15年戦争資料 @wiki内検索 / 「「土俵をまちがえた人」(1)」で検索した結果

検索 :
  • 「土俵をまちがえた人」(1)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(1) 手榴弾への疑問 曽野綾子さんの「お答え」を呼んで、一面、非常に満足している。渡嘉敷島の赤松問題については、だいたい白黒がはっきりしたと思うからである。というのは、私が出した、いちばん重要な問題――手榴弾が、なぜ、住民に渡されたか、同一行動(降伏勧告、逃亡)について、住民は殺され、兵隊は見逃されている事実――に関しては、なんの回答もないからである。この論争は、これでケリがついたようなものだ。他の面では、曽野さんの「お答え」には、がっかりした。もっと期待していたが、その調子が低いのには拍子抜けである。曽野さんの「お答え」にたいする答えは、あと回しにする。 まず、根本的な問題、手榴弾が住民に渡されたこと、その他について補足説明、または言及しておきたい。 ▼弾薬類は兵隊の手にかんたんに渡るものではない。昭和十一年の二・二六...
  • 「土俵をまちがえた人」(6)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(6) 議論にならない ▼曽野さんは、沖縄の社会、教育、新聞なども批判している。皮相的な、困った偏見である。たとえば、「沖縄の社会は閉鎖的である」という。その理由は、なにも述べていないから、答えようがない。もし私が「本土は沖縄よりも閉鎖社会である。日本の地方の中で、沖縄ほど世界に開かれたところはない」と言ったとする。それだけでは議論になるまい。私なら、その理由を述べる。 今度の論争で、私は根本問題を踏まえて、土俵の真ん中に立っているのに、曽野さんは、枝葉末節のことや論点からはずれたことばかり言って、土俵のまわりを逃げまわっていたような気がする。 ▼住民処刑の明確な不当性を、私は証明した。これについては、いかなる人も反論できないはずだ。曽野さんも、沈黙して、曽野点は避けている。そうとわかれば、エチオピアの話をもち出す前に、不...
  • 集団自決などをめぐって
    ...(12日は休載) 「土俵をまちがえた人」(1) 「土俵をまちがえた人」(2) 「土俵をまちがえた人」(3) 「土俵をまちがえた人」(4) 「土俵をまちがえた人」(5) 「土俵をまちがえた人」(6) 「沖縄の証言」(上)より 宮城晴美氏 読谷村史5上 チビリガマでの集団自決 沖縄県公文書館サイト 沖縄戦関係資料閲覧室 集団自決の再検討 兵隊が泣く子を殺す (2006-10-11 13 28 45) サイト名 URL
  • 「土俵をまちがえた人」(4)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(4) 侮辱した言葉 曽野綾子さんは、さる五月三日の本紙面で、「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と書いてある。しかも、そう思わせる文脈の中で、そう書いてあるのである。これは、たんに言論の自由のワクをふみはずしたという程度では、すまされない言葉である。論争の相手に、そういう言葉を投げるのは、品がよくないだけでなく、読者公衆の面前で、相手を侮辱し、相手の名誉を毀損したことになる。しかも、新聞に書かれたものは、いつまでも残るのである。私の近親者に「綾子」という名の娘がいる。その母親の話によると、「曽野綾子さんにあやかってつけた名前」らしい。その娘は、いま、東京の両国高校(旧府立三中)の三年生である。私の身近にも、曽野さんのファンがいたわけだ。言葉はつつしむべきである。 知念少尉について、「鉄の暴風」では、同情的なことを書いた私が、こ...
  • 「土俵をまちがえた人」(2)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(2) 一日分の弾量で ▼「沖縄方面陸軍作戦」という防衛庁から出た本がある。それに、赤松隊が所持していた銃器弾薬の数量が記載されている。その数量は、赤松大尉あたりが提供した資料にもとづいたものであるはずである。また、たしか、そう書いてあったようにおぼえている。この数量をみて、いまさらのように、ああ、そうだったのかと思った。それは、一日の激戦で射ちつくせるだけの弾量でしかなかった。 その中での、住民に渡された五十何発かの手榴弾のもつ重みもわかった。住民とともに玉砕するだけの弾量しかもっていなかったのだ。それで、住民が玉砕したあと、赤松隊は「持久戦」に転じたというわけである。「持久戦」というのは、それによって、敵に軍事的な損害をあたえるための兵法の一ツの型である。たくさんの米艦船にとり囲まれた小さな渡嘉敷島で、わずかな銃弾しかもたない...
  • 「土俵をまちがえた人」(5)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(5) 現在の世情を憂う 面倒だから簡略に答える。 ▼エチオピアその他の悲劇は、世界平和体制の中の局地的な悲劇である。悲劇が世界的に拡がったのが第二次大戦である。その最後の本格的地上戦闘があった沖縄で、物を考えるということは、大戦を二度とあらしめないための営みであるという意味で、今日的であり、未来的でもある。沖縄からも開発青年隊の若者たちがアフリカ各地で二年、三年と活し、彼と彼女たちは帰ってくると沖縄で静かに活している。一週間そこらのエチオピア体験で、いきなり、地球的視野から、沖縄戦が四十年過去のものとしてかすんだり、責任をもつべき自著をめぐる論議がとるに足らないものになったり、戦争賛成平和反対に反対する運動が無意味に見えたりするとは、どういうことか。現在のことなら、心配すべきは、日本の世情である。まるで末世の状態ではないか。何日か前に、...
