ミスカトニック大学付属図書館資料室内検索 / 「ヘンリー・アダムズ」で検索した結果

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  • ヘンリー・アダムズ
    ヘンリー・アダムズ(Henry Brooks Adams)(1838~1918) 略歴  アメリカの作家、思想家、歴史家。ボストン出身。曽祖父と祖父は大統領、父は駐英公使という名家の出身。ハーバード大学で学び、その後ベルリン大学に留学した。父の秘書を七年間務め、その後帰国して母校の講師となり、ヨーロッパ中世史とアメリカ史を教えた。政界とも深く関わるが1985年の妻の自殺をきっかけに職を辞し、世界各地を旅した。アメリカ政界と民主政治への絶望し、それを自らの新しい史観によって説明しようと試みた。 作品  『デモクラシー』(Democracy,1880)は民主主義社会への絶望と、資本主義と科学が政治や宗教を腐敗させていく姿を描いている。『エスター』(Esther,1884)も同様のテーマ。  『ジェファソンとマディソン統治時代の合衆国史』(History of the United S...
  • ヘンリー・フィールディング
    ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding)(1707~1754) 略歴  伯爵家の末裔でイートン校に学んだが、生活は貧しかったようだ。当初は劇作家として活躍し、風刺の効いた芝居が人気だったが、政治批判によって取締りが厳しくなり、弁護士に転身した。そして小説を書き始めたが、そこでも彼の気質は十二分に発揮された。上品ぶった偽善が大嫌いだったようで、作品にもそれはよく表れている。 作品  彼の処女作と推定されるのは『シャミラ』(Shamela Andrews,1741)である。これはリチャードソンの『パミラ』のパロディである。シャミラとはいんちき(sham)+パミラ(Pamela)の意。実はパミラの本名はシャミラといって、彼女の美徳は全て計算されたものだった、というとんでもない話である。どうやら市民階級出身で事業でも作家としても成功しているリチャードソンに対して、含むとこ...
  • ヘンリー・ジェイムズ
    ヘンリー・ジェイムズ(Henry James)(1843~1916) 略歴  アメリカ・ニューヨーク出身で、後にイギリスに帰化した作家。同名の父は神秘主義思想家スウェーデンボルイの信奉者の宗教哲学者で、兄のウィリアムはプラグマティズムで有名な哲学者。父の「幼い頃から型にはまった教育を与えるべきではない」という方針で、幼い頃から欧州各国を旅行し、教育はもっぱら正規の学校教育によらず、数人の家庭教師や旅先の私立学校で受けた。この頃の経験が後に作品に活かされることになる。1861年に火事の消火作業中に酷い火傷を負い、結果南北戦争に参加できずに劣等感を抱く。ハーヴァードに入学するも1年で退学し、文筆家の道を歩み始める。最初の作品は1864年に無署名で雑誌に掲載された短篇と書評だった。以後精力的に作品を発表し、新進作家としての地位を固める。1875年には欧州に定住する決意を固め、まずパリに住むが気...
  • 年表(19世紀)
    ...et-Major) ヘンリー・アダムズ(Henry Brooks Adams,1838-1918)『デモクラシー』(Democracy) 1881 ダンテ・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti,1828-1882)『いのちの家』(The House of Life) ヘンリー・ジェイムズ『ある貴婦人の肖像』(The Portrait of a Lady)『ワシントン・スクエア』(Washington Square) トマス・ハーディ『冷淡な人』(A Laodicean) 1882 トマス・ハーディ『塔上の二人』(Two on a Tower) ウィリアム・ディ-ン・ハウエルズ(William Dean Howells,1837-1920)『現代の例』(A Modern Instance) 1884 ヘンリー・アダムズ『エスター』(Esther) 188...
  • ヘンリー・ヴォーン
    ヘンリー・ヴォーン(Henry Vaughan)(1622~1695) 略歴  ウェールズの旧家出身。内乱の後、医師として暮らした。形而上派詩人で神秘主義的な宗教詩を書いた。代表的詩集は『火花散る火打石』(Silex Scintillans,第1部1650,第2部1655)。しばしば極めて難解であるが、神秘的な詩的世界観は評価が高い。
  • 年表(1901~1949)
    ...den Bowl) ヘンリー・アダムズ『モン・サン・ミシェルとシャルトル』(Mont-Saint-Michel and Chartres) W・H・ハドソン『緑の館 熱帯雨林ロマンス』(Green Mansions A Romance of the Tropical Forest) W・B・イェイツ『砂時計』(The Hour-Glass) ジョゼフ・コンラッド『ノストロモ』{(Nostromo) 1905 E・M・フォースター(Edward Morgan Foester,1879-1970)『天使も踏むを恐れるところ』{(Where Angels Fear to Tread) イーディス・ウォートン『歓喜の家』(The House of Mirth) アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの生還』(The Return of Sherlock Holmes)...
  • 作品索引/ハ行
    ...dennis)英 『ヘンリー・アダムズの教育』(The Education of Henry Adams)米 『ヘンリー・エズモンド』(The History of Henry Esmond)英 『ヘンリー4世』(Henry IV)英 『ヘンリー5世』(Henry V)英 『ヘンリー6世』(Henry VI)英 『亡命者の帰還』(Exile s Return A Narrative of Ideas)米 『「吠える」とその他の詩』(Howl and Other Poems)米 『ホーカス・ポーカス』(Hocus Pocus)米 『ホーソーン』(Hawthorne)英米 『ポール・スリッキーの世界』The World of Paul Slickey英 『僕の身にもなってくれ』(Put Yourself in My Shoes)米 『僕はエルサレムのことを話しているのだ』(I m T...
  • ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ
    ヘンリー・ウォズワス・ロングフェロウ(Henry Wadsworth Longfellow)(1807~1882) 略歴  アメリカの最初の国民詩人と呼ばれるロングフェロウは、メイン州ポートランドに生まれる。ボードン大学で学び、同級生にはホーソーンがいた。生来語学の才に秀でており、同大学の教授職についてからも、欧州へ研究のために旅行し、研鑽に励んだ。後1836年に招かれて、ハーヴァード大学の教授となる。それからはケンブリッジに住んだ。それまでも詩作は行っていたが、1854年に教授職を退職し、著述に専念する。彼は詩作で生計を立てられた、アメリカの最初の詩人でもあった。1861年、二番目の妻が不慮の事故で亡くなると、強い衝撃を受け、生涯その思いを引きずることとなった。1882年、腹膜炎で没する。 作品  ロングフェロウは古典に造詣が深く、また語学も堪能であったため、様々な詩形・韻律を自...
  • スタンリー・エルキン
    スタンリー・エルキン(Stanley Elkin)(1930年~1995年) 略歴  ニューヨーク、ブルックリン出身のユダヤ系作家。後にワシントン大学教授となった。ユダヤ系作家の宿命的な重い現実に裏打ちされた知的なユーモアと言葉遊びを得意とした。1960年代~70年代に活躍した反リアリズム的な作家の一人。 作品  『ボズウェル』(Boswell A Modem Comedy,1964)は処女長編。  『グチ人間とオセッカイ人間』(Criers and Kibitzers, Kibitzers and Criers,1966)は短編集。  『悪い男』(A Bad Man,1967)は代表作で、ユダヤ系のデパートの社長が、突如逮捕されてしまうという物語。  他に『ディック・ギブソン・ショー』(The Dick Gibson Show,1971)などがある。
  • ジョージ・エリオット
    ジョージ・エリオット(George Eliot)(1819~1880) 略歴  イギリス中西部ウォリックシャー出身。本名はメアリ・アン・エヴァンスであり、女性であるが筆名は男性名を名乗った。13歳で入学した学校が、非常に宗教色の強い学校で、彼女は清教徒的な教育を受けることとなった。しかし翌年には母が没し、父の面倒を見るために彼女は退学を余儀なくされた。その後本を読む傍ら、独学で語学を学びギリシア、ラテン、ヘブライ、ドイツ、フランス、イタリアの各言語を習得したという。とりわけドイツ語とドイツ思想に傾倒し、それが彼女の精神形成に大きな影響を与え、清教徒よりの信仰からの脱却と自由思想への転身のきっかけとなった。その後ロンドンでウェストミンスター・レヴュー誌の副主筆となる。私生活では知人の紹介で知り合った哲学者のジョージ・ヘンリー・ルーイスと交際するようになった。彼は既婚であったが、その妻と離婚...
  • 年表
    文学史年表 西暦 英文学 米文学 1583 ロバート・グリーン(Robert Greene,1558-1592)『マミリア』(Mamillia) 1584 ジョージ・ピール(George Peel,1557-1596)『パリス裁判』(The Arraignment of Paris) 1587 クリストファー・マーロゥ(Christpher Marlowe,1564-1593)『タンバレイン大王』(Tamburlaine the Great) 1588 クリストファー・マーロゥ『フォースタス博士』(Doctor Faustus) ロバート・グリーン『パンドスト王』(Pandsto,or Drastus and Fawnia) 1589 トーマス・キッド(Thomas Kid,1558-1594)『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy) 1590 クリス...
  • ウィリアム・サッカレー
    ウィリアム・サッカレー(William Makepeace Thackeray)(1811~1863) 略歴  インドのカルカッタ出身の作家。父は東インド会社に勤務していた。6歳で帰国し、イギリスで教育を受けた。ケンブリッジで学ぶも放蕩に明け暮れた上、父が投資していた銀行代理店が倒産、資産の大部分を失ってしまった。結婚を期に新聞社に入るも、長続きせずに退職し、雑誌「パンチ」などへの投稿で生活費を稼いだ。その後作品が認められ、ディケンズと並び称される作家となった。ディケンズが中・下流階級を代表していたのに対し、サッカレーは比較的上流に近い階級の腐敗や俗物性を暴き出した。 作品  『馬丁粋語録』(The Yellowplush Papers,1837-38)は馬丁のイエロープラッシュ(従僕の黄色いお仕着せの意)が転々と奉公先を変えつつ、行く先々で主人の家の内幕を面白おかしく語る、という...
  • E・M・フォースター
    E・M・フォースター(Edward Morgan Forster)(1979~1970) 略歴  ロンドンの建築家の家に生を受ける。何かの手違いで本当はヘンリーと名付けられるはずだったのに、エドワードとなってしまった。ケンブリッジ大学のキングス・カレッジで学ぶ。在学中にケンブリッジ使徒会に参加したが、そのメンバーは後にブルームズベリー・グループの中心メンバーとなった。フォースターもまたそうである。大学卒業後はイタリア、ギリシアを歴訪し、その経験を基に執筆した。1914年頃にはエジプト、ドイツ、インド、その後は中東へも足を伸ばした。晩年まで文壇に大きな影響力を持ち、91歳の天寿を全うした。 作品  フォースターの作品の特徴は、異文化や身分の違う人々が出会うことによって起こる出来事を描いている。そのため舞台が違っても、そこで描かれるのは異質なものにに出会った時の、英国人の心理である。人...
