体調不良アピール

栗城史多まとめ @ ウィキ内検索 / 「体調不良アピール」で検索した結果

検索 :
  • 体調不良アピール
     遠征中も頻繁に体の各部の痛みを訴えるが(主に腰、膝)、国内にいる時でも体調不良のアピールをすることが多い。 登攀中の事故や怪我の後遺症などならまだしも、そもそも過酷な高所登山に向いていないのでは?と疑問を持たざるを得ないようなものも含まれている。 鬱病アピール 「鬱ですね」シシャパンマ南西壁の出発直前に医者から言われた言葉だった。南西壁に出発する一ヶ月前から夜は眠れなく、体調が良くない状態が続いた。ほぼ不眠症のように何度も夜中に起きたり、気がつくと起きたまま朝を迎えていることが毎日のようにあった。医者に見てもらうとこの言葉が返ってきた。「鬱ですね」この言葉を言われたのは、昨年のエベレスト前にも別の医者から同じことを言われ2度目だった。「鬱」と言われようと何だろうと別に気にはしない。元気が無い人はみんな鬱と言われているだけじゃないかと思っていた。でも、確かに2010年の秋頃から、...
  • メニュー
    ... 栗城流ストック術 体調不良アピール 登山を始めたエピソード Wikipedia荒らし 加圧&クライミングスタジオ オフィシャルブログ 夢教育映画 講演会・メディア出演 東日本大震災の対応 おもな講演会一覧2013年以前 AERA記事 日曜ビッグバラエティ 日経ビジネス記事 広報いまかね 関係者 おもな関係者一覧 2chスレッド 2ch現在進行形スレ 2ch過去スレ 2ch過去スレ2 リンク @wiki @wikiご利用ガイド アクセス 今日: - 昨日: - 合計: - ここを編集
  • 魚住司
    栗城隊カメラマン(2010年のエベレスト遠征から)。 北海道を拠点に活動。スキー、スノーボードの撮影が主体のスチールカメラマン。 2016年のエベレストでは、EAT関係者はおろか門谷カメラマンまでもが不参加となり、体調不良により動けなくなったスタッフが続出した中で唯一まともに動いたメンバーとなった。 本人ブログ 帯同遠征 2010年 エベレスト 2011年 エベレスト 2012年 エベレスト 2014年 ブロードピーク 2015年 エベレスト 2016年 アンナプルナ、エベレスト 2017年 エベレスト 2018年 エベレスト
  • 佐藤圭
    おもにウィンタースポーツの撮影をメインとするカメラマン。通称:KEYPHOTO 2011年のアラスカおよびシシャパンマ、2012年のシシャパンマ遠征に参加 2016年のエベレスト遠征にも参加したが、ベースキャンプ到着後に体調不良になり途中帰国した。
  • 無謀なスケジュール
    スポンサーであるニトリの社長である似鳥昭雄氏にも突っ込まれているのが、登頂を真面目に考えているとは思えない無謀なスケジュールである。 近年8000m峰を登頂する場合は 雪崩やセラック崩壊の危険の大きい下部キャンプ間(エベレストならアイスフォール帯)の往復を減らす為、事前に危険が少ない6000m峰に登頂。山頂付近でハイキャンプを張り一次馴化。 その後C1,C2,C3と荷揚げを繰り返しながら二次馴化。C3での宿泊で馴化を補強し最終段階とする。 いったんBCに戻り体力を回復した後すぐにサミットプッシュ というプロセスを取る事が多い。5000mより上での滞在は計4週間、6500m~7400mの宿泊は計8~9日とし、これを高度馴化短期切り上げ方式と呼ぶ。 この通りのスケジュールをこなすと登頂予定日の2ヶ月程度前にはネパール入りすることが必要になるのが普通であるが、栗城隊のスケジュー...
  • ブロードピーク
    概要 他隊の動向 シェルパをネパールから呼び寄せる ルート 当初の登頂スケジュール 実際の行程表キャラバン 順応ステージ アタックステージ予定 実際の行程 行列状態 ソロ宣言 参考ブロードピークの「無酸素登頂」 SPOTについて 概要 2014年6月から8月にかけ、パキスタンにあるカラコルム山脈の8000m峰、ブロードピークに挑戦。手指の大部分を切断するほどの凍傷を負った2012年のエベレスト以降、初の遠征である。出発前にはやはり「単独・無酸素」をアピール。凍傷に懲りたのか、あるいは今まで繰り返してきた「ぶっつけ本番」に対する批判をかわすためか、遠征出発前に富士山と穂高にてそれぞれ2回の山行を行った。もっとも、いずれも日帰りでの山行であり、気休めにしかならないことは明らかである。 また今回の遠征では、Grobalstar製SPOTを携帯。かねてから言われていたGPSトラック...
  • エベレスト(8回目)
    2018年春 エベレストまとめ 性懲りもなくトレッキング経験すらない素人スタッフを帯同。完全な仕上がりを豪語も順応ステージで早くも体調不良に。ずさんな行動の果てについに遭難死 昨年につづき春の入山。なんと今回は先にローツェに登り順応、その後エベレストに連続登頂という出鱈目なプランをぶち上げた。 今年からネパール政府がエベレストの単独登山を禁止したが、相変わらず「単独無酸素」を吹聴している。 ネパールが単独登山を禁止 素人スタッフ 他隊の動向 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程BC入り~順応まで アタックステージ 遭難死 関係者の証言 今季のエベレスト 参考リンク集(他隊の活動記録) ネパール当局がエベレスト単独登山を禁止 ネパール政府は安全対策のため、この年から単独登山と障害者の登山禁止を決定した。 ネパール当局は、事故を減らすための措置として...