  • 「土俵をまちがえた人」(3)
    「土俵をまちがえた人」(太田良博・沖縄タイムス)(3) 「限定した事柄」 曽野綾子さんの「お答え」に答えることにする。まず、曽野さんのジャーナリズム批判から始めよう。「新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない」と私は書いたのである。この文章をよく読んでみたらわかる。この文章の分析はしないことにするが、私は、一つの条件を前提として、限定した事柄について言っているのである。新聞社があやまちをおかすことはないなどとは言っていない。 曽野さんは、この文章にとびついてきた。そして、世の主婦をバカにしたような文言をはさみながら、「太田氏のジャーナリズムに対する態度には、私などには想像もできない甘さがある」と、見下したようなことを言う。「鉄の暴風」で、私の書いたものが、伝聞証拠によるものだ、と曽野さんが「ある神話の背景」のなかで言うから、そ...
  • 「沖縄戦神話論争」の時系列
    「沖縄戦神話論争」の時系列 愛・蔵太氏による採録は、まさしくGood-jobです。 以下のファイル(http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/62.html)は、愛・蔵太氏が電子テキスト化したもの(http //d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01以下)を再録させていただきました。 愛・蔵太氏の「合いの手」抜きに「素」で原文を読んでみます。 *********** 「沖縄戦神話論争」の時系列は、 「鉄の暴風」(沖縄タイムス社1993/08)を曽野氏が「ある神話の背景」(『諸君』1971年10月から1972年9月連載、文芸春秋社1973年単行本刊) で批判したので、 「鉄の暴風」著者の太田氏が1973年7月琉球新報紙上で反論「渡嘉敷島の惨劇は果して神話か」 沖縄タイムズ紙上での論争再開。「沖...
  • 「白リン弾デマ」はホントかデマか関連
    「白リン弾デマ」はホントかデマか関連 移転しました⇒http //www36.atwiki.jp/pipopipo777/ TOP 画像・映像 m825a1 ガザ白燐弾 ガザ国連学校 ガザ国連学校 ガザ国連学校 ガザ国連パレスチナ救援センター ガザ国連学校白燐火傷 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 ガザ国連学校・ガーディアンslideshow 白燐火傷 白燐火傷 自衛隊・富士総合火力演習 Youtube白リン火傷 http //jp.y...
  • I はじめに(高崎論文)
    「慰安婦」問題 調査報告・1999 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成) 高崎宗司 ソース:http //www.awf.or.jp/program/pdf/p041_060.pdf Ⅰ はじめに(高崎論文) 「半鳥女子勤労挺身隊」について(未作成)Ⅰ はじめに(高崎論文)1 問題提起 2 研究論文と資料 参考文献 1 問題提起  「従軍慰安婦」問題の波紋が広がり始めた1991年当時、日本では、「朝鮮人従軍慰安婦」は「女子挺身隊」という名によって強制連行された、と広く信じられていた。新聞記者や野党議員等が次のように書いたり、話したりしていたからである。  「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊...
  • 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか
    http //www.flickr.com/photos/changturtle/131913508/ 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか 台湾 国立政治大学教授 傅琪貽 2005.06.22 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか一、「高砂族」青年幹部の誕生 二、高砂族自助会の皇民化運動 三、仕組まれた志願 四、「高砂義勇隊」の形成 平成12年 4月5日台湾高砂義勇隊訪日一行10人が靖国神社を参拝してニュースになった。霧社事件の遺族が参加していたからである。天皇崇拝、親日植民地人が戦後 55年にして出没して世を驚かせた。台湾は朝鮮と比較して、日本植民地統治が良かった、近代化が成功した、特に原住民族には「大和魂」があって日本人よりもっと日本人的だと言われている。果たして本当にそうなのだろうか。 事実において異民族であった台湾、朝鮮など旧植民地人の戦死者を「日...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か7
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―7 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p193-197 目次 7 【引用者註】「必死兵器」と「決死兵器」、「死のエリート」たちの凶暴な「生」へのもがき ほんとに死を諦観した人は幼心に帰るのではないか。豪州のシドニー湾内に潜行した特殊潜航艇員が出撃前に童謡を歌っていたという話を聞いたことがある。 神風特攻隊員が出撃の前晩、静かに寝ている写真をみても、普通の軍隊内務班の就寝状況と何ら変わらない。 死はあくまで自己との戦いなのである。死には他人の問題が介在してこない。死と直面する人は、むしろ人なつこくなるのではないだろうか。他人に対して狂暴となるのは、生死の境にあって、生を求めるもがきがあるからであるとおもわれる。 慶良間列...
  • 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗して
    世界 SEKAI 2007.7 特集:「沖縄戦」とは何だったのか 書き換えられた沖縄戦 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗して 石原昌家 「靖国の視座」による沖縄戦の定説化に抗してはじめに 有事立法制定の動きと沖縄戦体験の提造 「集団自決書き加え」事件による沖縄戦認識の深化 「援護法でいう集団自決」と「強制集団死」の相違 極秘文書が明かす軍部の沖縄県人観-間接的要因 国家の最高機密を知った沖縄住民-直接的要因 究極の恐怖心――事件の発生 おわりに はじめに いま、全国各県・各市町村では有事法制の一環である「国民保護法」に基づいて義務付けられた「国民保護計画」の策定が推し進められつつある。そこでは防災訓練の名のもとに「軍民一体」化した形が具体化しつつある。本年三月末、教科書検定の結果、沖縄戦における集団自決の記述において、日本軍の関与が削除されたということでマ...
