ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約

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  • ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約
    260 :リバースアダプタ:2012/05/12(土) 18 49 23.48 ID kxYN7w9i 日本の労働者自主管理に目を通しました。  私が理解できた範囲で、わかったことを書いてみます。  ペトリの生産現場の労働者の賃金はかなり低く抑えられていたようです。組合公然化後の75年でも他業種や同業他社に対し2割程度も低かったそうです。  60年代の数字はありませんでしたが、業界の最低水準であったことは確かで、それを背景に部品を低コストで内製し低価格で販売することが、一時な成功につながりました。  この時期、高配当をつづけたため栗林一族の所得は相当高額だったようです。(足立区の長者番付の上位に栗林家の数名が載るくらい)  当然、労働者からは不満がでて、組合活動が活発になります。ここで経営側は徹底した組合否認政策をとったことが、その後、組合との激しい抗争を呼び込むことにな...
  • 追悼 柳澤明さん(1923~2012)
    ペトリカメラの中心的技術者であった柳澤明さんが2012年11月9日に89歳で亡くなられた。 「日本の労働者自主管理」によれば、柳澤さんはカメラ好きであり、戦前から職人としてカメラ製作を始められたそうだ。 戦後に入ると柳澤さんはペトリブランドのカメラに関する多くの特許を出願し始める(本サイト ペトリカメラ関連特許一覧)。 現在判明しているペトリカメラ(栗林写真工業)の特許、実用新案60件のうち半分を超える35件をお一人で出願している。 なかでもペトリ一眼レフを特徴づける一軸のカムシャフトによりシャッター、絞り、ミラーを制御する機構は 柳澤さんが出願したものである(実公昭37-19036、昭37-19038)。 また、ペトリカメラがOEM供給したフォトクロームも柳澤さんの設計によると考えられる。 柳澤さんはペトリカメラのほとんどすべての機種の設計にかかわり...
  • トップページ
    ...ペトリ!★より抜粋 ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約 ペトリカメラ関係者へのインタビュー ペトリカメラ関係者へのインタビュー一覧 ペトリカメラの関連資料 特許、書籍、取扱説明書、カタログ、パッケージ、リペアマニュアル、その他 ペトリカメラの関連資料一覧 ペトリカメラの研究 幻のペトリ、系統図、機構、商標、ロゴマーク、その他 ペトリカメラの研究一覧 形態分類表 形態分類表一覧 修理メンテナンス 修理メンテナンス情報一覧 ペトリカメラ関連サイト Facebookグループ Petri Camera mixi ペトリカメラコミュニティ CameraWiki/Kuribayashi Camerapedia/Petri Wikipedia ペトリカメラ ペトリカメラのカメラ製品一覧 ペトリファンの方のホームページ(相互リンク募集中!) Good...
  • ペトリカメラ紹介書籍
    ...く書かれている。 ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約 ドレイ工場からの解放 全金ペトリカメラ支部闘争記録 総評全国金属労働組合東京地方本部ペトリカメラ支部 編集 全国金属労働組合 1982年 一人の馘切りも許さない  ペトリ斗争を支えた地域共斗運動 松尾忍 (著) 批評社 1980年 全金ペトリの闘争他 倒産のなかの労働運動 剣持一巳 (著) 五月社 1978年 日本写真機工業会編 戦後カメラ発展史 p381~383 ペトリカメラ株式会社 週刊サンケイ 16 世界を驚かせた価格と性能ペトリカメラ 一線社長と一線社員 四谷弥兵衛 扶桑社 1967年3月 ペトリ2.8の使い方 ペトリグループ/編 カメラ出版社 1958年 本文のダウンロードはこちら Photo35 年 月 Vol. 特集名 ペトリ...
  • 栗林写真工業・ペトリカメラの歴史
    西暦 栗林写真工業・ペトリカメラの沿革 カメラ発売 できごと 1907 栗林庸二により栗林製作所創立、東京下谷区仲御徒町に本店。従業員20名 1918 栗林写真機械製作所に名称変更、カメラ製造開始 1923 栗林敏夫(庸二の長男)誕生 関東大震災 1926 第一号カメラ、スピードレフレックスが神田三栄堂本店より発売、栗林庸夫(庸二の次男)誕生 スピードレフレックス 大正から昭和へ改元 1927 スピードベビーレフレックス 1928 スピードレフレックスを含む三栄堂販売カメラが、大礼記念国産振興東京博覧会で第一位優良国産賞受賞 ミクニカメラ 1929 ファーストカメラ(木製ボディ) 1930 イーグルハンドカメラ 1931 トキワカメラ 満州事変勃発 1932 栗林庸二死去、妻繁代(1897年生まれ)事業継承 ファーストカメラ(金属ボディ) 1933 コッカカメ...