  • シェイクスピア
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 略歴  エリザベス朝演劇を代表する劇作家、詩人。その生涯については不明な点が多い。1580年代の半ば頃にロンドンに出たとされるが確証はない。当初は劇団の俳優をしていたらしいが、その後芝居を書き直す仕事も兼ねるようになる。その才覚が認められ、1590年頃にはオリジナル作品を手がけるようになった。とはいえ彼の(というよりも劇作家はすべからく)作品には、いわゆる種本というものがあり、その骨格に彼の優れた想像力からなる血肉を加付けえ、独自の生きた演劇に仕上げてしまう天才であった。しかしながら歴史や地理の知識にはそれほど詳しくはなかったようで、特に海外を舞台とした作品では、多くの事実誤認が認められる。彼の作品は概ね4つの段階に分けることができる。 第1期―新進気鋭作家(1990~1995)  シェイク...
  • 人名索引/ア行
    人名索引/ア行 アーヴィング(Washington Irving)米 アーヴィング(John Irving)米 アードリック(Louise Erdrich)米 アーノルド(Matthew Arnold)英 アシュベリー(John Ashbery)米 アダムズ(Henry Brooks Adams)米 アップダイク(John Hoyer Updike)米 アンダソン(Sherwood Anderson)米 アンダソン(Maxwell Anderson)米 アンダソン(Robert Woodruff Anderson)米 Æ(Æ)英 イージアスカ6italic(){(Anzia Yezierska)}米 イェイツ(William Butler Yeats)英 インジ(William Motter Inge)米 ヴィダール(Gore Vidal)米 ウィチャリー(William Wycherle...
  • 年表(1950~2000)
    西暦 英文学 米文学 1950 アンジア・イージアスカ『白馬の赤いリボン 私の話』(Red Ribbon on White Horse My Story) ウィリアム・インジ(William Motter Inge,1913-1973)『帰れ、いとしのシーバ』(Come Back, Little Sheba) テネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの夏』(The Roman Summer of Mrs. Stone)『バラの刺青』(The Rose Tattoo) ハーマン・ウォーク『ケイン号の叛乱』(The Caine Multiny) ロバート・ペン・ウォレン『この世も時も』(World Enough and Time) クリフォード・オデッツ『カントリー・ガール』(The Country Girlfa) トルーマン・カポーティ『草の竪琴』(The G...
  • マシュー・アーノルド
    マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)(1822~1888) 略歴  イギリスの詩人。父はスポーツのラグビ-の名前の由来とされるラグビー校の校長であった。1833年、ニューマン(John Henry Newman,1801-1890)がオックスフォード運動(the Oxford Movement)を起こした。これは著しく衰退し始めていたキリスト教信仰を盛り返させようというもので、次第にローマ・カトリックに傾斜していった。この新しい波に対し強硬な論陣を張ったのがアーノルドの父であった。父は剛直な人で何にも惑わされず迷わないことを信条としていたが、それに対して息子はまさに迷うために産まれてきたような人物だった。時は産業革命後の未曾有の繁栄期であり、その暗部としての貧富の差は拡大し、都市部での貧困は深刻であった。アーノルドの懐疑はいっそう深くなっていった。その苦悩を表す『エトナ山...
  • ボーモント&フレッチャー
    フランシス・ボーモント(Francis Beaumont)(1584~1616) ジョン・フレッチャー(John Fletcher)(1579~1625) 略歴  多くの合作を発表して活躍した劇作家。代表作は『フィラスター』(Philaster,1609)と『乙女の悲劇』(The Maid s Tragedy,1611)など。けして一流ではないものの、巧みで肩の凝らないロマンス喜劇を得意とした。時代の風を読むに敏であったとも言える。  ボーモント単独の作品には『女嫌い』(The Woman Hater,1606)があり、またフレッチャーはシェイクスピアと『二人の貴公子』(The Two Noble Kinsmen,1612-13)と『ヘンリー八世』(Henry Ⅷ)を合作したとされている。
  • H・G・ウェルズ
    H・G・ウェルズ(Herbert George Wells)(1866~1946) 略歴  フランスのジュール・ベルヌと共に、「SFの父」と呼ばれる作家。イギリスのケント州ブロムリーに生まれる。科学師範学校に奨学金で進み、トマス・ヘンリー・ハクスリー(孫のオルダス・ハクスリーは作家)に生物学を学ぶ。そこの学生誌に寄稿したものが後期の作品の原点となった。教職を経てジャーナリストになり、作家となる。後プラトンの『国家』を読んで社会主義に傾倒するとフェビアン協会に参加する。世界平和や人権問題、糖尿病患者協会の設立など社会問題に積極的に関わった。 作品  SFの元祖として現在でも広く読まれ、親しまれているが、その一方で文学として扱われることは少ない。しかしながらウェルズの作品は荒唐無稽な読物ではなく、現在の世界、及び未来世界への深い憂慮が込められている。  初期の作品はいわゆるSF小説で...