  • 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)
    愛・蔵太氏採録 http //d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01 「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)(太田良博・沖縄タイムス1985年4月8日掲載) はじめに 沖縄戦でいつも話題になる事件の一つに渡嘉敷島の集団自決と住民虐殺がある。 この事件について作家の曽野綾子氏は『ある神話の背景』のなかで、当時渡嘉敷島の指揮官であった赤松嘉次大尉が「完璧な悪玉にされている。赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった」と述べる。その神話の源になっているのが『鉄の暴風』のなかの赤松に関する記述だとしてその赤松神話を突き崩すために書かれたのが『ある神話の背景』である。 曽野氏は、沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』を、戦後、沖縄住民によって書かれた沖縄戦記録の原典と見ているが、その中の第...
  • 準備書面(5)
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2_syomen_05.html 準備書面(5) 2008年(平成20年)9月9日 (藤岡意見書及び宮平秀幸証言の信用性) 準備書面(5)1 2 3(1)藤岡意見書(1)8頁は、 (2)藤岡意見書(1)14頁は、 (3)藤岡意見書(1)15頁は、 (4)藤岡意見書(2)3頁は、 4(1)秀幸証言は、本部壕からの帰り際に、 (2)控訴人梅澤は、 (3)宮城初枝は、 (4)宮平秀幸陳述書(甲B142・3頁)は、 (5)宮平秀幸陳述書(甲B142・4~5頁)は、 1 甲B111~113に記載された宮平秀幸の証言が、母貞子の手記との食い違い、秀幸自身のビデオ証言や本田靖春に対する証言との食い違い、宮平春子証言や宮城初枝証言などとの食い違いなどから、全く信用できないものであることは、被控訴人準備...
  • 第1 渡嘉敷島の巻(3)
    第1 渡嘉敷島の巻(3) 6 知念朝睦 赤松隊元副官であり、赤松隊長の側近であった。赤松隊唯一の沖縄県出身者である。当初から《赤松命令説》を否定する証言をしている。本件訴訟に出頭した証人である。(Ⅰ) (1) 『ある神話の背景』【昭和48年5月発行】(甲B18) 「『(地下壕はございましたか?)ないですよ、ありません。』 知念氏はきっぱりと否定した。    『この本に出て来るような将校会議というのはありませんか』    『いやあ、ぜんぜんしていません。只、配備のための将校会議というのはありました。一中隊どこへ行け、二中隊どこへ行けという式のね。全部稜線に配置しておりましたんでね。』     知念朝睦氏は、あまりにもまちがった記事が多いのと、最近、老眼鏡をかけなければ字が読みにくくなったので、この頃は渡嘉敷島に関することは一切、読まないことにした、と私に笑いながら語った。 ...
  • 集団自決と検定・沖縄集会「11万人」の怪
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/94098/ 【正論】集団自決と検定 秦郁彦 沖縄集会「11万人」の怪 10/26 07 33 ブログを書く印刷する この記事について書かれたブログ(24) トラックバックURL: http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/94098/TrackBack/ ■「1・9万~2万人」の推定数も  ≪産経と朝日の応酬に端緒≫  福田首相の人柄もあってか、何となく堅苦しい気分が漂う昨今だが、久々に笑いを誘ったのが教科書検定に抗議する沖縄県民大会(9月29日)の参加者をめぐる産経新聞と朝日新聞の応酬であった。  かいつまんで要点を紹介すると、まず10月3日の産経抄が「(県民大会で)沖縄11万人抗議」の大見出しで...
  • 我部政男山梨学院大学教授(つづき)
    『平成18年度検定決定高等学校日本史教科書の訂正申請に関する意見に係る調査審議について(報告)』 平成19年12月25日 教科用図書検定調査審議会第2部会日本史小委員会 http //www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/08011106/001.pdf http //www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1018.html 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1)大城将保沖縄県史編集委員 我部政男山梨学院大学教授 我部政男山梨学院大学教授(つづき)五 沖縄守備軍第32軍と軍備配置 高良倉吉琉球大学教授 秦郁彦現代史家 林博史関東学院大学教授 原剛防衛研究所戦史部客員研究員 外間守善沖縄学研究所所長 山室建德帝京大学講師 資料1 専門家からの意見聴取結果・・・資料(1) 大城将保...
  • 大量破壊兵器拡散阻止構想(PSI)
    どうやら、今回の「臨検」問題は、今回の国連安全保障委員会の決議で急浮上したものではなくて、03(同15)年5月ブッシュ政権が提唱し、米軍と自衛隊との間ですでに実行予定が既成事実化している、大量破壊兵器拡散阻止構想(PSI)の具現化であるようです。 一昨年10月には横須賀で各国合同の「海上阻止(「臨検」)訓練」が行われ、去年6月にはシンガポールで阻止訓練が行われています。防衛白書掲載の写真を見たりする限りでは、海上警察行動の一環のように見えますがどうでしょうか。 米艦が北朝鮮を常駐封鎖し臨検をおこない、自衛艦がそれに給油するとなれば、それは、写真に有るようなゴムボートのイメージとは全く異なります。 防衛庁文書を見つけました。 http //jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2005/2005/html/ryakugo.html#...