  • ペトリの商標
    ペトリの米国での商標はペトリカメラ倒産後、フィンカメラ(スイス)に売却された。フィンカメラの倒産後に株式会社コシナに移り、 最後の所有者は株式会社ペトリ(文京区本郷)となっている。 参考:米国特許商標庁データ ペトリカメラの実質的な後継会社であるペトリ工業株式会社の代表取締役と、株式会社ペトリの代表取締役とが同じ人物であることが 法人登記簿から確認された。 日本商標 petriTM.JPG 米国商標
  • ペトリ会だより(1965~)
    ペトリ社員の親睦組織「ペトリ会」の会報「ペトリの友」から独立し、行事予定のPRを主とする社内広報誌として1965年12月から発行されたもの。 社内部活動の紹介、行事のレポートなどが掲載されている。 元ペトリカメラの技術者、半田善朗さんが保管されていたもの。 公開にあたり社内誌であることを考慮し、人名、個人写真の一部を削除しました。 19.6x27.3cm、4ページ ペトリ会だより(1965年12月号) ペトリ会だより(1966年新年号)
  • PETRI PF-2
    レンズ 固定焦点式、(標準)24.5mmF11、(望遠)34mm シャッター 1/100のみ 重量・大きさ 112x27x45 99g 価格 ボディーのみ¥7500、ストラップ、ストロボ付き¥9900 発売 1975年X月 ペトリの110カメラ。ペトリカメラでの発売時はゼニックス工業で生産されていたが、倒産後は本社工場で組合により自主生産された。 写真はペトリ闘争勝利記念の文字入りのもの。
  • ペトリの真実!
    615 名無しさん脚 [sage] :04/05/10 13 55 ID gSTPWiab 先日、ひょんなところで、ペトリカメラに関係していた方の話をうかがいました。 でも、古い話でもあり伝聞もまじるので、その辺、嘘が入っていたらすいません。 それとペトリマニアの方には周知のことかもしれない。 1.ペトリが経営不振になった理由について 社長の跡を継いだ兄弟のうち、他業界から転入した方は あまりカメラ製造に関心がなかったらしい。 一方もう一方は、カメラ協会の理事なども勤め やる気満々だったとのこと。 しかし、他業界から来たほうが、金をつかんで、 どっか?へ行ってしまったのが躓きの始まりとのこと。 2.ペトリは、レンズ研磨も自社で行なっていた。 傾き始めた頃?、栃木にレンズ工場を作ったが、 ほどなく立ち行...
  • 栗林・ペトリ聖地探訪記
    2014年9月、東京都内に点在する栗林・ペトリゆかりの地、いわゆる『聖地』を訪ね歩いてみた。 下谷区仲御徒町 東京市下谷区仲御徒町1丁目(現在の東京都台東区上野5-3南部) 戦前、栗林の工場はこの地に存在した。現段階で判明している住所は3ヶ所。 仲御徒町1-58(工場) 仲御徒町1-8(販売部・以上2軒は昭和5年の広告に記載) 仲御徒町1-47(昭和10年版 全国工場通覧に記載) (昭和5年版の地図に加筆) この3ヶ所はいずれも道路を挟んで隣接している。 年度によって記載の住所が異なっているが、これらが移転によるものか、あるいは同時に存在したのか、詳細は不明。 また別の時期に、他の住所に工場等があった可能性もある。 昭和5年の時点で工場・販売部があった場所(手前が工場。奥の青いテントが見える所に販売部があった)。 昭和10年の時...
  • PETRI PF-1
    レンズ 固定焦点式、(標準)24.5mmF11、(望遠)34mm シャッター 1/100のみ 重量・大きさ 112x27x45 99g 価格 ボディーのみ¥7500、ストラップ、ストロボ付き¥9900 発売 1975年X月 ペトリの110カメラ。ペトリカメラでの発売時はゼニックス工業で生産されていたが、倒産後は本社工場で組合により自主生産された。 写真にはないが、ボディと一体になる、ホルダー兼用のストロボが用意されていた。 PF-1のパッケージ
  • PETRI2.8
    レンズ Orikkor F2.8 45mm 3群4枚 シャッター ペトリカーペルMX B.1~1/300秒、ペトリカーペルMXV及びペトリMXV B.1〜1/500秒、 重量・大きさ 139x85x72mm 700g 価格 ¥13,600 発売 1958年9月 後のペトリの代名詞となる緑色のGreen O Matic ファインダー搭載。 手動復元式フィルムカウンター、明るさを抑えたレンズながら、パララックス自動矯正 フレームを搭載している。 「日本写真機工業会編 戦後カメラ発展史」によると月産1万台を突破していたとされ、 また、3年以上にわたって生産が続けられたとの記述もみられることから、 当時としては最も量産されていたカメラの一つと考えられる 累計120万台(戦後の栗林製カメラの累計)を突破した記念モデルも存在している。 シャッター速度、ボディ正面左...
  • ペトリカメラの関連資料
    ペトリカメラ取扱説明書PDF(日本語) ペトリカメラ関連取り扱い説明書PDFリンク(海外) ペトリカメラのカタログ ペトリカメラの広告 戦前・戦中期のファーストカメラ・栗林の広告 ペトリ一眼レフシステム ペトリの社内資料 レンズデータ 編 ペトリの社内資料 性能表・設計指示書 編 ペトリの社内資料 開発日程表編 ペトリの社内資料 ペトリの社内資料 製品要目表 編 ペトリの社内資料 図面編 ペトリの社内資料 金型構成検討 編 製品規格 PIS機械製図検図要領 設計マニュアル(案) ペトリの社内資料 シャッター等設計資料 ペトリの社内資料 人間工学研究会資料(1968年) ペトリカメラ関連特許 ペトリカメラパーツマニュアル・リペアマニュアル レンズ計算でみるペトリのレンズ ペトリの友 ペトリ会だより(1965~) ペトリニュース(1963年) IDEA ペトリカメラ紹介書籍 ファースト...
