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雑誌「正論」編集部への意見具申

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雑誌「正論」編集部への意見具申
http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/proposal.pdf

『正論』篇集部 御中


1. 緒 言

去る 7 月 10 日に、靖國神社元宮司・松平永芳様が幽界に旅立たれました。謹んで故人への慰霊と鎮魂の祈りから、靖國神社前宮司・湯澤貞氏のインタビュー記事の「靖国の言い分、英霊たちの声(『正論・八月号』)」に対して、小生、忌憚なく意見具申をいたします。奇しくも、本日は、御霊前の「十日祭」を迎えました。宜しく、ご査収下さい。尚、論拠としては、論文「誰が御霊を汚したのか 『靖國』奉仕十四年の無念」(http://homepage.mac.com/credo99/public_html/8.15/tono.html)と松平様との思い出から筆を執りました。

2. 論 壇

「A 級戦犯」合祀の経緯

P. 48 湯澤・前宮司曰く、「靖国神社は、明治維新以来、国のために殉じた(後略)」と。
→靖國神社は、明治維新より遡ること、嘉永 6(1853)年「ペリー来航」以来の幕末からの殉国の御霊を英霊として祀られているはずではないでしょうか。

P. 49 湯澤・前宮司曰く、「(靖国神社国家護持)法案成立の可能性がなくなったことで、逆に『A 級戦犯』合祀の環境が整ったわけです」と。
→両者には因果関係があるとすれば、『靖国神社国家護持法案』が成立すれば、「A 級戦犯合祀」されなかったと云うことになり、論理的に二律背反に陥るでしょう。もとより、明治 2(1869)年、明治天皇の大御心による東京招魂社のご創建以来の「神社名」や「神社建築」や「神社祭式」の有名無実化を立法趣旨とする同『法案』は、「断固、受諾できるも
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のではない」と松平・元宮司は反対しておられました。どうして、「『靖国神社国家護持法案』成立の可能性がなくなったことで、逆に『A 級戦犯』合祀の環境が整ったわけです」と断言できるのでしょうか。寧ろ、両者に於いて並列的な論点であると考える方が妥当ではないでしょうか。

国民合意の政府見解は変わったか

P. 50 湯澤・前宮司曰く、「昭和二十八年には遺族援護法が改正され、『戦犯』として亡くなった方、法律で言うところの『法務死』『公務死』された人たちの(後略)」と。
→さらに、松平・元宮司は「A 級戦犯合祀」の実質的な根拠として、我が国は昭和 27(1952)4. 28 の『サンフラシスコ講話条約』の発効までの占領下に於いても国際法上では戦闘状態であり、「東京裁判」での処刑は「戦死者」となり合祀対象となることを挙げられておられました。当時の社内では、「昭和殉難者」との宮司通達までが出されました。加えて、「『全て日本が悪い』と云う東京裁判史観の払拭がされないかぎり、日本の精神復興はできない」とのお考えも示されておられました。

一年かけて御祭神となる御霊

P. 51 湯澤・前宮司曰く、「靖国神社の御神体は御太刀で(後略)」と。
→神社の御神体を公言することは、少々、憚れるのではないでしょうか。一方で、時局柄、懸念材料としてご神体の御太刀が「軍国主義の象徴」のイメージを助長はしないでしょうか。

P. 51 湯澤・前宮司曰く、「(前略)この合祀祭の時に靈璽簿に戴いている御霊がこの御神体に移り御霊から神霊になります。少々簡単に申しますと魂が神になるわけです」と。
亦、P. 52 湯澤・前宮司曰く、「靈璽簿は一年間、本殿の中に置いておきます。靖国神社の御神体は刀で、一年間本殿にお祀りしている間に御霊がこの御神体に移ります。ですから合祀祭で本殿に持ってきた簿冊には御霊がついているわけですけれども、一年経つともうそれは空になっていて靈璽簿奉安殿に戻しますが、御霊は本殿に残るわけです」と。
→大東亜戦争の終戦後、昭和 20(1945)年 11 月 19 日に、靖國神社では、昭和天皇の行幸により臨時大祭として「大招魂祭」が齋行されました。これは、敗戦と云う国家の存亡に関わることから御霊の招魂が危ぶ
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まれる故に、今後も、合祀されるであろう「不特定多数の英霊」を招魂して相殿に祀られました。その後、所定の合祀基準により「祭神名が特定」されたことを受けて、本殿・正面の正床の御神体にお鎮まり給わると云う「靈璽奉安祭」が執り行われてまいりました。然るに、もう既に「英霊」と云う神格が賦与されていると理解をすべきではないでしょうか。湯澤・前宮司の述べられた「魂が神になるわけです」、並びに「(靈璽簿)簿冊には御霊がついていて、一年間本殿にお祀りしている間に御霊がこの御神体に移る」と云う解釈は、「大招魂祭」の歴史的経緯とは合致し難いと考えられないでしょうか。寧ろ、これは「湯澤神学」の提唱ではないでしょうか。