  • 阪神教育闘争・文献リスト
    12・4黒い彗星★救援会1・23報告集会記念 4・24阪神教育闘争63周年記念 文献リスト (漸次更新します。私の視野は狭いので皆さんからの捕捉を御願いします。by pippo) 文献リスト【WEB】 【映像】 【出版物】まず、この文献リストを参照してください 運動圏 公安権力側 在特会ルーツ ホットな論考としては、 配付資料集 御意見・御質問 【WEB】 ●民団ニュース「阪神教育闘争の物証 米公文書館にあった」 http //www.mindan.org/sidemenu/sm_hundred_14.php ●民族教育ネットワーク http //www.ne.jp/asahi/m-kyouiku/net/ ●同上「阪神教育闘争50周年集会の記録」 http //www.ne.jp/asahi/m-kyouiku/net/50syuunen.htm ●同...
  • 「従軍慰安婦」にされた人々
    四、「従軍慰安婦」にされた人々 《一九九五年一〇月二五日発行 アジア女性基金パンフレットより》  「従軍慰安婦」とは、かつての戦争の時代に、日本軍の慰安所で将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです。  慰安所の開設が、日本軍当局の要請によってはじめておこなわれたのは、中国での戦争の過程でのことです。一九三一年(昭和六年)満州事変がはじまると、翌年には戦火は上海に拡大されます。この第一次上海事変によって派遺された日本の陸海軍が、最初の慰安所を上海に開設させました。慰安所の数は、一九三七年(昭和十二年)の日中戦争開始以後、戦線の拡大とともに大きく増加します。  当時の軍の当局は、占領地で頻発した日本軍人による中国人女性レイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることをおそれて、防止策をとることを考えました。また、将兵が性病にかかり、兵カが低下することをも防止し...
  • 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 第1部 近代日中関係の発端と変遷 第3章 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2> 服部龍二 中央大学総合政策学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その1> 日本の大陸拡張政策と中国国民革命運動 服部龍二<その2>4.国民政府「革命外交」と田中外交・第2 次幣原外交1) 第1 次山東出兵、東方会議、山本─張鉄道協約 2) 済南事件と張作霖爆殺事件 3) 国民政府「革命外交」 4) 奉ソ戦争と経済関係 5) 中国における日本人コミュニティ おわりに 4.国民政府「革命外交...
  • 山の中へ
    中公新書256 名嘉正八郎・谷川健一編 沖縄の証言(上) 庶民が語る戦争体験 中央公論社刊 昭和46年7月25日初版 昭和57年2月1日5版 山の中へ 北谷村(ちゃたんそん)砂辺(すなべ) 喜屋武(きやん)スミ 家事三十九歳  私たちはクマヤーのガマ〔白然の洞窟〕という自然壕に、みんなといっしょにはいっていました。もう艦砲がはじまっていました。それで危険になってきて、そこでどうしようかと、村中の人たちが相談して、その夜九時ごろにみんな村から出て避難するようにときまったんです。  私たちは嘉手納(かでな)の汽車の道、その道をたどって北に向かい、それからずっと山原(やんばる)に向かって歩いて、名護(なご)に行きました。  砂辺を発つときに、夕方、アメリカの船が燃えているのを見ました。だれかが日本の水上特攻隊がやったのだろうと話して...
  • (11)海上挺進戦隊顕彰之記 斉藤義雄
    index 目次 (11)海上挺進戦隊顕彰之記 斉藤義雄  昭和十九年戦局の頽勢を挽回すべく、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし全陸軍より選抜せる下士官、将校野(※ママ)精鋭を以て編成されたる陸軍海上挺進戦隊は、二五○キロ爆雷を装備せるベニヤ製モーターボートにより一艇以て一船を屠るを任務とし、此処幸之浦の船舶練習部第十教育隊に於いて昼夜を分かたぬ猛訓練に励み、第一戦隊以下三十ケ戦隊が同年九月以降続々沖縄、比島、台湾への征途にのぼり、昭和二十年一月比島リンガエン湾の特攻を初めとし同年三月沖縄戦に至る迄壮烈鬼神も泣く肉迫攻撃を敢行しその任務を全うせし者或は戦局の赴く所己むをえず挺身陸戦に転じ奮戦せし者を含め戦闘参加の勇士二二八八名中再ひ帰らざる隊員実に一六三六名の多きに達し挙げたる戦果敵艦船数十隻撃沈、誠に嚇々たるものありしも当時は、秘密部隊として全く世に発表されざるままに終われり。而...
  • 日中歴史共同研究(概要)平成22年1月
    日中歴史共同研究 外務省サイト http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html 日中歴史共同研究(概要)平成22年1月 1.経緯 (1)2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。 (2)2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意(別添参照)。 (3)2006年12月26-27日に北京で第1回全体会合、2007年3月19-20日に東京で第2回全体会合、2008年1月5-6日に北京で第3回全体会合を開催。研究成果を...
  • 『表現の自由』めぐり活発な論議
    http //www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2010061102000066.html 【放送芸能】 『表現の自由』めぐり活発な議論 『ザ・コーヴ』上映会・シンポ 2010年6月11日 朝刊 「ザ・コーヴ」上映後のシンポジウムで討論する映画監督の森達也氏(左から2人目)ら=9日夜、東京都中野区で  和歌山県太地町のイルカ漁を扱った米ドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」(ルイ・シホヨス監督)の上映中止が相次ぐ中、東京都中野区の「なかのZEROホール」で開かれた上映会とシンポジウム(9日夜、創出版主催)には多くの人が詰め掛けた。五百五十人収容のホールに入りきれなかった人がロビーに座り込み、ホールの様子を中継するモニターを見つめるなど、作品への関心の高さをうかがわせた。 (石原真樹)  全国二...