  • 琉球ペトリ
    沖縄が占領されていた1960年代にペトリが沖縄でカメラを生産していたことが確認されている。 東興社 戦後日本カメラ発展史には、栗林が昭和34年6月に沖縄に工場開設との記載がある。 また、1962年2月2日琉球政府公報第十号の登記公告には沖縄ペトリカメラ株式会社の商号で 1961年12月13日に登記された記録が残っている。 ※沖縄県公文書館公開資料「琉球政府公報」より引用 http //www2.archives.pref.okinawa.jp/kouhou/PDF/ryukyu/1962-02-02-02.pdf(14ページ参照) 1960年代後半の広告にはPETRI Camera Corp. of Okinawaの住所として那覇市松下町1丁目25が示されている。 写真のペトリハイライトには、底部の三脚取り付け金具の部分にPETRI Camera ...
  • PETRI7s
    レンズ C.C.ペトリf1.8/45mm 4群6枚 シャッター ペトリMVE B・1〜1/500秒 露出計 セレン光電池使用、ファインダー内、ボディ上部に指針式メーター 対応フィルム感度 ISO(ASA)10~200 重量・大きさ 137x85x81mm 620g 価格 ¥16,800- 発売 1963年X月 ペトリ7の露出計をファインダー内とカメラ上部から確認できるように改良したもの。 写真の個体の黒塗装は後塗でオリジナルではないと考えられる。 巻き上げレバーも上面から背面に移された。これは意匠をシンプルに見せるとともに、組み立て時にもメリットがあったとされる。 また、 「日本写真機工業会編 戦後カメラ発展史」(昭和46年3月1日発行)によれば、1970年の時点で累計台数が70万台を超えたとされ ており、ペトリの中でもロングセラー機のひとつである。 国内での販売終了...
  • PETRI CC AUTO300mm F5
    レンズ名称 PETRI CC AUTO 300mm F5 アタッチメントサイズ 67mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群5枚 絞り 5.0~22.0 中間クリックなし 自動絞り 最短撮影距離 5.5m 重量・大きさ 全長211.7mm 最大径75.6mm 850g 価格 ¥34,000(1967年 フード・ケース込) 発売 1967年? 社内資料に開発日程やレンズデータが記載されており、ペトリで自社生産されていたレンズ。 ペトリの交換レンズのうち、自動絞りに対応した物のなかでは最も焦点距離が長い。 『日本カメラショー・カメラ総合カタログ』の1967年2月版までは掲載がなく、同年4月版から掲載されているため、この時期に発売されたと思われるが、一方で上記の開発日程表には1968年6月生産と書かれており、詳細は不明。
  • 情報募集中!
    Petri@wikiでは下記の情報を募集しています。 お心当たりがありましたら、2chペトリスレまたは管理人(inugami.mamoru@gmail.com)までお願いします。 1.ペトリのカメラの写真 輸出専用モデル(CF35AUTO650、Anscomatic 726、Anscomatic 626等) 2.戦前の栗林のカメラの写真 イーグルハンドカメラ ミクニカメラ ファーストブランドのカメラ 3.ペトリカメラ従業員の証言 ペトリでの想い出を教えてください 4.ペトリのテレビ、ラジオコマーシャル CMソングの歌詞、映像、音声など 5.沖縄ペトリ 沖縄で操業していたペトリの工場について 6.カメラの取扱説明書、カタログ類 ペトリカメラ取扱説明書、ペトリカメラのカタログに未収録のもの 情報お待ちしています! ...
  • ここにもペトリ!?
    ペトリのカメラや関連物件がさまざまなメディアに出現している。 そんなペトリたちをまとめてみた。(情報募集中!) TV・ラジオ ポラスグループ(中央グリーン開発株式会社)が2021年3月21日から放送しているテレビCMの小道具に、ペトリ7(F1.8付き)が使用されている。 https //www.polus-green.com/column/detail/?bn=208 「トーキョーエイリアンブラザーズ」(日本テレビ系列 2018年夏 深夜ドラマ)の主人公、冬ノ介(伊野尾 慧)が愛用しているカメラとしてペトリ35Eが使用されている。また、オープニング画面にも登場する。 http //www.ntv.co.jp/alienbros/ 「太陽にほえろ」のとある回にペトリのカメラが出ていた。 「怪奇大作戦」の「かまいたち」の回に望遠つきのペトリV6が出ていた。...
  • ペトリカメラの研究
    幻のペトリ ペトリフレックス・セブンの謎 琉球ペトリ 栗林製作所の創業年等にまつわる調査 1920年代の広告に見る栗林のカメラ ここにもペトリ!? 栗林・ペトリ聖地探訪記 ペトリの大看板 日本カメラショー・フォトキナ出品カメラ ペトリを使っていたことのある写真家、有名人等 ペトリ関連争訟一覧 ペトリカメラの系統図 ペトリ一眼レフ交換レンズの系譜 標準レンズ編 ペトリ一眼レフの機構 トップカバーを開けてみた ペトリのマウント M42(プラクチカ・ペンタックスS)スクリューマウントレンズ適合表 ペトリあれこれ ペトリの商標 ペトリのロゴマーク ペトリの価格 ペトリレンズ解像力比較表 レンズの描写比較(デジタル 標準55mmF1.8) レンズの描写比較(デジタル 標準55mmF1.4) レンズの描写比較(デジタル 広角28mmF3.5) レンズの描写比較(デジタル 広角35mm...