  • 栄光の記録一覧
    ヒマラヤ連続敗退記録 自力下山できなかった山の一覧 酸素ボンベを使用した山 インターネット生中継 これまで使ったお金 フルマラソン ヒマラヤ連続敗退記録 2009年から7連敗 2009年 秋 エベレスト敗退 2010年 春 アンナプルナ敗退 2010年 秋 エベレスト敗退 2011年 春 シシャパンマ敗退 2011年 秋 エベレスト敗退 2012年 春 シシャパンマ敗退 2012年 秋 エベレスト敗退 自力下山できなかった山の一覧 2005年 秋 キリマンジャロ 高度障害で倒れポーターにより救助 2009年 春 ダウラギリ 下山中に滑落 「偶然」現れたシェルパにより救助 2009年 秋 エベレスト シェルパにより救助 2010年 春 アンナプルナ シェルパにより救助(なんと2回) 2010年 秋 エベレスト シェルパにより救助 酸素ボンベ吸ってる 2011年 春 シシャパ...
  • エベレスト(7回目)
    2017年春 エベレストまとめ 前代未聞、まさかの国をまたいでのルート途中変更、ルートショッピング後にノーマルルートで敗退宣言 昨年の敗退ではついに原因を「地球規模の気象の変化で秋は登れる気候ではなくなった」としたため、これまでこだわっていた秋の遠征は事実上終了。思い付きか苦し紛れかは定かではないが、下山直後は「厳冬期もありかも」と放言。さすがにこれはこれまで応援していた支持者からも不興を買ったようでうやむやとなり、結局「北壁ならオンシーズンの春でも人は少ない」として春の遠征に切り替えることとなった。 資金難 他隊の動向 空白の10日間と突如のルート変更 ネパール移動後 下山後 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程BC入り~順応まで アタックステージ 参考リンク集(他隊の活動記録) 資金難 昨年は通信状況が悪くほとんど配信ができなかったため大量に費用...
  • 七大陸最高峰の無酸素単独登頂について
    かつて栗城はメディアに対し七大陸最高峰の単独・無酸素登頂をアピールしていたが、のちにそれは勝手に書き立てられたことだと主張。しかし過去に自身のブログなどで七大陸最高峰の単独・無酸素登頂に関し幾度となく触れている。 七大陸最高峰の単独・無酸素登頂について メディア記事における七大陸最高峰の単独・無酸素登頂アピール メディア記事を否定 検証自身のブログ DVD スポンサーのキャッチコピー 参考「世界初」→「日本人初」に 七大陸最高峰の単独・無酸素登頂について 七大陸最高峰は人気があって登山者が多く、登山シーズンのノーマルルートで単独は成立しない。また、キリマンジャロとビンソンマシフではそもそも単独で登ることが禁止されている。(→個々の山の問題点) 七大陸最高峰のうち登頂に酸素ボンベが必要なのはエベレストだけであり、それ以外の最高峰登頂に酸素ボンベは不要である。ゆえに、エベレスト以...
  • エベレスト(6回目)
    2016年秋、6回目となるエベレスト登頂に挑む。現地到着後、グレート・クーロワールを経由する危険なルートで登頂すると発表しベテラン登山家から苦言を呈される。様々なトラブルからスケジュールはどんどん遅延していき、ルート変更を経て無謀なアタックに挑むも当然失敗、結局敗退した。 計画発表、CF開始 記録出発延期 ルート発表 順応に手間取る さらにルートを変える 当然ながら敗退 二度目のアタックをせず撤退宣言 下山後 後日談 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程BC入り~順応まで アタックステージ 計画発表、CF開始 FacebookやTwitterでの挑戦発表にさきがけて、二つのクラウドファンディング(CF)サイトでパトロン(支援者)の募集を開始した。そのうち、CAMPFIREでは目標額が1800万円とされた(*1)。 ▼資金の使い道 支援金はエベレストからの...
  • 日本の山のまとめ
    世界の山々に挑んできた栗城だったが、日本に戻っているときはスポンサーへの挨拶や講演会に駆け回っていたという。そのため、日本国内の山へはあまり登っておらず、実践的なトレーニングも満足に行っていなかった。それゆえ、訓練なしにぶっつけ本番の海外遠征を何度も繰り返していた。 国内登山歴 (2012年まで) 栗城が登った日本国内の山で、わかっているのは以下の通り。 20才 2002年冬 中山峠から小樽市の銭函まで 2名で1週間程度の雪山(標高1,000M前後)の年越し縦走。 ??才 ????年春 富士山 栗城談「昔、冬の富士山で下山口を間違えて山菜採りのおじさんに救出された」 冬?? 26才 2008年夏 富士山8合目で敗退 「詳細は後日報告します」・・・報告無し 28才 2011年冬 アイスクライミング初心者講習参加 「アイスクライミング合宿」と報告していたが、実...