  • デイヴィッド・ガーネット
    デイヴィッド・ガーネット(David Garnett)(1892年~1981年) 略歴  ブライトンに生まれる。父は作家のエドワード・ガーネット、母はロシア文学の翻訳者コンスタンス・ガーネット。初め王立協会で植物学を専攻したが、第一次大戦が勃発すると良心的兵役拒否をして、戦災者の救済に奔走した。戦後には友人と大英博物館の近くに書店を開いた。いわゆるブルームズベリー・グループの一人であった。最初の妻に先立たれた後に再婚しているが、その相手は同性愛関係にあったと噂されたダンカン・グラントの娘であった。彼女と離婚した後はフランスに移り住んだ。 作品  いずれも奇妙な着想が特徴。  代表作は『狐になった奥様』(Lady into Fox,1922)。ある日突然、狐の姿になった妻が次第に野生に目覚めていくことに戸惑う夫の姿を描いた奇妙な物語。  他に『動物園に入った男』(A Man in...
  • フラナリー・オコナー
    フラナリー・オコナー(Flannery O Connor)(1925年~1964年) 略歴  ジョージア州サバンナ出身の女流作家。16歳のときに時に紅斑性狼瘡という難病で父を失い、自身も同じ病に侵され39歳の若さで早世した。ジョージア州立女子大学で社会学を学び、後にアイオワ州立大学院に進み、創作と文学で修士号を取得した。21歳で処女短編を発表し、以後は壮絶な闘病生活を送りながら執筆を続けた。自らの死と隣り合わせの生活の中で、カトリック教徒として「私にとり人生の意味は、キリストによる救済という一点に集中している」とし、人間存在の意味を深く探求した。死後、フラナリー・オコナー賞が設立された。 作品  長編は2作のみしかない。  『賢い血』(Wise Blood,1952)は処女長編で、キリストのいない教会を説く復員兵の姿を通して、神からの離反と回帰を描いた。  『激しく攻むる者はこ...
  • グレゴリー・コーソ
    グレゴリー・コーソ(Gregory Nunzio Corso)(1930年~2001年) 略歴  グリニッジ・ビレッジのスラム街のイタリア系移民の家に生まれた。少年院送りを何度も経験し、刑務所にも入った。その頃に文学に目覚め、ギンズバーグを知り、詩作を始めた。ビートニク詩人として「サンフランシスコ・ルネッサンンス」の立役者の一人となった。 作品  詩集に『ガソリン』(Gasoline,1958)、『死の幸福な誕生日』(The Happy Birthday of Death,1960)、『人間ばんざい』(Long Live Man,1962)、『土まみれの手』(Herald of the Autochthonic Spirit,1981)などがある。
  • エミリー・ブロンテ
    エミリー・ブロンテ(Emily Jane Brontë)(1818~1848) 略歴  ブロンテ三姉妹の二番目(四女)。ヨークシャーの牧師館に生まれ、幼い頃にハワースに転居した。姉三人と同様に学校に入学するも、その劣悪な環境のせいで姉二人を肺炎で亡くした。その後はほとんどを牧師館で暮らした。姉妹で出した詩集は全く売れなかったが、姉の勧めで小説を執筆し始める。それが彼女唯一の作品である『嵐が丘』である。しかし出版社に送ったもののなかなか出版されず、また1年後に出版されたが酷評された。1848年に兄のブロンウェルが急死し、エミリーはその葬儀の際に体調を崩し、その後結核を発症した。治療を頑なに拒んだとされ、30歳の若さでこの世を去った。生涯独身であった。 作品  『嵐が丘』(Wuthering Heights,1847)は、発表時はかなり酷評されたが、死後評価が高まった。ヨークシャーの荒...
  • シェイクスピア(2)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第2期―独壇場(1595~1600)  この頃はシェイクスピアの絶頂期とも言える時期で、演劇界は彼の一人舞台であった。この時期の作品としては、喜劇と史劇が多い。喜劇では『ヴェニスの商人』(The Merchant of Venice,1596-1597)という名作が生まれた。これはマーロゥの『マルタ島のユダヤ人』を種本の一つとしており、ユダヤ人が最終的に酷い目に合うという大筋は同じである。しかしこの『ヴェニスの商人』は「シャイロックの悲劇」と言われるほど、シャイロックに同情的とも見える内容を含み、当時客席に思わず涙する人がいたと言われるほど、登場人物の個性や複雑な感情が見事に描かれている。しかしだからといってシェイクスピアがユダヤ人に特別寛容であったり、人種差別に反対していたというわけではない。逆...
  • シェイクスピア(4)
    ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)(1564~1616) 第4期―穏やかな日々(1609~1612)  時代は移り変わり、ベン・ジョンソンら新しい時代の担い手が台頭していた。しかしシェイクスピアはすでに独自の地位を築いており、今更彼らと火花を散らして主役の座を狙おうとはしなかった。この頃書かれた作品は穏やかな心情で、力みのないもので、代表的なのはロマンス劇と呼ばれる『シンベリン』(Cymbeline,1609-1610)、『冬物語』(Winter s Tale,1610-1611)、『あらし(テンペスト)』(Tempest,1611-1612)の3作である。 共通するのはリアリズムとはかけ離れた、おとぎ話的な世界である。前期に深淵をのぞき込み、人間に対し絶望感すら抱いたかに見えた彼が、晩年に至ってごく穏やかな気持ちに、人間の愚かさも醜さも全て認めた上で...