  • ペトリ一眼レフ交換レンズの系譜 標準レンズ編
    ペトリ一眼レフ交換レンズの標準レンズの変遷について、時系列でまとめた。 Kuribayashi c.c. Petri Orikkor 1 2 f=50mm 1959年10月発売。PETRI PENTA用のペトリ最初の35mm一眼レフ用レンズ。 M42マウントでプリセット絞り。 絞りリングに、視認性に配慮した緑色の指標が見られる。この後のペトリのプリセット絞りレンズにも共通の特徴である。 基本は、ダブルガウスタイプのレンズであるが、後群に3枚を貼り合せたレンズが使われている4群7枚の構成。 写真工業1959年7月号のペトリペンタの記事によると、バックフォーカスを確保しながら50mmを達成するためとされていた。 画像提供 元ペトリカメラの技術者 今関幸夫さん Kuribayashi k.c. petri orikkor 1 1.8 f=55mm ...
  • ペトリあれこれ
    ペトリ製カメラの見所のうち、他のコーナーで紹介し難いような話題をここに収録する。 ◎グリーン・オ・マチック・システム 1958年に発売されたペトリ2.8から採用された機構で、「緑の窓(ファインダー)に秘密がある」のキャッチコピーで宣伝された。ペトリ2.8以降のペトリの主なレンズシャッター機に搭載され、一時は、ペトリのレンズシャッター機の代名詞ともいうべき特徴の一つであった。ペトリ7sで一度廃止されたが後に復活し、ペトリ7sⅡにも搭載されたものがある。 もっとも、その派手なネーミングとはうらはらに、単にブライトフレームの採光窓に緑色のガラスを使っただけのものであり、技術的に何か凄い機構が用いられているわけではない。メーカーでは、特殊クラウンガラスを使用していること、長時間覗いても目が疲れないこと、暗部撮影においても明るく見やすいことを謳っていたが、一般的な乳白色の採...
  • PETRI 35E
    レンズ ペトリF2.8/40mm 三群四枚コンビネーションコーティング シャッター ペトリプログラムシャッター 1/30〜1/200秒 露出計 CdS使用プログラムEE EV8(F2.8,1/30)~EV16.7(F22,1/200) ASA100 対応フィルム感度 ISO(ASA)25~500 重量・大きさ 101x64x58mm 390g 価格 ¥18,800 発売 1975年12月 ペトリカラー35Eの各部をプラスチック化しコストダウンを図ったモデル。 ペトリカメラ倒産時のラインアップのうちの一機種。 元になったペトリカラー35Eではレンズが沈胴式であるが、ペトリ35Eでは固定式に改められた。 しかし、生産時期により沈胴式のレンズを持つ個体があることが確認されている。 写真の個体はフィルム室番号(T708)から倒産直前(1977年8月)の生産と考えられ、レン...
  • GAF Anscomatic 436
    レンズ ANSCOMATIC F2.8 34mm 3群4枚 前玉回転式 シャッター EE 2速切り替え 1枚羽 重量・大きさ 118X68X56 285g 価格 発売 1969年x月 米国Ansco社向けにペトリで生産された126フォーマットのカメラ。写真の個体はレンズ銘板が欠品している。 元ペトリの技術者、半田善朗さんがシャッターを担当されたとのことで、写真の個体も半田さんが保存されていたもの。 このカメラの前に作られたanscomatic626は性能は評価されたものの価格が高くあまり売れなかったため、 プラスチックボディ、シャッターを1枚羽にするなどしてコストダウンを図ったとのこと。 自然光撮影とフラッシュキューブ取り付けでシャッタースピードが切り替わる2速シャッター。 外観デザインはAnsco社からデザイナーが来て指示されたそうである。 半田さんからいただ...
  • ペトリの症例
    ペトリのカメラで経験した故障例及びその対処方法を列挙する。復活できなかったもの、自力修理できなかったものも可能な限り収録した。難易度は、トップカバー及びボトムカバーを取り外すだけで対処できるものは易、ミラーボックス等の分解も要するものを難とした。 なお、ここに記載した「処置」のうち、修理屋さんに外注したものを除けばいずれもカッコ書きした本人によるいわゆる「素人修理」であり、これを参考に同様の修理を試みて失敗したとしても責任は持てないので念のため。 ※お願い ペトリのカメラは、一部の大衆機コレクター以外からは見向きもされず(いわゆる中古カメラブームの起こった1990年台においても、状況は似たようなものであった。)、また、修理屋泣かせとの評も流布しており、程度の良いものを除けばまともな中古品として扱われることは少なく、多くは故障すれば廃棄され、消えていったものと思われる。現在...
  • PETRI ES AUTO
    ●ES AUTO レンズ C.C.ペトリF1.7/40mm 4群6枚 シャッター SEIKO ESF 2〜1/1000秒 オートフラッシュマチック機構(強制発光可)フラッシュ撮影時1/20 セルフタイマー内蔵 露出計 CdS使用 EV0.5(F1.7-2秒)~EV17(F11-1/1000) 対応フィルム感度 ISO(ASA)25~800 フラッシュ シンクロX接点 ホットシュー、シンクロターミナル 焦点調節 二重像合致式距離計連動 パララックス補正マーク 重量・大きさ 125x80x59mm 550g 価格 ¥33,000 発売 1974年6月(国内) ●ES AUTO F2.7 レンズ ペトリF2.7/38mm 3群4枚 シャッター SEIKO ESFB フラッシュ撮影時1/20 露出計 CdS使用 EV6-EV17 対応フィルム感度 ISO(ASA)25~800 フ...