  • シシャパンマ(2回目)
    シシャパンマ(2012年5月〜6月) これまでで最もグダグダな登山となった… 概要高所順応に失敗する ロープを忘れる 無謀なアタック 滑落して負傷し、シェルパに救助される 怪我の様子 地図 スケジュール当初の予定 実際の行程表 概要 今年も難易度の高い南西壁ルートを選択。前年は1枚目写真5番ルートだったが、今年は2枚目②のルート。エアハルト・ロレタンやヴォイテク・クルティカといった超一流クライマーが登頂した際のルートである・・・。 ルート図 (画像クリックで拡大します) 高所順応に失敗する ネパール入りが4月末、ベースキャンプ入りが5月10日という、プレモンスーンの登山としては非常に遅い日程で登山を開始する。信じがたい事に、出発前日まで講演会を行っていた。 栗城Facebook Kuriki Nobukazu  2012年4月27日 22 18...
  • トップページ
    栗城史多まとめ @wikiへようこそ 栗城氏の死去から半年が過ぎました。 死去直後はさまざまな議論を呼びましたが、死後半年が経過し、メディアでも世間でも、ほぼ話題になることがなくなりました。 【参考】問題点を指摘する言説:登山に関するもの(死後編) そのタイミングで、2019年1月14日にNHKスペシャル「冒険の共有 栗城史多の見果てぬ夢」が放映され、また少なからず総括がなされようとしています。 なぜ彼は、死ななければならなかったのか。 先の番組では「インターネット上の匿名の批判や期待するファンの声によって追い込まれた」といった趣旨で締めくくられていましたが、果たして本当にそうでしょうか? 「批判」は誹謗中傷だけだったのか? ファンは彼の実力をどの程度把握していたのか? マスメディアが彼の実力を想像以上に喧伝し、虚像を作り上げてはいなかったのか?...
  • 来歴
    栗城 史多(くりき のぶかず、1982年6月9日 - 2018年5月21日)は日本の企業家、登山家。北海道瀬棚郡今金町出身。 北海道檜山北高等学校、札幌国際大学人文社会学部社会学科卒業。株式会社たお代表取締役社長。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業株式会社の子会社)に2011年9月頃から死去時まで所属していた(業務提携と発表されている。よしもと公式サイト(*1))。講演活動を中心にして年に1、2回ほど登山を行いその様子をコンテンツクリエイターとして撮影・販売していた。 2009年頃に拓殖大学大学院地方政治行政研究科に在学していた(中退した模様)(*2)。 2001年4月、地元の高校卒業後に上京し、吉本興業が運営する芸人・タレント養成所の「NSC東京校」に入学する。このことは北海道放送で栗城を取材していたテレビディレクターが栗城の死後に明らかにしている(*3)。(以前...
  • エベレスト(1回目)
    ルート ラインホルト・メスナーが1980年に単独登頂を成し遂げた際のチベット側から入るルート。ネパール側ルートと違い氷河のアイスフォール帯を通過せず、多数のハシゴによる架橋を必要としないためメスナーが単独を達成する為に採用した。前半はチベット側ノーマルルートと同じだが、北稜の途中からトラバースした後にグレート・クーロワール(ノートン・クーロワール)を通って山頂に至る。このグレート・クーロワールが最大の難所であり核心部といえるのだが、栗城が撤退したのはグレート・クーロワールの手前だった。 NHKで放送された際のルート図(クリックで拡大) exploler.webの全ルート解説図 シェルパを15人も雇っている 同時期にエベレストの横にあるラクパ・リに登った登山隊「山の会 カランクルン」の記録 現在、チョモランマには七大陸最高峰単独無酸素というのを売りにしている ...
  • アンナプルナ
    (標高 BC:4190m ABC:4700m C1:5100m C2:5500m C3: 6400m C4:7200m(1回目),6800m(2回目)) 氷河はABCから 1回目のアタックはC4(7200m)で体調不良により敗退。 酸素ボンベを持ったシェルパ2名に救助される。 自己申告では「酸素マスクを忘れてボンベを使えなかった」としている。 2回目のアタックでは7700m地点で敗退。またしてもシェルパに救助される。 遠征当初に掲げた目標 8000m峰の単独・無酸素登頂 世界初となる頂上からのスキー滑降 Yahoo!特集ページ、エイベックスmu-mo携帯サイト、USTREAMを使っての登頂生中継 http //wayback.archive.org/web/20100917074951/http //kurikiyama.jp/annapurna.html(Way...
  • 登頂する気のない行動
    「登頂する実力がない」だけでなく、「そもそも登頂する意志がない」とネット上で散々批判され、 栗城を黙殺していた登山界からも「登る気がない」と指摘されるようになった経緯を解説する。 高所登山の3つの壁 エベレスト無酸素登頂の難しさ客観的な実力 登頂する気がないと見做されるようになる経緯トレーニングをしない 前兆(2010~2011)バリエーションルート カラス下山 アリバイアタックの始まり(2012)エベレスト西稜 指切断と難ルート(2015~2018) 登頂の意志がないまま登山を続けた理由 その他の可能性 萩原浩司(『ROCK&SNOW』編集長、『山と渓谷』元編集長) 「残念ながら、彼の体力・技術・経験は十分とは言えず、山への甘さを感じて危険だ。(登頂せずに)引き返すことが前提のトライにも見える」 朝日新聞 2015年12月19日朝刊・土曜版「BE」『逆風万帆』より...