  • ウォルター・スコット
    ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)(1771~1832) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身の詩人、作家。生まれつき病弱であり、幼い頃に小児マヒにかかり、足に障害が残った。エディンバラ大学で法学を学び、大学時代には辺境地方を遍歴し、民謡や伝説の収集に熱中した。しかし健康を害い大学を中退して、父の事務所で弁護士修行をし、後に弁護士となった。1804年、ワーズワースに出会い、終生の友となった。出版業を営む友人との関係から、辺境地方の民謡などを出版することになった。詩人として活躍するものの桂冠詩人は辞し、当時不遇だった友人のサジーに譲った。その傍ら、スコットランド最高民事裁判所の書記にも任命された。その後、小説家に転身し歴史小説作家として名声を得、一躍流行作家となった。ところが1826年に共同経営していた印刷所が破産、さらに愛妻にも先立たれた。そんな中、彼はこの苦境...
  • トルーマン・カポーティ
    トルーマン・カポーティ(Truman Garcia Capote)(1924年~1984年) 略歴  ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。両親が幼い頃に離婚し、アメリカ南部の遠縁の家を転々として育った。その記憶が後々の彼の作品に活かされる事になった。彼はこういった生活のためにまともに学校に通うことができず、ほとんど独学で学んだ。母は後に再婚し、そのために彼の姓がカポーティとなった(母はその後自殺)。様々な職を経て「ニューヨーカー」誌の雑務係となった。短編「ミリアム」(Miriam,1945)がO・ヘンリー賞を受賞し、恐るべき子供(enfant terrible )と評されて衝撃を与え、続いて発表された長編も高い評価を得た。その後、作品の映画化とそのヒット、それから彼自身の私生活の華やかさでゴシップ欄を賑わせた。しかし晩年はアルコールや薬物の中毒に苦しめられたせいか奇行が目立ち始め、また作品...
  • 作品索引/ア行
    作品索引/ア行 『ああ、荒野』(Ah, Wilderness)米 『アーサー・マーヴィン』(Arthur Mervyn)米 『アーロンの杖』(Aaron s Rod)英 『アーロン・バアの英雄的生涯』(Burr)米 『アイヴァンホー』(Ivanhoe)英 『愛こそすべて』(All for Love)英 『愛されし者』(The Loved One)英 『愛について語るときに我々の語ること』(What We Talk About When We Talk About Love)米 『愛には愛を』(Love for Love)英 『愛の芸術』(The Art of Love)米 『愛の車輪』(The Wheel of Love)米 『愛のために 1950-1960』(For Love Poems 1950-1960)米 『アイリーン』(Irene)英 『アイルランド・スケッチブック』(The I...
  • テネシー・ウィリアムズ
    テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams)(1911年~1983年) 略歴  ミシシッピ州コロンバス出身の劇作家。筆名のテネシーは友人が彼の南部訛りから付けたとも、彼自身が開拓精神を鼓舞するために付けたとも言われている。祖父は監督派の牧師で彼はその牧師館で生まれた。その先祖はテネシー州の開拓者であったという。一方で母方の先祖はニューイングランドの初期移住者のクエーカー教徒の末裔であった。こうした二種類の血の混じり合いを彼は強く意識していたらしい。家庭には色々と問題があった。父は靴のセールスマンでそのために12歳の頃に転勤でセントルイスに移った。彼が深く愛した姉ローズは精神障害でその生涯のほとんどを精神病院で過ごした。両親は彼女にロボトミー手術を施させ、その事に彼は強い反発を覚えた。1931年に州立大学に入るが経済的理由で退学し、父の会社で働き始める。しかし劇作家への夢...
  • ジョン・アップダイク
    ジョン・アップダイク(John Hoyer Updike)(1932~2009) 略歴  ペンシルヴァニア州シリングトン出身。両親はユダヤ人。ハーヴァード大学を主席で卒業した。在学中から作品を発表していた「ニューヨーカー」誌のライターとなり、後に作家となった。都会派作家として活躍し、全米図書賞、ピューリッツァー賞を2度、全米批評家協会賞、ペン/フォークナー賞を受賞した。 作品  『プアハウス・フェア』(Poorhouse Fair,1959)は福祉国会に対する個人的な反感を寓意的に表した中編。  『同じドア』(The Same Door,1959)は初期の短編集。  『走れウサギ』(Rabbit,Run,1960)は代表作となったシリーズの第一作。ハリー・“ラビット”・アングストロームという元高校のバスケットボール選手の主人公は、平凡な家庭生活に飽き飽きすると共に、スター選手だ...
  • アーサー・コナン・ドイル
    アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)(1859~1930) 略歴  スコットランドのエディンバラ出身。キリスト教系の学校で学ぶもそれを拒絶し、エディンバラ大学で医学を学ぶ傍ら、外科医助手として働く。しかし父はアルコール依存症により入院し、一家の家計を支えるために、在学中に捕鯨船に船医として乗り込む。遅れて大学を卒業し、その後はアフリカ航路の船医として働き、その後大学時代の級友と診療所を共同経営することになるが、喧嘩別れしてしまう。1882年に自分の診療所を開くが上手くいかず、暇を持て余す間に小説を書くようになるが、どれも送り返された。しかし名探偵シャーロック・ホームズのシリーズで一躍時の人となる。またボーア戦争に従軍し、小冊子を執筆したその功績によってナイト爵に叙せられた。息子の死後は心霊学に傾倒し、英国心霊現象研究会に入る(後脱退)。その関係の著書も多数ある...