  • ペトリを使っていたことのある写真家、有名人等
    有名人の中には、かつてペトリを使っていた、とか、プロカメラマンが、プロになる前にペトリを使っていた ことに触れているケースがしばしばみられる。 ここでは、ご本人がペトリを使っていたことを示す記述のある文献等を元にリスト化を試みた。 コレクションとしてペトリのカメラを所有している有名人等も存在するが、ここでは、使用していた事実 を重視することとしたい。 人名 肩書(写真家の場合は主な撮影ジャンル) 機種名 出所 安部公房 小説家 ペトリハーフ7 https //abekobosplace.blogspot.jp/2013/12/blog-post_8.html(アサヒカメラ1963年7月号の孫引き)https //www52.atwiki.jp/petri/pages/202.html 海野和男 写真家(昆虫) ペトリ7(「ぼくが中学生になってはじめて使った本格的なカメ...
  • 日本カメラショー・フォトキナ出品カメラ
    当時のカメラ雑誌に掲載された日本カメラショー、フォトキナ出品カメラをまとめた。 日本カメラショーは毎年春に東京高島屋で開催され、その後全国の主要都市で巡回開催されていた。 毎年カメラ雑誌の4月号に速報が掲載されていた。 フォトキナはドイツのケルンで西暦の偶数年に開催され、その年のカメラ雑誌の11月号に速報が掲載されていた。 現時点で判明している各年のペトリ出品カメラをまとめた。当時の雑誌ではペトリの扱いはそれほど大きなものではなく、 出品したカメラのうち注目を集めたもののみが記事化されたものと考えられる。 雑誌名:写=写真工業、日=日本カメラ、朝=アサヒカメラ 1965年第6回日本カメラショー ペトリレーサー(参考出品)(写) 1966年第7回日本カメラショー ペトリBTL、ペトリズームF4.8 85-210mm (日)、ペトリV6F2(写)、ペ...
  • ペトリ関連争訟一覧
    ペトリカメラ株式会社、ペトリ工業株式会社又はその従業員が当事者となっている裁判・審判例をリスト化した。掲載は判決又は審決年月日順とした。 なお、「判示事項」及び「裁判等要旨」の記載については、出典を忠実に引用又は抜粋している個所は『』書きとし、それがない部分については記入者による要約等である。 事件又は審判番号 事件名 判決又は審決年月日 種別 結果 原審等 原審等事件番号 原審裁判等年月日 判示事項要旨 裁判等要旨 出典 コメント(記入者) 東京高裁昭和43年(う)第1417号 傷害被告事件 昭和44年9月10日 判決 破棄自判 東京地裁 不明 不明 『犯行の背景事実に関する証言が措信できないからといって、その後起った具体的事件に関する証言まで信用できないとはいえないとして、原判決の判断を不当として破棄した事例』 ①『・・・本件当時における現場の状況については検察側証人(略)と...
  • ペトリの社内資料 開発日程表編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん 開発日程表 67年9月7日付け。 カラー35は社内コードMと呼ばれていたようだ。 SPは一眼レフのコードと考えられるが、SP VTPが何を指しているかは不明。 M2(MS2)はカラー35Eと考えられるが、カラー35量産前から取り掛かっており、当初はカラー35と同じ68年の発売予定だったことがわかる。 MS2はセレン仕様のサークルアイ機の図面も発見されており、仕様は発売までにかなり変更されたようだ。実際の発売は70年のため開発は難航したもよう。 AT100は100mmF2.8?、AWP135、AWP35は交換レンズと思われるが、どのレンズを指しているのかは不明。 67年12月21日付け。 PI4は126カートリッジフィルム機GAF A...
  • Photo Contest
    1950年代から1960年代末に写真同人社から「フォトコンテスト」というコンテスト専門雑誌が発行されていた。 1956年に写真文化振興会により創刊されたと考えられるが、ペトリ(栗林)とのつながりが強い雑誌であった。 この頃の巻末にはペトリクラブの入会規定と入会申込書が付いており、 またペトリクラブに入会するとフォトコンテスト誌が毎月届き、会誌としての役割も果たしていた。 1958年9月号から出版社が写真の世界社に変わり、1958年12月号を最後にペトリクラブ申込書の添付がなくなる。 1959年8月号からは出版社が写真同人社に変わるが。ペトリ色は依然強く、ペトリの新製品紹介、テレビ番組宣伝などが紙面にあり、 ペトリ以外の広告は感剤メーカーとコパルのみであった。 その後ペトリ色は次第に薄まるが表紙裏にペトリの広告、 紙面にはペトリクラブ専用の投稿枠がしばらく確保...
  • 幻のペトリ
    ペトリスレで報告のあった、知られざるペトリのカメラとレンズの情報をまとめた。 1952年製、速写カメラ 血のメーデー事件をきっかけに依頼され、栗林写真機械製作所で作製されたゼンマイ駆動のモータードライブ内蔵カメラ。特許は栗林敏夫の名前で出されているが、柳澤明氏の設計。 軍艦部の大きなダイアルにゼンマイが内蔵されている。詳細なスペックは不明である。 ペトリ601 1960年のフォトキナに参考出品された試作機。 カメラ毎日1961年1月号掲載。 記事は無記名で発行後50年以上経過しているため、著作権保護期間は切れていると判断し掲載しました。 ペトリコンパクトEE 1960年のフォトキナに参考出品された試作機。 ペトリコンパクトEとは露出計指針がファインダ内から確認できる点が異なる。 カメラ毎日1961年1月号掲載。 記事は無記名で発行後50年以...