  • AFP-BB2008年3月29日
    AFP-BB2008年3月29日 http //www.afpbb.com/article/life-culture/life/2371032/2784494 沖縄の集団自決訴訟 元守備隊長らの請求棄却 2008年03月29日 06 25 発信地 東京 前の写真 | 次の写真 関連写真 2枚 沖縄県糸満(Itoman)市で、第2次大戦中の沖縄戦戦没者の慰霊碑に手を合わせる人々(2005年6月22日撮影)。AFP/Toru YAMANAKA 【3月29日 AFP】第2次世界大戦中の沖縄戦で、旧日本軍指揮官が住民らに対し集団自決を命じたとの記述がある、ノーベル賞(Nobel Prize)作家・大江健三郎(Kenzaburo Oe)さんの「沖縄ノート(Okinawa Notes)」(1970)をめぐり、当時の沖縄守備隊長(91)らが名誉が傷つけられたとし...
  • 金光翔「<佐藤優現象>批判」4/4
    論文・エッセイ http //gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html 金光翔「<佐藤優現象>批判」4/4 註 (『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載) 金光翔(キム・ガンサン)一九七六年生まれ。会社員。韓国国籍の在日朝鮮人三世。gskim2000@gmail.com 目次 金光翔「<佐藤優現象>批判」1/41.はじめに 2.佐藤優の右派メディアでの主張(1)歴史認識について (2)対北朝鮮外交について (3)朝鮮総連への政治弾圧について 3.佐藤優による主張の使い分け 4.佐藤優へ傾倒する護憲派ジャーナリズム 金光翔「<佐藤優現象>批判」2/45.なぜ護憲派ジャーナリズムは佐藤を重用するのか?(1)ナショナリズム論 (2)ポピュリズム論 (3) 格差社会論 (4)「硬直した左右の二...
  • 準備書面(4)2/2
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2_syomen_04.html 被控訴人準備書面(4)2/2 被控訴人準備書面(4)1/2 被控訴人準備書面(4)2/2第2 出版の差止め1 名誉権に基づく差止請求権の根拠 2 敬愛追慕の情侵害による差止 3 名誉毀損による出版差止めの要件(1) (2) (3) (4) (5) 4 本件書籍に関する差止の要件の不存在(1)本件各書籍が公共的事項に関する事実や評価を伝えるものであることは明らかである。 (2)「表現内容が真実でないことが明白であるか、又はもっぱら公益を図る目的のものでないことが明白であること」(前記①)の要件について (3)「被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞れがあること」(前記②)の要件についてア 本件書籍(1)「太平洋戦争」について イ 本件書籍(2)「沖縄ノート」について ...
  • 「慰安婦問題に対する日本政府の施策」平成19年4月
    最も最近の日本政府公式コメント 「慰安婦問題に対する日本政府の施策」 平成19年4月 ソース:http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html 「慰安婦問題に対する日本政府の施策」1.アジア女性基金への協力(1)フィリピン、韓国、台湾 (2)インドネシア (3)オランダ (4)歴史の教訓とする事業 2.女性の名誉と尊厳に関わる今日的な問題への積極的な取り組み 3.国連人権フォーラムでの議論  日本政府は、慰安婦問題に関して、平成3年(1991年)12月以降、全力を挙げて調査を行い、平成4年(1992年)7月、平成5年(1993年)8月の2度にわたり調査結果を発表、資料を公表し、内閣官房において閲覧に供している。また、平成5年(1993年)の調査結果発表の際に表明した河野洋平官房長官談話において、この問題は当時の軍...
  • 産経:【詳説・戦後】沖縄の言論
    【引用者註】 阿比留瑠比、比護義則、両記者による特集記事 【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道■黙殺された当事者証言 ■「集団自決を削除」と誤解 ■沖縄と地元メディアの変遷 【用語解説】『鉄の暴風』と軍命令説 【詳説・戦後】沖縄の言論 「軍命令説」矛盾する記述■編集局長が率先して「一坪反戦地主」に ■2紙とも本紙の取材拒否 ■幻の保守系第3紙、記者クラブ加盟に地元紙反対 ■ジャーナリスト・櫻井よしこ氏『沖縄県民の知る権利守る対策を』 ■3つの恨み・反感 表現の場 ■沖縄県内の新聞各紙発行部数 http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/112198/ 【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道 09 53更新 トラックバックURL:http //www.iza.ne.jp/news/news...
  • 産経石川水穂論評
    http //sankei.jp.msn.com/culture/academic/080315/acd0803150347001-n1.htm 【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 閉ざされた沖縄の言語空間 2008.3.15 03 44 ◆地元紙は新証言を無視  先月、集団自決を日本軍の隊長が戒めた事実を本紙などに証言した沖縄県座間味村の宮平秀幸氏(78)が今月10日、沖縄県庁で記者会見を行った。  宮平氏は、集団自決前日の昭和20年3月25日夜、村の三役らが同島に駐屯する海上挺進(ていしん)隊第1戦隊長の梅沢裕少佐のもとへ、自決用の弾薬類をもらいにいったものの断られ、自決を戒められた状況などを改めて語った。  だが、この会見は地元の有力2紙、沖縄タイムスと琉球新報には報じられなかった。宮平氏は以前、両紙に「集団自決について真実を話したいから、取...