  • ジェイムズ・ブランチ・キャベル
    ジェイムズ・ブランチ・キャベル(James Branch Cabell)(1879年~1958年) 略歴  ヴァージニア州の旧家の出身。ウィリアム・アンド・メリー大学を卒業後、新聞記者などを経て作家となった。『マニュエルの伝記』という全18巻にも及ぶ幻想的な物語で有名となるが、そのうちのひとつがその内容から告発を受けて発禁処分とされ、その取り消しを求めて争ったために話題となり、かえってそのために名が売れた。後世のファンタジー作品に大きな影響を与えたという。 作品  『マニュエルの伝記』(The Biography of Manuel)は全18巻に及ぶ長大な物語。始祖マニュエルから転生を繰り返していく幻想的な物語。内容は小説や随筆、詩が含まれている。中でも最も有名なのは6巻目の『ユルゲン』(Jurgen,1919)である。質屋ユルゲンの愛の遍歴を描いた物語で、猥褻書として告発を受けた...
  • ロイアル・タイラー
    ロイアル・タイラー(Royall Tyler)(1757~1826) 略歴  ボストンの裕福な商家に生まれ、ハーヴァード大学を卒業後に独立戦争に参加、その後法律家となる。もともと芸術に関心があった彼は、ニューヨークを訪れた際にアメリカン・カンパニ-(アメリカ最初の劇団)の人気喜劇役者トマス・ウィグネルと知り合い、それがきっかけでわずか三週間で『コントラスト』を書き上げた。これが上演されるとたちまち評判となり、数多くの作品を世に送り出すこととなった。劇作だけでなく、小説やエッセイも執筆したが、その一方でヴァーモントの最高裁判所裁判長や、ヴァーモント大学の法律学教授を務めるなど、作品以上に多彩な一生を送った。 作品  代表作『コントラスト』(The Contrast,1787)はニューヨークを舞台に、無骨だが誠実な軍人マンリーとイギリスかぶれの似非紳士ディンブルを対置した恋愛喜劇である...
  • ジョン・アシュベリー
    ジョン・アシュベリー(John Ashbery)(1927~ ) 略歴  ニューヨーク州ロチェスター出身の詩人。ハーヴァード大学卒業後、コロンビア大学で修士号を取得。1955年にはフランスに渡り、『ヘラルド・トリビューン』誌の美術評論を担当し、その傍ら試作を行った。1965年にニューヨークに戻り、『アート・ニューズ』という美術雑誌の編集に携わった。「ニューヨーク派」の詩人としてもてはやされた。ピューリッツァー賞、全米図書賞など多くの賞を受賞し、1980年代を代表する詩人と言われる。 作品  その詩は作品ごとにスタイルが変わり、解釈を拒否するかのような極端に難解な作風である。中心となる主題のようなものはなく、思考や夢の断片の羅列や意味不明な独白のようなものに近い。アシュベリーは詩を言葉の意味から解放することを狙いとした。その前衛的な難解さ故に一般の読者は少ないが、その独特の言語観によ...
  • パーシー・シェリー
    パーシー・シェリー(Percy Bysshe Shelley)(1792~1822) 略歴  ロマン派の詩人。富裕な貴族の長男として生を受ける。自由奔放で過激な行動が目立ち、常に周囲からの非難にさらされた。オックスフォード在学中に過激なパンフレットを発行し、放校処分となる。常識的な価値観(愛や結婚など)を無視し、感情のおもむくままに行動した結果、メアリと駆け落ち同然で旅に出、最初の妻は自殺に追い込まれた。このことで世間からはごうごうたる非難を浴びた。バイロンやキーツ、ラム、ハズリットらと交友関係を結んだ。故国を離れて詩作に励むが、乗船していたヨットが暴風雨によって転覆、短い生涯を閉じた。バイロンら数人の友人が火葬に立ち会ったという。 作品  彼が学生時代に書き、そのために退学に追い込まれたのは『無神論の必然性』(The Necessity of Atheism,1811)は、無政府...
  • ジョン・ミルトン
    ジョン・ミルトン(John Milton)(1608~1674) 略歴  裕福な家庭生まれたミルトンは、何不自由なく暮らし、大学を卒業後も別荘で古典文学を学んだり、思索にふけったりしていた。その頃は自然詩や牧歌詩を創作していた。その後西欧諸国を巡る旅に出るが、英国の情勢が不穏になると帰国する。これが彼の運命を大きく動かすことになる。彼はクロムウェルを支持し、ラテン語秘書官、つまりスポークスマンとして粉骨砕身する。しかしこの激務か彼の心身を共に痛めつけた。もともと弱かった目は、とうとう失明してしまう。そして共和制が破れ、王政が回復するとミルトンもまた王殺しの一人として追及された。なんとか処刑こそ免れたものの、失意のまま隠棲する。しかしこのことが彼を、詩人としての本来の道に戻すきっかけとなった。こうして彼の代表作となる大作が誕生した。 作品  初期の作品の「快活な人」(“L Alleg...
  • ジェーン・オースティン
    ジェーン・オースティンJane Austen(1775~1817) 略歴  ハンプシャーの田舎牧師の家に生まれる。兄弟が六人、姉が一人おり、姉とは終生親密であった。当時の一般の女性よりも充実した教育を受け、この間に文学作品に接し、影響を受ける。1789年頃から小説のようなものを書き始めたが、これは発表するためではなく、あくまでも家人に読み聞かせるためのものであった。父の勧めで出版社に送ってみた作品も、出版にはいたらなかった。生涯独身を通し、42歳で没する。生前に出版された作品も全て匿名であり、本人もまた自分の英文学にもたらした功績に気づくことがなかった。 作品  彼女は生涯で長編6作を書いた。いずれも平凡な田舎の日常を描いたものである。実際に彼女は「田舎の村の3、4家族が、小説の題材には最適なのです」と述べている。彼女は自分が生きた小さな世界の、よく知る人々を丹念に描き続けた。自分...