  • エベレスト(4回目)
    エベレスト(2012年9月~10月) 判断ミスが重なり、凍傷で指切断の羽目に… ルート BC入りが遅れる 一次馴化をせずC3に特攻?他人のハシゴ使用を公言 8人のシェルパがルート工作 単独設定 BCからの中継 アタックステージ開始いきなり撤退 C2の時点で凍傷 高所に長時間滞在して体力を消耗舌がただれる 8000mに達せない状況での強引なアタック足も凍傷になる 登頂断念 凍傷で動けなくなり、シェルパにより救助、ヘリに収容される スケジュール当初の予定 実際の行程表BC入りまで 高所順応 アタックステージ 下山後 (※)略語 BC→ベースキャンプ C1→キャンプ1 BC 標高5300m C1 6000m C2 6400m C3 7200m C4 7500m (※)この記事内のツイッター・ブログの投稿時間は日本時間、それ以外は断りがなければ現地ネパール時間(日本時間に対して-3 1...
  • 60kg_140Lザック
    60Kgザック 『NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法』刊行記念サイン会場で 栗城が7500m以上で感じている重量(地上3倍の重さ≒約60kg)を体感出来るとして 約60kgの重りをつめたザックが展示された。 http //code-is.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/11/19/101119_143801.jpg http //19blog.jugem.jp/?day=20101119 140Lザック 2012年1月10日、twitterでシシャパンマ遠征に向けたカスタムモデルのザックを紹介。140Lの容量と豪語した。 シシャパンマ南西壁用に新しくミレーさんと開発しているザックです。最大で140Lぐらい入ります。しかもバランスが良く、かなり軽量化です。 http //lockerz....
  • その他の発言集
    あと何時間でつくんですか! 2ちゃんねるに対して いばらの道専門Twitter 山に登ることが目的ではない 最初から登れないのは分かっていた 勇気を伝えたい 真の成功者や挑戦者 うるさいよ 現場もし知らないで 三脚を置いて、アングルを考えて、それから泣き始める マラソン着姿のお爺さん 身長が2倍近くありそうなヨーロッパ隊 「ボジョレー栗城」 栗城発言 あと何時間でつくんですか! マナスルでベースキャンプマネージャーを務めた藤川健氏の記録 http //telemark.fujiken.boy.jp/?page=2 cid=50457 (現在該当部分が消されている 魚拓とそのキャプチャ画像) 今日は、栗城君はC3からC4へ移動。 徐々に標高が高くなるため、なかなか思うように体が動かない様子でした。 通常、シェルパで3時間、平均して4~5時間かけて移動するのですが、栗城君 ...
  • アイスバイルが腹に刺さる
    「金スマ」出演 2chの反応 「金スマ」出演 2011年1月28日および2月25日に放映されたTBSのTV番組『中居正広の金曜日のスマたちへ』に出演。スタジオにアイスバイル(ピッケルやアックス等の呼び名もあり)やアイススクリューを持参した。アイスバイルの説明の際「たまにわき腹に刺さっちゃったりする」と発言。また、エベレスト無酸素登頂を達成したのは世界で1人だけであるという誤った内容が放送された(*1)(画像)。その他、番組内での発言やドラマ仕立ての再現映像に今までの話との矛盾や疑問点が多々あった。 なお、放映の少し前、栗城はアイスクライミング 初心者 講習に参加している。 2011年1月28日 前編 2011年2月25日 本編 http //tbs-blog.com/urakinsma/archive/date/2011/2/25/ 2chの反応 18...
  • アンナプルナ(2回目)
    2016年春 アンナプルナまとめ 前代未聞、5月半ばに講演会の予定を入れ、順応登山の標高にも達しないまま撤退 計画発表 順応登山 1回目のアタック失敗 2回目のアタック失敗 後日談 スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程 計画発表 3月7日にブログで突如アンナプルナ南壁の挑戦を発表した。 4月9日から、アンナプルナ南壁(8091m)に向かいます。 (中略) このリズムを確かなものするために、来月からアンナプルナ南壁(左中央のリッジから登るルート)に向かいます。 (中略) このリズムをアンナプルナ南壁で完璧に仕上げて、秋のエベレストに向かいます。 アンナプルナ南壁は、とても美しい山です。 ベースキャンプから山頂までは標高差4000m近くありますが、前回挑戦した北側のアンナプルナに比べると、雪崩が少なく短期間に長時間行動で登るには適しています...
  • 登山のトレーニング
    普段、講演やスポンサー巡りに忙しい栗城が 少ない時間でどんなトレーニングをしているのかというと… 2011年、3度目のエベレスト挑戦前に栗城のトレーナーをしていた山川和風氏のブログ http //ameblo.jp/kazukaze/entry-10996549831.html 栗城様とは、ここ2カ月弱、 身体の使い方のアドバイスも含め、登山に必要な体幹・インナーマッスルの強化や柔軟性向上、 低酸素状態で起こりうる身体への負担を想定した持久力アップのトレーニングを中心に ピラティスと加圧メンテ、ストレッチを週に2~3回取り組んできました。 食事改善の意識の高さもあり、目的の一つでもあった減量にも成功しています。 トレーニングを見させていただいていると、ご本人が認めている通り、決して恵まれた身体能力の持ち主ではありませんが、 精神力でそれらを凌駕しているのだと感...