  • ペトリの大看板
    1960年代から1970年代にかけて、ペトリは新宿東口に大きなネオンサインの看板をかかげていた。 トップと次の写真は1965年頃のペトリレンズカタログから。 次のホームページに掲載された写真ではより詳しく看板のあった界隈の様子がうかがえる(写真上部にペトリの看板下部の「カメラ」の文字が見える) さっしいさんのホームページ、「ぽこぺん」から「都電13番線 今昔物語」のページ また、当時の映画等にもその姿を確認できる。 下記のBlog記事では、コント55号の「人類の大弱点」(1969年公開)の1シーンに映り込んだペトリの大看板について紹介がある。 トプ・ガバチョさんのBlog (写真提供:トプ・ガバチョ様) また、インド映画の「Love in Tokyo」(1966年公開)にもこの看板がみられる(下記動画の2分55秒付近) ...
  • Petri 607
    レンズ ペトリ34mm F2.8 3群4枚テッサータイプ シャッター プログラムEE(1/30~1/250) 重量・大きさ 価格 発売 1967年 米国Ansco社向けにペトリで生産された126フォーマットのカメラanscomatic626のペトリ版 元ペトリの技術者、半田善朗さんがシャッターを担当されたとのことで、写真は半田さんが保存されていたもの。 anscomatic626は性能は評価されたものの価格が高くあまり売れなかったとのこと。 ペトリ607はさらに生産数は少なく、海外のみの販売であったと思われる。 半田さんからいただいたペトリ社内資料により社内コードは「PI2」であることがわかった。 半田善朗さんからいただいた、このカメラのレンズと思われる34mmf2.8のペトリ社内の連絡書。 このカメラの前に作られたanscomatic626用に準備...
  • CC PETRI 500mmF5.6
    レンズ名称 CC PETRI 500mm F5.6 アタッチメントサイズ 44mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群3枚 トリプレット 絞り 5.6~32.0 プリセット 最短撮影距離 8.0m 重量・大きさ 517.5x120mm 3000g 価格 ¥51,000(1971年) 発売 1967年X月 ペトリカメラ元技術者へのインタビューから、ペトリ自社製とわかった超望遠レンズ。 生産数は非常に少なかった(10本程度?)とされる。 光学系はトリプレット。プリセットのビハインド絞りで、マウント側にカバーガラスがある。 マウント前のネジにより縦横を変更できる構造。 64年のカメラショウに参考出品されたが、実際の発売は67年と時間がかかった。 ペトリスレの活動によりペトリカメラの元技術者の半田さんが保管されていた試作レンズが発見された。 光学設計は富田良三氏 P...
  • IDEA
    ペトリが製品の品質改善のため、社員に配布したと考えられる社内報。 ペトリの社内提案活動は1963年11月から始まった。国内でQC活動が本格的に始まったのは1962年であり、 ペトリへの導入は比較的早い時期に行われたといえる。 「IDEA」は毎月発行され、品質改善のために採用された提案とその提案者が掲載されていた。 生産現場においては、ペトリ工員の女性比率が高いことが伺える。(公開した「IDEA」では、女性提案者を赤色で示している) 元ペトリカメラの技術者、半田善朗さんが保管されていたもの。 公開にあたり社内報であることを考慮し、人名、個人写真の一部を削除しました。 B5版、4ページ IDEA 11号(1967年8月) IDEA 12号(1967年9月) IDEA 13号(1967年10月) IDEA 14号(1967年1...
  • ペトリの社内資料 性能表・設計指示書 編
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管されていた栗林/ペトリの社内資料の一部を掲載します。 資料提供:半田善朗さん ペトリカラー35系の性能表・設計指示書。 カラー35のものと思われる性能表。 カラー35Eのものと思われる性能表。 67年11月10日付け。 開発当初はセレン光電池を使用したサークルアイ方式で検討されていたようだ。 社内コードがM2であったことがわかる。 実現しなかったカラー35系コストダウン機(M3)の性能表。 68年7月4日付け 40mmF4の固定焦点、樹脂ボディ、沈胴、蝶番裏蓋。 三刀谷さんの印あり。半田さんによると、三刀谷さんは設計は担当されていないとのことですが、 製品仕様や開発日程の管理はされていたようです。 同じくカラー35系コストダウン機(M3)の性能表。 F4→F3.5 Cds→...
  • ペトリRE-II
    レンズ ペトリF2.8 38mm シャッター プログラムシャッター2秒〜1/500 重量・大きさ 99.5x68x52mm 230g 価格 ¥XX,XXX 発売 1977?年X月 小型の距離計連動レンズシャッターカメラ。 距離計連動カメラとしては当時最小、最軽量であったと思われる。 ペトリカメラ倒産後、フィンカメラによって調達、販売されたカメラと考えられる。 ペトリ製カメラの特徴である、柳澤式スプールは採用されていない。 ペトリ 35 REとは別に設計されたカメラと考えられるが、スペックはとても似ている。ペトリカメラ関係者の関与があったかどうかは不明。 カメラデザイン登録集(日本機械デザインセンター編1981年)にほぼ同型のカメラが掲載されており、 それについては株式会社東和工業より申請されているが、このカメラとの関係は不明である。 ※カメラデ...