  • ジェイムズ・トムソン
    ジェイムズ・トムソン(James Thomson)(1700~1748) 略歴  スコットランド出身。国民歌である「英国よ、海を支配せよ」(Rule, Britannia)の作者として知られる。詩では『四季』(Seasons,1726-30)が有名。
  • トバイアス・スモレット
    トバイアス・スモレット(Tobias George Smollet)(1721~1771) 略歴  スコットランドの判事の家に生まれる。グラスゴー大学で医学を学ぶが、文学的野心からロンドンに出るも、なかなか文壇に入り込めなかった。軍船に従軍医として乗り込み、西インド諸島でスペイン軍と戦ったり、ジャマイカでは現地の女性を妻に娶ったりと、波乱に満ちた生涯を送った。けして主流とはなり得なかったものの、この頃には彼の書くような、面白い読み物を求める需要が増えつつあり、後にディケンズやサッカレーなどにも影響を与えた。また作家としてだけでなく、編集者・批評家としても活躍し、コロンブス、バスコ・ダ・ガマ、ドレークなどの探検記や旅行記をまとめた『世界の旅行記』(A Compendium of Authentic and Entertaining Voyages)が知られている。 作品  その小説...
  • ジェイムズ・ボズウェル
    ジェイムズ・ボズウェル(James Boswell)(1740~1795) 略歴  スコットランド、エディンバラ出身。父は裁判官であり、自らも法曹界に進んだ。若い頃にジョンソン博士と出会い、彼に心酔するようになる。弁護士としてはさしたる実績はなく、またプライベートでは自堕落な生活を送ったという。ボズウェルの最大の功績は、何と言ってもジョンソン博士の人柄や言動を忠実に記録した伝記を書いたことにある。『ジョンソン伝』(The Life of Samuel Johnson,1791)は、今でもなお伝記文学の最高傑作の一つと評されている。
  • ワシントン・アーヴィング
    ワシントン・アーヴィング(Wahington Irving)(1783年~1859年) 略歴  ニューヨークに生まれた。11人兄弟の末っ子で父は富裕な商人だった。早い段階で学校教育を捨て、法律事務所に入った。しかし健康を害し、1804年から病気療養をかねて欧州諸国を歴訪、1806年に帰国し弁護士となるが、その後作家となる。その間には婚約者の死も経験し、生涯独身を通した。その後はしばらく創作をから手を退いていたが、事業の失敗から生活のために再び筆を取った。1842年にはスペイン公使にもなっている。 作品  初期の作品にはスウィフト流にジェファソンの民主党政府を風刺した『ニューヨーク史』(A History of New York,1809)がある。これはニッカポッカー氏(オランダからの移民の典型)なる架空の人物が語るもので、アメリカ人による初めての風刺文学とされる。  彼の代表作と...
  • アーノルド・ベネット
    アーノルド・ベネット(Arnold Bennett)(1867~1931) 略歴  スタフォードシャーのハンリー出身の作家。21歳の時に単身ロンドンに出て、法律事務所に勤めながら、新聞や雑誌に小説やエッセイを投稿する。その後、ジャーナリズムに関心を持ち出版社に転職、その後は女性週刊誌の編集者、後に編集長を務める。1900年頃からは本格的に作家として活動する。父親の死を契機にフランスで10年余りを過ごし、その間にフランス人の女性と結婚する。 作品  英国における自然主義文学の代表格とされ、特にフランスの自然主義文学に範を取った、徹底した写実主義の技法で知られる。しかしながらすでにその頃にはこの種の自然主義文学は時代遅れとなりつつあった。後の時代の革新的旗手の一人ウルフとの芸術創作上の議論において、彼が「性格造形こそが小説のアルファでありオメガだ」と述べ、ウルフに一笑に付されたというエ...
  • ハリエット・ビーチャー・ストウ
    ハリエット・ビーチャー・ストウ(Harriet Elizabeth Beecher Stowe)(1811~1896) 略歴  コネティカット州リッチモンドに生まれる。父は説教師で奴隷制反対論者であった。兄弟からも聖職者を出し、結婚した相手も聖職者であったことから、彼女の作品にはキリスト教の強い影響が見られる。 作品  ストウ夫人は10作以上の作品を発表しているが、よく知られているのは処女作の『アンクル・トムの小屋』(Uncle Tom s Cabin,1852)である。この作品は奴隷解放問題を正面から扱った小説であり、またアフロ・アメリカンを主人公にした最初の小説でもある。この作品によって、奴隷解放問題はさらに加速され、南北戦争に突入していくことになる。後にリンカーンがストウ夫人に会った際に、「あなたのような小さな方が、この大きな戦争を引き起こしたのですね」と述べたといわれている...
  • 作品索引/ナ行
    作品索引/ナ行 『ナイジェル卿の冒険』(Sir Nigel)英 『ナイジェルの運命』(The Fortunes of Nigel)英 『ナイトサイド』(Night-Side)米 『長靴をはいたやつ』(Somebody in Boots)米 『眺めのいい部屋』(A Room with a View)英 『夏と煙』(Summer and Smoke)米 『夏の夜の夢』(A Midsummers Night s Dream)英 『七破風の屋敷』(The House of the Seven Gables)米 『ナポレオンの影』(The Great Shadow)英 『ナポレオン・ボナパルト伝』(The Life of Napoleon Buonaparte)英 『波』(A Wave)米 『成上がり』(The Butter and Egg Man)米 『ナルシサス号の黒人』(The Nigger ...