  • エベレスト(5回目)
    計画発表 計画の変更 ロブチェピークからの中継 アタック開始延期 すぐのBC帰還と再アタック 再び隘路へ迷走。そして当然の敗退 再アタック。再び敗退 シェルパにGPSを持たせた替え玉登山 後日談 海外ニュースでの扱い スケジュール出発時の発表スケジュール 実際の行程BC入りまで アタックステージ 計画発表 3月中旬に最初の遠征で敗退したチベット側メスナールート(グレートクーロワール)の再挑戦を発表した。 今年僕が登るルートは僕が最も登りたかったルートを登ります。それは中国側のメスナールートです https //www.facebook.com/kurikiyama/posts/921326127899705 そして今回は講演会とスポンサー募集に留まらずクラウドファンディングにより不特定多数からの遠征費用の募集も開始。 インターネット生中継プロジェクト...
  • エベレスト(2回目)
    2010年エベレストまとめ シェルパとファンの学生が事故死 シェルパにルート工作をやらせて停滞 栗城とシェルパの日程表 シェルパのルート工作が遅れたため停滞 高度順応失敗で下山 シェルパに救助される酸素ボンベを使用 テレビ特番 後に発表された公式見解 アメリカ隊との繋がり後日談 参考データ 2010年エベレスト関連項目 スケジュール実際の行程表 占い師の存在 ※過去にアップされていた動画の多くは現在すでに削除されている。 記者会見で配布されたルート図。(クリックで拡大) C5まで設営の予定だった事がわかる。 略語 BC→ベースキャンプ C1→キャンプ1 BC 標高5300m C1 6100m C2 6400m C3 7000m C4(サウスコル) 7900m シェルパとファンの学生が事故死 先行してBC入りしようとして一人早い便で向かったシェルパがアグエニ...
  • 村上祐資
    極地での建築研究を専門とし、2010年秋のエベレストが初参加。2011年春のシシャパンマ遠征では発電担当として招聘された。 東大大学院時代には南極越冬隊に参加。寒冷地・悪天候下の経験は豊富のようだったが、高所耐性は低かったようで、2011年のシシャパンマではBC入り前のニュエラム(3750m)で高度障害を発症した。ところが栗城隊は何の対応策もとらずに漫然とスケジュール通りの前進を続行したため当然のように症状が悪化。BC到着時には肺水腫になってしまい2日後には引き返すと言う事態に・・・。 BCから下山後は遠征隊には戻らず、すぐに日本に帰国。 発電する電源は何のためのものか不明だったが、実際には電動式ガモウバッグ(※)兼酸素カプセルの電源だったようだ。 (※)可搬式高圧治療袋。ポンプによって内部を加圧し擬似低高度を作り出すことによって高山病の症状を緩和させる治療道具。初期症状(軽症)や症状...
  • エベレスト(4回目)の詳細情報
    エベレスト(4回目)でまとめきれなかった詳細情報 パブリックビューイング アタックステージ開始から即下山するまでの詳細 本当の体調は? パブリックビューイング 栗城の著書を出版しているサンクチュアリ出版は、自社のイベントスペースで登頂生中継のパブリックビューイングを予定していたが、登頂予定日が何度も延期されたため開催予定日も何度も延期となり、結局中止となった。 (ちなみに前年のエベレストでも同じ企画をしていた) 15日の延期告知 登山家・栗城史多のエベレスト登頂アタック パブリックビューイベント in サンクチュアリ出版 サンクチュアリ出版より「NO LIMIT 自分を超える方法」http //www.sanctuarybooks.jp/kuriki/を発売している小さな登山家・栗城史多さん。 現在、ネパールにて単独・無酸素エベレスト登頂に挑戦中です。 ...
  • K2
    K2(2014年8月) 何もしないままBC出発の2日後に撤退決定… 概要 ルート スケジュール 概要 凍傷からの復帰後第一線であるブロードピークには登頂成功。 その後にBCで行った生中継人生相談で突如としてK2への継続登山を発表した。 のちにブログやFBで「出発前から考えていて栗城隊や一部の人には伝えてあった」と釈明したが、頻繁に対談などをして山岳関係者としては数少ない理解者として振る舞っている野口健が珍しく「やりすぎだ」「ついでに登れる山ではない」と批判するなど、周囲からしても唐突の感が否めない挑戦となった。結局、氷河トレッキングをしただけで終了となり、ノーマルルートの南東稜に取り付きもせずに撤退となった。 栗城Facebook 8月2日 20 25 日本を出発する前に、栗城隊と一部の人のみにK2について伝えていましたが、一番の目標はヒマラヤへの復帰でありブロ...
  • 元ファンからの提言
    元ファンからの提言 603 名前 底名無し沼さん Mail 投稿日 2010/11/15(月) 20 58 47 昨年講演会に行った者です。 今週、メレンゲに出演されると聞いて、「登山家 栗城」とケータイサイトで検索したところ、1位も4位も「栗城批判」がヒット。そこからすぐにここに辿り着きました。 私を講演会に誘った友人に聞いてみると、ここの存在はもう知っていたようで、「どうなの?」と尋ねると「ファン同士は『応援しよう』って、口では言っているけど、だいぶ色眼鏡で見始めてる。私も次(講演会)で最後だと思う」とのこと… もし擁護の方が本当にいるのなら、擁護の材料をきちんと揃えるか、検索がupしないよう、ここに「書かない」ようにしないと、栗城さんは終わってしまいますよ。 元ファンでした。 620 名前 底名無し沼さん Mail sage 投稿日 2...