  • ペトリ一眼レフの機構
    斜め押しシャッターボタン ペトリカメラの一眼レフの多くは、ボディ前面に配置された斜めに押すシャッターボタンが採用されている。 東独製のプラクチナ/コンタックスSの影響や、押しやすさからの採用とされることが多いが、写真サロン1961年6月号のペトリV2に対する柳澤明氏へのインタビュー記事によると、機構上、上面への配置が難しかったから、との理由であることが判明した。 ※ 斜め押しシャッターボタンの考察についてはこちらにも記事があります。 ペトリあれこれ カムシャフト駆動の構造 ペトリカメラの一眼レフの多くは、ボディ底部にある一軸のカムシャフトの駆動により動作を行っている。 他社のカメラには見られないペトリ独創のメカニズムである。 巻き上げを行うとカムシャフトが回転し、ねじりバネに力が蓄えられる。 シャッターボタンを押すとバネが解放され、カムシ...
  • ペトリの社内資料 シャッター等設計資料
    元ペトリの技術者、半田善朗さんが保管していたシャッター等の設計資料。 「これだけ知っていれば誰でもシャッター設計が出来る」(三枚) 「カメラに於けるシャッターについて」(一枚) 「ファインダーの視差(Parallax)」(一枚) 「はすばウォームギア」(一枚) 「解析資料」(半導体用語集。ペトリ顧問だった新井敏宏氏の講義をまとめたもの?:三枚) 「鏡枠」(レンズ鏡胴の設計資料:四枚) 資料には日本光学の更田正彦氏によるセルフタイマーのがんぎ車に関する文献(出典不明)も含まれていたが 著作権を考慮し公開資料には含めなかった。 資料のダウンロードはこちら
  • Petri 35 RE
    写真提供:motosenbanko様 レンズ ペトリF2.7 38mm シャッター プログラムシャッター4秒~1/500 重量・大きさ 99x68x51 mm 230g 価格 ¥23,000(予価) 発売 1977年X月 ペトリカメラ倒産直前に生産されたレンジファインダー搭載の超小型カメラ。 ほとんど販売されていないとされる。 オリンパスXAの発売まで、世界最小最軽量の35mmレンジファインダーカメラであった可能性がある。 現UCSの社長でペトリOBの渡邉勝明さんによると、ペトリ本社工場ではなく長野にある協力会社で 組み立てたという。 上記スペックは世界のカメラと写真用品1977版より。 J.BairdのCollector guide to Kuribayashi-Petri Camerasによれば、 シャッタースピード 2〜1/500s、絞りf2.7...
  • C.C petri 1:6.3 f=400mm (Type II)
    レンズ名称 CC petri 1 6.3 f=400mm アタッチメントサイズ 72mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群3枚 絞り 6.3~32.0 プリセット 最短撮影距離 9m 重量・大きさ 最大径75mm 全長340mm 950g 価格 ¥28,400 発売 1964年 ペトリの400㎜レンズは時代により意匠の異なる数種類が確認されている。 このレンズはトキナーからのOEM供給品と考えられる(TeleTokina400mmF6.3) レンズケースの蓋には三日月ペトリマークが刻印されている。 また、ケース下部には Petri Camera Company Inc. Japanの刻印がある。 レンズの蓋(対物側、マウント側)には刻印はない。
  • PETRI EF35
    レンズ PETRI F2.8 38mm シャッター プログラムシャッター F16 1/600s~ F2.8 1/50s 重量・大きさ 120x77x58mm 285g 価格 ¥- 発売 1978年? ペトリカメラ倒産後にペトリカメラの海外商標を取得したフィンカメラによって販売されたカメラ。 ペトリ製カメラの特徴である独自のクイックローディングスプール(柳澤式スプール)は用いられていない。 日本機械デザインセンター編「カメラデザイン登録集」に意匠が酷似した細井製作所製のカメラが掲載されているが、 このカメラとの関係はまだ明らかではない。 また、CEDIC 35EFとは仕様や操作部配置からほぼ同一の構造を持っていると考えられるが、こちらもこのカメラとの関係は不明である。 ※カメラデザイン登録集(日本機械デザインセンター編1981年)より引用。...
  • PETRI2.8形態分類表
    PETRI2.8を名乗るカメラのうち、1958年以降に生産された、“グリーン・オ・マチック ファインダー”を搭載したモデルは、月産1000台を突破したとの記録もあるとされ(カメラレビュー別冊「クラシックカメラ専科3」より。)、また、120万台突破記念ステッカーを貼付したモデルもしばしばウェブサイトで見かけるなど、かなりの数が生産されたと推測される。 最近になって、形態のバリエーションの存在もいくつか判明したことから、形態分類表を作成することとした。新たなバリエーションを見つけ次第、適宜追加していきたい。 № シャッター名 速度 アクセサリーシューの“E・P”マーク有無 トップカバー正面向かって左の凹み加工(一重/二重) フィルム面表示有無 備考 256619 CARPERU○○ B、1~300 有 不明 不明 とある店舗にて実見(いつかはペトリ) 327127 CARPER...