  • ホレス・ウォルポール
    ホレス・ウォルポール(Horace Walpole)(1717~1797) 略歴  有名な政治家ロバート・ウォルポールの三男。政治家としても活動し、奴隷売買に反対を表明したことで知られるが、もっぱら趣味的な生活にいそしんだ。別送のストロベリー・ヒルを改築して、自分好みのゴシック風建築に仕立てたことでも有名。その徹底振りは建築だけでなく、家具調度、美術品、科学、文学、化石などあらゆる面で時代の最先端を行っていた。彼がある日見た夢を基に書いた『オトラント城』(The Castle of Otranto,1764)は、ゴシック小説の流行のきっかけとなり、続くロマン主義時代への先駆けとなった。
  • キングスレー・エイミス
    キングレー・エイミス(Sir Kingsley Amis)(1922~1995) 略歴  南ロンドンのクラパムの下層中産階級に生まれた。オックスフォードで学び、ウェールズのスォンシー大学で英文学の講師となった。その傍ら詩や小説を発表した。1961年からはケンブリッジのフェローとなった。新大学才人(the New University Wits)の一人。 作品  『心の枠組』(A Frame of Mind,1953)は自費出版した詩集。  『ラッキー・ジム』(Luckey Jim,1954)は代表作の小説。地方の三流大学の講師であるジムは、仕事には不熱心だが日々要領よくラッキーに生きていくことを心がける青年。そんなものだから研究の成果などあるわけもなく講師の首も危なくなる。そこでなんとか上手く立ち回ろうと奔走し、周囲に事件を巻き起こしていく。この戦後の英国の若者像にフィットした作...
  • マクスウェル・アンダソン
    マクスウェル・アンダソン(Maxwell Anderson)(1888~1959) 略歴  ジャーナリストだった経歴を生かして、20年代に反戦劇などの社会的関心の強い散文劇で名声を得る。その後30年代に入ると韻文劇に転じ史劇や喜劇、悲劇を発表し、オニールに次ぐ演劇界の大御所となる。戦後も活躍を続けたものの、戦前ほどの作品はない。 作品  『栄光何するものぞ』(What Price Glory?,1924)は反戦をテーマとした散文劇。  『女王エリザベス』(Elizabeth the Queen,1930)、『スコットランドのメアリー』(Mary of Scotland,1933)、『フォージ渓谷』(Valley Forge,1934)は韻文詩劇。  『岩頂荘』(High Tor,1937)は機械文明を風刺する喜劇。  『ウィンターセット』(Winterset,1935)は、サ...
  • クリフォード・オデッツ
    クリフォード・オデッツ(Clifford Odets)(1906年~1963年) 略歴  フィラデルフィア出身ニューヨーク育ちのユダヤ系劇作家。父はロシア系ユダヤ人実業家だった。高校中退後俳優となるが芽が出ず、劇作家に転向した。1931年に進歩的演劇集団「グループ・シアター」に参加し、劇作家として名声を得、1930年代を代表する社会派作家となった。その後、映画界から招かれて脚本家としても活躍した。しかし、穏健化するに従い輝きを失っていった。、 作品  『レフティーを待ちつつ』(Waiting for Lefty,1935)は一躍オデッツの名を高めた代表作。タクシー労働者のストライキをもとに、社会の不公正と不正義を糾弾した。  『醒めて唄え!』(Awake and Sing!,1935)はユダヤ人の労働者階級の家庭を舞台に、挫折や希望が入り混じる人間模様を描いた。  『ゴールデン...
  • ジェイムズ・フェニモア・クーパー
    ジェイムズ・フェニモア・クーパー(James Fenimore Cooper)(1789~1851) 略歴  「アメリカ小説の父」と称されるクーパーはニュージャージー州バーリントンに生まれた。イエール大学を中退し、その後5年間、船乗りとして生活する。この経験が後のいくつかの作品に活かされている。作家として成功を収めるが、とある事件を契機に、民主主義の一面に見られる大衆の無法な行動に憤り、厳しく批判する態度を表明した。このような秩序を尊ぶ保守的な姿勢は、作品の中にも見られる。 作品  クーパーの名を不動のものとしたのは、大森林の勇者ナッティ・バンポーを主人公とした五部作、「革脚絆物語」(Leather-Stocking Tales)であろう。面白いことにこの主人公の年齢は、物語の発表年代と順不同で登場する。最初の『開拓者』(The Pioneers,1823)では、バンポーはすでに7...
  • ルイーズ・アードリック
    ルイーズ・アードリック(Louise Erdrich)(1954年~ ) 略歴  ミネソタ州リトル・フォールズ出身の作家、詩人。母方はネイティヴ・アメリカンのオジブワ族(あるいはチベワ族)である。ノース・ダコタのインディアン居住区で育った。ダートマス大学で学士、ジョン・ホプキンス大学で修士を取得した。1981年にダートマス大学の教授と結婚し、その後は共著を出版する傍ら実子の他養子も育てたがその後に別居、夫は1997年に自殺してしまった。その後はミネアポリスに住み、バーチバークという書店を経営し、本だけでなくネイティヴ・アメリカンの小物などを販売しているという。ネイティヴ・アメリカン出身の女流作家として活躍した。 作品  その作品のほとんどがノース・ダコタにある架空の町アーガスを舞台としている。代表作は『ラヴ・メディシン』(Love Medicine,1984)は数編の短編で構成され...
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