  • 読売社説:「沖縄」教科書 “政治的訂正”の愚を繰り返すな
    http //www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071226ig91.htm 「沖縄」教科書 “政治的訂正”の愚を繰り返すな(12月27日付・読売社説)  検定意見を正面から否定するような記述訂正は認められなかった。とは言え、きわめて疑問の多い“政治的訂正”であることに変わりはない。  来年度から使用される高校日本史教科書の沖縄戦・集団自決の記述について、教科用図書検定調査審議会は、教科書会社6社から提出されていた訂正申請を承認する見解をまとめ、渡海文部科学相に報告した。これを受け、文科省は訂正申請を承認した。  例えば、今春の検定で「集団自決に追い込まれた人々もいた」とされていた記述は、「日本軍の関与のもと、配布された手榴弾(しゅりゅうだん)などを用いた集団自決に追い込まれた人々もいた」と訂正された。捕虜になるよりは自決せよと...
  • 沖縄タイムス:社説[教科書検定審報告(下)]
    http //www.okinawatimes.co.jp/edi/20071228.html 沖縄タイムス 社説[教科書検定審報告(下)] 幾つもの問いが残った 県民大会が示したもの  教科書検定をめぐる九月二十九日の県民大会で、心に残る印象深い場面があった。読谷高校の津嘉山拡大君と照屋奈津美さんが高校生を代表して演壇に立ち、検定意見に疑問を投げ掛けた時のことである。  「沖縄戦を体験したおじぃおばぁたちが嘘をついていると言いたいのでしょうか」  「私たちは真実を学びたい。そして、次の世代の子どもたちに真実を伝えたいのです」  タオルを握り締め何度もうなずきながら話を聞いているおばぁ。小さい体を丸めて目頭を押さえるおばぁ。そういう姿を壇上から見て、胸が熱くなった、と津嘉山君は語っている。  会場には親子連れや家族連れが目立った。小さな子ど...
  • rabe12月31日
    十二月三十一日 今日、うちの難民がふたり、外をぶらついていたところを日本兵に連れていかれて、略奪品を運ばせられた。昼、家にもどると、かみさんのひとりがひざまずいて訴えた。「お願いです! うちの人を連れ戻してください。でないと、殺されてしまいます!」みるも哀れな姿だった。しかたなく私はそのかみさんを車に乗せて、中山路でようやく連中を見つけた。 武装した兵隊二十人とむきあう。案の定二人を引き渡そうとはしない。私の立場はちょっと具合の悪いものだった。なんとか連れ戻すことができたときには心底ほっとした。 家に戻ってから難民を集めて、この二人のおろか者をみなの前で叱りとばした。ばかなことをして捕まっても知らんからな。六百三十人もいる人間のあとをそのたびに追っかけちゃいられない。いったい何のためにここに逃げてきたんだ? また私が助けに行くと思ったら大まちがいだ。こんなことが続いたら...
  • 第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(3)
    第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(3) (※<藤色>部分は、曽野綾子の論拠借用と著書引用) 第4 渡嘉敷島における隊長命令の不在(3)8 隊長命令不在説の定着(1) 大江志乃夫著『花綵の海辺から』(1990年)(平成2年) (2) 『沖縄県警察史』の安里証言(1993年)(平成5年)ア イ ウ (3) 金城重明著『沖縄戦を心に刻んで』(1995)(平成7 年) (4) 『沖縄戦ショーダウン』(1995年)(平成7年) (5) 林博史著『沖縄戦と民衆』(2001年)(平成13年)ア イ ウ エ (6) 曽野綾子の正論の記事(甲B4) (7) 山川泰邦著『秘録 沖縄戦史の改定』(甲B53)(乙7)ア イ ウ オ (8) 産経新聞の照屋証言ア イ ウ エ (9) 吉川勇助の新たな伝令による自決命令説と手榴弾配布説ア(ア) (イ) (ウ) イ ウ 8 隊長命令不在説の定着 隊...
  • 準備書面(3)1/3
    http //okinawasen.web5.jp/html/kousai/2_syomen_03.html 被控訴人準備書面(3)1/3 2008年(平成20年)8月22日 (平成20年6月16日付控訴人ら「控訴理由書」に対する反論等) 被控訴人準備書面(3)1/3第1 「控訴理由書」第1(請求の趣旨の変更)について1 同1(変更の内容)(3頁)について 2 同2(変更の理由)(3頁)について(1)同(1)について (2)同(2)及び(3)について 第2 同第2(原判決の最高裁判例解釈上の問題)について1 同1(真実相当性の法的性質にかかる誤り)(6頁)について(1) (2) (3) (4) 2 同2(出版差止めの要件にかかる誤り)(12頁)について(1) (2) (3) 第3 同第3(真実相当性に関する事実認定上の問題点)について1 同1(概観)(18頁)について 2 ...