  • コシナ製ペトリブランドのカメラ
    ペトリカメラ倒産後、ペトリブランドがフィンカメラに売却されたことにより、コシナでペトリブランドのカメラが生産された。フィンカメラ倒産後の1980年には商標もコシナに移りコシナ製のペトリブランドのカメラが海外で販売された。 ペトリカメラ、ペトリ工業のカメラとは技術的には関係が無い。 一眼レフカメラ(M42マウント) 機種名 コシナの機種名 TTL-2 Hi-Lite202 or 205 MF-2 CSM 一眼レフカメラ(Kマウント) 機種名 コシナの機種名 MF-3 CS-1 MF-4 CS-2 GX-1 CT-1A GX-1SUPER CT-1SUPER GX-2 CT-10 GX-3 CT-20 GX-4 CT-7 GX5 CT9 MF-101 CT-1 MF-101A CT-1A MF-102 CT-20 MF-103 CT-3 MF-104 CT-4 ...
  • PETRI FTⅡ形態分類表
    ペトリFTⅡは、チャージ系メカにカムシャフト式とレバー式の2種類あることが2chペトリスレで判明しているが、さらに、電池ボックスの蓋の形状やシャッターダイヤルの形状などのバリエーションが存在する。まだまだ新たな発見があるかもしれないため、判明しだい適宜追加していきたい。 なお、電池蓋の形状は、FTと同一形状の蛇の目状に彫り込みのあるもの、ローレットが歯車のような刻みの粗いギザになり、蛇の目をなくし、やや凹んだ形状のものとの2種類を確認している。 シリアル№ 電池ボックス蓋形状(蛇の目/凹型) 巻上げレバー指当て(小/大) シャッターダイヤルローレット(細かい/粗い) 1/15文字色 フィルム感度表示地色(白/黒) フィルム感度表示ダイヤルローレット(細かい/粗い) (注)○マウント部正面向かって右EEレンズ開放F値情報板逃げ有無 ★機構 ☆裏蓋パトローネ押さえ有無 ☆フィル...
  • Fotochrome
    レンズ Fotocolor F4.5 105mm 3群3枚 前玉回転式 シャッター 1/30秒固定 重量・大きさ 185x140x90mm 725g 価格 $50 発売 1965年x月 米国フォトクローム社向けにペトリで生産された変わった形態のカメラ。フォトクローム社はペトリの米国のディストリビューターでもあった。 専用カートリッジのダイレクトポジフィルムを使用する。白黒と同じ値段でカラープリントを提供するのがねらいであった。フィルムをそのままプリントとして使用するため画像を反転する必要があり、カメラ内のミラーで90度反射し底にあるフィルムに投影している。 ボディはプラスチック製の一体成形。セレン素子を使用したサークルアイシステムで絞りを制御する自動露出。 使用フイルムの色温度がタングステン光になっているため、補正のためと思われるカラーフイルターがレンズに内蔵されている。...
  • PETRI PF-ZOOM
    写真提供:690さん レンズ 25-42㎜ズーム F5.6 (6群7枚) シャッター フィルム感度により1/125(ASA100),1/250(ASA400)切替 重量・大きさ 120x67x41mm(ボディ) 180g 価格 ¥21,000 ケース¥750 発売 1979年 ゼニックス工業で開発生産された110ズーム機。 ゼニックスズームTSと同一のものと考えられる。 当時のゼニックス工業にはペトリカメラ出身の技術者が集まっていた。 約二倍のズームレンズをもつ。ファインダの像もズームに合わせて大きさが変わる。 露出はフィルム感度に連動した2段階シャッタースピード切り替えと、お天気マークによる3段階絞り(f5.6,f9.5,f16)。本体左側にホットシューがある。 ほぼ同一のカメラで、PETRI ZOOM 110 2S と表記された...
  • ペトリレンズ解像力比較表
    ペトリのカメラは、値段の割にはよく写るといわれる。実際、使用してみてもその評価にたがわぬものがある。 では、実際、データからはどうなのか、という興味から、過去、アサヒカメラのニューフェース診断室にて取り 上げられたテストレポートの中から、絞り開放時における画面中心解像力と面積平均解像力を抽出し、ペトリ 及び他社の同クラスのレンズとの比較を試みた。もっとも、当方では原典を所有していないことから、復刻版 その他ニューフェース診断室の再録からなる資料からの引用であることをお断りしておく。 なお、アサヒカメラによる解像力の測定はJIS測定法によっており、本来はレンズ固有の性能評価というよりも レンズの欠陥を検知することを目的とする測定法であること(後掲文献「復2」ライカM2のテストレポート 参照)から、あくまでもテストされた個体の記録した数字である点は留意する必要がある。また、...
  • CAMERAT,MAY-JUNE 1959
    日本で発行された英文のカメラ雑誌CAMERAT1959年5-6月号のペトリの紹介記事。 創業者の栗林庸二が、長野の出身で、東京に出て、独学で写真用品の職人としてのスキルを身につけたことや、 繁代はこの記事の時点で63歳で、すでに実務は二人の息子に任せていたことなどがわかります。 筆者の記載がなく、出版から50年以上経過しているため著作権は消失したと判断し公開しました。 CAMERAT,MAY-JUNE 1959
  • C.C petri 1:6.3 f=400mm (Type III)
    レンズ名称 CC petri 1 6.3 f=400mm アタッチメントサイズ 72mm レンズマウント ブリーチロック レンズ構成 3群3枚 絞り 6.3~32.0 プリセット 最短撮影距離 9m 重量・大きさ 最大径74mm 全長340mm 950g 価格 ¥34,000(ケース供:1975年) 発売 197?年 ペトリの400㎜レンズは時代により意匠の異なる数種類が確認されている。 上記スペックは、世界のカメラと写真用品1975年版による。
  • @wiki全体から「ペトリの倒産と再建まで 「日本の労働者自主管理」より要約」で調べる

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