  • シシャパンマで滑落したときの怪我の様子
    シシャパンマ2回目の登山(2012年5月〜6月) 滑落までのまとめはこちら →シシャパンマ(2回目) 滑落 発表によると、登頂を断念し下山を開始した後に滑落して、背丈ほどの深さのクレバスに落ちて引っかかる。 本人の自己申告によると「15m滑落した後に、20m垂直に落下し、更にクレバスに落ちたが、自力でクレバスから這い上がった。」 その後、滑落地点でシェルパが上がってくるのを待ち、シェルパと合流してから歩いて下山する。 怪我の様子 初めに事務局から「全身打撲、出血、骨折」と発表されるが、下山後に「創傷や打撲」という表現に変わる。 ベースキャンプに着いてからそのことを知った栗城は「胸の骨が折れており、右手親指から肉がはみ出ている」と訂正する。 さらに「呼吸をするだけでも胸が痛み、立って少しだけ歩くだけもやっと」「右肩が上がらない」と痛みを訴える。 しかし...
  • マラソンの成績
    栗城は2014年のいびがわマラソン(岐阜県揖斐川町)と2016年のホノルルマラソンに出走している。いずれもフルマラソン(42.195km)であり、いびがわマラソンは途中でリタイヤ、ホノルルマラソンは6時間台で完走している。 ホノルルマラソン いびがわマラソン ホノルルマラソン(2016年) 2016年ホノルルマラソンのエキスポ・ステージプログラムの催し物として行われたトークショーに登場。当初はこれだけと思われていたが、数日後の成績発表において12月11日に行われた本大会にランナーとして出場していたことが明らかになった。 なお、栗城公式サイトでは、チームクリキメンバー同士の交流行事の一つとしてマラソン大会の出場が掲げられていたが、他のチームメンバーの出走があったかどうかは不明である。 ホノルルマラソンは、日本国内のマラソン大会のように区間ごとおよびゴールでの制限時間(いわゆ...
  • エベレストで負った凍傷の治療経過
    概要 治療日程 出典シェルパに救助され、ヘリでカトマンズの病院に運ばれる カトマンズの病院に入院 日本の病院に移る 「第一関節まで指切断」見込みと発表 「第二関節まで指切断」見込みと発表 インドで治療 日本に帰国、インド治療を断念 切断せずに粘る 東洋医学、民間療法に手を出す 再生医療に飛びつく 手術 概要 2012年秋に4度目のエベレストで重度の凍傷を負う。シェルパに救助されてヘリコプターでカトマンズの病院に運ばれたときには「両手指の他に、両足指と鼻の凍傷が深刻な状態」となる。この時点では治療すれば指が完治すると思っていたのか、鼻が黒くてコアラみたいだと、笑顔でポーズしている写真を公開する。すぐに日本の病院に移るが、足が凍傷になっていて歩けないため、車椅子で移動。日本の病院に移ってからは「指の痛み」と「38度の高熱」でベッドから動けなくなり沈黙。公式サイトやブログ等も更新されなくな...
  • 8000m峰の問題点
    8000m峰の問題点(エベレスト以外) アンナプルナ(2016) 最高難度のバリエーションルート、南壁レフトピラールート ブロードピーク/K2 シシャパンマ(2012) 無茶苦茶な日程で夜間アタックを強行。滑落してシェルパに救助される。 シシャパンマ(2011) アタック失敗後に空身でシェルパと共に下山してくる。 アンナプルナ 2回アタックして2回とも登頂断念してシェルパに救助される。酸素ボンベに手をつける。 ダウラギリ 下山中に滑落し、都合良く現れたシェルパに助けられる。 マナスル 真の頂上に達していない。 他隊が作ったルートをお金を払って使わせてもらっている。 少なくともC3までシェルパのサポートを受けている。 C3とC4で他隊のテントを使っている。 動画で他隊のテント多すぎ。 チョ・オユー 過去のサイトの日記に「シェルパが...
  • スポンサー
    スポンサー 支援継続中 江崎グリコ:http //www.glico.co.jp/nobukazu_kuriki/index.html2011年エベレストからのスポンサー 非売品のチョコ味羊羹開発など最大級の支援。専務(社長の息子)のtwitterでも度々言及。 ニュートリー(ブイ・クレス) :http //www.vcresc.com/special/2010年アンナプルナからのスポンサー。2012年春のシシャパンマでも支援を確認→魚拓  「遥かなる頂 Beyond The Limit」 2011年8月14日放送に社長が出演するなど非常に協力的 twitterでは時折ブイ・クレスを引用しているヨイショツイートを行っているが、2013年秋には特設応援サイトが消滅した。(2014年のブロードピーク遠征ではテント内のスポンサーロゴボードに張り出してあったため支援継続中と思われる) MILLE...
