日談 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程BC入り~順応まで アタックステージ 計画発表、CF開始 FacebookやTwitterでの挑戦発表にさきがけて、二つのクラウドファンディング(CF)サイトでパトロン(支援者)の募集を開始した。そのうち、CAMPFIREでは目標額が1800万円とされた(*1)。 ▼資金の使い道 支援金はエベレストからの...
  • オフィシャルブログ
    栗城は自身のオフィシャルブログに登山の様子や講演会の告知などを投稿していた。2015年4月9日、オフィシャルブログをAmebaブログからLINEブログに移転。 これらオフィシャルブログのコメント欄では、悪意のあるもののみならず、栗城側にとって都合が悪いもの(至極真っ当な指摘や批判)も削除あるいは表示されないようにされていた。 また、コメントに含めると投稿ができないNGワードが複数存在することが確認されている。 嘘 ウソ 削除 詐欺 インチキ 騙す 騙し SPOT 偽装 詐称 捏造 だます 猪熊 内訳 ホラッチョ 2016年11月のLINEブログ自体の仕様変更により、LINEブログアプリをインストールしたスマートフォン以外(PCなど)からのコメントはできなくなった模様。2019年5月21日の投稿「一周忌をむかえました」を最後にブログは更新されていない(*1)。
  • シェルパを使った替え玉登山
    生前は疑惑にとどまっていたが、死後の関係者証言で確定的に 疑惑の発生 替え玉登山の裏取りがされる 替え玉登山をした理由 NHKで特集 このとき以外にも替え玉登山をしたのか 疑惑の発生 2015年の5度目のエベレストで、栗城はSPOTというGPSの位置情報が自動的にネット上に公開される製品を使った。この年は2回の頂上アタックを試みたが、特に2回目のアタックで栗城の行動とGPSログが不自然だったことから、GPSをシェルパに持たせた替え玉説が生まれた。その理由は 栗城に越えられそうにないサウスコル直下の難所を通過したこと そのときに登り下りともSPOT(GPS)がオフにされるという不自然な操作がされたこと サウスコル(7900m)でログが滅茶苦茶な動きをしたこと その後、かなり消耗しているはずなのに不眠不休の24時間以上の連続行動でベースキャンプ(BC)に下りたこと(これは1回...
  • エベレスト(1回目)
    ルート ラインホルト・メスナーが1980年に単独登頂を成し遂げた際のチベット側から入るルート。ネパール側ルートと違い氷河のアイスフォール帯を通過せず、多数のハシゴによる架橋を必要としないためメスナーが単独を達成する為に採用した。前半はチベット側ノーマルルートと同じだが、北稜の途中からトラバースした後にグレート・クーロワール(ノートン・クーロワール)を通って山頂に至る。このグレート・クーロワールが最大の難所であり核心部といえるのだが、栗城が撤退したのはグレート・クーロワールの手前だった。 NHKで放送された際のルート図(クリックで拡大) exploler.webの全ルート解説図 シェルパを15人も雇っている 同時期にエベレストの横にあるラクパ・リに登った登山隊「山の会 カランクルン」の記録 現在、チョモランマには七大陸最高峰単独無酸素というのを売りにしている ...
  • エベレスト(4回目)の詳細情報
    エベレスト(4回目)でまとめきれなかった詳細情報 パブリックビューイング アタックステージ開始から即下山するまでの詳細 本当の体調は? パブリックビューイング 栗城の著書を出版しているサンクチュアリ出版は、自社のイベントスペースで登頂生中継のパブリックビューイングを予定していたが、登頂予定日が何度も延期されたため開催予定日も何度も延期となり、結局中止となった。 (ちなみに前年のエベレストでも同じ企画をしていた) 15日の延期告知 登山家・栗城史多のエベレスト登頂アタック パブリックビューイベント in サンクチュアリ出版 サンクチュアリ出版より「NO LIMIT 自分を超える方法」http //www.sanctuarybooks.jp/kuriki/を発売している小さな登山家・栗城史多さん。 現在、ネパールにて単独・無酸素エベレスト登頂に挑戦中です。 ...
  • ブロードピーク
    概要 他隊の動向 シェルパをネパールから呼び寄せる ルート 当初の登頂スケジュール 実際の行程表キャラバン 順応ステージ アタックステージ予定 実際の行程 行列状態 ソロ宣言 参考ブロードピークの「無酸素登頂」 SPOTについて 概要 2014年6月から8月にかけ、パキスタンにあるカラコルム山脈の8000m峰、ブロードピークに挑戦。手指の大部分を切断するほどの凍傷を負った2012年のエベレスト以降、初の遠征である。出発前にはやはり「単独・無酸素」をアピール。凍傷に懲りたのか、あるいは今まで繰り返してきた「ぶっつけ本番」に対する批判をかわすためか、遠征出発前に富士山と穂高にてそれぞれ2回の山行を行った。もっとも、いずれも日帰りでの山行であり、気休めにしかならないことは明らかである。 また今回の遠征では、Grobalstar製SPOTを携帯。かねてから言われていたGPSトラック...