  • 別紙「第X1章 抜き書き」
    昨日 - 今日 - 目次 戻る 通2-130 主文 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 『沖縄ノート』より 別紙「第X1章 抜き書き」 (判決本文p284~)   このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、戦友(!)ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守傭隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か4
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―4 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p179-183 目次 4 【引用者註】言動が信用できない赤松に信をおく 赤松隊「陣中日誌」に、「三月二十九日も曇雨。昨夜より自決したるもの約二百名。首を縛つた者、手榴弾で一団となって爆発したる者、棒で頭を打ち合った者、刃物で頚部を切断した者、戦いとは言え、言葉に表し尽し得ない情景であった」と、あたかも目撃したように記録してある。 ところが、『ある神話の背景』では、「集団自決の情景」をみたものは、赤松隊には誰もいなかったことになっている。 179 赤松の話では、第三戦隊陣中日誌は主に谷本候補生(伍長)が書いたという。 陣中日誌に関しては、作戦要務令第三〇八条から第三一七条の各条で...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か11
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―11 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p211-215 目次 11 【引用者註】トーマス・マンの誤読と利用 赤松隊の皆本少尉の話というのがある。 隊員の兵隊二人が、あるとき逃亡した。そのとき、赤松は「去る者を追うのはよそう」と言った。「赤穂も最後は四十七人しか残らなかった」とも言ったとある。兵隊の逃亡を黙認した赤松の態度は、まことに寛大といわざるをえない。陣地をはなれたという理由だけで、防召兵に「逃亡」の罪をきせ、どこまでも追いかけてさがし出し、陣地に連れもどして処刑した赤松、これが同一人の態度かとうたがわざるを得ないほど隊員に対しては寛大であったことがわかる。島の住民や、住民出身の防召兵を、同じ種類の人間とみていなかった歴然たる証拠...
  • coffee氏の質問状とNHKの回答
    coffee氏の質問状とNHKからの回答 coffee氏(右派WEBライター=HN deliciouscoffee氏として夙に有名)はご自分のブログで、NHKへの質問と回答を公開しています。とても参考になりますので転載します。 http //blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee coffee氏の質問状とNHKからの回答coffee氏の質問状 NHKからの回答 coffee氏からの再質問 coffee氏の質問状 http //blog.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/39761745.html 「プロジェクトJAPAN」 NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」係 ━━━━━━━━━━ 拝啓 4月5日放送の『NHKスペシャル シリーズ「JAPANデビュー」第1回「アジア...
  • 付録2 初期被ばく医療の放射線測定におけるスクリーニングレベル
    放射能汚染とデマ汚染に抗す 付録2 初期被ばく医療の放射線測定におけるスクリーニングレベル http //www.remnet.jp/lecture/b03_01/a02.html http //megalodon.jp/2011-0609-2200-28/www.remnet.jp/lecture/b03_01/a02.html 付録2 初期被ばく医療の放射線測定におけるスクリーニングレベル 1.スクリーニングレベル(1)体表面汚染密度:40Bq/cm2について (2)全身推定線量:100mSvについて (3)鼻腔汚染:1KBqについて (4)甲状腺131I:3KBq 1.スクリーニングレベル  初期被ばく医療のフローチャートにおけるスクリーニングレベルは、次の4つの項目からなっています。  (1)体表面汚染密度:40Bq/cm2  (...
  • 宮城晴美氏陳述書2007年6月27日
    宮城晴美氏陳述書2007年6月27日 http //www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/chinzyutu1.html 宮城晴美氏陳述書2007年6月27日1 経歴 2 座間味村の「集団自決」に関する調査・執筆について(1) 1970年(昭和45年)国際大学在学中、 (2) 安仁屋政昭先生からの声がけで、 (3) 1985年(昭和60年)~87年(昭和62年)にかけて、『座間味村史』 (4) 1997年(平成9年)から2000年10月頃まで、本の執筆のため、 (5) その後も折に触れて「集団自決」が行われた当時、座間味島にいた人々から 3 甲B5『母の遺したもの』(2000年12月)について(1) 私がこの本(「本書」といいます)を出版したいきさつは、 (2) 部隊長命令についての手記の書き改めについて (3) 第3次家永教科書訴訟と母 (4) 助役の指...
  • 渡嘉敷島の惨劇は果して神話か2
    渡嘉敷島の惨劇は果して神話か―曽野綾子氏に反論する―2 太田良博 昭和四十八年七月十一日から同七月二十五日まで 琉球新報朝刊に連載 『太田良博著作集3』p171-175 目次 2 【引用者註】自決命令と住民処刑について 『ある神話の背景』では、渡嘉敷島に関するいくつかの戦記がほとんど『鉄の暴風』の中の第二章「集団自決」のひき写しであることが念入りに例証されている。『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記の部分が、直接体験者でない人から取材した伝聞証拠によるものである点をあげ、その信憑性が疑われている。だが、この場合、逆の見方も成り立つ。たとえば、直接体験者(遺族会)の記録である『渡嘉敷島の戦闘概要』が『鉄の暴風』をまねているというなら、それは表現を借用したというだけの話で、『鉄の暴風』の記述が大体においてまちがいないことの有力な証拠にさえなりうる。 問題は軍が自...
