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日本軍国主義と沖縄人

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日本軍国主義と沖縄人

古堅 宗一
※沖縄根拠地隊司令部
島尻郡豊見城(とみぐすく)村

  昭和十八年四月一日、海軍志願兵として佐世保海兵団(長崎県)に入団、その後昭和十九年沖縄根拠地隊司令部通信隊特殊無線通信兵として軍務に従事した私は徹底的に日本兵にかわいがられた。
「おまえたちは今日来たからかわいがってやる」
といって、防空壕前に連れていかれ、いきなりバットで目から火の出る程なぐられた。これが軍人精神をたたき込むということなのだ。血も涙もない訓練は終戦間際まで及んだ。

  特に沖縄人はおしなべて口数が少ない無口ゆえに、あらぬ疑いをかけられた。訓練中に日本兵に殺された沖縄の同胞が三人もいた。

  どんよりとした風のないある日の午後だった。目の前で二十四、五歳の沖縄の若い女がまたもや日本兵に殺されたのだった。

  女が我々のこもっている壕に一般兵に引きづられて来たとき、顔は極度の緊張のためにすでに血の気はなかった。数人の日本兵が女を取りまき、まわりの人びとへの見せしめのためか、「スパイ」をするとこんな目にあわなければならん、とばかりの仕打ちが続いた。身につけた衣類がボロボロになるまでムチの拷問が加えられたのだ。

  恐怖に顔をひきつらせ、全身を硬直させた女の体に最後に電気が通された。体をのけぞらせ悲鳴とも、叫びともっかない断末魔のうめきを残し、全身をけいれんさせながら女は死んでいった。それでもあきたらぬのか、日本兵は死体をなおも責めた。衣類のむけた裸体に竹ヤリが突き刺され、日本刀が肉をそぐ。

  壕の中はさながら血の海となり壕の外までもあふれ出た。私はあまりのショックでへなへなとすわり込んでしまった。つぎに槍玉にあがったのは波平三郎という三十歳くらいの小さな男であった。一晩中打たれたあげく逆さ吊りにされ、電気を通され拷問、そのうえ竹ヤリで突かれた。こんなことは日本軍によって沖縄の住民に加えられた残虐さのごくありふれた行為にすぎない。先に上映された「沖縄戦記」という映画の伝える内容も、被害者だった人間にはほんの気休めにしかならない。

  もっともっとひどい事が、白昼公然と行なわれていたのだから。あれから半世紀いまわしい思い出を拭い去ろうとしても、当時なぐられた痛みを今でも忘れることは出来ない。以上、日本軍国主義の実態だ。(『沖縄戦-痛恨の日々』より)


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