  • まとめサイト作成支援ツール
    まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
  • AERA記事
    「ニート登山家」の挑戦 「彼女につられて」山岳部に入部 前人未到の7大陸最高峰・無酸素単独登頂を目指す、25歳のアルピニストがとった異名は「ニート登山家」。志は大きいが、山を目指したキッカケからしてなんだか笑える。 「レジのお金が合わないんだけど、君じゃないわよねぇ?」 2001年、アルバイト先の神奈川県川崎市の牛丼屋で、先輩の女性店員にいびられる18歳の青年がいた。前人未到の「世界7大陸最高峰・無酸素単独登頂」に挑むアルピニスト、栗城史多(25)の6年前の姿だ。 北海道函館市の北、人口6400人の今金町生まれ。高校卒業後、脚本家を志し、「東京に行けばなんとか人脈を作れるだろう」と、川崎市に6畳1間のアパートを借りた。しかし「地元に残した彼女の顔を思い出すと切なくなり」、上京1週間で演劇の道を断念。警備員や牛丼屋の店員などのバイトで日銭を稼ぎながら、「病んだ1年」を過ごした。...
  • カルステンツ・ピラミッド
    フィックスロープ使いまくり。 インドネシアのガイド会社を使用したことが判明している。 October 2006 From Adventure Peaks Uk (www.adventurepeaks.com) Participated by Dave Pritt From England, Malli Mastan Babu From Indian www.1stindian7summits.com), Nobukazu Kuriki From Japan solo challenge 7summit www.kurikiyama.jp, Nigel Vardy From UK and Sibusiso Vilane From South africa www.sibusisovilane.co.za INDONESIA EXPLORER の2006年10月の記録...
  • 凍傷後の復帰予定の変遷
    2012年の発言12月 2013年の発言1月 夏 10月 2014年の発言2月 3月 2012年の発言 12月 「来春、必ずエベレストに挑戦します」 フライデーのインタビュー記事(12月21日発売) 指の感覚はありません。炭化して鉛筆の芯みたいにドス黒くなっています。今はお湯に浸けたり軟膏を塗ったりしていますが、ほとんどの指を第2関節から切り落とすことになりそう。でも、何とかならないかと思って試行錯誤しています。アメリカでは『豚の粉を掛けると指が再生する』という情報もある。是非試してみたいですね(笑) 第2関節から落とした場合、義指は付けられません。それでも 来春、必ずエベレストに挑戦します。 ウェブサイト「現代ビジネス」による転載 http //gendai.ismedia.jp/articles/-/34480 2013年の発言 1月 「5月から山を再開...
  • キリマンジャロ単独問題
    キリマンジャロ単独問題 栗城の弁明 栗城が書いた記事では… 2chの反応 キリマンジャロ単独問題 2005年、栗城はキリマンジャロに挑んだ。キリマンジャロを登る際にはガイドを同伴しなければならず、単独登山は禁止されている。各登山口にはゲートがあり、そこでガイドを同伴しているかどうかのチェックがされるため、ガイドをつけなければ入山することも不可能。 参考 https //onlyoneafrica.com/kilimanjaro-guide/ https //yama-guide.com/2018/09/06/how-to-climb-killimanjaro/#toc7 ところが、栗城は生前キリマンジャロを単独登頂したと主張していた。今もなお、自身の公式ウェブサイトにあるプロフィールでは、 2005年10月 キリマンジャロ5895m単独登頂 となってい...
  • 第三者による評価
    著名人によるWebメディア以外(TV等)での栗城に対するコメント -服部文祥 -三浦雄一郎 -萩原浩司 服部文祥の栗城評 サバイバル登山家・服部文祥が語る 2011年10月31日放送 フジテレビ「ナダールの穴」 Online Videos by Veoh.com URL http //www.veoh.com/watch/v68420123wygkaytP URL http //v.youku.com/v_show/id_XNjc1MTQ4MzA0.html URL http //www.youtube.com/watch?v=U1TloHfg7gE)(リンク切れ) [動画要約] ピオレドール受賞の7人の顔写真有のフリップが登場 服部 :彼らは日本の至宝… 千原J:無酸素の栗城さんは、ここに入ってる? 服部 :全然ダメです、 オレよりず...
  • マナスル問題
    マナスルの山頂には到達していない 本人の公式サイトによると 2008年10月 マナスル8163mに日本人として初となる単独・無酸素登頂 山頂からスキー滑降 とあるが、これは登山歴詐称である可能性が高い。世界で最も権威がある認定機関「ヒマラヤン・データベース」に登頂を認められていないからである。 そのヒマラヤン・データベースの記録にあるように頂上手前にあるコブの地点(8133m地点と思われる)までの到達としか認められていないにも関わらず、本人は堂々と「マナスル8163m単独・無酸素登頂」としている。 世界的にはマナスル登頂を認められていないが、本人は登頂したと言い続けている状態である。 マナスルの登頂を目指し、そのコブが頂上の手前であるにも関わらず下山したということは、頂上手前で敗退したということなのである。もしくはそのコブをマナスル山頂と勘違いし、下山してし...
  • 問題点を指摘する言説
    -登山に関するもの -登山に関するもの(死後編) -登山以外について 登山に関するもの 栗城氏の問題点について回答するyahoo知恵袋のベストアンサー http //detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496 私も以前は栗城君の挑戦は純粋に頑張っているなと思っていましたが、だんだんとちょっと違うなと気付き始めました。 森山編集所(登山ライター&編集者の森山憲一氏のブログ) 2017/06/02 栗城史多という不思議 http //www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post.html 2017/06/09 栗城史多という不思議2 https //www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html 『判断はずっと保留...