「約束」の参拝に来なかった橋本元首相

P. 53 湯澤・前宮司曰く、「(小泉首相の昇殿参拝が)(前略)先導した者だけにしかわからいけれども、一拝だけでも構いません。(中略)お参りの形式は問いません」と。
→それでは、去る昭和 60(1985)年 8 月 15 日の終戦記念日での中曽根・元首相の「非礼参拝」を追認をされたのでしょうか。もとより、当時の中曽根・元首相の「自称・公式参拝」では、「手水を取らない」、「祓えを受けない」、「玉串を奉りて二礼二拍手一拝の拝礼をしない」でもって昇殿参拝を押し切ってこられたことに、松平・元宮司は「辞表提出」の対抗手段を以て、断固、阻止せんと出処進退を架けられました。また、松平・元宮司が「政治権力との癒着を後任に戒め、私は職を離れた」とおっしゃられた申し送りをも、湯澤・前宮司はお忘れになられたのでしょうか。

皇室の御心は

P. 55 湯澤・前宮司曰く、「『A 級戦犯』合祀の際も(『上奏簿』が)提出されていて、皇室は合祀を御承知だった。それでも、『A 級戦犯』が合祀された昭和五十三年十月の例大祭に勅使が来られています」と。
→「天皇陛下の勅裁と勅使御差遣で英霊の合祀をしている」と云う靖國祭祀の根幹をなす発言で、ことに及んで「A 級戦犯」合祀が物議を醸し出している時局柄、その言動には慎重を要するものではないでしょうか。意に反して、これは天皇陛下の靖國神社に親拝への配慮に欠ける発言でもあると取られないでしょうか。
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英霊の言葉

P. 55 湯澤・前宮司曰く、「(遊就館の大改修が)、御創立百三十年(平成十一年)の記念事業です。非情に自虐的な偏向した歴史観が広まってしまった中で、(中略)『近代国家成立の為、我が国の自存自衛の為、さらに世界的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった戦いがあった』ということです」と。
→松平・元宮司は、戦後、防衛庁防衛研究戦史室(h t t p : / /www.nids.go.jp/about_us/)に勤務されておられたときから、宮司在任中、昭和 61(1986)年の遊就館再開に到るまで、「後世に残る『史料』の収集と整理の重要性から歴史観に言及するものではない」ことを、首尾一貫、理路整然と明言されておられました。その意味で、此の度の遊就館大改修は、靖國中興の祖、松平・元宮司の思召しに叶うものでしょうか。

翻って、日本共産党機関誌の『赤旗(日曜版 16 面・2005. 6. 26)』では、今日の遊就館を戦争博物館として「我が国の自存自衛の為が、アジアとの違和感」とも特集記事にしておりますことは、甚だ心外にして遺憾ではないでしょうか。

3. 結 語

以上の意見具申は、偏に靖國神社での「松平イズム」の復権を庶幾う一心からです。松平様の宮司として「私心なきご奉仕」の縉紳の士たるお姿に感銘を受けた者としての素直な気持ちを述べさせて頂いただけで、何ら他意はございません。

もとより、敗戦後の我が国では「建軍の本義のある国軍」の復活もないままでいることが、徒に翻弄され「靖國問題」や「憲法九条問題」にも誤解が誤解を招く迷走状態にある、根本原因ではないでしょうか。

ことに靖國神社は、戦後六十年間、国からの援助を受けることなく単立の宗教法人として存続できたのも、まさに全国のご遺族と戦友からの真心の籠められた崇敬と浄財によるものです。その意味で、松平・元宮司のおっしゃられた「靖國神社は、国民総氏子の崇敬を拠り所にする神社」であることを鑑みるに、境内に高齢となられたご遺族と戦友の方々もお迎え出来る「介護福祉施設やホスピス」を建設して、これまでの格別のご高配に対しての恩返しをなされては、如何なものでしょうか。もはや戦没者遺児と雖も六十歳を越えておられます。もう既に亡くなれた方々も多く、遅
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きに逸しているとも云えましょうが。九段の鎮守の杜に鎮まります御縁深き御霊のお傍近いところで平安な老後をお迎え頂くことにご奉仕させて頂くことは、無垢な宗教家としての務めではないでしょうか。

そして、今でも地球上で戦争災禍や貧困で苦しみ悲しんでいる四海兄弟に愛の手を差し伸べることも、同じく宗教家としての崇高な務めではありませんか。戦争は勝っても負けても悲劇であることに変わりありません。モーセの『十戒』をひも解くまでもなく、「殺生は罪」です。靖國神社の宮司が「ノーベル平和賞」の候補に挙げられれば、前段のことと合わせて、一気に「靖國問題」の解決の途が開けるのではないでしょうか。靖國神社が全人類への慈愛に満ちたミッションを果すところに、近未来の靖國神社のヴィジョンが見えてこないでしょうか。英霊のご神慮にも報いるものではないでしょうか。畢竟、所謂「国家神道」からの自らの呪縛解放にも繋がるでしょう。九段の杜の靖國の祈りとは、永遠の平安ではないでしょうか。

  天地の神にぞ祈る朝なぎの
    海のごとくに波たたぬ世を    
           昭和天皇御製

以上
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