  • 集団自決と検定それでも「命令」の実証なし
    http //www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/93251/ 【正論】曽野綾子 集団自決と検定 それでも「命令」の実証なし 10/23 05 28 ■戦争責任と曖昧な現実に耐えること ≪大江氏の『沖縄ノート』≫  1945年、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を浴びた沖縄県慶良間列島の幾つかの島で、敵の上陸を予感した島民たちが集団自決するという悲劇が起きた。渡嘉敷島では、300人を超える島民たちが、アメリカの捕虜になるよりは、という思いで、中には息子が親に手をかけるという形で自決した。そうした事件は、当時島にいた海上挺進第3戦隊隊長・赤松嘉次大尉(当時)から、住民に対して自決命令が出された結果だということに、長い間なっていたのである。  1970年、終戦から25年経った時、赤松隊の生き残りや遺族が、島の人たちの招きで...
  • 樺太の悲劇(3) 真岡の電話交換手9人の自決 碑文から消えた「軍命」
    http //www.jiyuu-shikan.org/rekishi159.htmlより転転載 樺太・真岡郵便局に散った9人の乙女 前篇 真岡の電話交換手9人の自決・碑文から消えた「軍命」 鴨野 守 (ジャーナリスト) 映画『氷雪の門』は、真岡郵便局の電話交換手9人が懸命に業務を行い、最後に青酸カリを飲んで自決するという実話を基に制作され、樺太最大の悲劇として知る人も多い。   稚内公園の氷雪の門のそばには、「皆さん これが最後です さようなら」と刻まれた「殉職9人の乙女の碑」が建立されている。氷雪の門と同じく昭和38(1963)年8月15日に公開されたものだが、その碑文には、次のような説明が添えられた。   「昭和20年8月20日日本軍の厳命を受けた真岡郵便局に勤務する9人の乙女は青酸苛里を渡され最後の交換台に向ったソ連軍上陸と同時に日本軍...
  • 南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり
    http //www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2010020102000082.html 南京虐殺『2~20万人』『30万以上』  歴史認識日中隔たり 2010年2月1日 朝刊  日中両国の有識者による初の歴史共同研究の成果をまとめた報告書が三十一日、公表された。焦点の南京事件(一九三七年)については、日本側も「日本軍による虐殺事件」と認定したが、犠牲者数をめぐっては、日本側が「二十万人を上限に四万人、二万人などの推計がある」と指摘したのに対し、中国側は「三十万人以上」と主張。近現代史を中心に両国の歴史認識の違いがあらためて浮き彫りになった。   報告書は「古代・中近世史」と「近現代史」の二部構成で計約五百五十ページ。両国の担当者がそれぞれの立場から共通の時代、テーマについて執筆した論文を併記した。近現代史のうち、...
  • トップページ
    @wikiへようこそ ウィキはみんなで気軽にホームページ編集できるツールです。 このページは自由に編集することができます。 メールで送られてきたパスワードを用いてログインすることで、各種変更(サイト名、トップページ、メンバー管理、サイドページ、デザイン、ページ管理、等)することができます 新しいページを作りたい!! ページの下や上に「新規作成」というリンクがあるので、クリックして作成してください。 表示しているページを編集したい! ページ上の「このページを編集」というリンクや、ページ下の「編集」というリンクを押してください。 ブログサイトの更新情報を自動的に載せたい!! お気に入りのブログのRSSを使っていつでも新しい情報を表示できます。詳しくはこちらをどうぞ。 ニュースサイトの更新情報を自動的に載せたい!! RSSを使うと簡単に情報通になれます、詳しくはこちらをどうぞ。 その他...
  • 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>
    日中歴史共同研究 第1期「日中歴史共同研究」報告書 目次 <近現代史> 第一部 近代日中関係の発端と変遷 第二章 対立と協力 それぞれの道を歩む日中両国 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2> 川島真: 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授(外部執筆委員) http //www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/pdfs/rekishi_kk_j-2.pdf  目次  対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その1> 対立と協調:異なる道を行く日中両国 川島 真<その2>4.日露戦争と満洲問題■日露戦争と日中関係 ■日露戦争の勃発と中国の中立 ■ポーツマス条約の締結と「日露戦争の世界史的意義」 ■「満洲」問題の発生 5.日露戦後の日中関係と辛亥革命■中国利権をめぐる協商関係の形成 ■立憲君主制の試みと日...
  • PHP文庫「ある神話の背景」田村隆一解説
    PHP文庫「ある神話の背景」 沖縄・渡嘉敷島の集団自決 1992年6月15日第1版第1刷 著者曽野綾子 発行者江口克彦 発行所PHP研究所 この作品は、昭和四十八年五月に文芸春秋より刊行された 解説―いわぱ馥郁たる優しさ― 田村隆一 赤松嘉次大尉、海上挺進第三戦隊長、陸士五三期卒。 彼はオキナワ戦史の「神話的悪人」として記録されている。彼の任務はマルレと呼ばれるベニヤ板製の特攻舟艇でアメリカの艦船を攻撃することであった。しかし、沖縄・渡嘉敷島に上陸した彼とその部下は、圧倒的なアメリカ軍の攻撃にあって、島の二三四・二高地(西山)に複廓陣地をきずいてたてこもることを余儀なくされた。そこで赤松大尉は、渡嘉敷村の住民から戦いの遂行のためと称して食糧を強制的に徴発した。さらに駐在巡査・安里喜順(当時二十九歳)と村長.古波蔵惟好を通じて住民を西山の恩納...
  • @wiki全体から「「土俵をまちがえた人」(1)」で調べる

更新順にページ一覧表示 | 作成順にページ一覧表示 | ページ名順にページ一覧表示 | wiki内検索

目安箱バナー