  • 栗城流ストック術
    スレでも度々指摘されるのが登山家とはとても思えないストック(トレッキングポール)の稚拙な使い方である。  トレッキングポールは通常、グリップを握り肘を90度に曲げた状態で先端が地面に付く様に調整、上りや下りではグリップ位置を変えたり、長さ自体を調節して使うのだが、栗城はストックを必要以上に伸ばした状態で使用。限界まで伸ばしたストラップに手首をぶら下げるようにして、グリップではなく柄の部分に指を添えるだけのような持ち方をしている。 体のバランスをとったり、荷重を分散させ足への負担を軽減するのが登山におけるストックの主な役割であるが、この持ち方では殆ど用を成さない。なお、使用しているのはロンググリップが採用される事もある登山用のストックではなくグリップの短いスキー用である。 シシャパンマ南西壁へキャラバン開始(動画0:53~) アタックステージ開始(動画2:20~) 昨日とうって...
  • 特定商取引法違反の講演
    連絡先の不十分な匿名の主催者の開催する講演問題 栗城史多は通信販売でチケットを販売しているにもかかわらず、主催者名が本名でなかったり、連絡先の表示が不十分(携帯電話やフリーメールが連絡先)である講演を繰り返している。チケットを通信販売で申し込み受付を行い、郵送でチケットを送付しているにもかかわらず、特定商取引法に基づく表示は一切みられない。 一例:「栗城史多トークライブin京都」の概要 □案内はwebサイトやsnsを利用 □チケットは郵送 □申し込みはwebサイトやメールなどから申し込み □主催者は匿名のハンドルネーム □主催者の経歴、履歴、所属団体などは一切不明 □主催者の連絡先は無料で登録できるフリーメール http //kurikitl20130331.jimdo.com/ http //kokucheese.com/event/index/71392/...
  • ピッケル問題
    ピッケル問題 2009年のエベレストで栗城がピッケルを持たずにストックで登ったこと。 (ザックにピッケルを刺していない) グレートクーロワールへのトラバースまではメスナーも バランス保持のためストックをメインに使って登っているが グレートクーロワールはピッケルが無いと登攀不可能。 そのため初めから頂上まで登る気が無かったのではないか、という疑惑。 ピッケルなしでエベレストにアタック♪ 28 名前:底名無し沼さん[sage] 投稿日:2010/10/24(日) 00 16 21 874 名前:底名無し沼さん[] 投稿日:2010/10/07(木) 22 04 30 昨年のエベレスト見たけど、この人滑落訓練もやってないのかね。 あのトラバースでストックとは。ピッケル使用しないでどうトラバースするつもりだったのだろう。 最後は恐怖で止めたとしか思...
  • 問題点まとめ
    無酸素単独について 他の登山隊がたくさんいる時期に固定ロープやハシゴを使って登っている。 シェルパにルート工作させている。 アタックの際に酸素ボンベを持ったシェルパが栗城にひっついて登ってる。 無線であまりにも多くのサポートを受けている(雪崩が起きるかどうかや下山の判断をサポート隊まかせ) 七大陸最高峰の無酸素単独登頂について (過去の宣伝文句) 七大陸最高峰のうち酸素ボンベが必要なのはエベレストだけ。 そのエベレストには登れていない。 マナスル登頂問題 マナスルに単独無酸素で登頂したと主張しているが、実際には登頂していない。 シェルパを使った替え玉登山 2015年のエベレストで、シェルパにGPSを持たせた替え玉登山をしていたことが後に発覚。 虚偽申告、中傷問題 動画編集によりあたかも完全に単独であるかのように見せかけている他、 ...
  • 塚部省一
    4種すべてのスカイスポーツを手がけるスクール「スカイトライアル」主宰 2012年秋のエベレスト遠征でラジコンヘリによる空撮のために山口博氏とともに招聘。栗城による自画撮りが殆ど出なかったため山口氏と並んで最も活躍した一人。 撮影はカラパタール~BC周辺が中心だったようで、山口氏とともに最終アタック前に帰国したため遭難時には立ち会っていない。
  • 木野広明
    スポット参加のフリーカメラマン 早稲田大学山岳部出身。山岳カメラマンとしての経験を買われ2011年のエベレスト遠征に参加 ベースキャンプ近くの氷河上で倒れているところをパトロール中のネパール政府職員が発見。発見時に鼻血を出していたとのこと。死因はくも膜下出血と発表された。 いわゆる高所における突然死と思われる。 (高所では心筋梗塞や脳卒中での突然死が起こりやすくなる。) 事故を伝える当時のニュース(魚拓)
  • ダウラギリ
    ダウラギリ 標高(ブログより) BC:4700m C1:5800m C2:6700m C3:7238m 闇夜の中、C3からC2にフィックスロープを頼りに下山するが途中で滑落する。 自己申告では100m滑落してタルチョに引っかかって止まる。 そこでシェルパが都合よく現れ、救助(?)される。 滑落を止めたとされるタルチョの画像 外見は非常に貧弱そうだが… http //www44.atwiki.jp/kuriki_fan?cmd=upload act=open pageid=71 file=o0500037510184602429.jpg http //ameblo.jp/kurikiyama/entry-10265697942.html (魚拓とそのキャプチャ画像) http //ameblo.jp/kurikiyama/image-10265697942-101846...
  • @wiki全体から「体調不良アピール」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索