  • 広報いまかね
    栗城の出身地である北海道瀬棚郡今金町の広報誌「広報いまかね」にて、栗城が企画した農産品販売会の様子が取り上げられている。 「ティファニー(前で)男爵を(売る)」(2002年10月号) 「三越前で「今金いいとこ」売りました!」(2003年10月号) 「ティファニー(前で)男爵を(売る)」(2002年10月号) 2009年9月2日、当時大学生だった栗城は、出身高校のOBらと共に三越札幌店で今金町産の農産品販売会を実施した。販売会は栗城が企画したもので、三越や農協との折衝も栗城が行ったとある。 別インタビュー記事では、大学1年から3年まで毎年販売会を実施したと語っている(→登山を始めたエピソード、失恋事件)。 ▼「広報いまかね」2002年10月号5ページ目 PDFファイル(直リンク) 「三越前で「今金いいとこ」売りました!」(2003年1...
  • マナスル問題
    マナスルの山頂には到達していない 本人の公式サイトによると 2008年10月 マナスル8163mに日本人として初となる単独・無酸素登頂 山頂からスキー滑降 とあるが、これは登山歴詐称である可能性が高い。世界で最も権威がある認定機関「ヒマラヤン・データベース」に登頂を認められていないからである。 そのヒマラヤン・データベースの記録にあるように頂上手前にあるコブの地点(8133m地点と思われる)までの到達としか認められていないにも関わらず、本人は堂々と「マナスル8163m単独・無酸素登頂」としている。 世界的にはマナスル登頂を認められていないが、本人は登頂したと言い続けている状態である。 マナスルの登頂を目指し、そのコブが頂上の手前であるにも関わらず下山したということは、頂上手前で敗退したということなのである。もしくはそのコブをマナスル山頂と勘違いし、下山してし...
  • 登山を始めたエピソード、失恋事件
    栗城自身が語る「登山を始めた理由」 高校卒業後、役者を目指して上京し俳優を養成する学校に入るも挫折。 そのまま首都圏に残り、目標もなく1年間のフリーターを経験した後、翌年(2002年=平成14年)4月、当時の彼女の好み『車を持っている大卒の公務員』に合わせるため北海道に戻り、「名前を書けば入れる大学」に入学。 その年の夏、失恋し一時期引きこもる。そのときに布団に人型のカビが生えたのを目の当たりにし「自分はとうとうカビになっちゃったんだな…」「どうすればカビから人間に戻れるんだろう」「自分を変えるために何かをはじめなくては」と自己反省をし、自分をふった彼女への未練から彼女の趣味だった登山に興味を持ち、他大学の山岳部に入る。→来歴「デビューまでのまとめ」を参照 登山を始めるきっかけとなった『彼女』と『失恋事件』について 栗城が北海道瀬棚郡今金町(「僕の暮らしていた町はかなりの...
  • ボチボチトレック
    ネパール・カトマンズにある登山ツアー会社/代理店。社長のティカ・ラム・グルンが2006年に設立し、ネパールや周辺国にて登山ガイドやツアーなどを行っている。なお、「ボチボチ」の由来は日本語(関西弁?)の「ぼちぼち」だという(*1)。 公式サイト 所属シェルパ一覧 栗城とのつながり 栗城はエベレスト挑戦に同行するシェルパの手配をボチボチトレックへ依頼していた。また、日本語が堪能なティカ社長とは深い関係にあった。 栗城のチョ・オユー遠征のときの記録 今日はこれからBochiBochi(エージェント)さんに行って、送っていたはずの荷物を確認します。BochiBochi(エージェント)さんとはチョ・オユーの食事や移動、登山許可などのお世話をしてくれる会社で、登山をするには彼らの助けがないと無理でしょう。 BochiBochiさんのボスはTikaさんといって日本語がペラペラです...
  • アンナプルナ
    (標高 BC:4190m ABC:4700m C1:5100m C2:5500m C3: 6400m C4:7200m(1回目),6800m(2回目)) 氷河はABCから 1回目のアタックはC4(7200m)で体調不良により敗退。 酸素ボンベを持ったシェルパ2名に救助される。 自己申告では「酸素マスクを忘れてボンベを使えなかった」としている。 2回目のアタックでは7700m地点で敗退。またしてもシェルパに救助される。 遠征当初に掲げた目標 8000m峰の単独・無酸素登頂 世界初となる頂上からのスキー滑降 Yahoo!特集ページ、エイベックスmu-mo携帯サイト、USTREAMを使っての登頂生中継 http //wayback.archive.org/web/20100917074951/http //kurikiyama.jp/annapurna.html(Way...
  • 夢教育映画
    2012年、栗城は自身を題材にした映画の製作を発表。製作に先立ち自身のサイトで支援を求め、数百万円を集めたが、完成は何度も延期された。 製作発表 2012年秋のエベレスト遠征中、自身の登山の様子やスポンサー回りなどを記録したリアルドキュメンタリー夢教育映画「エベレスト・ライジング」を製作すると発表した。完成後は子供たち向けに「学校等における上映」を予定し、劇場公開の予定は「未定」とされた。 本映画は2013年の夏から全国の学校での無料上映を目指し、多くの子供達に「夢に挑戦するカッコイイ大人の姿」を伝えることを目的としています。登頂へのチャレンジというカッコイイ部分だけではなく、都内の企業回りから、夢を実現するための困難など様々な障壁にも立ち向かうことも含めてリアルに伝えてゆくことで、まさに夢が実現していく過程を共有するための映画になればと考えています。 ※本作品は映画作品...
  • @wiki全体から「シシャパンマで滑落したときの怪我の様子」で調べる

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